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 考古学上の遺跡で、古代ローマの遺跡なんかは石造りでそのまま残っているのでわかります。
 ところが日本の登呂遺跡や丸山遺跡なんて、残っていたのは木の柱が立っていた穴とか、土器とか石器とかでしょう?
 どうして建物の形がわかるのでしょうか。高床式の倉庫だとか、もっともらしく復元されていますが、なんでわかったのでしょうか。どんな根拠があるのでしょうか?

A 回答 (3件)

三内丸山遺跡の建物跡については、「立派な建物」説もあったのですが、「縄文人みたいな野蛮なやつらにそんな立派なものが作れるはずがない」という横槍が「偉い先生」から入って、復元模型はいちばん粗末なものになったそうです。

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 おっしゃる通り復元されたものは想像です。

恐竜と同じです。恐竜の化石が見つかって、大体の体格は復元できますが、皮膚の色などは、すべて想像ですよね。
 三内丸山遺跡で発掘された、六本柱建物は、ただ、大木を六本立てただけなのか、いくつかの横板があったのか、いまだに専門家の間でも意見が分かれています。
 ただ、何の根拠もなく復元したのではありません。おもに、発掘された土器や鏡に刻まれた絵、埴輪などをもとにして復元されています。
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古代建築様式を柱穴から想定するのは確かにリスクが伴うでしょう。

今、どこかで柱穴が日本ではじめて発見されたのならその復元に苦労すると思います。現実には
遺跡発掘は100年の歴史があります。又我が国には古代から延々と伝えられてきた神社建築があります。伊勢神宮では20年に一回建物全てが新築されます。古代が今に生きているのです。

遺跡から発掘される遺物に古代建築を示唆するものがあります。家型の埴輪や焼物に線刻された建物の絵も参考になるでしょう。ドクロ(頭蓋骨)から生前の顔が復元可能なように、建物の穴があれば柱の大きさが分かります、穴の深さから柱の理論上の高さが計算できます。このように周辺情報を日本の例だけではなく海外の例(多くは今日も同じ建築物を見ることが出来る)も含めて研究することにより、ほぼ正確な復元が可能となるでしょう。多くの遺跡では屋根や壁が土に返ってしまっているので、材料や屋根の形の復元は簡単ではないようです。しかし、幸運にも
失火や儀式で焼かれた家が残っていて材料や形が想定できるようです。

古代の家の完全な絵が残っていない限り100%正確な復元は出来ないでしょうが、古代人の生活を想像するに足りるだけの復元なら十分可能だと言う事です。

石造りの家でも屋根は木材と草木等で葺かれていたので100%正確な復元は困難な筈です。復元された遺跡は屋根がありません。観光客用に一部屋根をつけた建物はありますが・・・
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