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修好通商条約締結国はアメリカが最初だったのに蓋を開けるとイギリスが55.3%で1位になってます(アメリカは31.7%)。この理由を、ある問題の解説では「アメリカでは南北戦争が起きたのでそれどころではなかったから」となっています。ところが南北戦争は1861年でイギリスが1位になっているグラフは1860年のものなのです。南北戦争が始まる前からイギリスが優位につけていたのです。もともとイギリスの産業革命は綿織物業からスタートしたものなので、という説明でも一応理解はできるのですが、いまいち納得できません。それならアメリカだって黒人奴隷を使うほど綿花栽培はしていたでしょうから。となるとイギリスの方が製品化に優れていてアメリカより安価な綿織物が供給できたという理由になるのでしょうか?それともイギリスに有利に働く政治的意向が介入していたのでしょうか?

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A 回答 (2件)

 アメリカは広大な大陸国家で、当時急速に開発が進んでいた西海岸の住民にとって、工業化・商業の活発化は、豊かになるために必要不可欠でした。


 ところが、ヨーロッパと貿易が出来た東海岸と違って、西海岸は物資の運搬や貿易に大きな壁がありました。

 最初のアメリカ大陸横断鉄道開通・・・1869年

 という事実でも分かるように、西海岸の人々が取引する相手は、東洋しかなかったのです。

 ところが東洋の大国、中国はアヘン戦争(1840年:イギリスVS中国)やアロー号戦争(1857~1860年:イギリス・フランスVS中国)によって、ヨーロッパ列強の強力な地盤となってしまっていました。

 中国との貿易では、条約上はイギリス・フランスと同等の権利を獲得したアメリカでしたが、戦争には参加しなかったため、イギリスやフランスのように、中国から補給基地となる土地を獲得していません。

 アメリカが太平洋上に補給基地となる土地を獲得するのは
 ハワイ王国崩壊・・・・・・・・・・・・・・・・1893年
 アメリカのハワイ併合・・・・・・・・・・・1898年
 アメリカ=スペイン戦争・・・・・・・・・・1898年
 (アメリカはグアム・フィリピンを獲得)
 20世紀になる直前なのです。

 蒸気船全盛期の時代に、アメリカ本土から往復分の石炭・水を積んでいくのでは、商品をたくさん積むことが出来ません。

 そこで、帰りの石炭・水を積みこめる基地が欲しかったのです。

 日本との貿易額が、イギリス55パーセントでアメリカが33パーセントというのは、その当時の国力、地理的位置、中国の貿易拠点の規模から見て、妥当な値だと思います。

 アメリカの経済規模がイギリスを上回ったのは、第一次世界大戦で、ヨーロッパ諸国が戦場となったとき、安全な後方で戦争のための物資を生産し大もうけした結果です。
 こ時期のアメリカの経済力は、当時全盛期であったイギリスの半分以下と見てよいと思います。
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この回答へのお礼

そうですか。西海岸に綿花が届きやすくなったのは1869年とは。アヘン戦争等に加わってなかったので補給基地がないという説明も自分の頭の中でかっちりとはまりました。有難うございます。

お礼日時:2006/09/28 13:38

経済規模等に関して


http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/harada.cfm?i=20 …

中国に関してのGDP論議ですが、経済規模に関しては、1960年頃には USA>UK であったようです。

http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~sbaba/20051017.htm
他に資料があるかと思いますが、「1830~70年の時期にはなおイギリスの工業生産力は圧倒的」とのことです。

南北戦争の原因の一つに、原材料としての綿花をイギリスに売りたい自由貿易主義の南部に対して、イギリスの綿織物製品の輸入を制限したい、保護貿易主義の北部という対立構造がありました。
つまり、アメリカの工業は、輸出において競争力がなく、まずは、国内市場をイギリスから守るというのが、当時の状況であったわけです。

下記 URL 背景より

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8C%97% …
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この回答へのお礼

回答有難うございます。いやあ、日本史よりも世界史はもっと無知な自分でして。保護貿易主義が裏にあったというのは知りませんでした。

お礼日時:2006/09/28 13:41

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