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なぜ、源頼朝は鎌倉に幕府を置いたか、理由を五つ教えてください!!!

A 回答 (5件)

1.鎌倉の地形が、三方が山に囲まれ、前方が海であるという要塞になっており、守りやすい。



2.平安時代に、清和天皇の孫である経基が、源の姓をもらい、関東に赴任したのが始まりで、勢力下にあった。

3.平家が西国を中心に栄えたため、その反対勢力として、東国は源氏に味方する武士が多かった。

4.京都近在は、叡山などの仏教勢力が強く、政治に介入してくるので、新しい土地で守旧派に介入されること無く、新しい政権を開きたかった。

5.平家は商業重視の勢力で、瀬戸内の海運などで富を蓄えたが、源氏は農業型の勢力で、土地を大切にする。
当時は温暖気で、東国の方が農業生産性が高かったため。
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●三方を山に囲まれた天然の要害


●良港に恵まれている
●三浦半島は砂鉄の生産地で良い武器が作れる
●鎌倉は奈良時代から東国の中心だった
●頼朝は平氏に対抗するため、北条氏に頼り、北条市の本拠地である伊豆に近い鎌倉を選ぶ
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この回答へのお礼

どうも有り難う御座いますww
やはり守備が大切って感じですねФ(.. )

お礼日時:2006/09/10 09:45

6.東国武士の得意は馬術。


当時は馬の供給地は関東、東北で、東国に本拠を置いたほうが有利。

7.平氏滅亡後の仮想敵は奥州藤原氏。
京都に本拠を置けば、あまりに遠く、関東に本拠を置いて、遠征を容易にした。

8.武士が公家文化に触れて、堕落することを恐れて、京から遠い鎌倉の地を選んだ

思いつくままに
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この回答へのお礼

二つレスあったのでこっちにお礼をさせていただきます。

有難うございました!!

皆さんのを見ていると、守備もだけど、戦力も必要になってくるんですねww

お礼日時:2006/09/10 09:47

源頼朝がそもそも東国出身ですからね(幼年時に伊豆に流された)。

誰でも根拠地は地元に置きたくなるのが人情なのではないでしょうか。知り合いもたくさんいますし。東国の中で何で鎌倉かといえば、3方向を山に囲まれた天然の要害だからです。特に西への備えは箱根の関で、完璧です。
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この回答へのお礼

とても参考になりましたww有難う御座います

これで宿題は完璧ですww

お礼日時:2006/09/10 09:49

1つは京都などの西国だと、朝廷や公家が何をやるかわからないので、東国に置いたのでしょう。

もうひとつは源氏の拠点が関東にあったことです。また鎌倉は三方を山に一方を海に囲まれた要害です。あとの三つは分かりません。
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この回答へのお礼

今回はレスを下さり有難うございましたww(^^)

社会の歴史で宿題が出されてしまい……Σ(-□-;)

とても参考になりました!!!v(^ー^)v

お礼日時:2006/09/09 19:19

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