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不登校や学校の週5日制について意見を交換している者です。その意見交換をしているなかで、ふとわいてきた疑問です。学校って必要なのだろうか?ということ。漠然としていて回答しづらいと思いますが、こんな学校があったらいいとかこういう学校はなくていいなど気楽に意見を出していただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします。

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A 回答 (17件中1~10件)

nozomi500さんへ


〔私があったらいいな、と思うのは、「通信制中学校」。
夜間中学や通信制高校は聞くけど、通信制中学校は・・。(外国にはあるらしいが)
もちろん、義務教育であれば、費用の負担はなし。サポートセンターも公費運営。
「3年経ったら追い出す」のでなく、5年でも自信がつくまで勉強する事が出来る。〕
上のように書かれていましたが、中学校の通信制は東京と大阪に一校ずつあります。大阪はどこかわかりませんが、東京は千代田区の一ツ橋中学校にあります。
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わたしサラリーマンになって思ったんですけど、サラリーマンの生活ってどこか学生生活ににているように思います。

ルーティンワーク、時々クリエイティブ、資格の勉強、ご挨拶、服装その他・・・・・学校でてサラリーマンになって、良い学校でてれば良い会社にはいるし国家に貢献することにもなる。(はず)
学校は社会人(主にサラリーマン)養成所で、人に正しく使われる為の訓練受けるとこではないかと思います。学歴が高いほどその使いやすさは高級なものとなり・・・

子供が昼間学校いってくれないと家庭守る人やってられないだろうから学校は必要だと思う。マンガに出てくるような外国の寄宿学校に子供のときあこがれたけど、大人になった今も別の意味でまだあこがれています。
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私も小さい頃同じ疑問をもちました。


しかし逆に考えてみれば、学校に行っていないと、今の人生はなかったと思います。
よき友達に出会えたことが大きいです。
学校がなければ個々の行動に関しての責任感や、自覚が芽生えるかもしれません。
しかし子ども達が、将来、集団の中での社会で過ごす勉強は学校でしかできないように思えます。
しかしいまだに思う疑問は、やはりがんばったほかでの勉強が社会で使えることが少ないように思えることです。
それこそ、総合的な学習時間をとおして学校教育としておぎなってほしいと私は思います。
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我々人民は、教育をうける権利を有している。

その権利の行使を保証するために、
国や自治体が責任をもって学校を運営していく事が大切だ。
国立大学の法人化や教育への競争原理の導入が狂ったように、
政府の御用審議会がいっているが、教育というものは、
資本家階級に都合のいい人間をつくるのではなく、
「人間」を育てるものである。
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あまり深く考えず、無責任に答えさせていただきます。


私も10年ほど前塾講師をしておりました。その頃も先に応えられた方の生徒さんと同様の事が多く見られました。
でも、それでいいんじゃないでしょうか。子供たちがそういったことを疑問に感じたり、そのことに不満を抱いたり。それが考えるきっかけになり、成長するきっかけになると考えています。
世の中には立派な先生もたくさんいると思います。しかし、そうではない先生も同じかそれ以上に多くいると思います。いろいろな理不尽に出会うことでしょう。それに押しつぶされず、自ら考え、乗り越えていくことが大切で、そう出来ると考えます。
そうした理不尽、不満、疑問に出会う場として学校はあってもいいと思います。ただし子供たちがそうした理不尽にぶつかった時、塾の先生や親など近くの大人もきちんとフォローできるよう自らが常に意識しておくことが必要だと思います。
立派な先生たちには大変失礼な話しだとは思いますが、『教師=反面教師(特に公立校の)』という考えです。
傲慢な考え方で失礼しました。
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こんにちは。

りり姉といいます。
私も塾講師として活動しておりますので、一意見を書かせて頂こうと思います。

塾で学生達(主に中学生ですが)に、学校の様子や周りの友達の話などをよく聞くと、クラスで塾に通っていない学生はまれだそうです。
もちろん、地域にもよるとは思いますが、担当させて頂いている3校ともですから、少なくとも関西圏では塾へ通わせるのはあたりまえという風潮があると言えます。
そして、塾へみんながみんな通い出し、生徒の話では学校の授業中にみんな授業を聞かないそうです。
何故なら聞き逃しても塾で教えてもらえるし、大抵塾で予習しているので授業がつまらないからといいます。そして先生方もあきらめているそうです。
生徒達の心の中で、学校と塾の必要性の逆転が起こっています。
彼らの中では、内申書のために仕方なく毎日休まないようにしている、という意識が強いようです。
「学校になんでいかなきゃいけないの」
そう問いを向けてくる子もいます。
私自身が中学生だった頃は、丁度塾が流行りになってきた頃でした。
塾といえば受験の為に、学校より高度な学習をしたり、予習復習を徹底して定期考査の対策をするところと認識していました。
今もそうですが、学校の勉強の上に塾へ行く、学校の学習の補助として塾へ行く、という意識があたりまえでした。
ところが、今は塾の方が大事という学生までいます。
私は学校は「人間関係の練習の場」でもあると考えているので(塾ではそう多くの友達は出来ないし、団体行動を行う事はありませんよね)そういった所を伝えるように心がけています。勉強だけ出来ても人間としては成長しませんよね。
しかし、この前テレビを見ていて愕然としたのですが、文部省が塾に学校で行っているゆとり教育と同様の物をして欲しいと要望を提出した話を記憶していらっしゃいますか?どんどん学校の必要性が消えて行っています。

親御さんの意識の変化もあります。最近、公立中学は良くない話が多いと聞きます。つまりはガラが悪いという事ですが、女の子を持つ親御さんは特に公立をさけて私立へ行かせようと考えるそうです。
結果、小学生の塾通いもあたりまえになってきました。
公立中学離れは、今回中学の学習範囲が大幅に削減された事も手伝って、さらなる加速が予想されます。このままでは公立に通う生徒は少しづつ減って行くでしょう。
(1)公立の中学が減る
(2)塾に通わない生徒は、喧騒飛び交う学校での授業を受けるしかない
(3)学習要項が減ったために起こる公立中学の学生と私立中学の学生との知識格差

そんな事になったら、裕福でない家庭の学生はどうしたら良いのでしょう?
奨学金制度を充実させれば良いと思われるかもしれませんが、今まで不必要だったものだけに、腑に落ちません。
私の家庭はけして裕福ではありませんでした。ですから、高校受験の時も一切塾へ通いませんでした。小中高と公立を通しました。大学は学費を自分で払うために通信教育を利用しています。
このままだと、せっかくの義務教育制度がどんどん小さな物になっていってしまうような気がしてなりません。教育に対して子供達に与えられていた権利が、条件付きになっている事に早く気づいて欲しいのです。文部省の方々。

長々と書いてしまいましたが、今の私の教育に対する考えをかいつまんで書かせていただきました。途中至らない点も多数ありますが…ご容赦下さい。
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こんばんは。

私は学習塾で講師をしています。ちなみに、幾つかの県の教員採用試験には不合格でした。で、まず学校の必要性ですが、教員という職業が聖職でなくなった今、公立の学校は少なくとも必要ないと思います。競争原理も働かず、教師用の本でしか教えることができない人が多い公教育の場は不要でしょう。いっそ義務教育を小学校のみにして、中学以上は私立ばかりにしてやってみてはどうかと思っています。実は最近の税収の落ち込みの原因のひとつは、若年できちんと働く人間が減ったからだと考えていまして、小学校卒で働く人間がいて、彼らが税金を払う立場であれば、こうした問題の解決になると思います。次に理想の学校ですが、社会と連動していればあり方は比較的自由だと思います。即ち、学校制度のみをいじるのではなく、これこれの資格を持っていれば入社できる、働けるという受け入れ側の整備がなされれば、それに合わせて学校の形態を変える方が良いからです。先の税収にしても、他の影響あるジャンルと連動せずに動かす、変えるという発想がある限り、無理のような気がします。
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2の回答で


>義務教育制度を廃止して検定制度に改めればよいと思います。

本来の「義務教育」というのは、子どもが学校に行く義務ではありません。子どもにあるのは「教育を受ける権利」です。それを保証するのが大人や社会の義務である、ということになります。

教育を受ける手段については、いろいろ考えられていいと思います。じっさいに毎日登校しているのに、授業が理解できずに落ちこぼれている状態、というのは、教育を受ける権利を保証しているとはいいがたい。

私があったらいいな、と思うのは、「通信制中学校」。
夜間中学や通信制高校は聞くけど、通信制中学校は・・。(外国にはあるらしいが)
もちろん、義務教育であれば、費用の負担はなし。サポートセンターも公費運営。
「3年経ったら追い出す」のでなく、5年でも自信がつくまで勉強する事が出来る。
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どなたかが教育史について述べていたことを詳しく。


しかもただの受け売りで。

江戸時代の寺子屋の機能は今で言えば予備校のようなもので(苦しい…)、
書類の書き方やらそろばんの足し算やら
必要なものだけ学んでそれが終われば辞めるというだけのものでした。
江戸時代は必ずしも平和ではなかったようですが、教養がなくとも
実学さえあれば生活には困っていなかったようです。教養は、
関孝和の例のように、あっても遊び程度のものと考えられていました。

開国直後の明治政府は、国際関係の帝国主義の荒波のなかで沈没しないように、
イギリスの貴族の教育機関(忘れた)やエコール・ポリテクニク(仏)にならい、
国家の産業振興のためにまず東大を創設しました。
東大に期待された機能は、政府の思想の宣伝、歴史の捏造、産業振興、
西欧法体系に基づいた法律整備などです。
教養とか生きがいとか生徒の視点とかは見当たりません。

そのままずるずると1945年になりましたが、戦後の下級文部官僚の
メンバーはほとんど変わっていませんし、
戦前の多くの高級官僚はパージを乗り越えて戦後の行政府に舞い戻っています。
そんな政治的、行政的などさくさのせいで、
現在まで教育の目的や歴史がたぶん忘れられたため、
教育論は味気ない文化論に終始しているのだと思います。
文部官僚に「なんで学校があるの?」と聞いても答えられないかもしれません。

また、公立校の先生は大学を出てすぐ教員になるので世間を知らず、
また田舎の先生たちは娯楽がないので宴会浸りで、
さらに裁量的に生徒の成績を付けるのは当たり前です。
(それで教育ママたちが先生に取り入ろうとする)
彼らがどこまで「勉強」の意義を考えているのか…。

教育というものが、歴史的には「生徒のためでは全くない」という事実は
あると思います。正直言うと、伝統的だからという理由だけで
日本の教育は肯定され、政治的・社会的・経済的な側面からの批判が
ほとんどなされていないのではと思います。

現実の教育は、宗教や文化から政治目的にまで幅広く影響されます。
カトリック校とプロテスタント校の違いが非常に大きいのもその例です。
教育への政治的影響力を侮ってはいけないのではないでしょうか。

私が個人的にまずすべきと考えるのは、
算数や国語(日本語ではない!)など学科が何の目的で行われているかを
考えることだと思います。
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すこし、的はずれな話から入ります。



犯罪と法律についてです。
社会を大きく騒がせた悲惨な事件犯罪があった場合、
多くの人が、犯人に極刑を望み刑の軽さに不満を漏らします。
また、世論は被害者の家族の感情を配慮するようにと、賑わいます。

しかしながら、近代法治国家の法に基づく刑罰は、
復讐のためにあるのではなく、社会の秩序維持のための規範であります。

何が言いたいかと申しますと、物事の本質にまず目を向けようと言うことです。

学校というのは、本来・基本的に・根本・元々、
国家が国家にとって都合がよい国民を育成する場であると言うことです。

【批判や中傷めいたことを発言したりするつもりはありません、
  偏った思想を持つ者でもありませんので、
   お気を悪くされたりしたら、申し訳ありません】

国家の目標と国民の意識とが、近いか同じ場合には、疑念はわきませんが、
現代のように価値観が多様化した時代では、
個々人の理想が国策に【行政に・教育に】反映されるという、
希望や、誤解や、幻想を持ってしまうのではないでしょうか?

もちろん、民主国家として、民意を反映して行くことも重要です。
個々人が、
身近な子供の担任や校長、教育委員会、市行政にもの申すことも重要でしょう。

しかしながら、十人十色をある色に染めていこうとするという本質を見失って、
個々人の立場や考え方・価値観に根ざした希望理想を唱えていったら、
無駄であったり無意味であったり建設的ではなかったり、
学校や先生を混乱せしめたり、
自分や他人の子を傷つける結果になりはしないでしょうか?

【すいません。決して、意見つぶしや荒らしではありません。】

0926yさんや私を含めて、このような場で、積極的に意見を交換されようとする方々は、
皆、教育をより良いものにしようと考えておられるのだと思います。

単体で生きることが難しい人類という生物が、集団で社会を営むとき、
その単位社会が持つ本質を抜きにしては、
社会制度を意見交換するとき、混乱だけが答えとして出てくるだけです。

信頼関係が失われてしまった2者が、改めて互いに信頼を取り戻そうとする場合、
それぞれが信頼されるようにつとめることと、
まず、無条件に相手を信頼することが重要なはずです。

これを、教育を実施する側と教育を受ける側と比喩すると、
受ける側こそが、信頼される態度で臨み、教育を信頼しているでしょうか?

もちろん、「実施する側はどうなんだ!!」と批判はあると思います。

しかし、どちらが先に・・という話ではなく、
『いま、思いを持つ者こそがまず、
 相手を信頼してみせることが、重要』なのではないでしょうか?

回答者がこんなことを言ってはいけないのかもしれませんが、
ご意見をいただけたら幸いです。
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