最近、東浩紀にはまったんですがポストモダンについていまいちよく分かりません。
モダンのあとにくるもの、というのは分かるのですが。

あと、デリダとポストモダンの関係も分かれば教えて下さい。

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A 回答 (4件)

このスペースで説明するのはしんどいので


東浩紀を読まれるぐらいの方なら
入門書を数冊読んじゃった方がイイと思います。
別冊宝島44「現代思想・入門」が手っ取り早く分かりやすいと思います。

簡単に、ごく簡単に説明してみます。
アリストテレス等によって始まった「形而上学」は
デカルトによってひとつの完成に至ったとされ
ここに「近代(モダン)」が花開きます。
現代思想はしばしばポストモダンと呼ばれますが
これは、19世紀後半、ニーチェに始まる「形而上学」批判の流れにあるものです。
形而上学批判は実存主義、記号論、構造主義などとして展開しますが
デリダは構造主義を継承したポスト構造主義を代表する哲学者であるとともに
現代の「形而上学批判」の頂点とされる人のようです。
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この回答へのお礼

高橋哲哉『デリダ 脱構築』を読みました。
階層秩序的二項対立を批判したのがデリダなんですね。

上記の本を読んでみてますます惹きつけられました。
別冊宝島44「現代思想・入門」の他にもお薦めの書籍等教えて頂けたら嬉しいです。

お礼日時:2002/04/01 12:13

どーもです!


「ポストモダンって、モダン模写かな。僕の見るところでは。」
モダニズムの経過を惜しむ、名残くやしい連中の業だってさ。
こんなで参考になるかな?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
でもちょっと今の私では分かりません・・・。
スミマセン。

お礼日時:2002/04/04 04:50

>他にもお薦めの書籍等教えて頂けたら嬉しいです。


東京大学出版会「知の論理」を忘れていました。
これと別冊宝島を読めば
関連図書や参考文献がいっぱい出てますから。

むしろ哲学にとらわれず(近代に対して)20世紀はどういう時代か?を
まとめてある本を読んだ方が分かりやすいような気がします。
思いつくままに書いてみます。
・橋本治「20世紀」
・ジョン・ホーガン「科学の終焉」
・ホフスタッター著「ゲーテル、エッシャー、バッハ」
・キットラー「グラモフォン、フィルム、タイプライター」
我ながらある種のステレオタイプ的選択だと思います。
あと、ジャック・ラカンに関する入門書的なモノを読んでおくと
イイと思います。
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この回答へのお礼

>むしろ哲学にとらわれず(近代に対して)20世紀はどういう時代か?を
>まとめてある本を読んだ方が分かりやすいような気がします。

私もそう思いました(笑)
『流れ』の中でデリダやポストモダンを把握した方がいいかなと。
知の論理も読んでみます。

お礼日時:2002/04/04 04:50

「ロゴセントリシズム」、「差異」、「差延」、「デコンストラクション」あたりのKEY WORDSはまず押さえていますよね・・・

この回答への補足

脱構築なら分かります。

補足日時:2002/04/01 02:12
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Qデリダの哲学とは!?

デリダの哲学のエッセンスを、なんとか中学生にも分かるくらいのレベルで解説していただけませんか?

Aベストアンサー

 よく使われる哲学的表現に、自分と「自分」があります。「」なしの自分は実際の自分で、カッコつきの「自分」はOOだと思われているレッテルを貼られた自分です。他人がレッテルを貼るときもあれば、自分でレッテルを貼るときもあります。同様に、ものと「もの」も使い分けられます。

 私たちが考える「もの」とは、常にそれ自身から遅れています。しかし、私たちは、「もの」はつねにひとつの同じ「もの」だと考えてしまいます。デリダはこのように「もの」が安定して目の前にあるように見なす態度を批判します。この偽〔いつわり〕の安定を取り除かなくてはならないと主張します。
 偽りの安定を打ち破るためにデリダが持ち出したのが、脱構築〔だつこうちく〕と呼ばれる独特な方法概念でした。外側から壊すのではなく、内側から変化させるものです。男と女、人間と自然などのような二項対立に揺さぶりをかけ、意味の内側から、これまで受け入れられてきた意味を書き換えてしまうのです。

 デリダの前から“差異”という言葉は使われていました。イヌとオオカミの違いは?。では、ヤマイヌとは?私たちがものを識別しているのは差異によってですが、その区切り方によってはちがう名前がついてしまいます。ところがそのイヌでさえ、さっきまでの「イヌ」は、いまの「イヌ」とは違っているという点を考慮していません。このことをデリダは、空間的な差異と時間的な遅延の2つの意味をあわせもった、差延〔さえん〕という造語で表現しました。

 では、脱構築の例は、どう言えばいいのでしょう。OO主義を批判して、『OO主義はよくない!』と叫ぶのではなく、『OO主義はいいね!』と言いながら、OO主義の意味する中身を変えてしまう、といったことではないかと思います。・公共事業を批判するのではなく、公共事業の意味する中身を変えてしまうようなことです。

 私たちは、すでに文化の仕組みの内側に入っています。だから外に出たと思っても、それは幻想かもしれません。この時代の、この世界の常識の枠からはみ出して考えることはできないのかも知れません。・脳のある部分の役割が何であるのか表現しようとしても、今流通している表現でしか考え付きません。右脳は空間認識と感覚をつかさどり、左脳は理論と言葉をつかさどる。そうでしょうか。右脳は新奇性をつかさどり、左脳は慣例をつかさどると表現し直されたりしています。

 ・『ねぇ、仕事が大事なの、私が大事なの?』という質問には、そのまま答えず、二項対立の構造自体を崩すように答えるのが賢い答え方ですネ。

  ・ジャック・デリダと言えば、“差延”と“脱構築”を押さえておけばいいでしょう。

 ・は僕の独自の理解・見解・例です。
 

 よく使われる哲学的表現に、自分と「自分」があります。「」なしの自分は実際の自分で、カッコつきの「自分」はOOだと思われているレッテルを貼られた自分です。他人がレッテルを貼るときもあれば、自分でレッテルを貼るときもあります。同様に、ものと「もの」も使い分けられます。

 私たちが考える「もの」とは、常にそれ自身から遅れています。しかし、私たちは、「もの」はつねにひとつの同じ「もの」だと考えてしまいます。デリダはこのように「もの」が安定して目の前にあるように見なす態度を批判し...続きを読む


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