イギリスの王室は過去に絶えてしまい、オーストリアから迎えた人たちだという話を聞いたような気がするのですが、本当なのでしょうか?
 本当だとしたらどんないきさつで今の王室の人たちが選ばれたのでしょうか?また、イギリス国民は見んな知っているのでしょうか?

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A 回答 (3件)

 


  イギリスの王室は、過去何度も絶えています。この場合「家系が絶えた」というのは、王家の継承者が、正統な継承権を持つものとしていなくなったという意味です。
 
  歴史的に有名なエリザベス一世はテューダー王朝最後の女王で、テューダー家は確か、ヘンリー七世の時、前の王朝の断絶を受けて王位につき、テューダー王朝を創始したはずです。
 
  しかし、エリザベス一世処女女王は、後継嗣子がいなく、その兄弟姉妹も近親も正統な王位継承権を持つ者はいなくなったので、1603年、エリザベスの崩御と共に、スコットランド王国国王ジェームス六世を、イングランド王国国王として迎え、ここで、スコットランドのステュアート家の後継者である王を迎えたので、イングランドの王室は、テューダー王家からステュアート王家に変化するのです。ジェームス六世は、イングランド王位継承権を持つ、スコットランド女王メアリーの息子で、メアリーはイングランド王位を主張して、エリザベス一世に処刑されているので、メアリーの息子ジェイムス六世にイングランド王位継承権があり、彼がエリザベスの後を襲って、イングランド王になり、「イングランド王国国王ジェイムス一世兼スコットランド王国国王ジェイムス六世」となたのです。
 
  スコットランド王国とイングランド王国は、同じ人物を王とする別の王国で、1707年、アン女王の時、両王国は統一して、グレート・ブリテン王国になります。
 
  ステュアート王家は、名誉革命で、1688年ジェイムス二世が王位を追われ、フランスに亡命した後、ナッソー伯爵兼オレンイェ公爵オランダ総督ウィーレム三世が、その妻で、スチュアート王家出身のメアリーと共にイングランド兼スコットランド王位についたのですが、メアリーの方が王位継承第一位であったので、王家はステュアート家のままで、この二人の後を継いだアン女王が1714年に崩御すると、後継者がいないので、血縁を過去に遡って、ドイツのハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィッヒを、グレート・ブリテン国王に迎え、ゲオルク・ルートヴィッヒが、グレート・ブリテン王ジョージ一世となります。
 
  ジョージ一世は、同時にハノーファー侯ゲオルク・ルートヴィッヒでもあり、王家が、ここで「ステュアート家」から、「ハノーファー家」に変わります。
 
  グレート・ブリテン王国国王は、以降、ハノーファー選帝侯を兼ねていますが、1801年、グレート・ブリテン王国は、アイルランドを併合して、グレート・ブリテン及びアイルランド連合王国となり、当時のジョージ三世(ハノーファー侯ゲオルク三世)は、グレート・ブリテン及びアイルランド連合王国(以下「連合王国」)国王となります。また、ハノーファー選帝侯家は、公家になり、やがて王家になります。
 
  1837年に、連合王国王位を継いだ、ヴィクトリア女王は、1901年まで在位しますが、彼女の崩御の後、王位を継承したのは、ヴィクトリアと、そのクイーン・コンソートのザクセン=コーブルク=ゴータ公子アルバートのあいだに生まれたエドワードで、1901年エドワード七世即位と共に、家名を、ハノーファー王家から、「サックス=コーバーグ=ゴータ家」に変えます。
 
  連合王国の王家は、1901年からは、サックス=コーバーグ=ゴータ王家です。しかし、1910年にエドワード七世から王位を継承したジョージ五世は、1914年、第一次世界大戦において、ドイツと戦争状態になった為、王家名を変え、サックス=コーバーグ=ゴータ王家から、ウィンザー王家に名称を変更します。
 
  それ以降、現在まで、ウィンザー王家の名で、連合王国王家は、現国王エリザベス二世で、英国を統治しています。
 
  イギリスの王家と言っても、11世紀のノルマン・コンクエストで、プランタジネット王家が英国王となったと言っても、この時のイギリスは、イングランドであって、まだ、ウェールズは独立国で、ウェールズ大公が君主であり、イングランド王国国王ウィリアム一世は、ノルマンジー公爵を兼ねていました。プランタジネット家のジョン失地王は、その名の通り、北フランスのノルマンジーの領土を失い、それ以降は、英国王とは、イングランド王のことでした。
 
  プランタジネット家以降は、何らかの意味で、王家と血縁を持っていた人物が、先の王家が断絶すると、新しいイギリス王家を創設した訳で、色々な王家が、イギリス王位につき、やがて、イングランド王国は、ウェールズを併合して、イングランド+ウェールズのイングランド王国となります。
 
  更に、スコットランド王国とも王国合併して(併合ではありません)、グレート・ブリテン王国になったことは以上に述べた通りです。そのグレート・ブリテン王国が、アイルランドを併合して、グレート・ブリテン及びアイルランド連合王国になったのも以上説明した通りです。この後、南アイルランドの26州が、1922年にアイルランド自由国(1949年にアイルランド共和国に改名)として独立して、北に残った6州が、連合王国に留まったので、イギリスの国名は、グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国となっています。
 
  >本当だとしたらどんないきさつで今の王室の人たちが選ばれたのでしょうか?また、イギリス国民は見んな知っているのでしょうか?
 
  上に説明したように、王家の正統後継者が絶えると、その王家の血縁の別の家が王位につき、新しい王家となって継承されて来たということです。イギリス国民は、少なくとも普通教育を受けた人は、自国の歴史ですから、みな、概ねのことは知っているはずです。細かいことは、日本人でも、日本の歴史をよく知らない人がいると同様に知らないかも知れませんが。別に秘密でも何でもないので、調べれば、すぐ分かります。
   
  >ハノーファー家
  >http://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/pe …
  

参考URL:http://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/pe …
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この回答へのお礼

大変詳しく説明していただきありがとうございました。参考URL等も非常に役立ちました。

お礼日時:2002/04/08 11:00

ハノーヴァーからGeorgeⅠが迎えられたのは、名誉革命(The Glorious Revolution)でカトリックのJamesⅡを追放したプロテスタント勢力(=議会)が、「王位はプロテスタントに限る」事にした為です。

GeorgeⅠは、プロテスタントの中では血筋の点で最も近かったのですが、血筋上で、より強い王位継承権を主張できるカトリックが50人ほどいたとの事です。実際、JamesⅡの子孫が王位奪還を図り、孫のCharles Stuartは主にスコットランド北部からの兵を率いて、スコットランドからイングランド中部までに攻めこんでいます。

ノルマン人の征服以降の「○○家」と区別される血筋の王が位についた例を全部あげると、
1. ノルマンディー家からプランタジネット家へ(1154年)
HenryⅠから、Stephen(HenryⅠの甥)とMatilda(HenryⅠの娘)の王位継承の戦いをはさんで、HenryⅡへ(Matildaの子)。
2. プランタジネット家からランカスター家へ(1399年)
RichardⅡからHenryⅣ(RichardⅡの従兄弟)が王位を簒奪(RichardⅡは、王位を奪われた後、餓死させられたとされる。)
3. ランカスター家とヨーク家の王位争奪戦(ばら戦争/1455~85年)
長くなるので説明はパス
4. ヨーク家からチューダー家へ(1485年)
HenryⅦがヨーク家のRichardⅢをボスワースの戦いで破り王位につく。(RichardⅢは、戦場で斃れた最後のイングランド王)
5. チューダー家からスチュアート家へ(1603年)
既に他の方から説明があった通り
6. スチュアート家からハノーヴァー家へ(1714年)
他の方からの説明及び冒頭に説明した通り
7. ハノーヴァー家からサクス・コーバーグ・ゴータ家(現在はウィンザー家)へ(1901年)
既に他の方から説明のあった通り。

新王よりも、正統性の点ではより強く主張できる、王家の血筋をひく者が他にいた例もあります。(例えば、RichardⅡは、別に後継者を指名している。)
何をもって「正当な王位継承者」とか「王統が絶えた」というかは定義の問題だろうと思いますが、「ムリヤリ絶やした」と言える例も結構あるので、「王家の正統後継者が絶えると、その王家の血縁の別の家が王位につき、新しい王家となって継承されて来た」と言うと、かなり印象として違うような気がします。但し、ハノーヴァー家に限って言うなら、「当時の政治状況からしてカトリックは正統とは言えない」と考える立場からは、正当な後継者が絶えた、と言ってもいいのかも知れません。

いずれにせよ、イギリス人は、まじめに学校の授業を聞いていれば、上記の様に、「王位が絶えた」というよりも、むしろ「王位争奪の為の戦い」というべきものが何回も繰り広げられた話を習ったのを覚えているはずです。ランカスター家とチューダー家のそれぞれの王位獲得の経緯は、シェークスピアの劇にもなっていて結構有名ですから、いわゆる「教養人」が知らない事はまず考えられません。

他のヨーロッパ諸国については、スコットランドでのスチュアート家が王位についたのや、フランスのカペー朝の成立ぐらいしか知らず、あまり詳しくありませんが。戦前の日本が「万世一系」といって威張っていたのを考えると、日本の方が珍しい例なのかも知れませんね…。例えばチューダー家の創始者のHenryⅦは父系の血筋で言えばウェールズ人って事になりますが、それでもランカスター派のイングランド王の最有力候補になりました。日本だったら、こういうのはどのように解釈されていたでしょうか。

尚、本質的な問題では全くありませんが、ノルマン征服の頃には、Prince of Walesはまだいませんでした。それが出てきたのは13世紀です。また、いた時期でも、Prince of Walesはあくまでウェールズ系領主の君主であって、ウェールズ内のノルマン系領主との関係は、両方ともイングランド王に忠誠を誓う同輩、とも言えます。
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この回答へのお礼

大変詳しくありがとうございました。世界的には万世一系の方が珍しいのですね。目から鱗が落ちました。

お礼日時:2002/04/13 08:33

1714年にAnne王女が亡くなりStuart朝が絶えると、遠縁のドイツ・Hanover選帝侯が王に迎えられてGeorge I世となりました。

これが現在の英国王室の祖です。Hanover朝と呼ばれましたが、第一次世界大戦の時に敵国の地名を冠するのを避けてWindsor朝と改称しました。

従って王として迎えたのはオーストリアからでなくドイツからで、選ばれたいきさつは「遠縁」ということになります。イギリス人がみな知っているかどうかは分かりませんが、王朝名の改称は近代になってからですからある程度は知られているのでないでしょうか。
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この回答へのお礼

明快な解答ありがとうございました。参考になりました。

お礼日時:2002/04/08 10:57

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高校生です。今私は、総合科学の授業で「イギリス王室と日本の皇室」について研究しているのですが、イギリス王室の財政のシステムがよく分からなくて困っています。
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また、同じ立憲君主国なのになぜそのような違いがあるのですか?

詳しく教えていただけると助かります。

Aベストアンサー

 戦前の皇室は、大山林地主でもありました。

 敗戦直後の昭和21年の天皇家の財産は、土地がおよそ1万3400平方キロ(大体長野県位ですね)あり、殆どが山林(御料林)でした。それから、この当時は山に生えている木が売れますから、これも収入を支えることになります。
 また、株などの有価証券、美術品、現金、などさまざま引っくるめて、当時37億円あったようです。
#但し、宮内庁職員や、学習院や帝室博物館の運営、勲章の授与などの栄典などの現在国などが行っている業務もこの資産の運用益で賄われていました。これらは「神聖不可侵」の皇室に対して国会などが介入することを防ぐための措置です。

 ところが、敗戦後に、「財産税」ということで、33億円が納税されます。そのほかにも払いさげなどで1500万円ぐらいにまで目減りしたようです。
 これではやっていけない、ということと、公的な性格を持つ皇室の経済は国会を通すべき、という考えから、現在のように国家予算で皇室経済を賄うようになりました。
(以上は「天皇家の財布」  http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106100185/qid%3D1140984690/249-8261744-3644357 より)

 一方、英王室の方ですが( http://www.u-net.city.nagoya.jp/international/business/03_%207.html によると)

●英国皇太子の華麗な台所事情が初公開-年収は25億円- メトロ 03- 6-30
チャールズ英皇太子の年収は1,304万5,000ポンド(約25億4,000万円)。30日に皇太子家が初公開した資料で英王室の華麗な「台所事情」が明らかになった。26ページに上る資料によると、収入のうち994万3,000ポンドは、1377年以来皇太子が領主を務めることになっているコーンワル公領からの収入。この収入の運用で、株から債券などに乗り換えるという投資戦略の成功を背景に前年度を約27%上回った。国からの補助は約300万ポンドだった。

 注目すべきは収入の柱である「コーンウォール領」からの収入です。
 英皇太子は職務として皇太子につくと、「コーンウォール公爵」に自動的になります。
#同様にプリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ大公)、ロスシー公のタイトルも得ます。
 で、この「コーンウォール公」というポストには現在の所これだけにしかない特典、即ち領地がついてくるのです。領地ならば、当然”年貢”を取りたてることができるのです。
#あと、発掘された遺物の所有権を得たり、海岸で取れたチョウザメの献上を受ける権利なんて物もあります。後者の権利は近年、自然保護のために、密漁者を取り締まるための法令として活用された例があります。

 これらはポストについてくる収入で、個人の所有物ではないので、相続税というものはかかってこないのだと思われます(例えば、市長が変わっても、市の課税権は次の市長に引き継がれますよね。似たような物だと思って下さい)。

つまり違いは
1)王室の基礎財産の違い。特に皇室は戦後納税のために財産を失った。また、英王室は領地を依然として持っているので、相続税がかからない
2)王室に対する考え方の違い。日本の場合は、敗戦後に、皇室自体も国会でコントロールすべきと考えて、その様な法制となったが、英国の場合はそう言った過程がなかった
であると思います。

 戦前の皇室は、大山林地主でもありました。

 敗戦直後の昭和21年の天皇家の財産は、土地がおよそ1万3400平方キロ(大体長野県位ですね)あり、殆どが山林(御料林)でした。それから、この当時は山に生えている木が売れますから、これも収入を支えることになります。
 また、株などの有価証券、美術品、現金、などさまざま引っくるめて、当時37億円あったようです。
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Q日本の天皇家とイギリスの王室

お世話になります。

歴史には無知な者です。

イギリス王家は、いつも週刊誌のネタにされ、パパラッチに追いかけられています。

日本の天皇家にはそのようなことはありません。

これはなぜですか?

Aベストアンサー

その理由は、二つの王家の歴史を知らねばならないと思います。

イギリスの王家というのは、荘園時代にもっとも広い領地を持っていた、もっとも強大だった貴族がルーツです。
 荘園制度というのはご存知だと思いますが、貴族が独自の法律で荘園を囲い、荘園内では王と同じだけの権力がありました。貴族の時代とは、小国の王がひしめき合い、お互いの権勢を競い合っていた時代です。
 貴族たちは、つねにイギリス王家の強大な権力をねらい、王家に取り入って婚姻を結ぼうとしたり、あるいは陰謀を図って取って代わろうとしたりしました。歴史上、イギリス王家の血筋は一つだけではなく、様々な貴族との婚姻で成り立っています。イングランドの王とは限らず、北のスコットランドの王だったこともあるし、英語をまったく話せないドイツの貴族が王となったこともあります。貴族たちの陰謀に陥れられて塔の牢獄に閉じ込められた王もいます。こんなわけですから、イギリス王室は昔から、つねに陰謀にまみれたゴシップがついてまわっていました。今のイギリス王室に対するゴシップは、そういうお国柄のせいだろうと思われます。

 しかし日本の天皇家は、荘園制度ができるはるか昔の時代から成立していました。日本書紀にあるとおり、天皇家は神様の代から続いており、神道という信仰と結びついています。神道の管轄である神社は日本全国にあり、荘園内で暮らす村人たちも、神道を信仰していました。天皇家は村人たちの信仰心を支配していたわけで、荘園を持った武士とは次元が違う権力を持っていたわけです。このため、戦国時代の武士さえも(陰で利用していたとしても)、天皇家を表立って侮辱するようなことはしませんでした。それは日本人の道を外れた行為ですから・・・

こういう違いが今でも影響しているのだろうと思います。

その理由は、二つの王家の歴史を知らねばならないと思います。

イギリスの王家というのは、荘園時代にもっとも広い領地を持っていた、もっとも強大だった貴族がルーツです。
 荘園制度というのはご存知だと思いますが、貴族が独自の法律で荘園を囲い、荘園内では王と同じだけの権力がありました。貴族の時代とは、小国の王がひしめき合い、お互いの権勢を競い合っていた時代です。
 貴族たちは、つねにイギリス王家の強大な権力をねらい、王家に取り入って婚姻を結ぼうとしたり、あるいは陰謀を図って取っ...続きを読む

Qイギリス王室を題材にした小説

タイトルの通り、イギリス王室を題材にした小説を探しています。
できれば「イギリス王室とは」「イギリス国民にとっての王室とは」というようなことが描かれているものがいいのです。
色々検索してはみたのですが、どうもコミカルに描かれているものばかりで(読んだのはあらすじだけなので断言できませんが)私が探しているのとは違うかなと思ったので投稿させていただきました。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「イギリス王室を題材にした小説」というのが、少し難しいと思います。「イギリス王室とは」とか「イギリス国民にとっての王室とは」というのは、ノンフィクションのジャンルですよね。しかも対象となる時代が長くなります。でも小説って、基本フィクションです。仮にベースが史実だとしても、結果フィクションになるのが歴史小説というものでしょう。また、小説の場合、主人公が一人とか数人に限られるため、どうしても舞台となる時代が数十年程度に絞られるものです。となると「イギリス王室とは」という大きなテーマを小説にはしづらいのではないかと思います。

それを踏まえた上で、石井美樹子さんの著書はいかがでしょうか。
こちらは小説ではないと思いますが(私は読んでいないので、内容については保証できません)。
http://book.asahi.com/saidoku/TKY201104220311.html

他にもイギリス史を題材にした著書を多く書かれていて、中には小説もあります。

Q連合王国って何?イギリス・オーストリア・ポーランド・スウェーデン・・・・

ヨーロッパには連合王国ってのがいっぱいありましたよね
あれって何なんでしょう?
イギリス
オーストリア・ハンガリー
ポーランド・リトアニア
スウェーデン
スペインもポルトガルと一時くっついたし
百年戦争はイギリス王がフランス王の有資格者で(つまり日本の宮家みたいなものでしょ?)
よくわかんないのですが・・・

Aベストアンサー

>連合王国って何?イギリス・オーストリア・ポーランド・スウェーデン・・・・
ヨーロッパには連合王国ってのがいっぱいありましたよね
あれって何なんでしょう?
イギリス
オーストリア・ハンガリー
ポーランド・リトアニア
スウェーデン
スペインもポルトガルと一時くっついたし
百年戦争はイギリス王がフランス王の有資格者で(つまり日本の宮家みたいなものでしょ?)
よくわかんないのですが・・・

こんにちは。私も詳しくはないのですが、「連合王国」と「同君連合」を混同されているのではないかと思います。例に挙げられているイギリス以外は同君連合だと思うのですが。
「同君連合」は君主が同一で、それぞれの君主国は主権を持っている状態を表す政体だったと思います。特に、外交権・軍事権等の主権を持っていることが重要だったと思います。
区別が紛らわしいのです、ウィキペディアの該当項目のURLをコピ-しておきました。

同君連合
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E5%90%9B%E9%80%A3%E5%90%88
連合王国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E7%8E%8B%E5%9B%BD

あまり参考にならないかもしれませんが、気がついた事柄だけ。

>連合王国って何?イギリス・オーストリア・ポーランド・スウェーデン・・・・
ヨーロッパには連合王国ってのがいっぱいありましたよね
あれって何なんでしょう?
イギリス
オーストリア・ハンガリー
ポーランド・リトアニア
スウェーデン
スペインもポルトガルと一時くっついたし
百年戦争はイギリス王がフランス王の有資格者で(つまり日本の宮家みたいなものでしょ?)
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Qイギリス王室の人間が戦争に・・・

「イギリス王室の人間がフォークランド紛争に参加した」と友人から教えてもらいました。その話は本当ですか?

Aベストアンサー

>「イギリス王室の人間がフォークランド紛争に参加した」と友人から教えてもらいました。その話は本当ですか?

NO2の方が書かれているように本当です。チャ-ルズ皇太子の息子のヘンリ-王子も、アフガニスタンのタリバン掃討のために、前線勤務についていたことが昨年報道されました。イギリスの男子王族は軍務に着くことが義務付けられています。戦争があれば当然前線にも行きます。高貴な身分に課せられた高貴な役割です。国民も当然のこととしています。なお、日本でも戦前は皇室の男子は軍役に着くことが当然でした。

以上、参考まで。

Q17世紀のイギリスでクロムウェルの死後王党派が迎えた国王の子って誰ですか?チャールズ一世の子ですか?

17世紀のイギリスでクロムウェルの死後王党派が迎えた国王の子って誰ですか?チャールズ一世の子ですか?

Aベストアンサー

処刑されたチャールズ1世の息子、チャールズ2世です。
母親はフランス王アンリ4世の王女、ヘンリエッタ・マリアです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA2%E4%B8%96_(%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%8E%8B)

Qイギリス王室に関するジョークについて調べています。

イギリス王室に関するジョークについて調べています。
イギリス王室関係のジョークがあればぜひ教えてください。また、そのような文献やサイトがあれば、それについてもお願いします。

映画における王室関係のジョーク表現も集めています。『フルモンティ』や『ジョニーイングリッシュ』『英国王のスピーチ』などで王室関係のちょっと馬鹿にしたジョークを見つけることが出来ました。この他にも、そのような場面がある映画があれば、ぜひ教えて下さい。

Aベストアンサー

 これをゼヒ!
 と言って、どこにあるかわからんが…
http://www.youtube.com/user/MontyPython

 ”頭を下げられない貴族のリンボーダンス”あたりか?

Q世界最長の王室ってどこですか?

日本の皇室は、現存する世界最長の王室だと聞きました。
そこで質問なのですが、今現存していなくてもいいから、
一番長く続いた王室はどこでしょう?

できれば、今続いている部門、続いていなくてもいい部門のベスト5くらいを知りたいです。

Aベストアンサー

王室をどう定義するかによって答えは変わりますし、皇室が王となった時期についても議論があるので、この問題は難しいですね。また、エチオピアの場合など、一旦滅んで、数百年後に復活するという例をどうするか、これも難しいところですね。

・位の委譲を血縁関係に依存したもののみとし、途中で滅亡しなかった世界最長の王室:日本皇室

・位の委譲を血縁関係に依存したもののみとし、途中で滅亡したが復活した世界最長の王室:エチオピア・ソロモン王家(現存しない)、日本皇室(現存する)

・位の委譲は血縁関係に依存しないが一定のルールで権力内部で決まり、途中で滅亡しなかった世界最長の王室:日本皇室またはローマ教皇位(それぞれの成立をどこにとるかで変わる)

Q家系図の信憑性

ある日、うちに家系図があることを知りました。
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よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 家系図について

 江戸時代には、仕官するため(家柄が良いと仕官しやすい)に家系図偽造するなどが横行し、家系図偽造の専門家までいました。

 ただ、地方の相当古い名家(室町時代は土豪で江戸時代は大庄屋を勤めたなど)の場合は、ご質問のような事例が時折見られます。

 こう言ったケースでは、かなり信憑性のあることがあるのです。

事例:
 都から有力な貴族が荘園や領地に行き来したり、有力守護大名などが領地を見回ったりした場合、宿屋などはありませんから、その通りがかった村の有力者=土豪の家に泊まることになります。
 その時、土豪の家に年頃の娘が居れば「チャンス!」とばかりに、夜の伽に出されます。
 上手くいって子供ができれば、手紙を出し子供が出来た旨を報告し、生まれれば認知してもらいます。
 生まれた子供が男であれば、貴族・大名の血を引く貴種として、その土豪の家の格を上げ有力なものとすべく当主として育てられます。

 この場合は認知しても、父親にはほとんど新たな義務は生じません。(祝いの品と自分の子供である旨の書付を送る程度。子供の家の方では、忘れ去られてしまうと困るので、毎年付け届けを送るようになり、利益の方が大きいかも。)
 逆に貴族や大名にとって、騒乱などで地方に逃げたり兵を集めるときなど、協力が期待できます。(実際は貴族・大名の子でない場合もあったでしょうが、どちらにもメリットのある話なので、割合簡単に認知したようです。)

このような場合、家系図は・・・?
 
 当然正式な結婚の元に生まれたわけではなく、父親の屋敷に引き取ってもらうわけでもありませんし、このようにして生まれた子供が、その貴族・大名の家系図に載せられることは、ほとんどありません。
 また、その土豪の家系図からはそれ以前の男系は消えてしまい、その大名や貴族の家系図が正規の男系として記録されるようになります。

 家系図について

 江戸時代には、仕官するため(家柄が良いと仕官しやすい)に家系図偽造するなどが横行し、家系図偽造の専門家までいました。

 ただ、地方の相当古い名家(室町時代は土豪で江戸時代は大庄屋を勤めたなど)の場合は、ご質問のような事例が時折見られます。

 こう言ったケースでは、かなり信憑性のあることがあるのです。

事例:
 都から有力な貴族が荘園や領地に行き来したり、有力守護大名などが領地を見回ったりした場合、宿屋などはありませんから、その通りがかった村の有...続きを読む

Q旧皇室典範で皇位継承を男子のみとしたいきさつ

明治22年旧皇室典範で、皇位継承を男子のみとする事を明文化した、いきさつを教えて下さい。

Aベストアンサー

私も昨年に同じ疑問を持ちまして、その時に探したのが
参考URLでした。

宜しければどうぞ。

参考URL:http://www.kokubou.com/document_room/rance/gendai/kousitutenpan.htm


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