親子におすすめの新型プラネタリウムとは?

昨日、友人たちと会話していると、

「そういえば、お寺などの建物(例:平等院鳳凰堂や東本願寺の御影堂)って東向きに建てられているけど…何故だろう?」

というような会話となりました。


確かに。お寺などの建築物は東向きに建てられていることは多いです。
それは何故なのでしょうか?

いろいろと調べてみたのですが、わかりませんでした。
どなたかご存知の方、どんなことでもよいのでどうか教えてください!!

よろしくお願いします。

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A 回答 (4件)

 寺院建築は時代により変遷がありますが、飛鳥・奈良時代や平安前期のように大陸文化の影響を強く受けている寺院は、基本として南面で建てられます。


 支那では「王者南面」といい、宇宙の中心とされる北極星の方位である北は上座とされます。北を背にして南を見るように、宮廷建築なども作られます。日本もその例にならい御所の配置はそうなっています(京都では西が右京、東が左京となるのもそれが理由です)。 法隆寺・飛鳥寺・興福寺・東寺などの寺院建築も、その例にならい、南面で建てられます。
 また室町期の禅宗建築でもその型式は踏襲されています。

 次にご質問のように浄土信仰に基づく寺院であれば、阿弥陀如来の浄土である西方極楽世界を拝む形で、東面で建てられます。浄瑠璃寺(奈良県加茂町)や浄土寺(兵庫県小野市)などもその例です。阿弥陀信仰にかかわらず、特定の本尊に由来する方位(薬師如来の東方、観音菩薩の南方、弥勒菩薩の北方など)に向けて建てられる場合もあります。

 また山岳信仰の寺院の場合は、仏教化する以前からの聖地(日本古来の神聖視されていた場所)を拝する型式で建てられる場合もあります。

 基本としては南面ですが、時代変遷や地形的理由、再建された際に方向が変わるなどもあります。東向きの寺院は阿弥陀信仰の影響を考えればよろしいかと思います。
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神社仏閣に、朝日を浴びながら、玉砂利を踏みしめ、参拝に向かうの


は、すがすがしいものです。
日を浴びながら東向きの神社仏閣にお参りすることになりますね。

寺院については、やはり西方浄土の考えによると思われますが、
地形とか、南向きが暖かいとか北極星を背にするとか、
宗派によっても、お寺によっても、さまざまです。

キトラ古墳の星座の図も「君子南面説」の証明ではないかと思います。

なお、神社については、「神武東征」のとき、生駒山付近で、敵が太陽
を背に戦ったのですが、天皇方が敗れたので、迂回して、太陽を背に
東から進むことにした。そのいわれもあるとの意見もあります。
以上
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こんにちは。



古来より寺院は南向きが原則で建立されておりました。しかし、東西本願寺派寺院(一向宗派)の寺院に共通して言えるのは、東向きに伽藍が配置されているという事です。これは古代からの「西方浄土」の阿弥陀信仰が背景にあり、東から阿弥陀様を迎えるにあたり、寺院の伽藍を東に配置しました。

ご参考になりましたら幸いです。
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 平等院の場合は間違いなく阿弥陀信仰によるものです。



 阿弥陀如来はこれから成仏される方を迎えに来る仏様で、その極楽浄土は西の彼方にある、ということになっています。これを「来迎」と言います。
 ですから阿弥陀様は西から東向きにいらっしゃるのです。
 同様に本尊が阿弥陀如来の場合には東向きにすることが多いのだと思われます。確か三千院などもそうだったのでは。
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Q神社本殿(鳥居も含めて)の向き

近くの神社について不思議に思ったことですが、本殿(鳥居も含めて)は三島神社は南向き、諏訪神社や八幡神社は東向きになっています。今のところ北向きは見た記憶がないのですが、本殿の向きは理由があってそうなっているのか、または何気なくそうなったのか、ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。

Aベストアンサー

私も興味をもって調べたことがあるのですが、分からないままになっています。
ただ、西向きや北向きの社殿が、きわめて少ないことには違いないですね。
広い社域がありながら、わざわざ日当たりの良い南や東向きではなく、北向きにしたのは何か理由があるはずです。
私は、神社は地域の、あるいは同族の守り神だと思っていますので、神社の由緒が「向き」に結びつくのではないかと、調べてみたのです。

播磨国一ノ宮の伊和神社(兵庫県)は北向きです。
このあたりはその昔、大国主命つまり出雲大社の勢力範囲なので、出雲大社に向かって建てられている、という話を聞いて興味をもち、このあたりの神社をかって見てきたことがあるのですが、下記のHPでは、そうではないようです。

http://www.eonet.ne.jp/~nunose/009kosya11.htm

しかし、「鶴石」は、大和政権が強大化してからの「作り話」だと、思っています。

次に、渡来人は故里を想って「向き」にこだわって神社を建てるのではないかと仮定して、
近くの「新羅神社」(全国あちこちにあります)2社を見たのですが、朝鮮半島の方を向いていません。
そこで、気づいたのですが、社殿を故里の半島に向けて建てると、拝むときには背(尻)を向けることになるではないかと。
結局、分からなくなったのです。

福井県武生市の大塩八幡宮の場合は、理由がはっきりしています。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~elnino/Folder_DiscoverJPN/Folder_ClbMorinomiya/JPN_2003KehiJinguu.htm

「北向き 社殿」で検索するとかなりの数になります。

私も興味をもって調べたことがあるのですが、分からないままになっています。
ただ、西向きや北向きの社殿が、きわめて少ないことには違いないですね。
広い社域がありながら、わざわざ日当たりの良い南や東向きではなく、北向きにしたのは何か理由があるはずです。
私は、神社は地域の、あるいは同族の守り神だと思っていますので、神社の由緒が「向き」に結びつくのではないかと、調べてみたのです。

播磨国一ノ宮の伊和神社(兵庫県)は北向きです。
このあたりはその昔、大国主命つまり出雲大社の勢力...続きを読む

Q仏像を堂内で祭るときの方角

阿弥陀様は東向きに、薬師様は西向きに安置すると聞きました。
釈迦如来像、観音菩薩像、弥勒菩薩像その他の仏像でも方角が決められていますか。
調べてみましたが、阿弥陀如来、薬師如来は基本的に決まっているようですが、その他の仏像では、よく分かりませんでした。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

阿弥陀さまが東向きなのは、「西方極楽浄土」にお住まいだから、そちらから“この世”をご覧になっているという設定でしょう。

同じく、お薬師さまは「東方浄瑠璃世界」にお住まいなので、東から“この世”をご覧になっているということでしょう。

弥勒さまは「兜率天」に登られましたから、同じようにお住まいの方角から“この世”をご覧になる設定にするには、天上界(上方)から下を見下ろす形になるはずですが、そういう弥勒さまは見たことがありません。

また、お釈迦さまはどちらのお浄土にいらっしゃったか……、「荘厳国」とか「霊鷲山」と言われていますが、方角がどちらかはよく分かりません。

あと、観音さまは阿弥陀さまの脇侍ですから、阿弥陀さまと同じ世界にいらっしゃるので方角も同じでしょう。

他に、お住まいの浄土が設定されている主な仏さまは、

毘盧舎那如来=蓮華蔵世界
大日如来=密厳国土
阿しゅく如来=東方妙喜世界(※「しゅく」は門構えの中に「人」が三つ入る字です)

くらいでしょうか。
毘盧舎那如来も大日如来も、仏教の教えを「太陽」になぞらえて作られた仏さまで、“この世”を普く照らしておられる存在なので、お住まいの世界の方角はやはり天というか上部になると思います(経典にどのように書かれいているかは存じませんが)。

阿しゅく如来さんは「東方妙喜世界」ですから、西向きになるのでしょうか……。


他に密教系なら、曼荼羅で各尊像の方角が決まっていますから、密教系ならそれに従ってお祀りしているかもしれません。

密教系のお寺に行くと、堂内に曼荼羅と同じ配置で仏像が安置されている所もあります。
大日如来を中心に、すべての仏さまが同じ方向(参拝者の方向)を向いていますので、必ずしも「この仏さまは必ずこの向きで安置せねばならない」ということにはならないような気がします。

もう一つ、仏さまではありませんが、仏さまを守護する四天王にも、東西南北があります。

持国天=東勝神洲
増長天=南瞻部洲
広目天=西牛貨洲
多聞天=北倶廬洲

こちらも、堂内では中尊の四隅を取り囲むように安置されていますが、お寺によって置きかたは様々です。
方角は決まっていますが、四隅から参拝者の方を見ているように安置する場合と、中尊に背を向けて四方に目を光らせているように安置する場合とがあります。

お堂の状況によって必ずしも設定通りに安置できない場合もあるでしょうし、そんなに厳密な決まりではないような気がします(個人的印象ですが)。

阿弥陀さまが東向きなのは、「西方極楽浄土」にお住まいだから、そちらから“この世”をご覧になっているという設定でしょう。

同じく、お薬師さまは「東方浄瑠璃世界」にお住まいなので、東から“この世”をご覧になっているということでしょう。

弥勒さまは「兜率天」に登られましたから、同じようにお住まいの方角から“この世”をご覧になる設定にするには、天上界(上方)から下を見下ろす形になるはずですが、そういう弥勒さまは見たことがありません。

また、お釈迦さまはどちらのお浄土にいらっしゃったか……...続きを読む

Q神社の鳥居の向きについて

お願いします。
神社の鳥居の向きの方角は決まってるという事を聞いた事がありますが本当でしょうか?
また京都の神社の鳥居で違う方角を向いてる神社があると聞きましたが何という神社かおしえて下さい。

Aベストアンサー

質問を読んで考えてみると神社の鳥居は東向、または南向きが多いことに気づきました。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3741129.html
上記の質問も参考になると思います。

京都では八坂神社境内にある北向蛭子社があります。
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yasaka/access/02.html
上の地図を見ると北向きになっているのがわかりますね。
(社務所の向かって左)

また粟田神社の北向稲荷神社も北向きだと下記には記されています。
http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/kyoto/temple/awata-shrine-03.htm

奈良の猿沢池のほとりにある采女神社は本殿が鳥居に背を向ける形で立っています。
http://narashikanko.jp/j/ivnt/ivnt_data/ivnt105/

また蚕の社の鳥居は珍しい三柱鳥居です。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/hatauzu1.html

鳥居の向きや形がなぜそうなっているのかについては諸説あって
定まらないようです。

質問を読んで考えてみると神社の鳥居は東向、または南向きが多いことに気づきました。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3741129.html
上記の質問も参考になると思います。

京都では八坂神社境内にある北向蛭子社があります。
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yasaka/access/02.html
上の地図を見ると北向きになっているのがわかりますね。
(社務所の向かって左)

また粟田神社の北向稲荷神社も北向きだと下記には記されています。
http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/kyoto/temple/awata-shrine-03.htm
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Q方位磁石の使い方をおしえてください

方位磁石の取り扱い方を教えてください。
赤の針は北を指すんでしたっけ?
とにかく、使い方が良く分かりませんので
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 南北が全くわからなくなる事は通常考えられないのですが、色の付いている方が北です。太陽が出ているか、出ていなくてもおよその位置がわかれば、その時の時刻で、およその方角はわかるものです。
 常にそういうことに気をつけていれば、方向音痴なんてないと思います。ちょっと脱線しましたが、方位磁石で気をつけなければならない事は、磁石は正確な南北を指さないという事です。日本ではおよそ6~9度正確な北より西を指します。

 使い方は東京ではこれが6.5度ですので、磁石の針が北より西へ6.5度の位置になるように置きます。この時の磁石に書いてある方向が東西南北になります。

 もうひとつ気をつけなければならない事は、磁石の周りに金属製のものとかが無い所で使わなければいけない事です。何も無いと思っても土の中に金属があるかも知れないし、岩も磁性を持った物がありますから、ちょっと場所を移動して変化がなければ実用上は問題ないでしょう。

参考URL:http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/publish/text/koyomi/105.html

 南北が全くわからなくなる事は通常考えられないのですが、色の付いている方が北です。太陽が出ているか、出ていなくてもおよその位置がわかれば、その時の時刻で、およその方角はわかるものです。
 常にそういうことに気をつけていれば、方向音痴なんてないと思います。ちょっと脱線しましたが、方位磁石で気をつけなければならない事は、磁石は正確な南北を指さないという事です。日本ではおよそ6~9度正確な北より西を指します。

 使い方は東京ではこれが6.5度ですので、磁石の針が北より西へ6.5度の位...続きを読む

Q神社やお寺の作り方

都市開発がされて、ビルや家が立ち、街が出来ていきますが、そこにお寺や神社はありません。
新しくお寺や神社を作る為にはどうすればいいのでしょう?

新興宗教ではなくて(決して否定している訳ではありません)昔からある日蓮宗とか浄土真宗とか、何処にでもある宗派で説明して頂くとわかりやすいと思います。

また、神社は、厄除けとか、学業とか、安産とか、いろいろありますが、例えば学業のご利益がある神社を作ろうと思ったらどうすればいいのでしょう?
誰でも勝手に作っていいのでしょうか?
役所に届は必要でしょうか?
他にどんな手続きが必要でしょうか?

教えて下さい。

Aベストアンサー

 ただし、宗教法人格を有さない個人所有の宗教施設で問題になるのは、税金と相続ですね。宗教施設って所有する土地面積に対して、収入は微々たるものがほとんどだし(宗教法人に対して固定資産税が優遇されるのもそのような理由ですね。そればなければ都心部の寺院や神社・教会なんか税金だけで破産してしまいますよ)、所有者の死後はだれがその宗教施設を相続するかで、問題が起きやすいですね(宗教法人格を有している場合だと、施設や財産は法人のものであって、住職、神職、神父・牧師などの個人のものではありませんから。その辺、誤解されているも面も多いでしょうね)。もちろん宗教法人格を有しても維持・運営する人がいなければ最悪の場合、法律の基づいて法人が解散させられますし。
 ですから現実問題でいうと、法律上・制度上では宗教施設を個人で作るのは自由であっても、それを実際に維持・運営していくのであれば、よほど熱心な信者が多数いないかぎり難しいですね。特に「高野山真言宗○○寺」とか「浄土宗△△院」みたいに伝統的宗団に包括されて運営していくとなれば、なおさらですね。つまり新興宗教のように“突飛な行動”を取って信者獲得がしにくいですからね。もちろん特定の宗教団体に所属しなくても宗教活動を行うのは「自由」ですから、そのように運営していくこともできますが、それだといわゆる“新興宗教”と大差がなくなるし… 難しいですね。

早い話、箱ものを作っても拝む人がいなけりゃあ無意味ってことですね。

 ただし、宗教法人格を有さない個人所有の宗教施設で問題になるのは、税金と相続ですね。宗教施設って所有する土地面積に対して、収入は微々たるものがほとんどだし(宗教法人に対して固定資産税が優遇されるのもそのような理由ですね。そればなければ都心部の寺院や神社・教会なんか税金だけで破産してしまいますよ)、所有者の死後はだれがその宗教施設を相続するかで、問題が起きやすいですね(宗教法人格を有している場合だと、施設や財産は法人のものであって、住職、神職、神父・牧師などの個人のものでは...続きを読む

Q聖観音菩薩にはどんなご利益がありますか?

1年前小観音菩薩像を購入しました

ネットでどんなご利益があるのか調べましたが色々解釈が違いすぎて良くわかりませんでした

聖観音菩薩にはどんなご利益がありますか?

詳しい方教えて下さい

Aベストアンサー

こんばんは

仏さま、菩薩さま、如来さま・・・いろいろ言いますが仏教は基本的に衆生救済です。
地獄に落ちるところを救って頂いて極楽浄土に迎えてくれる。
あるいは末世・末法の世に現れて、人々を救う。
というのが基本的な性格です。

現世利益を求めるのならば、八百万の神々ですね。
五穀豊穣・商売繁盛の宇迦ノ御霊神(お稲荷さん)とか縁結びのお伊勢さんとか、こちらは人々の欲望にダイレクトに応じてくれます

もっとも神仏混淆が長かった歴史もあり、お寺さんでも現世利益に応じているところも多々あります。
ともかく仏格は垂迹が多く、宗派も多岐にわたり、また由緒や縁起に応じて変幻自在なところがありますね
正直言って「お寺によって、仏様のご利益は違う」くらいに様々です
(観音様も「千手観音」・「馬頭観音」・「慈母観音」、はては「マリア観音」なんて観音様までいらっしゃいます)
そういった現世利益的な意味合いでいえば観音様は「あらゆる衆生を救い、あらゆる願いをかなえる、」オールラウンドプレイヤーと言ってもいいかもしれません
なにしろ、マリア様に変身して隠れキリシタンまでお救いになった方です。

こんばんは

仏さま、菩薩さま、如来さま・・・いろいろ言いますが仏教は基本的に衆生救済です。
地獄に落ちるところを救って頂いて極楽浄土に迎えてくれる。
あるいは末世・末法の世に現れて、人々を救う。
というのが基本的な性格です。

現世利益を求めるのならば、八百万の神々ですね。
五穀豊穣・商売繁盛の宇迦ノ御霊神(お稲荷さん)とか縁結びのお伊勢さんとか、こちらは人々の欲望にダイレクトに応じてくれます

もっとも神仏混淆が長かった歴史もあり、お寺さんでも現世利益に応じているところも多々あ...続きを読む

Q漏斗=「ろうと」と「じょうご」の使い分け

漏斗と書いて、「ろうと」とも「じょうご」とも読みますが、
どう違うのでしょうか。
広辞苑によると「ろうと」は、「じょうご」に同じ。
一方、講談社の日本語大辞典では、「じょうご」には銅製らしきものの写真がついて、「ろうと」にはガラス製らしい図解がついていました。
使い分け方があるのでしょうか。
教えてください。 

Aベストアンサー

意味は下の方と同じですけど、
もっとつっこんだ説明をすると〔漏斗〕「漢語的表記」(じょうご)というのは
こぼれずよく入るので、上戸の意としても用いられます。

漏斗(じょうご)というのは口の小さな容器にはめて液体を注ぎ入れる用具の事です。口は円形で下方へ行くに従ってつぼんで、先は管状になっています。
(下の方は醤油を例にしています。)

漏斗(ろうと)は漏斗(じょうご)と意味は同じです。
ただ、使う用途が違うだけです。
理科の実験で液体を注ぎ入れる用具を「漏斗(ろうと)」。
それ以外の液体を注ぎ入れる用具を「漏斗(じょうご)」と言うんです。

意味は同じでも材質は全く違いますからね。

Q「日々是好日」って?

「日々是好日」って何語でどういう意味ですか?
ご存知の方教えてください。

Aベストアンサー

日々是好日(にちにちこれこうじつ)
というのは、禅語です。
茶席の禅語としても有名なものです。

意味は
毎日がよい日である、という意味ですが、これにはとても深い意味があり、

その日その日が最上であり、最高であり、かけがえのない一日であって、
日々の、苦しみ、悲しみ、喜び、楽しみなど
こういった良い悪いに対する執着がなくなり、
今日を素直に受けとめ、自然の中で生きているということを感じ、
1日を意のままに使いこなす、すごせる、というところに
真実の生き方がある、
というような意味です。

ムツカシイですよね・・・。

Q『更迭』と『罷免』の意味

皆様、こんにちは。

最近何かとよく耳にする『更迭』と『罷免』ですが、意味が同じように思えてなりません。(他にも『解任』などもあったりして)

どちらも、『人を辞めさす』という意味で間違いないと思いますが。
gooの国語辞典で調べると、『罷免』は単に辞めさす事。
『更迭』は他の人に変える事とでてきます。
だとしたら、『更迭』の用法としては『○○を△△に更迭する』という形となると思うのですが、新聞やTVなどメディアでは『○○を更迭』と使っている気がします。
これは単にメディアがきちんとした使い方をしていないという事なのでしょうか?

なんだかうまくまとまりませんが、『更迭』と『罷免』について分かりやすい用法や明確な違いをご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

罷免--免職と同じで、辞めさせる事. **を罷免する。はやくいえば首
解任---任を解く  課長の任、地位を解く。**さんを解任するはその人の任(地位)を解くで、**さんを辞めさせるという事ではない。結果的には首もあるでしょう.
更迭---人を変える。**を更迭する。--に***を更迭でもいいし、**を更迭するでも、どこへ行こうが更迭をされる事実がわかれば、いいのだから、**を更迭でもかまわいと思います.地位を下げられる人もあり.

Q煩悩ってどういう意味ですか?

煩悩(ぼんのう)ってどういう意味ですか?
辞書で調べても難しくて理解できません。
具体的に、わかりやすく教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  煩悩は、仏教の用語で、元々、かなり難しい思想的意味を持っていましたし、煩悩とは何かというので、色々な議論もありました。
 
  しかし、それはともかく、具体的な例の話で、日常語での「煩悩」の使い方というか、意味を考えてみましょう。
  「煩悩」は、「煩」と「悩」から出来ています。「煩」は、「わずらわしい」という意味で、「わずらわしい」と入れて変換すると、「煩わしい」と出てきます。また「悩」は、「なやみ」のことで、「なやみ」と入れて変換すると、「悩み」と出てきます。
 
  煩悩とは、わずらわしく、悩みになることだ、ということになります。しかし、そんなに煩わしく悩む、困ったことなのかというと、日常の用法では、ちょっとニュアンスが違います。ここは、仏教のお坊様に出てもらって、具体的な使い方の説明をしましょう。
 
  仏教では、覚りを開くため、修行する人が、元々「坊様」だった訳です。従って、元の仏教の「戒め」では、修行者は、例えば女性となれなれしく口をきいてはならないとか、女性の姿もまともに見てはならないなどとなっていました。女性の美しさなどは、「迷い」の元だというのです。
 
  しかし、坊様がすべてそうではないでしょうが、すけべな坊様もいる訳で、道で通りがかりの、和服の美人を見て、ほわ、と口を開けて見とれ、なんちゅう、綺麗なべっぴんさんや、いや目の毒じゃ、これも「煩悩、煩悩」などと云いながら、女性の後ろ姿を見送ったりします。別に和服でなく、洋装でも構わないのです。また、坊様も、そんな女を見るとすぐ見とれるような人は珍しいでしょうが、やはり、坊様も男ですから、美人と道ですれ違うと、ふと、心が動くこともあるのです。
 
  あるいは、仏教では、イスラム教と同様、精神の安定や、日常の心の状態を興奮させたり、おかしくする飲み物などは禁じています。例えば、麻薬などは無論駄目ですし、煙草やお酒も駄目なはずです。しかし、日本の坊様は、何時頃からか、「般若湯(はんにゃとう)」と称して、酒を店で買って飲んでいたりします。坊様が、良い酒を味わいながら飲みつつ、何という味わい、この酔い心地、さすがに銘酒は違う。極楽じゃ。しかし、考えてみれば、これも「煩悩、煩悩……仏様よ、お許しあれ、南無阿弥陀仏、いやもう一杯、何ともうまい」などと云っていると、どこが、煩い、悩みの煩悩か分からないでしょう。
 
  また仏教では、生き物のいのちを大切にせよと教え、殺生を禁じ、従って、動物の肉は無論、鳥の肉も、魚も食べてはならないことになっているのですが、それも何のことかです。酒のさかなに、コイのあらいを食べつつ、いい気分になって来て、坊様が、いや、浮き世もまた楽しいぞよ、酒はうまいし、ねえちゃんは綺麗だ……などと歌っていると、「生臭坊主」ということになるのですが、以上は極端に戯画化しているので、日本では、昔から、坊様が、妻帯し、子供がおり、酒は飲み、魚も食べ、それで別に社会から糾弾などされていません。
 
  大酒を飲み、酔っぱらって、寺の本堂で乱交パーティを開くような坊様は、それは別に坊様でなくとも、普通の人でも社会から糾弾されます。
 
  仏教の坊様にとっては、女性と触れたり、メイクラヴすること、酒を飲んだり魚を食べたりすることは、仏教の教えに反することで、こういう「欲望」を、修行の妨げになる「煩悩」と呼ぶのですが、煩悩というのは、多くの坊様の日常生活から云うと、自然なことのようです。
 
  もう一つ、坊様ではありませんが、一般に、「子煩悩」という言葉があります。これは、別に、子供が煩わしく悩みの種で、何かの邪魔になるのかと云えば、そうではなく、子供が可愛く、何時も子供のことを考え、細かいことにも、子どものためにと、あれこれ気も身も使う親のことを、こう呼びます。別に、子どもが、何かの「妨げ」になっているのではないのです。親にしてみれば、ふと、思うと、「ああ、おれは、何と子どものことばかり思っているのか。これも煩悩か」などとなります。
 
  「煩悩」というのは、仏教の教えとか、人間の生き方はいかにあるか、などということの前では、何か安楽な、気持ちよい、楽しい方にばかり気が向くようで、困ったことだという考えもある他方、「自然な欲求」「自然な望みのおもむく方向」であって、煩悩だが、しかし、これもまた良しなどというものです。
 
  これは、仏教の教義として、煩悩に迷う人の姿こそ、すなわち、仏の姿に他ならないという考えもあるのです。
 
  煙草をやめないと、肺ガン確実と云われていて、それでも吸いたいという人の場合、煩悩とは云いません。また、大学受験中なのに、異性のことに意識が向いて勉強に集中できない高校生も、それを煩悩とは云いません。(ただし、高校生の親が、寺の住職だったりして、子どもに、そんな煩悩は振り払え、と説教するかも知れません)。
 
  煩悩というのは、本来の仏教の教えでは、たいへん厳しい、覚りの道にあって、克服せねばならない誘惑や欲望だったのですが、「煩悩すなわち仏」というような考えは、人間は自然に振るまい、自然に生きるのがやはり一番であるという考え方でしょう。
 
  肺ガン寸前の喫煙者や、受験勉強に必死な高校生にとっては、喫煙や、恋愛は、自然のままを楽しもうなどということではないのです。
 
  人間は、欲望が強すぎると、色々不都合なことが起こることが、或る程度分かっているともいえます。分からない人、自制がきかない人は、酒に溺れて身を滅ぼすとか、守銭奴になって、世人の顰蹙を買うなどとなり、そういう人自身は、煩悩も何もないでしょう。しかし、そういう人を横目で見ていると、酒を飲み、恋愛をし、ギャンブルで小銭を失い、自堕落な生活を少々しても、歯止めがかかっていて、ああ、これが煩悩というものか……で片が付きます。
 
  「わかっちゃいるけどやめられない」というのは、確か古い歌の言葉ですが、そういう心境の「分かっている」のが、煩悩だと分かっているということで、度を超さなければ、やめる必要もない訳です。本格的な修行をしている坊様にとっては、厳しいことでまた別ですが、普通には、煩悩はまた楽しいことなのです。本来しない方がよい、というのをするのは何とも楽しいことなのでしょう。
 
  世界中の文化がそうだとは分かりませんが、日本は、煩悩を楽しむ文化です。
 

 
  煩悩は、仏教の用語で、元々、かなり難しい思想的意味を持っていましたし、煩悩とは何かというので、色々な議論もありました。
 
  しかし、それはともかく、具体的な例の話で、日常語での「煩悩」の使い方というか、意味を考えてみましょう。
  「煩悩」は、「煩」と「悩」から出来ています。「煩」は、「わずらわしい」という意味で、「わずらわしい」と入れて変換すると、「煩わしい」と出てきます。また「悩」は、「なやみ」のことで、「なやみ」と入れて変換すると、「悩み」と出てきます。
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