哲学家の皆さまに質問です。僕は超無神論者です。

 めっちゃ自分の中に閉じこもっているDEEPな方のご意見が聞きたい、今はそんな気分です。


 僕は絶対、神さまはいないと思う。僕の神様はどーしてもつらいときだけ存在します。苦しいときの神頼みですね。それ以上ではなくそれ以下ではない。

 皆さまの回答はできるかぎり読みますが、あまりに読みづらいのは勘弁してください。僕は本当に超個性的な方を待ってます、どんな考え方しているのかちょっとでも知りたいです。

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A 回答 (62件中61~62件)

当方は無神・仏論者ですが、もし存在するならこの世界を創造した後、各生物にこの世界の運命をたくしたのではないのではと考えます。



苦しいときに頼んでもこちらが望むことは何もしてくれないでしょう?
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「神」は我が心にあり です。

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Q無神論

よく、共産主義は無神論だと言われますが、資本主義は有神論なのでしょうか。また、私が日本共産党にメールで質問したところ、信教の自由は保障するという返事がきました。

Aベストアンサー

共産主義が無神論の立場を取るのは
 マルクスが経済活動の根本的な法則を
 物質のやりとり=ギブアンドテイクに
 求めたからです。
 したがって共産主義は無神論=唯物論である
 ということは、簡単に定義できますし、それほど
 論争の余地はないでしょう。

 かといって、「資本主義」が有神論であるかどうかと
 なると・・・・
 ちょっと答えにくいですね。
 
 なぜなら、共産主義は資本主義に潜む矛盾を
 暴くために誕生し、したがってその創始者(理論的
 唱道者)が「マルクス」であると特定できるのに
 対し、資本主義は世界史で学ぶように
 18世紀半ばころからイギリスで「自然発生的に」
 始まった産業革命あたりに起源を持つからです。
 つまり、「資本主義」の創始者などは存在せず
 したがって無神論であるか、有神論であるか
 「特定」しようがないのです。

 もちろん、著書
 「プロテスタンティズムの倫理とその資本主義の精神」
 の中で、キリスト教(特にカルビン派)の職業倫理と
 禁欲精神(=貯蓄につながる)が資本主義の発展につながった
 と主張したマックス・ウェーバーのような
 有神論の立場を取る学者もいますが
 かといって、ウェーバーが資本主義を始めたわけでは
 ありません。
 
 あるいは近代経済学の始祖と言われる
 アダム・スミスも人間の経済活動が
 (神の)「見えざる手」によって
 すべての人間が「生かされていくように」調和していく
 ということを説き明かしていますから
 「有神論」と言っていいでしょうが、
 こちらも、資本主義の創始者と言うわけではありません。

 
 
 
 
 

共産主義が無神論の立場を取るのは
 マルクスが経済活動の根本的な法則を
 物質のやりとり=ギブアンドテイクに
 求めたからです。
 したがって共産主義は無神論=唯物論である
 ということは、簡単に定義できますし、それほど
 論争の余地はないでしょう。

 かといって、「資本主義」が有神論であるかどうかと
 なると・・・・
 ちょっと答えにくいですね。
 
 なぜなら、共産主義は資本主義に潜む矛盾を
 暴くために誕生し、したがってその創始者(理論的
 唱道者)が「マルクス」...続きを読む

Q神さまっていると思いますか

神さまっていると思いますか

また死んだお母さんは神さまがいる天国にいて今も自分を見守ってくれているとおもっていると信じている幼稚園児のaちゃんがいて
逆にお母さんに虐待されて母親に恨みを持っている

b君がいるとします
その二人が何が原因かわかりませんが神さまはいる! いや神さまはいない!の神さま論争になってしまいました
皆さんはこのようなとき二人をどのように納得できるよう説得しますか
どんな意見でもいいので御回答よろしくお願いします
ちなみに僕は神さまはいると思います

.

Aベストアンサー

aちゃんに「お母さんは天国に居て 神様と一緒にaちゃんの事を見守ってくれてるよ」と言えば

ひょっとするとaちゃんはそれを信じるでしょう それから神様を心に宿して生きて行くかもしれません

同じ様にbちゃんにこの世に神様なんて居ないんだよ あれは大人が嘘をついてるんだよ」と言えば

それを信じていくでしょう。

どちらの人生が幸せか それは死ぬまで分かりません

私はカトリック幼稚園に通ったと言うだけで 神に親近感は持っていますが 神が居るとは思っていません

神という考え方が在るのは知っています 新約聖書も大分読みましたし 旧約もちょっとですが読みました

旧約の頃の神は怖いですねえ 地震 雷 神 おやじ?ですよ。

つまり神という考え方をしてる人が世界には大勢います それはそれで言いと思います

中には神に裏切られた思いで神を信じなくなる人も居るでしょう

逆にきっかけがあって神を信じるようになる人も居るでしょう

問題は信じても 信じなくても この世の道理をわきまえて 世の中でよい方向に生きて行けるかです

神を信じない人にも良い人は一杯います 逆に神を信じてる人にも悪い人はいます

真摯に謙虚に自分の人生を愛を持って生きることが出来るなら どちらでも可能な時代になったのだと思います

これが思想信条の自由ですね^^

aちゃんに「お母さんは天国に居て 神様と一緒にaちゃんの事を見守ってくれてるよ」と言えば

ひょっとするとaちゃんはそれを信じるでしょう それから神様を心に宿して生きて行くかもしれません

同じ様にbちゃんにこの世に神様なんて居ないんだよ あれは大人が嘘をついてるんだよ」と言えば

それを信じていくでしょう。

どちらの人生が幸せか それは死ぬまで分かりません

私はカトリック幼稚園に通ったと言うだけで 神に親近感は持っていますが 神が居るとは思っていません

神という考え方...続きを読む

Q荘子は無神論者なのか

荘子は無神論者なのですか?

Aベストアンサー

一言、補足です。

>キリスト教と関係させると、ちょっと難しいですね。

其の通りと言うか、根本的に基本思想に大きな隔たりがあるのですね。

老荘は「有神」も「無神」も同じ一つのモノとして扱っていますから、基督思想の思考法では理解出来ません。

基督思想では「神」を離れた思考は「異端」で、危険思想になりますから、悪魔信仰と同義になるので、この分野での思想もロジックも存在しません。


まぁ、そもそも「無神論」と言う言葉の裏には、「基督教徒」という前提があるので、他宗・他思想に対して使う言葉では無いのです。

Q神さまは罪のない人に罰を与えますか?

キリスト教の話です。あまり詳しくないので教えてください。

すべての人間は罪を背負っているという考えはわかります

たとえば、なにか死ぬほど、つらいことがあったときに
「これはあなたの業が原因で、神から試練を受けているのだ」と信者はいいます・・

だけど、世の中には罪のない人間もいる。それは子供です。

神さまは、罪のない人間にまで罰を与えるのでしょうか?

子供が虐待されたり、殺されるのも神の御心なのでしょうか?
まだ、無垢で、罪を背負っていない子供にとって、
神さまから死を与える理由はなんでしょうか?
どう解釈すればいいのですか?

Aベストアンサー

まず、この質問の核心にたどり着くための予備知識が必要だと思います。聖書の創世記3章をご覧ください。そこで、最初の人間アダムとその妻エバ(イヴ)がエデンの園から追放されるいきさつが記されています。最初、女であったエバを蛇が誘惑したのですが、実はこの蛇は悪魔サタンが操っていたのです。そして、女エバは惑わされ、それに続いて男アダムも引きずり込まれて、結局サタンの考えに同調し、二人は神が禁じていた木の実を食べました。それにより重大な違反者となった二人はエデンから追放され、神との親しい関係から隔絶されました。その後、二人は子孫をもうけ、それが現在の全人類となっているというわけです。それで、アダムの子孫である全人類は神から追放された身であり、罪人として苦しみと死を経験してきました。

しかし、元はと言えば人類がこのような状態に陥ったのはアダムの責任でした。彼がエデンから追放されていなければ全人類はそこで生まれていたことでしょう。神は人間を造った創造者であり人間の天の父であられるゆえに、そのような状態を深く憂慮し、望む者が再び神の元に帰ってこれるように救世主であるメシア(ヘブライ語でメシア、ギリシャ語でキリスト)を遣わされたのです。

ところで、このエデン追放の問題に関連して、天使たちの間で論争が起きました。悪魔サタンと悪霊たち(堕落した元天使たち)は「神のおきてに従うよりも自分勝手に生きた方がより幸福になれる」と主張しましたが、忠実な天使たちは「神の正義(おきて)に従ってこそ宇宙の秩序と平和は保たれる」と主張しました。神はこの論争が解決するために一定期間だけサタンが自分の望むとおりに人間を支配することをお許しになりました。つまり、「サタンよ、お前が言うとおりかどうかやってみなさい」ということです。とはいえ、全能の神の目にはその結末は明らかであり、サタンの計画が必ず惨めな失敗に終わるということを予告されました。

ここまでが予備知識なのですが、ここから本題に入りたいと思います。hasimoto35さんが言われたような質問が聖書にあったので、以下に引用します。イエスの弟子たちがイエスに質問している場面です。

さて,進んで行かれる際,イエスは生まれた時から盲目の人をご覧になった。そこで,弟子たちが彼に尋ねた,「ラビ(つまり先生),この人が盲人として生まれたのは,だれが罪をおかしたためですか。当人ですか,それともその親たちですか」。イエスは答えられた,「この人が罪をおかしたのでも,その親たちでもなく,神のみ業がこの人の場合に明らかにされるためだったのです。・・・」(ヨハネ9:1-3)

是非、聖書のこの部分の続きも読んでいただきたいのですが、結局この生まれつき盲目だった人はイエスの奇跡によって癒され、目が見えるようになりました。そして、その後イエスの敵対者から尋問を受けます。しかし、この人は明快な論理をもってイエスを擁護しました。その後、彼は敵対者から追放されたもののイエス・キリストの直弟子となることができました。それで、これは一つの劇であり、将来これと同じことが大規模に行なわれることを予告したものなのです。聖書にはこのような預言的な劇がたくさんあります。

それで、今苦しみを負っている人々は将来、神がエデンの園のような地上の楽園を再興される際に復活させられ、以前の苦しみなどによって生じたいかなる損害も癒されることになっています。それは上で挙げた盲目だった人が見えるようになったのと同じです。そして、そのような人々はサタンが支配する不公平で弱肉強食の世界の犠牲者となった人々で、サタンの主張の間違いをいやというほど味わった人々でもあります。彼らは楽園で癒される時、サタンの支配とその利己的な考え方が大変間違っていたということを強力に証言するでしょう。それはあの盲目だった人がイエスを擁護したのと同じです。そのような証言により、もはやサタンは神の前で言い訳ができなくなり、 彼は最終的な処罰を受けることになるでしょう。このようにして、上で挙げたイエスの言葉のとおり、苦しみを経験した人々によって「神のみ業は明らかに」なるのです。

それで、まとめると、人類が苦しみを経験している原因は最初の人間アダムがエデンを追放されたからであり、また現在の人類の世をサタンが先導しているからです。ですから、その責任はサタンとそれに従う者たちにあるということになります。確かに、神はこのような嘆かわしい状況を一時的とはいえお許しになりました。それは人間が「神の正義に従うより自分勝手に生きた方が幸福になれるのではないか」というサタンの考えに追随したからです。神はこのような苦しい状況をあえて経験させることによりその間違いに気づかせようと考えたのです。そして、そのような理不尽な状況によって被ったいかなる損害をも、命でさえも、それを回復させると宣言しておられます。

確かに、現在苦しんでいる人々のことを思うと悲しい気持ちになることでしょう。当然のことながら、その点でできることは何であれ行なうべきだと思います。そして、さらに重要なのは、「自分勝手に生きる」ことを推奨しているサタンの考えに同調してはならないということです。戦争も犯罪もその他の理不尽な問題も、この世界の諸問題は結局のところ、そのような「利己的な欲望」に起因しています。もし、私たちがそのような「利己主義」を少しでも容認するとすれば、少なからずこのサタンの支配する世界を支持していることになり、今そのような支配のゆえに苦しんでいる人々に対しても責任を負うことになります。

例えば、日本は飽食の時代ですが、世界には飢餓に苦しむ人々が9億人以上もいるとのことです。本当はそのような飢えで苦しむ人々が食べるべきはずのものを富んだ国が買い占めているという不公平な現実があります。しかも、日本では大量のまだ食べられる食糧がごみとして廃棄されているのです。そこで、こういう人もいるかもしれません。「私一人がその点で何か改善したとしても現状は何も変わらない」と。確かにそうですが、その人がもしこのような状況を容認し、飢えで苦しむ人々を無視して飽食を続けるなら、この不公平な世の中に支持を表明していることになるのではないでしょうか。そのような無思慮な一人一人の支持によってこの飽食の世のしくみは維持されているのです。(つまり、飢えで苦しむ人々が苦しむ原因を作っているのです。) このように、人々は知らずしてサタンの利己的な論理を支持し、知らずして人々の苦しみを増し加えています。各人は直接ではなくても、間接的に人々の苦しむ原因に加担していないかどうかを注意深く吟味すべきでしょう。

以上、かなりはしょって説明しましたが、今までなじみのない概念などもあって難しかったかもしれません。「神さまは罪のない人に罰を与えますか?」というのがそもそものご質問でしたね。その答えは、上で挙げたように「この人が罪をおかしたのでも,その親たちでもない」というイエスの答えから明らかです。神はそのような理不尽な罰を与えたりはされません。しかし、現在人類が苦しんでいるのは、人類が神から離れている結果当然起きていることなのあり、神はそのような状態が生じることをあえてお許しになることにより、人間が正道に戻るべきこと、神の元に帰ることの必要性を教えておられるのです。人は時に苦しみを経験することによりそれまでと考え方、生き方が変わることがあります。苦しむ人々は神に祈るかもしれません。神はそのような人々の祈りに答え、正しい道に導こうとしておられるのです。

それから、『「これはあなたの業が原因で、神から試練を受けているのだ」と信者はいいます・・』とのことでしたが、聖書にはこう書いてあります。

試練に遭うとき,だれも,「わたしは神から試練を受けている」と言ってはなりません。悪い事柄で神が試練に遭うということはありえませんし,そのようにしてご自身がだれかに試練を与えることもないからです。むしろ,おのおの自分の欲望に引き出されて誘われることにより試練を受けるのです。次いで欲望は,はらんだときに,罪を産みます。そして罪は,遂げられたときに,死を生み出すのです。(ヤコブ1:13-15)

ここでもやはり神からの試練(罰)ではないことを明らかにしていますが、その人の取った行動の結果責任はやはり当人が負わねばならないことも明らかにしています。

また、「子供が虐待されたり、殺されるのも神の御心なのでしょうか? まだ、無垢で、罪を背負っていない子供にとって、神さまから死を与える理由はなんでしょうか?」とのご懸念もありましたね。先に説明したとおり、神は将来再びエデンのような楽園を復興されます。そこにおいて神は死者を復活させることを宣言しておられます。神が現在このような理不尽な状況を許しておられる理由は上で説明したとおりですが、その許しは死者を復活させるということを前提にしたものであり、神は長期的な観点でこの問題(上で挙げた天使たちの間の論争、それは人間にも関係あり)を解決しようとしておられるのです。その後、神の正しい道を歩む人々は再びエデンのような楽園に戻ることが許され、永遠の命を得ることができるでしょう。ですから、今の悲惨な状況は永遠の解決のための一時的な痛みということができるでしょう。しかし、その痛みは後に完全に癒されます。

神が苦しみを許しておられる目的、それが単なる理不尽な罰ではなく、人類が神の道に戻るべきことを諭すためであることが理解できたでしょうか。疑問点あればまた教えてください。

まず、この質問の核心にたどり着くための予備知識が必要だと思います。聖書の創世記3章をご覧ください。そこで、最初の人間アダムとその妻エバ(イヴ)がエデンの園から追放されるいきさつが記されています。最初、女であったエバを蛇が誘惑したのですが、実はこの蛇は悪魔サタンが操っていたのです。そして、女エバは惑わされ、それに続いて男アダムも引きずり込まれて、結局サタンの考えに同調し、二人は神が禁じていた木の実を食べました。それにより重大な違反者となった二人はエデンから追放され、神との親...続きを読む

Q神さまに収入の1/10も納めなければならないの?

《什一献金》《十一献金)という言葉をご存知ですか。
クリスチャンの信者は、収入の1/10を自身の所属する教会などに税として払わなければならない、という宗教的掟のことです。

~~~~~~~~
マラキ書
第3章
3:8人は神の物を盗むことをするだろうか。しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた『どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか』と言う。十分の一と、ささげ物をもってである。 3:9あなたがたは、のろいをもって、のろわれる。あなたがたすべての国民は、わたしの物を盗んでいるからである。 3:10わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。

http://bible.salterrae.net/kougo/html/malachi.html
~~~~~~~~
などの記述がその根拠とされており、これは神さまが定めた掟です。
この掟を破る自由は与えられていますが、この掟を破る者は義人たりえず、悪人となります。


で、皆さんに質問します。

 1 神はなぜ(1/10の)捧げ物を要求するのか? 1/10の根拠は?
 2 収入の1/10を収めないと、神のあわれみにあずかれないのか? 納めない者は神から呪われるのか?


カトリックの信者さんたちは、毎月、収入の1~3%くらいを教会に納めているらしいですけれど、これでは律法違反ですよね。
行為義認の観点からしますと、このことは義ではない。であるから、「神やイエスの救済にあずかれない」となるのでしょう。
さらに言葉を連ねるならば、

 3 この律法を破るということは《神を試すこと》になるのではないか?


教えてください。
よろしくお願いします。

《什一献金》《十一献金)という言葉をご存知ですか。
クリスチャンの信者は、収入の1/10を自身の所属する教会などに税として払わなければならない、という宗教的掟のことです。

~~~~~~~~
マラキ書
第3章
3:8人は神の物を盗むことをするだろうか。しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた『どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか』と言う。十分の一と、ささげ物をもってである。 3:9あなたがたは、のろいをもって、のろわれる。あなたがたすべての国民は、わたしの物を...続きを読む

Aベストアンサー

1 神はなぜ(1/10の)捧げ物を要求するのか? 1/10の根拠は?

1/10なら飢え死にはしないだとうとう見通し。


2 収入の1/10を収めないと、神のあわれみにあずかれないのか? 納めない者は神から呪われるのか?

収入の1/10を納めない者は神の代理人から呪われるのです。


3 この律法を破るということは《神を試すこと》になるのではないか?

はい。みなさん試した結果、たいして影響ないという結論に達している模様です。


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