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This is the house where Mr. Ando was born. について、次の日本語訳のどちらでもいいのでしょうか。(1) ここが安藤さんが生まれた家だ。(2) ここは安藤さんが生まれた家だ。

この質問の背景も説明しておきます。例えば、次のような二つの英文を比べてみます。
(1) This is the house Mr. Ando built. (2) This is a house Mr. Ando built.

(1)では、話し手と聞き手の間ですでにMr. Andoのことが話題に出ているものと考えられます。そして、話し手が聞き手に、ある家を指して「ここが安藤さんが建てた家ですよ」と言ったと考えられます。(2)では、話し手と聞き手の間でMr. Andoのことはまだ話題に出ていないと考えられます。単にある家を指して、この家はこれこれしかじかの素性を持った家ですよと説明したにすぎないと思います。問題なのは(2)のタイプの文です。「これこれしかじかの素性」がこの世で常識的に一つに決まるようなことだったらどうなるのでしょうか。
 例えば、話し手と聞き手が二人で歩いていて、話し手がふと見つけた家を聞き手に紹介しようとして、この家は、(あなたは知らないと思うけど)実は、安藤さんの生まれた家ですよ。と言ったとします。この場合、This is the house where Mr. Ando was born. となります。--日本語訳は「これは[ここは]安藤さんの生まれた家ですよ」という日本語訳になります。でもこの文は、話し手と聞き手の間ですでにMr. Andoのことが話題に出ている場合の英文--「これ[ここ]が安藤さんの生まれた家ですよ」と同じになります。これが質問の趣旨です。

A 回答 (9件)

>"Have you ever climbed Mt. Kurodake? It is a mountain in Daisetuzan National Park that is 1,984 meters above sea level" において、Mt. Kurodakeは明らかに一つに決まるのになぜtheがつかないのでしょうか。

この文が間違っているのでしょうか。

簡単に言えば、Mt. Kurodake is THE name of A mountain.だからです。(それで前回最後に書いたのです)

これは疑問文の形を使ってその山を紹介しているのでしょう?つまり、"Have you ever climbed Mt. Kurodake?"に対して多くの人の"No idea."という答えが前提になってるわけです。

この疑問文と説明文の間の事を考えてみてください。「クロダケ登った事ある?」に対して、理屈を言えば、それがもし家の近くの山だったら私も登った事があるかもしれない、でも私は登った山の名前なんて覚えてない。それがたまたまそのクロダケかもしれないし、もし名前がクロダケでも違う山かもしれない。

そこでまず、クロダケというのは大雪山国立公園にある山の一つですよ、という”視点”で説明しているわけです。この時点ではクロダケを山の一つとして紹介しているわけです。

そして前回の終わりにもう一つ書いたのはthatとはthe height of the mountainのことだという事です。 敢えてくどい言い方をすれば It is a mountain in Daisetuzan National Park, the height of the mountain is 1,984 meters. となります。こう言った場合、後の方のthe mountainはもちろんa mountainにはできません。それは既に”文脈”の中でa mountain in Daisetuzan National Parkと、数ある山の中のある一つの山の事を言っているからです。その山はこんな山(1984m)である、と説明する場合はもちろんthe mountainなのです。

>じゃんけんの例についてですが、feeders氏が勝ったとして、Mr. feeders is the winner. と確かにそう言えると思いますが、Mr. feeders is a person who won in the 'paper-rock-scissors' game. と言うことは本当にできないのでしょうか。

「Mr. feedersはジャンケンというゲームに勝った人の一人だ」とはもちろん言えますよ。ただそれでは「私とfeedersさんとの勝負」という意味と全然変わってしまいます。あくまでもこの勝負では、誰がどう見てもどう解釈してもthe winnerとthe loserしかいないのです。わかりやすい例だと思ったんですが・・・

>"What is Barnaba? On the form and on the back of these photos Barnaba is written."
"Barnaba ia a hospital where my brother was born." (1)

上記クロダケの説明で十分だと思います。Barnaba is the name of a hospital. The hospial where my brother was born.

>"Let me tell you a story of a country. A country where the people believe in freedom. A country where education and health care are free. A country where Winston Churchill was born. (2)

これは英語の問題といえるかどうか・・・表現方法の問題なので、わかってもらえるかどうか微妙ですが、誤解を恐れずに言えば、これはすべて「どこでもよいあるひとつの国」という意味で言っているのです。それはイギリスしかないわけですが、その事を言いたいわけではないのです。どこでもよいが、それはわかるだろう、というニュアンスですね。A country (called the U.K.)のカッコの部分が暗示されているような。意味がわかってもらえるでしょうか?

では

この回答への補足

回答ありがとうございます。
A country where Winston Churchill was born. はA country (called the U.K.) ---と考えればいいわけですか。なるほど。うまく説明できますね。クロダケの件も、クロダケという名の山を知っていますか。それはね--と説明する文でなら使えるわけですね。
"Barnaba ia a hospital where my brother was born." という文も「Barnabaという名の病院があるんだけど、そこはね、--」という文脈であれば問題はないわけですね。
 Mr. feeders is a person who won in the 'paper-rock-scissors' game. という文が変だということはよくわかりました。おそらく、Mr. feeders is a person who wrote "The murder on the Mississippi. とかだったらOKなのでしょうね。
Mt. Fuji is a highest mountain in Japan. という文もMt. Fuji のことを聞いたことのない人に対して紹介する場合は使えるわけでしょうね。
This is a house where he was born. が使えない理由もわかりました。This is ---と書き出してあると、ある家を紹介する文にはならないということですね。だとすると、Maison Blanche is a house where the composer was born. と書くことならできるわけですね。
Maison Blanche is a house where the composer was born. (1) は単にその家のことを紹介したした文だということになりますね。
一方で、Maison Blanche is the house where the composer was born. (2) という文は、「その作曲家が生まれた家はどこかって、このMaison Blancheがそうだよ」か、又は、「この家はね、他ならぬその作曲家が生まれた家なんだよ」の意味にとることが可能なのだと思います。
私が当初問題にしていたことは、This is the house where he was born. という文でなく別の文-Maison Blanche is the house where the composer was born. を使って質問すべきでした。
私が、当初から問題にしていたことは、「Maison Blancheという名の家を知ってるかい。その家はその作曲家が生まれた家なんだぜ。」という意味合いで、単にMaison Blancheがどういう家か説明する文の中で(2)の文が使えないのかということだったわけです。つまり、(2)の文が2通りの意味に使えないのかということだったわけです。(1)が単にその家のことを紹介したした文なのであれば、(2)がその意味でも使えるということはありえませんね。一応、問題に決着を見ました。
どうもありがとうございました。

補足日時:2006/08/28 20:35
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hiyokoです



>Mr. feeders is a person who wrote "The murder on the Mississippi.
これはなんかちょっと無理かな、と思いますが。whoはwhereとは違うし、Mr. Ozaki is a writerのように何をする人か説明しているわけでもないですからね。

>Mt. Fuji is a highest mountain in Japan.
まあ不可能ではないかもしれませんけど、でも富士山て日本で圧倒的に大きな山ですからあまりいい表現ではないかも。a (high) mountainならもちろんOKですけど。

>Maison Blanche is a house where the composer was born.
いずれにしろGさんとfeedersさんとで言っていたように本当はカンマを入れるべきでしょうから生徒さんにはそう教えた方がいいと思います。

では
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この回答へのお礼

おっしゃる通りです。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/01 02:38

Gです。

 補足質問を読ませてもらいました。

>"Have you ever climbed Mt. Karadake? It is a mountain in Daisetuzan National Park that is 1,984  meters above sea level" ---(1) という文において、文脈からMt. Karadakeが一つに決まることは明らかですが、the mountain ではなくa mountainが使われています。又、大雪山系において 1,984 meters の山と言えば一つに決まるはずです。

自分が言っている事への確認のために調べさせてもらいました。北海道の大雪山国立公園の黒岳(kurodake)が1,984メーターとなっています。 そして、これ以上の山も存在しますね。 Karadakeという山が見つかりません。 

それはさておいて、もしこのKaradakeがクロダケであれば、文字による表現方法として、that is 1,984の前にカンマを入れたいところです。今回のように入っていなくても誤解はないかもしれませんが、私にとってはカンマがないとこのa mountainという表現が生きてこないと感じるわけですが、フィーリングとしては、大雪山国立公園のひとつの山である、と言うフィーリングを出したかったのだと感じるわけです。 つまり、Karadake/Kurodakeは確かにひとつしかないわけですが、国立公園の中の山のひとつで、標高は、、、、、と作者はいいたいのだと思います。 1984メーターの標高を持つ山だ、と言う数字的にもかなり狭めた表現をしているわけですから、カンマをつけなければtheにすべきところと私は感じます。 (もしかしたら、日本人が書いた英語かもしれません)

>このことの説明として、話者はMt. Karadakeのことを単に記述しているだけであって、「まさにMt. Karadakeが--」と言おうとしているわけではない。という説明の仕方でよいのでしょうか。

~のひとつ、と言うフィーリングのaですね。 (カンマの問題点があるので第三者である私にはただ推測するしかありません)

>又、"A man called Robert Smith came to see you." ---(2) において、名前がどれだけ複雑なものであっても、この世に一つしかないと思われるようなものであっても、それでもThe manにならないのは、この文が単にある出来事を淡々と述べているにすぎないからという説明でよいのでしょうか。

~と言う私は知らない男が、と言うフィーリングでこのa man called Robertが使われています。 つまり、日本語では「誰だか知らないけどロバートと言う人が会いに来ています。」と言うフィーリングを表した文章なのです。 the manでは、あ互いに何らかの理解がある、と言うフィーリングが出てしまうわけです。 「(約束していた)あのロバートと言う人が会いに来ています」と言うのであればtheが使われるわけです。

>その場合、例えば、ある日本人がアメリカ旅行中に、連れのアメリカ人に「見ろよ、あそこに古めかしい家があるけど、どんな人が住んでいるのかな」と言ったとします。それに対して、連れのアメリカ人がその家のことを説明するためにこう答えたとします。"Oh, it is the house where George Washington was born." ---(3)
この場合、単に、ある事実を述べているだけなのにtheがついています。

これは事実を述べているからではなく前にも書いたように、生まれた家はひとつしかない、と言う事から来ているtheなのです。 ワシントンも生まれたわけだけど病院なんてなかったわけで、みんな自宅で生まれたもんだよ。 そして、その生まれた家っていうのがこの家なのさ。と言っているのかもしれない表現なわけです。 つまり、生まれた家って一軒しかないだろう? その一軒がこの家なんだよ。と言う事なのでTHEが使われるわけです。

生まれた、ではなく、作った、寝泊りした、家族と暮らした、と言う情況であれば、そのうちのひとつ戸と言うフィーリングで、it is a house where,,,,,という表現が使われるわけです。


>つまり、最終的に聞きたかったのは、単に何かを新しい情報として記述するだけなのに、(2)では常識的に言って一つに決まるのにtheがつかない。又、(1)では常識的にも、文脈的にも一つに決まるのにtheがつかない。

ここに誤解的理解があるわけです。 1)では公園の中のひとつの山、(か、theにすべきところ)、2)では、本当にロバートかなのか確認できないある人、と言うフィーリングでAが使われているのです。

>ところが、(3)においてはtheがついている。この事態をどう考えればよいか。これが、私の聞きたかったことだったのです。 

ひとつしかないからです。 ひとつしかないから、したがって、「まさにその」と言うフィーリングが出てきてtheを使わないとおかしな事になってしまうわけです。 生まれて家のうちのひとつです。ではおかしいですね。 でも、複数の子供を生んだ母親が話題になっていれば、子供を生んだ家のうちの一軒です、a house where she had babyという表現も、一人っ子を産んだ家です、the house where she delivered the only child.という表現になるわけです。  

>私の推測では、---(1), (2)は確かに、あるいは常識的に文脈的に一つに決まるけど、瞬間的に100パーセント間違いなくそうだと判断できるものではありません。文脈を考慮してから常識的に判断することになります。ところが、(3)の場合は、文脈を考慮するまでもなく瞬間的に判断できます。いや、判断の行為すら必要としません。このことが、(1), (2)と(3)を分けているポイントなのかということです。

上の回答で少しは先が見えてきたことを心から願っています。 必要であればまた書いてください。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
"Have you ever climbed Mt. Karadake? It is a mountain in Daisetuzan National Park that is 1,984  meters above sea level" ---(1)の文はある本(日本人の書いたもの)から取りました。
Karadakeは私の転記間違いです。Kurodakeでした。コンマはありませんでしたが、コンマをつけるべきだという見解には同感です。
It is a mountain in Daisetuzan National Park, which is 1,984 meters above sea level. と書くべき
だとすれば、それは話し手がwhich以下の情報が単なる補足説明程度のものだと思った場合だと思います。逆にwhich以下の情報が必要なものだと思えばコンマをつけないと思います。
1,984 meters above sea levelという情報が是非とも必要だという人はそれほどいないはずです。
この考え方で正しいのでしょうか。判定して頂けるとありがたいです。

横道にそれてしまいした。本題に戻ります。問題をもっと単純化します。
 Mt. Fuji is the highest mountain in Japan. --- (2) は2通りの意味を持っていると今まで思っていました。
 一つは、What is the highest mountain in Japan? に対する答えの文です。普通はMt. Fuji is. ですませると思いますが、親切な人であればMt. Fuji is the highest mountain. と言うかも知れませんし、又、Mt. Fuji is the highest mountain in Japan. と言う人もいるかも知れません。
もう一つの意味として、What is Mt. Fuji like? に対する答えの文の一部としても使われるということです。(もちろん、この文の後にまだまだ説明が続くと思いますが)

前者の意味では、すでに話題に出ているわけですからtheがつくのは当然です。日本語訳は「富士山です」 「富士山がそうです」 「富士山が日本で一番高い山です」になると思います。
 後者の意味では、「一番高い山だ」という情報を前面に出さずに(強調せずに)、単に世間の周知の事実として「日本で一番高い山だ」と言ったにすぎないのではないかと思うのです。日本語訳は「富士山は日本で一番高い山なんですよ」になると思います。
つまり、聞きたかったのは、後者の用法-単に事実を述べるだけの文においてthe+名詞を使ってもよいのかということです。もしかして、自分自身がとんでもない勘違いをしていると困るのでよく知っておられる方に確認したかったわけです。
 -ご指摘によればどうやら勘違いしていたようですね。よく検討してみます。

 私自身は "A man called Robert Smith came to see you." の文や "Have you ever climbed Mt. Kurodake? It is a mountain in Daisetuzan National Park that is 1,984 meters above sea level"
(コンマがあった方が良いとは思いますが)や、This is the house where he was born. の文を自然だと感じますし、This is a house where he was born. の文を不自然だと感じます。それは、理屈からそう判断するのではなく、This is a house where he was born. などという文を見たこともなければ、聞いたこともなく、自分でしゃべったこともないからです。自分だけのことで言えば、投稿コーナーを借りてこうやって質問する必要もないと思います。
 問題は、私の立場が、英作文を指導する身であると言うことです。生徒達に英語のフィーリングを身につけさせる時間的な余裕はありません。理屈でないと受け付けないのです。どうすれば生徒達を納得させることができるかという問題があるわけです。

"Have you ever climbed Mt. Kurodake? It is a mountain in Daisetuzan National Park that is 1,984 meters above sea level" の文を少し変えてみます。
Mt. Kurodake is a mountain in Daisetuzan National Park that is 1,984 meters above sea level.
と書けるはずです。1,984 meters above sea levelという情報が必要だと思えばこの文は正しいと思います。生徒達が一番疑問に思うのは、この文になぜtheがつかないのかということです。
theをつけた方がよいとのことですが、その場合、そういう条件を満たす山は一つしかありませんよ言ったことになるような気がしますが、つまり、単にMt. Kurodakeのことを淡々と紹介する文ではないということですね。これで間違いないでしょうか。何度もすみませんがよろしくお願いします。なお、まだ、聞きたかったことがあるのですが、字数をオーバーしてしまうので補足とお礼の両方に返事を書きます。お手数ですがよろしくお願いします。

補足日時:2006/08/25 21:08
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この回答へのお礼

後半です。
 ある時、こういう文を見かけました。イギリス人の書いた文です。
 "What is Barnaba? On the form and on the back of these photos Barnaba is written."
"Barnaba ia a hospital where my brother was born." (1)

もう一つ挙げておきます。
 "Let me tell you a story of a country. A country where the people believe in freedom. A country where education and health care are free. A country where Winston Churchill was born. (2)------

後に、別のイギリス人で次の2つの英文に対してこういう説明をしてくれた人がいます。
Mr. Ozaki is a writer who wrote this novel. ---(3)
Mr. Ozaki is the writer who wrote this novel. ---(4)
例文を作ったのは私です。Mr. Ozakiがco-writerでないということを前提にこれら2つの文が
両方ともOKかどうか尋ねました。彼が言うには、両方ともOKだが、(3)においては writerの部分にfoucusがないのでaを使う。又、(4)においてはwriterの部分にfoucusがあるのでtheを使うとのことでした。
そう言えば、(1)においてはa hopitalには焦点は置かれていませんし、(2)においてもA countryには焦点は置かれていません。一方、This is the country where he was born. においては、the countryに焦点が置かれているように感じます。
(1)と(2)の文は間違っているのでしょうか。言葉を換えれば、私が質問した相手のイギリス人は間違っているのでしょうか。なお、私の感じたところでは、そのイギリス人はコンマの使い方がやや弱い(少なくとも私よりも) ように見受けられました。
 よろしくご教示願います。

そうそう、話は変わりますが、私自身は、英作文の理屈での指導の一環として、「は」と「が」の区別が必要な時、新情報や焦点の当たっている語句にストレスをおいて読んでみたりなどの工夫をしています。もっとも、生徒の方ではそう言う時の私の話を聞いていないのではないかと思いますが。

お礼日時:2006/08/25 21:10

こんにちは、お邪魔します。



話し手と聞き手の間ですでにMr. Andoのことが話題に出ている場合でも、Mr. Andoの話題が初出でも関係ありません。事実を淡々と述べているだけか、これがまさにといっているのかも関係ないのです。いずれにしても一つの話題の中で、あるいは一つの視点から、今から言おうとしているその家は世界に一軒しかないわけです。それがthe houseです。Mr. Andoのことを知っているかどうかとか、そういう問題ではないんです。

> (2)では、話し手と聞き手の間でMr. Andoのことはまだ話題に出ていないと考えられます。単にある家を指して、この家はこれこれしかじかの素性を持った家ですよと説明したにすぎないと思います。問題なのは(2)のタイプの文です。「これこれしかじかの素性」がこの世で常識的に一つに決まるようなことだったらどうなるのでしょうか。

この辺に何か根本的な誤解があるような気がします。そういう場合にこそtheが付くのですから。

例えばfeedersさんと私で何の意味もなくジャンケンしてfeedersさんが勝ったとしましょう。その時feedersさんはthe winnerであってa winnerではないのです。その勝利の意味など全く問題ではないし、世の中に勝者がどれだけいても関係ない。この状況ではthe winnerとthe loser(私)しか存在しない、その事実があるだけなんです。

最後にGさんへの補足からの拝借で恐縮なんですがちょっとだけ。ヒントになれば。

Karadake is THE name of A mountain in Daisetuzan National Park that is 1,984 meters above sea level.

There is A mountain called Karadake in Daisetuzan National Park. THE height is 1,984m.

それでは。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
ある状況において何かが一つに決まる場合はtheがつくということですが、それでは
"Have you ever climbed Mt. Kurodake? It is a mountain in Daisetuzan National Park that is 1,984 meters above sea level" において、Mt. Kurodakeは明らかに一つに決まるのになぜtheがつかないのでしょうか。この文が間違っているのでしょうか。このままでも通じそうな気がしますが。
 じゃんけんの例についてですが、feeders氏が勝ったとして、Mr. feeders is the winner.
と確かにそう言えると思いますが、Mr. feeders is a person who won in the 'paper-rock-scissors' game. と言うことは本当にできないのでしょうか。もちろんtheの方が普通なのでしょうけど。
この問題はもう少し考えてみたいと思います。

 ところで、お聞きしたいことがあります。Gさんへの返事にも書いておいたのですが、以下はGさんへの返事の後半部分です。
 ある時、こういう文を見かけました。イギリス人の書いた文です。
 "What is Barnaba? On the form and on the back of these photos Barnaba is written."
"Barnaba ia a hospital where my brother was born." (1)

もう一つ挙げておきます。
 "Let me tell you a story of a country. A country where the people believe in freedom. A country where education and health care are free. A country where Winston Churchill was born. (2)------

後に、別のイギリス人で次の2つの英文に対してこういう説明をしてくれた人がいます。
Mr. Ozaki is a writer who wrote this novel. ---(3)
Mr. Ozaki is the writer who wrote this novel. ---(4)
例文を作ったのは私です。Mr. Ozakiがco-writerでないということを前提にこれら2つの文が
両方ともOKかどうか尋ねました。彼が言うには、両方ともOKだが、(3)においては writerの部分にfoucusがないのでaを使う。又、(4)においてはwriterの部分にfoucusがあるのでtheを使うとのことでした。
そう言えば、(1)においてはa hopitalには焦点は置かれていませんし、(2)においてもA countryには焦点は置かれていません。一方、This is the country where he was born. においては、the countryに焦点が置かれているように感じます。
(1)と(2)の文は間違っているのでしょうか。言葉を換えれば、私が質問した相手のイギリス人は間違っているのでしょうか。なお、私の感じたところでは、そのイギリス人はコンマの使い方がやや弱い(少なくとも私よりも) ように見受けられました。
 よろしくご教示願います。

--以上がGさんへの返事の後半部分です。
 そうそう、話は変わりますが、私自身は、英作文の理屈での指導の一環として、「は」と「が」の区別が必要な時、新情報や焦点の当たっている語句にストレスをおいて読んでみたりなどの工夫をしています。もっとも、生徒の方ではそう言う時の私の話を聞いていないのではないかと思いますが。

--A of B の冠詞の件ではありがとうございます。御教示されたことがらをよく検討してみます。返事を出すまでにしばらく時間がかかると思います。

補足日時:2006/08/25 21:30
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補足はGさんへですが、下での解答で一部理解していただけていないと思う点があったので答えます。


>結局、「これは安藤さんの生まれた家ですよ」という日本語訳と、「これが安藤さんの生まれた家ですよ」という日本語訳はどちらもThis is the house where Mr. Ando was born. という英文で書けてしまうということですね。

そもそも、英語と日本語は違う言語ですので、100%同じニュアンスを表現しようとするのに無理があります。まあ、詩人のごとくうまい表現を見つけようと思えば、限りなく近くなるかもしれませんが、それでも100%は無理です。少なくとも「他ならぬ個の家が」と「誰でもないMr.Andoが」の違いをtheとaだけで識別させようとすれば無理でしょう。英語でも表現を変えて「anyone but Mr.Ando」などといえば「誰でもないMr.Andoなのか」となるかもしれません。同時に日本語でも「は」と「が」だけでは人によってイメージが異なるかも知れませんので、「他ならぬ」などと付け加えると分かりやすいんです。また、質問外ですが、極端に言えば、その文章も「その家Andoさんのいえだぜ。」「Andoさんのいえでございます。」「Andoさんの家だ。」とまあいろんな解釈が出来るということになります。

英語では原則、「the」は限定したものを示し、「a」は特定しない一つのもををさすときに使うと述べました。これは、複数や冠詞があまりない日本語では理解しにくいですが、日本語の「が」や「は」など同じようにどちらを使っても解釈できる場合もあれば、一方ではないと駄目な場合もあります。「昔々、あるところにおじいさんはいました。」という日本人がいないように、it is a house where Mr. Ando was born.
は駄目なのです。ここでは、”生まれた家”という概念でいられていますが、生まれた家はだれでも一つ、限定したものであるからです。

>"Have you ever climbed Mt. Karadake? It is a mountain in Daisetuzan National Park that is 1,984  meters above sea level" ---(1)
という文において、文脈からMt. Karadakeが一つに決まることは明らかですが、the mountain ではなくa mountainが使われています。又、大雪山系において 1,984 meters の山と言えば一つに決まるはずです。

ここでは”Daisetuzan national Parkの一つの山”という意味で説明しています。1984mのものと限定はしていますが、ここで重要になるのは”mt.Karadake"が何か=”daisetuzan national park にある山(1984m)”であることを説明しているわけですね。この場合は、”生まれた家”みたいにそれ自体が複数存在してもおかしくないので、1984mというもが実際一つしかなくても、a mountainを用いてべつに問題はないわけです(通常こうなってます)。一方、質問者さんのように「唯一の山だから」という点を強調したければ、"the mountain"ということも出来ます。たとえば、

「She is a girl Ken knows」(彼女は、ケンの知っている女の子だ)を、ケンが知っている唯一の女の子なら、「She is the girl ken konws」ということは出来ます。通常分かりやすくするために「She is the only girl ken knows」とすれば明確になります。同様に「it is the only mountain」とつけると「その、ただ一つの」といった意味が強調されます。普段、「it is a mountain..」と言う場合は、どちらかというと「唯一の」という点よりもitが何なのか、つまり山だということを言いたいので、The onlyである必要はない、どちらかというと”それは山の一種だ”という意味なのでa 担っているのでしょう。

>又、"A man called Robert Smith came to see you." ---(2) において、名前がどれだけ複雑なものであっても、この世に一つしかないと思われるようなものであっても、それでもThe manにならないのは、この文が単にある出来事を淡々と述べているにすぎないからという説明でよいのでしょうか。

これも"the man called”とすることも出来ます。おそらく「あの(例の)、ロバートスミスという男が、、、」というような感覚だと思います。厳密に言えば同姓同名がいてもおかしいことではないですので、a man called Robert Smith でもおかしくはないでしょう。「ロバートって男があんたに来てね。」ってな違いだと思います。この場合はロバートスミスが何なのか=ひとりの男という意味です。

>その場合、例えば、ある日本人がアメリカ旅行中に、連れのアメリカ人に「見ろよ、あそこに古めかしい家があるけど、どんな人が住んでいるのかな」と言ったとします。それに対して、連れのアメリカ人がその家のことを説明するためにこう答えたとします。"Oh, it is the house where George Washington was born." ---(3)
この場合、単に、ある事実を述べているだけなのにtheがついています。

さて、この質問の場合、も同様です。”a house he is born”という表現が成り立つかどうか。彼が生まれた一つの家?というと変ですね。彼が生まれた場所としての家ですから、それは当然概念としても一つしか存在しません。

>私の推測では、---(1), (2)は確かに、あるいは常識的に文脈的に一つに決まるけど、瞬間的に100パーセント間違いなくそうだと判断できるものではありません。文脈を考慮してから常識的に判断することになります。

つまり、そういうことですね。要ははこの場合は複数存在する可能性があるからなんですね。でも、一つしかないかもしれない。わからないから、「the」でもいいし「a」でも言いのです。この場合は、発言者が唯一のという点を強調するのであれば「the」を用いれば言いのです。一方、(3)の場合「a」とするとおかしいいのです。「生まれた家」というのは「a house」にはなりえません。

最後に上では、「常識的に一つでなくてもいいから」とか何とか屁理屈っポイことをいってますが、普通は感覚的に、「ここでtheは不自然だ」といった感じで使われます。私がいった[限定かそうでないか}というのはその感覚として「それが何なのか=(ひとつの)山なんだ」問いいたのか「それが唯一の山なんだ」と言いたいかが「a」か「the」の違いだという点です。「a mountain」の場合後ろの部分をとっても意味がなりたちますが、「the mountain」の場合後ろの部分が重要な感じがします。こんな個といってると、なんだかthe house Mr. Ando was bornの疑問に戻りそうですが。まあ現実問題としては、仮にMr.Andoさんがという点を強調したい場合はMr.Andoを主語に持ってきた表現をしたほうが自然でしょう。

なんか分かりにくい説明になりすみませんが、参考になれば幸いです。

この回答への補足

回答ありがとうございました。

英語と日本語は違う言語ですので、100%同じニュアンスを表現しようとするのに無理があります。--とのことですが、同感です。ですから、私は、比較的レベルの高い英作文の指導の際には、新情報や焦点の位置にあるものには強勢が置かれることを生徒達に話します。もっとも、彼等が真剣に聞いているとはとても思えませんが。

 さて、a+名詞を使ってMt. Fuji is a high mountain in the south of Yamanasi Prefecture. --- (1) と書いた文と、the +名詞を使ってMt. Fuji is the high mountain in the south of Yamanasi Prefecture. --- (2) の違いは自分なりに一応理解できているように思います。

(1)の方は、Mt. Fujiがどんな山かということを単に説明しているだけですね。
(2)の方は、 恐らく直前の文脈において、ある外国人が「山梨県の南部に高い山があると聞きましたが何という山ですか」と言ったのを受けて、「富士山です」と答えた文だろうと思います。
(2)の文はMt. Fuji is the high mountain. でもMt. Fuji is the mountain. でも構わないはずです。highとか in the south of Yamanasi Prefectureとかは付け足しの情報でしかないはずです。
一方、(1)の方はa high mountainの後を切り取ると意味が取れなくなると思います。

では、これまでのご指摘から、Mt. Fujiがどんな山かということを単に説明する文において、Mt. Fuji is the highest mountain in Japan. ---(3) と書けることは確実ですが、なぜ、a highest mountain と書けないのかということが問題だったわけです。
 このことは、我々の常識から一つに決まることが明らかなものに対してはtheをつけるという約束事があるということを示しているように思います。例えば、A sun will be rising soon. と書けないように。
 では、文脈から一つに決まることがはっきりしているものになぜtheがつかないのか--というのが私が一番知りたかったことです。
 例えば、"Have you ever climbed Mt. Karadake? It is a mountain in Daisetuzan National Park that is 1,984 meters above sea level" ---(1)
という文において、文脈からMt. Karadakeが一つに決まることは100パーセント明らかです。(すでに、直前の文においてMt. Karadake? だ話題に登場していますから)

 つまり、単に何かを説明するだけなのに、ある表現に対してはaが使えるのに、別の表現に対してはtheしか使えないのはなぜか。ということが私の知りたいことなのです。私は生徒の質問に答えなければならない立場なので、是非とも明快な分別基準が欲しかったわけです。


>私の推測では、---(1), (2)は確かに、あるいは常識的に文脈的に一つに決まるけど、瞬間的に100パーセント間違いなくそうだと判断できるものではありません。文脈を考慮してから常識的に判断することになります。
 つまり、そういうことですね。要ははこの場合は複数存在する可能性があるからなんですね。でも、一つしかないかもしれない。わからないから、「the」でもいいし「a」でも言いのです。この場合は、発言者が唯一のという点を強調するのであれば「the」を用いれば言いのです。一方、(3)の場合「a」とするとおかしいいのです。「生まれた家」というのは「a house」にはなりえません。

--とおっしゃられていますが、(1) の文におけるMt. Karadakeが複数存在する可能性はありません。 つまり、言いたいことは、Mt. Karadakeについて単に説明を行うだけの文として、
"Have you ever climbed Mt. Karadake? It is the mountain in Daisetuzan National Park that is 1,984 meters above sea level". という言い方ができるかということをお聞きしたかったわけです。

 Mt. Fuji is the highest mountain in Japan. は2通りに解釈できますが、Mt. Fuji について単に説明を行うだけの文として使えます。この場合theがついています。ではなぜ、(1) においてtheがつかないのかということを知りたかったわけです。

>私の推測では、---(1), (2)は確かに、あるいは常識的に文脈的に一つに決まるけど、瞬間的に100パーセント間違いなくそうだと判断できるものではありません。文脈を考慮してから常識的に判断することになります。--と書きましたが、自分でも自信がないのです。それで、他の人達の知恵をお借りしようと思ったわけです。
よろしくお願いします。

補足日時:2006/08/25 17:24
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Gです。

 補足質問を読ませてもらいました。

>大学入試の英作文においては、THISというふうに、文頭の文字以外の文字を大文字で書くことは許されていません。

そうなんでしょうね。 私としては「表現方法」としてのTHISは英語でのフィーリング表現方法として「使われている」、そして、学校でも「強調」という項目で習っているはずなのに、試験ではだめになることについては残念と感じるしかないです。

>恐らく、区別不能なのだと思います。もし区別しようとするなら、もっと違った書き方をすべきなのでしょうね。

試験方式の文字だけで表現するにはこの英文からは無理と言う事になりますね。 つまり、アメリカ人としては「これが」というフィーリングを出したいときにはこの英文を使わない、と考えてはいかがでしょうか。 事実この表現はしないでしょうから。 言い換えると、この表現で、このまま書いて、相手に「これが」のフィーリングを受け取って欲しいと思う人はいないだろう、と思うわけです。 なぜなら、自分が生まれてからこの表現で「これが、のフィーリング」を出してその通りに受け取った人がいることを経験したことがない、と感じるから結局「じゃ、他の表現を使って表現しようっと」と感じるわけです。 

ご質問の中の状況説明として「実は」という表現を使ってこのフィーリングを狭めた表現をしていますね。 つまり、こういわないと分かってもらえないだろうな、というフィーリングがあったからこそこの「(あなたは知らないと思うけど)実は」と入れれば分かってくれるだろう、と感じたわけです。 英語でも、You may not know this・You may not have heard this, butと入れることで「これが」のフィーリングを出せる表現の一つ(二つ)として使えるわけです。

ただ、日本語としての言葉には他の国の言葉と違う表現方法をする時・便利な方法という物があるわけです。 比較に基づいた結論ですね。 この中に「は」と「が」の違いが日本人なら簡単にこのフィーリングの違いとして受け取ることが出来るわけですね、なぜって生まれてから耳にしてきてその違いがあるということを実感してきたわけですから。 

という事は今回とは逆に、外人さんがこの点を覚えるのは苦労するだろうなと思える表現でもある、と言う事なのです。

>AさんがBさんに、家の写真がたくさん集められているアルバムを見せながら、単に「この家はMr. Andoの生まれた家ですよ。」と何の感情も交えずに述べることはできるのかということを聞きたかったわけです。

はい、分かりやすく説明してくれてうれしいです。 

このご質問の中で、ある表現でフィーリングが変わっていたことに気が付きましたでしょうか。

生まれた家、という課題で書いている途中で、作った家、というトピックを持ってきて「冠詞」の違いを書いていますね。 そして、それからまた、生まれた家、のトピックに戻っていますね。

>AさんがBさんに、家の写真がたくさん集められているアルバムを見せながら、単に「この家はMr. Andoの生まれた家ですよ。」と何の感情も交えずに述べることはできるのかということを聞きたかったわけです。

theを使わないとこの「感情無し」のフィーリングとしてでも使えないのです。 

ちょっと横道にそれますね。

This is a house where he was born.
This is the house where he was born.という文章でひとつは間違いとされる表現ですがどちらが正しいのでしょうか。という質問がもしこのカテで出されたらもっと多くの回答が書かれると思います。 なぜでしょう。

なぜなら、これは冠詞の問題だ!とすぐ分かるからなんです。 そして、生まれる家は「ひとつしかない」、だから、必然的にthe sun, the earthと同じように「ひとつしかない物を示す時はtheを使う」という機械的とも言える判断が出来るように学校で習ってきたからなのです。

さて、今回はそういう「試験的質問」ではなかったですね。 そうすると、試験のためにせっかく覚えた知識がフィーリングを現すときの表現方法にスムーズに使えるようになっていない、よって、今回のご質問への回答への説明も難しくなる、と言う事なのです。

つまり、生まれた家、という表現をする時は、日本語では、「これが」とも「これは」とも違うフィーリングで表現することができるわけです。 しかし、英語では、このひとつしかない家のことを言っているためにthe houseという表現を使うために「これが」という特別な表現をすることは今回の英文では出来ない、と言う事になるのです。

逆を言うと、この情況で、「これが」といった時に「これは」というフィーリングを言っているのかを感じさせないと私は感じます。 だからこそ、英文に直した場合、このフィーリングを違う英語表現をしないと「試験的文字表現」ではでてこない、と言う事になるわけです。

私のつたない日本語のおかげで(悪い意味での「おかげ」です)かえって混乱させてしまったかもしれません。 もしそうでしたらまた書いてください。

ではまた。

この回答への補足

有り難うございました。非常によくわかりました。
THISが使えないと言いましたが、私は、普段は、大学入試のための英作文を指導している者なのです。
結局、「これは安藤さんの生まれた家ですよ」という日本語訳と、「これが安藤さんの生まれた家ですよ」という日本語訳はどちらもThis is the house where Mr. Ando was born. という英文で書けてしまうということですね。「これは」と「これが」の違いがはっきりと区別されない文にはなりますが、恐らく、大学入試で減点になることはないと思います。


 ついでに、もう一つ質問にお答え下さい。
  
"Have you ever climbed Mt. Karadake? It is a mountain in Daisetuzan National Park that is 1,984  meters above sea level" ---(1)

という文において、文脈からMt. Karadakeが一つに決まることは明らかですが、the mountain ではなくa mountainが使われています。又、大雪山系において 1,984 meters の山と言えば一つに決まるはずです。

このことの説明として、話者はMt. Karadakeのことを単に記述しているだけであって、「まさにMt. Karadakeが--」と言おうとしているわけではない。という説明の仕方でよいのでしょうか。

 又、"A man called Robert Smith came to see you." ---(2) において、名前がどれだけ複雑なものであっても、この世に一つしかないと思われるようなものであっても、それでもThe manにならないのは、この文が単にある出来事を淡々と述べているにすぎないからという説明でよいのでしょうか。


 その場合、例えば、ある日本人がアメリカ旅行中に、連れのアメリカ人に「見ろよ、あそこに古めかしい家があるけど、どんな人が住んでいるのかな」と言ったとします。それに対して、連れのアメリカ人がその家のことを説明するためにこう答えたとします。"Oh, it is the house where George Washington was born." ---(3)
この場合、単に、ある事実を述べているだけなのにtheがついています。


つまり、最終的に聞きたかったのは、単に何かを新しい情報として記述するだけなのに、(2)では常識的に言って一つに決まるのにtheがつかない。又、(1)では常識的にも、文脈的にも一つに決まるのにtheがつかない。

 ところが、(3)においてはtheがついている。
この事態をどう考えればよいか。これが、私の聞きたかったことだったのです。     

私の推測では、---(1), (2)は確かに、あるいは常識的に文脈的に一つに決まるけど、瞬間的に100パーセント間違いなくそうだと判断できるものではありません。文脈を考慮してから常識的に判断することになります。

 ところが、(3)の場合は、文脈を考慮するまでもなく瞬間的に判断できます。いや、判断の行為すら必要としません。このことが、(1), (2)と(3)を分けているポイントなのかということです。

よろしくご教授下さい。
お礼の形で入力すると字数オーバーになるので補足の形で入力しました。

補足日時:2006/08/24 17:43
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アメリカに38年住んでいる者です。

 私なりに書かせてくださいね。

英語も言葉ですね。 ですから、英語は勉強するためにあるのではなく、「言いたいことの伝達道具」なわけです。 どんな道具でも同じように、その役目をちゃんとしなくては道具といえないわけです。 ですから、いくら文法(だけ)を知っていてもいいたいことを伝えられない、つまり英語を使えない、のであれば、道具としての英語を使えない、わけです。 

私はこのカテで5年間「フィーリングもっと大事にしてください」「もっと日本語のフィーリングを感じてください」といい続けてきました。

そしてフィーリングを出すには、表現方法(つまり、そのフィーリングを持っていると一般的に認められていて生まれてから今まで聴いて慣れてきた表現)で日本では、違う説明に仕方ですが、強調して教えていますが、言い方(口調)、ジェスチャー、顔つきなどでそれを出すこともできますね。

つまり、「言い方(口調)、ジェスチャー、顔つきなどでそれを出すこともできますね」という事はすなわち同じ文章でも言い方によって意味が変わる、と言うことです。 そして、この理解は多くの人が分かっていることです(たまに学校の先生に教わっていないな、と思える人もいますが)

つまり、結局私からの回答のヒントになるわけですが、THIS is my house.という文章を見ると、THISと大文字で書くことで「これは」を強調して言うことが分かる、と説明します。 これも正しい理解の仕方です。

でも、このカテを見てきて感じることは、何か「一方通行の理解」しかこのことに気が付いていない人がたくさんいるように見えるのです。

つまり、ある文章を見たとき、「ひとつの英語表現」しかでてこない。 つまり、その日本語表現を聞いたときの状況、言った人の感情、などをまったく無視して、xxxxを英語に直すとxxxxとなる、と言い切ってしまうわけです。 そうではなく、xxxxという日本語表現をこういうときに使った場合は英語ではこうなるけど、こういうフィーリングを持っていっているのであればこういう表現にしなくてはそのフィーリングは伝わらないよ、と私は言うわけです。

さて、本題に近づきました。

この家が、という日本語の表現にはそれなりのフィーリングがあるわけですね。 この家は、では出せないフィーリングです。 つまり、あの家でなくこの家が、というフィーリングがあるときに、この家がというわけですね。 そうでなく、ただ、この家って~の家なんだよな。というようなほかの家と区別しているわけではなければ、この家は、という表現をしますね。

This is the house where Mr. Ando was born. をそのまま言えば、アメリカ人は「この家は」といっているんだというフィーリングを受け取ります。 でも、THIS is the house where Mr. Ando was born. と大文字で書いたり、アクセントを強くして言えば、この家なんだよ、この家、安藤さんが生まれた家って。という「フィーリング」を出すことができるわけです。

つまり、この同じ文章を「どう言うか」によってフィーリングが変わってくる、という事で「とり方によってはどちらでもなる」という回答は正しいことは正しいですが、じゃぁ、どういうとり方なんですか?という質問への回答も含めない限り、答えを聞いた人は、それを理解して、そして、いつか自分もこの二つのフィーリングをちゃんと相手も分かってもらえるように「しゃべれるように」なれない、わけです。 

という事で、どう文字として書くか、また、音としてどう相手に伝えるかを知ることで、フィーリングが正しく伝わる「使える英語」となるわけです。 This is my book.とTHIS is my book.という中学で習う表現を使い分けるように「しゃべる」ことが出来るわけです。

2)での状況説明ですが、theがついているということ自体が「もう既に話題として出ている」という事は考えられますが、「他の家と区別する」フィーリングを出そうとする表現としてもtheは使うということなのです。

つまり、この家は他の建築家ではなく安藤氏が作った家なんだよ、と安藤氏が、家ではなく、あの有名な安藤氏が、という「区別」を出した表現だということになります。

もしそのフィーリングを出すのであれば、This is THE house where MR. Ando was born.とTHEとMR.を強く言うことで出すことが出来るのは学校で教わったとおりです。

という事で、 This is the house where Mr. Ando was born. が必ずしも「話題にでている場合の英文」とは限らないわけです。 しかし、Andoさんのことを二人が知っている、少なくとも言い手は知っているわけです。 聞き手が知らなかったら, Who is Mr. Ando?となり、この話題に対し興味がなければ、Is that so?と軽く流したり、So? (だから?)という反応になってしまう可能性もあるわけです。

これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 
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この回答へのお礼

御回答、有り難うございました。
おっしゃることはすべてその通りだと思います。いろいろ参考になりました。
 ところで、字数の都合で質問したいことを全部書ききることができませんでしたので、もっと詳しく書きます。

会話であれば、フィーリングを出すのは比較的容易だと思います。が、本当に聞きたかったことは、--大学入試の英作文問題において、「ここが、彼が生まれた家です」と「ここは、彼が生まれた家です」を区別することはできないのかということだったのです。 
大学入試の英作文においては、THISというふうに、文頭の文字以外の文字を大文字で書くことは許されていません。
恐らく、区別不能なのだと思います。もし区別しようとするなら、もっと違った書き方をすべきなのでしょうね。

 それと、もう一つ聞きたかったことは、theをつけた場合、何かを何となく単に記述することはできなくなるのだろうかということだったのです。
 つまり、This is the house where Mr. Ando was born. の意味の取り方として、次の2つの意味
-----
(1)この家こそがMr. Andoの生まれた家ですよ。
(2)この家は他ならぬMr. Andoの生まれた家ですよ。

----以外に、たとえば、AさんがBさんに、家の写真がたくさん集められているアルバムを見せながら、単に「この家はMr. Andoの生まれた家ですよ。」と何の感情も交えずに述べることはできるのかということを聞きたかったわけです。

再考願えればありがたいです。

お礼日時:2006/08/23 17:00

「mr.andoの生まれた家」と限定している場合は、the houseになると思います。

日本語訳について、(1)か(2)とのことですが、日本語の「は」と「が」の違いは曖昧ですので、訳出については正直どちらでも言いと思います。聞いたことのあるのでは「が」は主語ですが「は」は主語以外の用法もあるなどです。個人的には、初めて出てきたものに「は」は不自然に感じるときもありますが、そうでない場合もあります。詳しくは日本語に詳しい方お願いします。

「the」か「a]は基本的には「限定しているかどうか」によります。参考書等にはよく「話して同士で共通した認識があるものがthe」となっていますが、これは日本語では感覚的に理解しにくいので、具体的なパターンを出しているだです。一方、質問の例の場合「the house mr.ando was born」と句の中で「the house 」を限定していますのでこの場合は「a house」葉おかしいです。後半の部分での例については、the houseにするか a house にするかは、「いくつもあるうちの一つの家」か、「一つしかない家」かによります。これはもっと広い意味で定義づけると、会話での背景で相手が知っているか否かという問題ではなく、話しているその家が限定されているのかいないのかが第一の基準です。「this is a house mr. ando built. he lives in the house」という場合に後者は「これはmr.andoが立てた家です。かれは”その”家にすんでいます。」と限定しているのでthe がついているのであって、すで本来は話題になったからかどうかではありません。このあたりはやや英語の「the」の[特定の」という感覚的な理由です。ゆえに、常識として一つしかないもの, the earth、などはつねにtheがつきます。もちろんearthの意味は文脈によって異なりますのでその場合はつかないときもありますが、我々が住んでる”この”地球という意味で用いる場合は必ずつきます。

”the"と”a"の違いや、単数複数の違いは実際は感覚的なところが結構ありますので、微妙な場合はネイティブによっても意見が分かれたりもしますし、どちらが必ずしも正解ではないこともあります。その辺は、日本語の「が」と「は」の違いみたいなものでしょうか。もちろんある程度の基準はありますので、全部感覚的にやればいいというわけではありません。

やっぱり我々にとって、英語で一番ややこしいのがこういった英語独特の部分、他にも完了形や、仮定法などの「時制」ですね。この辺りを徐々につかんでいくことが大切です。

専門家で無いので「自信なし」にしておきます。
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この回答へのお礼

回答有り難うございました。確かに、日本語の「は」と「が」の問題となると英語以上に難しいという気がしますね。少し、難しい分野に興味を持ちすぎたようです。

お礼日時:2006/08/23 17:05

聞き手が安藤さんと知り合いであり、且つ安藤さんの生まれた家を知りたいのであれば、(1) ここが安藤さんが生まれた家だ。

になり、

聞き手が安藤さんの知り合いで、たまたまその家の前を通りかかった又は何かその家に興味を持っているなどの場合であれば、(2) ここは安藤さんが生まれた家だ。なると思います。

もし、自分の家を紹介することを考えた場合、"ここが私の家です"と言う場合と"ここは私の家です"の使い方が微妙に変ってくるのが分かると思います。
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この回答へのお礼

有り難うございます。よくわかりました。確かに意味の違いは微妙ですね。

お礼日時:2006/08/22 18:51

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