出産前後の痔にはご注意!

ベトナム戦争では、アメリカにベトナムが勝ったということになっています。ベトナムは、すごく小さい国なのによくアメリカに勝ったと思います。本当にすごいと思います。今でもびっくりです。 ふと・・・こんな話を聞いたことがあります。ベトナムを旧日本兵生き残りが支援していた? 太平洋戦争を生き残った日本人がベトナムを支援していたのでしょうか?  そう言われてみれば・・・洞窟に立てこもってのゲリラ戦法・・・

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A 回答 (8件)

ベトナム戦争は、第二次大戦後直ぐに起こった、フランスからの独立戦争と、その後の対アメリカ戦に分類されます。



日本兵が参戦していたのは、主にフランスからの独立戦争時で、戦術などを指導しました。
ただ数としてはそれほど多くなかった様です。

また第二次大戦時の日本軍の兵器が多数現地に残されて、それらを使用して初期の戦闘を行っていたのも事実です。
これらの兵器は対アメリカ戦の初期の頃まで使用されていた様です。

その後中国、ソ連の介入が深まるにつれ、兵器と共に軍事顧問団が派遣されたので、徐々に関わりが減ってきました。


外にも旧日本兵は各地に残留し、列強の植民地支配からの独立に寄与した様です。
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この回答へのお礼

感謝します。日本は、いいこともたくさんしていたのですね。 現地の人も感謝しているのではないでしょうか?

お礼日時:2006/09/24 18:19

 質問に対する回答ではありませんが・・・



 ベトナム戦争によって戦争の様相が大きく変わり、その歴史的意味は極めて大きいものがあります。

 それは、「正規軍対正規軍の激突」という大国同士の戦争から、「正規軍対ゲリラ」という大国対小国の長期戦、というの戦争形態の変貌です。

 大国は「勝たなければ、負け」という条件で正規軍を展開し、小国は「負けなければ、勝ち」という条件でゲリラ戦を戦うことになります。
 そして、正規軍側は、強力な攻撃兵器でゲリラ側の少数の兵士を制圧するときに、多数の民間人も巻き添えにし、巻き添えになった人々の家族・友人がゲリラになるという終わりのない戦いを行なうことになります。
 この流れの中では、大国は小国相手でも絶対に勝つことはできません。

 現在でも、アフガニスタンやイラクでのアメリカ軍の泥沼化など、その流れが変わっていません。
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思い出したので追加します。



この訓練を受けたベトナム兵たちが、のちのベトナム戦争で現地に借り出された際、リーダー格に抜擢されていった様が、描かれていました。

その頃には、みな30代とかになっていたはずです。
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この回答へのお礼

やはり旧日本軍がかかわっていたことに、間違いはなさそうですね。それにしてもアメリカ相手によく戦いましたよね。わたしは、すごいと思います。

お礼日時:2006/09/26 01:39

先日(もしかしたら去年くらいかも)この件についてテレビ番組がありました。



終戦直後、帰国もできず現地の女性と結婚もしくはそのような関係になっていた日本兵がたくさんおり、現地に住んでいました。
日本政府の指示を待っていたところ、現地日本軍のトップというか上級兵(戦後なのですでに元日本軍なのですが、紛らわしいので日本軍・日本兵と書きます)に対して、ベトナムの現地兵から戦い方についての相談があったようです。

これは国家レベルの依頼ではなく、単純に現地の野兵が、大戦中の日本兵の強さや連帯感・規律に従う様を覚えており、日本側の中心人物に依頼する形で始まったようです。
日本兵もやることがないようなので、受諾したという形だったような描き方でした。
で、やることがないので、上級兵の人声で草野球ならぬ草軍事練習からはじまり、次第に日本軍のやり方をそのまま周到して、強くなっていったようです。
これがのちのベトナムでの戦争にも生きてきたようでした。

最終的に日本兵たちには、日本側から現地家族に知らせず、ある場所に集合してこっそり帰国する段取りがつけられており、日本兵は帰ることになりました、それまでに培われた訓練や連帯の仕方・規律などは、受け継がれていたようです。

実際、毎年か何年かに一度かわかりませんが、現在でも当時訓練を受けた元ベトナム兵集まり、昔を懐かしむ会ができており(日本の元兵士の同期会とそっくり)、テレビで、「日本人に感謝をしている、彼らがいなかったら戦えなかっただろう」と述べていました。
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この回答へのお礼

やはり、旧日本兵がベトナム戦争に関わっていたのは、本当みたいですね。

お礼日時:2006/09/24 18:22

フランスからの独立戦争は「インドシナ紛争」ですけどね。


日本の敗北の後ベトナムに戻ってきたフランス植民地軍は、現地に残されていた日本製の戦車や戦闘機を一時期用いていたりしました(後にアメリカ製兵器に更新されますが)。また、彼らと戦ったベトミン(ベトコンの前身)はやはり残されていた小火器や大砲を手に入れていました。この時、残留した少数の日本人がボランティア(義勇兵)として他のアジア諸国の独立戦争同様、使い方を指導したり共に戦ったりしたそうです。
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ベトナム戦争は戦後すぐに始まりました。


最初はフランスからの独立戦争です。
これに大東亜戦争に従軍した日本兵が参加しました。
もしかしたらこのことを言っているのかもしれませんね。

またアメリカに勝ったではなくアメリカは途中で撤退したのです。
ベトナム戦争後半は旧共産圏に支援された北ベトナム対単独の南ベトナムでした。
アメリカは同じ自由主義陣営の南ベトナムを見捨てたのです。
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根本的に誤解があります。


ベトナム戦争はベトナム対アメリカの戦争ではありません。アメリカの意向を受けた南ベトナムと、ソ連の意向を受けた北ベトナムの戦争に、アメリカが南ベトナム支援という形で介入したものです。そこから、一見、米軍+南ベトナム軍対北ベトナム軍+ベトコン・ゲリラという構図で、当時の日本では理解されていましたが(と、いうか、そうミスリードされていましたが)、北ベトナム軍はソ連の支援と武器供与を受けていました。
一見、ゲリラ戦が中心となっているように見えますが、戦争後期に入ると、北ベトナム軍は、実質、ソ連軍でした。
戦況も、必ずしも北ベトナム軍が有利だったわけではなく、テト攻撃以前は、むしろ南ベトナム軍+米軍が戦況としては有利でした。では、なぜ米軍が引き上げたかというと、米国内での反戦・厭戦運動が、とくにテト攻撃以降に大きくなり、その影響で撤退せざるをえなくなったわけです。
実際、サイゴンから報道陣が撤退して以降は、ソ連の意向を受けた形での統治が開始されています。

この当時、忘れてはいけないのは、ある国が革命や内乱の結果共産国となった場合、ほぼ確実にソ連が物資、資金、軍事的な支援と介入を行っていたということです。これが露骨に現れたのが、第二次大戦後のヨーロッパですが。ベトナム戦争では北ベトナムの情報は統制されており、都合の良いところだけが流されていました(典型的なのが、ベトコンの村で、今の北朝鮮や昔のソ連のように、西側陣営の報道陣に見せるためのショーウィンドウのような村が存在していました)。一方、アメリカは報道の自由の名の下に、基本的に報道規制を掛けることがあまりありませんでした。南ベトナム政府が腐敗していたこともあり、報道される映像はアメリカにとって都合の悪いものばかりになるわけです。
結果として国内世論が厭戦となり、撤退を余儀なくされました。
(この時の反省から、湾岸戦争やイラク戦争では、アメリカは報道に介入するようになっています)

こういったあたりのことは、1980年代にはよく知られていたのですが、ソ連崩壊後、当時のソ連の影響というものの記憶が薄れたのか、ベトナム戦争当時の、ソ連にコントロールされていた報道のほうが、今ではよく見かけるようになりました。
文春文庫『悪魔祓いの戦後史』(稲垣武)に、ベトナム戦争当時の戦況と、当時の日本の文化人の右往左往が詳細に記録されています。
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1940~50年代のインドネシアやマレー半島の国々等 東南アジア各国の独立に際しては、旧日本軍の軍人が、個人で支援し重要な役割を担っていたことは有名です



しかし、これも朝鮮戦争の頃までには、一段落しています

いわゆるベトナム戦争は、それより10年以上後の1960年代中頃のことですので、旧日本兵が参加した可能性は非常に低いと思います( 0ではないでしょうが、主要な役割を務めた可能性ほとんど無いと思います)
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この回答へのお礼

そうなのですね。ありがとうございます。

お礼日時:2006/09/21 05:23

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Q太平洋戦争当時日本軍が三八式銃を使用していた理由は

三八式銃とは、明治38年 に発明された旧式の銃らしいですが、
これを太平洋戦争当時でも使用していたそうです。
戦争中の兵器の進歩は日進月歩なのが普通なので、
これは不思議なことです。
使用し続けた理由は何でしょうか?

大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。
現に戦闘機などはどんどん改良を重ねています。
なにか特別なことがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。
新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。
決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。

さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。
時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。

つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。
基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。
つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。
諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。

当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。
しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。

勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね?

日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。
国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。弾薬についてもそうです。自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。
かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。
日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。

もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。
当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。
よく「日本の技術力は世界一だった。アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。つまり当時の技術はその程度)。
中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。
さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。というより作れなかったのです。精度が維持できないのですね)。そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。これは前線において問題です。
別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。つまり不経済な状態です。
また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。

ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。
日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。結局問題は日本自体にあるのです・・・
というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

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Q朝鮮戦争に旧日本兵が参戦していた?

とある小説に朝鮮戦争に旧日本兵がアメリカ軍側から参加していたという事が書かれていました。実際にはどうだったんでしょうか?
朝鮮半島へ上陸して戦闘するのはともかく、後方支援は周知の事実と言うことも書かれていました。
もちろん小説ですが、理論が「なるほど」と感じるところがあったので実際はどうなのか知りたく質問いたしました。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

朝鮮戦争には日本の掃海部隊が参加していました。
所属は海上保安庁ではありますが、人員は旧海軍の軍人達でした。
掃海作業中蝕雷し、殉職者も出しています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E7.89.B9.E5.88.A5.E6.8E.83.E6.B5.B7.E9.9A.8A

Qベトナム戦争の頃、米軍とベトナム軍が使っていた武器はそれぞれどんなもの

ベトナム戦争の頃、米軍とベトナム軍が使っていた武器はそれぞれどんなものがあるでしょうか?
M16やAK47などのメジャー処は知っているのですが、もっとマニアックな銃が知りたいです。
URLだけ貼るというのはナシでお願いします…

乱文失礼しました

Aベストアンサー

北ヴェトナム軍が使用していた消音器内蔵の中国製拳銃「六四式微声手槍」はどうでしょう。

中国の人民解放軍特殊部隊に1964年に制式採用され、専用の7.65ミリ弾を採用。
音を極力出さないことを主眼に設計されたため、ほとんど音を出さないとか。
ベトナム戦争でアメリカ軍に捕獲されて、初めてその存在が知られました。
のちに小型軽量化された六七式微声手槍も開発されました。

中折れ式のグレネードランチャーM79もヴェトナム戦争がデビュー戦です。

小ネタとして、AK47のマガジンが不足気味だったため韓国でも製造されていたそうです。
アメリカ側に兵士を送り、ソ連側に武器を供給してたわけですな。

Qなぜ日本は植民地にされなかったのですか?

19世紀、他のアジア諸国は欧米列強の植民地にされたのに
なぜ日本は植民地にされなかったのですか?
日本の教育水準が高かったからですか?
それとも単に運がよかったからですか?

Aベストアンサー

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。今もそう呼ばれてます。伊豆代官江川が引き継いで、青銅砲でない鋼鉄砲をつくる高熱の製鉄炉(反射炉)をつくろうとしたり(大砲、兵学などはなんとかヨーロッパの技術においつこうというカンジ)、日本人は形式・格式でガチガチのバカな武士社会の中でも一部の有能な、志ある人たちに助けられてなんとか西洋とわたりあえる学術・軍事・文化・行政制度をもっていたのです。
(ほとんどの藩はド貧乏、借金まみれ。一部の外様大名とかだけです。意識あったのは)

ペリーが来航した時も(一年前くるっていったのに来ないと思って内緒にしちゃったバカな幕府上層部のせいで大慌てしたが)、一年後返事をもらいにくる、といったあと年明け10ヶ月にきた時には、無防備だった江戸湾に砲台島を築かせて防衛体制つくった(江川が指揮)
これが砲台場、今の「お台場」です。
これにはペリーも驚いた。
あと吉田松陰みたいに単身(2人だったけど)黒船に乗り込んで
「我アメリカに行かんと欲す」と叫びまくって返ってきた若者とか。
こんな人他のアジアの国にはいなかった。

日本は天文、数学、測量でもヨーロッパの文献研究したり、和算でも微分積分できたらしい。水準高かったンですよ。富豪商人は学問する人たちが多いとか、そういうこともあったらしいし、町民文化も小説、演劇、レベル高かったです。

アメリカと国土交渉する際もペリーが小笠原はアメリカ人住んでる、国際的に通じる文書で証明しない限りアメリカ国土だ、といった時、フランス語版・林子平著三国通覧図説をだして、出版年からも日本領土だと証明。
松平定信が迫害した林子平の著作が、大黒屋光太夫一行のうちロシア日本語学校教師にのこった一人とドイツ人言語学者の手で訳されて、小笠原諸島をまもったわけですね^^

ま、そんなこんなで、日本は他のアジアの国より運がよかった。
・一応、統一国家でまとまってた。いくつか勢力が争ってるとかじゃなかった
・文化水準がヨーロッパと同程度だった(これは不思議なものである)
・一部の蘭学者のおかげで、外国の情勢なども在る程度はつかんでいた?!ジョン万次郎がいたといなかったじゃ、また違ったろうなぁ
江川さんがいなかったら大変だったと思うよ
・穏健バランス派の阿部が老中(筆頭?)だったのもよかった。水野忠邦だったらボロボロだったんじゃないかなぁ
最後は大分大胆に物事運んだけど。
・武士階級、常時帯刀武装してる階級が行政してる、というのはなかなかすごいかも^^
・シーボルトが日本の文化レベルを紹介する書物を発表してくれていた
(ペリーもちゃんと読んでた)→日本は交渉するレベルの国だと思ってもらえた。おそらく礼砲をちゃんと返せる国なんてアジアで日本ぐらいだったでしょう。

兵力でいえば、この前NHKでもやってましたが薩摩とイギリスの争い、中国のイギリス艦隊きた時は薩摩ボロ負けですよ。海戦は特に。
最初、不平等条約だったのもしゃーない。
しかし、交渉のテーブルがある、というのは在る程度、相手を認めてのことだし、全面開戦しなかった、というのはお互いのメリット、リスクも含めて必然だったのかも。
まぁ頑張りましたね、当時の日本^^

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。...続きを読む

Q日本軍がいた国で、なぜ親日国と反日国があるのですか

先日、テレビでパラオは、過去の戦争で日本軍がいたのですが、すごい親日国だということを知りました。
過去の戦争で日本軍がいた他の東南アジアの国でも親日的な人は、結構多いと聞いたことがあるような気がします。

韓国や中国は、反日的ですが、過去に日本軍がいた国で、なぜ親日国と反日国と分かれるのでしょうか?

すみませんが、お教えいただけましたら助かります。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

>過去の戦争で日本軍がいた他の東南アジアの国でも親日的な人は、結構多いと聞いたことがあるような気がします。
>韓国や中国は、反日的ですが、過去に日本軍がいた国で、なぜ親日国と反日国と分かれるのでしょうか?

回答:反日の国は、国民に嘘を教えているからです。

軍隊がいた=反日 というのは無知から来る短絡思考です。
日本には米軍基地がありますが、日本人は反米なのでしょうか。

この類の質問は何度もでていますが、日本を非難する方は何故か資料を出さずに、主観的な推測を語る方が多いようです。


まず、東南アジア諸国についてですが、日本は植民地にはしていません。
大東亜共栄圏構想は、欧米から独立してアジア諸国による民族自決を目指したものです。
当時のアジア諸国の国力は日本だけが飛びぬけていた為に、日本の主導になっていたことは事実ですが、「日本によるアジア支配」という解釈は歪曲です。
日本は、白人を排除した後に大東亜会議を開いて、彼等の自治を認めています。

【大東亜会議】
http://www.youtube.com/watch?v=3mvHRVlrFUU

アジア諸国は「日本の戦争は侵略ではない」という認識から、連合国が認めた賠償請求権を放棄してくれています。(しかし、日本はそれに対しても「準賠償」という名目で経済援助をしています)

【日本が支払った戦争賠償金】(動画)
http://www.youtube.com/watch?v=euNuLLDSWTI


ソムアン・サラサス(タイ側交渉団)は終戦後の訪日時に、↓のように語っています。

「日本国民は餓死寸前でありました。日本中が焼野原でした。
そして、皇族も華族もいなくなり、有力な軍人と賢明な役人と高潔な政治家は牢に叩き込まれて誰もいません。
アメリカはそっくり返って威張っている。団員は口々に“こんな気の毒な日本を見ていられるか”と言いましたよ」
「(こんな値引きに応じて)“国へ帰ったら、殺されるかな”とフッと思った。
けれど、“まあいいや、友邦日本は悲惨な状態なんだから”と自分に言いきかせました。団員も同じ気持ちだったのです」

大東亜戦争中、日本はタイから20億バール(当時の10億ドル以上)の借金をしていました。
タイはそれを2500万ドルに値引きしてくれています。


フィリピンについてですが、
私は、戦争がなくてもフィリピンが(タダで)独立できたか については疑問があります。

オランダはインドネシアの独立の時に60億$を請求しています。
他にも、インドネシアにオランダ人が所有している土地財産の保全と、スマトラ油田の開発費用の弁済を要求しています。(独立戦争をしてすら、このような要求をされています)

実は、フィリピン国民は「フィリピンの独立記念日」は1898年だと思っています。
フィリピンは元々スペインの植民地でしたが、スペインがアメリカと戦争したとき、アメリカは独立を条件にフィリピンを味方に付けました。
戦争はアメリカが勝利し、フィリピンは独立を宣言しました。
しかし、アメリカはスペインからフィリピン統治権を買い取り、新たな宗主国としてフィリピンを統治しました。

日本は占領後の1943年にすぐ軍政を撤廃し、「フィリピン共和国」として独立させています。

その後日本の敗戦により、日本に亡命したラウレル大統領によって「フィリピン共和国」は解散されます。
その後、1946年にアメリカ統治下での選挙で当選したロハスによって、「現在のフィリピン共和国」が独立します。


台湾とパラオについてですが、
【植民地】というものについては、欧米の支配の実態から誤解されていますが、
植民地の本来の目的は、宗主国の国民を入植させつつ遅れた地域を開発し発展させることです。
台湾とパラオが親日なのは、その通りの事をして、それらを評価しているからです。
(それらの領有の経緯と是非については、質問されていないと判断しました)

【日本とパラオ ~歴史を越えた友情~】
http://www.youtube.com/watch?v=cTRfPNEPR-A

【日本と台湾は一心同体】
http://www.youtube.com/watch?v=gwPwOrmdlMs

反日の台湾人の多くは、中国大陸で共産党との権力闘争に敗れて台湾に逃れてきた国民党(蒋介石)の人たちです。
どちらも日本とは戦っていたので、反日でした。


韓国と北朝鮮ですが、
無知な人は日本が朝鮮を侵略して植民地にしたと思い込んでいますが、
日本は、失政で破綻した朝鮮の要請を受け入れて併合したのであって、侵略してはいません。
世界も併合は両国の合意に基づく平和的なものであることを認めています。
併合とは、一つの国になることで、他国を一方的に支配する植民地とは全く違うものです。
そして、日本は併合した朝鮮地方に対して、植民地である台湾やパラオより優遇しています。
(当然差別や虐待などはなく、強制連行や、従軍慰安婦や、創氏改名の強制は、事実ではありません。)

今の韓国が、反日である理由は、独立後の教育が原因です。
今の韓国の政府のルーツは、併合で特権を失った貴族や、外国(中露)から支援を受けて反日運動をしていた者達が、上海で名乗っていた自称亡命政府です。
戦前の彼らは、世界中が併合の正当性を認めていた為に孤立していました。(犯罪で資金稼ぎをしていた事も原因です。)

その後、WWIIの終戦で朝鮮は日本から独立しました。
終戦時の朝鮮には、日本の教育を受けた者しかいなかった為に、連合国は影響力を行使する為に、その亡命政府を独立した韓国の代表に選びました。
功績も無く他国の都合によるタナボタで権力を得た彼等は、日本の統治の方が良かったと国民に言われることを恐れました。(実際、日本の方が遥かにマシでした)

それを逃れる為に、新政府は朝鮮が独立できたのは、戦前・戦中からの我々の抗日運動の成果である。
朝鮮は昔から日本より優れていたが、日本が卑怯な方法で侵略して、韓国の富を奪って行った。
今現在韓国の発展が遅れているのは、それが原因であると、事実と違う捏造教育をし続けました。

このように、自分達の失政への批判を、日本という敵を作ることでそらし続けてきた結果、反日が韓国人に定着してしまい、今更、教えた歴史が嘘でしたとは言えない状態になってしまっています。
今、それをした場合、韓国人のアイデンティティは崩壊して、国そのものが危うくなってしまうでしょう。

北朝鮮の反日も↑の自国の政府の正当性を、「日本と戦っていたこと」に拠っているからです。


中国の反日も、韓国と同じです。
彼らも日本の侵略を戦って撃退したと言っていますが、事実は全く逆です、
日中戦争は、中国が朝鮮(当時は併合で日本領)を侵略したのが原因です。

当時の中国ですが、清国が滅亡し複数の政権(馬賊や地方軍閥など)が争っている内乱状態でした。
彼らは大陸の日本領内にも侵入して、破壊活動やテロなどの挑発を行っており、現場の緊張は極限状態に達していました。
日本は、条約や協定による平和的な解決を試みましたが、彼等にはまともな行政・司法・警察等の能力は無く、国際条約の知識や理解も薄く、それらの遵守は期待できませんでした。(実際何度も一方的に破棄されています。)

当然治安も悪く、テロも多発しており、日本人の大尉が中国兵に惨殺される事件も起きています。
これらの結果、現地の部隊が暴発し、独断行動による戦闘が発生してしまい、それが満州事変に発展します。

これによる満州国の建国を、侵略によるものだという意見もありますが、満州国という地域を確保しないと当時日本が所有していた、満州鉄道へのテロを防止できませんでした。

その後の満州国は、日本が治安を維持した為に各地から人口が流入し繁栄した為に、再びそれを狙った中国によるテロ活動が起りました。
日本軍は前回と同様、領土内で対応していましたが、そうすると彼らは中国内に逃げて、その後また侵入して同じ事を繰り返しました。
日本は中国奥地にある彼等の本拠地(南京、重慶)を叩かなければ、根本的な解決にならないと判断し、中国領内に攻めていきました。
これが日中戦争に発展します。

私は、これらの経緯を日本の一方的な侵略と断定できる人の知能と国籍を疑います。

http://www.youtube.com/watch?v=Kiz7N4z7c3M

>過去の戦争で日本軍がいた他の東南アジアの国でも親日的な人は、結構多いと聞いたことがあるような気がします。
>韓国や中国は、反日的ですが、過去に日本軍がいた国で、なぜ親日国と反日国と分かれるのでしょうか?

回答:反日の国は、国民に嘘を教えているからです。

軍隊がいた=反日 というのは無知から来る短絡思考です。
日本には米軍基地がありますが、日本人は反米なのでしょうか。

この類の質問は何度もでていますが、日本を非難する方は何故か資料を出さずに、主観的な推測を語る方が多いようで...続きを読む

Qなぜアメリカは北朝鮮を侵略しないのですか?大量破壊兵器もってますよ。

イラク戦争を支持した人の見解を特にお伺いしたいのですが、アメリカはなぜ北朝鮮を侵略しないのでしょうか?かれらはわざわざ大量破壊兵器の保持を宣伝しています。

イラクへの侵攻は確か大量破壊兵器が理由だったと記憶しています。それも後でどこかの学生が捏造したものとわかったそうでしたが。

今回は完全に放射能も検出され、証拠も明らかになったにもかかわらず、米国政府は北朝鮮を侵攻する意図はないとの見解を出しています。

なんだかつじつまが合わないように感じるのは私だけでしょうか?イラク戦争を肯定するならば彼らは北朝鮮も侵略するべきだと思うのですがどうなのでしょうか?そうしないならイラクにしたことに対して何らかの弁明が聞きたいです。

そういえばなぜアメリカは、パキスタンとインドが核実験を行っていたときに彼らを侵攻しなかったのでしょうか?

何か北朝鮮と米国の間に条約みたいなものがあるのでしょうか?

Aベストアンサー

まず大きな理由として挙げられるのは北朝鮮と中国は安保条約を結んでいると言うことです。北朝鮮または中国が有事の際にはお互いに助け合うと言うこと、つまり北朝鮮が有事の際には中国が北朝鮮の味方をすること(理由の遺憾に関わらず、これが安保条約です)結果北朝鮮を攻めると言うことはアメリカと中国の戦争になります。
第2には北朝鮮は第二次戦争後旧ソビエトつまり今のロシアが後押しをして建国した国なのです。朝鮮戦争はアメリカと旧ソビエトの代理戦争だったのです。ですから北朝鮮に攻め入ると言うことはアメリカがロシアと中国を相手に戦争をすることなのです。

Q何で日本は戦国時代に植民地にされなかったんですか?

大航海時代(日本では戦国乱世の時代あたりですよね?)、何で日本はポルトガルやスペインあたりの植民地にされずに済んだのですか?

すいません、もう一つ。

幕末の黒船来航の時は外圧に負けて開港させられ、不平等条約まで結ばされましたが、他のアジア諸国のように植民地にまではされなかったのはなぜなんですか?

私はまるで歴史ド素人なので恥ずかしい質問ですが、宜しくお願いします。

Aベストアンサー

>大航海時代(日本では戦国乱世の時代あたりですよね?)、何で日本はポルトガルやスペインあたりの植民地にされずに済んだのですか?

イスパニア(現スペイン)とポルトガルは当時、世界で植民地獲得競争を繰り広げていた。

1539 年には、ポルトガル国王ジョアン三世の要請を受けて、キリスト教イエズス会のF.ザヴィエルらがアジアでの布教を始めた。目的は植民地支配である。最初から武力を行使すると味方に多数の犠牲者が出るので、先ず先兵として宗教者を送り込み、現地の人々の心を支配しておけば、植民地支配が容易になる、という目論見でした。この方法は成功しました。ザヴィエルらは、日本においても布教を行うべく1549年に来日し、布教を始めました。

ザヴィエルらが日本へ来て知ったのは、ほかのアジア諸国の人民に比べて日本の人民は教養が高く、さらに戦が強いことでした。

1467年に始まった応仁の乱以後、日本国内は乱れに乱れ、内乱時代(戦国時代)でした。戦国の時代は、武器の発達が進みます。さらに武士たちの武闘能力も向上し、剣術や砲術の力が向上します。戦国時代の日本は、世界で最強の軍事大国だったという学者もいます。

そうした事情を知ったザヴィエルらキリスト教関係者が、本国の王へ「日本を植民地にするのは非常に困難です」といった報告をしたものと思われます。

織田信長はキリスト教を公認しましたが、豊臣秀吉はキリスト教を禁止し、キリスト教関係者を国外追放しました。イスパニア王フェリペ二世の日本征服の野望を知ったからです。

徳川政権もキリスト教を禁止しました。その上、鎖国しました。西洋人は日本を征服するチャンスを失ったのです。


>幕末の黒船来航の時は外圧に負けて開港させられ、不平等条約まで結ばされましたが、他のアジア諸国のように植民地にまではされなかったのはなぜなんですか?

日本も植民地にされ、列強によって分割される危険がありました。それを避けられたのは、

(1)人民の教養が高かったから。西洋の外交官は、江戸の町の本屋の店頭で、女や子供が立ち読みするのを見て、日本は植民地にすることはできないとあきらめました。多くの人が文章を読めたのです。(日本よりも西洋の方が文盲率が高かった。)

(1)武士階級が支配していたからです。清(中国)は科挙に合格した文官が支配する国でした。西洋列強の手が隣国に及んできても危険を感じませんでした。しかし日本の支配層は武官(武士)ですから、清が英国との戦争で負けて香港を割譲したことを知り、さっそく日本もやばいぞと危機感を抱きました。武士の仕事は戦争ですから、国の危機には敏感なのです。

(2)徳川幕府の外交が巧みだったからです。大政奉還と王政復古の直後の慶応3年12月16日(1868年1月10日)、15代将軍徳川慶喜が大坂城に6カ国の公使を招いて接見し、「朝廷は王政復古を宣言したが、朝廷側に内部事情があり、依然として徳川幕府が主権者である」と説明し、政権承認の確認を求め、さらに内政不干渉を約束させました。欧米諸国の目にも、この段階では、三職をトップとする新政府の実力は甚だ脆弱であり、国際社会の承認に値する政権とは見えなかったはずです。しかし徳川慶喜が各国に内政不干渉の約束を取り付けた結果、その後の内戦(戊辰戦争)では外国の介入を招きませんでした。慶喜の側近に国際法を理解していた人材が豊富だったからこその成果と言えます。徳川幕府の大手柄と思います。

>大航海時代(日本では戦国乱世の時代あたりですよね?)、何で日本はポルトガルやスペインあたりの植民地にされずに済んだのですか?

イスパニア(現スペイン)とポルトガルは当時、世界で植民地獲得競争を繰り広げていた。

1539 年には、ポルトガル国王ジョアン三世の要請を受けて、キリスト教イエズス会のF.ザヴィエルらがアジアでの布教を始めた。目的は植民地支配である。最初から武力を行使すると味方に多数の犠牲者が出るので、先ず先兵として宗教者を送り込み、現地の人々の心を支配しておけば、植民地...続きを読む

Q在日韓国人などの人はなぜ祖国へ帰らないのですか?

よく在日韓国人の人は日本人と交わりたがらないくせに権利ばかり主張しているように思います、そんな彼らをみて「そんなにいやだったらさっさと国へ帰れよ!!文句いいながら日本にいすわるな!!ただ日本の経済力目当てだけにいるだけではないのか??」と正直思ってしまいます、帰化などもするようなきもないようですし。 戦後すぐには朝鮮半島が荒れていてかえれなかったという話なら十分わかるんですが最近は韓国も成長してきていっぱい職などもみつかりそうな気がするんですが・・・・。

ちなみに私は韓国や中国に対する戦前の行いはいくら建前を日本がつくろうが侵略だったことにはかわりないと思っています、が、戦後50年日本は謝り続けたにもかかわらず今現在も謝罪謝罪謝罪、日本は鬼だといいつづける彼らが正直好きではないです(中国の勝手な軍事行動や韓国の竹島の占拠などの態度もかんがみて)

荒れそうな質問ですがなるべく荒れないような真摯なご解答があると嬉しいです。

Aベストアンサー

質問:在日韓国・朝鮮人はなぜ帰化したくないの?
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=996194

質問:在日朝鮮人を帰国させるように政府の方針を変えることは出来ないのでしょうか?
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=397244

Qもし昭和天皇が戦犯として処刑されていたら。

もし、昭和天皇が戦犯として処刑され皇族も追放されていたら、その後の日本はどのような状態になったでしょうか。
イラクのような内戦状態でしょうか。或いはGHQの占領政策を従容と受け入れていたでしょうか。

Aベストアンサー

昭和天皇自身、自らの処刑も覚悟してポツダム宣言受諾の意思を示したようです。実際、ソ連(一週間戦争で莫大な戦勝果実を得ただけ)は昭和天皇を侵略の責任者として処刑することを主張したようですし、「昭和天皇処刑、天皇制廃止」は十分ありえたでしょう。むしろ、「戦力を完全に失って降伏した国の王様が、天寿を全うするまで王位にあり続けた」ことの方が、歴史上稀なことです。

昭和20年の日本は、米軍の圧倒的な戦力によって全てを粉砕されて降伏したわけですので、占領軍(米軍)に立ち向かう気力はありませんでした。米軍に立ち向かう武器も民間には皆無でした。また、近代武器を持っていた日本軍をごく少ない損害で殲滅した米軍に、仮に天皇処刑に憤った民間人が竹槍を作って立ち向かったとしても「日本側全員射殺、米軍損害ゼロ」以外の結果はありえないと当時の日本人は骨身に染みて分かっていました。

昭和20年当時の米軍は、都市絨毯爆撃で非戦闘員を焼き殺し、非戦闘員を機銃掃射し、民間人を満載した商船を無警告撃沈する、今よりずっと「怖い」軍隊です。今のように「誤爆で民間人が3人死んだ」などということを問題にする欧米マスコミもありません。占領軍に竹槍で歯向かった日本人が全員射殺されるのは、当時の常識では当たり前です。
(現在、イラクやアフガンの内戦が容易に収束しないのは「21世紀の常識では、占領軍や政府軍に歯向かう民間人をみだりに射殺できない」からです)

昭和天皇は処刑に際し「敗戦の全責任は朕にある。国民は、朕の死を聞いて軽挙妄動せず、新日本の建設に尽くして欲しい」といったことをいい、占領軍はそれを宣伝したでしょう。これも、日本人を抑止する大きな力となったはずです。

昭和天皇自身、自らの処刑も覚悟してポツダム宣言受諾の意思を示したようです。実際、ソ連(一週間戦争で莫大な戦勝果実を得ただけ)は昭和天皇を侵略の責任者として処刑することを主張したようですし、「昭和天皇処刑、天皇制廃止」は十分ありえたでしょう。むしろ、「戦力を完全に失って降伏した国の王様が、天寿を全うするまで王位にあり続けた」ことの方が、歴史上稀なことです。

昭和20年の日本は、米軍の圧倒的な戦力によって全てを粉砕されて降伏したわけですので、占領軍(米軍)に立ち向かう気力はあり...続きを読む

Q大東亜戦争(太平洋戦争)での日本兵の戦い方について

大東亜戦争(太平洋戦争)での日本兵の戦い方について
戦争映画が好きで、よく第二次世界大戦のものを見ます。
最近wowwowでThe pacific(太平洋戦線)やband of brothers(ヨーロッパ戦線)等、第二次世界大戦のドラマや映画が放送されています。
それで、日本兵の描写について少し気になるのですが・・・
日本兵が大声を上げ、九九式短小銃を構えて私を撃ってくださいといわんばかりに敵めがけて突進していくのですが、アメリカ兵に射撃されてしまいます。
うまく説明できないのですが、戦時中本当に日本兵はこのような戦い方をしていたのでしょうか?
万歳突撃等が有名ですが、あまりにも自殺行為な気がしてなりません。
アメリカ海兵隊のような感じではないですよね
銃撃シーンもありましたが、部隊が全滅後にに上記のような感じです(万歳突撃でしょうか)
お国を守ってくれた英霊についてよく知りたいと思い質問しました。
わかりにくい質問かと思いますが、当時の日本兵の戦い方、戦術、環境などを教えていただければ、と思っています。
そこら辺詳しくお願いします!

Aベストアンサー

現代人の目から見ると狂気の沙汰としか思えないバンザイ突撃ですが、当時の日本軍が置かれた状況から考える必要があります。当時の日本軍は、中国で国民党軍と共産党軍と戦争していたわけですが、これらの相手というのが「突撃すればなんとかなった」相手だったのです。
機動力を重視した共産党軍には重火器はほとんどありませんでしたし、国民党軍も然り。さらに共産党軍は毛戦略により日本軍との正面決戦は避けていたので、日本軍が突撃するとなんだかんだいっても結局相手が共産党軍であれ国民党軍であれ、撤退してくれたのです。だから、知らず知らずのうちに日本軍の中で「突撃すりゃなんとかなる」というノウハウが積み上がってしまったのです。

それが甘い考えだったと思い知ることになったのがノモンハン事変を始めとするソ連軍との国境紛争でした。一般的に、ノモンハンの敗戦は「現場部隊がフヌケだった」ということで総括されてしまったといわれていますが、実は日本軍とてバカじゃないのでちゃんとそれはそれで調査はしました。しかし、その結論というのが絶望的なものだったのです。
どういうことかというと、ソ連軍は日本軍より大砲の性能が優れていて、弾薬量も格段に多かったのです。しかし、これはどうしようもない問題でした。なぜかというと、製鉄技術がソ連に比べて劣る日本では、ソ連軍に対抗しうる性能の大砲はどう頑張っても作れませんでした。さらに、弾薬についても当時の日本ではそんなに湯水の如く使えるほどの大量生産をすることはできなかったのです。なにしろ当時の弾薬の生産といったら関西の町工場でちまちま作っていたのです。ご存知のように、大量生産するためには大規模工場が必要で、それによってコスト圧縮効果が発生するわけです。ソ連やアメリカのような重工業の大規模工場なんてものが当時の日本では作れなかったのです。
だから、それを認めると「もう国として日本はソ連に対抗できない」という絶望的な結論に至ってしまうので、「現場が悪い」と責任を押し付けてしまったのです。

緒戦の勝利による驕りもあり、日本軍は米軍に対しても自信満々で突撃戦術をかましましたが、諸兵連合効果の戦術を得意とする米軍によって叩きのめされてしまいます。どうも米軍相手に突撃じゃ歯が立たないと分かって、The Pacificで再評価されることになったペリュリュー島戦から持久戦術に切り替えることとなります。The Pacificでも原作として使われているユージン・スレッジ氏の回顧録を読むと、ベテランの海兵隊員がペリュリューで「日本軍がバンザイ突撃をしてこない」と戸惑っている姿が描かれています。

この持久戦術は大変に効果的で、ペリュリューのノウハウを積極的に取り入れた硫黄島戦で米軍が大変な犠牲を強いられたことはご存知のとおりです。
しかし、日本人つーのは大変にストレスに弱い民族でございまして、この「押されてもじーと我慢して粘り強く戦う」つーのはなかなか耐えられないんですね。いいや、日本人は粘り強いだろと思うかもしれませんが、日本人てのは自分たちで思っているほど粘り強くありません。てか、逆境にはとても弱いんですね。なぜかっていうと、サッカーで日本代表が相手チームに押されると見てる方がもう耐えられなくなりますよね。大概「負けてもいいからもっと積極的に攻めないとダメだ」と批判されます。これが南米のチームなんかだと相手に攻めさせて、それでいてカウンターの機会を粘り強く待っています。そういうことができない。
だから、沖縄戦では持久戦術を主張する八原参謀に対し長中将が「こんなグダグダやってないで一発突撃でパーッといけ!」と主張して司令部は内部崩壊します。

また、捕虜についてですが、日本兵は捕虜になってはいけないと教えられていたので、基本的に捕虜も取りませんでした。また、味方の兵士を救出しようとする米兵にも容赦なく銃撃を浴びせました。また死体のフリをして近づいた米兵に襲い掛かることもよくやったようです。それを米兵は分かっていたのである意味当然なのですが「相手が捕虜を取らないんだから、こっちも捕虜を取る必要はない」と負傷している日本兵も情け容赦なく殺しました。ユージン・スレッジ氏の回顧録にはそういった「むき出しの獣性と敵意」が戦場に満ちていたことが書かれています。太平洋戦線で日本兵の捕虜が極端に少ないのは、「生きて虜囚の辱めを受けず」という思想が根本にはあったのですが、そういった事情も影響していたようです。

現代人の目から見ると狂気の沙汰としか思えないバンザイ突撃ですが、当時の日本軍が置かれた状況から考える必要があります。当時の日本軍は、中国で国民党軍と共産党軍と戦争していたわけですが、これらの相手というのが「突撃すればなんとかなった」相手だったのです。
機動力を重視した共産党軍には重火器はほとんどありませんでしたし、国民党軍も然り。さらに共産党軍は毛戦略により日本軍との正面決戦は避けていたので、日本軍が突撃するとなんだかんだいっても結局相手が共産党軍であれ国民党軍であれ、撤退...続きを読む


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