i'm sure that her mother is a doctorを動名詞を使ってあらわすと、どうなるのでしょうか
i'm sure of her mother is being a doctorになりますか
is beingなんて、おかしくてたまりません。。。
(間違ってるようなきがします)
どなたかご教示下さい

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A 回答 (2件)

isは要りません。


"I'm sure of her mother being a doctor."です。
文法用語をあまり知らないのですみませんが、
ofの後なので動詞を用いた文は来ません。
sure of 「目的語」+「動詞のing形」で
「目的語」が「動詞のing形」であることは確かである(と思う)であらわします。
詳しい文法的な解説は文法書を参照してください。
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 that の後は SV の形になりますが,of という前置詞の後には,名詞や動名詞がくることになります。



 したがって,is という be 動詞の意味を出すには,of being a doctor となります。

 そして,her mother という is の主語の意味を出すために,動名詞では意味上の主語として,所有格を置くことになります。

 日本語でも,「私のすること」のように,「の」を用いるのと同じ感覚です。

 すると,of my mother's being a doctor になりますが,くだけた場面では,my mother という目的格を用います。特に人称代名詞でなく,名詞の場合は 's をつけずに目的格にするのが普通です。

 したがって,I'm sure of her mother being a doctor となります。
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こんにちは、いつもお世話になります。

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その中で、文法的にこのbeingはisとどう違うの?というbeingの使い方がありましたので、教えてください。

背景:メフィストが学生に論理学の重要性と効能について話しているセリフの一節。

~~~~~上記の本より引用~~~~~~~~
The first being thus, the second thus
Therefore the third and fourth are thus
And were the first and second not there
Nor would the third and fourth be, ever.
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2行目がareなのは、複数で真理=現在形だから。 3行目がwereなのは仮定法過去の条件節で、4行目が帰結節だから、would beなのは簡単にわかりますが、(一行目のsecondの後に動詞が無くてthusとなっているのは共通要素の省略でthe second (being) thusなんですよね?)

1行目のbeingは動名詞の「であること」の意味だと思うんですが、なぜここで動名詞がでてくるのでしょうか? 現在形+単数だからisじゃダメですか?

ニュアンスは変わるのでしょうか?

~~~参考までに森鴎外訳~~~~
第一段がかうだ、第二段がかうだ
それだから第三段、第四段がかうなくてはならん。
若し第一段、第二段がなかつたら、
第三段、第四段は永久に有りやうがないと云うのだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
http://kindai.ndl.go.jp/BIBibDetail.php?tpl_wid=WBPL110&tpl_wish_page_no=1&tpl_select_row_no=1&tpl_hit_num=1&tpl_bef_keyword=&tpl_action=&tpl_search_kind=1&tpl_keyword=&tpl_s_title=&tpl_s_title_mode=BI&tpl_s_title_oper=AND&tpl_s_author=&tpl_s_author_mode=BI&tpl_s_author_oper=AND&tpl_s_published_place=&tpl_s_published_place_mode=ZI&tpl_s_published_place_oper=AND&tpl_s_publisher=&tpl_s_publisher_mode=ZI&tpl_s_publisher_oper=AND&tpl_s_nengou=AD&tpl_s_published_year_from=&tpl_s_published_year_to=&tpl_s_ndc=&tpl_s_ndc_mode=ZI&tpl_s_heading=&tpl_s_heading_mode=ZI&tpl_s_heading_oper=AND&tpl_s_toc=&tpl_s_toc_oper=AND&tpl_item_oper=AND&tpl_sort_key=TITLE&tpl_sort_order=ASC&tpl_list_num=20&tpl_s_jp_num=43019403
(第一部98ページ目)

~参考までにドイツ語の原文~~~~~~~
Das Erst war so, das Zweite so,
Und drum das Dritt und Vierte so;
Und wenn das Erst und Zweit nicht war,
Das Dritt und Viert war nimmermehr.
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
http://gutenberg.spiegel.de/?id=5&xid=3448&kapitel=7&cHash=f2061be284chap007#gb_found
(warのaの上には点が二つ付く)

特に今回は原文の意味解釈というよりも、英文法解釈質問で、何故初めだけbe動詞がbeing(動名詞?)に成っているのかという質問です。

よろしくお願い致します。

こんにちは、いつもお世話になります。

David Constantine訳の現代英語訳 ゲーテ著、「ファウスト」を現在読み進めています。

その中で、文法的にこのbeingはisとどう違うの?というbeingの使い方がありましたので、教えてください。

背景:メフィストが学生に論理学の重要性と効能について話しているセリフの一節。

~~~~~上記の本より引用~~~~~~~~
The first being thus, the second thus
Therefore the third and fourth are thus
And were the first and second not there
Nor w...続きを読む

Aベストアンサー

#1さんがおっしゃっていますが、つまり英語では接続詞なしで文(節)をつないでいくことが原則許されないということです。

The first is thus, the second is thus
and therefore the third and fourth are thus

A, B and C の形になっています。

接続詞をなくすとどれかを分詞構文にしなければなりません。the second thus は being が省略されていると見ていいでしょう。

ちなみにこのドイツ語の原文では und でつないでいますが、ドイツ語ではコンマを接続詞の代わりに使って節をつないでいくことが許されます。

Es war ein Koenig, der hatte eine schoene Tochter.
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QA rose is a rose is a rose.

タイトルの英文は短いし、単語も中1レベルで簡単なようですが、構文がつかめません。どれが主語になってどれが述語になるんでしょうか?そして、どういう意味になるんでしょうか?

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Gです。 こんにちは!! 私なりに書かせてくださいね。

どうしても文法と言う作りもので解釈しようとすれば、That a rose is a rose is a rose.と言う事になるかもしれませんね。 つまり、バラがバラであることがバラである(バラと言うものを作る)と解釈する、と言う事になりますね。

よって、決して文法違反と言うことではないですね。 文法違反としたくないと言う学者さんがいれば、That a rose is a rose is a roseのThatは省略できる、として100万部くらいの本にして配り、インターネットでも誰もがこれは文法的であると言わせるように誘導すればいいわけです。

この誘導作戦が「文法解釈がひとつであった」昔と違い「学説・異説」を簡単に唱えられる時代になってきているのがインターネットの解説サイトでいろいろな文法解釈、文法拡張作業がされて、いまでは、多くの人が「こういう文法解釈もあるしこういうのもある」と数多くの文法解釈を知る(昔ならではのひとつの文法を奥深く、ではなく)事が文法をよく知っていると言うレッテルの条件にもなってきてしまいましたね。 なんか、文法が多すぎてあたかも英語自体が文法の変化によって変わってきているというような錯覚をしてしまう時代になってきてしまった感があると感じるのは私だけではないと思います。

省略されていると考える、というのが文法的説明であれば、thatが省力されている、と言う説明ではいかがでしょうか。

それとも、etc etc etcとI, me and myself will go.そして私がたまに使う、「等などなど」など三つをもってきて強調と言う部分を引き出しているのか、その三つとも同じことじゃん、何を例に持ってきたって同じ、と言うフィーリングをもってきているのか、これまた受け取る人の考えなくてはならない時に考え込む課題でしかないですね。

つまり、バラは/バラであればどんなバラでもバラだ、と言うフィーリングがあるときに使う表現で、バラでなくてもどんな名詞を持ってきても使える表現ですね。

最後にmyrtille55さんのご質問だから追加として書かせてもらいますが、この表現を使うとき本当の主語はなんなんでしょう。そして本当の動詞は。 I believe/think/have no doubt "a rose is a rose is a rose"is what I'm talking about.みたいなフィーリングをA rose is a rose is a roseだけで表現しているわけで、フィーリング英語としての本当の主語はa roseでもa rose is a roseでもないはずなのです。 真の主語を出さなくても分かるから出さない、Thank youの主語は分かりきっているから出さない、Love youのIなんてなくたって分かるからいわない、とひとつの「省略可能」と言う文法項目が今まで言われてこなかったことに関しても言えるのではないか、もっともっと文法的解釈に融通性を持たせて利用できる解釈道具だと私は感じています。

個人主張に基づいて今日は書かせてもらいました。

これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 

Gです。 こんにちは!! 私なりに書かせてくださいね。

どうしても文法と言う作りもので解釈しようとすれば、That a rose is a rose is a rose.と言う事になるかもしれませんね。 つまり、バラがバラであることがバラである(バラと言うものを作る)と解釈する、と言う事になりますね。

よって、決して文法違反と言うことではないですね。 文法違反としたくないと言う学者さんがいれば、That a rose is a rose is a roseのThatは省略できる、として100万部くらいの本にして配り、インターネットでも誰もがこ...続きを読む

Qisとis beingの違い

例文で 「He is selfish」と「He is being selfish」がありました。
この2つの違いは何ですか?
何かルールみたいなものがあるのでしょうか?

Aベストアンサー

#1さんの回答をもうすこし詳しく。

He is selfish. は、普通に「あいつわがままなんだ」というような使い方です。
これに対して、普段は聞き分けのいい子がちょっと機嫌が悪くってわがままを言っている時に「(普段はそうじゃないんだけど今は)わがままになっている」というようなときにHe is being selfish.と使います。
"being"で「今だけは」という意味が強く出ているわけです。

QA rose is a rose is a ros

A rose is a rose is a rose

って、

バラはバラであり、バラである。

と言う意味ですか?

これは、「バラはバラであって、ほかの何ものでもない。」

と言う解釈になりますか?

Aベストアンサー

ガートルード・スタインですね。
学部生時代に彼女の奇妙奇天烈な文章と戯れたのも、今となっては懐かしい思い出です。
さて恩師金関寿夫の名訳による『アリス・B・トクラスの自伝』(筑摩書房)にこういう記述があります。

「バラはバラでありバラでありバラであり」についていうと、じつはあの言葉をたまたま
ガートルード・スタインの原稿の中に見つけて、それを便箋や、テーブル掛けやナプキン、
そしてかの女が使うのを許すあらゆるものの上に一種の記章として採用することを主張したのは
このわたしだったのです。」

これは生活・仕事においてパートナーであったアリスBトクラスの言辞。
このことからもわかるように、明確にこうだという定義はないのです。
一例としてこの文章がサークルを描いていてエッシャーの絵画のように
途切れないものがありますね。(以下写真貼付)

http://blogs.yahoo.co.jp/nineball_sp/62758478.html

『薔薇は薔薇であり薔薇であって薔薇なので薔薇であり薔薇なので薔薇薔薇でも薔薇であり....』

ある種、生命の永遠性をも髣髴とさせるコンセプト・アートにもなっているわけで、
これこそ杓子定規を最も忌み嫌ったスタインの本意に適った解釈だろうと思われます。
つまり『どうぞお好きに解釈なさって』と。

ガートルード・スタインですね。
学部生時代に彼女の奇妙奇天烈な文章と戯れたのも、今となっては懐かしい思い出です。
さて恩師金関寿夫の名訳による『アリス・B・トクラスの自伝』(筑摩書房)にこういう記述があります。

「バラはバラでありバラでありバラであり」についていうと、じつはあの言葉をたまたま
ガートルード・スタインの原稿の中に見つけて、それを便箋や、テーブル掛けやナプキン、
そしてかの女が使うのを許すあらゆるものの上に一種の記章として採用することを主張したのは
このわたしだった...続きを読む


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