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 英語を勉強してもうかれこれ約20年ぐらい経とうとしています。しかし、どうしても英語表現が思いつかないとき、お世話になるのが和英辞典ですよね。ところが、和英辞典にでている表現を英会話学校の授業で使ってみると10個のうち9個はまず通じません。和英辞典でチェックした単語や表現は、英和辞典でも確認しないとダメだといわれていますが、そうなると何のために和英辞典が存在するのかと考えてしまいます。ちょっとした今の私の悩みになっています。
 そこで和英辞典の存在意義や、この文章を読んだ皆さんの感想を聞かせてください。よろしくお願い致します。

A 回答 (9件)

久しぶりに和英辞典を使い、英訳をしました。

結果は失敗!

enngel さんが立ち上げられたQ239283(by myself とfor myselfの使い方)にお答えするのに、「一人で」という言い方を和英辞典で調べました。もし和英辞典で「一人で」を調べなかったら、あのような疑問がなぜ生まれたのか私には判らなかったと思います。このご質問に関しては、恐れ入りますが、そちらの方をご覧下さい。

私は英語圏の国での生活が長いのですが、こちらに来てから英和辞典も和英辞典も使う事がありませんでした。なぜかという理由は、他の皆様の仰る通りです。上で申し上げましたように、和英辞典を使い失敗してしまいましたので、自分なりになぜそのような事になったか考えてみました。

他の回答者の皆様が仰られるように、日本語から英語、またその反対の方向に訳すには、なかなか難しいものがあります。私は英語を話す時は頭の中は英語環境になっています。また日本語を話す時は日本語環境にして考えています。話す時には、英語から日本語、また逆の流れで日本語から英語とあまり苦労しないで訳す(どちらかの言葉がわからない第3者の友人の為)ことができます。しかし文章にして書き出すと、すぱっといかない事があります。それは、英語圏と日本の文化の違いや物の感じ方や論理の違いがあるからだと思います。

このサイトの質問に回答する為に和訳をする際、日本語の単語をそれに該当する英単語に置き換えて訳して行くと、翻訳機で訳したような変な英文になります。だから、日本語の文意を理解し(第一段階)、頭の中を英語環境にして(第二段階)、英語で第一段階で把握した内容を考えて(第3段階)、取りあえず英語でその内容を書き出し(第4段階)、言葉の選択を考えながら何度か書き直し(第5段階)、そして文法を確認し(第6段階)、余裕があったら更に推敲し(第7段階)投稿します。日本語から英語に移行するのにこれだけの過程を一応経ています。

だから和英辞典から英文というように、上で申し上げましたような段階を経ないで日本語から一気に英語に持っていくとenngelさんが疑問に思われているような結果になるのだと思います。

私の印象ではenngelさんは、Dictionary とThesaurusを使い、英語好きが参加する教えて!gooのようなサイト(Forum)で英語の質問をされると、お悩みになられている状況を変える事ができるような気がします。

僭越ですが、同じような過程を経て英語を学習した者としてアドバイスさせて頂きます。

これからも一緒に英語を勉強しましょうね♪
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  何故通じないことが多いかということの、考えられる理由としては:
 
  1)通常の和英辞典は、会話用のためではなく、「文章」を作文する時のための語彙が出てくるのであり、そういう風に編集しているのだろうということが考えられます。(英会話学校や通常の会話では、「現在の特定的な口語表現」が出てくるので、通じないのだということです)。
 
  2)和英辞典は編纂するのに時間がかかり、また1で述べたように、文章から表現や単語と取って来るので、「現在的」でなくなるというのがあります。少し時間がずれると、口語では、廃れて来るということがあるのです。すたれていなくとも、あまり使わないので、すぐには分からないということが起こります。(また、編纂委員などが、古い英語に親しんでいるので、最近の口語が発想として出てこないで時代とずれるということもあります)。
 
  3)和英辞典のサンプル語は、おそらく編纂時点のかなりに広い分野の文章例からサンプルを取っているはずです。その結果、非常に一般的で標準的な英語の表現が出てくることになります。しかし、英会話学校などで教えている人は、おそらくそこまで教養はないと思われます。また、日本語と違い、「共通語」がないのが英語の実状だと思います。どこ地域の標準語とか、どういう社会階層の標準的言い回しなどはあるようですが、NHKで使う国定「共通語」のようなものは英語にはないのです。その結果、和英辞典で出てくる語彙や表現サンプルは、全体的には、実在しない言語のサンプルになっている可能性があります。こんなにたくさんの表現に通じているのは、英米人でも、よほど教養があるか、色々なことを知っている人で、そうでない、若者や、特定地域の標準語に、少し、学術的一般的言い回しを知っているという人がいる語学学校では通じないというのは、当然なのかも知れません。ネイティヴが、とか、教養あるアメリカ人の友人がとよく言う人がいますが、あまり当てになりません。それは、日本人で、どれだけ日本語の色々な表現を知っている人がいるか、ということを考えてみると分かります。言語はたいへん難しいのです。口語ばかり喋る若者には、文章での少し難しい表現は伝わらないというのは、別に英語に限らず、日本語でもそういうことがいえます。和英辞典では、口語を喋る若者の言葉を出すためにあるのではないというのがあります。
 
  4)和英辞典そのものに、努力すれば克服できた困難と、努力しても克服できない困難あるいは欠陥があります。前者は引いて出てくる言葉や表現の「水準」を揃える、あるいは水準に区別を付けるということで克服できます。また、日本語にあまり通じていない編纂者がいる結果、提示訳語に問題があるというか、間違っている場合があります。後者のどうしても克服できない欠陥は、全体の提示語彙や表現の水準や整合を取ることが原理的に不可能なために起こる結果です。つまり、100の語彙水準あるいは、整合水準が普通の英語使用者にあるとすると、辞書は、1000ぐらいの水準で、整合も、総合的、悪く言えば、出鱈目になっているのです。100の水準の人は、ある動詞は使い、ある名詞を使い、しかし、こういう動詞、名詞、言い回しは使わない、というのが普通なのですが、辞典は、それらも、全部、混ぜて出てきます。1000だというのは、そういう意味です。
 
  それと、日本語の表現に正確に対応する言葉や表現が英語には、原理的にないというのが決定的な困難の理由です。この言葉なら、この英語の動詞のはず、というのが出て来ないで、よく似たニュアンスだが、違う日本語の単語で引くと、その英語の言葉が出てくることがあります。辞書の大きさにもよるでしょうが、全部、表記して、用例説明する訳にはいかないので、連続したものを、どこかで切らねばならないので、ずれが出てきて、たくさん単語を引くと、ずれがもの凄く大きくなって来ます。日本語と英語と両方について、意味連続を、どこかで切って、或る程度恣意的な選択になるので、どうしようもなく問題が出てきます。
 
  5)和英辞典は、相当に英語ができる人が使用しないと、間違いだらけになります。日本語で引いてみると、ある訳語があるので、それを使ったところ、全然間違いだということがあります。英和辞典で、その単語を引いてみると、元の日本語に、自分が意図したのと違うニュアンスの意味があり、その意味の方向にずれた訳語が出ていたという場合があります。従って、よほど自信がない場合は、和英で引いて出てきた用例・単語は、全部、英和か英英で引いてみて、意図したような意味があるか、余計な意味はないか、確認しないといけません。
 
  和英で引いてみて、たくさんの単語が出てきて、意味的区別が簡単に記されていて、共に使う前置詞とか、節などの表示や、用例が出てくる和英辞典は割りにいい辞典で、これである程度見当がつけれますが、その場合でも、自信がない場合(つまり、自分の知っている表現で、記憶で出てこないものを和英で出すという場合は別として)、英和、英英で意味や用法の確認をしないといけません。
 
  6)日本語を英語で翻訳する場合、日本語原文に、こういう単語が使われていたので、それで和英を引いていると、全然違うことになることがあります。つまり、「形式的に」そういう表現があるという結果が、英和や英英でも出て来るのですが、実は、元の日本語の訳になっていない場合があります。これは、日本語の理解力の問題になります。原文は何を言いたいのか、という的確な把握を行わないと、適切な英語での表現も出てきません。
 
  わたしの経験では、和文英訳で、元の文章がすでに他者の造ったものとしてある場合でも、当然、「意味を汲み取って」訳すので、しかし、文章をそれらしくするため、勝手に、元の文章での表現にないものを入れたり、あるものを削ったりは、無用に行うのは控えます。というのは、よく日本語を読むと、「曖昧さ」が入っていることが非常に多いのです。日本語を書いた人が下手であるので、曖昧である場合と、上手なので曖昧な場合があります。どちらにしても、何か原文とは違うものにしないと、英米人の思考パターンに合致しないので、「分からない」ということになります。文化的な差異です。この場合、「分からない」人が、本当は、文化的多様性に対する教養がないのですが、普通は、文章の問題になります。
 
  日本人の英語は、外国語として学び、そのスタンダードな形を学ぶので、或る意味で、非常に標準的な綺麗な英語であることが多いのですが、そういう英語が分からない、口語的で無教養な人が結構多いのです。語学学校を経営していて、自分自身でも、英会話を教えていて、更に、翻訳者・通訳者の養成講座も教えている人がいましたが、その人の翻訳した和文英訳というのを見て、あきれたことがあります。確かに、口語的に、一見流暢な英語らしい表現になっていて、分かり易いのですが、原文の日本語は、まったくそんなことは書いていないからです。日本語として、そんなに難しい表現ではないのですが、英語にするのは、かなり難しい文章なのです。この場合、日本語の文章の意味がまったく分かっていなかったのです。単に、それを分かり易い英語の口語に変えただけで、英語として読むと、筋の通った文章になっているのですが、原文と較べると出鱈目だという例です。
 
  和英辞典を引かねばならないような場合は、元の日本語も、なかなか英語にならないのだと考えるのが必要でしょう。英語の発想と、その表現の意味空間は、日本語のそれとは、違っているのです。英語で思考していれば、通じない表現にはならないでしょう。しかし、和英辞典は、通じない日本語の発想を英語に直そうというので、最初から、通じない可能性が高いということです。あくまで、参照にすべきで、そこから、色々と英語の表現や単語を捜して行き、それらしい英語の表現を見つけるための中間の道具だとも云えます。単独では、使えないものですし、初心者が使えるものでもないと思います。
 
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和英の使い方、


忘れたスペルを見つける。
漢字を見つける(国語辞典が手元に無い時)。
会話の為なら、ほとんど使い道ないですね。
口語辞典の方がいいです。
結局、語学学習って母国語がいかにしっかりしているかと言う事だと
私は思ってますので、ニュアンスなどの解釈なんかには、和英辞典は登場します。
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質問者さんの悩み、わかる気がします。


折角調べたのに「それでは通じない・別の意味に取られる」「その単語では余計な誤解を生むから使わないほうがマシです」みたいに言われてしまうのでしょう?


すばり、
和英辞典は日本語の発想で、
英和時点は英語の発想で、
単語が整理されているから、合致しないんだと思いますよ。


例えてみるなら、『出勤前にすること』
聞いて、皆さんは、何を連想します?

Aさんは、と言えば、
まず目覚ましを止めて、カーテンを明け、パジャマを脱いで、下着を取り替えて、天気予報を見て、服を選んで、着て、髪を溶き、顔を洗い、朝飯はコンビ二のパンとおにぎりどっちにしようかなと考えること、
かも知れない。

Bさんは、出勤前にすること、と言ったら、
カーテンを閉め、朝刊・夕刊を隅々まで読んで、メークをしっかりやり、香水をつけ、子供の夜ご飯の用意をすること、
かも知れない。

・・・分かります?
AさんとBさんは同じ「出勤前」と言っても、
お勤め先や時間帯など事情が異なっているので、
発想が全然、共通しないのです。

和英辞典と英和辞典の互換性のなさも、
結局はそういう「発想の違い」から起こる現象だと、
私は思っています。

英語を母国語とするひとにはそのひとたちなりの、
「言葉の整理の仕方」「概念」「定義づけ」がある。
それは、日本語しか知らないものたちから見たら、

「え!!何でその意味とその意味が、一つの単語ですまされちゃうわけ??」
「え!!何でどうでも良いような言葉が1つですまされず、細かいニュアンスみたいなもので使い分けなきゃいけないわけ?」

と、疑問は果てしなく沸き起こるはずのもの。
それで当たり前だと思います。

だから、和英辞典と英和辞典は、少しでも誤解を避けたかったら、少しでも共通する概念を捜して、両方使わなきゃ意味が無い。

私は、そう思って、すごく楽しんで、使っています。
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私も皆さんと同じですね。


日本語を英訳する時は英和辞典を使います。
おかしいですか?

つまり、和英辞典で和単語に対する英単語の候補をいくつか拾います。
そして、そのひとつづつを英和辞典で調べて、一番しっくりくる単語を探すわけです。

先日も、歌の題「命のあさがお」を訳しましたが、「The Moning Glory of the life」では変ですよね?
で、「The Encouraging Moning Glory」と訳しました。
そんなもんじゃないですか?
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確かに和英辞典は全く知らない単語を引く場合はリスキーです。

欧米語同士ならある単語に対応する言葉があり比較的問題はないと思われます(それでも2割ぐらいのリスクは残るかも)日本語の場合は言語の系統が全く異なり背景にある文化も異なるので対応する正確な単語を選ぶためにはその英単語を正しく理解する必要があります。従って、度忘れしたとき、或いはヒントを求める時には非常に役立ちますが、全く知らない単語を単純に日本語→英語と決めてかかると誤訳だったり、ニュアンスが異なったりするでしょう。同じことは英語→日本語にも起こります。
例えばSpeakerは人と拡声器の二つの意味がありますね。one case of speakersを日本語初級の外人は「演説者入りの1個のケース」と翻訳する危険があります。

和英辞典の正しい使い方は、必ず英和辞典、英英辞典でその意味と用例を確認する事です。或いはおなじ意味を表す他の表現に変えて使うことです。
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まず、適当な英単語が思いつかなかったとき、どうしますか?


いきなり、英和辞典は引けませんよね。だから、そのまず第一歩として
和英辞典があるのだと思います。

英語と日本語とは、単語のレベルでも、文章のレベルでも一対一に
対応することは、ほとんどないと思います。ですから、和英辞典を
ひいても、すぐに適切な表現がみつかることは稀なのかもしれません。

また、和英辞典(英和辞典も)では、簡単な文章、それも書き言葉の文章
がのっていたり、シェークスピアや聖書など、名文から例文を取って来たりする
ことが多いので、なかなか口語体の文章にマッチしないのも当然でしょう。

とにかく、適当な英語が思いつかなかったら、和英辞典を引く。これは、
これで完結することではなく、よい表現を見つける第一歩だとかんがえれば、
和英辞典の意義は大きいと思います。
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私は和英辞典は手がかりをつかむためのものだと思っていますね。


自分の言いたい表現、イメージを表す英語の言葉が出てこないとき、和英がないと先に進みませんから。
和英も英和も結局一番近い表現を書いてあるだけなので、あくまで手がかりとしてしか使っていません。

最終的には英英辞典とweb searchでの用例に頼っています。

もちろん固有名詞などは英和/和英は非常に重宝しますが。
英英辞典での、例えば動物の説明などはほとんどなぞなぞみたいな物ですから(笑)
病気の名前などのテクニカルターム(うーん。和製英語に近いなこの言葉も)もそうですね。

そう言えば私の持っている和英(ジーニアス)は、和英のなかに英和が入っています。(和英で示した単語の英和がその下に載っている)
すこし便利ですね。
和英を手がかりとして、普段は英英辞典を使われることをお薦めします。
英和は固有名詞/テクニカルタームのために使います。

では。
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私の場合は、CD-ROM版の英和辞典を検索して、日本語に対応する英語を調べています。


和英辞典の存在意義は、このような使い方では調べきれない日本独自のものの英語表現を知ることだと思っています。
なぜ通じないことが多いのか? の直接の回答にはなりませんが、ご参考となさってください。
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