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 日本語を勉強中の中国人です。先日、「比喩法や擬人化で有名な日本の詩句を紹介していただけないでしょうか」という質問をいたしましたが、日本近代詩の例文をたくさんいただきました。その時は、「和歌」と「俳句」という言い方を知りませんでしたので、「詩句」という大雑把な書き方にいたしました。実は、あの時、和歌と俳句では、優れた比喩法や擬人化が使われた文を知りたかったのですが、うまく書けませんでした。

 ということで、再度質問をさせてください。比喩法や擬人化が上手に使われた和歌や俳句を知りたいのですが、紹介していただけないでしょうか。恐れ入りますが、古典がよく判らないものですので、お挙げになった例文の現代語訳も書いていただけないでしょうか。難しい単語に読み方も振っていただければ助かります。
 
 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

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A 回答 (1件)

初めに


短歌形式の歌のうち、近世以前(江戸時代より前)のものを和歌、近代以降(明治時代よりあと)のものを短歌といいます。その違いは、単に時代の違いであり、近代の短歌も、文語で書き表すのが常です(口語の歌が出てきたのはごく最近のことです)。
ただし、和歌(特に最盛期の平安~鎌倉時代の歌)は、我々にとっても語学的に理解が困難なものです。
そこで、ここでは、和歌=短歌入門編として、近代短歌(以下「短歌」と表す)の中から、比喩が巧みに用いられている作品をいくつか紹介してみます。
なお、短歌本文は歴史的仮名遣い、( )内の読み仮名は現代仮名遣いで記します。

向日葵(ひまわり)は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ            前田夕暮

訳 向日葵は金の油を身に浴びたように輝いて、ゆらりと高く立っている。それに比べて、後ろに見える太陽のなんと小さいことか。

説明「金の油を身にあびて」に比喩が用いられています。「身にあびて」は擬人的表現。「金の油」を日光の隠喩ととらえる説と、単に光り輝く向日葵を形容した表現ととる説よがあります。いずれにしろ比喩にはちがいありません。いうまでもありませんが、この歌の主題は「向日葵」の大きさにあるのであって、「日のちひささ」にあるのではありません。
なお、この作者は自然主義的な作風で知られており、また、この作品は、絵画の印象派の影響を受けています。「風格」といえるかどうかわかりませんが、日本の歌、俳句にも「流派」というものがあり、それぞれに個性を主張し合っています。


金色(こんじき)のちひさき鳥のかたちして銀杏(いちょう)散るなり夕日の丘に      与謝野晶子

訳 金色の小さな鳥のような形をしながら、いちょうの葉が散っていることだ。夕日が差すこの丘に。

説明「かたちして」で直喩を表した珍しい作品。文語の直喩は「ごとし」で表されることが多いようです。また、訳をご覧になればおわかりのとおり、倒置法が用いられています。
この作者は、浪漫(ろまん・ろうまん)主義の代表的歌人です。浪漫主義は、上記の自然主義とは対極にある流派です。この作品も絵画的(自然描写的)なものではありますが、実景の写実ではなく、作者の心象を描写したものといわれています。


見てあれば一葉(ひとは)先づ(まず)落ちまた落ちぬ何おもふとや夕日の大樹(おおき)   若山牧水

訳 見ていると、一枚の葉が落ち、続いてまた一枚の葉が落ちた。何を思ってこうして葉を落とし続けるのだろう。夕日の当たる丘に立つこの大樹は

説明 「何おもふとや夕日の大樹」に擬人法と体言止めが使われています。


病(やまい)のごと
思郷(しきょう)のこころ湧く日なり
目にあをぞらの煙かなしも        石川啄木

訳 まるで病気になったように、故郷を思う気持ちが胸にわいてくる一日だ。青空に立ち上る煙もなんと私の目には悲しく見えることか。

説明 「病のごと」は直喩。「ごと」は「ごとくに」の意味。初句が六音で字余り。

※以上の四首のうち三首に「夕日・日」が出てきますが、それは偶然です。特に好まれる題材というわけではありません。

俳句について
ご存じのとおり俳句は十七音を定型とする非常に短い詩です。よって、直喩で説明的に叙述するよりも、隠喩や象徴的な表現の方が多くみられるようです。
また、俳句でポイントになるのはなんと言っても、季語と切れ字です。
よって、短歌に比べて、俳句は比喩などの技法を手がかりに読解する重要性は低いと考えます。
そこで、俳句に関しては、次に何句かを挙げるだけにさせていただきます。
直喩
去年今年貫く棒の如きもの(こぞことしつらぬくぼうのごときもの)             高浜虚子
ところてん煙の如く沈み居り(しずみおり)日野草城
擬人法
啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々(きつつきやおちばをいそぐまきのきぎ)          水原秋桜子
海に出て木枯(こがらし)帰るところなし 山口誓子


このほかにも、いくらでも例があげられますが、きりがありません。ご自分で学習することをおすすめしますが、初めのうちは、丁寧で詳しい説明のついた、中学生から高校生向けの学習書を読むといいでしょう。
「教科書にでてくる短歌の解釈」東京美術発行
「現代短歌」「現代俳句」いずれも學燈社発行

最後にこちらから質問です。日本では、擬人法を比喩の一種と考える説が有力ですが、中国ではどうなんでしょう。また、日本の短歌、俳句では倒置、体言止めが多用されますが、中国ではいかがですか。そもそも日本のように、中国では今でも漢詩が作られていますか。

この回答への補足

 ご質問に関してですが、次の文は全部個人的な考え方です。ぜんぜん自信がないので、間違えましたら、ごめんなさい。

一。比喩と擬人について

 小学校では次のように習いました。
修辞手法
1.比喩
2.擬人
3.……

 中学生(もしかして高校生)になってから分類について次のように習いました。
修辞手法
1.比喩(1)明喩(2)暗喩(3)借喩
2.比擬(1)擬人(2)擬物
3.……

二。 倒置と体言止めについて

 日本語の基本的な順番は「主語+目的語+述語」ですね。ご存知かもしれませんが、中国語の基本的な順番は「主語+述語+目的語」です。ですから、中国の倒置は中国語の順番を元に考えられたものです。ご了承ください。いま思い浮かんだ漢詩の中の倒置を二例記しておきます。

「竹喧帰浣女,蓮動下漁舟。」(王維《山居秋暝》)
 これは主語倒置です。もともとの順番は「竹喧浣女帰,蓮動漁舟下」でした。

「香稻啄余鸚鵡粒,碧梧栖老鳳凰枝。」(杜甫《秋興》)
 主語倒置だけでけではなく、目的語も倒置されました。もともとの順番は「鸚鵡啄余香稻粒,鳳凰栖老碧梧枝。」でした。

 倒置は昔そんなに珍しい現象ではないと思います。ただし、詩詞より、文章のほうが圧倒的に多いような気がします。

(1)主語述語倒置
小人哉,樊須也!(《論語》)
(2)目的語前置
古之人不余欺也。(《石鐘山記》)
大王来何操?(《鴻門宴》)
句読之不知,惑之不解。(《師説》)
呑舟是漏。(《与陳伯之書》)。
(3)……

「体言止め」の意味が良く判らないので、辞書を引きました。名詞で終わるということでしょうか。蘇軾の「料得年年腸斷處,明月夜,短松岡。」のような構造の文でしょうか。http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/y06.htm詞では見かけられるのですが、詩ではあまり見かけられないような気がします。

三。現代人が漢詩を作るということについて

 暮らしの中で詩をつくってたのしむ習慣はあまりないような気がします。

 以上です。これでよろしいのでしょうか。

補足日時:2006/08/17 17:07
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    • 1
この回答へのお礼

 いつもお世話になっております。
 なかなか回答をいただけなくて、和歌や俳句はたぶん比喩法や擬人化をあまり使わないだろうと考えてこの質問を削除しようと思っているところでした。削除しなくて良かったです。ご親切に教えていただきありがとうございます。理解しやすいと思いました。素敵な比喩と擬人はとても参考になりました。それから、流派というものはやはりあるのですね。お薦めの参考書を探してみます。
 本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/08/17 17:32

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Q「比喩」が入っている曲

タイトルや歌詞に、「比喩」(直喩、隠喩)や「擬人化」などによる表現が入っている曲です。おすすめの曲を教えてください。

<例>

「砂漠のような東京で」
https://www.youtube.com/watch?v=AQsvf4ul50o
「砂漠のような東京」= 直喩

「You Are My Sunshine ユー・アー・マイ・サンシャイン」
https://www.youtube.com/watch?v=tJHMi-aeh3s
「you are my sunshine あなたは私の太陽だ」= 隠喩

「The Windmills of Your Mind 風のささやき」
https://www.youtube.com/watch?v=Wl8fKAYQuPk
英語「The Windmills of Your Mind」= 隠喩
邦題「風のささやき」= 擬人化
(歌詞にも比喩表現があります)

※ クラシック曲は除いてください。
※ おひとり 3曲まででお願いします。

Aベストアンサー

夜は千の眼を持つ 
映画のタイトル曲ですがジャズのスタンダードのひとつにもなっています。
http://www.youtube.com/watch?v=dgAofsDVZFU

柳よ泣いておくれ
http://www.youtube.com/watch?v=w82NHDRRGJ0

奇妙な果実
これは怖い比喩
http://www.youtube.com/watch?v=uYJf_F3-55w

Q比喩法や擬人化で有名な日本の詩句を紹介していただけないでしょうか。

 日本語を勉強中の中国人です。比喩法や擬人化で有名な日本の詩句を知りたいのですが、紹介していただけないでしょうか。読み方も振っていただければ助かります。
 
 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

 比喩表現の幾つかに触れてみます。
1.明喩(直喩)
「わたしはまがつたてつぱうだまのように
 このくらいみぞれのなかに飛びだした」(宮沢賢治「永訣の朝」)
http://www2.g-com.ne.jp/~lovemin/miyazawakenji.htm
2.暗喩(隠喩)
「観客様はみな鰯
 咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
 ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」(中原中也「サーカス」)
http://www.exist.net/poetry/circus.html
3.諷喩
「林檎畑の樹(こ)の下に
 おのづからなる細道は
 誰(た)が踏みそめしかたみぞと
 問ひたまふこそこひしけれ」(島崎藤村「初恋」)
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/hatsukoi_toson.html
4.提喩
「夜。
 孤独なる室(へや)の彼方に
 嵐が静かに聞こえる。
 静かな嘯(ホイッスル)。」(三木露風「嵐」)
5.擬人法(活喩)
「トタンがせんべい食べて
 春の日の夕暮は穏やかです
 アンダースローされた灰が蒼ざめて
 春の日の夕暮は静かです」(中原中也「春の日の夕暮」)
http://www.chuyakan.jp/14search/poem/01.html
6.声喩(擬声語・擬態語)
「さら、
 さら、
 さら、さら、さら、さら、唐黍(たうきび)だ。
 紅い垂毛(たりげ)は目がさめて、
 誰か来ぬかと待ってゐる。
 暑い、暑い、暑い、暑い、
 へいほう。と
 虫も啼いてる、草むらで。
 かあん。
     と、空(から)鳴り、空の鐘。」(北原白秋「トラピストの牛」)

 比喩表現の幾つかに触れてみます。
1.明喩(直喩)
「わたしはまがつたてつぱうだまのように
 このくらいみぞれのなかに飛びだした」(宮沢賢治「永訣の朝」)
http://www2.g-com.ne.jp/~lovemin/miyazawakenji.htm
2.暗喩(隠喩)
「観客様はみな鰯
 咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
 ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」(中原中也「サーカス」)
http://www.exist.net/poetry/circus.html
3.諷喩
「林檎畑の樹(こ)の下に
 おのづからなる細道は
 誰(た)が踏みそめしかたみぞ...続きを読む

Qテスト直前なのに、短歌の区切れがわかりません………。

短歌の句切れ、どのように見分けたらよいのかがわかりません。
感動の助詞(けりなど)がなかったら『句切れなし』なのでしょうか?

以下の句の句切れ、自分で考えても理解できず、家族や友人に聞いてもわからないと言う返事しか返ってこなく、
ネットで調べてもよくわからないので困っています。
どうぞよろしくお願いします。

・防人に 行くはたが背と 問ふ人を 見るがともしさ 物思もせず(防人歌)
・多摩川に さらす手作り さらさらに なにそこの児の ここだかなしき(東歌)
・君待つと 吾が恋ひをれば 我がやどの すだれ動かし 秋の風吹く(額田王)
・近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ(柿本人麻呂)
・うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思えば(大伴家持)

すべて万葉集で、とても一般的な句なのだそうですが、よくわかりません。どうかよろしくお願いします。

Aベストアンサー

「句切れ」とは、和歌や俳句において、意味の上でいったん切れるところです。
以下のような場合があります。

1、切れ字のあるところ。
「切れ字」は、「や」「かな」「けり」など。俳句の項目で調べると分かります。でも、松尾芭蕉は「全て切れ字」とも言っていて、本質的には奥の深いもので、一概に「これが切れ字」とは言えません
↑「けり」は「詠嘆の助動詞」です(「助詞」ではない)。

2、係り結びの結んであるところ。
係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」は連体形で結び、「こそ」は已然形で結ぶ。

3、終止形や命令形で言い切っているところ。

4、体言止めで言い切っているところ。
ただし、体言で句が終わっていても、そこへ「を」「に」などの助詞を補ってあとの句へ意味がつながるような場合は、ここを句切れとは考えません。

5、倒置法のあるところ。

6、呼び掛け法のあるところ。

韻文の場合、芸術的に感心できませんが、一応、「解釈(分かりやすい現代語に訳す)」をしてみると、句切れも分かるかと思います。

*防人に・・・
あの九州の警備兵として徴兵されていくのは誰の旦那さんかしらね、と訊く人を、見ることのうらやましさと言ったらないよ。なんの悩み事もなくて(あの防人は私の夫なのだよ、私には危険な国境に夫を送り出すという悩みがあるのだ)。
→「ともしさ」が体言止めで、意味的に倒置法なので四句切れです。

*多摩川に・・・
多摩川に晒して作る布を見ていた。その「さらす」という音でふと思い出したが、さらにさらにどうしてあの子がこんなに恋しいのだろうか。
→「多摩川にさらす手作り」までは、「さらさらに」を導くための「序詞(じょことば)」で、和歌の解釈としては内容的な意味はなく、「手作り」は体言止めで、二句切れです。

*君待つと・・・
恋人のあなたの訪れを待って私があなたを恋い慕っていると、私の家の簾を動かして、あなたの代わりに秋の風が訪れ、あなたはまだ来ないのだった。
→順当な流れのうちに結句まで言い切っている歌で、句切れなし。ちなみに、古今集以降だと、「秋風」を「飽き」との掛詞(かけことば)と考えて、恋人の訪れがないのを、恋人とが自分に「飽き」たからだ、と、別れや失恋を暗示するのですが、万葉集だとそこまで読むのは深読みと考えられるでしょう。単に季節がほんとに秋だっただけ。女心の寂しさは詠み込まれているけど。

*近江の海・・・
琵琶湖に夕方立つさざ波に群れ遊んでいる千鳥たちよ、お前が鳴くと、私はひどくしみじみと悲しくなって、昔のことが偲ばれてならないよ。
→「夕波千鳥」を呼び掛け法と考えても、単なる体言止めと考えても、いずれにせよ二句切れ。

*うらうらに・・・
うららかに照っている春の陽射しに雲雀が空高く舞い上がり、私の心はいっそう悲しいなあ。一人ぼっちで物思いに耽っているので。
→「心悲しも」の「も」は、上代特有の助詞で、詠嘆を表すので、ここで切れて四句切れ。春の憂愁(メランコリー)を詠い、万葉集としてはかなり進んだ、中古的美意識をもって詠んだ歌。雲雀の楽しそうなさえずりと、自分の憂鬱な物思いとの対比。

万葉集の和歌には、二句や四句の偶数で句切れのある歌が多いのです。
五七/五七/七
と「五七」のリズムが強調されるので、「五七調」と呼ばれます。
(古今集以降の和歌は、初句や三句の奇数句で句切れのある歌が多く、五/七五/七七と「七五」のリズムが強調されて、「七五調」と呼ばれます)
五七調の和歌は、五音という軽い上半身を、七音という重い下半身でしっかりと支えるので、歌体が安定し、堂々とした力強い響きをもたらします。
七五調の和歌は、反対に、七音という重い上半身が、五音という軽い下半身の上に乗っかる格好になるので、歌体はふらつき、なよなよとした流麗な流れの良い歌になります。

「句切れ」とは、和歌や俳句において、意味の上でいったん切れるところです。
以下のような場合があります。

1、切れ字のあるところ。
「切れ字」は、「や」「かな」「けり」など。俳句の項目で調べると分かります。でも、松尾芭蕉は「全て切れ字」とも言っていて、本質的には奥の深いもので、一概に「これが切れ字」とは言えません
↑「けり」は「詠嘆の助動詞」です(「助詞」ではない)。

2、係り結びの結んであるところ。
係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」は連体形で結び、「こそ」は已然形で結ぶ...続きを読む

Q俳句の表現技法

今、私は、
俳句の大意、表現技法、季語などを調べています。
そこで水島秋桜子さんの
『滝落ちて群青世界とどろけり』について
表現技法以外は分かったのですが、
表現技法がどうしても分からないのです。
誰か分かる人教えてください。お願いします!

・・あと表現技法ということ自体が
全体的によく分からないので
時間があれば
1から説明していただけるとありがたいです。
たくさんあってすみませんがお願いします!!!

Aベストアンサー

No2です。

>切れ字ですね?

そうですね。

ところで、一つの俳句に使われる表現技法は一つだ、と思い込んではいませんか?いえいえそんなことはないんですよ。全く技巧的な表現がみられないものもあれば、たくさんの技巧が使われているものもあります。

事実、この有名な句は、人によってはテクニック遊びだと批判する人もいるくらい(そんな人は極々少数で、実際には水原秋櫻子の代表作とされていますが)技巧的なんですよ。

この俳句は、目を閉じても、情景をまざまざと美しい色で思い浮かべることができますよね?それは何が根拠かな?

また、表現技法だけでなく大意にもかかわるのですが、次の部分をどう訳しましたか?「群青世界とどろけり」
 群青が世界に とどろいたことだよ
 群青世界が とどろいたことだよ
どうとるかで使われている表現技法も変わってきます。と言うよりも、使われている表現技法のうけとり方で、意味が変わってくるというか……。

この句は研究家が多いので大筋でこう考える……というものがあるようですが、俳人に表現の自由がある以上、読み手にも自由に読み取り想像する自由があります。あからさまな間違いでなければ、色々発想していいんですよ。自分なりに考えてみてくださいね。


※例えば、室生犀星の有名な詩に有名な次のフレーズがあります

「ふるさとは遠きにありて思うもの」

この故郷について、室生犀星の研究家で実際に親交があった学者先生が、『都会で、幼少の頃に良い思い出のなかった作者が、その心境を詠んだ(現実には故郷に戻っていない)』と解釈したために、長くそのように思われていたのです。
ところが最近では「よしやうらぶれて異土の乞食になるとても帰るところにあるまじや」を踏まえて、
『実際に故郷に帰ってきてみれば、厄介者扱いされて辛いことばかりだ、こんなことなら都会で故郷の事を懐かしんで悲しんでいた方がどんなによかったか…』と訳すことが主流になっています。

つまり、偉い学者が言うことがいつも正しいとは限らないのです。あなたなりの解釈をしてみましょう。


ところで、豆知識ですが、この句の季語はどうとらえましたか?
実は、この句が発表された当時、この句で季語とされているものは、季語の扱いをされていませんでした。
だって年がら年中そこに存在するものでしょう?
夏の季語として周知されるようになったのは、この句が発表され絶賛されたからだと言われています。そうでなければ、この句は「季なし」のルール破りと思われていたかもしれません。
自由律俳句で有名な山頭火なら俳句の季語なしは当然でしょうが、水原秋櫻子はそうじゃないですからね。

No2です。

>切れ字ですね?

そうですね。

ところで、一つの俳句に使われる表現技法は一つだ、と思い込んではいませんか?いえいえそんなことはないんですよ。全く技巧的な表現がみられないものもあれば、たくさんの技巧が使われているものもあります。

事実、この有名な句は、人によってはテクニック遊びだと批判する人もいるくらい(そんな人は極々少数で、実際には水原秋櫻子の代表作とされていますが)技巧的なんですよ。

この俳句は、目を閉じても、情景をまざまざと美しい色で思い浮かべること...続きを読む

Q俳句の「季重なり」について教えてください

著作権の問題で削除される可能性がございますので、具体的な俳句作品を引用・提示できないのが残念でございますが……
「カルチャーセンターで俳句講座が開催されるようになってから<季重なり>が問題視されるようになったのではないか」と、どなたかが言っておられたり……俳句の入門書には「始めて2~3年は<季重なり>の句を作らない方がいい」などと書かれていたり、かとおもえば「<季重なり>は腕の見せ所」といっておられる指導者がおられるなど、いまいち判然と致しません。<季重なり>が問題にならないといいますか<季重なり>だからこそとは言わないまでも<季重なり>が容認されるのは、どのような場合なのか、お教えいただければ幸いでございます。

俳句でも句集のタイトルを併記すれば引用が容認されるといいのですが……

Aベストアンサー

 こんばんは。

 以下の回答は、飯田龍太氏の『俳句入門三十三講』(講談社学術文庫)を参考にしました。
 飯田氏は、父君蛇笏氏とともに、「ホトトギス」の流れを汲む「雲母」を主宰していますので、まあ正統派といってよいかと思われます

 まず飯田氏は「昔といいますか、ついひところまで『季重なり』ということを非常に忌み嫌った。(中略)なぜいけないかという説明は一切抜きで、憲法みたいな具合にそういう断定を下しておった。ところが最近はそういうことをあまり厳しく言わなくなって、ときには一句のなかに二つも三つも季語が入っておる。またそれで成功する場合もあるんですが、しかし一応はそういうことを念頭においておいても、決してむだではないと思うんです。」(89p)といわれてます(1971年6月述)。

 そのうえで、許容される場合について、「季語」とされてきたことばが、現代の感覚で、かならずしもその季節を表さなくなった場合は、他に季節を特定することばがあるのはいいのではないか、という説明をされています。
 また、上記に引用した部分も含めて、そこでいわれている内容を私が忖度するに、推敲して推敲して、どうしても必要、となった場合は、可とすべきであって、要は佳句を得るかどうか、であるというようなことではないか、と思います。

 また、これは飯田氏のことばではなく、私の記憶ですが、なぜ季重なりが禁忌とされてきたか、について、季語が二つ以上あるのは、その句のイメージを明瞭にしない(「弛緩する」といういい方だったと記憶しています)からだ、といわれていたのをきいたことがあります。いま出所を明示できなくて残念ですが。

 俳句は、さまざまな結社があり、「無季俳句」「自由律」などもあって、なかなかに多様のようですね。
 正統派といわれる飯田氏のことば(+僭越ながら私の記憶)をここでは紹介します。

 ご参考になれば。

 こんばんは。

 以下の回答は、飯田龍太氏の『俳句入門三十三講』(講談社学術文庫)を参考にしました。
 飯田氏は、父君蛇笏氏とともに、「ホトトギス」の流れを汲む「雲母」を主宰していますので、まあ正統派といってよいかと思われます

 まず飯田氏は「昔といいますか、ついひところまで『季重なり』ということを非常に忌み嫌った。(中略)なぜいけないかという説明は一切抜きで、憲法みたいな具合にそういう断定を下しておった。ところが最近はそういうことをあまり厳しく言わなくなって、ときに...続きを読む

Qアルトリコーダーの運指を教えてください

アルトリコーダー(バロック式)の初心者です。
ハ長調の簡単な曲でも吹けたらと思いつつ、ドレミファを順に吹いているのですが、添付されていた運指表の見方すら、頼りない状態です。
以下の運指は、間違っていませんか?
お教え下さいますでしょうか。

ソ … ●   ●●● ●●● ○
ラ … ●   ●●● ●●○ ○
シ … ●   ●●● ○●● ○

ド … ●   ●●● ○○○ ○
レ … ●   ●●○ ○○○ ○
ミ … ●   ●○○ ○○○ ○
フア … ●   ○●○ ○○○ ○
ソ … ○   ○●○ ○○○ ○
ラ … ◎   ●●● ●●○ ○
シ … ◎   ●●● ○●○ ○
ド … ◎   ●●● ○○○ ○

レ … ◎   ●●○ ○○○ ○
ミ … ◎   ●●○ ●●○ ○
フア … ◎   ●○○ ●●○ ○


親指(裏の穴)
◎じるしは、少し開ける

アルトリコーダー(バロック式)の初心者です。
ハ長調の簡単な曲でも吹けたらと思いつつ、ドレミファを順に吹いているのですが、添付されていた運指表の見方すら、頼りない状態です。
以下の運指は、間違っていませんか?
お教え下さいますでしょうか。

ソ … ●   ●●● ●●● ○
ラ … ●   ●●● ●●○ ○
シ … ●   ●●● ○●● ○

ド … ●   ●●● ○○○ ○
レ … ●   ●●○ ○○○ ○
ミ … ●   ●○○ ○○○ ○
フア … ●   ○●○ ○○○ ○
ソ … ○   ○●○...続きを読む

Aベストアンサー

全てバロック式のアルトの指使いで合っています。

それからこれは余計なことですが、「◎じるしは、少し開ける」とご本人が書かれているように '少し開ける’で正しいです。
昔、リコーダーを小学校などで教わった時に「半分あける」と教わった人も多いようですが、実際には1~2ミリくらいのものです。

リコーダーを始めるに当たって、アルトを選択し、しかもバロック式で始められたというのは最良の選択だと思います。がんばってくださいね!

Q体言止め、比喩法、擬人法、直喩法、隠喩法をなどを教えてください

体言止め、比喩法、擬人法、直喩法、隠喩法、反復法、倒置法これらを中学生に分かりやすく説明したいです。いい例を教えてください!またそのページなどがございましたらそれも教えてください。よろしくお願いします

Aベストアンサー

中学生に教えるのなら、このサイトで十分理解で来そうに思えます。

http://www.ne.jp/asahi/melody/sakusi/index.html

左側上にある「コンテンツ」→「メロ先作詞の仕方」
http://www.ne.jp/asahi/melody/sakusi/howto/index.html
で「体言止~倒置法」まで、ご希望の項目を全て解りやすく解説してくれています。

サイト転載のみでごめんなさいね。
私も勉強になりました。(〃⌒∇⌒)ゞえへへっ♪

参考URL:http://www.ne.jp/asahi/melody/sakusi/index.html,http://www.ne.jp/asahi/melody/sakusi/howto/index.html

Q俳句とその俳句の鑑賞文教えてください

宿題なのですが勉強が苦手でまったくやる気が起きません(T_T)
簡説でいいので俳句の題名とその俳句の鑑賞文教えてください(T_T)お願いします(T_T)

Aベストアンサー

鑑賞文でよく見られる構成は下記のとおりです。
(1)作品の情景を説明する。
(2)作品の良い点を挙げる。
(3)鑑賞者の感想を述べる。

これを使ってしまえば鑑賞文なんてものは簡単ですよ♪


例えば、この俳句ですと

☆咳の子の なぞなぞあそび きりもなや 


鑑賞文は
   「子供がかぜをひいてしまいました。寝こむほどではありませんが、咳だけはまだ残って います。外にも出してもらえない子供は、時間をもてあましています。その子供の気持ち を紛らわそうと、母親はなぞなぞ遊びの相手をします。しかし子供はいつまでも母を放し ません。母は少し困っています。 子供が放してくれず、少し困りながらも、子供をかわ いく思い、相手を続ける母親の愛情が、この句にはあふれていると思います。」        とか。

いろいろ載せておくので参考にしてくださいね(^-^)

俳句:外にも出よ 触るるばかりに 春の月 
鑑賞文:あたたかな春の夜中に、作者は外に出ていました。そしていつもよりあたりが明るいので、 ふと夜空を仰ぎ見ると、そこにはまん丸お月さまが浮ました。その月は、あまりに明 るく、よく見え、手を伸ばすと触れることができそうに近く見えます。この春の月を、家の中 にいるみんなにも見せたい気がしました。 最初の呼びかけの形に、作者のうきうきした気 持ちが表れています。手が届くほどというのは大げさだが、月の明るさがよく分かります。

俳句:金亀虫 擲つ闇の 深さかな
鑑賞文:夏の夜、部屋に飛びこんできたこがね虫をとらえ、外へ放り投げました。その時見た外の 闇の深さが強く印象に残ったというようなことが書かれていると思います。 「深さかな」と、切 れ字を用いた部分に、作者の感動が素直に、かつ上手に表現されているように感じます。 投げたこがね虫が、すうっと夜の闇の中に吸い込まれて、意外なほど闇が深いのだなあという驚きがこの句には感じられます。



どうですか?お役に立てたでしょうか??

ポイントは→  情景の説明・良い点・感想


です!!!
頑張ってくださいね(((o(*゜▽゜*)o)))

鑑賞文でよく見られる構成は下記のとおりです。
(1)作品の情景を説明する。
(2)作品の良い点を挙げる。
(3)鑑賞者の感想を述べる。

これを使ってしまえば鑑賞文なんてものは簡単ですよ♪


例えば、この俳句ですと

☆咳の子の なぞなぞあそび きりもなや 


鑑賞文は
   「子供がかぜをひいてしまいました。寝こむほどではありませんが、咳だけはまだ残って います。外にも出してもらえない子供は、時間をもてあましています。その子供の気持ち を紛らわそうと、母親はなぞなぞ遊びの相手をします。しかし子...続きを読む

Q有名俳人の有名な俳句を教えてください。

有名な句を調べています。
有名な俳人までは調べて見ましたが、有名な句ってどういうものがあるのでしょうか?よろしくお願致します。


■小林一茶
■高浜虚子
■種田山頭火
■正岡子規
■松尾芭蕉
・古池や蛙飛こむ水のおと
・夏草や兵どもが夢の跡

■与謝蕪村

Aベストアンサー

ざっとですが、

小林一茶

めでたさも中くらいなりおらが春
名月を取ってくれろと泣く子かな
我と来て遊べや親のない雀

高浜虚子

春の浜大いなる輪が画いてある
流れ行く大根の葉の早さかな     
蓑虫の父よと鳴きて母もなし

種田山頭火

分け入っても分け入っても青い山
もりもり盛り上がる雲へ歩む
炎天のレールまっすぐ
うしろすがたのしぐれてゆくか
しぐるるやしぐるる山へ歩み入る

正岡子規

もののふの河豚にくはるる悲しさよ
いくたびも雪の深さを尋ねけり
鶏頭の十四五本もありぬべし
痰一斗 糸瓜の水も 間にあわず


松尾芭蕉

松島や ああ松島や 松島や
秋深き隣は何をする人ぞ
旅に病で夢は枯野をかけ廻る
山路来て何やらゆかしすみれ草
閑さや岩にしみ入る蝉の声
五月雨をあつめて早し最上川

与謝蕪村

春の海ひねもすのたりのたりかな
菜の花や月は東に日は西に

あたりでしょうか(虚子や山頭火は好きな人でないとちょっと馴染みがないかもしれません)。

ざっとですが、

小林一茶

めでたさも中くらいなりおらが春
名月を取ってくれろと泣く子かな
我と来て遊べや親のない雀

高浜虚子

春の浜大いなる輪が画いてある
流れ行く大根の葉の早さかな     
蓑虫の父よと鳴きて母もなし

種田山頭火

分け入っても分け入っても青い山
もりもり盛り上がる雲へ歩む
炎天のレールまっすぐ
うしろすがたのしぐれてゆくか
しぐるるやしぐるる山へ歩み入る

正岡子規

もののふの河豚にくはるる悲しさよ
いくたびも雪の深さを尋ねけり
鶏頭の...続きを読む

Q短歌に季語は不要ですが、では…

短歌を始めて1ヶ月にも満たない者です。
本を見ながら勉強中なのですが、本に載っていなくてよくわかりませんでしたので、詳しい方に教えていただければ幸いです。

短歌に季語は不要だということは承知していますが、季語とされる言葉を歌に用いることはよくあると思います。
では、季節の異なる季語を2つ以上入れて詠んだ歌は滑稽な感じがするものなのでしょうか。

例えば、夏の季語の「紫陽花」と、秋の季語の「月」を一つの歌の中に盛り込んだ場合(例:月あかり照らす母と幼な児の紫陽花の花愛でるかたらい)、季節感がおかしいと思われるものなのでしょうか。

他にも、夏の季語の「ラムネ」と秋の季語の「刈田」など…

言葉が示す季節は異なりますが、月が紫陽花を照らす様子は風情があるので、これを詠むときれいな歌ができそうな気がします。
また、私が住む地方では祭りが9月下旬にあるので(秋祭りです)、祭りの帰りに、夜店で買ったラムネを飲みながら刈田の横を歩いて帰ることがあります。

よろしくご教授ください。
(例に挙げた歌は、この質問のために数分で作ったものですので、拙い歌だと承知しております)

短歌を始めて1ヶ月にも満たない者です。
本を見ながら勉強中なのですが、本に載っていなくてよくわかりませんでしたので、詳しい方に教えていただければ幸いです。

短歌に季語は不要だということは承知していますが、季語とされる言葉を歌に用いることはよくあると思います。
では、季節の異なる季語を2つ以上入れて詠んだ歌は滑稽な感じがするものなのでしょうか。

例えば、夏の季語の「紫陽花」と、秋の季語の「月」を一つの歌の中に盛り込んだ場合(例:月あかり照らす母と幼な児の紫陽花の花愛でる...続きを読む

Aベストアンサー

 まず、俳句において、「月」は秋の季語ですが、それは修飾語(説明)も何もなく「月」という言葉を用いて読んだらそれは秋の月である、ということで、他の季節の月を詠んではいけない、ということではありません。
 だから、今、たまたまgoogleで検索にかかった句ですが、

足もともしらけて寒し冬の月  我眉
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/shitibusyu/sumidawara20.htm

のように、あるいは、

外(と)にも出(い)でよ 触るるばかりに春の月  中村汀女

のように、他の季節の月を詠んだ俳句はいくらでもあります。ただ、その場合は「冬の月」とか「朧月(おぼろづき=春のぼんやりかすんで見える月)」とか、「月」だけの言葉では表現しないのです。

 したがって、季語の定めのない短歌では、他の季節の月を詠んでも全く差し支えありませんし、その歌にほかに季節を表す他の語が(月と紫陽花、刈田とラムネのように)入ってもかまいません。

 大岡信さんの「折々の歌」シリーズから私が気に入った短歌を書き抜いたものから例を挙げますと、

をとめらが泳ぎしあとの遠浅に浮環(うきわ)のごとき月浮(うか)び出でぬ  落合 直文
 (水泳=夏)
山住に迷ひもたねど雪山に月沈むとき生(いき)を寂しむ          岩波 香代子
 (雪山=冬)

のごとくです。

 次の歌は「折々の歌」からメモしたものではありませんが、私の好きな歌の一つで、この歌の「月」は秋がふさわしいにしても、特に季節は問わないと思います。(「BS」はBS=衛星放送用に打ち上げられ地球を回っている人工衛星)

BSが地球の食をわたるころ新室(にいむろ)つつむ月かげの青      大辻 隆弘

参考URL:http://rikko.blog.ocn.ne.jp/kazahana/2005/01/post_15.html

 まず、俳句において、「月」は秋の季語ですが、それは修飾語(説明)も何もなく「月」という言葉を用いて読んだらそれは秋の月である、ということで、他の季節の月を詠んではいけない、ということではありません。
 だから、今、たまたまgoogleで検索にかかった句ですが、

足もともしらけて寒し冬の月  我眉
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/shitibusyu/sumidawara20.htm

のように、あるいは、

外(と)にも出(い)でよ 触るるばかりに春の月  中村汀女

のように、他の季節の...続きを読む


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