(1)規模は小さいが昔のままの建物や町並みが残る

(2)昔からの建物などは歯抜けだが比較的大規模のまま町並みが残るところ

以上、2点で門前町と城下町を各々教えて下さい。

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A 回答 (1件)

「重要伝統的建造物群保存地区」という国の制度があります。

所管は文化庁。

文化財保護法に基づいて、城下町・宿場町・門前町などの、全国各地に残る歴史的価値の高い集落や町並みを保存するもの。
平成16年の時点で、59市町村66地区が指定されています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/toushi …

下記のサイトには、55市町村62地区が地図と写真つきで紹介されています。
『全国伝統的建造物群保存地区協議会』
 http://www.denken.gr.jp/


そのほか、いわゆる「小京都」と呼ばれている町が全国各地にありますね。
『全国京都会議』には、現在50市町が加盟しています。
http://www.kyokanko.or.jp/shokyoto.html
過去に加盟していた町や、それ以外にも小京都と呼ばれてる町は多数あるようです。
『ウィキペディア』より、「小京都」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E4%BA%AC% …
 『小京都ドットコム』
http://www.little-kyoto.com/


ごく小規模ですが『小江戸サミット』というのもあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E4%BA%AC% …
http://www.mokkokan.co.jp/koedo-summit.html
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この回答へのお礼

詳しい回答、ありがとうございました。
参考になりました。

お礼日時:2006/09/13 21:06

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Q門前町? 城下町? 寺内町?

地理Bの質問なんですが
上の3つを識別するときのぽいんとを教えてください
(センター試験でしかつかいません)

Aベストアンサー

門前町は
大規模で多くの参詣者を集める神社や寺院の前に、寺社関係者および参拝客を相手にする商業施設等が集まることによって出来た町のこと。
広義の意味では寺内町も含まれる。

また、寺内町は、室町時代に浄土真宗などの仏教寺院・道場(御坊)を中心に形成された自治集落のことを指します。
濠や土塁で囲まれるなど防御的性格を持ち、信者、商工業者等が集まって住みはじめた町です。

城下町は
その名の通り、領主の居城を中心に成立した都市のこと。
江戸期以降は、必ずしも城が中心ではなく、戦闘を想定しない行政施設としての陣屋を中心としたケースもある、それらも含めて城下町といいます。

Q「霧の町ロンドン」はいまや昔の話ですか?

霧の町ロンドンと昔はいったがいまはほとんど霧は発生しない。
霧の原因は石炭を燃やした煤や排気ガスなので、今はそれがなくなったから。
という話を聞きました。
これは本当でしょうか?
今はロンドンに霧は発生しないのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 ここ数年ぐらいの話ですが、結論から言えば、今日でもけっこう霧は出ていました。

 海流のせいだと聞いていますが、あれほどの高緯度にあるイギリスにしては、冬でも、もちろん暖かいとはいえませんが、赴く前に心配したほどには冷え込まなかったように思います。

 ただ、日本と違うのは、冷え込んでくると湿度が高くなる.......ようで、そこに真冬には霧が発生する条件のひとつがあるように思います。

 もちろん今日では石炭を燃やすということはごく少ないのでしょうが、その煤煙に代わるのが自動車や産業施設から排出される排気ガスで、こうしたものが霧を発生させる媒体になっているのではないでしょうか。

 たしかに、ディッケンスやコナン・ドイルなどの作品に出てくるような濃い霧となると、今のロンドン市街では珍しいとは思いますが、それでも、たとえばお昼頃でもロンドン塔の入り口付近からわずか数百メートルほど先に見えるはずの有名なタワーブリッジが、なんとかそれと分る程度にしか見えなくて、日本からのお客様をがっかりさせたといったこともありました。

 また、ロンドン市街をちょっと出た郊外だとか、国鉄で二時間弱ほど乗ったぐらいの北にあたるバーミンガムなどでは、夜になるとかなり濃い霧が出て、ガードレールがない分余計に車の運転がしにくかったといったことは何度かありました。

 対岸のオランダ北部はその点、同じ時期ではとても寒いのですが、そのわりにはあまり濃い霧はでなかったように思います。
 

 ここ数年ぐらいの話ですが、結論から言えば、今日でもけっこう霧は出ていました。

 海流のせいだと聞いていますが、あれほどの高緯度にあるイギリスにしては、冬でも、もちろん暖かいとはいえませんが、赴く前に心配したほどには冷え込まなかったように思います。

 ただ、日本と違うのは、冷え込んでくると湿度が高くなる.......ようで、そこに真冬には霧が発生する条件のひとつがあるように思います。

 もちろん今日では石炭を燃やすということはごく少ないのでしょうが、その煤煙に代わるのが自動...続きを読む

Q碁盤の町と放射の町

都市は「碁盤型」と「放射型」に分けられると思います。東京は「放射」大阪は「碁盤」。無論、京都、奈良は碁盤。N.Y.、ロスは碁盤。パリ、アムステルダムは放射。
結果、東京の育ちの人は歩行中「東西南北」を意識しないなどの違いが出るようです。又東京の中でも日本橋、東京から銀座新橋までは碁盤、渋谷、六本木、池袋、飯田橋あたりは放射状です。
1.他の都市はどうなんでしょう?
2.この二つの形の分かれ目はなんでしょう?どういう発想で二手に分かれるのか? どっちが自然なのか。
3.他の形はあるでしょうか?(むちゃくちゃ型?)
4.2パターンの功罪はなんでしょう。又好き嫌いはありますか?。

Aベストアンサー

 MONKEYMONKEYさんは非常に理解が早いですね。こちらも手を抜くことができません。ところが、僕の手元に、現在資料がほとんど残っていないため、今回の回答は「自信なし」です。
 言い訳がましいのですが、会社の業務でこれをまとめたものですから、その際に使用した資料は当然ながら会社のものなので、当時勤めていた会社にほとんど置いてきているのです。
 私は都市計画の専門家ではなく、ましてや歴史の専門家でもありません。ここに書かせていただいていることは、都市の防災を考えるにあたって、都市の発達史を明確にしておく必要が業務上でてきたため、まとめたものなのです。(私の素性は、回答者の私のハンドルネームをクリックして、私が出している回答を覗いて下さればすぐご理解いただけると思います。)
 従って、歴史上の細かい具体的なことになると、正直言って手元に資料がないとお答えできないのです。
 ごめんなさい。

1)争奪戦は、わかりやすく言えば「戦国時代」のことです。室町末期の群雄割拠のように捉えて下さっても良いかと思います。細かくは、手元に資料がないので説明できません。すみません。
 都市の時代として捉えると、「大将が住む一つの街」=「大将の国」=「ある程度経済的に自己完結する都市」のように考えることができます。

2)「一つの都市」=「一つの国」づくりが終わったことを象徴的に捉えて、「江戸時代」と言いました。国同士の争いがなくなり、日本全部の都市が集まって一つの国となったことから、都市間相互の経済的交流が本格的に始まった、という事です。

 これら1~2については、「日本の城下町」という名前だったと記憶しているのですが、この本を参考にしました。この本は、日本国内のいくつかの代表的な城下町について、都市形成の初期から最近の鉄道駅までの歴史を、各歴史段階ごとに地図で示しながら、都市の発達を解説している本です。この本を見れば、具体的に答えられるのですが、すみません。

3)「放射状の街」というのは、実は全く意味が異なるのです。日本の都市開発を見てみると、放射状の街が造られる(または計画される)のは、明治以降だと記憶しています。争奪戦に強い町作りは、放射状のように整然とした町作りではなく、全くその逆で、入り組んだ複雑な街路と家に象徴されます。これは、大将を守るため、自分の都市に入った敵方が、容易に大将の陣地まで近づけないように配置したものです。
 こような入り組んだ配置は、戦国時代には明確に形成されていましたが、荘園の頃までさかのぼっても形成されていたのか、僕の記憶にはないのです。すみません。ただし放射状の都市ではなかったことは、確実です。
 ここで話題が少しずれますが、僕が書いている「都市」と「街」について明確にしておかなければなりません。僕は「都市」を、「街」のたくさん集まった、例えば広義の「東京」や「大阪」と考えています。「街」は「渋谷」とか「新宿」のように考えています。
 東京も、江戸時代頃まで遡ると、小さな宿場町(例えば新宿:新宿は内藤さんが造った新しい宿場町でしたので当時は内藤新宿と呼ばれ、そして現在の新宿という地名になった)を、街道によって接続され、形作られていました。
 明治以降から昭和の初め頃まで、東京には「街」を開発する地的余裕があったたため、新たに「モダンな」町作りが行われていました。この時の開発は、争奪戦の頃のように「独立した経済」圏としての「都市」や「街」を造る必要がないため、「住居」専門の町作りが行われていました。もちろんその背景には新しい職業「サラリーマン」の出現もありました。この際に参考になったのが、外国の住居の街でした。これが「放射状の街」です。「放射状の街」は、設計思想として明確な考え方があります。僕の記憶では、思想的・宗教的象徴を中心に配置して、そこから放射状に街路を配置することで、中心への帰属意識が高まると同時に集まりやすい。さらに同心円状に街路を配置することで、目線として行き止まりをつくり、こぢんまりとした小さい生活集合体意識を持たせる、確かこのようなものだったと記憶しています。間違っていたらごめんなさい。この思想的中心を鉄道の「駅」に置き換えて、開発した街として、「田園調布」をあげることができた記憶していますが、これも間違っていたら、ごめんなさい。
 しかしこの僕の3に関する記憶は、たぶん間違いです。すなわち「放射状」は小さい「街」単位のみで、「東京」のような大きい都市には計画されていない、と記憶している事です。なぜなら、おっしゃるように、東京には放射状に郊外へ延びる幹線と、環状の幹線がいくつもあるからです。
 放射線と環状線の幹線道路基本計画は、これも僕の記憶では、関東地震(大正11年)の復興計画だったと記憶していますので、前に紹介した本を、なんとか入手して読み直さなければなぁ、と思いました。

 日本の主な都市は、第二次大戦時のアメリカによる空爆で、ほとんどが壊滅しています。それ以前は、東京のように地震による壊滅が発生していない限り、戦国時代の幹線のままです。
 現在各主要都市に見られる放射状の幹線は、大部分は終戦後に計画されたものと記憶しています。これもまた、間違っているかも。

 最後は、お粗末になりました。
 だめですな、こりゃ。

 あれっ、関東地震って大正11年でしたっけ?
 本当にだめだ。

 MONKEYMONKEYさんは非常に理解が早いですね。こちらも手を抜くことができません。ところが、僕の手元に、現在資料がほとんど残っていないため、今回の回答は「自信なし」です。
 言い訳がましいのですが、会社の業務でこれをまとめたものですから、その際に使用した資料は当然ながら会社のものなので、当時勤めていた会社にほとんど置いてきているのです。
 私は都市計画の専門家ではなく、ましてや歴史の専門家でもありません。ここに書かせていただいていることは、都市の防災を考えるにあたって、都市の...続きを読む

Q出雲崎町の中の旧町名(町名変更)について

新潟県三島郡出雲崎町の中の旧町名(町名変更)についてお尋ねいたします。
「出雲崎町史(通史編下巻)」を拝見しておりましたところ、明治の初めの頃の町名ですが、「中丁」という町名が記載されておりました。

明治の初めの頃、出雲崎町の中には、「住吉丁」、「岩井丁」、「岩井ニ丁目」、「羽黒丁」、「中丁」といった町名があったようです。

この中の「中丁」という地域は、現在の出雲崎町の中のどのあたりに該当するのかを知りたいのです。

出雲崎町役場や出雲崎町教育委員会にお尋ねいたしましたが、古い時代のことであり難しいようです。出雲崎町の中の町名の変遷について何か資料があればよいのですが、見つけられませんでした。

出雲崎町史を拝見したのは、新潟県立図書館においてですが、北海道に住んでいるため新潟県立図書館を再度訪問するのは容易ではありません。

この、出雲崎町の中の「中丁」についてご存知の方がいらっしゃれば、ぜひとも現在の地名をお教えください。どうぞよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

同じ新潟県に住んいます。

ざっと見てみましたが「住吉」「羽黒」に関しては現在も、「町」に変わっただけでそのまま残っているので間違いないでしょう。

この町内はいずれも旧三国街道と北陸道が交わる付近の町内ですので「岩井」「中」も街道沿いかも知れませんね。

そして「羽黒」と「住吉」に挟まれる格好でやはり三国街道沿いに「石井」という町名があります。

「岩」と「石」・・・ちょっと怪しいですね

昔の住所等ならお寺に聞くのが確実なんでしょうが、岩井、中が何処なのか判らなくては寺も探せないと思います。

でも寺って一村に一軒て訳でもないですから、もう一度出雲崎の教育委員会に電話して「住吉」「羽黒」にある大きそうなお寺の電話番号をに聞いて、そのお寺で聞いてみるのも一つの手かと思います。

出雲崎は「妻入り」や「良寛」、北前船の集積地、佐渡の金銀の荷揚げと歴史好きには魅力的な町ですね。

Q神田錦町や神田美土代町のように、洒落で名づけられた地名を紹介してください

神田錦町(一色という旗本の屋敷があったため)や神田美土代町(神田の別の読みが「みとしろ」であるため)のように、シャレで名づけた地名を紹介してください。

Aベストアンサー

シャレというかちょっと変わった地名を紹介します。
「小此木」群馬県伊勢崎市、広瀬川(旧利根川)の渡河地点の地名で、越場・・・小柴・・・小此木(柴を2文字に分解)となりました。
「大根婆様」長野県南部の小字地名、織田信長と今川義元の戦いで有名な桶狭間と同じ狭間(はざま)地名で、「はざま」がなまって「ばあさま」になり、大根婆様になりました。


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