以前に読んだ本で、ある哲学者が町へ出ると人々がちょうちん行列していた。聞いてみると日本が日露戦争(または日清戦争?)で勝利を収めたという。彼はそうした国民的関心事も知らずに思索にふけっていた―という話を読んだ記憶があります。これはだれなのでしょうか。西田幾太郎?だとしたら、どの文献に出てくる話なのかご存知ありませんでしょうか。

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A 回答 (1件)

んーー


戦勝を知らずに、思索していたのではありませんが。。。。

西田幾多郎に、戦勝の祝賀に触れた文章があるのは記憶しておりました。
今回検索してみましたところ、日記のなかの記述のようですね。

明治38年=1905年
1月1日:旅順陥落
1月2日:開城
1月5日:ステッセル乃木会談。。。
となっていますから、日露戦争の旅順陥落と符合します。

●NHK第二放送:市民大学講座 1999年10月、12月 講演記録
http://pweb.sophia.ac.jp/~yutaka-t/lecture/nishi …

参考URL:http://pweb.sophia.ac.jp/~yutaka-t/lecture/nishi …
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この回答へのお礼

Ovoroさま

ありがとうございます。ただ小生の記憶と事態が違うので、なんともいえないのですが。とにかくOvoroさまのご尽力に感謝いたします。それにしても西田をこれほど読んでいおられるのには敬服いたします。

お礼日時:2002/04/23 11:50

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戦争は武器商人などが儲けるためにしてるんですか?

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米国34代大統領のアイゼンハワーは、それを指摘して
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戦争の原因は色々ありますが、現在では資源と領土が
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資源や領土で戦争の火種が起こる。
そこへ、武器商人が政治家に、献金や票で
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Q西田幾太郎さんの世界観をわかりやすく言うと

西田さんについて調べています。
彼の経歴や著書などインターネット上で読めるのですが、自分の理解力がたらないのか難しすぎます。
「絶対矛盾の自己同一」やら「純粋経験」やら・・・
彼の世界観をシンプルに述べるにはどうすれば良いですか?
「彼は日本で始めて独自の哲学を築いた」とか「西洋と東洋の哲学を~」などは解るのですが、その結果、どういった「哲学」が彼の哲学として生まれたのか、書いているところが見つかりません。(著書を読めば解るなどといわれるかも知れませんが申し訳ないことに自分の理解力・読解力がたらないのか青空文庫で目を通したのですがよくわかりませんでした・・・)

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こんばんは。。

 概説書を読むぐらいで、原典を読んでない者なので、お呼びでないとは思うのですが・・・

 思想・哲学関係の実用書を何冊か執筆されている富増章成という方をご存知ですか?(ご存知ならスルーしてください。)
 哲学・思想を相当に読み易く解説される方で、中にはかなりおもしろい(ぶっとんだ)切り口で哲学を紹介する本も書いています。
 その方の本で、『東洋の賢者の思想がよくわかる本』というのがあります。(これは比較的正攻法で書かれた本です。)この第17章が西田幾多郎で、約20ページほどですが、平易に解説してあります。
 この手の実用書を読んで哲学・思想を理解しようとすることには賛否あるところでしょうけれど、原典をお読みになっているなら、肩の凝らない文体で書かれたこういう本を副読本がわりにご覧になるのも手ではないかな、と思いました。
 あと、この本でも少し触れられていることなのですが、西田幾多郎を読む場合、西洋の哲学史と仏教(とくに禅)をいくらかでも頭に入れておかないと読解は難しい、とのことでした・・・

 お邪魔しました。では。

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Q戦争末期の中国戦線への武器弾薬の補給について

太平洋戦争末期の中国戦線(日中戦争)への武器弾薬の補給に
ついてですが、戦争末期になると米潜水艦の暗躍により、
商船を安全に送り込む余裕もなかったと思いますが、(最悪略奪すれば・・・な)食料はともかく、戦車や小銃などの武器や弾薬は
どのようにして日本本土から補給してたのでしょうか?
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 太平洋戦争末期ということですが、1944年(昭和19)4月から発起した一号作戦という大作戦時でいえば、それまで中国にある兵器補給廠や貨物廠に貯蔵していた軍需物資がありました。(当時上海の第13軍参謀だった曲寿郎氏の回想による)また、内地からは朝鮮沿岸沿い経由で上海までは海上輸送で補給ができました。つぎに物資を補給する輸送部隊として満洲の関東軍から野戦輸送司令部2、独立自動車大隊7、独立自動車中隊2、独立輜重兵大隊3、独立輜重兵中隊6、野戦自動車廠移動修理班1が編入されています。これ等の部隊はなし得る限りの予備資材や燃料を携行することとされていました。このほかに中国には支那派遣軍野戦造兵廠があり、各種兵器や弾薬の製造を行なっていました。本廠、教育部を南京に設置、支廠を漢口、上海におき、天津と南京に製造所がありました。南京製造所は金稜工廠とよばれていました。

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こんばんは。
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ちなみに「善の研究」を読むときには岩波の原典(?)と講談社学術文庫の注釈つきのもの、それと西田幾多郎(もしくは「善の研究」)を解説した本が必要かなと思うのですがどうでしょうか?

以上いくつも質問してしまいましたがよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

善の研究は、西田哲学の中では、わかりやすい本だと聞いたことがあります。

ですから、初心者でも、意味は、わかると思いますよ。

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日中戦争時、抗日中国人の組織、戦闘手段(武器とその使用)、武器支援(購入方法)、について教えて下さい。

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>「当時の日本兵は蒋介石の軍隊とは戦ったが、共産党の軍隊と戦った記憶が無い」
それは地域による違いでしょう。山東地区では共産党軍の主力である通称「八路軍」が日本の59師団と戦っています。(もっとも、彼らの戦果報告は明らかに過大ですが)また、弾薬の乏しい八路軍は徹底的にゲリラ戦術でしたので、軍ではなく匪賊という認識だったのかもしれません。なお、戦後の国共内戦では国共両軍に旧日本兵の一部が強力、捕獲された戦車や戦闘機の扱いを教えたり、自ら操作して参戦したこともありました。

>ドイツのI号戦車A型
三国同盟以降に日本軍に捕獲(リンク先の一番下の画像参照)され、内地に持ち込まれ展示されましたが、気を使って「ロシア製」という説明表示になっていたそうです。
http://www2.ttcn.ne.jp/~heikiseikatsu/mokei/CAMARA.htm
他にも国民党軍は3.7cm対戦車砲PAK36や8.8cm高射砲(有名なFLAK18や36/37ではなく、海軍の沿岸砲)も使われており、後者は日本軍にコピーされ九九式八糎高射砲として生産されました。
http://www.warbirds.jp/kunimoto/type51/88-1.htm

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E8%B7%AF%E8%BB%8D

>「当時の日本兵は蒋介石の軍隊とは戦ったが、共産党の軍隊と戦った記憶が無い」
それは地域による違いでしょう。山東地区では共産党軍の主力である通称「八路軍」が日本の59師団と戦っています。(もっとも、彼らの戦果報告は明らかに過大ですが)また、弾薬の乏しい八路軍は徹底的にゲリラ戦術でしたので、軍ではなく匪賊という認識だったのかもしれません。なお、戦後の国共内戦では国共両軍に旧日本兵の一部が強力、捕獲された戦車や戦闘機の扱いを教えたり、自ら操作して参戦したこともありました。

>ド...続きを読む

Q現象学的思索

現象学的思索とは、「マフィアのボス」といったシンボル(?)を投下し、それ自身の発展を観察するという手法と考えてよろしいですか?

Aベストアンサー

「マフィアノボス」概念投下自体は、あまり関係しないかもしれません。

が、フッサール的に言えば、「マフィアノボス」のアプリオリな側面は、何かとまず考える(構成要素1)ことです。そして、イメージの中に潜む錯覚は具体的には何かと掘り下げる。(プロフィールに俺俺テーマの哲学引用文を書いて、括弧で著者名を書き添え、自己の権威付けを図るるるるとか言う醜く、イカ臭い飾りごとをしないということ・その態度です。)

社会学的に例示すると、社会の混沌期には、社会性を形づくる上で「血縁」が非常に重要な要素となるということですが、それをたとえば、現時点で地理的に「どの地域でこの考え・理論が正しい」といえるかとか、混沌とした社会の中で血縁関係を重視したとき新しい問題として浮かび上がる悲劇(逆に利点)とは何かと哲学的に取り扱い(構成要素2=他の学問への応用、もしくは関連する学問の基礎付け代行)、「結果を出す(構成要素3=作文)」ということです。

社会科学的に、たとえばデジタル革命に関してこのアプローチは、かなり頻繁に 使われているようです。

Qベトナム戦争の頃、米軍とベトナム軍が使っていた武器はそれぞれどんなもの

ベトナム戦争の頃、米軍とベトナム軍が使っていた武器はそれぞれどんなものがあるでしょうか?
M16やAK47などのメジャー処は知っているのですが、もっとマニアックな銃が知りたいです。
URLだけ貼るというのはナシでお願いします…

乱文失礼しました

Aベストアンサー

北ヴェトナム軍が使用していた消音器内蔵の中国製拳銃「六四式微声手槍」はどうでしょう。

中国の人民解放軍特殊部隊に1964年に制式採用され、専用の7.65ミリ弾を採用。
音を極力出さないことを主眼に設計されたため、ほとんど音を出さないとか。
ベトナム戦争でアメリカ軍に捕獲されて、初めてその存在が知られました。
のちに小型軽量化された六七式微声手槍も開発されました。

中折れ式のグレネードランチャーM79もヴェトナム戦争がデビュー戦です。

小ネタとして、AK47のマガジンが不足気味だったため韓国でも製造されていたそうです。
アメリカ側に兵士を送り、ソ連側に武器を供給してたわけですな。

Q思索する時。。。空っぽの私

いつもお世話になっております。
少し病的な範囲の質問かも知れませんが、お気軽に回答下さると嬉しいです。

「思索」等と言うと高尚な感じで恥ずかしいのですが。。。
*思索する時、皆様は「どんな感覚」でしょうか?
(私は只ひたすらに「自分の心に潜って行く」感覚です)

思索する時「前提を疑って掛かる(=白紙撤回の限界に挑戦?)」と思うのですが、
(そうではない場合がありましたら、ご教授下さい)
*自己の内部(?)に反発/拒絶を感じる事はありますか?
(私は磁石が反発し合うような感触で「近付く事も許されない」と言った感覚を感じる事があります)

曖昧な表現になりますが「自己認識の感覚」は、
*枠でしょうか?
*核でしょうか?
(私は「枠」と感じます。あまり自分の内部に「中身」を感じません。
言わば「空っぽの容器」の感覚です。以前(二十歳前迄)はとにかく「中身を見つける(無い気がしていたから)」事に必死だったように思います。ひと事件ありまして「今は内容量を増やす受容の時期」かも知れない、と考えてからは「容器の感覚」が強いです。自己暗示の成果でしょうか。汗)

単に表現に固執しているだけかも知れませんし、
個々人の感覚/言語化の違いもあるかも知れませんが、
出来ればこんな感覚に「実感」がある方にお答え頂けたら、と思います。
よろしくお願い致します!

いつもお世話になっております。
少し病的な範囲の質問かも知れませんが、お気軽に回答下さると嬉しいです。

「思索」等と言うと高尚な感じで恥ずかしいのですが。。。
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思索する時「前提を疑って掛かる(=白紙撤回の限界に挑戦?)」と思うのですが、
(そうではない場合がありましたら、ご教授下さい)
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Aベストアンサー

「自己認識の感覚」を、核とか枠とか言った概念で捉えようとしておられるのは、興味深いことです。とくに「枠」といった概念ですが、私は「境界」といった言葉をもちいています。別の所に投稿したものを一部改変して下記に書いておきます。ご参考になれば幸いです。
===
「この私のこの心」が、「今・ここにいる」私によって考えられるとき、「今・ここにいる」私を離れて「この私のこの心」は存在し得ない。「心」の定義がどうであれ、「今・ここにいる」私が思い・考えるということを離れては存在し得ない。

それがいつ始まり、いつ終わるのか、どこから来て、どこに行くのかということは「今・ここにいる」私を離れることができない故に、想像の域を出ることができない。
そうして、「この私のこの心」が、生命活動を行っている実体としての私(特に脳)と密接な関連を持っていることと離れては存在し得ない。私とは、そのようなものである。
 
観念論的に「この私のこの私のこの...心」を自己言及という点にまで相対的に極限化することは比較的難しくはない。
一方、「この私のこの」心に境界を設定することは不可能であることも事実である。すなわち、「全宇宙」に「この私」が広がっているという概念すら否定されえない。

「この私のこの」心は、周囲の環境と密接な関係を保っており、「切り離す」ことは不可能なのである。それでいて個々に存在している。

すなわち、「この」わたしを突き詰めようとするときに、私と(全宇宙というよりも、概念的にもっと広い)総体との境界問題が発生するといってもいい。

では、「この」わたしとして「認識」している「もの」は一体何なのであろうか。。。?

私が私を私として認識するとき、時間の流れと記憶との問題が取りざたされうる。すなわち、「自己同一性」である。

「この」わたしが、それを考えているこの一瞬にあると思ってしまうのは、まさに総体から私を切り離しうるという知的に切断された面(以降、知的切断面)そのものであり、切り出された断面に張り付いた私を眺めているに過ぎない。

では、眺めているのは誰か?

それこそが「総体から切り離し不可能な私」であろう。。。

すなわち、逆説的に言えば、「総体」とは、空間的にも時間的にも切断されうるものであるがゆえ、時空間を含み、相互関連しうる、ありとあらゆる「全て」である。

なおかつ、眺めている主体は、知的切断面(境界)にて周囲から区分可能な存在でもあるわけである。
===

「自己認識の感覚」を、核とか枠とか言った概念で捉えようとしておられるのは、興味深いことです。とくに「枠」といった概念ですが、私は「境界」といった言葉をもちいています。別の所に投稿したものを一部改変して下記に書いておきます。ご参考になれば幸いです。
===
「この私のこの心」が、「今・ここにいる」私によって考えられるとき、「今・ここにいる」私を離れて「この私のこの心」は存在し得ない。「心」の定義がどうであれ、「今・ここにいる」私が思い・考えるということを離れては存在し得ない...続きを読む

Q日中戦争の頃の中国の武器はどのようなものでしたか?

日中戦争の頃の中国側の武器はどのようなものでしたか?
古い映画をみて、機関銃と迫撃砲くらいしか出てこないので、貧弱だったのかなと想像しています。
戦車や飛行機、戦艦、潜水艦などなかったのでしょうか?
飛行機などあれば日本本土を空襲したはずですよね。

中国の装備が貧弱であったので、日本はやすやすと侵入できたと考えてよいでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

当時の中国軍の装備はドイツの軍事顧問の指導により改善の途中でした。
チェコより輸入した機関銃は当時の最高級で、揚子江河口地区の防御陣地はトーチカなど近代陣地の装備でした。
この為上陸した名古屋師団はこの陣地に肉弾戦を挑み大損害をうけました。

当時中国軍は蒋介石の政府正規軍と軍閥の私兵からなっており、正規軍はかなりの近代装備を有していましたが軍閥の私兵は貧弱な装備でした。
正規軍は37ミリ以下程度の対戦車砲も有しており日本軍の軽戦車は撃破されたのです。
しかしこれらの装備を有していた正規軍が初期の防衛戦で消耗すると、彼我の兵器差は大きく開きました。

中国空軍は海外の義勇軍の混成で機種も2戦級でしたが奥地の重慶に遷都しての防衛ではかなり活躍し日本の護衛のない爆撃機は大きな損害をうけました。
開発直後のゼロ戦が護衛についてからは日本軍の一方的な勝利になったのです。

中国戦線での迫撃砲の脅威は唯一の大口径砲として日本軍を悩ませました。

しかし戦争末期にはビルマ経由の援将ルートで米英の近代重火器が到着しこれを装備した中国軍に北ビルマの防衛拠点を次々に奪われ玉砕が続きました。

中共軍とはゲリラ戦で困らせられ、かなりの兵力を貼り付けざるを得なかったのですがここでも戦争末期に
中共軍の百団大戦攻勢で板垣師団は大損害を受けました。
決して中国戦線では勝利だけではなかった事実は知っておく必要があります。

当時の中国軍の装備はドイツの軍事顧問の指導により改善の途中でした。
チェコより輸入した機関銃は当時の最高級で、揚子江河口地区の防御陣地はトーチカなど近代陣地の装備でした。
この為上陸した名古屋師団はこの陣地に肉弾戦を挑み大損害をうけました。

当時中国軍は蒋介石の政府正規軍と軍閥の私兵からなっており、正規軍はかなりの近代装備を有していましたが軍閥の私兵は貧弱な装備でした。
正規軍は37ミリ以下程度の対戦車砲も有しており日本軍の軽戦車は撃破されたのです。
しかしこれらの装備...続きを読む

Q太平洋戦争、仏教界で戦争肯定を唱えた人

太平洋戦争、仏教界で戦争肯定を唱えた人がいると聞きました。自分で調べましたが手がかりがつかめません。誰がどの宗派の人がそのようなことをとなえたのか、わかりますでしょうか?

Aベストアンサー

>>太平洋戦争、仏教界で戦争肯定を唱えた人がいると聞きました。自分で調べましたが手がかりがつかめません。誰がどの宗派の人がそのようなことをとなえたのか、わかりますでしょうか? 
 太平洋戦争の中心て的な位地には日蓮主義者の方が多くいたようです。代表的な方々を歴史的な流れを抑えてあげていきますと、太平洋戦争以前の明治34年田中智学は従来の怠惰に慣れた宗門を激しく批判するとともに、新しい日蓮主義というものを宣言します。田中智学の日蓮主義の核心は「侵略的態度」にあり、日蓮聖人を大元師となして、大日本帝国の力で「法華経」による世界統一を果たそうというものでした。その思想が与えた衝撃は当時の日本の意欲に燃える若者は田中智学の「国柱会」に次々と加わっていきました。
 その影響は昭和の超国家主義にまで及びます。満州事変の首謀者石原莞爾、2・26事件に連座した北一輝、要人暗殺を謀って血盟団の井上日召など、いずれも熱心な「法華経」の信者であり、日蓮聖人の崇拝者でありました。石原莞爾などは昭和15年、当時の戦争をまさしく日蓮聖人によって予言された世界統一のための大戦争につながるものと位置づけています。(『最終戦争論』)近代日蓮主義の特徴は、それが積極的な侵略のイデオロギーの一翼を担い、その先鋭と結びついたところがあります。
 だからといって他の宗派が無関係かといえばそうではありません。先のtaishi1さんのお答えにも出ていますが、浄土真宗本願寺派の門主・大谷光瑞は「王道の道は武備を整えること」といって当時の日本を肯定するようなことを言って、他の宗旨とともに侵略戦争に引き込まれています。ただ、禅や浄土の思想はいわば時代の後ろからついていったのに対し、当時の日蓮主義は先頭に立って時代を作り出していったといえるのです。
 こういったことに関しては『今のお寺に仏教はない既成仏教教団の宗派別問題点』遠藤誠 現代書館に詳しく取り上げられています。

 余談ではありますが、少し私の意見をのべさせてただきます。こうしたことについて話し合うとき「ガンジーの非暴力の精神でなくてはいけない」というひとがいます。誰でも外から見ていれば非暴力、戦争反対をとなえる事はできます。しかし、そういっている人たちがどれほどの覚悟で言っているのでしょうか。日本がもし一億総動員の翼賛体制になったら、そのときもその信念が貫けるのでしょうか。特高に付けねらわれて「アカ」「非国民」とののしられ、逮捕され拷問させる。・・・自分ひとりが犠牲になるならそれも堪えられるかもしれません。でも、家族親戚にまでその手が伸びるかもしれない。それでもそれがつらぬけるか?? 私ははっきりいってそれが出来るほど強い人間ではありません。私は戦争には反対ですし、人も殺したくないと思っても、拷問に耐え、家族まで巻き込んで、自分の信念を貫けるほど強い人間ではない。多分そのような状態になったら裏では文句を言いながら、表では国家を賛美するでしょうね。自分の弱さは私自身が一番知っています。 
 そんなことを考えていたときに知ったのが仏教学者である田村芳郎氏のこんな話です。田村氏は『法華経』の信仰をもっておられた方ですが、学徒出陣の折に上官から「天皇陛下と法華経どちらが上か?」と問われて、「天皇陛下」と答えざるを得なかったそうです。心の中にある「法華経が上だ」というおもいを言葉に出していたならば、それこそ不敬罪で大変なことになっていたでしょう。田村氏は「そのことへの慙愧が学問の原点になった」としばしば語っておられたそうです。そのとき「天皇陛下」と答えざるをえなかったのを、誰も攻めることは出来ません。ただ、そのことを棚上げしておいて、戦後になって倫理道徳を振り回すことなく、たとえやむをえなかったとはいえ、そう答えてしまった自責の念一生持ち続け、それを内にこめて原点とされたところに田村芳郎という方の誠実さを感じます。そういった仏教界の戦争への関与の問題を考えるとき、私は他人事とは思えずにいます。

 なんだか余談が長くなってしまいました。申し訳ありません。支離滅裂な文章かとは思いますが、文意を読み取っていただきたく思います。
 合掌 南無阿弥陀佛

>>太平洋戦争、仏教界で戦争肯定を唱えた人がいると聞きました。自分で調べましたが手がかりがつかめません。誰がどの宗派の人がそのようなことをとなえたのか、わかりますでしょうか? 
 太平洋戦争の中心て的な位地には日蓮主義者の方が多くいたようです。代表的な方々を歴史的な流れを抑えてあげていきますと、太平洋戦争以前の明治34年田中智学は従来の怠惰に慣れた宗門を激しく批判するとともに、新しい日蓮主義というものを宣言します。田中智学の日蓮主義の核心は「侵略的態度」にあり、日蓮聖人を...続きを読む


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