いま、アメリカと戦争してた頃の、歴史の本を読んでまして。その本には、山本五十六の事が度々でてくるのですが。

山本は軍部の中で、アメリカの怖さを客観的に知り抜いた数少ない戦略家だった。陸軍の連中は、軍事オタクのバカばっかりだった。陸軍には、予算や経済観念、常識が無い。視野が狭すぎる。

という様な事が書かれてまして。ホントにそうだったのかなあ。陸軍の中にも、冷静な戦略家はいなかったのか?東條を初め、陸軍が権力を握って独走したのでしょうか?

A 回答 (3件)

この質問は、実際のところは明治維新より続く問題に、面子が絡んだものですから、非常に難しいのですが・・・



陸海軍の対立は、陸の長州、海の薩州といわれるころより続いていた問題です。

当時、会戦のころは国内情勢が結構逼迫しており、もし弱腰になったら、2.26や5.15のようなことが起こる可能性は十二分にありました。
また、国民世論の面でも、弱腰=政権崩壊の可能性があったりと、なかなか厳しい状態です。

陸軍と海軍の力関係ですが、組織の上では一応対等となっています(実は明治維新後しばらくは陸軍が上だったのですが、その後に海軍が黄海海戦での戦果や日本海海戦の大勝利を盾に地位を巻き返したのです)。
しかし、満州事件や日中戦争など、陸軍主導の拡大政策が、ある程度の成功を収めていた上、海軍大将でもあった米内内閣なんかの政治成果があまり芳しくなかったことなどもあり、やや国内政権は陸軍に主導権がありました。

なお、質問者さんが読んだ本は、少々海軍贔屓過ぎるような気はしますね。
私も(土地柄)海軍贔屓であると思いますが、陸軍を、軍事オタクの馬鹿とするのは、少々過小評価しすぎかと。

そもそも、当時の陸軍大学、海軍大学といえば、帝国大学(現東大)と同等以上のエリート大学ですから、基本的に馬鹿はあんまりいないのですけどね・・・
東條も、決して馬鹿ではありません。馬鹿では陸軍大将で総理大臣にまではなれませんから。

ただし、アメリカに対する認識がしっかりしたものであったかと言うと、そうとも言えません(この点が、陸軍批判の最大の原因)。
これは、当時の陸軍海軍の教育方針に違いがあります。
当時まだ日本は、後進国ですから、陸軍大学や海軍大学をでた、いわゆるエリートはほとんどが海外留学をします(もちろん、駐英次官だったりという肩書きで、ですが)。
で、陸軍の留学先ではドイツ、フランス(どちらもいわゆる陸軍国)が主だったのですが、海軍の留学先は米英が多かったです。
結局はこの違いです。米英に留学している人が多い海軍のほうが、アメリカのことを多く、そして良く見ていたのは、ある意味当然でしょう。
しかし、これをもって「視野が狭い、常識がない」とするのは、少々性急でしょうね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>陸海軍の対立は、陸の長州、海の薩州
>組織の上では一応対等と(実は明治維新後しばらくは陸軍が上だったが、その後に日本海海戦の大勝利を盾に地位を巻き返した
>しかし、満州事件や日中戦争など、陸軍主導の拡大政策が成功、海軍大将でもあった米内内閣なんかの政治成果があまり芳しくなかった

>やや国内政権は陸軍に主導権■やはり陸軍が優勢だったんですね。それにしても両者に歴史ありだったんですね。

留学先のパワーバランスが影響したかと、思いました。パックスブリタニカとパックスアメリカーナを思い知った海軍。
一方、一次・二次と敗戦国ドイツに行った陸軍。

>なお、質問者さんが読んだ本は、少々海軍贔屓過ぎる
僕もそう思います。ただ論点を単純に分かり易くするため、僕の質問文の書き方に誇張があるのは認めます。

お礼日時:2006/09/10 23:18

私は海軍と陸軍の政治に対する姿勢の違いと思います。


元々海軍は、軍人は政治に関わるべきではなく、命令を忠実に遂行するという思想があり、陸軍は軍が政治を動かすという思想があったようです。
松下政経塾の橘秀徳氏の分析では

1.陸軍は、自らの考えを推し進めるために、陸相を内閣から引き下げ、内閣をつぶすというごり押しまでやっている。
また、右翼を扇動して、海軍省に押しかけるという脅迫紛いの事までやって、陸軍の権益(戦争を遂行して権益を増やす)を守ろうとした。

2.条約派と艦隊派の対立という海軍内の対立。
既に八八艦隊を建設するために海軍は29%もの国家予算をとっており、これ以上の負担は日本の国力では無理な段階に来ていた。
そこで、米内光政は山本五十六海軍次官・井上成美軍務局長と手を組んで、加藤友三郎元海相の「国防は国力に相応ずる武力を備うると同時に、国力を涵養し、一方外交手段により戦闘を避くることが目下の時勢において国防の本義と信ず」という言葉のように、自由競争ではアメリカに負けるので、条約を締結して、分に見合った軍艦を作ろうとしたが、何が何でも大艦隊を作ろうとする艦隊派との対立が強まった。
この中で、条約派の山本五十六海軍次官などが連合艦隊長官などの現場に転出し、政治の中枢から去ったため、艦隊派の勢力が強くなり、陸軍と共同歩調をとるようになった。

3.新聞などで世論を煽られ、海軍も国民の声を無視できなくなってきた。

以上のことから、海軍の良識派は一掃され、戦争に反対できなくなってきた。
上記を見れば、陸軍が戦争を進めた理由もわかると思いますが、恐らく誰も戦争になるとは思っていなかったのではないかな。
戦争を声高に叫んで予算を取り、権益を拡大していく。
権益が拡大すれば、一般将兵も潤うので下も支持をするし、国民もお国のためと納得してしまう。
ある日、戦争が不可避と判って、東條などの指導者も拙いと気が付き戦争回避をしようと考えるが、下からは日和見と言われかねない、もう引っ込みが付かなくなり、やってしまう。
当然、計算では勝てないことは判っているので、精神論に頼るようになり、そのうち何とかなるのではないかなと、期待が出てくるという悪循環。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご助言ありがとうございます。

>政治に対する姿勢の違い。
>海軍は、軍人は政治に関わるべきではなく、命令を忠実に遂行する、
>陸軍は軍が政治を動かすという思想があった
■へえ、知りませんでした。思想か。海軍はシビリアンコントロールに近く進歩的だったんですね。
■陸軍はヒトラーの手法を手本にしたのかも。

お礼日時:2006/09/10 23:24

陸軍の言い分もある程度は理にかなっていたようです。



日米開戦の前、中国戦線では相当優位に立っていましたから、
「ここで停戦せよ。」
これは相当残酷だったようです。
今は無き英霊に申し訳も立たないのです。

つまり、アメリカの交換条件を飲む事が出来なかったのです。

終戦間際、
海軍の艦隊は全滅しています。
最後に勝ったのは、ガダルカナルの夜戦が最後でした。
その後、負け続けます。

しかしその頃陸軍は、
海路と言う補給路を断たれた状態を脱する為、

中国大陸を南北に縦断する補給路を完成させます。
相当な犠牲の元、命令を遂行します。

これが、
海軍は負けたが、陸軍は負けてはいない。
局地戦では勝っている。
負けたのは海軍が悪い。

この根拠でもあるのです。

陸軍の中にも栗林中将のように、
米軍に一矢報いた名将もいます。

但し、
対戦車兵器の欠落。
勝ちようの無い孤島での奮戦。
後方を占領し、補給路を断つ米軍の戦法。
それに伴う補給無しでの戦闘。

こう言う状況下、果敢に戦ったと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご助言ありがとうございます。

調べてみました。こんな英雄もいたんですね。日本人として記憶にとどめます。

名將「栗林忠道」(くりばやし ただみち、1890年
「アメリカとだけは戰ふな」、さう主張し續けた帝國陸軍屈指の知米派◆皮肉にも米海兵隊の大軍を硫黄島に於て迎へ撃ち、壯烈な戰死を遂げる◆米国とカナダの駐在経験があり、陸軍の中では珍しい米国通◆硫黄島の戦いで米軍との激戦を指揮し、最後は自ら200名の兵士と共に突撃を行い戦死した。

お礼日時:2006/09/06 23:34

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q日本軍の刀で行う敬礼

太平洋の奇跡で最後にその敬礼をやっていたのですが
そのやり方がわかるサイト無いですか?

Aベストアンサー

 下記に刀の礼の写真があります。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%AC%E7%A4%BC#.E5.B8.9D.E5.9B.BD.E9.99.B8.E8.BB.8D.E3.81.AE.E7.A4.BC.E5.BC.8F
下記にも陸軍の「抜刀礼」の写真があります。
 http://www.h4.dion.ne.jp/~t-ohmura/gunto_026.htm
 いずれも「軍刀を右前に下げた」姿勢ですが、その前に顔の前に軍刀を直立させ右手の拳を鼻の前に置く感じ(これが捧げ刀の姿勢)、次に写真の形になります。
 敬礼は、ある対象に「礼」をするものですからその対象に正対して行うのが普通です。

1。対象が移動する場合。指揮官として行う時は「カシラー」と言って「捧げ刀」の形になり、「ミギ」(あるいはナカ、ヒダリなど、対象の居場所で決め)軍刀を下げ、対象を目で追います。

2。対象が静止している場合。正対します。

Q小学生のころから歴史が好きで、今まで 戦国時代→第二次大戦→湾岸戦争→中東・イライラ戦争→第一次大戦

小学生のころから歴史が好きで、今まで
戦国時代→第二次大戦→湾岸戦争→中東・イライラ戦争→第一次大戦と
勉強をしてきました、ほかに何か良さそうなものありますか?

高2です。

Aベストアンサー

必ずしも歴史書が歴史の真実を記しているとは限らない。それに、歴史書は必ずしも面白くない。面白く無ければ人間は読むのをやめてしまう。

そこで私が推薦するのは、パール・バックの「大地」だ。中古で千円以下で手に入るようだ。第一巻だけでも読むと良い。あなたの人生が変わる。とてつもない価値の有る本だ。ピューリッツァ賞と、ノーベル賞を取っただけの事はある。

Q敬礼には何種類かあるって本当ですか?

敬礼には何種類かあるって本当ですか?「国鉄式」と「陸軍式」があると聞いたのですが、どう違うのでしょうか?また、他の敬礼を知っている方も教えてください。お願いします。

Aベストアンサー

敬礼の作法には、少なくとも下記の4つがあります。
「陸軍式」(肘を横にまっすぐに伸ばして敬礼)
「海軍式」(肘をたたんで敬礼。狭い軍艦の中を想定)
「ファシスト式」(腕を斜めに伸ばして敬礼。現在やる人はいない)
「脱帽時の敬礼」(上半身を前方に斜めに曲げ、相手の目に注目。お辞儀のようなものです)

「国鉄式」という敬礼は良く分かりません。

Q大東亜戦争の陸軍、海軍それぞれどんな役割の部隊がいたの?

大東亜戦争に興味があるのですが当時の軍や作戦を実行するひとたちのしくみ?がいまいちわかりません。
海軍と陸軍があってそれぞれ航空隊がいて、
陸軍には歩兵?もいるのですよね?それだけですか?
図で説明あるとわかりやすいのですが、詳しいサイトなどありましたら教えてください

あと、一番最前線というか過酷というかは歩兵だと思うのですが、
歩兵、や航空隊海軍空軍は勝手に決められていたのですが?それとも自分でえらべるのですか?おしえてくさい

Aベストアンサー

 海軍の兵種としては
  ・水兵
  ・飛行兵(当初は航空兵、整備兵が分離されるとともに改称)
  ・整備兵(航空機の整備を担当)
  ・機関兵(軍艦の動力機関を担当[蒸気タービンやディーゼルなど])
  ・工作兵(軍艦の修理等を担当)
  ・軍楽兵(戦場での信号伝達、兵士の士気の鼓舞や慰安のための演奏、儀礼)
  ・主計兵(軍艦の会計・経理を担当)
  ・看護兵(負傷者の応急処置)

 ちなみに部隊の規模としては(下に行くほど規模が小さい)
  ・連合艦隊(連合国と実際に戦った主力)、支那方面艦隊(中国方面を担当)、海上護衛総司令部(物資の海上輸送の護衛を担当)
   (この3つが実戦部隊の最大単位[複数の艦隊クラスの艦が所属])
  ・艦隊(複数の戦隊・航空戦隊・潜水戦隊などを運用上の理由で纏めた物。所属が航空機ばかりでも艦隊です。)
  ・戦隊(同一艦種や同一機種で編成された部隊)

 組織としては
  ・海軍省(海軍大臣) 予算などの軍政を担当
  ・軍令部(軍令部総長) 作戦立案や情報収集等を担当
     海軍では上記の2つの長が最高位です。(連合艦隊の司令長官を含めて3長官とする場合も有りますが…。)

 それ以外の組織だと
  ・鎮守府、警備府 海軍の地方組織で艦艇の保全、軍人軍属の育成、内戦作戦に従事
  ・海軍省外局 海軍艦政本部・海軍航空本部・海軍教育本部・水路部
  (軍需工場は、管轄鎮守府および艦政本部や航空本部など担当部署に隷属)

 軍の学校としては
  将来の海軍のTOPと成るような人物を育成
   ・海軍大学校

  将来の海軍将校を育成
   ・海軍兵学校(一般将校)
   ・海軍機関学校(動力機関技術を扱う将校の教育)
   ・海軍経理学校(経理関連扱う将校の教育)

  海軍に必要とされる技術の教育など
   ・海軍衛生学校
   ・海軍気象学校
   ・海軍軍医学校
   ・海軍航海学校
   ・海軍工機学校
   ・海軍工作学校
   ・海軍水雷学校
   ・海軍通信学校
   ・海軍潜水学校
   ・海軍対潜学校
   ・海軍電測学校
   ・海軍砲術学校

 海軍の兵種としては
  ・水兵
  ・飛行兵(当初は航空兵、整備兵が分離されるとともに改称)
  ・整備兵(航空機の整備を担当)
  ・機関兵(軍艦の動力機関を担当[蒸気タービンやディーゼルなど])
  ・工作兵(軍艦の修理等を担当)
  ・軍楽兵(戦場での信号伝達、兵士の士気の鼓舞や慰安のための演奏、儀礼)
  ・主計兵(軍艦の会計・経理を担当)
  ・看護兵(負傷者の応急処置)

 ちなみに部隊の規模としては(下に行くほど規模が小さい)
  ・連合艦隊(連合国と実際に戦った主力)、支那...続きを読む

Q「捧げ刀」と書いて何と読むのでしょうか?

軍人や自衛官の敬礼において、「捧げ銃」と書いて「ささげつつ」と読むことは知っているのですが、帯剣した儀仗兵が「捧げ刀」という敬礼をするとき、これは、何と読まれるのでしょうか?

Aベストアンサー

捧げ刀 = 「ささげとう」です。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Screen/3222/tenji5.htm

Q森鴎外(林太郎)と高木兼寛の脚気論争は日露戦争における陸軍と海軍の対応

森鴎外(林太郎)と高木兼寛の脚気論争は日露戦争における陸軍と海軍の対応の巧拙の差として有名ですが、栄養説を唱えていた高木兼寛は後年鈴木梅太郎がオリザニンを取り出したとき何も反応しなかったのでしょうか。

Aベストアンサー

何か勘違いしている方が多いのですが、

日清戦争戦の陸軍給与規則は石黒忠悳が発令。
日露戦争では陸軍大本営が発令しています。

この大本営野戦衛生長官は小池正直です。
森鴎外が陸軍軍医総監になったのは日露戦争の後です。

少なくとも、二度も脚気が大流行しているのですから、
おかしいと考えるのが普通です。

しかも、麦飯派の大臣を差し置いて命令が出ています。
プライドの高い華族らしいやり口です。

>何も反応しなかったのでしょうか。
らしいです。
死ぬまで脚気に対しての謝罪は一切ありませんでした。

Q日本陸軍の銃剣はどういう経緯でああいう形なのでしょう?

第一次大戦時のヨーロッパ諸国の銃剣を見ると、完全に「突く」ことを主眼に作られています。フランス陸軍のものなどは、おおきな錐です。日本を見ると、第二次大戦まで刀だったと思います。この考え方の違いはどこから来たのでしょうか。

Aベストアンサー

ご質問の中にあるフランス陸軍の錐状の銃剣というのは、一般にスパイクバヨネットと呼ばれており、一般の銃剣を意味するバヨネットとは別種類の扱いをされています。

第二次大戦までは日本の銃剣は刀だったということですが、これは実際は明治維新後、西洋軍隊の思想に大きく影響されたバヨネットに分類されるものだと思います。

ではなぜそのような形になったのかということですが、もちろんNo1さんの言われるように、日本人の心に深く根付いていた「刀」というイメージが色濃く残った結果だということも出来ますが、そこにはそのような銃剣を採用した経緯があります。

日露戦争から第二次世界大戦終了まで使われ続けた30年式銃剣は、一般に直刀式片刃と呼ばれた銃剣です。そのルーツは明治維新後までに遡ります。
西洋式(ヨーロッパ式)日本陸軍が編成され、銃剣の選定をどうするかという話になったとき、やはりヨーロッパ各国の銃剣を参考にしました。

各国には錐状もしくは刀式の2種類の銃剣があったのですが、結局明治政府はイギリスのエンフィールド社のスナイドル銃やシャスポー銃が採用していたヤタガン式銃剣に統一することになりました。
このタイプは先込め銃が銃口から弾薬を装填しやすいように、刃の中央は下に曲がっていました。

その後元込め銃が普及すると、次にアメリカのスプリングフィールド式銃剣を採用しました。
そしてこれが日本のスタンダードともいえる30年式銃剣のルーツとなりました。

39.4センチという長さを持った30年式は、敵と銃剣で戦う白兵戦の際、槍のように長ければ戦いに有利だろうという発想の結果です。ちなみに銃剣は平時には刃をつけていませんでしたので、何も切れませんでしたが、戦時になれば「刃付け規定」という規則に基づいて銃剣の前半分に刃をつけることになっていました。

それともうひとつ刀式にした要因として考えられることは、着剣した小銃というものは敵や占領した地域の住民に対して大きな威圧感を与えることが出来るということです。

占領地で陸軍歩兵部隊が、128センチの38式歩兵銃に40センチ近い30年式銃剣を装着して行進する光景や敵に向かって突撃してくる姿を想像すれば、かなりの精神的威圧感がありますよね。

ちなみにこれも余談ですが、現在世界の軍隊でスパイクバヨネットを採用している国はほとんどありません。イスラエルが建国後ガリルライフルに一部採用していた時期もありましたが、今は通常のバヨネットに統一されていると思います。

第二次大戦まではソビエト、イギリス、フランスなどがスパイクバヨネットを採用していました。

それと実は日本も第二次大戦中スパイクバヨネットを採用した銃がありました。
それは38式歩兵銃を騎兵用に改造した44式騎兵銃銃剣で、着脱式ではない銃本体に組み込まれていたスパイクバヨネットを装備していました。

ちょっと余談が多くなりましたが、参考になれば幸いです。

ご質問の中にあるフランス陸軍の錐状の銃剣というのは、一般にスパイクバヨネットと呼ばれており、一般の銃剣を意味するバヨネットとは別種類の扱いをされています。

第二次大戦までは日本の銃剣は刀だったということですが、これは実際は明治維新後、西洋軍隊の思想に大きく影響されたバヨネットに分類されるものだと思います。

ではなぜそのような形になったのかということですが、もちろんNo1さんの言われるように、日本人の心に深く根付いていた「刀」というイメージが色濃く残った結果だということも...続きを読む

Q「海軍善玉説」「陸軍悪玉説」

皆さんこんにちは。

先の大戦で、「海軍善玉説」「陸軍悪玉説」
と言うのをよく耳にしますが、どういった理由で
善玉、悪玉と評価されているのでしょうか?

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

この場合善玉も悪玉もありません。
大体参謀本部が陸軍と海軍に分かれていて事有るごとに対立してました。普通は陸主海従が基本であり海軍国のイギリスだってそんなアホな事はしてません。この辺りは日露戦争での活躍した海軍の増徴が原因なんですけどね。

それに開戦にしたって確かに陸軍は満州抑えるだけで良しとしてれば良かったのに支那本土まで出張ってますから愚かの極みなんですが海軍にしたって山本五十六提督からして「1~2年は暴れ回って見せますがそれ以上は・・・」と言ってる側から真珠湾へ出張ですからこれ以上の猪突猛進は無いでしょう。しかもこれはアメリカ留学経験者が率先しての話ですよ?
陸軍は玉音放送盤を奪おうと叛乱寸前までいってますが海軍は海軍で食料その他物資を運ぶ輸送船団護衛部隊の燃料使ってまで何やったかご存知ですか?戦艦大和の特攻ですよ!燃料無くてまともに船も動かせないし食料は底を尽いて国民の大量餓死及び叛乱一歩手前までいってる状態で「水上部隊の誇りを示す!!」とか言ってるわけです。これには流石に同じ海軍で輸送船団の護衛部隊の参謀は電話口で「大バカヤロー!!」と絶叫するほどにイカレていたんです。まぁ陸軍は陸軍で竹やりでB-29を本気で打ち落とすつもりだったらしいのでどっちもどっちもですけどね。

笑えないジョークとして
ドイツ軍はソ連軍とアメリカ軍とイギリス軍と戦争した。
イタリア軍はイギリス軍と戦争してからドイツ軍と戦争した。
日本軍は陸軍と海軍がそれぞれ互いに戦争しながら暇を見つけて米・英・中・ソと戦争した。
なんて事も一部で言われています。

海軍善玉説は戦後に海上自衛隊を創設するときに専門性が高く旧海軍士官をリクルートするのに悪玉だと余計な邪魔が入るからと後付けした話というのが私の見解です。

この場合善玉も悪玉もありません。
大体参謀本部が陸軍と海軍に分かれていて事有るごとに対立してました。普通は陸主海従が基本であり海軍国のイギリスだってそんなアホな事はしてません。この辺りは日露戦争での活躍した海軍の増徴が原因なんですけどね。

それに開戦にしたって確かに陸軍は満州抑えるだけで良しとしてれば良かったのに支那本土まで出張ってますから愚かの極みなんですが海軍にしたって山本五十六提督からして「1~2年は暴れ回って見せますがそれ以上は・・・」と言ってる側から真珠湾へ出...続きを読む

Q武士の「敬礼」について

 兵士の「敬礼」の基本は西洋の騎士が甲冑のアイマスクを開閉するポーズや自分の心臓を叩くポーズが元であると聞いた気がします。日本の軍隊も敬礼は西洋のそれに習ったものだと思われます。
 で、疑問に思ったのですが、日本の武士にも敬礼みたいなポーズはあったのでしょうか。黙礼だった気もしますが、出陣の時には今ひとつ盛り上がらなかったのではと思います。何か「敬礼」のようなビシッとしたポーズがあったのでしょうか。

Aベストアンサー

こんにちは。
敬礼という風習も仕組みも無かったですけど、それに近い物としての礼儀作法はありました。

携帯する武器を直ちに使用する事が不能な状態にする事です。
例えば、槍なら伏せるか穂先にカバー(さや)をかける、鉄砲なら筒先を持って地面に立てる、もしくは下向きに伏せる、刀なら鯉口に手を当てない(抜き身なら鞘に納める)、弓なら伏せるか抱きかかえる、騎馬武者の場合はあぶみの足をはずす、もしくは下馬する・・・といった所作です。

ただし、敬礼との根本的な違いは、上官に対してする、のではなく、見方に対してする、という違いがあり、例えば見方の軍勢が城に来たような時は、門や城外を守る兵士や部隊は、来た軍勢の司令官が自分達より全員階級が下でも行います。
また、号令で行うのではなく、各自自主判断で自動的に?行いますが、時には敵味方の識別になったりするので、のろまな人がいたら上官から命令された事でしょう。

Q海軍の伊地知さんと陸軍の伊地知さん

日露戦争時

戦艦・三笠の艦長であった、帝国海軍軍人の伊地知 彦次郎 氏と、
乃木大将の参謀長を務められた、帝国陸軍軍人の伊地知 幸介 氏

は、同じ名字で出自も同じ薩摩藩士の家柄でしたが、親戚関係があるのでしょうか?
それともただ単に鹿児島県(薩摩藩士)に多い名字なのでしょうか?

Aベストアンサー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%9C%B0%E7%9F%A5%E6%AD%A3%E6%B2%BB
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%9C%B0%E7%9F%A5%E5%B9%B8%E4%BB%8B
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%9C%B0%E7%9F%A5%E5%BD%A6%E6%AC%A1%E9%83%8E
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%9C%B0%E7%9F%A5%E5%AD%A3%E7%8F%8D

同世代だったりするが、親の前もも違えば(=つまり兄弟でない)親の名前の雰囲気(親同士が兄弟という雰囲気)もない感じ。


人気Q&Aランキング