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私は25歳、結婚したばかりですが、夫はプロテスタント(キリスト教)信者です。そのことで悩んでいます。
キリスト教は世界的に認められた宗教だし、私も人並み以上には理解しているつもりなので、彼が信者なのが嫌ではありません。彼は日曜日に教会に行き多少の献金をしますがそれで弊害はなく、彼は聖書に教えだから、と暴力や浮気などは絶対にしないと言います。(そうでなくてもしないと信用できる人ですが)。私の宗教はほんとに現代の日本人的に神教も仏教も混ざっている感じです。
私たち二人だけなら何も問題ないのですが、悩みは子どもについてです。
夫は子どもにもキリスト教を信じてほしくて、結婚前から、子どもができたらその子は教会に通わせたいと言っていて、私は同意しました。ただし正式に信者になる洗礼は、子どもが自分の意志で受けたいというまで受けさせないとも約束しています。
キリスト教を信じることが悪いとは思いませんが、私は長く生きたものには魂が宿り、自然の深い場所には(お稲荷さんとか)自然の霊や神様がいるというような、日本人としての感性も子どもに理解してほしいと思います。(ちなみに夫は神社とかお寺とか全否定です)。また、キリスト教を肯定するためには科学的や歴史的な事実(例えば中世キリスト教を信じなかった人をキリスト教徒が虐殺したりとか)を曲げて捕らえようとする信仰心というものが正しいとはどうしても思えません。
私と夫の間で、決定は子どもにさせるということで意見は一致しているのですが、私がキリスト教否定につながることを子どもに教えることは夫と対立することになってしまうし、子どもにもかわいそうだと思います。夫にとって宗教は生活の根にあるもの、変えることは不可能だと思います。
私は自分の考えを押し殺すべきなのか、子ども自体をあきらめるべきなのか・・・。どうしたらいいでしょうか?

A 回答 (19件中1~10件)

プロテスタントの教会の信徒です。


以前、教会学校(日曜学校)の教師をしていました。

神様の存在について、子どもは子どもなりの感性で理解すると思っています。
だからといって、子ども達は、神社のお祭りに行かないわけではありません。家の人がクリスチャンでない子どもも大勢います。
唯一の神(結婚講話等で聴いたと思いますが)が、私たちを見えないけれど守っているよということは子どもに教えますが、信仰を強要はしません。祈りに関しては、どんな小さな子でも教えますが、それも強要はしません。(教会ではお祈りするけど家ではしない子もいっぱいいます)

質問者の方は、クリスチャンと結婚されたのですから、教会で結婚式もなさったのだと思います。その時に牧師ともお会いになりましたよね?
牧師は、どのような相談、それがたとえ法に触れる内容でも、他の人に話したりはしません。あなたの疑問にもていねいに答えてもらえると思います。
どうしてもご主人の通う教会の牧師には話しにくいのでしたら、ネット上でも質問に答えてくれる教会のホームページがたくさんあります。ご覧になってはいかがでしょうか?

あとは、ご主人が教会に行っている間に、あなたもどこかの教会の教会学校をのぞいてみてはいかがでしょう?はじめていったとしてもていねいに教師が応じてくれると思います。
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この回答へのお礼

そうですね。あまり悲観的にならず、ポジティブな考え方をしてみようと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/26 23:32

イスラエルに行った事があります。



ホスピスで外国人と話したのですが、
日本で海外旅行関係の仕事をやっている方で、
昔はクリスチャンの集団の中にいたので
信仰していたけれど、
一神教は大勢殺し過ぎると言って
世界各地の宗教を勉強して
自分に合った物を選びたいと言っていました。

キリスト教の中だけでも分派があって
解釈も一様ではありませんし
他が他を否定する事もあります。
一通り勉強した上で違うと言うのならば
それはそれですけれどね。

信仰と盲信は違うので、
子供にも仏教や神道等も含めて
勉強(入信ではない)させてあげたら如何でしょう。
私も面白いお坊さんなり知っていますよ。
その上で父親の宗教への信仰を選べばそれはそれ、
違うからと言って虐待をすれば
キリスト教徒がされた事と同じ事を
している事になります。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなって申しわけありません。
皆様にいろいろとご意見をいただいて、とても参考になりました。
夫婦で仲良くやっていけるようにがんばってみたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/13 13:30

私はカトリック信者の妻と結婚しました。

そのときは無宗教でした。家も仏教で初詣にも家内と行きます。日曜
日は家内と教会に行っていますが、洗礼は受けていませんが信者です。イエスキリストを本当に信じている人は、他人に強要もしませんし、私の妻も強要したことは一度もありませんでした。キリスト教は心の内面を重要視する宗教で、そのことは最後の審判の時に明らかにされると信者は考えています。どんな表面的な行い(神社にゆかない。お寺を否定。酒を飲まない。断食をする。人前でわざとらしくお祈りをするなど)もイエスキリストの前では意味がありません。私や家内は線香も上げますし、墓でお祈りもします。それは死語もその人が救われることを信じているからです。私自身の母、祖母はキリスト教を知らないで無くなりましたが、死後も救われて天国であえると信じています。

カトリックとプロテスタントはその面でかなり異なっているかもしれません。妻が通っていた鎌倉のカトリック教会では、神父が全ての宗教は平等で全ての神はイエスキリストにつながっているといっていたと聞きました。
ヨハネパウロ2世はイスラム教徒はユダヤ教徒仏教の指導者たちと話し合い、お互いに認め合っていました。戦後の日本の靖国陣社をGHQを取りつぶそうとしたときに反対したのは米国人カトリック神父です。

マザーテレサは、インドで路上で死んでゆく人を改宗させようとしたのではなく、神に接する気持ちで助け続けました。死んでゆく人が誰からも愛されることなく死んでゆくのではなく、愛されながら死んでゆくので大きく異なります。マザーテレサは「沈黙の実りは祈り」「祈りの実りは信仰」「信仰の実りは愛」「愛の実りは奉仕」「奉仕の実りは平和」といっていたことを覚えていてください。

免罪符や十字軍、中世の魔女狩りなど人間が行ってきたことには多くの誤りがあります。ヨハネパウロ2世は初めてそのことが間違いであったことを認め、悔い改めました。

プロテスタントの教会には、神社やお手はを否定する人や、仏式の葬式にもいっても、線香を上げない人など、日本の習慣には受け入れられない人がいることも知っています。神父やシスターが私物を有しないのに対し、アメリカには高級車や高級住宅が与えられることが牧師のアメリカンドリームだと豪語しているメガ教会の牧師もいます。事実、牧師には妻や子供もいますので、当然家族のための養育費や教育費などを教会から稼ぐ必要が出てくるので、基本的な普通の家族と全く変わりありません。また君が代や国旗にも反対するグループがあります。また、戦争に対する考え方も多く異なります。そのことが多くの誤解を招いています。

しかしながら、キリスト教はそのような了見の狭い宗教ではないと理解しています。親がどう考えようと子供の心は自由であり、そのことはご主人も理解しているのではないかと思います。私自身は子供3人が教会に行きたいといったときだけ連れて行っています。それでいいのではないでしょうか。キリスト教のために子供をあきらめる必要は全くありません。
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プロテスタントのクリスチャンです。


主人もクリスチャンです。
でも、私の両親は仏教徒です。

私がクリスチャンになったとき、両親からひどく弊害をうけました。

日本には、思想や信仰の自由が憲法で定められています。
たとえ親であっても子どもであっても配偶者であっても、その人の「選択」を否定してはいけないのです。

理解させようなんて、思想を教育しようなんて、思うこと自体争いの始まりです。

それから、「正式に信者になる」という考え方はちょっと違います。
順序としては、(1)神様を信じるようになる(2)「洗礼」を受ける
のが一般的です。
だから、いつからが信者か?といえば、(1)なのです。神様を信じたときから、信者なのです。

まだ話せないような小さいころは、ご主人と一緒におでかけ、くらいのつもりで教会にお子さんを連れて行ってもいいと思います。
ある程度自分の意思を示せるようになってきたら、お子さんに、聞いてみたらどうですか?
「パパは行くけど、一緒に行く?」ってね。

どうぞ、ご主人ともお子さんとも、平和に、お互い愛し合うことを大切にしていただきたいと思います。
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#13です。


私も自分がわりと柔軟な考えを持つクリスチャンだと思いますが、焼香はしません。
神社仏閣には行きますが、拝みません。
頭を下げることすらしません。
仏像は、ただ美術品のように「鑑賞」するだけです。
クリスチャンの中にはその場所に立ち入ることすらしない人もいます(たぶんご主人もでしょう)
将来子どもさんと初詣に行く時、ご主人が付いて来なかった時は子どもさんに「世の中には色々な宗教の人がいて、色々な考えを持つ人がいる。その人の考えや宗教を尊重する事が世界の平和につながるとお母さんは思うよ。」と教えてあげて下さい。
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ご主人がお子さんを教会学校に連れていきたいと言っても、赤ちゃんの頃は質問者さんと一緒でないと無理でしょうし、幼稚科クラスの3歳頃からと言うことでしょうか?


それまでにはかなりの時間がありますから、今はご主人との関係を重視された方が良いのでは?
信じるとは頭で考えて信じられるようなモノではありません。どんなに熱心に聖書を読んでも信じられない人はいっぱいいるのです。
科学的に説明できなくても、神様が自分を見守っておられると、心から感じることができたら初めて信じることができるのです。
「唯一神信仰者はかたくな」との意見もありますが、焼香や他の宗教への立ち入りをしないのは教理として当たり前のことですので、日本人の多神教文化が寛容だなんて思ってる人はそれこそ偏見ではないでしょうか?
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こんにちわ。


私にはまだ子供がいませんが、この問題はひょっとしたらお子さんが解決してくださるんじゃないかと思います。
たとえキリスト教系の幼稚園に行っても、季節の節句をお祝いしたり、お正月をお祝いしたりすると思います。七五三に行く同級生もいるでしょうし、同級生の影響で、ゆかたを来て神社の夏祭りに行きたいと子供が言い出すかもしれません。もう少し子供が大きくなれば、初詣とは何なのか、なぜお盆の時期に高速道路が混むのか、お彼岸とは何か、夏祭りと秋祭りはどう違うのか・・・いろいろ聞いてくると思うのです。そんなとき、ご主人がどんな対応をするのでしょうか。親として宗教を理由に全てを否定したり、無視する様教えることは出来ないでしょうし、それはあまり得策ではないと思うのです。子供の素朴な質問が親のかたくなさを和らげてくれるのではないでしょうか。

日本の宗教は日本の文化や生活習慣と結びついていることが多く、それらを正しく学ぶことは、母国語の読み書きをきちんと学ぶのと同じ様に、日本人としてとても大切なことだと思うのです。質問者様は日本の宗教・・・ではなく、日本の文化を教えるという立場を貫かれたらいかがですか?どの宗教を信仰するのかということと、日本人としてのアイデンティティーを養うこととは全く別問題だと思います。

私、イスラム教徒の友人がいます。それはそれは厳しく唯一神を信仰していらっしゃいます。とっても男尊女卑な方ですが、『それは男尊女卑じゃない。イスラムの教えにもとづく男女の役割の違いだ』と言ってはばかりません。唯一神を信仰している人のかたくなさを考えると、質問者様のご苦労や心配はわかりますし、私の意見も希望的観測に過ぎないのかもしれませんが、ご参考の1つになれば幸いです。
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#1です。


補足ありがとうございました。
う~ん、すごいご主人ですね。
じつは私もクリスチャンなんですが、歴史的事実や進化論を否定するつもりはありません。
ダビンチコードも「あれは小説。」と思ってますし、イエスに嫁がいたかいないかは「2000年前の事をお前みたんかい」と思ってますし、もしイエスに嫁がいたとしても、それによって神の教えの何が変わる?と思ってます。

キリスト教やイスラム教には、一神教の厳しさはあります。
それでも私は子どもの宮参りをしたし、お正月の餅も飾ります(夫がノンクリスチャンの為、また子どもの為にも)
だた、心の中で「拝む」ことをしないだけです。

このように日本人にも色々な人がいるように、キリスト教徒の中でも色々います(同じ教会内でも)
なので>日本人としての感性も子どもに理解してほしいと思います。⇒私は理解できます。そういうのを信じる人達を私は認めます。そうじゃないと、自分達も認めてもらえないのではないでしょうか?
ですので、「夫はそーゆー人、私はこーゆー人」というライフスタイルを貫けば良いと思います。

子育てに関しては将来子どもに宗教を選ばせるというのなら、ご主人の意見を尊重して日曜学校にも行かせて、あなたの意見も尊重して神社に初詣にも行く、という妥協案を提案されては?
教育に関しても、歴史的事実は学ばせないと受験に失敗しますしねえ。

日曜学校行かせても幼児洗礼受けても、キリストを信じてない人は大勢います。
だから、心配しなくて良いですよ。
あなたとご主人の子どもさんは、偏った物の見方にならずに広い見かたの出来る人になるだろうと思います。
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これは簡単。

質問者もキリスト教に入信すればいいやん。

夫婦で同じ趣味っていうのは本当に良いことだけど、片方だけやるってなると弊害が多いんだよね。

趣味と宗教って結構通じるところがあるし、一緒にやったればいいじゃん。夫婦仲は今より絶対良くなるよ。別にオームとか変な宗教じゃないんだし。

これから一緒の道歩んで行こうとするのに、同じ趣味や宗教じゃないと先は暗いんちゃいますか。
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この回答へのお礼

そうですね。ただ、私はキリスト教信者になることはできません。キリスト教を信じられないのです。また、キリスト教は唯一の神を信じる一神教であり、他の宗教の神様を否定します。それは私の価値観を壊す考え方です。夫は私の祖父母や父母の葬式でも焼香はできないというのです。

お礼日時:2006/09/27 11:42

(長文になります)


 私はカトリックですが、神社へも参拝しますし、墓参もします。これは信者になるための勉強の中で教えていただいたのですが、「要は心の問題」と言うことです。
 個人的に否定や肯定は自由ですが、世の中には様々な宗教があります。従って他の宗教を否定すれば、彼らもまた自分の宗教を否定する事になるでしょう。そこには共存はありえません。しかも変ですよね。
 宗教は生きる姿勢(主柱)です。もし自分の宗教以外を非とするなら、自分以外の宗教を持つ者宗教を持たざるものを全て非としなければなりません。「否、生活と主教は関係ない」と言うのは方便でしかなく、自分の心の中に二面性を持っている事になります。そして二面性はキリストの最も戒める事ではないでしょうか?

 そもそも宗教は、その世界の環境が生み出した一形態でしかなく、神の名前も教えもその環境に即したものでしかありません。根本的な教理=神理は教えの行間に、或いは綴じ目の奥に存在します。
 神は常に神の姿で現れたのではなく、時には柴の炎となり、時にはキリストとなり、時には目となり、時には三人の隠者として、或いはイカヅチとして現れているのです。

 簡単に言ってしまえば、神道なら神道、イスラムならイスラムの教えとキリストの教えの共通するものが神理だと言う事です。それさえしっかりと把握していれば、神社に行こうが寺に行こうが神棚の前で手を合わせる事は何の問題もないことです。
 他の人の家に行って、自分の家とはやり方が違うと、自分の家風を押し付ければ、当然喧嘩別れになり絶交してしまうでしょう。それはまるで、インドに行って牛肉料理を無理やり食べるようなものです。でも方法が異なってもお互いがそれぞれの家風を理解し、柔軟に対応すれば、共存する事も、多少の神理の解釈の違いも乗り越える事ができるでしょう。

 いずれにせよ、一つの形態に固執していては、表面的に繕っても、後々問題は起こるでしょう。子供に洗礼を受けさせても、大きくなって忘れてしまう者は忘れます。改宗する者は改宗します。イギリスのテロ未遂犯の中にはキリスト教からイスラムに入った者も居るとか。一つの形態に固執すると、そのほころびが見えた時には、反作用として全否定されてしまいます。それは一形態でしかない宗教を、神理ではなく形態こそ真理と、誤った教育をした結果なのです。
 形態に縛られて、子供に強いれば、行き着くところ、軽くて、結局二面性をもつだけ、酷ければ親子の断絶、社会への不適応に至るでしょう。
 子供には強いるのではなく、自分の姿を見せればいいのです。もし子供が親の信仰生活を是とするなら自然に同じ道を歩むでしょうし、子供が自分の宗教生活に矛盾を感じたら、別の道に進むでしょう。それは環境や周囲が悪いのではなく、自分自身の信仰に矛盾があるからなのです。
 これをご主人が理解できないのであれば、そのつど妥協点を模索するか、いずれ衝突するか、子供を自分の従属物にしてしまうかのいずれかでしょう。

 ちょっときつい言い方で申し訳ありません。しかし、信仰の固執と対立は争いしか生まない事は歴史が証明しています。それは国家間だけでなく個人も同じです。ただ、日曜学校は精神教育に悪影響を及ぼす事はないと思いますし、日曜学校に行ったからといって、洗脳される事も先ず無いでしょう。それより遥かに大きな子供達の世界があるのですから。
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この回答へのお礼

そうですね。親の影響を受けながらも、子どもも自分で考え判断することができますよね。ありがとうございます。

お礼日時:2006/09/27 11:48

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