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最近多発する凶悪な事件や憲法改正云々で、日本は「平和」ではなくなって来ているといわれ始めるような世の中になってしまったように見えます。
そこで思ったのですが、だとしたら日本の歴史の中で一番「平和」な時代っていつごろなのでしょう?
どういうことか「平和」なのかは個人の考えにお任せします。想像でも構いません。
ちなみに、私は平安時代だと思います。帝や政治に関わる人たちが歌を作れるほど、心に余裕が持てる時代だったのでは?と考えたのですが……皆さんの意見を聞かせてください。

A 回答 (17件中1~10件)

うーん。

「平和」の基準によって変わってくると思いますね。私の考え付く範囲で平和な時代を、いくつかの基準で区分して書きたいと思います。

【江戸中期ころ】
前の回答で江戸時代で区分している人がいらっしゃいますが、江戸初期末期は動乱の時代です。平和なのはあくまでも江戸中期200年間ほどでしょう。さて、この時代は皆が豊かであったと言うことができます。武士だけでなく、広く農民や商工業者まで豊かだったということです。また、士農工商えたと言いますが、えた・達は差別さえされていましたがそれなりの保護があり、彼らだけの特権的職業を与えられていたりしたので経済的にはそこそこの水準には達していたらしいです。そういう意味で人々の全体が豊かでした。また戦いもなく、社会も穏やかだったと言えます。

【平安時代初期ごろ~中期】
この時代は日本の平和で文化的な時代の代名詞みたいなものですよね。その通り貴族の中では高い精神文化が営まれ、そして豪奢な暮らしがされていました。しかし一方では政変も多く、また民衆の生活は非常に苦しく、決して豊かだったとはいえないと思います。その点で平和とはいえないでしょう。
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以前似た内容の質問があったと記憶していますが、そのときは世界が平和だった時代かな?



やはり多くの人のいうとおり、江戸時代中期が一番平和だったんじゃないでしょうか?
愛新覚羅氏清王朝・李氏朝鮮・徳川幕府の日本・尚氏琉球・黎朝ベトナムと、江戸時代の東アジアは儒教道徳に縛られながらも内外とも戦が一番少なかった時期です。(以前別の質問で「阮氏ベトナム」と書きましたが、本当は黎王朝でした。)
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意見募集ということでおそらく削除されるだろう質問のようですが、一応‥



反語的に聞こえるかも知れませんが、戦中です。
大体「竹やり」でアメリカに勝とうと町内会が協力奮起していたということ自体、呑気(「平和」)だったといえるわけです。第一次大戦以後の「戦争」の認識が全然なかったというものです。どうでしょうか。
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江戸時代前期から中期にかけてだと思います。

主に元禄時代。
犬を大事にしろなんてトンチンカンな政策がまかり通るほど人々は平和ボケで潤っていた
ということでしょう。
赤穂の討ち入りなんていうのも既に武士は斬り合いをするものということが忘れられていたから
逆に新鮮に受け取られ、何だか阪神タイガースの21年ぶりの優勝みたいなお祭り騒ぎに
なったのでしょう。
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他の回答者が述べられているように江戸時代260年間ではないでしょうか。

江戸時代末期に日本に来た外国人の見聞録に記述がありますが、世界でこの国の民衆ほど平和で文化的な生活を楽しんでいる国民はいないだろうとしるされています。身分制度は士農工商と言われていますが
身分の一番上の士の生活態度が誇りを重視して贅沢を戒めたことが社会の安定に繋がったのではないでしょうか。
戦後の60年を上げておられる方もおられますが、60年間戦争をしていないことは特異なことです。何故戦争に加わらずにすんだのでしょうか?アメリカが日本を守らなければならなかっただけです、米ソ対立時代日本が非武装ならソ連の陣営に取り込まれること恐れたアメリカは自国の安全保障上日本を守って来たにすぎません。自国の防衛を他国に任せたばかりに拉致事件が起り解決方法が見つからず同胞を見殺しにして
自分が被害に遭っていないから平和だといえますか。現在米ソ、米中対立も無くなり自国の防衛はアメリカに依存は出来なくなり、これからが
本当の日本の実力が試される時代になるでしょう。
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「平和ボケ」という言葉があったぐらいなので、やはり敗戦後の「平和憲法」を誰もが守ろうとしていた、まだ日本が貧しいころでしょうね。


国が豊かになって金権主義がはびこってからは、豊かさを狙った外国人が来るなどの陰りが出てきましたが・・・。
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卑弥呼の治めた、邪馬台国。


シャーマンである、卑弥呼に畏れを抱いていた民衆は、何かと、素直に従ったことでしょう。
女性の特性を考えると、そんなに無茶をしたとは、思えません。
世界を見ると、(特に中国)すごい、無茶苦茶な女帝もいましたけど。
弥生時代も、穏やかなイメージです。
貧富の差は、出たでしょうが。
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私も江戸時代だと思います。


なんにしても260年近く「軍隊が動員されなかった」というのは世界的に見ても江戸時代ぐらいでしょう。

現代は「我々市民」は平和を享受していますが、自衛官などは「中東に動員」されたりしていて、平和とはいえないと思います。

平和というときに「治安は別に軍の動員で考えるべき」というのが私の考えですから、他の方とは意見が異なるかもしれません。
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何を持って平和とするかでいろいろ変わりますが、貧富の差が生まれ身分の差が生まれ財産を奪い合う争いが生まれる以前、縄文時代までが平和だったといえるでしょう。


ちなみに平安時代は確かに都では平和だったかもしれません。
しかし都を離れれば人々は飢餓や疫病で飢えていました。
華やかな貴族の生活の一方できびしい地方の現状があります。
実はそういう平安時代に武士が興ったのです。
自分の開墾した土地・家族を守るために武装しなければならなかった。
これが平和でない証拠といえます。地方の役人は民衆をまもれなかったからです。
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江戸時代中期の江戸なんて意外と平和だったと思います。

100万を越す大都会だったし、各地区を木戸で囲い、木戸番を置き、近くに自身番もあり、きちんと平和が保たれていたようです。武士も刀の鞘が当らないように左側通行していたようですし、一生涯に一度も刀を抜いた事がない武士がほとんどだったと思います。各地域毎に人別帳などもあり結構しっかり管理されていたようです。江戸の初期・後期は別として、テレビの時代劇のような物騒さはなく、思いっきり平和だったのではないでしょうか。
ただし、その時代私は生きていなかったので、真意のほどは……。
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