戦国時代に宣教師達が日本に多く来ていますが、彼らが当時の日本の状況を詳しく記した本はありませんか?

特にルイス・フロイスからみた信長及び戦国時代武将達の人物像を知りたいです。信長関連の小説などを読むとよくこの名前が出てきますよね?私は昔みた「知ってるつもり」で信長の写実的に描かれた絵に感動しました。サイトもあったらよろしくお願いします。皆さんが知っている話もあったらぜひ聞きたいです。

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A 回答 (3件)

◆情報追加します。

でも、古いために絶版本も多いですし、高価な本も。。。。

「日本王国記」(大航海時代叢書)岩波書店
アビラ・ヒロン・・・スペインの商人、16世紀末から1619年頃まで滞在。
http://contents.lib.u-tokyo.ac.jp/contents/cgi-b …

*もしかしたら、この本に一緒に入っているフロイスの「日欧文化比較」は、#2の方が紹介された文庫版の『ヨーロッパ文化と日本文化』と同内容かもしれません。


*以下2冊は、江戸初期に入ってしまっていますが・・・。

「日本見聞録」(異国叢書 7)雄松堂書店
ドン・ロドリゴ・・・スペイン人・フィリピン(臨時?)総督
http://webopac2.ndl.go.jp/ows-bin/syousai.cgi?S_ …


「日本渡航記」(新異国叢書)雄松堂出版 
セーリス・・・イギリス・東インド会社の司令官
http://www.yushodo.co.jp/presslist/isbn4-8419-10 …



◆あと、もう少し、この時期の宣教師関連の書籍がありました。こちらの本もかなり古いです(^^;)

「イエズス会士日本通信  上 」
村上直次郎∥訳  柳谷武夫∥編
出版地 :東京
出版者 :雄松堂書店
出版年月:1968
資料形態:426p 図版  23cm  2600円
シリーズ名: 新異国叢書  1  
http://webopac2.ndl.go.jp/ows-bin/syousai.cgi?S_ …
http://www.yushodo.co.jp/presslist/isbn4-8419-01 …


「イエズス会士日本通信  下 」
村上直次郎∥訳  柳谷武夫∥編
出版地 :東京
出版者 :雄松堂書店
出版年月:1969
資料形態:477p 図版  23cm  2600円
シリーズ名: 新異国叢書  2
 http://webopac2.ndl.go.jp/ows-bin/syousai.cgi?S_ …


「イエズス会日本年報  上」
村上直次郎∥訳  柳谷武夫∥編
出版地 :東京
出版者 :雄松堂書店
出版年月:1969
資料形態:361p 図  23cm  2600円
シリーズ名: 新異国叢書  3  
http://webopac2.ndl.go.jp/ows-bin/syousai.cgi?S_ …


「イエズス会日本年報  下 」
村上直次郎∥訳  柳谷武夫∥編
出版地 :東京
出版者 :雄松堂書店
出版年月:1969
資料形態:297p 図  23cm  2600円
シリーズ名: 新異国叢書  4  
http://webopac2.ndl.go.jp/ows-bin/syousai.cgi?S_ …


「16・7世紀 イエズス会日本報告集」
このシリーズいまのところ14冊出ているみたいです。
上記の年報などと内容が重複するかもしれませんし、かなり高額なので、個人購入よりは図書館での利用がよいのではないでしょうか?
また、初期の方は古書店でも取り扱ってるみたいです。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4810405 …
http://www.book-kanda.or.jp/asp/catalog.asp?Cate …
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この回答へのお礼

再度回答いただきありがとうございます。たくさんありますねえ(^^)。

あの時代に他国からみた日本・・・・。まさに目からうろこが落ちるような話を期待して図書館行ってみます。

お礼日時:2002/03/14 15:04

すでにgazeruさんから詳しい回答がでていますが、当時の宣教師関係の本には次のようなものもあります。



『ヨーロッパ文化と日本文化』ルイス・フロイス著 岡田章雄訳注 岩波文庫
¥400  著者が35年間の日本生活で見聞きしたことをまとめた本。ヨーロッパでは男性が先に歩くが日本では女性が先を行く、ヨーロッパ人は馬に左側から乗るが日本人は右側から乗る・・・現代の日本人なら「エーッ、本当?」というような話を含め、当時の習慣、着物、武具、食べ物、催事などが分かりやすい日欧対比形で書かれています。

『バリニャーノ巡察記』桃源社 1965年刊
この本はおそらく図書館にしかないと思います。フロイス達日本滞在宣教師の上司にあたるインド駐在の司教で日本に三回来訪しています。本書は『日本史』とことなり教会内部の報告書ですが、「日本要録」という章に当時の日本の状況が詳しく書かれています。本能寺に滞在していた織田信長と面会したとき、司教が伴っていた黒人奴隷を信長が色が黒いとは信じず、裸にして洗い流せと命じた有名な話も紹介されています。

わずか500年前の社会状況が日本人である我々にも理解困難だったり、奇異に見える事がことが多く、時代劇に如何にウソ(便宜上のウソも含め)が多いかも分かるので、スペイン人やポルトガル人の残した記録は貴重な資料だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。どこかで見た情報なのですが現代の言語が通用するのは室町幕府末期ぐらいまでらしいです。言語にしてもそうなのですから全くもってわずか500年前の社会状況が同じ日本人であるにもかかわらず理解しがたいですよね。貴重な情報ありがとうございます。

お礼日時:2002/03/11 02:33

ルイス・フロイスの日本に関する資料でもっとも有名なのは、「日本史」だと思います。


平凡社の東洋文庫版で5冊でています。

「日本史」 第1  ルイス・フロイス∥著  柳谷武夫∥訳
出版地 :東京
出版者 :平凡社
出版年月:1963
資料形態:315p  18cm  

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582800 …
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582800 …
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582800 …
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582801 …
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582803 …



↓は、他の方による翻訳のシリーズ
「完訳フロイス日本史」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4122035 …



あと、その他、参考になりそうな本を。

「宣教師が見た織田信長 」 高野澄∥著
出版地 :東京
出版者 :徳間書店
出版年月:1992.1
資料形態:251p  16cm  460円
シリーズ名: 徳間文庫  
件名  : 織田∥信長(1534~1582)
ISBN:4195994462
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4195994 …




「織田信長と高山右近 フロイスが見た日本 」 津山千恵∥著
出版地 :東京
出版者 :三一書房
出版年月:1992.3
資料形態:243p  20cm  1500円
件名  : キリスト教―歴史
織田∥信長(1534~1582)/ 高山∥右近(1552~1614)
内容  : 参考文献:p235 略年譜:p237~243
ISBN:438092209X
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4380922 …


#その他、商人などが書いたものもありますが、情報いりますか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。歴史物は経済的問題で金額の安い古本にしか普段、手は出さないのですが早速注文したいと思います。

商人が書いたもの・・・興味そそられますね。情報お願いします。

お礼日時:2002/03/11 02:22

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 この時ルイス・フロイス達はどのようにスパゲティを食べていたのでしょうか??確か、スパゲティをフォークで食べ始めたのは1770年頃からのはずですから、ルイス・フロイスが日本にいたのは1500年代の後半のはずですから、二百年近い開きがあります。やっぱり手づかみ食べだったのでしょうか??

Aベストアンサー

    下記によりますと12世紀にイタリア南部で食用に供されたが、イタリア全土に広がるのは19世紀とあります。
    http://en.wikipedia.org/wiki/Spaghetti
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この一文を読むと、「食べ方」と「お酒の飲み方」についての記述であることは分かります。お酒に関してはよいのですが、食べ方の方は何を対象にしているのか分かりません。サイトを読むと麺類を対象としているように解釈されていますが、文章にはあくまで「食事」としか書いてありません。
 
 この文章が対象としているのは本当に麺類なのでしょうか?それとも、麺類以外の食事をするときも口で音を立てて食べることが当時のマナーだったということでしょうか?

 どうぞ教えてください。

 麺類を食べるときは無意識のうちにすすってしまうものです。

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岩波文庫本には、「われわれの間では口で大きな音を立てて食事をしたり、 葡萄酒を一適も残さず飲み干したりすることは卑しい振る舞いとされている。 日本人たちの間...続きを読む

Aベストアンサー

1。  >>この文章が対象としているのは本当に麺類なのでしょうか?

松田毅一・E.ヨリッセン訳では「われらにおいては、くちゃくちゃと大きな音を立てながら食事をしたり」となっています(p.103)

    この訳からは、麺類ではないと思います。

2。>>それとも、麺類以外の食事をするときも口で音を立てて食べることが当時のマナーだったということでしょうか?

    「したつづみ」(舌鼓)と言う表現が『国語大辞典』(小学館)には「うまいものを飲み食いした時に鳴らす舌の音」と定義されています。

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    このような記述から、「麺類以外の食事をするときも口で音を立てて食べることが当時のマナーだった」と思われます。

1。  >>この文章が対象としているのは本当に麺類なのでしょうか?

松田毅一・E.ヨリッセン訳では「われらにおいては、くちゃくちゃと大きな音を立てながら食事をしたり」となっています(p.103)

    この訳からは、麺類ではないと思います。

2。>>それとも、麺類以外の食事をするときも口で音を立てて食べることが当時のマナーだったということでしょうか?

    「したつづみ」(舌鼓)と言う表現が『国語大辞典』(小学館)には「うまいものを飲み食いした時に鳴らす舌の音」と定義さ...続きを読む

Q戦国時代の武将達の名前

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官職については、延々と同じ質問が出ているので。コピペ状態はさすがにあれですから、下のURLを見てください。美濃守はこれです。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2280400

あと、本来的に律令制にもとづく、官位官職については、以下のURLを参考にしてください。

http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/index.html

http://homepage1.nifty.com/kitabatake/kanitop.html


また、平八郎は、通り名というものです。当時、名前(忠勝など)と言うのは諱(いみな。忌み名)と言うものでして、家族か目上の人以外は基本的に呼んではいけないものでした。

おおよそ元服時に名と一緒に決めることが多いのですが、つけ方はいくつかあります。
まず、太郎次郎系。これはそのままです。現在にも続いていますが、通り名の代表ですね。
そして、又左衛門、とかいった「官職名のもじり」です。もともと左衛門というのは、衛門府という役所の右左の左なのですが、それをもじったものですね。まあ、官職もどきともいえます・・・
ちなみに、こちら二つはだいたい一族で続けて名乗っている場合が多いですね。なお、高坂は「源五郎」を名乗っています。弾正忠は、官職名です(本当は大忠と少忠に分かれるのですが)。

官職については、延々と同じ質問が出ているので。コピペ状態はさすがにあれですから、下のURLを見てください。美濃守はこれです。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2280400

あと、本来的に律令制にもとづく、官位官職については、以下のURLを参考にしてください。

http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/index.html

http://homepage1.nifty.com/kitabatake/kanitop.html


また、平八郎は、通り名というものです。当時、名前(忠勝など)と言うのは諱(いみな。忌み名)と言うもので...続きを読む

Q石田三成について教えてください!!!

石田三成について教えてください!!!

最近、石田三成という武将が気になり
比較的歴史に詳しい母に
三成について聞いてみたところ
「三成は極悪人として京都の市内を
歩き回された挙句、打ち首になったんだよ」
と聞かされました。

母は三成の事についてはあまり知らないらしく、
それなのに何故か嫌いなようです。
石田三成はなぜ"極悪人"として
市内を歩かされるような事になったのでしょう?

また、石田三成が好きという方は
彼の魅力について教えて頂けると嬉しいです。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

三成を嫌いな人は多いと聞きます。
それはやはり、10m10mさんがおっしゃるように
"極悪人"として市内を歩かされたからだと思います。

その理由は、勝利者であった家康の敵であったから
ではないでしょうか?

勝者としては、敵を処刑するというのは
当然のことでしょうし、また、juyjuy さんの
おっしゃるように家康も彼を評価していましたから、
それはなおさらだと思います。


>また、石田三成が好きという方は
 彼の魅力について教えて頂けると嬉しいです。

わたしは、三成が好きで、いろいろな本を読んでいますが、
その中のひとつに、こういった逸話がありました。
(うろ覚えですが……

『人々はお茶を回し飲みしていた。
 回し飲みをしていた一人、 三成の友である
 大谷刑部はハンセン病であった。
 そのため、他の者たちは、刑部の飲んだ後の
 茶は飲んだフリをして他の者にまわすことが多かった。
 
 ある日、刑部の鼻水がお茶の中に入ってしまった。
 そのままお茶を回すことをためらい、
 お茶をまわすことができずにいた。
 それを見ていた三成は、
 
 「拙者は喉が渇き申した。
  刑部殿、早くお茶を回してくだされ」
 
 とお茶を受け取るや、それを一気に飲んだ。』

このあとの記述にもあったのですがこのことから
三成と刑部の友情がうかがえます。

人々から嫌われているというのに
こんなことができるとは……友情最強!

とわたしも思わず拍手をしてしまいました。
この逸話はあまり有名ではないかもしれませんが
わたしが一番好きな逸話です。

(長文失礼致しました。

三成を嫌いな人は多いと聞きます。
それはやはり、10m10mさんがおっしゃるように
"極悪人"として市内を歩かされたからだと思います。

その理由は、勝利者であった家康の敵であったから
ではないでしょうか?

勝者としては、敵を処刑するというのは
当然のことでしょうし、また、juyjuy さんの
おっしゃるように家康も彼を評価していましたから、
それはなおさらだと思います。


>また、石田三成が好きという方は
 彼の魅力について教えて頂けると嬉しいです。

わたしは、三成が好きで、いろいろな本を読んで...続きを読む

Q【歴史・戦国時代の日本人口の矛盾】戦国時代の歴史教科書の総人口がおかしいことに気付いた。 戦国時代の

【歴史・戦国時代の日本人口の矛盾】戦国時代の歴史教科書の総人口がおかしいことに気付いた。

戦国時代の日本人口は1000万人くらい。

少なく見積もっても800万人。

で、大名に万石という土地を分け与えて国を管理していた。

そのときに3番目に多くの土地を貰っていたのは九州の大名で86万石。

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その時の天下人
でこの3番目の九州の大名

3番目の九州の大名で86万石。

日本で3番目に多くの領地を貰っている大名で最大で86万人しか食べられない。

ということは最低でも800万人国民いたとしたら、大名の数が当時の数と合わない。

本当はもっと総人口は少なかったのでは?

天下人と天皇の朝廷は大名に年貢を納めさせたので大名の万石から譲り受けたわけだからノーカウントとして、残り714万石。

あとの大名は10万石とかですよね。

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Aベストアンサー

士農工商のうち、武士以外が米を食っていたとでも?

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こんにちは
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よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

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「武勇はないが頭で考える戦国武将」

Q小学生に楽しく読んでもらえる、戦国武将や戦国時代の本を教えて下さい♪

戦国好きな小学生のために、面白い歴史読み物本を買いたいと思っています。(推測するに戦国ゲームから興味をもったようです)
自分も小中学生の時、新撰組の本を読みあさった記憶があるのですが、戦国武将についてはあまり知識はありません。
これをきっかけに、本好きになってもらえたらな~と思っています。
もしご存じな方がいらっしゃったら教えて下さい、宜しくお願いします!

Aベストアンサー

そんな小学生に私は
司馬遼太郎さんの『尻啖え孫市』を貸したら、面白かったと言っていました。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4062758148.html

あとは、隆慶一郎さんの『一夢庵風流記』
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4101174148.html

風野真知雄『われ、謙信なりせば』
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4396334451.html

小学生だって、興味があれば読むことが出来ると思います。
そして、児童書なら、こんな本がオススメです。
斉藤洋『戦国の雲』
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/403744240X.html

Q石田三成と大谷吉継について。

石田三成と大谷吉継について。

最近、戦国BASARA3をやっていて
この二人が気になっています。
歴史上の石田三成と大谷吉継は
一体どのような人物だったのでしょうか

あとBASARAの三成は吉継の事を
形部(ぎょうぶ?)と呼んで
他の武将と比べると仲が良いように
見えますが歴史上ではこの二人は
どういった仲だったんですか?

我こそは石田三成、大谷吉継ファン
だという方、是非とも彼らの魅力や
その生涯など詳しく教えていただけると嬉しいです!^^

宜しくお願いします!

Aベストアンサー

どちらも秀吉子飼の武将です。
所領は三成が近江佐和山、吉継が越前敦賀でとなりどうしです。
吉継は業病(おそらくハンセン病)で、いつも頭巾で顔を覆っていることで有名です。

この二人は茶会での逸話があります。
秀吉が催した茶会で、吉継が自分の膿を碗に垂らしてしまいました。
続く武将は皆飲むふりをしてまわしていきました。
三成だけは気にせず飲みました。
このこと以来、三成と吉継は親友となりました。

そして関が原です。
三成は挙兵のとき吉継に協力を求めます。
吉継ははじめ勝ち目がないと三成を止めます。
ですがそれが無理となると、吉継は三成とともに戦い死ぬこととしました。
まさに刎頚の友だったというわけです。

Q中学の歴史について質問です。 戦国時代に織田信長が、1568年にほかの戦国大名よりも早く京都を抑え、

中学の歴史について質問です。
戦国時代に織田信長が、1568年にほかの戦国大名よりも早く京都を抑え、足利義昭を将軍としたのに、1573年に足利義昭を追放して、室町幕府を滅ぼしたのですか?

Aベストアンサー

元々、室町幕府はあまり他の大名を統制できるような力を持っていませんでした。
そして、応仁の乱を抑えられなかったことにより、完全に幕府、将軍の権力はなくなり、その時々の実力者が、自分の意向を世に広めるために、将軍の名前を使って命令をする、というような状態でした。
そのため、都合が悪くなると、将軍を退位させ、別の将軍を立てる、なんていうことも珍しくない状態でした。実際、足利義昭が将軍になる3年前には、義昭の兄である13代将軍・足利義輝が、近畿地方で一大勢力を持っていた三好氏によって殺害され、替わりに義栄が14代将軍として擁立される、ということまで起きています。

信長が義昭を将軍に添えたのも、理由としては同じです。
世の中に色々と命令などを出したいが、自分の名前で出すと周囲の大名たちの反発を生んでしまう。義輝を殺害して、義栄を擁立した三好氏と同じように信長も、義栄を追放して、義昭を擁立することで、義昭の名前を利用しようとしたわけです。
実際、足利義昭を将軍に添えてから数年で近畿地方における勢力を確立しました。
しかし、信長の力が伸びることに反発した義昭は、周囲の大名に対して信長を討って自分を助けよ、というような書状を出すなどしました。
信長としては、近畿地方をほぼ制した上に、自分の敵ばかりを作る義昭、室町幕府はもはや用無し。なので、追放し、幕府を滅ぼした、ということになると思います。

元々、室町幕府はあまり他の大名を統制できるような力を持っていませんでした。
そして、応仁の乱を抑えられなかったことにより、完全に幕府、将軍の権力はなくなり、その時々の実力者が、自分の意向を世に広めるために、将軍の名前を使って命令をする、というような状態でした。
そのため、都合が悪くなると、将軍を退位させ、別の将軍を立てる、なんていうことも珍しくない状態でした。実際、足利義昭が将軍になる3年前には、義昭の兄である13代将軍・足利義輝が、近畿地方で一大勢力を持っていた三好氏によ...続きを読む


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