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僕が好きな音楽で例えます。
世界的に有名で知らない人は居ないっていうミュージシャンって居ますよね。ビートルズとか、ボンジョヴィとか、エアロスミスとかクイーンとか(ロックばかりですみません)。彼らが世界的に有名なのは、曲が世界各国の人々に愛された結果であることは言わずもがなですが、ひとつ疑問が沸きます。

人種も、育った環境も、言語も、特に感性も異なる世界中の何十億人(でしたっけ、世界人口って)の人が同じ音楽を好きになる・・・このような現象はなぜ起こるのでしょうか?

たとえば僕は、最初小室哲哉・浅倉大介系のデジタル音楽から入り、トランス・テクノ系のダンス系音楽、そして突然ヘヴィメタルなんて聞き出した特殊な音楽歴の持ち主です。邦楽はあまり聴かず、ふとロックが聴きたくなるなんてこともありません。それでもクイーンやエアロスミスの曲は好きかと聴かれたら好きと答えます。なぜか?かっこいいからです。

しかし彼らの音楽をかっこいいと思うかどうかは人それぞれの異なった感性によって左右されます。なのになぜ多くの人の意見(感性)がこんなにも一致するのでしょうか。

これは例に挙げてるのがロックだからでしょうか?
ロックならどの国の音楽界にも根付いています。ならば当然ロックは耳に入ってるはずですから、そこでロック好きになる可能性が植えつけられるからなのでしょうか?

逆にあまり好まれない音楽においても、なぜ対照的に世界各国の人々の支持を得られないのか、という点についてもご意見いただけたらと思います。
よろしくお願いします。

A 回答 (8件)

 生まれた場所や肌の色まで違くとも、人は人です。

 生活しています。 同じようなことも考えるでしょう。 例として、私たちは先人たちの頃から世界の言葉を翻訳する努力をつづけて、生まれた場所や使う言葉が違くても意思の疎通を図ることができることを証明してきたはずです。 そんな私たちが、たとえば言葉や音、ジェスチャーなどではこれまで表現することの出来なかった考え、気持ち、考えを見事に具体化した(と個々で感じることの出来る)他国の音楽や絵画などに触れて感じ入ってしまうのも当然だと思います。 

 「世界各国の人々の感性が合致するのはなぜ?」 
 私は、「ロック」だからという気はしません。 taku17さんが挙げた中でも特に「ビートルズ」の音楽は、「ロック」然としているから万人に受け入れられるのではなく、たまたま彼らの取った表現の形が「ロック」と受け取けられてしまったからではないかという気がするのです。 現在の日本で言われる「ロック」の持つ、『激しさ』、『破天荒』、『反社会』などのイメージだけで、「ビートルズ」の音楽が言い表せるでしょうか。 彼らの音楽が万人に受け入れられるのは、むしろ『大衆的(ポップ)』な面が強いからだと思います。 これは世界各国で生まれたさまざまな音楽の要素の一端も含んでいるということかも知れませんね。 
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初めて外国人や外国に行ってびっくりするのが


「笑いに国境ってないんだな」(異端の大阪除く)でした。

同じ人間だってことですね、

大阪は日本でも特出したインフレで
たこ焼が「はい300万円ね~」とかになってます。
異常なことです。

それで「500万円玉でおつり頂戴ね~」とか
そんな低レベルな笑いを指示するのか?
世界に恥ずかしくないのか?

音楽も魂のレベルで国境がない
感性に訴えるものだからと思います。
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No.5さんの書いていることを思いっきりはしょって書きます。


音楽ウンヌンのところはNo.4さんが要領よく書かれていますが、質問者さんはひとつ勘違いされているところがあって、ビートルズやエアロスミスを聞いて質問者さんもアメリカ人もブラジル人も支持するのは、その支持する人たちが同じ「ロックンロール文化」を共有しているからです。
つまり、「国籍や民族や言語が違うのに感性が一致している」のではなく「感性が共通していて、たまたま国籍や民族や言語が違うだけ」なのです。だから、同じ日本人でも60歳のおじいさんに浅倉大介の音楽を聞かせてもおじいさんは「いい音楽だなあ」とは思いません。
しかしそんなあなたと60歳のおじいさんも「ビートルズはいい」と思うかもしれません。それは、ビートルズがロックの根源に近いからです。浅倉大介はエアロスミスの影響があり、そのエアロスミスはビートルズなくして誕生しませんでした。つまり、より中心にいるのがビートルズなので、ビートルズは共有できるのでしょう。
もっと音楽が根源的になってくるモーツァルトだともっと幅広い世代と民族に共感するのでしょう。

これは私の個人的見解ですが、アフリカの打楽器のリズムは、人類の音楽の根源が存在するような気がします。
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こんにちは。


音楽に対する感受性が人類に共通であるということは、これは特定の聴覚刺激に対する中枢神経系の反応が生得的に定められたものであり、この神経系の反応パターンが生物学的に人類共通であるということです。つまり、我々が動物である限り、誰が聴いても心地良い刺激であるならば、それは必ず快感や高揚感という反応となって身体に表れるということです。同様に、不快な刺激に対して快感を覚えるというひとはいないわけでありまして、逆にこのような人類共通の線から外れるものは特異体質ということになります。
どんなタイプの音楽が好きなのかということになりますと、当然のことながら、そこには個人の好みや生まれ育った社会など、生後の環境や体験学習によって個人差や地域差というものがあります。ですが、聴覚刺激に対する神経系の反応といいますのは、全ての人類の遺伝子の中に生まれる前からプログラムされているものですから、この反応基準が生後学習によって変更されるということは絶対にありません。ですから、音楽という聴覚刺激に対して身体に発生する反応のパターンといいますのは、何処の国でも何時の時代でも万民に共通ということになります。

我々動物の神経系は与えられた刺激に対して「利益・不利益」の判定を行います。「利益」と判定されるものは「報酬刺激」、「不利益」と判定されるものは「嫌悪刺激」といい、利益・不利益の判定基準が生得的に定められているものを「無条件刺激」、生後の学習によって獲得された価値判断に従うものを「条件刺激」といいます。
食べ物の好き嫌いや異性の好みに始まり、どのようなタイプの音楽が好きかなど、「個人差」や「お国柄」「時代の流行り」といった違いのあるものは全てが生後環境や個人体験によって獲得された価値判断に基づく「学習行動」です。これに対しまして、生得的に定められた神経系の反応パターンは「本能行動」でありまして、この反応結果に個人差や個体差というものはありません。
生得的に定められた先天的な「無条件刺激」といいますのは、例えば「満腹感」や「性的刺激」、あるいは「新奇刺激」や「心地良い刺激」といったものである場合は「報酬刺激」として判定され、逆に「痛み」や「苦痛」、「眩しい光」「大きな音」といった強い刺激は、如何なる動物においても無条件で不利益と判定されます。
従いまして、まず「感性に訴え掛ける音楽」といいますのは、基本的には不利益と判定される「嫌悪刺激」ではなく、生得的な判断基準に作用して快感や高揚感といった有益反応を発生せしめる、我々動物が無条件で受け入れることのできる報酬的な聴覚刺激でなければならないということになります。

音楽とは「聴くひとに高揚感をもたらす奏音(操音)」と定義することができます。「奏音(操音)」といいますのは、「演奏によってコントロールされる音」ということです。ですから、自然界に発生した音が如何に美しく聞こえようとも、この条件を満たしていないものは「騒音」でしかなく、それを音楽と呼ぶことはできません。
何れにしましても、そもそも音楽というのは高揚感をもたらすという目的で心地良く感じられる音の組み合わせというものを人為的に選んで作られたものです。ですから、これに対する反応が万民に共通であるというのは全く不思議なことではありません。では、それはどうして我々にとって心地の良い刺激なのでしょうか。

「ドミソ」の和音が美しく響くのは、「ド」と「ソ」の音の周波数比(完全五度)が「2:3」という整数関係にあるためだということを最初に発見したのはギリシャ時代の数学者ピタゴラスです。その後、「ド」と「ミ」の関係(長三度)が「4:5」であることが示されます。
ならば、「ミ」や「ソ」に対しても同様の整数関係にある音は美しく響くはずです。そして、そのような関係にある音を順に選び出していった結果、それらはオクターブ上で均等に並ぶ12個の音になりました。このようにして作られたのが「音階」であり、「音楽・奏音」を構成するための音階といいますのは、要は美しく響き合うもの同士を並べたものということになるわけです。
では、これがどうして美しい響きであるのかといいますならば、それは互いの周波数比が「整数関係」にある「協和音」であるからです。つまり、我々の脳の聴覚中枢は、「協和音」に対しては利益・快感の反応を示すのですが、そうでない「不協和音」には不利益・不快という判定を下すというわけですね。ですから、このような聴覚刺激に対する中枢神経系の反応が生得的に定められた先天的なものであるならば、これが音楽に対する感性というものが人類に共通であることの、生物学的なひとつの動かぬ証拠ということになります。

先に触れました通り、音楽といいますのは我々人間が動物として先天的に定められた基準に作用することによって快感や高揚感といった生得的な反応を発生させるため、人為的に構成された聴覚刺激です。神経系に反応を発生させるということは、取りも直さず心を動かすということでありまして、感性に作用するということはこういうことです。
音楽というのは「音の時間的変化」によってひとの心を動かすものです。ですから、単に美しい響きを持つ協和音だけに限らず、我々の先天的な感性に作用して高揚感をもたらす音楽の要素には、大雑把に以下のようなものがあります。
「小さな音から大きな音への変化」
「低い音から高い音への変化」
「ゆっくりとしたリズムから速いリズムへの変化」
「単純な音程から複雑な音程への変化」
音楽というのは、このような音の時間的な変化によってひとの心を動かします。そして、これらを全く逆さまに使いますならば、逆に高揚感から安定感・安心感といった効果を生み出すことができます。ですから、多くの音楽では曲の前半には高揚感、終盤には安定感という構成が成されているわけなのですが、それだけではなく、一旦わざわざ不安定な状態を作り出しておいてから一挙に安定状態に終結するといった手法も頻繁に使われます。これは、変化をより大きくして、それによってひとの心を揺さ振るためですね。

ですが、不安定な聴覚刺激というのは生物学的には「嫌悪刺激」に当たり、動物にとっては不快感という反応をもたらすものです。ですから、このようなものは本能的には容易に受け入れられるものではありません。では、何故こんなものが高揚感をもたらすための音楽に使われているのでしょうか。
この理由そのものは、取りも直さず刺激をより強くするために他ならないわけなのですが、ここで申し上げたいことは、我々人間というのは他の動物よりも知能がかなり達しているため、例え本能で受け入れられないものであったとしましても、知性によってそれを受け入れてしまうことが可能だということです。
最も分かりやすい例としましては、我々は「マイナーの曲」によって悲しみや哀愁を味わうことができるということです。マイナーの曲といいますのは、音程や和音が完全な整数倍ではなく、数値的には割り切ることのできない不協和音に近い成分が含まれています。我々の脳は、これに対して不安という反応を発生させているため、悲しいイメージを抱くことになります。
では、我々はどうして不安や悲しみといった「嫌悪刺激」を自分から受け入れることができるのでしょうか。ですから、これを受け入れているのは本能ではなく、人間の知性なんですね。

モダン・ジャズの演奏では、「セブンス」や「ナインス」といった「テンション・コード」が多用されます。これは7度、9度といった音程による明らかな不協和音であり、「テンション」とはそのまま「緊張感」と訳されます。
基本的には、脳はこれに対して不安や緊張といった反応を示すわけですが、我々はそれを受け入れ、適度な緊張感として楽しむことができます。これが、ジャズというものが知的な音楽であると言われている理由です。
話は変わりますが、「大きな音」というのは全ての動物にとって危険信号であり、それは生得的な「嫌悪刺激」です。ですが、状況を判断する限り、現在自分のいる「ロック・コンサートの会場」に危険など迫っていないというのは明白な事実です。従いまして、若者たちはより高い刺激を求め、耳がつんざけるようなロックの演奏を平気で楽しむことができます。人間以外の動物には、恐らくこんなまねはできないと思います。

音楽というのは、我々人間の神経系の生得的な反応に作用する聴覚刺激です。ですから、ここまでは如何なる人類においても、その反応結果に個人差というものはありません。ですが、より高い刺激を作り出すために、音楽はその歴史の中で、知性を以って初めて受け入れることのできる複雑なものに変化してゆきました。これが「学習行動」であるために、それを受け入れられるかどうかという価値判断に生後環境や個人体験といったものが反映することになります。
では、ブルースよりもモダン・ジャズの方が知的な音楽であるのか。ポピュラー・ミュージックよりもクラッシクが、演歌よりもロックが、古典音楽よりもコンピュータ・サウンドの方がより高尚で知的であるのかということになりますと、一概にそうとは言えませんし、何よりも、音楽の価値というものをそれだけで評価することはどうやってもできません。何故ならば、「知的好奇心」というものが学習行動である限り、それは単なる個人的な価値観以外の何物でもないからです。
ですから、高い感性というのは、生得的な反応と後天的な知性、この両者が融合したところにあるわけですから、どのようなジャンルの音楽の理解に知性を用い、どのようにしてその価値に触れるかというのは、全てはそのひとの感性しだいということになるのではないかと思います。知性が欠けても、人間性が欠けても、音楽を正しく理解することはできないということですね。

さて、全ての国の音楽界に根付いているのはロックではなく、それは「ブルース」です。質問者さんが普段お聴きになっておられますロックなどといった世界のポピュラー・ミュージックの全ては、必ず「黒人ブルース」に影響を受け、その演奏スタイルを共通の原点としています。
ご存知の通り「ブルース」といいますのはアメリカ黒人によって生み出された音楽でありまして、一言でいいますならば、人間が高揚感を得るために必要な要素を最も単純に組み合わせた演奏スタイルということになります。極端な言い方をしますと、高揚感以外のことはほとんど何も考えていません。このため、ひとの心にはたいへん優しいのですが、芸術性はあまり高くないというのがブルースのひとつの特徴です。
アメリカでは、この黒人ブルースからジャズが派生し、やがてR&B(リズム&ブルース)とカントリー・ウェスタンの融合によってロックンロールが生まれました。ボサノバといいますのは南米のラテン・ニュージシャンがジャズの演奏スタイルを取り入れたものです。また、ジャマイカンの黒人たちがR&Bを取り入れたのがレゲエであり、一旦南米に飛び火したR&Bがダンス・ミュージックとしてアメリカに逆輸入されたのがサルサです。戦後の日本の歌謡曲はジャズを通してブルースの影響を満遍なく受けています。
ヨーロッパではイギリスが「ヨーロッパ・ブルース・ブーム」の中心地となり、ここからレッド・ツェッペリンやディープ・パープルが生まれました。そして、リバプールの港に屯し、アメリカから新しいレコードが入ってくるのを目をギラギラとさせながら待っていた4人の若者がビートルズですね。
このように、純粋な民族音楽とクラッシクを除くならば、世界中の全てのポピュラー・ミュージックは「黒人ブルース」の演奏スタイルというものをその原点に持っています。ですから、ボンジョヴィ、エアロスミス、クイーン、レッド・ツェッペリン、マイルス・デイビス、美空ひばり、坂本龍一、小室哲也、スティービー・ワンダー、どのジャンルの音楽を取っても必ずブルースと繋がっているというのは、音楽の歴史上、揺るがすことのできない事実です。そして、その演奏スタイルといいますのは、高揚感を得るという目的のためだけに、黒人たちの手によって無意識のうちに選び出されたものです。ということでありますので、黒人のブルースという音楽が、人種の違いや言葉の壁をものともせず、何故これほどまで一気に世界中に広まっていってしまったかは、これ以上ご説明する必要はありませんね。

つまり、質問者さんのお聴きになっておられます音楽には、どれも必ずひとの心を動かすためのブルースの手法というものが使われているというわけです。世界の全ての大衆音楽はこれを原点に知性と芸術性を進化させました。質問者さんはご自分の知性をその音楽の理解に振り向けているだけではなく、本能的にもちゃんとブルースの演奏スタイルに反応をしているわけですね。この先天的な感性が人類に共通なんです。
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 音楽は、確かに感性ですね。


 ジャンルを問わず、洋楽と邦楽の好みと長く聴きたい・聴いているの違いは何故でしょう。
 洋楽は、歌詞が英語など外国語ゆえに、メロディがメインになります。そのメロディが、自分の感性に合うか合わないかの違いです。そして、邦楽と比較して、長く聴いている事も有ります。
 邦楽の場合、歌詞の意味もメロディに併せて、脳に伝わり、その歌詞の意味を理解し、時には涙します。逆に、歌詞を理解出来るが故に、ダイレクトに伝わると思います。その為、聴く時の気分や状態に影響され、聴いたり聴かなかったりします。
 例えば、カフェなどでかかるのは、邦楽よりもゆるい洋楽だったりします。家の場合、寝る間際の時も同様ではないでしょうか。泣きたい気分の時、洋楽ではなく邦楽で、自分が、昔ある時期によく聴いた曲、例えば、好きだった異性とよく聴いた曲で、その異性との思い出がつまっている曲を耳にすると、泣けるという事もあるでしょう。
 逆に、洋楽よりも邦楽のメロディ+ダイレクトさを好む人も居ると思います。それも、様々な感性に基づくゆえです。

 エアロスミス・クイーン・ボンジョヴィ・ビートルズなど他も同様ですが、ワールドツアーを組めるきっかけがあるかないかと、TVなどのメディアを通じて、全国に配信されるかの2点にかかってくるのではないでしょうか。そのレコード会社の営業戦略も当然、加味されます。
 日常的に耳にする機会が多くなると、人によっては受け入れられ支持するかもしれませんが、ジャンルによっては、全く受け付けないと思います。それは、育った環境や性格なども絡んできます。又、よく耳にすると、世界でも支持されていると錯覚に陥ります。
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音というのも一種の「外界からの刺激」ですからね。


それを受け止める耳という器官が人間であれば左程大差なくできている、ということではないでしょうか。

ただ、個体差はありますから、「人間は皆音楽が好き」と言っても好みが分かれるのは当然です。
ロックが好きな人、クラシックが好きな人、民謡が好きな人、などなど。
それらの割合が均等になるほうが不自然であって、必ず差異が生じます。

ビートルズが多くの人々に受け入れられたのは、耳を通して脳に刺激を与えるメロディーを心地よく感じる人が多かったということでしょうし、彼らはそれを見出す感性・才能があったということでしょう。
感性ですから今のところ理由を明白にすることは難しいと思われます。

個々の人間は確かに違っていますが、人間という範疇での差異である、ということだと思います。
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あなたが歌ってる内容を理解してないだけですよきっと



とんでもないのばかりですから(^^;

あと、例えがめちゃくちゃビートルズ以外は、誰も知らないバンドばかり(^^;

音だけなら嫌われる音楽ですロックは
あなたが好きだから世界の人も好きだと思ってるだけです
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難しいことは分かりませんが・・・。

私は、その音楽が「心に響く」から好きになるのだと思います。好きだという「心」の問題に、人種や国柄は関係ありません。実際、同じ国の者なのに、響く場合と響かない場合がありますよね。要は、感性を持っているか否かだと思います。因みに、私はロックが大好きです。
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