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卒業式や入学式等で、日の丸に向かって起立し君が代を斉唱することを拒否する教師(日本人)は、愛国心を持ってないことになりますか?

A 回答 (21件中1~10件)

彼らは「国旗掲揚・国歌斉唱時に起立しない」



のではなく、「日の丸」が「日本の国旗」といえるか

「君が代」が「日本の国歌」で正しいのか

を歴史的経緯などから疑問視していると思います。

愛国心が無いなら そんなことは そもそも考えないのでは?

個人的には「日の丸」は好きですが「君が代」は他国の国歌に比べて迫力がイマイチというか・・・見劣りするような気がします。(歴史的考証でなく趣味の問題ですが・・・)
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 私たちの人間社会が、過去に、これに似た問題を抱えていたかどうか調べてみてはどうかと思うのですが、浅学のため、思い当たるものがありません。

若干哲学史に興味があるので、この現象は、プロタゴラスに人間尺度論「すべてのものの尺度は人間である。有るものについては有るということの、有らぬものについては有らぬということの」を主張させるようなものであるなあと思います。
 問題の教師も、また彼らを指揮監督する立場の人々も、自分自身は正しいと思ってやっておられるのでしょう。感情や、考えが、それぞれ違っていることは明らかですが、程度に個人差はあれ、自分は正しいことをしているということについては、同じではないでしょうか。ですから、互いに相手の間違っているという点を取り上げて議論し、互いに譲らずというのであれば、正しいとしている点を吟味にかけて、真意を汲み取ってみればいいのではないかと思います。過ちが双方で2つあるよりも、正しさが双方で2つあるほうが、有益であると思われます。
 こう考えますと、問題の教師は、【善い意味の愛国心】を持っており、【善い意味の愛国心】の欠如から拒否行動をおこしたのではないという視点になるように、ものさしにプラスとマイナスのめもりがあるとしたら、プラス側をあてればよいのだと思います。
 それにしても、私には、教師の拒否行為がプラスいくつになるのか読み取れません。その教師に育てられた生徒たちが大人になって、どんな未来を作るのか、はかりかねます。そのころに、いくらか、はかるに値する大きさになっていれば、後世が評価するということでしょうか。先生方は、こんな気持ちをお持ちなのでしょうか。壷井栄の『二十四の瞳』でしたか、女先生が戦地に向かう教え子に「死んじゃだめだ」と言っていたのを思い出しました。いまだからこそ、その言葉は大きなプラスに読み取れるのでしょうね。
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なります。



また、逆になりません。

というよりそんな事は大した問題ではない。
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礼儀とか、曖昧な言葉を使うなよ。


礼儀に反する行為をしたところで、別にどうにもなりません。
ビジネスだったら信用を失い、友人関係だったら信頼を失います。

いま、脅威と感じなければならい事項は、
日の丸・君が代強制 → 戦争・それに近い教育の密かな復活
→ 教育基本法改正 → 憲法改正への道筋をつけられる ことです。

教師。大学教授・研究者、そして国民。すべてに声を上げてもらいたい。
海外の事件に翻弄され、海外の言いなりになっていると、
日の丸君が代どころか国が潰れますよ。
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この人の世には、”礼儀”や”ボディラングェージ”というものがあります。


例えば、親指を突き出して下に向けると”ブーイング”や”相手の否定”の意思表示でありますし、
”白旗”を掲げると”降伏”の意思表示です。これはほぼ”国際的スタンダード”です。
日の丸に限らず、何処の国家の旗であっても掲揚するときには起立、脱帽するのが国際的な礼儀です。
逆に公式な場でこれをしなければ、その国旗の国家の否定であり、その国の国民や民族、歴史への侮辱的な意思表示です。
その行動を取った本人の心の中身は関係なく、観る方はそのような意思表示と取るわけです。
”礼儀もわきまえない恥ずかしい行為”なんてレベルを超えて、時と場合によっては本当に血の雨が降ります。
そんなことは大人がちゃんと教育しなければならないのです。
”国際人としての素養を身につける”ことが学校教育の目的の一つなら、
教師は生徒の目前でそんな行動を見せてはいけないのです。
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日の丸や君が代に反対する公立学校の教師が、集団で退職して資金を出し合い「民主教育学園」(仮称)を設立して、卒業式で君が代を斉唱せず日の丸を掲揚しないとします。

これは、日本の法律には反しませんし社会通念上も許容されるでしょう。そのような学校に子供を入れる親は、「民主教育学園」の方針に賛同しているわけですから親からも文句は出ないでしょう。

問題になっている「卒業式や入学式等で、日の丸に向かって起立し君が代を斉唱することを拒否する教師(日本人)」は、公立の学校に奉職して税金から給料を貰っています。その場合、国旗や国歌を忌避することは許されません。公務員としての職務に反しますので、服務規程に沿って罰せられるのが当然です。愛国心以前の問題です。公立学校に子供を通わせる親は、そういった「勘違い教師」の排除を当局に請求する権利があるとも言えます。
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教師といえども、1人の人間・個人ですから、思想信条の自由がありますから、考え方は自由です



以上が、大前提で
・私は、教師である個人が、「日の丸に向かって起立し君が代を斉唱することを拒否する」とゆう思想・考えを持つことは否定しません
・しかし、卒業式や入学式等でそれを主張することは否定します、場所を考えろと
・教育の現場であればなおさら、個人の思想信条が大事だと思うならなおさら、他人の思想信条の自由を守らなければいけない
・教師が、学校終了後個人として、団体で活動したり、自分の主張をしても何の問題は無い
・学校の場(職場では)相手の意見を聞きなさい、尊重しなさい、自分の意見を持ちなさいと考え方を教える立場であり、あくまで中立でなければならないと考えます(両方の意見を聞けるだけの度量を作る)
 自分の意見の発言の場ではないし、それは特定のイデオロギーの生徒への刷り込み、影響を与えることになります(いわゆる洗脳ですね)

・それが思想信条の自由と声高にいう者のすることかと・・しょせん偽善と思いますが
・基本的に教師としての資格の無い人たちです


・入学式、卒業式、式典には自分の思想信条から出ない
 組織の和を乱したのだから、その責任は自分にあります
 処分されるのなら、それもしかたありません
・自分の思想信条には反しますが、職務として参加します、学校では自分は教師ですから

このように、あってほしいですね、人として尊敬できますし、考え方が違ったとしても応援したいと思いますね

>愛国心を持ってないことになりますか?
・愛国心てゆう言葉が嫌いなのです
 愛国心→日本の侵略・戦争 です
 今後も愛国心は持てないでしょう
 某国えの愛国心? は有るかもしれませんが
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 私は基本的に、国歌斉唱、国旗掲揚には、賛成の立場です。



 その理由は、日本と言う国が、地球と言う巨大な共同体の一部であり、世界の人々と、平和に協力し合い、助け合って行かなければならなくて、国民ひとりひとりが、日本人としての自覚をもち、日本と言う国を皆で協力して、良い国にし、国際貢献に勤めなければならないからです。

 そのためには、国旗や国家と言うものは日本の国のシンボルとして重要なのです。サッカーやオリンピックでも国歌斉唱や、国旗掲揚は必ずされて、そのときは、サッカーのサポーターも選手たちも皆、声高らかに歌うではないですか。あれも一つの国を思う意識や国を皆のものだとする意識の現れでしょう。

 もちろん過去に戦争と言う大きな災いが起こり、日の丸や「君が代」がその災いの元の一つとなった、という考え方があって、それらを忌み嫌う現代の風潮(実はもう20~30年前の考え方なのですが)がありますが、それは、あくまでも、そのように利用した連中が責められるべきで、そのものは実に崇高な意味を持っているのです。

 軍国主義は、歴史、政治・社会・文化・国際関係と言う大局観で考えると、人間社会の進化の一過程にすぎなく、しかも、日の丸、「君が代」そのものは、軍国主義とは無縁であるにもかかわらず、軍国主義の何たるかもろくに理解もせず、それらをあたかも軍国主義そのものであるかのように、ただ反対々々と意義を唱えてる人々が哀れです。

 教員も現代では、太平洋戦争の文献をろくに読んだこともない者が大半で、ただ軍国主義批判に走り、その、日本がなぜそういう道を歩んだかなど考えもしないで、国家・国旗に反対とは情けない。

 拒否することが即「愛国心の欠如」を意味するとは言いませんが、どういう目的で拒否するのかを全うに説明できる人は、そう多くはいないと思います。

 これには、その教師たちを育てた、日本の教育システムにも問題があるのでしょうが、その問題と、皆で
いま取り組んでいる最中で、その一つの過程が、国家、国旗に関する文部科学省の提言なのだと理解しています。
 
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戦争前ならば.反逆罪で愛国心がないとして拷問死です。

裁判をしないで軍人が簡単に人を殺せた時代ですから。

つまり.もし.子質問のような状態で処罰の対象となるのであれば.戦前の軍国主義という社会主義体制と同じです。
「君が代」は国歌ではなかったはずです。文部省が「国歌が定められるまでの間代用する歌」として定めたのが20年くらい前ですから。
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難しいことは分からないけれど、同じ向きに立つ身でありながら、主張が強すぎて、ボタンの掛け違いのような気がしてます。



時代が違うということで、新たにどちらも再出発ができないものですかね・・?(無理なんでしょうかね?)

大事なことには違いないのでしょうけど、あんまりこだわってると、他の大事なことがどっかいっちゃうんじゃないかと思います。

同じ向きに立つ身として、戻るべきところを見つけて、どちらも立ち戻って欲しいです。
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