
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
寺院建築は時代により変遷がありますが、飛鳥・奈良時代や平安前期のように大陸文化の影響を強く受けている寺院は、基本として南面で建てられます。
支那では「王者南面」といい、宇宙の中心とされる北極星の方位である北は上座とされます。北を背にして南を見るように、宮廷建築なども作られます。日本もその例にならい御所の配置はそうなっています(京都では西が右京、東が左京となるのもそれが理由です)。 法隆寺・飛鳥寺・興福寺・東寺などの寺院建築も、その例にならい、南面で建てられます。
また室町期の禅宗建築でもその型式は踏襲されています。
次にご質問のように浄土信仰に基づく寺院であれば、阿弥陀如来の浄土である西方極楽世界を拝む形で、東面で建てられます。浄瑠璃寺(奈良県加茂町)や浄土寺(兵庫県小野市)などもその例です。阿弥陀信仰にかかわらず、特定の本尊に由来する方位(薬師如来の東方、観音菩薩の南方、弥勒菩薩の北方など)に向けて建てられる場合もあります。
また山岳信仰の寺院の場合は、仏教化する以前からの聖地(日本古来の神聖視されていた場所)を拝する型式で建てられる場合もあります。
基本としては南面ですが、時代変遷や地形的理由、再建された際に方向が変わるなどもあります。東向きの寺院は阿弥陀信仰の影響を考えればよろしいかと思います。
No.4
- 回答日時:
神社仏閣に、朝日を浴びながら、玉砂利を踏みしめ、参拝に向かうの
は、すがすがしいものです。
日を浴びながら東向きの神社仏閣にお参りすることになりますね。
寺院については、やはり西方浄土の考えによると思われますが、
地形とか、南向きが暖かいとか北極星を背にするとか、
宗派によっても、お寺によっても、さまざまです。
キトラ古墳の星座の図も「君子南面説」の証明ではないかと思います。
なお、神社については、「神武東征」のとき、生駒山付近で、敵が太陽
を背に戦ったのですが、天皇方が敗れたので、迂回して、太陽を背に
東から進むことにした。そのいわれもあるとの意見もあります。
以上
No.2
- 回答日時:
こんにちは。
古来より寺院は南向きが原則で建立されておりました。しかし、東西本願寺派寺院(一向宗派)の寺院に共通して言えるのは、東向きに伽藍が配置されているという事です。これは古代からの「西方浄土」の阿弥陀信仰が背景にあり、東から阿弥陀様を迎えるにあたり、寺院の伽藍を東に配置しました。
ご参考になりましたら幸いです。
No.1
- 回答日時:
平等院の場合は間違いなく阿弥陀信仰によるものです。
阿弥陀如来はこれから成仏される方を迎えに来る仏様で、その極楽浄土は西の彼方にある、ということになっています。これを「来迎」と言います。
ですから阿弥陀様は西から東向きにいらっしゃるのです。
同様に本尊が阿弥陀如来の場合には東向きにすることが多いのだと思われます。確か三千院などもそうだったのでは。
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