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いつもお世話になっています。

「☆市民革命→自由権・平等権の獲得」

「★産業革命→資本主義経済→貧豊の差が拡大→人間らしい生活を求める声→ワイマール憲法」

の2つなのですがいつも社会の先生がこのようにお書きになられるので良く分かりません。
2つについて解説教えてください。
宜しくお願いいたします。

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A 回答 (2件)

 No1の方の説明は、かなり不適切かと・・・



 市民革命については、かなりあっていると思いますが、産業革命については、共産主義革命と勘違いなさっているように思います。

 簡単に歴史の流れを言うと

 中世には、経済が農業主体で人々はあまり移動しませんでした。政治は領地の主である封建領主の連合体に支えられた国王が、領主=貴族の代表として国を統治していましたが、国王の力はそれほど強くありませんでした。

 時代と共に社会が生産力を増し、領地の範囲を超えた物資の流通が始まり、十字軍がその動きを加速しました。商業・手工業で富を蓄積するものが増加し、宗教改革(新教=富を蓄積した新興富裕層、旧教=封建領主が主体)で宗教戦争が勃発、封建領主の力が衰え、絶対王政が始まりました。

 絶対王政は、力を失いつつある封建領主の代表である王が、新興富裕層(経済的に豊か=国王への上納金・税金を負担)の支持も得て、新旧のバランスを取るかたちで成立しました。

 市民革命=絶対王政の崩壊
 実力をどんどんつけ続ける新興富裕層(新勢力=特権なし:どこでも自由・平等に商売が出来るのを歓迎)が、領主層(旧勢力=特権の保持:特権が力の元)の力を凌ぐようになり、富裕層だけの政権を目指すようになり、領主の代表である王を排除しました。

 市民革命の結果、民主政・立憲君主制による、社会が成立します。

 この頃、イギリスで産業革命が始まります。(市民革命の遅い国では、産業革命によって富裕となった人々が市民革命を起こします。)
 今まで物の生産は人力であったものが、水力(水車による機械生産)・蒸気機関(石炭という動力の利用)による機械生産に変わっていきます。これが産業革命です。(ですから、産業革命は政治の言葉ではなくて、経済用語です。)

 産業革命によって、富裕な人々はますます豊かになり、お金が社会を動かすようになります。これが資本主義社会です。

 資本主義社会では、お金が資本となり生産手段になりますから、お金のある人はますますお金持ちになります。お金持ちの人の作った工場で働く人は、貧乏なまま。

 マルクスという人は、「そこで、貧乏な人たちが怒って革命を起こし、資本家を追い出して工場を労働者のものにしてしまう。」と考え、その革命を共産主義革命と名づけました。

 ところが、資本家の方でも労働者の福祉政策を色々行い、革命が起こらないような方策を採りました。これが修正資本主義という考え方で、ワイマール憲法には、これらの福祉政策を受ける基本的な権利があると規定されました。

 結局、共産主義革命は、資本主義の発達が未熟なロシアや中国でしか起こらず、マルクスの想定した「資本主義の充実した生産設備」をほとんど持たないまま、政権が誕生しました。そして新たに成立した政府が、資本家に代わって労働者を搾取し生産設備を作る社会が出来上がりました。また、悪平等が労働者の生産意欲を失わせることとなりました。

 この結果、ソ連は崩壊・中国は資本主義化して現在に至っています。
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わかりやすくぶっきらぼうに言いますね。



☆市民革命は、イギリス・フランスで起こったものですね。
17~18世紀くらいは、王様がイバリまくってました。「絶対王政」というやつです。
そこで市民が、「ワシらだって人間だぞ。それを認めんかい!」というのを認めさせたのです。
認めれば、人間は自由・平等になるということですもんね。


★産業革命は、王様は関係ないです。悪者は資本家、要は社長さんです。
労働者が、死ぬようなキビしい労働ですごく安い給料。対してシャチョーさんはもうけまくり。
笑いが止まりません。これが貧富の拡大。今でいう「勝ち組」「負け組み」。
しがないサラリーマンの私と、時給500万円の細木数子さんのようなものですね。
なのに、シャチョーは労働者を気づかってもくれません。ということで、
「こら社長!ワシらも人間なんだから、働きやすい職場にせんかい!」
ということで起こした革命なんです。社会権を認めたわけですね。
ワイマール憲法は、はじめて社会権を認めた=市民(労働者)の権利を認めた憲法なんです。

よって、
☆市民革命→市民(弱)と王様(強)の関係、

★産業革命→労働者(弱)と資本家(強)の関係、

それぞれ、不平等さを解消しようと弱い人たちが頑張ったのは同じですが、
目的は全然違う、ということですね。

ということを覚えておけば、試験に2つをごっちゃにしたようなヒッカケ問題が出た時に区別できるよ。ということを先生はおっしゃっていたのではないでしょうか?

細かいところは抜きにして、ざっくりと言うならそんな感じでしょうか。
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Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q絶対王政って何ですか?

夏休みの宿題で絶対王政についてレポートを書かされています。
インターネットなどで調べてみたのですが、難しくてよくわかりませんでした。
国王が中心の政治というのはなんとか分かるのですが、何故そうなったかなどのことがよくわかりません。
ヒマな時に回答してくれればうれしいです。

Aベストアンサー

おはようございます。

絶対王政ですか。何故そういう政治形態ができあがったかなどについては、高校の世界史の教科書あたりで深くやらないと、なかなか理解しづらいですね。#1さんの紹介しているWikipediaの文章はわりとしっかりしたものなのですが、まとめて書きすぎていて初学者には理解しづらいかと。というわけで、簡単な言葉でそのあたりの流れの説明をしてみようと思いますです。

絶対王政の前に、「中世ヨーロッパの荘園制」について勉強したと思います。

この荘園制とは、国王と貴族、貴族と騎士などの間でかわされる、土地を介した約束関係のことです。簡単にいえば、「国王の名でお前に土地を与えよう。そしてその土地からどれだけ税金をとるか、その土地をどのように使うか、そこに何を作るかなどはお前に任せよう。そのかわりお前は私に臣下として仕え、他国から敵が攻めてきた場合には部下を引き連れて私のところまで来て、手足となって働きなさい」というものです。

しかし実際は中世の国王は、「私に従わないなら土地を取り上げるぞ!」というような強い権力をもっていたわけではありません。国王と貴族との間の上のような約束は建前上の場合が多かったのです。国の中には何人か有力な貴族がいて、彼らはその国の中に一定の領地を持っていて、その領地を治めていました。当時の国王というのは、その貴族たちの代表者にすぎなかったのです。
国王も自分の領地(直轄領)を持っていましたが、国王が勝手にできるのは自分の領地だけで、「あの貴族の領地の中の税金を重くしよう」というような、勝手なことはできなかったのです。

つまり、「土地を与えるから貴族が国王に仕えて軍隊を出す」という政治体制では、国王は絶対的な権力者というわけではありませんでした。

では、どういうことになると国王に権力が集まるのか?
その政治体制の状況が変わればよいわけです。つまり、

■まず有力な貴族が力を失うこと
■国王が貴族に頼らない、自分の軍事力をもつこと
■国王が、貴族に代わって自分に仕えて国を治める仕事をしてくれる部下をもつこと

中世の後期になってきますと、貴族が十字軍や国外に兵隊を出して疲弊したり、貴族同士の争いを続けることでお互いに力を失っていったりしました。
さらに、#3さんも書いていますが、国同士の戦いが増えて大貴族一人だけでは対処がつらくなり、誰かの下にまとまって外国の敵に向かっていったほうが勝てるだろう。で、そんな状況の下で、自前の軍隊をもった国王が軍事力を背景に国内を統一して、軍隊を整えて、外国の敵に向かっていくようになったのです。
さらに、貴族の力がなくなって国王が国内を治めようとする場合に、貴族たちに「自分の領地はよろしく」と全て任せてしまうのではなく、官僚と呼ばれる、自分の部下に国を治める仕事を任せたのです。絶対王政の時代には「宰相」や「財務大臣」などの役職をもつ有名な人が(何人か)出てきます。

その絶対王政を支えた考え方(思想)というのが、
■王権神授説
■社会契約論にもとづく絶対王政の擁護
(Wikipediaや他のサイト、本などを参考に調べてみてください)

しかし、そんな体制が長く続いていると、国王や官僚以外の人々に、だんだんと不満がたまってくることになります。
貴族は、国王が自分たちの意見を無視して自分勝手に物事を決めているということで不満をもちます。庶民は、重い税金をかけられて、対外戦争をするときには兵士として連れて行かれるわけですから、「自分たちからこんなに搾取する国王は嫌だ!」となるわけです。
それに「啓蒙思想」などの考え方も加わって、市民革命、そして絶対王政の体制の崩壊へとつながっていくわけです。


そんなところですかね。
簡単に書こうと試みたので、表現や内容などが微妙に怪しくなっているかもしれませんが、おおまかな流れとしてはこんなところです。こういう話を頭に入れた上で、もう一度#1さんのURLの文章を読んだり、いろいろ調べてみるとよいのではないでしょうか。

間違っていたら訂正に来ます。

おはようございます。

絶対王政ですか。何故そういう政治形態ができあがったかなどについては、高校の世界史の教科書あたりで深くやらないと、なかなか理解しづらいですね。#1さんの紹介しているWikipediaの文章はわりとしっかりしたものなのですが、まとめて書きすぎていて初学者には理解しづらいかと。というわけで、簡単な言葉でそのあたりの流れの説明をしてみようと思いますです。

絶対王政の前に、「中世ヨーロッパの荘園制」について勉強したと思います。

この荘園制とは、国王と貴族、貴族と騎士...続きを読む

Q国会と内閣の違いを簡単に教えてください!!

国会・内閣・裁判所って三権分立であるじゃないですか?それで、裁判所と国会は建物もあるし、なんとなくは分かるんですけど、内閣って一体なんなんですか??内閣には国会議事堂や裁判所のような建物とかって無いですよね??(間違ってたら指摘お願いします!)
じゃあ内閣って一体どこにあるんですか?内閣で一番偉い人は首相。つまり今は小泉総理ですよね?じゃあ国会で一番えらい人って誰なんですか?今の僕の意識では国会の中に内閣がある。っていう感じなんですけど、コレって間違ってますか??教えてください!

Aベストアンサー

 簡単にいいますと、国会は法律を作り、内閣は実務(実際の行政)を担当し、裁判所は法の執行を行う
これが三権分立ですね。
どこが違うか?って全然仕事が違います。

 しかし、内閣は「こういう法律を作ってください」と言うことはできます。
法律案のほとんどは内閣提出です。
でも、それを認めるかどうかを決めるのは国会です。
今年度の予算をどういうふうに使うかを決めるのは、実際に仕事をする内閣ですが
国会はそれを事前にチェックしたり(予算審議)、
実際の使い方をチェックし、ミスを指摘する(こちらは決算)ことができます。
このように、お互い独立して仕事をしていますが
自分の担当だからといって自分勝手な行動をとらないようにチェックしあっているのです。
ですから、どこが偉いということはありません。
3つとも同じ地位にあります。
総理大臣は必ず国会議員ですから
「国会の中に内閣がある」というような気もしますが
そうすると、国会議員の中でも偉い人が総理大臣、
つまり国会より内閣の方が偉い!ということになってしまいますから
その認識は正確ではありませんね。

 内閣はどこにあるか?ですが
内閣には総理大臣のもとにたくさんの省庁がありますね。
外務省とか財務省とか、防衛庁もそうです。
その建物の一つ一つが内閣をつくっています。
仕事が膨大で職員の規模も大きいので、
まとめてどこかに置くというわけにはいかないのです。
内閣のまとめ役の総理大臣の城である首相官邸が一番小さかったりします。
紛らわしいですが、内閣府は内閣の一つの機関にすぎませんのでお間違えなく。

 最後に、国会で一番偉い人ですが
やはり衆議院、参議院の議長でしょうね。
議長は野党でも与党でもなく、中立の立場にいます。
議長、副議長になると、党を離れて無所属になるんですよ。
ですから、与党からも野党からも敬われる存在です。
とはいえ、話し合いを重んじるのが議会ですから
偉いからといって何でもできるわけではないですけど。

 簡単にいいますと、国会は法律を作り、内閣は実務(実際の行政)を担当し、裁判所は法の執行を行う
これが三権分立ですね。
どこが違うか?って全然仕事が違います。

 しかし、内閣は「こういう法律を作ってください」と言うことはできます。
法律案のほとんどは内閣提出です。
でも、それを認めるかどうかを決めるのは国会です。
今年度の予算をどういうふうに使うかを決めるのは、実際に仕事をする内閣ですが
国会はそれを事前にチェックしたり(予算審議)、
実際の使い方をチェックし、ミスを指...続きを読む

Q★「封建制度」を簡単に説明してください!

★「封建制度」を簡単に説明してください!

世界史の時間によく「封建制度」なる言葉が出てきます。

いろいろと調べてみたのですが、いまいちよくわかりません。

理解力を深めたいので、封建制度を簡単に説明できる方よろしくお願いします!

Aベストアンサー

封建制度とは「封」(封土=土地)を与えて家来を「建てる」と言って、つまりは
「土地をなかだちとしてむすばれた主従関係(しゅじゅうかんけい)にもとづく社会のしくみ。」
のことを言います。
御恩と奉公ですね。
もちろん日本・中国(周)・中世欧で指す封建制度とはそれぞれ少し意味が異なったりしますが、基本的には上記の意味です。

ちなみに対義する言葉は絶対王政や絶対君主制です。

Q弾劾裁判とは?

ニュースを見ていたら弾劾裁判が行われたと言っていましたが、弾劾裁判ってなんだろう?と気になってしまいました。ご存知の方教えてください。。。

Aベストアンサー

弾劾裁判とは重大な非違のある裁判官を罷免するために行われる特別な裁判です(憲法64条を参照)
 
 弾劾による罷免の理由としては以下の二つがあります。
(1)職務上の義務に著しく違反しまたは職務を甚だしく怠っ た時。
(2)その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著し く失うべき非行があった時。
        *裁判官弾劾法20条

 弾劾裁判所は各議員においてその議員の中から選挙された各7人の裁判員で組織されます(国会法125条、裁判官弾劾法16条)。

 要するに悪いことをした裁判官を裁判するのが弾劾裁判ですね。通常、裁判官というものは手厚くその身分が保証されているものです。そうでないと司法権の独立が保てません。この弾劾裁判は憲法(64条)が認めた例外なのです。

 今回の弾劾裁判によって村木判事は罷免されることになりました。携帯電話の伝言サービスなどで知り合った当時14―16歳の少女3人に現金を渡してわいせつ行為をし、裁判官としての威信を著しく損ねた、というのが理由です。止む無しという気がしますね。

 因みに弾劾裁判で裁判官が罷免されるのは20年ぶり、1947年の制度発足以来、5人目だそうです。

*憲法64条
「(1)国会は、罷免の訴追を受けた裁判官をするため、両議  院の議員で組織された弾劾裁判所を設ける。
 (2)弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。」

弾劾裁判とは重大な非違のある裁判官を罷免するために行われる特別な裁判です(憲法64条を参照)
 
 弾劾による罷免の理由としては以下の二つがあります。
(1)職務上の義務に著しく違反しまたは職務を甚だしく怠っ た時。
(2)その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著し く失うべき非行があった時。
        *裁判官弾劾法20条

 弾劾裁判所は各議員においてその議員の中から選挙された各7人の裁判員で組織されます(国会法125条、裁判官弾劾法16条)。

 要するに悪いことをし...続きを読む

Qたくさんの方に教えて頂きたいです!結局、部落差別って何なのでしょうか?

僕は北海道出身です。
北海道には『部落』と呼ばれる地域がありません。
ですから部落差別と呼ばれるものも存在しないと思います。

青春時代を関西の田舎町で過ごしましたが、その時初めて『部落差別』なるものの存在を認識し、とても大きな衝撃を受けました。
『同和教育』なるものも北海道の小学校では教わった記憶がありませんし、未だに根強い差別意識が残っている事に疑問を感じています。

部落地域に住む方々の過去などは関西在住時に友人達から説明を受けましたが、いまいちそれも良くわかっていないというのが現状です。

『なぜ部落と呼ばれる地域の人たちは差別の対象となるのでしょうか?』

ちなみに僕自身は『部落』が何なのかという認識が薄く、周囲の人たちが言う事を全く気にせずに(詳しい事を知らずに)普通にお付き合いをしてきた経緯がありますし、今もそのような認識をもっています。

なお、差別的な認識は全くない状態でこの文章を作成しましたが、何か問題があれば質問自体を削除して頂けるように管理人さんにお願いするつもりです。

Aベストアンサー

多くの方が現代の事柄を中心に回答されているので、私は近世地方史(加賀藩)研究者としての立場から、江戸時代の実態について少し述べてみます(ただし、こうした差別は江戸時代以前からあったと考えられています)。
江戸時代までの日本には仏教の影響もあって四つ足の動物を食べる習慣がありませんでした。また、人や動物の死骸に触れることは忌み嫌われていました。
しかし、世の中の誰かがそれをやらねばならなかったのも事実です。例えば道端で死んだ牛馬の処理、死刑に処せられた人の始末、皮製品の製作等々の作業です。
そこで、古代、あるいは中世ころからこれを家業とする一族を作り(あるいは自然に生まれ)、専門家集団として一般農民とは一線を画していたのです。
いつのころからか(少なくとも江戸時代初期以前)、こうした一族は人間以下のものとみなされ、不当な差別を受けるようになっていきます。差別は生前のみとは限らず、ある地域では死後においても墓石の法名に「畜○○」などと書かれました。
一説には、農民にしっかり働かせるため、農民以下の存在として工・商を置き、さらにその下に非人を置いたとも言われています。
一族は差別を受けた反面、法的な保護も受けていました。例えば牛馬の処理はこれらの一族が独占しており、刑場での作業も一般の農民や町民が使われることはなかったのです。
こうした差別は明治政府によって撤廃されたのですが、そのころに作られた壬申戸籍では「新平民」と記載されてしまいました。そのため、戸籍を見ると部落の出身であることがすぐに分かってしまい、色々な悲劇を生み出すこととなりました。
明治維新からすでに130年以上経過しております。インドのカースト制度などでは、名前で階級が分かってしまい、また宗教上の理由からも差別の撤廃が困難なようですが、日本では戸籍を調べるにも限界があり(明治期の戸籍はもうほとんど調べられない)、いずれはなくなるものと思います。またそうであることを願ってやみません。

多くの方が現代の事柄を中心に回答されているので、私は近世地方史(加賀藩)研究者としての立場から、江戸時代の実態について少し述べてみます(ただし、こうした差別は江戸時代以前からあったと考えられています)。
江戸時代までの日本には仏教の影響もあって四つ足の動物を食べる習慣がありませんでした。また、人や動物の死骸に触れることは忌み嫌われていました。
しかし、世の中の誰かがそれをやらねばならなかったのも事実です。例えば道端で死んだ牛馬の処理、死刑に処せられた人の始末、皮製品の製作...続きを読む

Q人文科学と社会科学とは何をもって区別するのか

すいません。経済学とは関係ないのですが、社会科学の女王である経済学の関係者のみなさんから、社会学sociology(社会科学ではなくて)について意見をお願いします。

私のイメージでは、
人文科学とは一人の存在としての「人間」の内面、あるいは人間の存在そのものに関する研究をしていく諸学問の総称、
社会科学とはその人間一人一人が集まって作る社会という動的共同体の間に働く法則や、社会が持つ性質・現象などを研究する諸学問の総称だと思います。

そして、哲学、各国文学、倫理学、美学、歴史学、地理学などは人文科学になっています。また、法学、政治学、経済学、社会学、商学などは社会科学になっています。

そのなかで社会学について、
一橋大学や立教大学など一部の大学を除いて、多くの大学が社会科学の一分野である社会学を、文学部ないし人文学部に設置しているのがたいへん疑問です。法学を文学部にはおきませんよね。経済学も文学部には普通ない。にもかかわらず、社会学だけは東大でも文学部に置かれている、というのは疑問です。

私の人文科学の定義からすれば、社会学は人文系では無いと思うのです。
どうして、社会学は人文科学の扱いを受けることもあるのですか?法学や経済学より、実学ではない=パン(めし)にならない学問だからですか?

そもそも、人文科学と社会科学の明確なわけ方は?
文学部社会学科は「ありえる」のに対し、文学部法律学科は「ありえない」のはなぜですか?

すいません。経済学とは関係ないのですが、社会科学の女王である経済学の関係者のみなさんから、社会学sociology(社会科学ではなくて)について意見をお願いします。

私のイメージでは、
人文科学とは一人の存在としての「人間」の内面、あるいは人間の存在そのものに関する研究をしていく諸学問の総称、
社会科学とはその人間一人一人が集まって作る社会という動的共同体の間に働く法則や、社会が持つ性質・現象などを研究する諸学問の総称だと思います。

そして、哲学、各国文学、倫理学、美学、歴史学...続きを読む

Aベストアンサー

ふたつの側面から考えます.
一つは,学問体系的な存在です.
二つめは,個別学問内におけるウェイトです.

この2点から,どの点を考慮しているかによって,学部学科名は,自ずと決まってくると思われます.

一つ目のは,学問体系として確立しているかで学部名が決まってkる.文学部社会学科というのは,心理学などの人文的な体系が相互に織り交ぜあって,社会学を形成していると考えるからだと思います.社会学部として独立するには,むずかしいという判断かもしれません.経済学は,大きくマクロ経済学・ミクロ経済学的な基礎を体系としてもっており,これを土台にして,社会学を考えるのであれば,経済学部社会学科というのはまったく違和感はありません.

2つ目のは,例えば,経済学部音楽学科とか,人文学部医学科というようなものが,学問内においてウェイトが小さいという判断です.しかし,経済学部内には,医療経済学という分野も存在し,万が一,そのウェイトが社会的学問的に大きく無視できない場合には,経済学部医療学科が形成されることになると思います.

簡単に考えれば,~学部・・・学科という意味は,
「~的に・・・を考える」という意味です.

文学的に法律を考えるというのは,どういう意味なのでしょうか?
2つ目の点から言えば,その学問内でのウェイトが大きくなれば,文学部法律学科は形成されることになります.

それよりも,人文的に社会学を考えるほうが,
学問的重要性のウェイトが大きいのです.

ふたつの側面から考えます.
一つは,学問体系的な存在です.
二つめは,個別学問内におけるウェイトです.

この2点から,どの点を考慮しているかによって,学部学科名は,自ずと決まってくると思われます.

一つ目のは,学問体系として確立しているかで学部名が決まってkる.文学部社会学科というのは,心理学などの人文的な体系が相互に織り交ぜあって,社会学を形成していると考えるからだと思います.社会学部として独立するには,むずかしいという判断かもしれません.経済学は,大きくマクロ経済学...続きを読む

Q小さな政府とはなんですか?

ずばり小さな政府とは何かを教えてください。
経済に政府が出来るだけ介入しないってことでしょうか?

出来るだけ詳しく、具体例など(国とか政策の)だしてくださると有難いです。

Aベストアンサー

こんにちは。
 #2さんがざっくりと説明している通りです。「民間に出来ることは民間にまかせる」=「政府のやることを減らす」ことです。
 質問者さんの言うように、経済に介入しないという面もありますが、政治的にもやることを減らしていきます。

 因みに、過去の政権で「小さな政府」を目指したことで有名なのはイギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権、日本の中曽根政権です。
 (彼らの主張は「新自由主義」と呼ばれて、結構研究も進んでいるので、検索すると多数ヒットすると思います。興味があったら検索してみてください)
 これらの政権で行われたことは、規制緩和、国営企業の民営化(日本だと国鉄の民営化ですね)、文教・福祉予算などの削減、減税などです。
 このような政策をとると、減税で収入も減るし、予算の削減で支出も減ります(扱うお金の量が減る)。規制緩和や民営化で仕事も減るので、政府の規模は小さくなります。ですから、このような政策をとる政府を「小さな政府」と呼びます。

 因みに、「小さな政府」の反意語は「大きな政府」なのですが、これは必ずしも非難されるべきものではありません。
 上でも「小さな政府」は、減税を行い、文教・福祉予算を削減したと言いましたが、近年の国家(「大きな政府」)は、このようにして、国民から税を徴収し、貧困層に生活保護などと言う形で再分配を行ってきたのです。そのことによって、国民全てが最低限の生活を保障されてきました。(反面、富裕層は、税金をたくさん取られる割に見返りを得られませんでした)
 市場の競争原理が働かない政府による保障は、画一的で非能率的なものになりがちだという批判があるのも事実ですが、私は、「小さな政府」「大きな政府」というのは、良い悪いの問題でなく、現状を見てどのくらいの規模の政府をつくろうと考えるのが重要なことだと思います。

 最後の方は私の感想になってしまってすいません。。。
 最後に、検索に役立ちそうな語を挙げておきます。
○レーガノミクス
○小さな政府=安価な政府≒消極国家≒夜警国家
○大きな政府≒積極国家≒福祉国家≒行政国家

 
 
 

こんにちは。
 #2さんがざっくりと説明している通りです。「民間に出来ることは民間にまかせる」=「政府のやることを減らす」ことです。
 質問者さんの言うように、経済に介入しないという面もありますが、政治的にもやることを減らしていきます。

 因みに、過去の政権で「小さな政府」を目指したことで有名なのはイギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権、日本の中曽根政権です。
 (彼らの主張は「新自由主義」と呼ばれて、結構研究も進んでいるので、検索すると多数ヒットすると思いま...続きを読む

Q江戸幕府の財政悪化~享保の改革前~

享保の改革において吉宗の最大の課題は財政再建でしたが、どのような経緯で幕府財政は悪化していたのでしょう。商品作物栽培の進展から貨幣経済が農村にも浸透していき、「米価安の諸色高」という状況になり、それまで年貢米を中心に徴収していた幕藩領主が困窮したということなのでしょうか?それは、享保の改革の最中に現出した状況であって、享保の改革前に幕府・藩の財政が悪化していたという理由としては適切でないとも思ったりしてます。それとも、上記の状況は享保の改革以前から始まっていたのでしょうか?それならば、納得がいくんですが。ご存知の方、どうでしょう?

Aベストアンサー

徳川幕府の税金は、原則として 検地による石高に基づく米での現物納付です、この米は大阪等の市場で相場で売り渡され、幕府や藩の資金とされました
他の回答にもあるように「米価安の諸色高」のため充分な資金を得ることは困難でした

そのうえ
米以外には、ほとんど課税されず、石高は、江戸初期のままで、農業技術が進歩し、収量が増えても、そのまま据え置かれました

ですから、江戸初期に4公6民でも、収量が3割増えれば、4公9民となり、実質税率40%が31%になり
米以外の割合が増えますから、実質税率はさらに下がります、ある資料によると農業収入の1~2割だそうです

結果として、幕府や藩の収入は江戸初期からほとんど変わらないのに、武士以外の収入は漸次増加して行き、生活レベルが向上してきました
社会全般のレベルが向上し、費用が余計にかかるようになっても 幕府・藩には増収の手立てがありません
これが根本的な原因です

商工業にも課税しようとした田沼意次のような為政者もいましたが、大勢の賛同を得られませんでした、

縮小均衡を図ろうとする吉宗のような為政者が賛同されたため、財政は悪化の一途をたどってしまったわけです

徳川幕府の税金は、原則として 検地による石高に基づく米での現物納付です、この米は大阪等の市場で相場で売り渡され、幕府や藩の資金とされました
他の回答にもあるように「米価安の諸色高」のため充分な資金を得ることは困難でした

そのうえ
米以外には、ほとんど課税されず、石高は、江戸初期のままで、農業技術が進歩し、収量が増えても、そのまま据え置かれました

ですから、江戸初期に4公6民でも、収量が3割増えれば、4公9民となり、実質税率40%が31%になり
米以外の割合が増えますから、実質税...続きを読む

Qルソーの一般意思ってなんですか

ルソーが言った一般意思っていうのはなんですか?
全体意思との違いなども簡単に教えていただけるとうれしいです。
ウィキペディアなどで見たのですが、どうも私には難しすぎてさっぱりわかりませんでした。
なんか高校の政経の授業で一般意思は代表しない、とか
なんかそんなようなことを先生が言っていたような言わなかったような、、、でもうろ覚えなので意味はわかっていません。
素人なのですがわかりやすくおしえていただけないでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

なるべく簡単に書きます。
簡単すぎて、不十分な点はあると思いますので、ここらへんをもっとくわしく知りたい、という問題意識がおありでしたら、補足要求してください。

国家というものはどうつくられるべきか、ということをルソーは考えます。
単独で、孤立した個人が集まって作る国家はどういうものが望ましいか。
それは、ひとりひとりが自己の利益を脇に置いて、共同体全体の利益を考えるような、そういう意識をよりどころに結びついたような共同体である。

ひとりひとりの利益を追求するのが「特殊意志」
「特殊意志」を単純に加算していったのが「全体意志」
「一般意志」というのは、社会契約のもとに集まった、共同体の意志です。

そこでは、各個人の意志は「一般意志」にすっぽりと呑みこまれていきます。
ルソーは『社会契約論』でこう言っています。(引用は.「社会契約論」 『世界の名著 36 ルソー』所収)

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この社会契約のあらゆる条項は、よく理解されるならば、ただ一つの条項に帰着する。すなわち、各構成員は、自己をそのあらゆる権利とともに共同体全体に譲り渡すということである。それはなぜかというと、まず第一に各人はいっさいを譲り渡すので、万人にとって条件は平等となるからであり、条件が万人に平等であるなら、だれも他人の条件の負担を重くすることに関心をいだかないからである。
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重要なのは、「自己をそのあらゆる権利とともに共同体全体に譲り渡す」という点。
個人は社会契約を結ぶ時点で「特殊意志」を捨て、「一般意志」に委ねるのです。

つまり、個人は個人の自由を手放し、共同体の一員となることによって初めて真に自由になれる、とルソーは考えたんです。「特殊意志」を捨てて「一般意志」のもとにみずからを従属させることで。そうすることで、人間は自己のもつ最高の可能性が発揮され、最高の自由を手に入れることができる、と。

なるべく簡単に書きます。
簡単すぎて、不十分な点はあると思いますので、ここらへんをもっとくわしく知りたい、という問題意識がおありでしたら、補足要求してください。

国家というものはどうつくられるべきか、ということをルソーは考えます。
単独で、孤立した個人が集まって作る国家はどういうものが望ましいか。
それは、ひとりひとりが自己の利益を脇に置いて、共同体全体の利益を考えるような、そういう意識をよりどころに結びついたような共同体である。

ひとりひとりの利益を追求するのが「特...続きを読む


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