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 靖国のことを質問されている方もおられましたので、批判も覚悟で質問することにします。

 私が一番問題だと思うのは、敗北が決定的になったサイパン陥落後も戦争を続けたことです。
 その時点で戦争がやめれれば、一般国民の被害もずっと少なくて済みました。
 
 19年中にやめることができれば、大空襲も沖縄の悲劇も原爆も満州の悲劇もなくてすみました。

 沖縄が陥落した後に、戦争をやめることができれば、原爆も満州の悲劇もなくてすみました。

 広島の原爆のときに戦争をやめれば、長崎の原爆も満州の悲劇もなくて済みました。
 
 A級戦犯と言われる人は、自分たちが始めた戦争だったから、命をかけて戦争を終えるべきであったと考えます。

 無意味な、勝ち目のない戦争を継続させることは、それだけで重大犯罪だと考えます。

 戦争を終結させる努力もしなかった。また、玉音放送を聴いて、責任を感じて自殺した軍人も多い中、逮捕直前に自殺未遂をした元首相。

 日本人でも、厳罰を与えたい気持ちでいっぱいです。

 それにもかかわらず、A級戦犯の方をフォローする人が多いのには、少し驚いています。

 私に言わせれれば、何らかの形で裁かれなければならない人たちだと思うのですが、なぜ不当に裁かれた言われるのですか?

 教えてください。
 

A 回答 (17件中1~10件)

 もう少し早く講和しておけば被害は少なかったはずだという議論はよくありますが、それは「後知恵」というものです。

1945年8月以前の休戦や講和には、ほとんど現実性はありません。というのも、そもそもホワイトハウスは、1944年以降に整備がすすむエセックス級空母の完成を待って、無理なく日本を締め上げ、最終的に日本の無条件降伏で終わらせる予定だったのですから。
 そもそも和平とは、戦局が有利な側が言い出さなければ成立しません。もう結果が見えてきて、それ以上の無駄な犠牲を省くために行われるものなのです。
 あるいは、日本がまだ勝っているうちに早期講和の道はなかったのか。あり得ません。超大国アメリカが日本に向けていた戦争資源は、全体のたった15%にすぎませんでした。緒戦でも負けているなどとはこれっぽっちも思っていません。
 では、分が悪い方から申し出る「休戦協定」はどうか。これも勝者より強い超大国の仲介があってはじめて成立するものであり、日本側にその仲介者はいませんでした。
 しかし大戦末期の戦いでは、どうにか日本はアメリカに苦痛を与えることに成功します。硫黄島、沖縄戦での米軍の戦死者は2万7000。米国指導者層はこれで継戦をためらいます。そこでスイスやスェーデンを経由した日本の「休戦交渉」の条件を聞いたうえで英米はポツダム宣言を出してきたのです。これは大戦争には珍しい交渉による和平の一例です。
 さて、問題の原爆投下ですが、これはマッカーサーや、東京大空襲のカーティス・ルメイでさえ知らなかったことで、ホワイトハウス文民による決定事項でした。
 ところで歴史とはあくまで俯瞰で眺めなければなりません。また、近代史を太平洋戦争だけくり抜いて語ることも危険です。敗戦責任論というのも、とかく感情論に陥りがちで、本当の歴史は見えなくなるというものではないでしょうか。
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この回答へのお礼

 早期講和は無理な話だった、なるほど、そうかもしれませんね。
 だけど、アメリカは日本を多少は恐れていたはずです。だからソ連に対日戦争をお願いしたのです。

 私もよくわかりませんが、「無条件降伏」を提示すれば停戦になるのではないですか。

お礼日時:2006/08/22 21:21

> アメリカは日本を多少は恐れていたはずです。

だからソ連に対日戦争をお願いしたのです。

> 私もよくわかりませんが、「無条件降伏」を提示すれば停戦になるのではないですか。

あなたのNo12へのお礼に対する回答ですが、

米国が日本に恐怖を覚えたのは昭和19年11月以降です。10月21日に開始されたト号作戦(神風特攻)により、それまで1/600の命中率であった日本軍の対艦攻撃が250/3000(最終結果)になり、硫黄島や沖縄で米国海兵隊が甚大な損害を蒙ったためです。あのペース(両島合わせて7万人が死傷。他にPTSDが2万人。この内の1人は現在、米国の老人刑務所に終身禁錮刑で収監中。理由は戦後になっても日本軍の夜襲を恐れて眠れなくなり、近隣住民と喧嘩して致死させたため)で損害を受けたら米国でも半年は持ちません。
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この回答へのお礼

 ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/24 21:18

例えば下記のような質問者さんの意見/主張は一体何に基づくものなのでしょうか?


>一般の国民は、少なくても大国との戦争は望まなかった
>どのように終局させるか考慮することなしに戦争を始めた
>戦争を開始した人たちがのうのうをいき続ける

偏っていると批判されている扶桑社の教科書でなくとも、そういったことは書かれていないように記憶しているのですが。
でこれらの件について責任が大きいと質問者さんが考えられている人が、なぜA級戦犯として罰せられた人らに集中しているのでしょうか?
参考にされた資料とか、どういう思考経路からそういう結論に至ったのか全くもって不可思議でなりません。
もちろんいろんなことを疑問に思われたりすることは結構なんですが、
その根拠にしても推論にしてもそれが質問者さんの脳内妄想から一歩もでていないために、これだけの突っ込みが出ているのかと思います。
まぁそれが「なぜ不当に裁かれた言われるのですか?」という根本的な疑問にたいする回答かと思います。
不当に裁かれた的な意見を言っている人はそれなりの客観的な根拠を示しているのに、
質問者さんにはそれがこれっぽっちも無いんですよ。
妄想をベースにした疑問であるため、その妄想に適合する回答でない限りは、質問者さんが納得するような意見を見つけるのは難しいかと思います。
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QNo.2341138の「靖国問題とは」という質問に対して回答した内容とダブルところが多いのですが、敢えて一つの重要な事実を指摘したいと思います。


 そもそもA級戦犯とは平和に対する罪、つまり戦争を企て、戦争に導くように謀議したことへの罪、簡単にいえば戦争を引き起こしたことに対する罪です。そしてそういう意味での最大の影のA級戦犯は、驚いたことになんと中国(イギリスも荷担)そのものだという事実を裏付ける資料があるのです。
 日中戦争で悲惨な目にあい日本の支配から脱しようとした中国は、日米が戦ってアメリカが日本を打ち負かせてくれることを切望していました。そこでアメリカが戦争回避のための最終案として日本に提案する寸前のハル・ノート(アメリカが日本と不可侵条約を結ぶ、つまり戦争を回避するための条件として、アジアにおける日本の権益を放棄することを求めた交渉案)を、当時の中国の指導者蒋介石がイギリスの宰相チャーチルを介して、日本が拒絶せざるを得ない過酷な内容に変えさせ、いわば日本をして”窮鼠猫をかむ”状況に追い込むことに成功したのです。当初は日米両国ともになにがなんでも戦争という考えではなく、戦争を回避するための落としどころ(妥協案)を目指していたのが、中国のA級戦犯的な企みによって戦争へと突き進まざるをえなかったというのです。後に東京裁判でインドのパール判事が「このような苛酷な要求を突きつけられたならば、地中海の小国モナコといえども銃を取って立ち上がるだろう」と言ったことは有名で、いわばアメリカによる事実上の宣戦布告だったとも云われています。
 無論、日本の軍部の中に強硬な戦争推進論を唱えた者(いわゆるA級戦犯者)がいましたが、仕掛けられた喧嘩を買わざるを得なかった面があったことは事実だと思います。ということで私はA級戦犯者を庇護する気持はありませんが、それ以上に、既に述べた中国の謀略とそれに手を貸したイギリス、そして最終的に日本を窮地に追い込んで開戦に仕向け、東京大空襲に引き続く広島と長崎への原爆投与による民間人の大量虐殺という大罪を犯したアメリカの行為に強い憤りを覚えます。 

参考URL:http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Sensou/senso …
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この回答へのお礼

 ご指摘の中国の行為については、はじめて知りました。

 紆余曲折を経て開始された戦争の被害の大きさには、改めて言葉がありません。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/22 21:36

No.13


> 何が言いたいのかというと、あの戦争を始めたのは、何もA級
> 戦犯と呼ばれる数十人のみが企てた「暴挙」なのではなく、国
> 民の総意と言えるものだったからです。

 これでも、まだ三分の一か、せいぜい半分です。
 なぜそんな「国民の総意」ができたのか、そこを考えないとなりません。

 欧米の有色人種である日本人への差別感情、アメリカの中国大陸市場への参入の野望、アメリカでの日系移民締め出し、ソ連の膨脹主義、毛沢東の覇権への野望、もろもろの圧力を日本は受け続け、譲歩に譲歩を迫られ続け、遂には戦争するしか手が無いというところまで追い込まれたのです。(参考URLの書籍参照)
 そして当時、戦争は、国家の政策としてどこの国にも認められた権利でした。「平和に対する罪」などという戦争を始めたことの責任を問う概念など、どこにもなかったのです。それは、東京裁判で発明されたものに過ぎません。

 GHQ を率い、東京裁判において日本による共同謀議によるアジア侵略を言い募ったのはマッカーサーです。つまり、東京裁判史観を作ったのはマッカーサーと言えます。
 そのマッカーサーも、朝鮮戦争を経て、その認識を改めました。
 以下は、マッカーサーが米国上院軍事外交合同委員会で証言した内容の、日本語訳です。

「実質的に、絹以外には日本から産出するものはありませんでした。彼らには綿が無い、羊毛が無い、石油産品が無い、亜鉛が無い、ゴムが無い、その他多くのものが無かった。そして、アジアにはそれらの全てがあったのです。
 もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」

 日本が戦争をした動機の大部分の要素は、世界の列強に追い詰められたことが理由です。東條が首相でなくとも、開戦は時間の問題でした。ヒトラーが劣勢になった後は、世界の中で孤立しましたから、敗戦も時間の問題でした。ついでに言えば、原爆投下は純粋にアメリカの都合です。
 いつまでも、自虐的な東京裁判史観に縛られるのは、止めましょう。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/gp/product/4886560628/sr …
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この回答へのお礼

 たしかに東条首相でなくても、戦争は開始されていたと思います。

 ただ、自分が始めた戦争により大勢の人が死んだのに、生きながらえて逮捕されたというのが、情けなく思います。

 サイパン陥落を内閣退陣というより、もっと別の方法で責任を取ってほしかったです

お礼日時:2006/08/22 21:32

>A級戦犯と言われる人は、自分たちが始めた戦争だったから、命をかけて戦争を終えるべきであったと・・・


誤解を恐れずに言えば、日本という国は有史以来、真の「指導者」というのはいなかったのです。
「そうせい候」という言葉がありますが、優れたリーダーのの条件として、仕事は全て部下に任せ、部下の意見は全て「そうせい」といって許可し、責任だけはトップが取るという考え方・価値観が古くから日本にはあります。
何らかの組織に所属していればわかると思うのですが、今でもそういう価値観はかなり残っています。
そして、当時の日本はアジア諸国の中で唯一の「民主主義国家」でした。日露戦争勝利以降昭和20年の敗戦までの間に内閣は30回以上交代していますが、普通選挙によって国民から選ばれた国会議員によって組織された内閣です。
ですから、国民の意思で戦争を避ける機会、止めさせる機会というのはいつでもあったし、その権利は与えられていたのです。

何が言いたいのかというと、あの戦争を始めたのは、何もA級戦犯と呼ばれる数十人のみが企てた「暴挙」なのではなく、国民の総意と言えるものだったからです。だからそう簡単に止めることなどできなかったのです。
8月15日が国民にとって忘れられない日となっているのは、「勝つまでは戦争は終わらない」と多くの国民が思い込んでいた中で、突然、昭和天皇の「玉音放送」が流れたからです。負けるなどとは考えてもいなかった(考えたくなかった)多くの国民は、陛下の口から敗戦の事実を突然告げられ、動転し、ラジオの前で涙を流しました。

>日本人でも、厳罰を与えたい気持ちでいっぱいです。
当時の指導者と呼ばれる方達は「東京裁判」の結果を受け入れ、刑の執行は日本が行いました。遺骨を埋葬することも許されず、東京湾に遺棄されました。

>なぜ不当に裁かれた言われるのですか
当時、戦争を行うことは国際法上違法ではありませんでした。侵略行為・植民地支配についても、欧米諸国を中心に世界のいたるところで行われていましたよね。極東軍事裁判は、「事後法」によって「敗戦国」のみが裁かれたのです。だから「不当だ」と言われているのです。
誤解しないでいただきたいのですが、先の大戦は正しかったなどといいたいのではありません。
ですが、今の日本国内にある靖国批判やA級戦犯批判は、「自分達には何の責任もない」「悪いのはあいつら」などと自らの責任は一切省みずに一方的に攻撃しているという点において許されるものではないと思っています。
「そうじゃない」などというのなら、首相参拝批判などに血道を上げてる暇などないはずです。

誰だって犯罪者になりたくはないですよね。戦犯と呼ばれる方たちはそういう責任を全て自分達が背負い、死んでいったのです。
国際連盟脱退を支持し、中国戦線や対米戦争途中までの日本軍の連戦連勝を喜び、出征の際「万歳!」と言って戦地に送り出し、軍需工場で武器を製造した多くの国民、皆同罪なんですよ。

もし日本が懺悔すべきとするならば、「一億総懺悔」が正しいのです。
懺悔する対象は、当然「戦死者」に対してです。

参考URL:http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/ichiran.html
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この回答へのお礼

 よくわかりました。
 戦争の責任を戦犯といわれる人たちに押し付けるのはたしかに適切だとは思いません。


 ただ、国民の意思で戦争を回避することはできなかったとは思います。一億総懺悔は、逆に責任の所在をあいまいにしすぎていると思います

お礼日時:2006/08/22 21:27

東京裁判で戦争犯罪者として裁かれたことと、戦争に関する大きな権限を与えられたことに対する大きな責任、いわゆる「権利と義務」の話を全てひっくるめて、東京裁判のことだけを取り上げて、責任が無かったということにしたい人たちがいるのも事実です。


質問者様のおっしゃる意味は、後者のことと思います。
ですから、戦争の局面局面での戦争権限者の責任「より多くの国民の命と財産を守ること」を履行しなかったことと多くの権限「命令」を出したことに対する憤りがあるのだと思います。
残念ながら、戦争の局面局面を丁寧に分析した上での「権限行使と責任」の問題は日本では正式に行われていません。
むしろ、後者の問題をマスコミが取り上げたり政治家が取り上げたりすることに、異常なほどの反発が起こります。
A級戦犯の問題は、東京裁判に関連してしか語ることしか認めない人たちの意見と、質問者様の疑問の土俵と違うのです。
ですから、「擁護」と質問者様が思うのです。
参考になれば。
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この回答へのお礼

 たしかにアドバイスのとおりだと感じます。
 ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/22 21:16

 根本的な勘違いされているようですので…



 まず昭和20年8月15日ですが、日本では終戦記念日といまでは呼んでいますが正確ではありません。日本が一方的に軍事行動を中止した日です。この日を境に日本軍が組織的な軍事行動をしなくなっただけです。これに対して連合国側は一部を除いてポツダム宣言の受諾として、組織的攻撃を止めただけです。

 昭和19年7月のサイパン失陥でもし、日本が組織的戦闘行動を止めたらどうなるでしょうか?連合国は止める意思がありませんので、それこそ日本全土が無差別に空襲され、上陸を受けた上に国家降伏(9/2は軍の無条件降伏でしかありません)に追い込まれ、日本は植民地ないし信託統治地域(プエルトリコやガグアムの状態)になります。

A級戦犯を擁護する考えはありませんが、戦争は相手と合意があって初めて止められるものというのを理解してください。起こすのは簡単ですけど。
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この回答へのお礼

 どのように戦争を終結させるか、を考えずに戦争に突入するのが問題だと思うわけです。

 私も詳しいことはわかりませんが、無条件降伏の提案をすれば、連合国は受け入れてくれたのではないでしょうか

お礼日時:2006/08/22 21:13

こんばんは。



非常に難しい問題ですよね。私もkeikakuさんの仰る事は十分に理解出来ますし、私自身もA級戦犯をフォローする方が多いのには少々驚いております。

そもそもA級戦犯とは『平和に対する罪』を犯した戦争犯罪人の事を呼びます。そして、A級戦犯の中で死刑になったのは7人ですね。この中で最も有名なのは恐らく東條英機元首相だと思います。東條は日米開戦論者であり、日米衝突の引き金を引いた張本人です。(東條が首相にならずとも、開戦は避けられなかったかもしれません。開戦の予兆は近衛の時から十分感じられます)そう考えますと、東條の平和に対する罪は非常に重いと考えます。同時に東條を時期首相にと強く推薦した木戸幸一とこれをご採用になった昭和天皇の罪も恐れ多くも重いと考えます。現に木戸はA級戦犯として終身刑となっています。極端かもしれませんが、ここで東條と同じA級戦犯で死刑となった広田弘毅元首相を引き合いに出したいと思います。広田は急速に対独同盟を推進していったところから『平和に対する罪』を犯した形になっているかと思います。東條と広田を比較した場合、明らかに東條の罪の方が広田のそれよりも重いのではなかろうかと私は考えています。

戦争犯罪人を裁いたのはいわゆる東京裁判でありますが、その裁判自体、『公平』というものからかけ離れて、勝者が敗者を裁いたという印象を個人的に感じます。この裁判で東條と広田は何故、同じ刑で処される結果となったのか、私は解せません。広田は明らかに不当な扱いを受けたと感じます。(ただし、一分の戦争責任は広田にもあるでしょう)

余りに長くなっても申し訳ありませんので、今回は一つの例を挙げてみました。上記のように、東京裁判は良識を持った価値観をもとに考察すると、若干でも疑問が残る裁判であります(ただし、戦争におきましては勝者が敗者を裁く事は当然なのでしょう)A級戦犯を少しでも擁護したくなるのはその辺りの疑問点から湧き出てくる感情なのではなかろうかと推測します。

今の価値観で考察しても、東條は極刑に値すると思いますが、あくまでも彼らが裁かれた裁判への疑問だと思います。
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この回答へのお礼

 とても丁寧な回答をしていただき、大変ありあがとうございました。

お礼日時:2006/08/22 21:09

いわゆる「戦争犯罪者」についてはもう充分かと思います。



別の勉強不足をお教えしましょう。
沖縄で戦闘停止が実行された(つまり実質「沖縄が陥落した」)のは、9月に入ってからです(降伏調印日が9月7日)。原爆が落とされ、満州の悲劇の後です。

そもそも、一般国民の被害を第一に考えるのであれば、開戦そのものが誤り。ただし、開戦を決意したのは「我々国民の総意」です。翼賛選挙などと言われますが、現代の「低い投票率」で戦前の選挙の何を糾弾しうるのでしょうね。
戦前も今も、政治に対する意識の低い日本人。それが開戦理由ですし、ある意味では「自業自得」とも言えます(確かに幼児たちには罪はありませんけど、その前の世代が「次の世代を考えた政治」を行わなかったのは間違えようのない事実でしょう)。

A級戦犯は「戦争を始め、遂行した罪」。B級戦犯は「いわゆる戦争犯罪者」。C級戦犯は「人道に対する犯罪者」(ただし、そう決めたのは「戦勝国の人間」の一方的な判断でしかない。B級、C級の戦犯者は戦勝国にもいるはずです)。
なぜあなたが「A級戦犯者だけ」をことさら糾弾するのか理解しかねます。
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この回答へのお礼

 私がA級戦犯について糾弾するのは、私は戦争を始めたことを問題視しているからです。

 それはともかく、
>開戦を決意したのは「我々国民の総意」です。

 という部分がよくわかりません。

 戦争を決意したのはA級戦犯の人たちではないのですか。

 もしよろしければ、教えていただけませんか

お礼日時:2006/08/19 19:25

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