土佐日記 門出の最後の文

上中下、酔い飽きて、いとあやしく、潮海のほとりにて、あざれ合へり。

の「ふざける」と「腐る」の掛詞「あざれ合えり」で、「ふざけ合った」は分かりますが「腐る」というのは何が腐ったのですか?

A 回答 (1件)

酔っぱらって海のほとりでふざけ〔あざれ〕あっている、しかし、その海は塩を含んでいるから物が腐る〔あざる〕はずはない。

おかしな話だ、ということを言わんとしたもので、何かが特に腐るということではないと思います。早い話が、今で言う「おやじギャグ」に当るものです。
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この回答へのお礼

よく分かりました、ありがとうございます。

お礼日時:2001/01/05 12:42

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土佐日記の門出において
「上中下、酔い飽きて、いとあやしく、潮海のほとりにて、あざれ合へり。」
という部分で、「この部分は掛けているのです」と
いわれたのですが、何と何を掛けているのか?
そして、それは具体的にはどういうことなのか?
がわかりません。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

訳は
「身分の高い者も真ん中の者も低い者も、十分に酔っぱらって、たいそう不思議なことに、塩辛い海のほとりで、ふざけ合った」
となります。
で、ここの「あざれ」と言う言葉が、
・ふざける
・(魚などが)腐る
という意味を持っています。
つまり、塩辛い海だから「あざる(腐る)」はずはないのに「あざれ(ふざける)」合った、と言うことになるのです。
現代語の意味が掛けられているのではなく、古語が持っている意味で掛けられているのですね。

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Q国語の「醒酔笑」 現代語訳

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いはんかたなき鈍なる弟子あり、
だんなのあつまりて、茶さけなどある座敷に、
年さんたむのあるは常のならひ也。
しかるにかの弟子、
ややもすれば、
いまだ三十の者をハ四十と見そんじ、
五十計の者をハ六十あまりと見そこなふて
わらはるるを、
坊主聞かねて、
「さてうつけに薬かないとハまことや、
我も人も年のよりたきはなし、
誰をもわかいといはんこそほいならめ、
あなかしこ、
そこつに人を年よりといふな」
と、をしへられ、
あけの日、彼弟子、使僧(しそう)に行き、
女房の子をいたきゐるを見つけ、
「此御子息(このごしそく)ハいくつにてありや」
「是ハことしむまれ(今年生まれ)、
かた子(一歳未満)ておいりある」
と、(女房は)こたへけり。
弟子、
「さて、かたこにはわかう(若こう)御座あるよ」
と。

以上になります。
至急よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

 現代語訳というより、この文がほとんど現代語です。

 ほとんど、ふつうに使いますよ。

 下に書いた訳語の言葉が分からないようでしたら、「古語辞典」ではなく、国語辞典をひいてください。




いはんかたなき鈍なる弟子あり、

  言わん難なき「鈍」なる弟子有り。

    鈍=鈍感=バカ


だんなのあつまりて、茶さけなどある座敷に、

  檀那の集まりで、茶・酒などある座敷に、


年さんたむのあるは常のならひ也。

  (前半不明) ・・・ のあるは、常の習いなり。

  ※おそらく「年齢を矯正する(ごまかす)のは人の世の常のことだ」くらいの意味と思われる。


しかるにかの弟子、

  然るに彼(か)の弟子

   (彼の国では、などと今でも使う。「かれの国」ではない。)


ややもすれば、

  ややもすれば(←現代語)


いまだ三十の者をハ四十と見そんじ、

  未だ30歳の者をば40歳だと見損じ


五十計の者をハ六十あまりと見そこなふて

  50歳の者をば60歳余りだと見損ないて


わらはるるを、

  笑われるのを

    (この場合、嘲笑される)


坊主聞かねて、

  師匠の坊主聞きかねて

   (聞いていられなくて)


「さてうつけに薬かないとハまことや、

  はてさて、バカにつける薬はないとは、誠や(大阪弁)


我も人も年のよりたきはなし、

  吾も、他人も、年寄りにはなりたくなし


誰をもわかいといはんこそほいならめ、

  誰をも若いと言うことこそ、本意だろうに

  (ならめ=なるらめ→なるらむ、は古語)


あなかしこ、

  (これは古語) けっして


そこつに人を年よりといふな」

  軽率に、人を年寄りと言うな


と、をしへられ、

  と教えられ


あけの日、彼弟子、使僧(しそう)に行き、

  翌日、彼の弟子、お使いに行き

   使僧・・・ 僧としてのお使い(古語ではないがあまり使わない)
   (あけの日、は古語)
 

女房の子をいたきゐるを見つけ、

  女房が子を抱き居るを見つけ、


「此御子息(このごしそく)ハいくつにてありや」

  このご子息はいくつでしょうか


「是ハことしむまれ(今年生まれ)、

  これは今年生まれ


かた子(一歳未満)ておいりある」

  一歳未満です


と、(女房は)こたへけり。

  と女房は答えけり

  (ケリは、けりがつく、のけりで完了の意味)


弟子、

  すると弟子は

   (実年齢より若く言いなさいと教えられた弟子は)


「さて、かたこにはわかう(若こう)御座あるよ」

  さてさて、一歳未満にはとても見えないほど若いですよ


と。

  と言った。



・・・  大阪人なら、「1歳未満より若いって、いったい何歳やねん!」と突っ込みを入れるところです。
 

 現代語訳というより、この文がほとんど現代語です。

 ほとんど、ふつうに使いますよ。

 下に書いた訳語の言葉が分からないようでしたら、「古語辞典」ではなく、国語辞典をひいてください。




いはんかたなき鈍なる弟子あり、

  言わん難なき「鈍」なる弟子有り。

    鈍=鈍感=バカ


だんなのあつまりて、茶さけなどある座敷に、

  檀那の集まりで、茶・酒などある座敷に、


年さんたむのあるは常のならひ也。

  (前半不明) ・・・ のあるは、常の習いなり。

  ※おそらく「年齢を...続きを読む

Q「いとまばゆき人の・・・」の解釈(源氏物語)

宜しくお願いします。
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ごく始めの方に「いとまばゆき人の御おぼえなり」という一節が出てきます。
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是非、詳しい方々のご意見をお願い致します。

Aベストアンサー

この引用された本文が諸本に異同のないことを大前提にします。
古文を読む場合ははじめに品詞分解をしますよね?
取り敢えず、「いと・まばゆき・人・の・御おぼえ・なり」
ですから
「いと(副詞)」=極めて
「まばゆき(形容詞シ活用まばゆしの連体形」=ここの解釈をちょっと後回しにします。
「人(名詞)」
「の(助詞)」
「御おぼえ(名詞)」=ご寵愛
「なり(断定の助動詞なりの終止形)」
で良いかと思いますが、「極めてまばゆい人のご寵愛だ」と訳せます。問題は「まばゆい」の意味で、古語辞典を引くとわかると思いますが、「まばゆし」の意味が一般的に「目がくらむほど美しい」とするほかに「いとわしくてまともに見られない」なんて意味もあるんですよね…。
文脈上、上達部たちの言い分として、そのあと楊貴妃の例を挙げてますからおそらく後者の意味合いが強いんでしょう。また、この箇所のみでなく、全体を見渡して、『源氏物語』の特色でもある、高貴な身分の人に対する主語は極力省略する姿勢、というのを考えますと、問題集で「桐壺更衣」となるのも自然です。たしかにこの一文とその周辺のみだと「人=帝」としたいところですが、帝を「人」って言い切る度胸は並大抵の人間にはないかと…。(そしてちょっと読んだだけですが、ほかに帝を人、と呼ぶ箇所が見当たらない)

ただ、私は源氏物語の専門家ではないので深くは存じませんが、おそらくこの箇所は諸説分かれるところかと思います。
専門家がそれぞれの説をとりあげていると思うので基本的な注釈本にあたってみると良いと思います。(角川・岩波・小学館あたりからでている古典全集が基本です。下手に眉唾な文献にはいきなり当たらないよう)


ちなみに、『源氏物語』は作者自筆のものが現存せず(見つかったら世紀の大発見ですね★)すべて写本か版本になります。よって、その内容に読んでいて意味が通じない箇所というのはかなり多く出てきます。(うつしているんで適当なんですよ)
だからあとあと、与謝野源氏とか谷崎源氏とか瀬戸内源氏とかあさきゆめみしだなんていう小説・漫画がさまざまな解釈でもって展開できるという自由もはらんでいるのですが…。
ついでにいうと、源氏物語だけで毎年新しい論文が100はでる、というのはこの方面ですと笑えない笑い話になっています。


なので、先だってのご質問から推測するにおそらく源氏初心者であろう質問者様が原文にいきなり体当たりをするのはかなり危険です。古典を専門にやってる人間ですら回避できるなら源氏は回避したいところ(笑)。今質問者様が取り上げた一文ですら、恐らく明瞭な解答というのは判然としないかと思います。

前回も少し申し上げましたが、いきなり細部に突入するのではなく、まず、『源氏物語』とは何か、程度の入門書なんかを手に取られて、外堀から埋めていった方が源氏解釈には近道になると思いますよ。私なんかは高校の時に、「源氏は取り敢えずあさきゆめみしでいいから全部内容を把握しなさいっ!話はそれからです!」という指導を国語の先生から受けましたが、今思うと妥当な手順だったと記憶しています。
源氏専門家が舌を巻くほど、『あさきゆめみし』作者の方の理解は深いので、こういったわかりやすい書物からまずお読みになっては如何でしょうか?
おおよそを押さえた上で、だんだんと、深いところまで突っ込んでいけばいいのでは。

何事もいきなり細部に突撃するよりも、対象本体を把握してから理解へ入った方が、解釈が楽ですよ。

この引用された本文が諸本に異同のないことを大前提にします。
古文を読む場合ははじめに品詞分解をしますよね?
取り敢えず、「いと・まばゆき・人・の・御おぼえ・なり」
ですから
「いと(副詞)」=極めて
「まばゆき(形容詞シ活用まばゆしの連体形」=ここの解釈をちょっと後回しにします。
「人(名詞)」
「の(助詞)」
「御おぼえ(名詞)」=ご寵愛
「なり(断定の助動詞なりの終止形)」
で良いかと思いますが、「極めてまばゆい人のご寵愛だ」と訳せます。問題は「まばゆい」の意味で、古...続きを読む


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