AIと戦って、あなたの人生のリスク診断 >>

20歳女性です。
私は自分で言うのもなんですが母親依存症です。
愛する対象・信用できる対象が母親しかいないのです。大体の人は成長するにつれてそのような対象が友達や恋人になるのでしょうが、小学生の時いじめられていたせいか友達はあくまで友達で信用できるようないわゆる世間一般で言われるような「親友」という存在がいません。
恋人も友達が付き合っている姿を見たり、聞いたりすると体験はしてみたいけどやはり、なぜそんなに赤の他人を信用できるのかが理解できません。
母親に全てをもとめてしまっているせいか母親にも心理的負担をかけているのは自分でも自覚しているのです。しかし、精神的にも情緒不安定な私は人一倍母にすがってしまします。この齢でこんなに母親べったり、母親は全てというのはおかしいので他にもすがる人をつくらなくちゃって思っているのですが…他人をさきほど申したとおり信用できないのです。愛せないのです。こんな私はどうすればいいでしょうか。
まとまりのない話で申し訳ありません。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (8件)

>他人をさきほど申したとおり信用できないのです。


では何を根拠にココを信じてかきこんだのでしょうか。

質問者さんは自立の芽が出てきていると思います。
自立は親を疑い否定します。
思春期に無性に親とケンカすることがあります。
ケンカしろとは言いませんが小さな否定から始めていかがですか。
「おかあさん。それは違うよ」「私はこう思うんだけどね」
多少なりとも外へ目を向けて見ませんか。
お母さんの考えでもなく貴女の考えでもなく他人の言葉に耳を傾けて下さい。
盲従するのではなく考え方のひとつして捉えてはいかがですか。
その中には共感できる考えがあると思うのですが。
そうすれば他人を理解しあえるとはずです。

>他にもすがる人をつくらなくちゃって
外に向けて動き出したそのような方と出会えます。
心をゆるせばあなたに甘えますよ。
その時は母親のように受け入れてあげて下さい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます
外にうごきだそうと心ではおもっているのですが中々実行できないでいる自分です(苦笑)
もし望むような人と出会えたら母親のように受け入れられるかが自信がありませんが…それはそのとき考えてみようかと思います

お礼日時:2006/08/18 10:21

いくつになっても、私たちが帰る場所は、母親の元です。


ただ、日本人の場合「年功序列」の考えが大きく影響しているので、
母親が年老いていく=母親から脱皮して、面倒を見る立場にならないと駄目、みたいな風習があるので、あなた自身も{20歳なのに}と戸惑ってる様子が伺えます。
母と子は、成長をしていくにしたがって物理的に離れていくものです。
いつか、そのような「巣立っていく」という形で、絶対に別れは来るので、逆に甘えられるだけ甘えても良いのではないでしょうか??
今度は、貴方が母親になってときに自分の子供にそれを返してあげればよい事だけで、決して、母親に依存する事がおかしい事ではないと思いますよ。
それこそ、お母さんと仲良く出来るなんて、逆に私は幸せなことだと思いますが。。。
もっと、素直にお母さんに甘えてみてください。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます。

そうですね…ある意味幸せな悩みですよね…

負担にならない程度に甘えまえられるようするようにしたいと思います。

お礼日時:2006/08/18 10:18

 人を好きになる時って、「この人信じられるかしら?」とか思う前に好きになってたりしますよ。

だから俗に言う「悪い男にひっかかった」みたいな事があるわけで・・・
まだ20歳ですよね。愛せないんじゃなくて、それほど好きになれる人にまだ巡り会ってないだけなんじゃないかな。そんなに神経質にならなくても自然にその日は来ると思いますよ。
 母親依存症なんて、ある意味羨ましいです。
私は逆に娘依存症みたいな所がありますから、いつ離れてしまうのかとビクビクしてしまいますし、娘から「いつ子離れしてくれるの?」などと言われてしまいます。
友達からも「娘を溺愛しすぎだよ」と注意されますし。娘が母を・・・母が娘を思う気持ちなんて、人それぞれだし気にすることはないと思いますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます

気にしすぎない…そうですね…そこでまたきりきりしたら逆にまた母をつかれさせてしましますね。
自然にめぐりあえる日がくるといいなぁ(苦笑)

お礼日時:2006/08/18 10:16

私が20歳の頃、あなたと同じように


母を「愛している」と思っていました。
母がすべてを受け入れてくれて、
許してくれて、しかってくれて、一緒に泣いてくれると。
母はそんな私に「自立しなさい」といいました。
でもその頃の私は、「自立って何?」と思っていました。
はっきりいって、依存でした。
親子の愛は、無償のものだと信じ込もうとしていました。なによりも絶対だと。

それから10数年たって、
私は結婚して家を離れ、母も年をとりました。
いつしか私は少し小さく見える母と逆に距離を
置くようになりつつあります。
立場が逆転して、親が今度は子供に「依存」しつつ
あります。
母が「血のつながりは濃い」と口にします。
でも、新しい家族(配偶者)ができた私は、
親は普通、自分より先に亡くなるであろう、
そのときに一緒に生きていく相手は主人だと理解しています。
他人どおしが納得しあって、結婚するわけですが、
結婚するということは、そういうことです。
それこそ、お互いの介護も、葬式もする覚悟をもって
結婚するわけです。

まだ20歳。
時間はたくさんあります。
50、60歳になっても、所事情でそのままパラサイトしている方もいますので、
ゆっくり時間をかけて、お母さんとのいい距離を
みつけてください。
また、これから素敵な出会いがあれば、
一緒に生きていける相手もみつかるかもしれません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます。

>>親子の愛は、無償のものだと信じ込もうとしていました。なによりも絶対だと

母自身がそれを言ってるのでわたしもそう思ってしまっています。
そして「私は一生あんたと一緒にいられないんだよ。私以外にその弱みを解消できる方法をみつけないさいよ」とも言われています。
ゆっくりその方法をみつけたいと思います。

お礼日時:2006/08/18 10:15

男の考えなので、相容れない場合は無視して下さい。



他にもすがる人、というのは問題だと思います。
それは本気で言っていますか?
普通は一方的にすがられたくはないと思いますよ。
正にあなたがそう思っているように、そんなもを親以外に求めても、それは決して報われないと思います。
あなたがそう考えているからこそ、誰もあなたには本心を語らない、自分を曝け出さないのかもしれませんね。
他人を信用しない人は他人から信用されない、簡素で美しい公式だと思います。

そのようなあなたの在り方を二十歳になっても小学生時分の苛めのせいにするのにも違和感を覚えます。
実際、それが苛めのせいであるというのは十分に考えられるとは思います。
しかし、あなたが望んでいるのは、原因を突き止め、それを非難することによって心の安寧を求めることではないでしょう?
苛める側は他人の気持ちなど考えていませんよ。
何も考えていません。何故苛めるんだ?なんて考えても無駄です。
何も考えていないから苛めるんです。
原因がどうこうではなく、あなたが現状を打破したいのであれば、そのための行動を起こさなくてはならないと思います。
何かを変えるためには何か行動を起こさなくてはならない、簡素で美しい公式だと思います。

あなたは他人を信用出来ないけど、信用すべきだと思っているわけです。
明らかな自己矛盾を抱えているわけです。
私はそのような葛藤や自己矛盾を抱えることも自分の成長だと思います。
その自己矛盾を卑下することはないと思います。
矛盾に気付いたなら、次はそれを解決する段です。
他人を決して信用しないとか、全てを社会のせいにするとか、そういう道に進むもよし、
自分を変えるための行動を起こすもよし。
ご自由にどうぞ。

自分を変えたいなら、幾らでも試してみることはあるんじゃないでしょうか。
働いていないなら働いてみる。少しでも家計を助けてみる。
愛する母に負担を掛けているなら、自分を愛しているなら、それだからこそ厳しく接して、と乞うてみる。
異存を断ち切るため、一人暮らしをしてみる。

こういうのを試して、結局駄目というのはありがちだと思いますが、
それでも試して損はないですよね?
私の知る限り、人は皆始めての人生を歩んでいます。
一度人生を経験し尽した人は一人もいません。
誰だって全て手探りなんです。
出来る範囲で色々試してみればよいのではないかと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます

他人からはよく相談され信頼されてると(自分で言うのもなんですが)思います。
しかし頼られ・信頼されすぎてそれが負担になるときがあり、そのはけ口が母親に…つまりは弱みを見せられるのが母親しかいないのですね(苦笑)

葛藤を乗り越えたとき人間は成長するものとよく言いますよね…自分を卑下する癖もどうにかしないとですね
色々とためしてみるよう努力したいと思います

お礼日時:2006/08/18 10:12

あまり、自分自身を規定する必要はないと思います。


人それぞれの生き方や出会いがあるので、あまり気にせず、自分らしく生きた方が良いと思います。
出会いは必ずあります。20年の人生で無いからと言って、それを悩む必要もないし、そうやって自分を追い込んでいく方が問題となるでしょう。
家の娘も20歳ですが、恋愛経験もなく、あまり人を好きななったことも無いようです。でも心配はしていません。テレビなどでは、誰もが「発情」しているようなドラマばかりですが、実際はいろいろな人間がいます。また周囲がどうであれ、その人なりの人生というものがあるはずです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます

自分らしく生きる…アイデンティティーの確立をしないとですね…今はモラトリアムとして考えリラックスして今を生きようと思います。

お礼日時:2006/08/18 10:09

いくつか私なりの解決法を提示。

といっても突然劇的に自分を変えることは無理なので、辛抱強く。

まず「自分は誰かに信用されうる存在か」を考えてみてください。
・「YES」なら、あなたと似た性格の人がどこかにいるはずです。十人十色、なんていいますが、似た性格の人はどこかに、ってかかなりの密度でいます。ですからあなたと似た性格の(つまり信頼できる)人が身近にいるはずだと思って、全ての人を信用しない姿勢を改めればいいと思います。つってもそんなに簡単に思想改革はできませんが、まぁ少しずつでもどうぞ。
・「NO」なら、全ての人に、でなくてもいいので誰かに信頼されうる存在になってください。それからでも遅くないです。

また別の方法として、母親離れしてみてください。母親も一人の人間です。他の人は信用しないのに母親だけ信用するのはおかしな話です。そして誰も信用しなくなり、かつあなたが誰かを信用したいのなら、自ずとあなたにとっての基準が低くなって誰かを信用しはじめるでしょう。

他には、なぜ母親を信用するのかを考えてみてください。またなぜ他人を信用できないか考えてみてください。それらを自己分析すれば、多少は前進するでしょう。


ただし、上記の方法はあなたが「誰かを信用したい」場合です。
私個人としては、かならずしも「誰かを信用する」必要はないと思います。ただし、「全て疑ってかかる」はいけません。完全には信じないけど、疑いもしない。それが正しい人間関係だと思います。無分別に信じることと、愛することは違う、というのが私の持論です持論です。まぁ全て疑ってかかるようならこんなところで質問してはいないでしょうから、そんなことはないでしょうが。

ちなみに、友人はいるようですが(文から見るに信用しているわけではないようですが)、「愛」など所詮友人としての「好き」の延長だと思います。愛はどうだこうだ言っている人がいますが、それは理想論で。友人をいっぱい作ればそのうち愛する人も信用できる人も出てくるのではないでしょうか。
っとなんか長くなったな。以上長々とすみませんでした。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます

>>他人を信用できないのに母親だけ信用
おそらく私が病気で死ぬか生きるかの瀬戸際のときに最後まで見捨てないで自分もぼろぼろのいなりながらも必死で私を支えてくれたのが母だけだったからだと思います。

>>愛は友人の延長
難しく考えすぎなのかもしませんね自分
そうのような人間関係がつくれるように交友関係をひろめてみようかと思います。

お礼日時:2006/08/18 10:07

他の方向もあります.



一人でも生きていけるくらい強くなるのです.

といっても無人島のような場所で生きる、という意味でなく

人に依存しない, 惑わされない程度に強くなる,という意味です.


近頃はいろんな場所に女性が進出しています。

やれることは沢山あると思うのですが.

「親友」にしても、べったり依存するような存在でなく、
信用・信頼できればよいのでしょう?
依存しすぎると、ちょっと面倒みきれなくなっただけで
「裏切られた」と感じるように思いますが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます

うらぎられるのが恐いのから他者を信用しないように自主規制をかけているのかもしれません。

強くなれるよう努力しようとは頑張ってはいるのですが中々難しいですね

お礼日時:2006/08/18 10:04

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


人気Q&Aランキング