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先日「雷雷為衛門」?と言う番組を見ていて、韓国人と日本人と在日韓国人がバンドを組んで、日韓の友好の為に曲を作って旅をする。と言うような企画をやっていました。
そこで、韓国や中国を旅している時に、日本人の男性が、韓国や中国の人に
「お前、日本人か?!」って言う感じで、嫌がられていました。
昔、日本人が中国や韓国の人に対して、どんなことをしてきたのか知りたいです。
今、問題になっている「教科書問題」にも関係しているのですか?

人は、自分が与えた傷は忘れやすくて、与えられた傷は忘れないと思います。
でも、本当に忘れてはいけないのは、与えられた傷より、与えた傷だと思っています。
だから、日本人は、韓国や中国の人に対して、どんな傷を与えたのかを知っておきたいのです。知ったからといって、何が出来る訳ではないのですが・・・

A 回答 (6件)

 過去の日本・朝鮮・中国が共有する不幸な歴史は、実は人類が繰り返し経験してきた、普遍的な対立の構図が背景にあったと言えなくもありません。

どのような傷を与えてきたかは多くの文献が存在しますし、事実認識に対してすら現在でもおおきな対立があり、そしてまたそれぞれの対立するグループの中にも非常に多くの立場のバリエーションが観察できます。あえてその内容には触れませんが、その「普遍的」と思える部分に私なりの思いがありますので、少しだけ参加させてください。


 さて、人類の正確な分類学上の位置は、動物界・脊椎動物門(有羊膜亜門)・哺乳綱・(真獣亜綱)・霊長目(真猿亜目)類人猿科(ヒト亜科)(ヒト属)ヒトだそうです。他の生物が多くの種や亜種の広がりを伴って地球上に存在しているのに対し、人間は「兄弟」のいない状況で生存を続けてきました。これは全くの私見ですが自我意識の明確化に伴って、きびしい自然条件の中、人類は生き残るために他者を否定しなければならない現実に直面してきたに違いありません。つまり食性やテリトリーの重複する「兄弟」たちを駆逐しないと生き残れない状況が続いてきたのだと思います。有史以降も16世紀の南アメリカ、建国過程の合衆国や奴隷狩りが行われたアフリカ、先の大戦中のアウシュビッツ、広島、長崎、731部隊の蛮行、スターリン時代のソ連の粛正などなど虐殺の歴史に関しては枚挙に暇がありません。

 しかし一方、そういうものなんだからあきらめるしかないのかというとこれも軽々には言えません。これも私見ですが、自我意識の発達が「自己の存在」を認識し、それを押し広げることによって「他者の存在」を認知し始めた歴史を人類は持っていると思います。つまり、相手の立場に立つ知性と、人の痛みの分かる想像力を身につけることによって、人類は人間性を次第に獲得してきた歴史があると思うのです。ある時は先駆的な哲学者の思考の中から、ある時は悲惨な戦争に対する反省から、ある時は民族国家の独立と建国の理念の中から、ある時はキリスト教の精神を普遍的なものに広げようとする運動の中から、ある時は産業革命がもたらした社会情勢の中で生産と人間性の関係を分析する科学的視点のなかから、人類は自らの中に他者との共存のヒントを見つけ育ててきた、といえなくもありません。しかし残念ながら21世紀の現在でも、それが何かの主張の根拠になるほど強力なものでないことも事実でしょうが…。私は思うのですが、これからも人間は「他者を否定する遺伝子」と「共存のための知性」が危ういバランスをとりながらも歴史を進展させていくと想像しています。

 ところで、地球上に出現した最強のイデオロギー、それは間違いなく民族主義です。民族主義どうしの軋轢はさまざまな地域紛争の原因になってきたことは明らかです。文明が進んだ現代でも地球上には多くの民族主義が存在しますが、他国のむきだしの民族主義は不快を通り越して滑稽にすら感じます。一方、それは自動的に、他国から自分たちのむきだしの民族主義を眺めたときにどう思われるかという決定的な回答でもあります。ですから当事者同士の露骨な民族主義に基づいた主張は何も解決しない、ということは自信を持って言えます。

 20世紀半ばに東アジアで起こったことを当てはめてみるとそのことがよく分かります。片や「おまえたちの民族が我が民族に対して行った過去の残虐行為は永久に許さない」という主張と、片や「あのときは自らが生き残るために仕方がなかったんだ」という主張の対立が、これからも続くなら、お互いに得るものは何もない、これは確かな結論です。これから先の国際化(決してアメリカ化ではなく)の中で、「共存のための知性」という概念は、それが単なる建て前でも保持しなければならない大事な考え方のはずです。そうでなければ、地域紛争や人口問題、環境問題等何も解決しないからです。民族主義を全否定するつもりはありませんが、日本人・韓国人・中国人の私たちは、時に柔軟かつエレガントに、時に狡猾に国際社会の中でふるまっていかなければ、それぞれが繁栄を続けることはむずかしいと、私は思うのです。今の日本の官僚や政治屋たちにそれを託して大丈夫かというと、悲観的にならざるを得ませんが。
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この回答へのお礼

みな様にお礼を言います。
自分の国のことも全然知らなかった私の為に、丁寧かつ分かりやすい回答、アドバイス、本当にありがとうございます。

これを機に、歴史に興味をもったので、自分でも勉強してみたいと思います。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2002/04/03 15:30

 


  日本と朝鮮半島・中国との関係は、明治以前の江戸時代から遡って、天智・天武の頃までのあいだは、比較的に穏やかで、友好的な関係でした。
  
  天智の時代(彼が未だ即位しないで、中大兄として実質政権を握っていた時代)に、「白村江の戦い」があります。これは、百済と倭(日本)の連合軍が、新羅と唐(中国帝国)の連合軍に壊滅的に敗北を喫した戦いで、この戦いで、百済は完全に滅亡し、日本は、朝鮮半島への直接的関与を、これ以降しなくなります(この時代以前の朝鮮半島と日本の関係は、海峡を隔てて、日本も朝鮮半島事情の当事者だったのです。倭が百済を支援したのは、朝鮮半島を征服するためではなく、朝鮮半島に倭の分地というか、倭に居住する有力部族や多くの人たち(天皇家の祖先も朝鮮半島出身で、古代天皇家は、朝鮮半島にその領土を持っていたと考えられます)の故郷の地があったので、日本は朝鮮半島に領土的にも権利があったのです。朝鮮半島の領土が、母国で、倭に、分地を持っていたのかも知れません。しかし、倭の領地の方が重要になったので、倭の視点から眺めだしたということでしょう。特に、朝鮮半島の本貫地が、新羅の統一でなくなった後では)。
  
  「白村江の戦い」以降は、日本は、唐の支配下に入った、朝鮮半島の動向には関与しなくなり、遣唐使などを送って、中国文化の吸収に熱心になりますが、数世紀後には、遣唐使派遣もやめ、国風文化といわれる「平安時代の盛期日本文化」を築きます。朝鮮半島とは、民間人(漁師や商人など)は、往復の交通があったようですが、国家単位では、日本は鎖国したと同様の状態になります。
  
  鎌倉時代に、クビライの命令で、元と高麗の連合軍が日本を征服しようと、攻めて来ましたが、日本は、必死の対決防戦と、自然現象や元の内政問題などの偶然に助けられ、元帝国に支配下には入りませんでした。この場合、クビライの個人的意志で、攻めてきたというより、中近東からロシア・東欧にまで勢力を伸ばした元帝国の世界構想に、日本を領土下に収めるという計画があり、元は、日本全土を直轄地にするか、または属領として支配するため、侵攻して来たと云えます。
  
  この後、三世紀ほど後に、豊臣秀吉の「朝鮮出兵」がありますが、これは、秀吉個人の意志で、朝鮮半島に軍を出したというべきです。というのは、当時の日本には、朝鮮半島を支配下に置かねばならない、政治的・経済的・軍事的理由が見あたらないからです。元の侵攻は、元の「世界統治構想」の一環で、必然性があったと云えますが、秀吉の場合は、彼個人の動機しかなかったというべきです。
  
  それ以降、日本と朝鮮半島・中国は、友好的な関係になります。江戸時代の鎖国の時にも、朝鮮よりの使者を日本は迎えていましたし、李氏朝鮮との政治的儀礼は互いに尽くしていたというべきです。中国は、唐の時代(それ以前からも)以降、常に、東アジアの宗主帝国としての意識を持ち、周辺国家を冊封して、属領とするのを常として来ました。これは、中華帝国の「世界統治構想・思想」によるもので、日本も冊封しようと、中国は幾度となく試みましたが、足利第三代将軍が、形式的冊封を受け入れた以外、中国の冊封を受けたことはないというべきです(秀吉も、明が彼を「日本国王」としようという冊封の書を破棄しました)。朝鮮半島は、千年以上前から、中国の冊封を常に受けており、歴史的に、「中国の属国」であったというのは「事実」です。
  
  江戸時代中期から末期にかけて、西欧列強の世界征服構想は、東洋もその具体的ターゲットとなって来て、19世紀になると、清帝国は、列強の軍事力の前に、少しづつ屈して行きます。北からはロシア帝国が、清の国境で、軍事力を誇示し、日本にも通商を求めて使節が来ますが、江戸幕府は、鎖国の方針を理由として、これを追い返します。しかし、遅れて来た列強アメリカは、ペリー提督の強引なやり方で、遂に日本を開国させます。この動乱のなかで、江戸幕府は破綻し、新生日本を誰が指導するかで、薩摩・長州の旧藩を中心とする勢力が、天皇親政の明治政府を樹立させ、ここから、近代日本になります。
  
  列強が植民地争奪戦を繰り広げた19世紀から20世紀初頭には、世界は、列強と、その植民地乃至準植民地に二分されます。日本は、江戸時代末期、不平等条約を締結し、複数列強の準植民地に準じる地位にいましたが、そのままでは、植民地化は眼も見えているので、世界の他の地域の植民地化の圧力を受けた国々が行ったのと同様に、西欧化・近代化政策を取りました。アラブ世界でも、オットーマン・トルコは、西欧化政策を試みますが破綻し、清朝中華帝国も、光緒帝の時、西欧化政策を取りますが、これも失敗します。
  
  この時代、独立国は、支配する側になるか、支配される側になるのかの二つの選択しかありませんでした。支配される側になれば、独立国ではもはやなくなります。しかし、支配もせず、支配もされずという選択肢は、この時代にはなかったのです。朝鮮半島は、大国中国の隣国に位置していましたから、支配されずに独立国という選択肢は、唐の時代以降なかったのと似ています。(朝鮮半島は、中国の属領、従属国家である続けたということです)。
  
  日本が西欧列強に支配されないためには、資源のない日本は、イギリスがそうしたように、植民地を持ち、そこよりの物質や経済などにより、列強としての力を持つ以外に方法がなかったと云えます。中国は、全列強が侵略を事実上行っており、中国領土の一部を列強は、租借地などの形で手に入れましたし、阿片の輸入を認めさせるため、イギリスは清朝中国と戦って、これを打破しました。中国の朝朝は、統一帝国としての統制を失って行き、全土は群雄割拠となり、列強は、地方支配者と結びつき、中国大陸の分割支配を目指していました。
  
  日本は、明治の文明開化を行い、新政権ができたので、列強の支配のターゲットから外れたかと言えば、そんなことはない訳で、現に、明治政府は「不平等条約」で苦しみます。不平等条約を破棄するためには、日本は、ただの平和国家として、独立を維持していればよいのではなく、列強に伍して、政治力・軍事力・経済力を示さねばならなかったと云えます。
  
  日本は、朝鮮半島の李氏朝鮮をまず属国とし、次に李氏王朝を倒して日本に併合し、更に、清朝崩壊後、清朝の旧皇帝を利用して傀儡政権を造らせ、満州国を実質的に支配します。しかし、これは、日本が朝鮮半島、満州を支配下に収めなければ、間違いなくロシア帝国が、この地域を支配下に収めたはずで、その場合、日本は、ロシアの脅威を海峡を隔てた対岸に持つことになります。
  
  日本は、中国における「権益」等をめぐってロシアと戦い、勝利します。また、清朝中国に植民地化の手順として干渉し、日清戦争を起こし、これにも勝利します。しかし、権益のためと言っても、これらの戦争を起こし勝利しなければ、日本が逆に列強に支配された可能性が高いのです。満州・朝鮮半島については、上で述べましたが、日本が支配権を握らなければ、ロシアが支配権を持ったはずです。これはほぼ間違いないと思います。その場合、第二次世界大戦後において、満州・朝鮮半島はどういう運命になったかというと、ソ連内の共和国か自治区になったはずで、中ソ緊張に際しては、どういう事態が起こったか予想が付きません。
  
  日本が支配した方が、現地の人にとっては、その時点でも、また、それ以降の歴史のなかでの推移においても、「幸運」であったという見解をわたしは取りますが、「幸運とか関係なく、侵略されて快い人などいない」という論があります。それは当然なのですが、日本が、朝鮮半島や満州に支配権を確立した時代を考えると、日本が積極的に海外進出(侵略)していなければ、東アジア情勢は、もっと悲惨なものとなり、日本自体の独立も危うかっただろうということが云えます。
  
  日本が、朝鮮半島・台湾を合併し、満州に傀儡政権を立てて支配し、南方アジアを侵略したことについては、侵略された人々には、まことに遺憾であったということになるでしょうが、特段して、そのことについて、日本や日本国民が、相手に対し、「謝罪」せねばならないというような理由はないはずであるということが云えます。南方諸国や、朝鮮半島、中国などに対しては、日本の敗戦後、日本が独立国としての地位を回復した後、外交正常化において、侵略の賠償問題は、国家間の協議で、正式に解決しているのであり、国家間の賠償問題は解決したが、個人における賠償問題は解決していない、などという理屈は、認められないというべきでしょう。戦争は、国家と国家が行うもので、日本の侵略も、個人を侵略したのではなく、現在は、独立国家の体裁を持つ地域を、日本という国家が侵略したものだからです。
  
  日本は、朝鮮半島・台湾を日本帝国の領土に入れた訳で、政治的には、現地の元李氏朝鮮臣民や、台湾の元清朝中国臣民は、日本帝国臣民となったのあり、日本の「氏名」に姓を変更せよとか、日本語を使用せよとか、は、別に、格段に異常な要求とは云えないとなります。元朝鮮人や元清朝台湾人を、二流日本国民として差別したというのは事実かも知れませんが、日本国内の日本人自身のなかで、小作人階級とかは、政治的社会的に差別されていた状況で、朝鮮半島の人々や台湾の人々を差別したと言っても、大虐殺したとか、奴隷にしたとかの極端な話なら、非道この上ないと云えますが、そんなことはしていないはずです(「奴隷化」があったとしても、そもそも日本帝国において、「年期奉公契約」という形で、事実上の人身売買が、日本人自身のあいだであったのですから、「現在の常識」で、歴史を判断してはならないでしょう。「差別」にしても、華族・士族・平民という身分区別・差別が、1945年以前には、日本人のなかに存在したのです)。
  
  日本帝国には、六帝国大学がありましたが、朝鮮半島に一つ、台湾にもう一つ造り、八帝国大学制度になっていました。この場合、元朝鮮人、元台湾人は、帝国大学への入学資格がなかったかというとあった訳で、現に、卒業生が大勢います。また日本の士官学校に、朝鮮の人々や台湾の人々も入学できた訳で、暗殺された韓国大統領朴正熙は、日本帝国臣民として、日本の士官学校を卒業しているのです。
  
  或る意味、支配された側や、侵略された側が、精神的物質的また文化的に痛みを経験したとしても、それは、世界的に普遍なことで、かつて、日本帝国が、侵略や支配を他国に行ったからと言って、それは、外交を樹立する際に、解決しており、北朝鮮とはいまだに国交を樹立していないとしても、北朝鮮に対し、日本は、十二分な戦争賠償・侵略賠償に相当する「支援」は行って来たというのが、「事実」のはずです。
  
  列強が植民地政策を取り、世界を植民地化していた時代に、日本もまた列強として力を持たねば、「平和の独立国」など、夢であった時代に、日本が列強への道を進んだのは、自衛のための当然の権利行使でしょう。日本は、列強アメリカやイギリス、そして突如として、「不可侵条約」を無視して、侵略して来たソ連の前、敗北したのですが、なら、自国が日本から何かの侵略を直接受けた訳でもないのに(真珠湾攻撃は、明らかに「軍事施設・装備」破壊です。また、ハワイはアメリカの固有領土というより、歴史的には独立国で、アメリカが侵略で手に入れたのだとも云えます)、どう考えても軍事施設などないというか、あっても、一般市民の居住場所を明確に区別できる場所にあったはずの、東京・大阪に無差別絨毯爆撃を行い、無辜の市民、何十万かそれ以上を殺戮したアメリカ、長崎・広島に人体実験目的で原爆を投下したアメリカの侵略責任は、何時、どこで賠償され、謝罪されたと云えるでしょうか。
  
  日本は、すでに述べたように、国際的慣習に応じて、朝鮮半島、中国、南方諸国に対し、侵略責任を認め、賠償問題は処理しています。なお、「恨みは消えない」などと言うのは勝手ですが、それは「合理的な判断」ではないでしょう。そして「非合理的な主張」に対しては、それは「非合理的で、根拠を持たない」と侵略した者であろうと、第三者であろうと、堂々と主張できるので、いま頃、日本の侵略責任も何もないと言うべきでしょう。
  
  「従軍慰安婦」問題にしても、国家間の条約で外交樹立がなされ、賠償責任を果たした後で、何を言っても、そんなことは関係がないとも云えます。「南京虐殺」にしても、中国との国交樹立の際に、賠償のなかに含まれているはずで、政府が、一旦決めた賠償に、追加を後になって主張するというのは、常識的におかしい話です。
  
  「従軍慰安婦」も「南京虐殺」も、日本軍の残虐行為も、時代が遠ざかって証人もいなくなってから、強く主張しだすというのも、どうもおかしい訳で、「戦争・侵略」においては、不合理なことは付きもので、その上で、国交回復して、日本に賠償責任を要求し、それに応じた日本なのですから、今更、そういう問題には、責任はないというべきでしょう。「何時までも責任は消えない」などと言うのは、非合理的な主張です。もしそういうことなら、満州族は、かつて漢族を大勢殺したり支配したので、その責任は「いまも消えない」となるでしょう。
  
  「南京虐殺」とかは、確かにあったとも云えるでしょう。しかし、その規模は、十万人の無辜の市民とか、二十万人とかではなく、多くて数千人が、巻き込まれたか、軍事的に抵抗しようとしたので、殺されたというのが実態だったと思います(また、市民か軍人か分からないゲリラ活動があれば、無辜の市民ではなくなります)。南京市には当時、市民が十万人もいなかったという証言もあり、いない人間が何故虐殺されるのか、よく分からないのですし、十万人とかいう数字も、客観的に数えて出てきたのではなく、中国側が或る時、勝手に数字だけ持ち出したはずです。
  
  (また、虐殺というなら、韓国なら「光州事件」の大虐殺や、中国なら「天安門事件」また「毛沢東の粛正虐殺」の方が、百万人とか、千万人とか、はっきり分かっています[百万人規模とか、千万人規模と、はっきり分かっているので、細かい数字は分かりません]。自国の国民は虐殺してもよいが、日本の侵略は「何時までも忘れない」というのは、おかしいでしょう)。
  
  何よりも、国交回復し、戦争賠償を規定し、それを日本が履行した後になってから、また、戦争に関する要求を持ち出すというのが、外交的政治的に異常なことですし、非合理です。
  
  日本では、多くの人は、東京・大坂の一般市民をターゲットにした、大虐殺絨毯爆撃や、広島・長崎の原爆投下に対し、「アメリカは土下座して謝罪せよ、罪は永遠に消えない」などということを主張していないはずです。(一部の過激な人は、何か別の目的で、そういうことを言っているかも知れませんが)。中国、朝鮮半島でも、合理的に問題を眺めている人は、日本の戦争責任は、すでに過去のものとなったという認識のはずです(いま六十歳以下の人で、「そうでない」という人がいれば、それは「教育」の為でしょう)。
 
  また、過去のできごとは、それに対する謝罪なり、賠償なりが行われているなら、すでに問題は解消されたとするのが、近代的な考え方です。
  
  日本は、歴史的に侵略戦争を行った、というのは歴史的事実です。しかし、国家間での謝罪や賠償も、すでに完了しているというのも、歴史的事実です。日本が中国と結んだ賠償条約は、中華民国との条約で、中華人民共和国は関知しないとかいう理屈は、国際政治上通用しないというのは、当の中華人民共和国の政策・外交担当者が一番よく知っていることでしょう。
  
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日本の近代の歴史は、如何にして欧米列強の植民地になるのを避けるのかに始まりました。

そのうちに遅れてきた帝国主義国としての道を日本は、たどります。

日清戦争や日露戦争も中国を主として戦場にしています。また、朝鮮併合もしています。これらは、日本の生命線を守るためという名目でした。でも、戦場になった地域の人や無理矢理併合させられた人は、どんな感情を抱いたでしょうか。儒教的支配が強い朝鮮の人に創始改名を事実上強制しました。

第二次大戦も八紘一宇とか大東亜共栄圏とかの美名のもと、あくまで日本の資源確保のために他のアジアの国を侵略したのです。

具体的な事柄については、証拠のあるなしを巡って人により違いがあります。でも、近代日本の陰の側面として、遅れた帝国主義国として特に中国や朝鮮を侵略、併合していった行為の一部として見ると、日本の非は、明らかではないでしょうか。

なお、職業軍人であっても戦後中国侵略を反省した遠藤三郎のような例があります。

具体的なことをお尋ねなのに全く答えになっていませんね。でも、具体的なことは、ここでとてもあげられる程度ではないのです。

いろいろな立場の人の書いたものをお読みになり、侵略された側だったらどう思うかに注意されたら、有益かと思います。
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その番組も存じませんし,見たことがありませんが‥



あくまでも,感情論は述べません。
過去に膨大な時間を割いて,国会図書館を初めとする多くの図書館や欧米からも文書をとりよせて色々と調べたことがあります。その結果として考えていることを述べます。完全な証拠(第三者の解説なしの史実の記録)を示していただける以外の,他の回答者による反論については完全に無視いたしますので,悪しからず。
憶測ではなく,事実としての確たる根拠がある場合はご提示いただければ幸いです。

植民地の民族を自国民とし,軍隊においても中将までの昇進があり,本国の人間をその部下とした‥日本以外にそのような平等な扱いを行なった国はありません。韓国においても陸軍の志願兵募集に対して,自発的に何十倍もの競争率になるような応募があったというのも事実です。平等に昇進できたのですから。

南京大虐殺については,当時の資料を色々とご自分で読んでみてください。特に,虐殺があったとされる時期に多数欧米人が南京に駐在していましたが,彼らの多くも当時の手記を残していますので,読んでみてください。

また,八路軍が日本兵や民間人にどのような行為を行なったかについても多くの資料が残されています。アメリカの新聞にも載りましたネ。

結局は政治的な背景を持つ教育の結果なんですネ。

第二次大戦に勝利した国は無関係であり,敗戦国であるために,徹底的に敵視しつづけるという政治的な色合いが強い教育を受けた人々の中には反日的な考えを持つ方が増えるということなんですネ。

インドネシアのように親日的な国だったのに(インドネシアの独立は敗戦後の日本兵の働きが大きかったですよネ),朝日新聞社の引き金によって非常に悪印象を持たれるようになってしまったような例もありますが,中国や韓国については,それぞれの国の教育が大きく関与しています。

「教科書問題」にしても,朝日新聞の誤報(意図的なものと思いますが‥)が原因ですが,大きな政治カードとして複数の国で使われてしまっていますネ。

実際に日本がどこで何をしたかについては,残されている多くの手記などを参考にされることをお勧めします。意図的に捻じ曲げた解説が含まれている書物が氾濫していますので,できるだけ解説のない,当時のままの手記や記録を原文のまま見てください。新聞社が関与しているようなものなどは,間違えても参考にされないようにしてくださいネ。

また,日本の戦争犯罪を裁いた「東京裁判」の記録を詳細に読んでみてください(もし,数万人や数十万人の虐殺が行なわれていたのであれば,東京裁判で罪状の一つとして取り上げられているはずですから)。

「従軍慰安婦」についても,それを示した当時の記録を探してみてください。この問題が提起された朝日新聞の記事の元になった文章については,完全な偽物であることが判明し,現在では,その存在は誰も語らないという不文律ができています‥
インドネシアでは日本の某弁護士や某教授が懸賞金を出すから無関係であっても慰安婦であったという名乗り出をしてくれという活動をしています。また,単なる防空壕に虐殺の塚という名前をつけたのも,日本人の創作です‥。

史実と歴史観とは全く無関係のものであり,歴史観は国によって異なっているのが世界的な常識です。
くれぐれも,歴史観と史実とを混同しないようにしてくださいネ。
以上kawakawaでした
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>「お前、日本人か?!」って言う感じで、嫌がられていました。



雷電自体はまだ、みてないんですが(ビデオに撮っただけ)
その前の週に中国の南京で「帰れ!日本人」みたいに怒鳴られてましたね。

その後、3人は博物館に向かい、日本人の彼はしょぼんとして出て来てました。
その記念館は「南京大虐殺、記念館」だったと思います。
一度南京大虐殺で検索してみてください。

>本当に忘れてはいけないのは、与えられた傷より、与えた傷だと思っています。

歴史という観点からいいますと、与えられた傷も与えた傷も両方覚えておくべき事だと思います。
人間とは愚かなので、親しく接しているうちに、親切や傷を与えたり与えられたりする事実をです。

ただ、過去に囚われすぎても、またうまく付き合って行けないような気がします。
過去は過去として覚えておいて、血を流す事が次には起こらないように、心がけていくことが大切だと思います。
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 戦時中の日本人は、他の民族の人々を差別し見下していました。

日本本土で生活しているかぎり他の民族の人々に接する機会がほとんどないという特殊な事情が《他の民族の人々は人道的に扱うに値しない存在なのだ》という偏見につながっていきます。
 まず、ロシア人や米国人、英国人などの「白人」に対しては、劣等感の裏返しとして、まぎれもない人種差別感情がありました。前回の講義でも見た通り、ナチス・ドイツにおいては人種差別が、ユダヤ人やロマ(いわゆるジプシー)の人々やスラブ人を「人間以下の存在」とし抹殺することの背景をなしていました。同様のことが日本においても起こっていたと考えられます。
 次に、身体的特徴では日本人とほとんど区別できないにもかかわらず《中国人や朝鮮人・モンゴル人は劣等な民族であり、同じ人間として扱わなくてもかまわない》という「民族差別」が当時の日本社会に遍在していました。これはたとえば関東大震災の際の朝鮮人虐殺となって表れています。民族差別は人種差別と構造的にはまったく同じであり、ただ、中国人や朝鮮人やモンゴル人が日本人と同じ「人種」であることは否定できないので、差異の根拠を「人種」ではなく「民族」に求めた、という点だけが異なっています。
 それが、七三一部隊、従軍慰安婦問題に繋がっているのです。
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