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かつて地理の問題を見た時、大分市は石油化学、延岡は化学と書いてあったのですが、延岡って旭化成が入っていて高度経済成長期後は石油化学もやっていると何かで見た記憶があります。では何故、石油化学と化学を区別して押さえる必要があるのでしょうか?

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A 回答 (3件)

石油化学に関して改めて調べてみますと、以下のURLがありましたのでご参照ください。

おおむね、はじめの回答に近いことが書いてあるみたいです。石油を原料とする化学工業が石油化学工業と考えて問題はないと思います。ただ、「地理」の観点から行くと、石油化学と化学を厳密に区別する必要はないと思います。化学工業という大きなカテゴリーの中に石油化学工業という小カテゴリーがあるとお考えいただけると分かりやすいかと思います。
とはいえ、身の回りのプラスチックやゴム、ローション、化粧品類、塗料、薬品などなど、多くの化学工業製品は、元をたどれば石油化学工業の産物です。石油は種々の有機物(炭素を含む化合物)の固まりであり使い勝手も良いため、現在、有機化学というと大部分が石油を原料としています。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%B2%B9% …
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この回答へのお礼

カテゴリーとしては化学工業の中に石油化学が含まれていたが、石油化学が主流となって今では化学工業を席巻しているということでしょうか?アメリカの本社を吸収したセブンみたいなものですかね?有難うございました。

お礼日時:2006/10/07 01:00

所謂、広義な化学から生化学と(狭義には)薬学の両分野を除外した大半の分野が石油類と何等かの関りを有する様になって来たので、粗"石油化学"と言えそう、な気はします。

(但し、専門家のNO1さんとは異なりますから、私個人のイメージに基いているに過ぎません。更に、生化学を除外したのは生物学が関るからですし、薬学を除外したのは大阪市内の道修町界隈を薬品問屋街と呼び、化学問屋街と言わぬ故です)

尚(広義の)化学や石油化学工業会(リンク集)そしておもしろ化学史(日本化学工業協会HP内)等のURLは下記の通りです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%96%E5%AD%A6

http://www.jpca.or.jp/66links/links.htm

http://www.kagaku21.net/history/

http://www.nikkakyo.org/

最後に、化学プラントと呼ぶ時、その殆どが石油化学関連なのを指摘して、このカキコみを閉じます。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。化学工業が広義的に『粗石油化学』と言えるということですね。

お礼日時:2006/10/07 01:06

石油化学というと「石油(原油)を原料とした」有機化学や燃料改質に関する工業化学と思います。

化学と一口に言っても、自然から取れる原料や産地はさまざまですし、有機化学、無機化学、高分子化学、生化学化学など分野もいろいろありますからね。
あくまで推測です。地理についてはあまり分からないので回答になっていますやら・・。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。脳みそにキャパのない自分には裾野が広がって呆然としています。せっかく専門家の方に伺うことができたのにすみません。となると始めから石油を原料としてやっていたかどうかって基準で名称が決まるんですかね。大牟田は化学と教わりましたが、三井・三池炭鉱の石炭で石油を作っていたみたいですし。石油って言っても後付みたいなのは化学って銘打ってるんですかね。

お礼日時:2006/09/17 23:49

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Q化学工業と重化学工業の違い

化学工業と重化学工業はどう違うのでしょうか?たとえば化学工業は○○で、重化学工業は○○みたいに教えてほしいのです。おねがいします。

Aベストアンサー

理解し易い定義としては原料、素材そのものを製造する工業を重化学工業、製品に近いものを製造する工業を化学工業と考えてください。
もちろん規模の大小、製品の数なども影響しますが。

例えば薬品の原料となる製品を製造するのは重化学工業で、医薬品を製造するのは化学工業です。
岩塩から食塩を製造するのは重化学工業、食塩から塩素や苛政ソーダを製造するのも重化学工業、塩素ガスを使用して農薬を製造するのは化学工業、苛政ソーダを使用して洗剤を製造するのは化学工業よいう具合です。

Q原敬の内閣が日本初の本格的な政党内閣と言われるのはなぜ?

米騒動を経て内閣を組閣した原敬ですが、その内閣は本格的な政党内閣と言われています。これはなぜですか?原敬は党首から首相に選ばれたわけですが、この内閣以前はどうやって首相を選んでいたのでしょうか?天皇が勝手に首相を選んで良かったのでしょうか?大日本帝国憲法下における組閣の仕組みが良くわかりません。選挙によって選ばれた与党の党首が首相になるということはなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

ごきげんよう。



【回 答】
大日本帝国憲法(明治憲法)下では、現在の日本国憲法で定められているように内閣総理大臣が選ばれていたわけではありません。明治憲法が出来た最初の頃は、明治政府を作った「元勲」と呼ばれる人々が交代で内閣総理大臣に就任していました。その後「元勲」のうちの何名かが「元老」として、「次の内閣総理大臣はこの人に」と天皇に推薦し、天皇が任命するのが慣例でした。別に、議会で与党の党首が選ばれていたわけではありません。

さて、そうやって選ばれる内閣総理大臣ですが、予算案や法律案を通して政治を円滑に進めるため、衆議院の多数を占める政党と仲良くする人が出てきます。そういう意味で「政党内閣」の原形は原敬以前に成立していました。

原敬内閣が『初の本格的政党内閣』と呼ばれるのは、原敬が「爵位をもたない」「選挙によって選ばれる衆議院に議席をもつ」「政党『政友会』の党首」であり、原内閣が「陸軍大臣・海軍大臣・外務大臣以外の閣僚はすべて政友会員が就任した」内閣であったことが、「選挙によって選ばれた多数党の党首が内閣総理大臣に選ばれ、閣僚の多数が政党の党員(政党所属の議員)である」という『政党内閣』の定義にほぼ近かったことによるものです。

(上記の「政党内閣」の定義は完全に正確ではない可能性がありますが、だいたいこのような内容だったかと思います)


以下、詳細な説明です。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

■ 大日本帝国憲法(明治憲法)下での首相の選定方法

大日本帝国憲法(明治憲法)には、内閣総理大臣の決定方法は記載されていません。

大日本帝国憲法第10条に、「(統治権を有する)天皇が行政を行なう官僚を任免する」ということが書かれています。かといって、天皇が内閣総理大臣を勝手に選んでいたわけでもありません。「宮中・府中の別」という慣例がありまして、天皇は政治の世界には関与せず、行政機関である内閣の決めた方針にもとづいて「YES」と言うだけでした。内閣総理大臣を決める時にも、天皇は、誰かが選んだ内閣総理大臣をそのまま任命するのです。

大日本帝国憲法(明治憲法)
http://www.edogawa-u.ac.jp/~kiuchih/home/statutes/teikokukenpou.html


では、内閣総理大臣の決定方法ですが、

歴代内閣総理大臣一覧
http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/ichiran.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%96%A3%E7%B7%8F%E7%90%86%E5%A4%A7%E8%87%A3%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
http://www.promised-factory.com/100years_after/pm/pm-list.html


上の一覧をご覧になればわかりますように、最初は明治維新の功労者であった人々が協議の上、内閣総理大臣や各国務大臣を務めていました。「明治政府を作ったのは俺たちなんだ!」ということでもあり、内閣総理大臣や各国務大臣として明治初期~中期の政治を引っ張っていけるのは、この人々しかいなかったのだと推測されます。

明治維新の功労者達は、明治初期から後期にいたるまで第一線で政治を動かし続け、その後も「元老」という立場で、天皇の諮問に答える形で、国家の政策決定に関与しました。
伊藤博文、黒田清隆、山縣有朋、松方正義、井上馨、西郷従道、大山巌、桂太郎、西園寺公望の九人です。

その主な仕事のひとつが、内閣総理大臣が辞めた場合、次の内閣総理大臣を選ぶことです(ちなみに、法的な根拠はまったくありません)。彼らが選んだ内閣総理大臣を、天皇が任命していました。

元老 - wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E8%80%81

ちなみに、昭和に入って、最後の元老の西園寺公望が死んでからは、天皇の側近で天皇の仕事を助ける役職であった「内大臣」が中心となって「重臣会議」を開いて、内閣総理大臣を選んでいました。

内大臣 - wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E5%A4%A7%E8%87%A3


■ 内角総理大臣と、議会や政党との関係

内閣総理大臣は、別に議会での選挙で選ばれているわけではないので、議会を無視して勝手に政策を決めて政治を行なっていくことができる、・・・というわけではありませんでした。

選挙で選ばれた政党系議員が多数を占める衆議院は、予算案を貴族院より先に審議するので、内閣が政党と対立してしまうと、予算案が議会を通らず、政治が一気に止まってしまうのです(政党を無視して独自に政治を行なおうとす『超然主義』の方針をとる内閣と、衆議院で多数を占める政党が対立して混乱したのが、1890年代の『初期議会』と呼ばれる時期です)。

そういうシステムの中で、内閣総理大臣のなかには、政党に理解を示して協力してもらい政治を行なおうとする人が出てきました。代表的なのは、伊藤博文、西園寺公望、大隈重信などの人物達です。彼らは政党の党首も兼ねていたので、一応、「政党内閣」と言えなくもありません。


では、原敬とその内閣の場合は、彼らと何が違うのでしょうか?

「原敬」個人に対する注目点は3つ
  ○爵位をもたない
  ○選挙によって選ばれる衆議院に議席をもつ
  ○政党「政友会」の党首

「原内閣」のポイント
 ○陸軍大臣・海軍大臣・外務大臣以外の閣僚はすべて政友会員が就任

つまり、「選挙によって選ばれた多数党の党首(衆議院議員)が内閣総理大臣に選ばれ、内閣閣僚の多数が政党の党員(政党所属の議員)である」というところが、『本格的な政党内閣』と呼ばれる意味です。


ですが上で述べた通り、原敬は議会で選ばれたわけではなく、やはり「元老」による推挙によって天皇から任命されています。

原敬が内閣総理大臣に選ばれた理由としては、その前の寺内正毅内閣が米騒動の対応に失敗して総辞職して、政府に対する国民の不満が高まっており、「元老」としても国民の意見を反映した内閣を作らないといけなかったこと、原敬がもともと官僚出身で、内務大臣も務めたこともあって、内閣総理大臣に任命しても行政を行なうのに問題がないこと、そして、原敬は元老や貴族院の勢力とも対立しないで上手くやれる政治家であったこと、などがあげられます。

原敬 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E6%95%AC

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E6%95%AC

ごきげんよう。



【回 答】
大日本帝国憲法(明治憲法)下では、現在の日本国憲法で定められているように内閣総理大臣が選ばれていたわけではありません。明治憲法が出来た最初の頃は、明治政府を作った「元勲」と呼ばれる人々が交代で内閣総理大臣に就任していました。その後「元勲」のうちの何名かが「元老」として、「次の内閣総理大臣はこの人に」と天皇に推薦し、天皇が任命するのが慣例でした。別に、議会で与党の党首が選ばれていたわけではありません。

さて、そうやって選ばれる内閣総理大臣...続きを読む


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