痔になりやすい生活習慣とは?

従来の日本観では、処女でなくともまったく問題がない、ということを聞きました。
現在では(少し前?)、処女が良いとされています。
この思想はいつ、どこから、どのように輸入されてきたのでしょうか。

文化人類学の本を読んで気になりました。ネットで調べても出てこなかったのでご教授ください。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (14件中1~10件)

処女信仰、広まったのは実は戦後です。


貞操の概念自体は以前からありました。キリスト教の布教や開国と共に離婚は駄目だとか、一夫一妻が良いという西欧思想は入って来ましたし、儒教との絡みでの縛りはありました。
が、絶対一夫一妻、セックスなんて駄目!だったかと言うと一般の認知具合は微妙です。

というのも、明治の戸籍には「権妻」というものが記載されているからです。
権妻とは何か?
正妻以外の妻、つまりお妾さんです。
これを戸籍に載せられる事自体、妾が市民権を得ており、一夫一妻も怪しかったという事では?

それからこちらは戦前生まれ(出来れば戦前にもう子供以上だった方)に聞いて頂ければ解ると思うのですが、戦前までは「歌垣」というものがさかんでした。
「花いちもんめ」という唄をご存知でしょうか?
要は「あの子が欲しい」と意中の子を名指しし、自分の所に貰ってくる歌遊びなのですが、実際そうやって好きな異性を貰って来てラブラブになる、というのが歌垣です。
主に祭りの日などに催され、この日は(主として若者ですが)自由恋愛が許されました。
実際参加した事はなくても、見た、聞いたおじいちゃんおばあちゃんはまだ生きていらっしゃいます。

それから、戦後まもなく、判例として戦前の細かい民法、地域法を集める調査が学者によって行われました。こちら調査結果は法学系の大学図書館でしたら閲覧可能だと思われます(ちょっと名前を失念しましたが)。
その調査の中で岡山だったか四国だったかの地方の慣例法で「夜這いOK。何人通ってもOK。もしその相手が妊娠した場合、女の下へ通っていた男の中で、一番金持ちの男がその子の父親と定められる」というものもあったそうです。
これだと処女も何もフリーセックスですよね?
ここまで行かずとも、これに近い慣例法は全国各地に散らばっていたようで、調べた人達が目を丸くしたとか。

貞操観念とは一人の主人に仕える事を決めた後から発生するものであって、それまでの間についてはそこまで咎めも無い模様で、戦前までは(地域差はあるにせよ)結構大らかだった模様です。

では何故これほどまでに処女概念が広がったかと言うと、それはメディアと交通網の発達のせいでしょう。
アメリカナイズされた生活やドラマ(昔のアメリカは寧ろ1人のダーリンに1人のハニーというのが当たり前なホームドラマとか作ってましたし)、それから政府の政策、また他地域との交流によって「そういう事をしなくても良い」または「そういう事をするのは恥ずかしい事」という風になってしまった結果と思われます。
    • good
    • 0

 


 a-koshino さんが示された原文では、「世をまだ知らぬにもあらず」
「思ふ心は知りたまヘりや」とあるのを、晶子が“知らぬ”を“処女”
と翻訳したのは、出版社の意向による露骨な性的表現ではありません。
 
 いささか話が飛躍しますが、《旧約聖書》の日本語訳で“知った”と
ある部分は、ほとんどが性行為を指しています。
 知恵の実であるリンゴを食べたのも“知った”ことの寓意なのです。
 
 紫式部は《源氏物語:絵合せの帖》で、《竹取物語》を「物語の出で
来はじめの祖(おや)」と述べています。また《万葉集・巻十六》には
《竹取翁の物語》が歌われ《羽衣伝説》にも酷似しているそうです。
 
 日本最古の文学(0759)が、処女を主人公とする“処女崇拝”であり、
《日本書紀・神代》にしても、山幸彦の妻となる豊玉姫(海神の娘)が
“非処女”では、まとまる話もまとまらなかったでしょう。
 
 文化人類学者の外来説は、とても衝撃的で、あまりに矛盾しています。
 また“ロリコン”の俗称も、わずか半世紀に足らないので、光源氏に
冠するには違和感があります。“若紫”も幼女性愛ではありません。
 
<PRE>
 Nabokov, Vladimir Vladimirovich 18990423 Russia America 19770702 78 /
── 《Lolita 1955 France 1958 America 1959 Japan》
── ナボコフ/大久保 康雄・訳《ロリータ 1959 河出書房新社》
</PRE>
 
    • good
    • 0

自分の考えは、まず、自分が童貞であってはじめて女性に処女を求めるべきだと思います。

初めて同士が初夜を営むということこそ契りを結ぶということだと思います。そういうことこそが男女平等ではないかなと思います。
    • good
    • 2

源氏物語とは面白いテーマなので、原文をば



ひさましたまふに、人のけはひ、いとあさましく柔らかに、おほどきて、もの深く重き方はおくれて、ひたぶるに若びたるものから、世をまだ知らぬにもあらず、いとやむごとなきにはあるまじ、いづくにいとかうしもとまる心ぞと、かヘすがヘす思す。

かの片つ方は蔵人少将をなん通はすと聞きたまふ。あやしや、いかに思ふらむと、少将の心の中もいとほしく、またかの人の気色もゆかしければ、小君して、「死にかヘり思ふ心は知りたまヘりや」と言ひ遣はす。

どのように訳すかは質問者様に調べていただき、納得してもらうべきでしょうね。
前半、源氏の好みに処女性があったのは、個人の趣味として言えるでしょう(ロリコンだし・・・)。
ただ、後半に処女性を持ち出すのは、与謝野晶子がこだわりすぎているような。まあ、性的な表現を露骨にした方が売れるという編集サイドの意向もあったかもしれませんが。
与謝野晶子のころ、日本の識字層には処女性を尊ぶ価値観があったという証拠にもなるでしょう。
    • good
    • 1

 


 せっかくの処女性(virginity)外来説ですが、日本最古にして最大
の長編小説《源氏物語・第四の巻:夕顔》によれば“非処女”について、
一千年も前に、つぎのように述べています。
 
── 驚くほど柔らかでおおような性質で、深味のあるような人でもな
い。若々しい一方の女であるが、処女であったわけでもない。貴婦人で
はないようである。(33)
 
── もう一人の女は蔵人少将と結婚したという噂を源氏は聞いた。そ
れはおかしい、処女でない新妻を少将はどう思うだろうと、その良人に
同情もされたし、またあの空蝉の継娘はどんな気持ちでいるのだろうと、
それも知りたさに小君を使いにして手紙を送った。(131)
 
── 紫 式部/與謝野 晶子・訳《全訳源氏物語(上巻)19710810 角川文庫》
http://www.asahi-net.or.jp/~AQ3A-IMI/syoko/kinda …
 
<PRE>
♀紫 式部 上東門院の女房 0973ca‥ 京都 1014‥‥ 41 /天延 1.ca‥ 長和 3.以後
♀与謝野 晶子 鉄幹の妻  18781207 大阪 19420529 65 /鳳 宗七の長女
</PRE>
 
    • good
    • 3

「処女は善である」という思想が日本に最初に輸入されたのは実は戦国時代です。

日本に来た宣教師によってもたらされました。
ルイス・フロイスは本国に送った手紙に「日本人に『処女は大切に』とお説教しても笑ってとりあってくれない」とボヤく手紙が残っています。
ただ、当時は毎日どこかで戦争をしていた時代ですから、「明日死んじゃうかもしれないから今のうちキモチいいことやっちゃおう」ってところも多々あったと思います。当時は、生まれた子供は誰の子供でも育てるって価値観があったそうですし、時代が下って江戸時代に後家さん(未亡人)が妊娠すると「菩薩様のお恵みだねえ」で済んじゃったらしいので、かなりおおらかだったようですね。

日露戦争の乃木将軍の奥さんが「貞女は二夫にまみえず」なんて言葉を残してますから、少なくとも大正時代には貞操概念はあったってことですね。明治になって脱亜入欧なんて言葉がありましたから、当時の知識人はそういう思想を取り入れていた部分はあったと思います。でも明治34年に「みだれ髪」が出て話題作になりましたからね。みだれ髪ってのはずばりセックスして乱れた髪のことですから。内容も「あなたに抱かれてあー良かったなって胸にのの字を書いてるの」とか「人生論ばっかいっちゃってさ、そんなことより抱いてよ」とかそんなんですからね。

でもアメリカで今保守ブームらしいんですが、保守的な地域を中心に「貞操の誓い」というのが流行ってるらしいんです。でも、どっかのジャーナリストが余計なことを調べて、そういう地域の妊娠中絶の件数は全米でもトップクラスなんだそうでして、洋の東西を問わず貞操教育は苦労しているようです。
    • good
    • 0

貞操の概念など、西欧の人々にお上品な価値観が広まったのは、イギリスのヴィクトリア朝(日本では幕末のころ)以降と思われますので、輸入されるのは明治より後でしょうね。


タテマエとしては、カトリック教会により、セックスに快楽を求めてはならないなどの戒律は中世からありましたが、教会自体が売春宿になっていた状況では、一般に広まらなかったようです。
十字軍のころ、東西交易などで長期間不在になる商人向けに、貞操帯が販売されましたが、注文を受けた業者は、すぐに裏口へ回って、奥方から合い鍵の注文も同時に受けていたとか。亭主が異国で客死でもしたら大変なので、当然ですが。
父親の名を隠したい子どもを産む場合、西欧では処女懐胎だと主張すると、けっこううまくいったとか。あるいは夢魔という悪魔に犯されたことに・・・。夢魔はキリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教に登場します。悪魔さん大忙しですな。
日本では隠したい妊娠がわかると、しばらく山に隠れて、神隠しになる手法が取られたようですね。山岳信仰の影響でしょうか。
雑談ばかりですいません。
    • good
    • 0

いつどこから輸入されたか正しいところはわからないのですが・・・



もともと、貞操観念を重んじていたのは西洋のキリスト教の方です。
これは女性の自己防衛策です。
むしろ日本の神道は処女性を重んじていません。
その関係の人に聞いた話なんですが、皇太子妃候補も処女でなくてもよかったそうです。

ただ、日本には「穢れ」という考え方があります。
一度使ったものは穢れたとして捨ててきた歴史があり、大和時代から統治者が変わるたびに都を移してきたのは、そのためだそうです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

皇太子妃候補も処女でなくて良かったのですね。
ちょっと驚きました。
おそらく、今の王族はテレビで見ている限りは処女っぽいですね。

お礼日時:2006/08/19 12:58

 北村透谷は明治25年に論文『処女の純潔を論ず』を発表しています。



>処女の純潔は人界に於ける黄金、瑠璃、真珠なり。

 逆に言えば、明治25年の時点では処女性尊重はまだ一般的ではなかったと言えるでしょう。

参考URL:http://www.aozora.gr.jp/cards/000157/card45241.h …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

唱えられたのは、大体明治くらいだったのですね。
そう考えると短いです。

お礼日時:2006/08/19 12:59

江戸時代までは日本の性に関する考えは


だいぶおおらかだったようです。

明治時代以後、法治国家として体裁を整えていくためと
キリスト教世界の欧州列強に対する対面的な問題も絡んで
一夫一婦制、「貞操」という概念が生まれたのでしょう。

中央集権国家としての管理の問題もあったと思われます。
戸籍を作ると実際誰の子供か分からないとまずいですしね。

しかし、実際は近世まで昔の風習の残っていた地域が多いみたいです。
やはり日本人はおおらかなのかなぁ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
ということは、今の方が昔よりは、処女性を重んじているということですよね。
若い人を見ていて、なんだかな~、と思ってました。

お礼日時:2006/08/19 13:05

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q日本における貞操観念の歴史について

詳しい方教えてくださると助かります。

貞操観念は明治以降、西洋思想を吸収する際に付随して作られ、昭和になって広く広まったとする説もある一方、
源氏物語にも、ある種の貞操観念が見られる、と
小耳に挟みました。

実際のところどうなのでしょうか。

日本では昔から、祭りの際のフリーセックスや、政府が積極的に遊郭を作る、大名はホモが多い、などホモ、ヘテロを問わず性風俗に関してはゆるやかだったとされています。でも一方で独占欲や嫉妬もあり、そのため「貞操」が重視される、というのは昔からあったと思います。

勝手な想像ですが、

江戸時代女が男よりも多くなって、女性は操を守るなんていってられなくなり性風俗が乱れる。
  ↓
明治時代、西洋思想を輸入するに当たって、西洋人が日本人の性風俗を見てびっくりする。
彼らはキリスト教徒で、処女信仰なんてのもあるくらいだから当然の反応。
  ↓
でもその反応を見た日本人が、「おいおい、うちらは性風俗乱れてるらしいよ、これは直さないと、文化的に遅れてると思われちゃうよ」といって反省
  ↓
キリスト教起源の貞操のモラルをまねる
  ↓
今に至る。そろそろヨーロッパの物まねも飽きてきたので、ちょっと乱れてみる

なんて思っています。多分間違っていると思うので、
誰か日本における貞操観念の変遷についての定説を教えてください。

よろしくお願いします。

詳しい方教えてくださると助かります。

貞操観念は明治以降、西洋思想を吸収する際に付随して作られ、昭和になって広く広まったとする説もある一方、
源氏物語にも、ある種の貞操観念が見られる、と
小耳に挟みました。

実際のところどうなのでしょうか。

日本では昔から、祭りの際のフリーセックスや、政府が積極的に遊郭を作る、大名はホモが多い、などホモ、ヘテロを問わず性風俗に関してはゆるやかだったとされています。でも一方で独占欲や嫉妬もあり、そのため「貞操」が重視される、というのは...続きを読む

Aベストアンサー

中世のヨーロッパにキリスト教国に初夜権という制度があったように、日本にもそういうものがあったようなんですね。
(ヨーロッパの初夜権制度が本当にあったのかどうかまだ確信はなく、実際あったとしても税金みたいなもので、金を払えば領主や聖職者に花嫁を寝取られずに済んだのか、金が無い農奴はどうしていたのか、何故そのような伝説が生まれたのか定かではないのですが)

さて、日本にあった初夜権。
村の長老が新婦の処女を奪ってあげるという風習があったという話を聞いたことがあります。
真実はどうなのか今の段階ではわかりませんが、こんな話があります。
  ↓
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/24436_14407.html
【日本の歴史は、語部と言はれた、村々国々の神の物語を伝誦する職業団体の人々の口頭に、久しく保存せられて居た律文が、最初の形であつた。此を散文化して、文字に記したのが、古事記・日本紀其他の書物に残る古代史なのである。だから成立の始めから、宗教に関係して居る。神々の色彩を持たない事実などの、後世に伝はりやうはあるべき筈がないのだ。並みの女のやうに見えて居る女性の伝説も、よく見て行くと、きつと皆神事に与つた女性の、神事以外の生活をとり扱うて居るのであつた。事実に於て、我々が溯れる限りの古代に実在した女性の生活は、一生涯或はある期間は、必巫女として費されて来たものと見てよい。】

【「神の嫁」として、神に出来るだけ接近して行くのが、此人々の為事であるのだから、処女は神も好むものと見るのは、当然である。】

という具合に、日本の初夜権という概念は、普通の女性達が結婚初夜に庄屋に処女を奪ってもらっているのがあたり前だったというのは、誤りであると思えます。

後世になると、その特別な女性はもっともパワーを持った神の使者であると同時に、権力を欲しがる男に力を与える儀式を与えるため寝るものを、軽蔑的に見るようになり、神殿に仕える娼婦と捉えたのではないかと思えます。

これは世界各地の巫女たちも、異教徒たちがその宗教を馬鹿にする時の材料として使っていたようです。


で、朱色の鳥居がいくつもあって、そこをくぐって到達する。
これは通過儀式だったのではないかと思えます。
朱色=血。
血は穢れたものであると考えられていましたが、実は清めるものでもあるとも捉えられていた。

ユダヤ教に血を塗った家だけ、神による災いがふりかからなかったという話がありますが、日本にも同じ神話があります。


さて、遊女はいつ頃誕生したのかはまだわかりません。
江戸時代に一角に遊郭を設けたようなのですが、私の想像では町ができるようになり、貧富の差が拡大していき、富めるものが町に集まりだして、彼らの娯楽として遊郭が発展したのではないかと思えます。
飢饉などで、年貢を納めることができない家が、娘を売るようになったり、子どもを芝居をして回り金銭を得る業者に売ったりなどするようになったのではないかと思います。

遊郭においては管理されていたようで、誰でも遊郭を開いていいというわけではなかったようです。


その時代の頃、特権階級の人たち限定ではなく、一般庶民にどうような貞操観念があったのかはわかりません。

世界で唯一日本人とユダヤ人には処女信仰が無いと聞いたことがあります。

日本ではキリシタン弾圧が行われましたが、理由があったようです。
来た頃は日本に危害を加えない穏やかな団体だと思われ認められたようなのですが、来たキリスト教のその団体の闇の部分が露呈し、恐ろしい団体だとして迫害が始まったようなのです。
その団体が大名に弾圧された理由の一つが人身売買。
http://www.gameou.com/~rendaico/nihonchristokyoshico/zinshinbaibaico.htm
これは一つにしかすぎず、日本から追放されるに至った悪事はまだまだあるようです。
ただし、これはキリスト教団の本部がやっていたことではなく、キリスト教団に公認された団体がやっていたこと。
その団体がキリスト教団の宣教部門を担当し、世界各地にキリスト教を広めるため宣教活動をしていたので、表向きは宣伝部門だったわけですが、実はキリスト教の戦闘部隊・諜報部隊という側面も持っていたわけです。
日本にやってきた理由も宣教が本当の目的ではなかった。

確かにキリスト教の本家本元は清貧・貞節をスローガンとして掲げていますが、実際やった内容を見ると異常なまでに性に対する強迫観念に囚われた人が本部に集ったのではないかと思えます。
聖職者は妻と性交してはならない。子どもを儲けてはならない。それができないなら罰金、投獄、公開鞭打ち刑、しまいには結婚の無効まで決めてしまったようなんです。
神の祝福とは子どもを授かることですが、何故かキリスト教はその神の祝福を否定するということを教えているという変な団体です。

日本の貞操観念が一体どんなものかわかりませんが、あるとすれば、身分制度が撤廃されたあと、それでも庶民とは違う高貴な家系だとするため利用されたのではないかと思います。

結婚とは家と家の結びつきです。
家と家の結びつきのために不可欠なのが娘。
婚姻関係になれば縁がむすばれ、相手の権力・財産の恩恵が与えられる。
そういうわけで、なるべくいい権力者に嫁がせたい。
それで箱に入れておいて、家が望まない男が近づかないようにした。
これが日本の貞操観念の実体じゃあないのでしょうか。

中世のヨーロッパにキリスト教国に初夜権という制度があったように、日本にもそういうものがあったようなんですね。
(ヨーロッパの初夜権制度が本当にあったのかどうかまだ確信はなく、実際あったとしても税金みたいなもので、金を払えば領主や聖職者に花嫁を寝取られずに済んだのか、金が無い農奴はどうしていたのか、何故そのような伝説が生まれたのか定かではないのですが)

さて、日本にあった初夜権。
村の長老が新婦の処女を奪ってあげるという風習があったという話を聞いたことがあります。
真実は...続きを読む

Q野武士はなんですか

野武士というは、盗賊とか、山賊とかという話しなら

いつも聞いてましたが、

その「野武士」とは、戦国時代で別に生活して活動しましたから

なんか、他の時代で活動した山賊や盗賊とは違うことがありませんか

Aベストアンサー

野武士とは特定の君主に仕官しない武士の集団と言う理解で良いと思います。

領地をもっている武士の場合には、なんらかしらの形で自身より強力な勢力の保護を必要としますが(保証してもらわなければ領地を奪われてしまいますから)、野武士の場合は大抵の場合領地からの年貢を経済的な基盤としていませんでした。また有力な大名の勢力が接する国境に拠点を構えていたようです。

戦時は隣接の大名の傭兵として稼ぎ、平時は国境という大名の勢力が及びにくい街道や水運の要衝において通行料を徴収したり(かわりに野武士の勢力圏での安全を保証していました)、富裕な村落を略奪したりして生活していました。ただし、「略奪」は野武士に限らず、当時の武士においては軍事演習と実益が得られる一挙両得の行動で、武士として「やましさ」を感じるような行為ではなかったようです。

交通の要衝で通行料を徴収し安全を保証する活動を通して、水運業者や馬借などの陸運業者との繋がりの深い野武士も多く、室町時代初期の「悪党」と呼ばれた武士と共通点が多いように思います(「悪党」には同族的な要素が強いのですが、「野武士」の集団では血縁関係は必ずしも重要な要素ではなかったイメージがあります)。

野武士とは特定の君主に仕官しない武士の集団と言う理解で良いと思います。

領地をもっている武士の場合には、なんらかしらの形で自身より強力な勢力の保護を必要としますが(保証してもらわなければ領地を奪われてしまいますから)、野武士の場合は大抵の場合領地からの年貢を経済的な基盤としていませんでした。また有力な大名の勢力が接する国境に拠点を構えていたようです。

戦時は隣接の大名の傭兵として稼ぎ、平時は国境という大名の勢力が及びにくい街道や水運の要衝において通行料を徴収したり(か...続きを読む

Qロードバイクの最高速はどれぐらいなのですか。

例えば
自分のマウンテンバイクでトップギアにして平地でペダルを漕げるだけ頑張って高回転させてこれ以上自分の足が回転についていけなくなるまで漕ぐと、速度は35キロぐらいです。
だからこれを最高速とします。ヘトヘトになりました。

同じように一般的なロードバイクだとこの条件で何キロぐらいの速度が出るのですか。
平地で無風状態です。

Aベストアンサー

メーターつけてても本当に正確か?と疑いたくなる時はありますが、それはおいておいて。

マウンテンバイクだとノブ付きタイヤでも出す人は40~50出すみたいですね。
俺は質問者さんと同じぐらいです。
スリックタイヤに履き替えて走行してみては?少しは速度があがると思いますよ。

ロードであれば瞬間スピードですが50km記録しました。ただ国道で試したので本気で漕いだという実感はないのでもしかしたらばもう2~3km+で漕げるかもしれません。うぬぼれかもしれませんけども。

余談ですが、プロの世界だと平地ストレートで70km以上出すとか耳を疑う数字を聞きます。
(下りだと100km越えとかなんとか)

Q新婚初夜を親戚に見られる家

 中学3年生の女子です。

 私の家は旧家と呼ばれる家で、祖父の家も古くて
よく時代劇にでてくるような宴会が出来るくらい広い広間があって
宴会に使わない普段の時は、ふすまでいくつかの小さい部屋に区切っています。

 そして、祖母と大叔母から凄い事を言われました。

 それは、新婚初夜の時に、2人がエッチしてる所を
その部屋の三方からふすまを少し開けて親戚が見るというのです。

 私の一族は男系の血筋を重んじる一族で、本家の家に娘しかできなかった場合は
本家から近い親戚の男性が後継ぎに選ばれるくらいです。
 親戚がエッチしてる所を見ることで、生まれた子供の父親が誰であるのか確認できるし
その時に嫁が処女だったかどうかで、その後の親戚内での扱いも変わるそうです

「お前も、うちに嫁にくるか、同じような旧家に嫁いだ場合はそうなるから覚悟しておけ。」
「結婚するまでは処女を守れ」
って言われました。

 私も保守的な人間だし。伝統という言葉には弱いです。
でも流石に嫌だし、想像するだけで泣きました。

 祖母と大叔母が私をからかっただけだと思うし
私の貞操観念を強くする為に脅したのだと思うのですが。


 いくら、旧家でもそういう事をする家って本当にあると思いますか?

 いままでに、そういう事をする家があるって聞いた事のある人は居ますか?

 中学3年生の女子です。

 私の家は旧家と呼ばれる家で、祖父の家も古くて
よく時代劇にでてくるような宴会が出来るくらい広い広間があって
宴会に使わない普段の時は、ふすまでいくつかの小さい部屋に区切っています。

 そして、祖母と大叔母から凄い事を言われました。

 それは、新婚初夜の時に、2人がエッチしてる所を
その部屋の三方からふすまを少し開けて親戚が見るというのです。

 私の一族は男系の血筋を重んじる一族で、本家の家に娘しかできなかった場合は
本家から近い親戚の男性が後継ぎに選...続きを読む

Aベストアンサー

貴方が言うような家はありうると思います。
私は60才です。

私の隠岐の島の友人は22歳でお見合い結婚。
↑約40年前のことです。

彼女は東京で働いてて、隠岐の島に帰りお見合いしました。
お見合いの翌日の夕方、相手の家に母に連れて行かれました。
お見合いの返事は、まだしてなかったそうです。
相手の家に着いたら彼女の母親は、しばらくすると彼女一人を残して、帰るからねと言って帰ったそうです。
彼女はびっくりして、戸惑いどうしていいか分から無かったそうです。
夕食がすんだら、相手のお母さんに「もう寝なさい」と促され、彼と別室に案内されるとその部屋には
きれいな布団が二組敷かれてました。

彼女はびっくりしたけど、彼女の後ろには彼のお母さんが道をふさぐようについてきたので、仕方なく休んだそうです。
昔は今のようにエッチの情報があふれてなかったので、まさか何も起きないだろうと、眠ってしまったそうです。
夜中に息苦しくて目が覚めると、彼が覆いかぶさってたそうです。

次の日は恥ずかしくて逃げるように実家に帰ったんだって。


この話を聞いてびっくりしましたが、
鹿児島の人が、鹿児島の旧家ではお見合いの日に、そういうことをするところがあると話していました。

初夜を確認するというのは、外国の王室の結婚にもあるそうで、完璧にエッチが出来た確認が必要だそうです。
だから、祖母と大叔母さんの話は本当だと思います。

それに親戚が見ると言っても、実際は良く見えませんよ、
夜なので電気を暗くしておけばいいし、貴方はAVのように思ってるのでしょうが、あんなことはしなくていいし
ただシンプルに新婚夫婦は、交わりが済んだということがわかればいいのです。
布団をかぶってればわかりませんし、すぐ終了すればなんてことはないですよ。

多分そういうことは長い歴史の中で必要だからできた慣習でしょうね。

私も60才
息子の嫁が処女だxたら嬉しいですよね、
可愛さが違うと思います。大切にしようと思うと思います。

貴方が言うような家はありうると思います。
私は60才です。

私の隠岐の島の友人は22歳でお見合い結婚。
↑約40年前のことです。

彼女は東京で働いてて、隠岐の島に帰りお見合いしました。
お見合いの翌日の夕方、相手の家に母に連れて行かれました。
お見合いの返事は、まだしてなかったそうです。
相手の家に着いたら彼女の母親は、しばらくすると彼女一人を残して、帰るからねと言って帰ったそうです。
彼女はびっくりして、戸惑いどうしていいか分から無かったそうです。
夕食がすんだら、相手のお母さんに「...続きを読む


人気Q&Aランキング