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よく大人の人に映画や絵画を観て感性を鍛えておきなさい、と言われますがそれはどういうことなのでしょうか?
感性を鍛えるとどうなるのでしょうか?それが人生にとってどういうメリットがあるのでしょうか?

どうしても知りたくなったので、質問しました。
答えというよりは、たくさんの方の意見を聞きたく思います。よろしくお願い致します。

A 回答 (13件中1~10件)

感性については本当にいろいろとらえ方があるようですね。


「画家の生涯のについてまず勉強することで、その絵の本質がわかる」という人もいれば、「何も考えず、言葉にしようとせず、ただじっと見ること」という人もいます。

私は後者です。そして、上質の物を見る・聞くことが感性をよくすると思います。


圧縮ファイルでなくCDをコンポで聞く。音楽の振動を体で感じる。目を閉じて耳だけをはたらかせてみる。

美術館に行ったとき、絵の説明書きを読むことに時間をかけ、その情報をインプットする。とかでなく、
ただ絵をジーとみて、言葉にできない心にもった印象を感じること。絵の法則性とかを勝手に推理してみたりするとか。

感性を鍛えるメリットは。人生の面白みが増えることだと思います。
個人的な体験ですが、シャガールの絵を見に行って「なんか夢みたいななんとも言えない色だなぁ」と感じ、違う時にある歌を聞くと、歌詞に「シャガールの書いた観覧車に乗ろう」みたいなのがあったんです。
もし、シャガールという人の絵をTVだけで見ていたら頭の中だけでそれをイメージしていたでしょうが、実物を見てから聞くと、頭だけでなく、絵を見たときに受けた心地みたいなものも出てきたんです。

絵以外にも、上質の真珠を見せてもらったら、それまで全部一緒に見えた真珠が「これはなんかときめかない」とか、若干ですが思うんです。本当にわかってるか不明ですけどね。

良いものに沢山触れることで受ける心の衝撃、良い言葉に触れた脳みその衝撃は、その後から入ってくる他の情報の処理の仕方に影響を与え、自分が生み出す発想・言葉にも影響を与えると思います。
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再びNo.3です。



>そうすると、感性は映画や絵画に限らず、旅や振返り、他人との会話などあらゆる面で自分への発見があれば育つということでしょうか?

色んな経験はどんな経験でも乗り越えるなら、
乗り越えた時は価値観が変われた
(守備範囲が広がった)という証拠ですし、
美人やヒーローの規準だって
今と全く変わってしまうかもしれませんよ。
価値規準が、共認から明確な自足に足るものだったら。

私は頑固たる天然のようで、
実は不自然なのですが(苦笑)
出会いや道連れに気付かされて
多くは憧れさせてくれた人に影響を受けています。

自分が変われないのはどうしてか?とは
意識しても客観的になれにくいですが、
何時の間にか見方が変わっている自分とか
突然気付くと、
それは「好き」という表明で、
新たな可能性の発見で楽しいです。

芸術や文学に限らず
生生しい日常の中でも
好きなものを広げる、
増すなり深めるなら個性も感性も
輪郭が出来てくるのではないか?と思います。
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9です。

ちょっと断定的な発言をしてしまい誤解を生んでいるかもしれません。反省しております・・・
10番さんの知性という表現方法だと僕の意見の内容が変わってきますので補足までに説明させて頂きます。
僕は感性とは備わるものと表現しましたが、同時に鍛えるものでもあるとも言えます。
僕がここに参加して回答をしている行為は感性を鍛えるためです。
質問内容と回答内容を読み、質問者様の人間性や意とする部分を感じ、そして自分なりの答えを出して、その表現方法を考がえる。
その表現方法こそが自分の感性である。
と思っています。
僕は色んな抽象的な質問が好きです。
それは感性をためされる要素が強いからです。
そして学術的な知識はありませんし、言葉(単語)の表現や意味についても調べたことがありません。
10番さんの知性というのは感性のもうひとつ上のものだと考えています。
感じたこと、疑問に思ったことについて考え・調べ・納得して自分の知識として脳に組み込む。
それを表現したものが知性だと思います。
要は、感性にしろ知性にしろ表現しないと始まりません。
そして感性や知性といった単語自体は抽象的であり、その物を表現するに当たっては明確な答えなど無いと思います。
結局は人間(日本人)が当てはめた漢字に過ぎません。
その単語を見て感じ・考えたことを僕は表現しているに過ぎません
僕は感性は強いとよく言われますが、調べる事をあまりしないので知性があるとは言われません。
まあ学術的にと言うだけで、調べる行為自体は嫌いではありませんが、たとえ調べても、それを参考程度にするだけで脳には組み込みません。
調べたことを自分なりの表現方法に変えて組み込みます。
だから感性が強いと言われるのです。
まあ結局は素直じゃないだけですね・・・
だから感受性と感性が別物と表現したのも僕の感性です。仮に質問内容や回答例が違っていたら、感受性があり感性があると表現したかもわかりません。
別物でもあり、関連したものでもあると思っています。
まあ抽象的な質問なので答えは尽きないと思いますし、どんどん長くなっちゃいそうですのでここで一旦終わります。
ただ残念なのは質問者さんの意見がまったく聞けなかったことです。
それがあればもっと色んな回答が得られたと思います。
あと10番さんの見解は10番さんの感性だと思いますので、別に反論した訳ではないので補足までに・・・
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。

まず、はじめに私のご返答が遅れたことをお詫び申し上げます。kitari-tenntyoさんには失礼かもしれませんが、この場を借りて全ての回答者の皆様にもお詫びいたします。

kitari-tenntyoさんの生きる姿勢というか、そういうものを知ることができ嬉しく思っております。また、共感できる部分も多いです。

自分なりの答えを出して、その表現方法を考えるとありますが、他人と答えが同じならば同じ表現をしてもよいのではないでしょうか。大切なのは、自分の中に組み込めているかそうでないか、ではないかと思います。

お礼日時:2006/08/25 11:36

いろいろなものに感動して、視野を広げなさい、ということだと思います。



映画や絵画を見ても、面白い、と思えなくては、つまり何も感じなくては感性は鍛えられません。

芸術の世界は、絵画なども、見方のコツがいるので、慣れないと面白くないかもしれないですね。

いろいろな作品に触れて、ああ、こういう見方もあるんだな、こんな世界もあるんだなと感じると、偏屈で一つの価値観しか理解できない人よりは賢くなる、というのがメリットでしょうか。

ちなみに9番さんの、考えること、というのは知性といったほうが正確でしょう。
感性は感じる部分。それに刺激されて考えるのは知性とするのが一般的だと思います。

ただ、
いろいろな映画や絵画を見なさい、というの時には、いろいろな作品にふれ、笑って、泣いて、いろいろ考えなさい、感性も知性も鍛えなさい、っていいたいのではないでしょうか。

文科省の指導要綱に出てきそうな文句ですが、あの指導要綱は滅茶苦茶理想論です。

つまらなきゃ、別に何も無理してみる必要は無いと思います。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
考えるという言葉は奥が深いと思いました。

私がある人の芸術品を見て、作者の思いや表現を感じ取ったとします。それは、概して感性と評されますね。

ただ、その作品にどういった作者の思いがあるのだろうと感じ取ろうとしたとき、それは既に思考(考える)の範疇に含まれるのかもしれません。範疇に含まれるなら知性と評されますよね。

つまり、その人がどこまでを「考える」にいれるかによってこの線引きは変わってくるのではないでしょうか?

分かりにくい説明をしてしまい、申し訳ありません。
こんな拙い文章で伝わったのなら、幸いなのですが・・・

お礼日時:2006/08/25 11:23

感性は映画をみたり絵画を見ただけでは鍛わりません。


感じた事を考えて自分なりの答えを出す。
これが感性です。
メリットしては自分に自信が持て何事にも積極に行動できるということですが、デメリットは自己中心的な考えに偏りがちで孤立してしまう。
という事が考えられます。
つまり感性が強いだけでは人間として不完全という事です。
要は感性を特定のものに向けすぎない事です。
自分に興味があることはもちろん、人間関係や、歴史など幅広い事に興味を持ち感性を養う事が必要です。
感性は鍛える物ではなくて備わるものだと思います。
備えるためには好奇心を持つ事です。
そして考えるという作業をすれば自然感性は備わっていきます。
この質問をした時点で感性を備える資格をあなたはもっています。
もっといろんなことに興味を持って考えてください。
ちなみに感受性と感性は別物だと思っています。
感受性は人間が生まれた時点で持っているもので、個人差で薄れていく人と濃くなっていく人がいます。
薄れていく事が一般的で、濃くなっていく人は社会的に不適格ですがそこに才能をみいなして行く人もいます。ですが、最後は世間的に見て不幸になる人が多いです。
感性は自分が考えて出した結論で、自分自身の生きる道を決める力です。
失敗してもへこたれません。
惰性な人生を送りたくなければ是非必要な要素です。
要は考える事です。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
当初、私は感性を備えるということは、ただ映画や絵画を観ることだけでなし得るものだと思っていましたが、今ではそれが間違いだと気づきました。
ありがとうございます。
自分の中で考察し、どこかにそれを書き出すようにしてみようと思います。

これから色々なことに興味を示して感性を養っていこうと思います。

感性と感受性は、私の中で同一視されていたのでkitari-tenntyoさんのご意見は新鮮でした。

お礼日時:2006/08/25 11:13

感性を鍛えるメリットについては皆様のご回答にあるようなことだと思います。


そこでデメリットについても少し補足を。

感性が鋭い、というのは生まれつきの部分も大きいです。
そして感性が鋭い人というのは、作家や音楽家、一般に芸術家はそうだとされていますが、ある意味狂っています。

感性がするどいと、美しい絵をみて、映画を見て、本を読んで、ひどく感動します。
そしてその世界が、現実の世界よりもずっとリアリティがあるように考え出します。
すると現実はくだらない、金の論理が支配する下卑たとこだ、とみなし、芸術の世界こそ真の世界、という見方になりがちです。
つまり、「現実離れ」してしまうわけです。

そんな人達の1パーセントにも満たない人が実際に音楽家、芸術家として成功し、それで食べていけます。つまり現実と折り合うことが出来る。
そうでない人たちは世の中をのろい、まともに生活できる方もたまにいますが、感性が鋭いとたいていアルコール依存や麻薬依存になり、犯罪を犯し、反社会的分子として断罪されることになります。

感性が鋭いとは、究極的にはそういう世界だと思います。

でもそういう世界もあるのだな、と理解することは必要など思うので、感性を鍛えておくのもありかと思います。

でも鍛えすぎると破滅するかもしれないのでご用心を。(多分、この方向で破滅できるのは、生まれつき感性が鋭い人たちだから、心配には及ばないと思いますが、もしghost-jellyfishさんが生まれつき鋭い方でしたら、破滅の危険大です。)
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
これまでの回答者の方とは違った切り口で、とても興味深かったです。

ちなみに、私は生まれつき感性が鋭い人ではないのでおそらくご心配いりません。 笑

お礼日時:2006/08/25 11:05

一旦感情を置き去りにしてしまって、大人になってしまうと取り返しが付かないからです。


感情を押し殺すことを肯定して大人になると、心が枯渇してしまって様になってしまい、その時点で感情が大事だと認識しても中々元の感情は戻ってきません。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
私は、よく感情を表に出さない人間だといわれます。
既に、そういう大人に足を踏み入れてしまっているのかもしれませんね。

お礼日時:2006/08/25 10:58

ずばり、想像する能力これが感性。


文字が読めなくても、空気を読める能力。
例えば・・・
親が喧嘩している、喧嘩している原因は分からない、何からこの喧嘩が始まったのさえ判らない、俺はこの場にいていいのか、いや自分の部屋へ行ったほうが・・・言葉の端々から
どうも喧嘩の原因は俺の成績のことだ、2が多すぎるとか、塾へやっても、月謝の無駄とか・・・やっぱり俺のことだ。やばいその内矛先が俺に・・・それ来た!
そこに座りなさい。・・・に夢中になるのはいいけど、夏休みの宿題済んでるの。これも判っていたのに・・・

人にはそれぞれ美学があります。
1 受動的な美 山を見るとか、花を・・・
2 能動的な美 自転車をうまく乗れるようになった
  快い感覚 ピアノがうまくなったとか
3 受動的なものと能動的なものをあわせ持った美
  いわゆる芸術(やりながら感じる)
4 集団美 映画等一人で生み出すのではなく、カメラ  のレンズ、編集技術、サウンド技術その他みんな  で生み出す美
これは中井正一という人が書いた「美学入門」に分類された美の種類です。
ぜひ一度読まれてはと思います。感性とはそれぞれの時空においてどう働くのかを理解できると確信します。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
例えが、とてもわかりやすく、且つ面白かったです。
中井正一さんの美学入門、是非機会を作って読んでみようと思います。

お礼日時:2006/08/25 10:56

こんにちは。


「感性」というのは「ひとの心」を理解するためにあります。
「知性」というのが理屈で説明されたことを理解する能力であるとしますならば、「感性」というのは理屈では推し量れないものを理解するためにどうしても必要な能力です。そして、理屈では推し量ることのできないものとはいったい何かと言いますと、それが「人間の心」です。

ここで、ひとの心に限らず、海や山などの自然の風景に親しむのも感性ではないかという疑問を持たれると思います。確かに、それも感性と言って良いとは思うのですが、このような、自然のものに対して自然に反応するというのは、我々人間が動物として生まれながらに持っている能力でありまして、基本的には、このようなものは鍛えようと思っても鍛えられるものではありません。どちらかといえば、それは人類共通でありまして、生涯に渡って変更することができないものなんです。
これに対しまして、ひとの心を理解する能力、あるいは芸術のように人間が作ったものを理解する能力といいますのは、我々が生まれたあとに学習によって身に付けるものです。ですから、きちんと育てなければ成長はしませんし、へたをすれば覚えないまま大人になってしまうことになります。

UFOや心霊現象を除きますならば、この世の出来事は何でも理屈で説明することができますし、知性さえあれば我々はそれをちゃんと理解できます。ですが、ただひとつ「人間の心」だけは、感性を使わなければ、知性だけでは絶対に理解することはできません。
何故ならば、感性というのは「感じる能力」であるからです。そして、「ひとの心」というのは、そのひとがどう感じるかです。もちろんそれは、目で見たり、手に取ったりできるものではありません。ですから、自分に感じる能力がないということは、そのひとがどう感じたかを推測することができないということなんです。
他人に起きた出来事に対して、そのひとがたいへん辛い目に合って悲しい思いをしているといったようなことは、これは理屈でも簡単に解釈することができます。ですが、もし自分が同じ目に合ってもそれを悲しいと感じられる感性がないとするならば、説明はできても、そのひとの心を理解したということにはなりませんよね。
このように、感性といいますのは知性では推し量ることのできない「ひとの心」というものを理解するためにあります。ですから、これができなければ、我々は社会に出て多くのひとときちんと接することはできませんし、思いやりのある幸せな家庭を築くこともできません。当然、将来自分の子供を知性と感性の兼ね備わった豊かな人間に育てることもできなくなります。
近年、いじめや少年の暴力犯罪が増えているのは「他人の痛み」を理解することができないからと言われていますよね。この「他人の痛み・ひとの心」を理解できないというのは、それだけの感性を持ち合わせていないということなんです。

良く感性というのは、質の高い芸術を生み出したり、それを理解することのできる能力のように考えられがちです。ですが、これも突き詰めれば人間が作ったものを理解するということであり、ひとの心を理解することと何の違いもありません。
芸術というのは、そのひとが考えたこと、感じたことを、言葉や理屈を使わずに表現するものです。ですから、そこには作者の詳しい説明みたいなものは何処にも書いてありません。ですが、それを見て「美しい」「素晴らしい」と感じるということは、我々は言葉や理屈を使わずに、それを作ったひとの「心を理解した」ということになります。
芸術が感性を育てるために役立つというのは、そもそも芸術というのが主に感性に訴え掛けることを目的として作られているものだからです。ですから、このようなものに数多く親しむことによって、我々はより高い感性を養うことができます。

また、感性というのはひとそれぞれに違うものです。ですから、より多くのひとの心を理解するためには、より幅の広い感性を育てなければなりません。
それから、感性というのはひとの心を理解するためにあるのですから、質問者さんがそれをするのと同様に、他人もまた質問者さんの物の見方や感じ方からそれを推し量ろうとします。感性というのはひとそれぞれなのですから、相手の目には、それが質問者さんの個性として映ります。つまり、感性を育てるということは自分の個性を育てるということにもなるわけです。ですから、豊かな感性を持っていれば豊かなひとと思ってもらえますし、そうでなければ、それなりのひと、ということになります。
知性というのは、たくさん勉強をして知識を広めることによって高めることができます。ですが、感性を育てるためには、自分から積極的に様々なものに接し、より多くのことを感じ取る必要があります。芸術でも、友達でも、恋愛でも、スポーツでも、何でも構いません。教科書というものはありませんが、その代わり、それは何処からでも感じ取り、何からでも学ぶことができます。若いうちは感受性が特に高いですから、できるだけたくさんのひとの心と接し、自分の個性もどんどん磨いて下さい。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
私は人の心を理解したいです。
その人が悲しいときはその悲しみを理解してあげたいし、嬉しいときは一緒に心弾みたいです。
その為に、感性を高めることは必要なのですね。
努力して感性を高めていきたいと思います。

お礼日時:2006/08/25 10:51

感性は「鍛える」のではなく、育てるものだと思います。


育てるには栄養が必要です。
何もないところに育つ草木はありませんから。
そういう意味で映画や絵画を観て、それを材料として、自分の持っている感性をさらに育てていくということなのでしょう。
人生にとってどういうメリットがあるかというのはよくわかりません。
ちなみに、衰える感性もあります。
小説や漫画などで、作者が若い頃に書かれた作品は、人物が生きているかのようにリアルに描かれているものが多いと感じます。
けれどその作者たちが歳を取ると、理屈で説明する部分が多くなって、人物が動き出していないな、とよく思います。
これは若い頃はきっと「感覚的」な部分で書かれていたものを、歳を取るとその感覚が鈍ってきているのではないかなと分析します。
けれどある感性は衰えても、別の才能がプラスされているのだと思います。
参考になさってください。
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この回答へのお礼

大人になると、理屈っぽくなると言いますがそういうことでしょうか?
だとすると、私もそうなっているのだと思います。

なぜなら、感性を育てるということが人生にとってどういうメリットがあるのか不明瞭なまま、私の大切な時間を消費することには納得がいかないからです。

自分が、時間を消費することによる確実な成果や報酬が欲しいのです。こんな私をeppさんはどのように思われるでしょうか?

お礼日時:2006/08/25 10:40

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