宗教の「無」って何ですか?

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A 回答 (3件)

私的には「すべての根源なるもの」であり、「すべてを包含するもの」と解釈をしています。


言い換えれば「悟り」というものです。「悟りの境地に達する」という言葉は、ですから「すべての根源なるものに行き着いた」と解釈できるのではないでしょうか。

坐禅をするときには、まず、意識の表層に存在する、あらゆる思念を取り払っていきます。一つずつ、ゆっくりと取り払っていきます。やがて、どうしても取り払うことのできないものが出てきます。意識上での、自分という「存在」です。しかしこれは、他と自分とを分けるための存在ではなくて、花も石ころも、すべてが私と同じ存在なんだ、という意味での「存在」です。私が石ころでも不思議ではないし、石ころが私であってもおかしくはない。つまり、森羅万象あらゆるものが「存在」というたった一つのものから生成されていることを、その瞬間に知る。ある人は、その瞬間のことを「宇宙を体験した」と表現しています。
 このような意識状態に至ることを「無」の境地、または「悟り」の境地に至ると言います。仏教の経典はすべて、この状態に至るまでの方法論を記したものなのです。
 もちろん、俗人である私は、そのような体験をしたことはありませんが。
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真言宗の弘法大師曰く、「無について説明すること自体おこがましいこと」だそうです。

口で説明できる次元ではなく、口にした時点で話として成立しなくなるそうです。
ならばどうすれば良いかというと、曰く、感じるものだそうです。石につまずいて悟った者もいれば、夕方、雷を聞いて悟った者もいるということです。宗派によって「無」の解釈は全く違います。
この話は、弘法大師を祭っている親戚の方より聞いたお話です。
雑文でしたが、お聞きくださり有難うございました。
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仏教でいうところの「無」は欲望を取り去った後の境地です。

要は欲がなければ不安がなくなるといったところでしょうか。
有名な「般若心経」は「空」について解いてある経典です。この「空」は「無」と同じ意味を持ちます。この日本語経典は訳がわからないと思うので、英訳経典の日本語訳を読むと判りやすい日本語になります。

これをここに書き込むのは疲れるので、補足要求があった場合のみ書き込みます。(できれば書きたくない。。。)

余談:
湯川秀樹博士が中間子理論を打ち立てるのに、ベースにしたのが仏教の精神で、それは般若心経の中の一節「色即是空」につながってるとか。
ただし新しい物理学上の発見をするために今から仏教経典を読むのは愚の骨頂。(^^;
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