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子供の頃から、お墓参りや仏壇に手をあわせるのが当然と思う様に育てられてきました。

テレビ等でも、江原さんや細木さんとか諸々が「先祖を大事にする」「お墓まいりをしなさい」等、よくない事が起きてる人には、そのようなアドバイスをしてるのをよく耳にします。 基本的な事だとも・・・・なるほどなと思います。

でも、実の兄や、夫の兄夫婦など・・お墓参りや、仏壇に手をあわせるのは親がやることみたいな感じで特には気にしていないような人に限って、生活面も安定しており、私生活も充実しており、家庭も円満な人が多いのです。

お盆お正月、お彼岸・・・帰省すればお墓参りやお仏壇に手を合わせる事を大事と思っている私や、夫は・・・流産や交通事故など(全て私が傷を負っています)何かが起こりますし。。。裕福でもありません。 

金銭面とかは関係ないですけど、先祖に見向きもしない人の方が淡々と楽に生きているように思えてしまいます。

何かある度に「どうして先祖を大事にしてるのに・・」って思ってしまいます。

あと、結婚したら妻の実家のお墓参りは控えると聞いたことがあって、自分の実家のお墓参りは減ってしまいました。お仏壇は実家に帰るたびに手を合わせています。
夫の実家のお墓には夫の事を見守ってくれるようにただただお願いしています。
そんなこんなで、私にばかり災い等が起こり・・簡単に子供に恵まれなかったり・・普通の順風満帆な暮らしが保障されないのでしょうか?

A 回答 (10件)

先祖 霊にもいろいろなレベル・・・・等と書いている方がおられるようだけどそれと墓参りと何の関係があるんだろう


墓参りはね誓願ですよ
誓いに行くのですよ 頑張って生きて行きますから心配しないで下さいって!
何かを期待をして手を合わせるものじゃありません
お墓参りや仏壇に手を合わせる心 すばらしい題を書いておられるじゃないですか
誓願 言い方を変えれば宣言 宣言の場です 宣言をすればよいのです
貴方の宣言は貴方の心が聞きます
成功哲学の基本ですよ
誓願を先祖の前で出来る事を先祖に感謝するのです
自分の宣言を聞いてくれる人がいる この素晴らしさを成功者達は知っていますよ
出世を考えるから見えないのです成功を考えるんです
そうすれば必ず兄弟のなかで自分が一番恵まれている事に気付くはずですよ
四句誓願 というお経があります
検索してみてください 短いお経ですから
参考になると思います
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こんにちは。

私も同じようにどうして?と思った事がありました。
年配の方からは、やっぱり先祖も、自分に良くしてくれる
子孫の所にくるのよだから大切にしないとと言われましたが、
そうかといって、災いがないかというとそうではありませんでした。
でも、書店で「霊界入門シリーズ 吾輩は霊である」(深見東州著・たちばな出版)
という本を見つけて読んだ時に、その答えが書いてありました。
この人の「強運」という本も読んでいたので、
書かれていることが納得できました。
簡単にいうと、先祖、霊にもいろいろなレベル方がいて、
生前に多くの善行を行った霊などは天国や上の良い霊界へ行き、
良い思いをしているので地上への執着が少なく、
子孫に助けを求める事や災いをなす事はほとんどないのだそうです。
が、反対にあまり恵まれていない霊界へ行った先祖の霊などは、
地上への執着が強く、お盆や彼岸などの帰るのを許された時に、
仏壇や墓などに降りてきて、子孫に今の自分の苦しさや助けや
救いを求めてかかり、災いをおこしたりするのだそうです。
他に、仏壇の祀り方やご質問の実家の仏壇などの事も書いてあり
、うまくは書けませんが、わかりやすく書いてあって、私にはよかったです。
どうぞご参考に。

参考URL:http://www.tachibana-inc.co.jp
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これはやはり効果を期待する物ではないような気がします。

最愛の人に対する愛、これも何かを期待して注ぐ物では無いようにです。

もっと純粋な、自分の存在を感謝する気持ち、先祖が居て自分が居る。この至極当然な事に想いをはせれば自然に手を合わせるようになるかも知れません。

>何かある度に「どうして先祖を大事にしてるのに・・」って思ってしまいます。

皮肉な見方をすれば自分が充分満たされていれば敢えて先祖に感謝する気持ちも起こらないかもしれませんね、ご兄弟達のように。

しかし貴方の立場ですと余計ご先祖を意識するでしょうけど考えようによっては大きなプレゼントかもしれませんよ。人間実感として先祖の事を考えられる人なんてそう居る物では有りません。
先祖を大事にする、それはご自分とご自分の大切な人を大事に出来るという意味でも有ります。

貴方はその点幸いです、これからも見返りを期待せず純粋な気持ちで続けてください。
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ウチのお坊さんが興味深いことを言ってました。


「忌」という字がありますよね。
葬式、法事なんかで良く見る字です。
あれは「己」の「心」と書きます。なぜでしょう?
それはご先祖さまに手を合わせることによってご先祖さまの行いを思いだし、わが身を振り返り、「罪深いわが身でございましたよ」とそこで心を清めるのです。決してお願い事をするために手を合わせるのではございません。それが仏の心でございます。と仰っていました。
当たるも八卦、あたらぬも八卦。どう信じるかはアナタ次第。
これって一理あるかなって私は信じています。
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私も無宗教で無神論者です。


それでも父の墓には手を合わせますし、初詣もします。
質問者様からすれば、不謹慎と思われるかもしれませんが、私にとって手を合わせるという【行為】は、単に慣例に従っているだけで、肝心なのは先祖を敬う気持ちや感謝の気持ちだと思い、心の中で唱えています。それに見返りもなど求めるべくもありません。

先祖に手を合わせ、大事にすることで、人生が順風満帆にいくならどんなに楽でしょう。
質問者様のご兄妹や親族がさほど先祖に構わなくても幸せに暮らしているように見えるなら、同じようにしてみてはいかがでしょう。
↑↑↑バカげていると思いませんか?
先祖を尊ぶ気持ちと実生活の優劣など、何の関係もないと思います。

私の父は死ぬ間際にこんなこと言ってました。
「生きてるモンの方がずっと大変だから、死んだ者にいつまでも構ってないで、その分働け」って。<極端ですけどね><;
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お墓参りや先祖供養はあんまり関係ないと思います。


その心がけはすばらしいと思いますが、ただひとつ参考にしていただきたいのは、宗教にも「猿の神学」と「猫の神学」とがあります。「猿の神学」とはいわゆるしがみつくと言う意味で自助努力型の宗教で、「猫の神学」とは子猫は親猫に咥えてもらうという意味での他力思考型(神様は救ってくれるものだ。)があって、質問者の内容を見る限り後者の方に重心が傾きすぎているのではないかと考えられます。
隣の芝は青く見えるのかもしれませんが、人生は一冊の問題集という言葉もあります。楽に生きてるようにみえても他人もその人なりの十字架というか問題集を抱えているものです。トラブルや問題が起きる時は「なぜ私だけ」と考えるのではなく、冷静に自分の心を見つめてください。
物事は必ず原因と結果が連鎖して起きるものです。
なぜそうなったかというのを誰のせいにするわけでもなく冷静に考えていただきたいと思います。
「天は自ら救うものを救う」
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一応先に無宗教な私だと断っておきます、



先祖の墓や親の墓には手を合わせます、
神社仏閣は好きなので、拝んだりします、
願い事はしません、一応「無事に過ごせたので有難う」と思います、

災いは私も降りかかってますが、交通事故とか色々、
神様仏様が、この程度の災いで済ませて下さったんだと、
或いは先祖が、まだ生きて苦しめ修行しろと言ってると思ったり、

拝んでも、保障は望むものではありません。
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私は宗教家でもないしおそらくpndankoさんよりも人生経験などもまだまだ足りないものですが、同じく先祖を敬うという気持ちを持っているものとして、少し書かせてもらいます。



先祖を敬う気持ち、と書きましたが、はっきり言って私の場合は100年200年前の先祖にはあまり敬う気持ちは持っていません。どんな人だったかも知らない人を敬うというのは私的には難しいので。
だから私にとって敬うべき先祖というのは3年前に亡くなった祖母です。
だから何、という話なのですが、これを前提に話を聞いていただけたらと思います。

基本的に私は、一般的にいえば「加護」または「ご利益」ですかね、そういったものはあまり気にしません。
何しろ頼む相手がうちの祖母ですから。どれほどの効果があるものやら…。おっと(笑)
私が神前(うちは神道なので仏壇ではなく神前です)で手を合わせてすることは近況報告とただ見守っていてくださいということだけです。
死んだ後にまで現世の厄介ごとを頼むのは向こうも困るかなと思っています。
祖母がなくなくなるまでは、墓参りといっても年中行事のような気持ちで形式的にやっているだけでした。にもかかわらず勝手な願い事をしてみたりもしていました。

たとえばの話、先祖を祭ってもご利益なんかはまったくない、ということだった場合、pndankoさんは先祖を敬う気持ちはなくなりますか?というかその場合もともと敬ってすらいなかったということですけど。

祖霊を祭ることと宗教は違ったものと、思いますが宗教でさえも特にご利益に関して「保障」をしているわけではありません。(まれにそういった怪しげなものもありますが)
「保障」がほしいのであれば保険などのほうが確実で、安心です。

とまあグダグダと書き連ねましたが、要するに見返りを期待するようなことではない、ということが言いたかったわけです。
先祖を敬おうが敬わなかろうが裕福になれる人なれない人、幸せになれる人なれない人はいると思います。
ただ、私の先祖を敬う気持ちは、そのこととは関係のないところにある、ということです。

長文にて失礼しました。
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月並みな回答になりますが。



今自分がこの世に生きているのは先祖が生きていたから、先祖が苦労したからです。
もし親同士が結婚していなかったら、先祖の誰かが早死にしていたら・・・・・。
それを考えると自分の存在している確率はほぼゼロです。

でも現実に今生きているわけですね。
つらいことも多いですが楽しいことも有る人生です。

自分が今生きていることを感謝する、それが墓参りや仏壇の世話だと私は思っています。

その感謝を持たないまま幸せな一生を送る人も多いでしょう。
でも感謝の心を持つことが必ず報われる日が来ると思いたいですね。

蛇足ですが、家康だったか「人生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」と言っています。
あの大成功した家康でさえ、そう言うのですよね。
頑張ってください。
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先祖を敬う行為により、


あらゆるものに感謝をする習慣を身につけ
その結果 より良い生活になるだけです。

「あいつに災いを・・・」とか「俺に幸福を・・・」では
良い心理状態には なるワケ無いでしょう。
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