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ある所で百姓とは差別用語だと聞きました。
本当にそうなのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

言われて嫌な人も居るでしょうね、、



でも脱サラして自給自足で生活を始めた人の名刺の肩書きは「百姓」でとても自慢げですけど。
それに本物の「お百姓さん」が「オレは百姓だ」って普通に言ってますけど…

もし差別用語として分類されているとしたら、『言い方』じゃないでしょうか、、 「お百姓さん」といえば感謝の気持ちがあるように思います。「この百姓が!」といわれれば、貧乏人とか学歴が無いとかそういう感じの差別用語に聞こえます。

でも…そこまで考えて放送禁止などになっているとしたら考えすぎのような気がします。。

一応 うちも百姓なんで…
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差別用語ではありませんが、マスコミは使いませんね。

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昔の時代劇をTVで見ていると、


「この百姓!」(と思われる)台詞は、
「この××(ピー)!」と放送禁止用語になってます。

同様に今は差別用語として、放送禁止用語になっているのは、
びっこ、めくら、つんぼ など。。。
全部ピー音で消されてますね。

映画の中では、喧嘩の場面や、人を罵倒する場面もあると思うので、その辺の台詞まわしが難しいでしょうね。。。
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そんな事は無いと思いますが、日本語とゆうものはアクセントで、差別にもなり、尊敬語にもなる言語です、少し昔の日本ではお茶碗にご飯粒を残すと、御百姓さんの八十八の手間が掛かっている米粒を残すとは何事かと殴られる位だったと聞きます、呼びつけるような感じで“百姓”と言えば、差別的になると思います。

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はい、確かに差別用語として扱われています。


古くは識字率が低くかった事で教養を学ぶ機会が乏しく、教養や知識を前提とする情緒を解さなかった事を卑しめて田舎者と同義で用いられていた、というのがその理由です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%AE%E5%88%A5% …

しかし現在では、その意識もだんだん変化しています。
近年、歴史学者の網野善彦が中世社会、近世社会における百姓身分に属する者たちが農民、山民、漁民、職人、商人などの広範な生業の従事者であったことを明らかにし、「百姓=農民」と一概にまとめた従来の歴史観に対し批判を行った。さらに今日の歴史学では西欧中心の単線的な発展段階史観が強く批判されるようになった。そのため百姓が差別的な用語であるという認識は薄まってきている。
また現実の農業従事者は必ずしも百姓という呼称を差別的だととらえているとは限らず、むしろ一部の篤農家は自らを誇ってあえて百姓と自称する向きも見られる。こうした篤農家には歴史的百姓層が自らさまざまな生業を兼ね、またモノカルチャー化を避けて多様な農作物を栽培したことの復権にアイデンティティーをおく者もいる。彼らは生業や農作物の多様性に「百姓」の「百」の字義を投影し、しばしばこうした多様性を持った農業を行う者こそが「百姓」であると定義する。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%A7%93
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 マスコミ業界では使用を避けたい「差別語」「不快語」として指定されているものが、かなりあります。

まさに「百姓」はその典型です。  共同通信社発行の「記者ハンドブック」も、なるべく使わずに、言い換えよと「農民」「農家」「農業者」の3つの例を挙げています。
 都会的でなく、あかぬけない人や、情緒を介さない人を軽蔑してののしる場合によく使われます。「百姓読み」といって、教養のない人の漢字の読み方まであり、かなり侮蔑感がこもった言葉ですね。
 特定の言葉が徐々に差別語として浸透すると、世間ではなるべく使うのをよそうという空気になってきます。つんぼさじき、めくらめっぽう、かたておちなどが、みなそうです。昔は「ノートルダムのせむし男」という映画のタイトルもありました。あの映画はもとのままのタイトルじゃ、とてもテレビで放映できません。
 そうした現象が高じるとアメリカのように「Political Correctness」、いわゆるPC運動へと発展していくわけです。
 「man」をみな「person」にしようと言う、例のあれです。最終的には「The Old Man and the Sea」もいけない(老人とはなにごとか)、「Seven Dwarfs」も駄目(小人なんてけしからん)などと、とんでもない由々しき事態になるのです。こわいですねぇ。
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若干コメント


#1さんや#5さん回答にある、「この百姓が!!」「百姓読み」というのは、「百姓」という用語の問題じゃなくて、「農業従事者=自分よりも劣っている」という意識(無意識?)の方が問題かと。なんか、「差別語だから・・」というのは、このあたりの問題のすり替えをされているような感じがします。(と同時に差別を広めているような感じも受ける)

かなり以前にネット上で(少々極端ですが)「『差別語』というものは本来存在しない。あるのは『差別』だ」旨の意見を見たことがありますが、私の今の感覚はこれに近いです。
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おはようございます。



私はそうは思いません。NO.7さんと同じ考え方で、日本語に明確な差別用語など存在しないと言う考え方です。その言葉に問題があると思えば、使わなければいいだけです。ないと思えば使ってかまわない。言葉は内面を反映する手段であり、何ら差別的意思がないのにその言葉を使えないと言うのはおかしい。

聞いたほうが気分を害すると言えば、その言葉が使えなくなるというのであれば、その相手の全生涯を詳細に調べなければならず(そうしないと各々の言葉がその相手にとってどのような意味をなすか分からない)、一つ一つの言葉に過敏にならなければならない。とてもこれでは会話は成り立ちません。そんな窮屈な思いは誰しもいやなものです。

こうやって、日本語のボキャブラリーが使用制限されていくのは、はなはだ心外です。新進を気取った活動家(言葉狩り専門家)にはほとほと困ったものだと思っています。
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「百姓」は差別用語とは思いません。

「百姓」を「農民」と言い替えるとしても、両者の語感には微妙な違いがあります。

マスコミ業界が「差別語」や「不快語」などのルールを決めるのは勝手ですが、私たち一般人がそのルールに従わなければならない理由はありません。マスコミ業界のルールは、優れた詩や小説の創作活動の妨げになります。

古来から先人が育んできた伝統的日本語の豊かで繊細な表現力を大切に守って行きましょう。
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 詳しい解説は前の回答者の方々がお答えになっているようなので雑誌などで目に付いた話をさせて頂くと、「百姓であるという事は百の仕事をこなすということだ」という考え方もあるそうです。

農家の方の中でもエキスパートと呼ぶべき万能選手という感じでしょうか。実際ベテランの農家の方は本当にいろんな事ができて、とても物知りです。
 そんな方々も人によっては百姓と呼ばれることを不快に思ったり、逆に誇りに思う人がいるのだと思います。考え方は色々ですが、農業に従事するのは苦労の多い大変な仕事です。また敬わなければならない仕事です。そんな尊敬すべき人々が不快に思うというのなら、その様な呼び方は避けるべきでしょう。
 この様な問題は時代と共に個人の考え方が変わっていくでしょうし、それに伴って社会全体の捉え方も変わってくるのでしょう。農業に関わったり、農家の方とお付き合いされたりするのでしたら、その人間関係の中で呼びやすい呼称が一番良い呼び方ではないでしょうか。
 
 個人的には祖父に「お百姓さんに感謝しなさい」とよく言われていたので、「百姓」と呼び捨てではなく「お百姓さん」と呼びたいと思っています。
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