『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜ人々を魅了したのか >>

人が人に名前をつけるということは、いつからなのでしょうか。
それには、次のような前提があると思います。
まず、同胞に対する親愛感。これは人間が動物段階からあると思うので、命名の時には土台ができています。次に、周りの世界を認識し事物に名前をつけそれによって世界認識をおこなう。そしてそれによってコミュニケーションを可能にした段階。その上で、同胞に対する識別標識として名前をつける。

と私は思います。
そういう状態になるのは、道具を作って文明を築きだした時代からではないかなと思われます。

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A 回答 (3件)

 面白い質問ですねー。


 こんなことは今まで考えたことはありませんでした。しかし面白いので、無い想像力を振り絞って、無理やり次のように考えたんですが。

 人が動物と違うのは、意思伝達の手段として「言葉」をもっていることだと思うんです。もちろん動物も意思伝達の手段として、声を使いますが、人間の言葉に比べて問題にならないくらい貧弱で、お話になりません。
 感情を表に出さず、無表情でペラペラとしゃべって、複雑なことを他人に伝えられるのはヒトだけです。
 さて、類人猿からヒトに進化する過程の中で、どの時代で言葉をしゃべることができるようになったかは、よくわかっていません。
 ネアンデルタール人は口や喉の形からして、クロマニオン人(現人類の祖先)のようにしゃべるのは無理だったという学説を読んだことがあります。つまり、言葉が貧弱であったために、知能が進化せず、新興のクロマニオン人に取って代わられたということです。
 さて、非常に言葉の種類の貧弱なネアンデルタール人が、名前を持っていたかということですが、彼らは火も使い、道具も使い、死者を埋葬するような文化もあったようです。少なくとも「俺、お前」の一人称や二人称のような言葉は持っていたのではないかと想像します。
 集団のリーダーが家来を集め、その中から一人の人を呼び出すとき、数十人の規模であれば、そばまで行って「お前チョッと来い」で済むと思います。家族の中でも「俺、お前」で済んでしまいます。
 そういうわけで、三人称の代名詞や「名前」が使われだしたのは、ネアンデルタール人には無理で、ペラペラと言葉を自由にしゃべられるようになって、知能も発達したクロマニオン人からじゃないかと思います。
 AとBが会話の中でCという他人のことを指すとき、名前を使うことになりますが、これはかなり知能が進んだヒトがやることで、発音が不自由であったネアンデルタール人は無理かな、ネアンデルタール人は何でも指をさして「これ」とか「あれ」、「俺、お前」で済ませていたような気がします(人の名前より先に代名詞ができた)。
 名前が付けられるようになったのは、クロマニオン人が集団で住むようになって、その規模が大きくなったときでしょうね。名前がないと大変不便です。
 イギリス人に「ロングフェロー」とか「バード」とか言う名字の人がいます。酋長からから「おい、そこのノッポの男」とか「ピーチクパーチクしゃべっている奴」とか呼ばれて、それが名前として定着していったのではないでしょうか(勝手な想像です)。
 そういうことで、人に名前が付いた時期は、言葉が発達したクロマニオン人がある程度の規模で集団居住するようになってから、理由は名前があると便利だから(ないと不便だから)だと思います。
 
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この回答へのお礼

3人称というものがキーかなと思いました。それができることによって、抽象論というか、「物語」が可能になるんですよね。物語というのは、今ここに起こっていないことを伝達することができるということで、その能力によって文明が進展するのでしょう。その過程で人の3人称が生じ必然的に固有名詞である名前も付与される。
しかし、ネアンデルタールには3人称があったかなかったのかと考えること、あるいは3人称を用いるのは現世人類だけなのかということは面白い考察です。どうんでしょうね。

お礼日時:2006/10/21 08:46

面白そうなので参加。



2番の回答の方の、三人称というのは、なかなか納得できる推論かと思います。その場にいない人物のことを話すときに、初めて「名前」が必要になりますよね。そうでなければ、俺とお前という一人称と二人称があれば話がすみます。
道具を作ってと言うよりも、知識の共有化が始まった時代じゃないかと思います。
単純に、第三者の噂話題をしたいという事ではなく、もっとせっぱ詰まった、理由があって、三人称が始まったんじゃないかな。
俺とお前以外の 第三者が 狩りでうまいことやったよ。
なんて話題です。ほれほれ、おしゃべりなやつ、鳥みたいに、あいつが言ってたやり方で狩りをしようぜ。
という理由です。
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この回答へのお礼

なかなか考えがまとまってきた気がします。やはり必要に応じて開発されてきたようですね。

お礼日時:2006/10/26 11:50

結論から言うとそれはわかりようもないです。



どう考えても名前というものができたのは、人間が歴史を綴るようになる遙か前でしょう。とすれば少なくともこの点について歴史学的なアプローチは絶対に不可能です。
あとは全ては別のアプローチによるしかなく、また全ては推定にしかなりません。
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この回答へのお礼

歴史学という観点からは無理なんですね。他のアプローチというのはどういう分野になるのでしょうね。

お礼日時:2006/10/21 08:42

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Q日本ではじめて名前を持った人は?

日本の歴史的にみて、人にはいつから名前というのはあったのでしょうか?
そのときはじめてついた名前や苗字は何ですか?教えてください。

Aベストアンサー

後漢書東夷伝に
「安帝永初元年倭国王帥升等献生口百六十人願請見」
という文があります。
安帝永初元年(西暦107年)の「倭国王帥升」或いは「倭国王帥升等」が文献上の最初の日本人の名前でしょう。
それ以前の文献では「奴国王」等と、名前は記載されていませんでしたから。

倭国王の「帥升等」なのか、倭国王の「帥升」等(複数)なのか迷うところですが・・・。

姓名として「帥-升」、「帥-升等」なのか「帥升-等」か、姓無しの名前だけなのか?それも定かではないでしょう。

中国側の文献ですから、当時から漢字表記の名前ではなく、名前の元々の音に漢字を当てはめたのかもしれません。
元々名を持たぬ王に後漢側の誰かがそう呼んだ名を記録したのかもしれません。
という事で最初に名を持った日本人かどうかはわかりませんが、文献上では最初の日本人の名ではないでしょうか。

Q日本の名前の由来

日本という名前はいつ、どのようにつけられたのか教えてください。

Aベストアンサー

もともと、日本には名前がありませんでした。弥生時代の日本列島には
いくつかの勢力が存在しており、中国はこれらの勢力をひっくるめて倭と
呼んでいました。日本の勢力もこれに対応し、自分たちの国を倭と呼んでいました。

7世紀初頭の遣隋使において、「日出ずる処の天子が書を日没する処の天子に致す」
という書き出しで始まる親書を送っています。「日出ずる処の天子」とは
単純に「東」を意味するものとするのが一般的ですが、倭という呼び名を
嫌がって作った呼び方とも言われています。というのは、倭という漢字には
「従順」「矮小」といった意味が含まれていて、見下された呼び方だからです。
結果として、自分たちを「日出ずる処」、隋を「日没する処」と表現して
しまったために、倭国は「無礼者」と怒られ、その時の使者(小野妹子)は
処罰されそうになったようです。

その後しばらくは倭国と呼ばれ続ける日々が続いていましたが、701年の
大宝律令によって正式に「日本」という国名を名乗る事になりました。
ここで何故「日本」と名乗ったか、という問題が起こるのですが、残念ながら
それを明らかにする文献は存在しないようです。日本の歴史書として有名な
日本書紀も8世紀に成立しており、既に国名が日本に変わった後なので、
そのあたりの記述が存在しません。ただ、「日出ずる処の天子」が
「日本」に変わったのだろう、という見方は一致しているようです。

もともと、日本には名前がありませんでした。弥生時代の日本列島には
いくつかの勢力が存在しており、中国はこれらの勢力をひっくるめて倭と
呼んでいました。日本の勢力もこれに対応し、自分たちの国を倭と呼んでいました。

7世紀初頭の遣隋使において、「日出ずる処の天子が書を日没する処の天子に致す」
という書き出しで始まる親書を送っています。「日出ずる処の天子」とは
単純に「東」を意味するものとするのが一般的ですが、倭という呼び名を
嫌がって作った呼び方とも言われています。というの...続きを読む


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