日清戦争と日露戦争は、イギリスのかわりに日本が戦った代理戦争、という説があるようですが、これは定説になってるんでしょうか?
 司馬遼太郎さんは明治時代のことにとてもくわしかったそうですが、そのへん、どう見ておられたんでしょうか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (1件)

日清戦争についてはその様な事は全くありません。

日露戦争については多少その側面があったと言えます。というのは当時イギリスは清国領土内に多大な権益を有していましたが義和団事件以後のロシアの満州不法占拠等の露骨な極東に対する侵略的行動により、それらの権益を脅かされていたからです。その為に光栄有る孤立政策を捨ててまで日英同盟を締結し日本の後ろ盾となったのです。しかしながら日本の戦争目的は朝鮮の安全、ひいては日本本土の安全を確保するというものでした。結果的にはイギリスの権益を守ったという事にもなりましたが、たとえ英国の権益が無くても日本はロシアに対し開戦せざる終えなかったと思われます。但しイギリスとの同盟の存在がが日本にとってこの戦争に踏み切る決断の際大きなウェートを占めた事、またバルチック艦隊の航海を陰に陽に妨害するなど戦局に有利に作用したことは間違い有りません。
司馬遼太郎氏は日清日露両戦争とも帝国主義時代の中で日本が独立国として生きようとしたぎりぎりの状況のなかでの戦争であると考えておられたと思います。代理戦争という捉え方はほとんどされていなかったように思われます。
小説ですが”坂の上の雲”(司馬遼太郎)を読まれたらいかがでしょう。
とのことです。(歴史に詳しい家族より。)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

くわしいご回答をいただきまして、たいへんありがとうございました。

お礼日時:2002/04/09 19:22

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q伊予国をルーツとしている戦国武将を知ってるだけ教えて下さい。 戦国時代にも現地に居た武将ではなく、そ

伊予国をルーツとしている戦国武将を知ってるだけ教えて下さい。

戦国時代にも現地に居た武将ではなく、それより以前に圧迫に耐えかねて伊予国外に出た武将限定でお願いします。

Aベストアンサー

藤原純友の子孫を称する有馬氏や大村氏は伊予がルーツかもしれないけど、圧迫されたといっていいかどうか。
宇都宮豊綱は負けて伊予を追い出されたけど、戦国時代の終わりの方ですし。

Q日清戦争や日露戦争は海外ではどのような評価がされているのでしょうか

最近コミックの影響もあり日清戦争や日露戦争に興味お持ち、少し調べたのですが、当然日本側からの見方が大半でした。相手側つまり現在の中国、ロシアはどのようにとらえているのか、特にその国の教科書などではどのように書かれているのか知りたいのですが、
ご存知の方がいらしたら教えてください。

Aベストアンサー

中学校の歴史の時間に聞いた話ですが,ロシア人は割と好意的にとらえているらしいですよ.悪い為政者を追い出した日本ということで.
その先生は旅行好きで,現地の人たちともよくコミュニケーションをする方でしたので,信憑性は高いのでは?
中国は分かりません.

Q戦国時代の地名と境界線がわかる地図

戦国時代の地名と境界線がわかる地図をさがしてみたのですが、なかなか見当たりません。。
ちょうど大河ドラマやってる上杉謙信の時代には
越後とか信濃とか、江戸とか美濃、近江とか
いろいろありますが「州」や「藩」ではないんですよね?
戦国時代でも正確な境界線はあったのでしょうか?
それともだいたいのお城の場所で三河とか
丹波とか呼んでいたのでしょうか??

本を読んでいてもおおまかすぎて
理解がしにくいなぁと思っています。

どこかにわかりやすい地図を紹介している
サイトなどご存じないでしょうか。
よろしくおねがいします。

Aベストアンサー

こんにちは。
本でも良ければ学研の歴史群像シリーズ『図説・戦国地図帳』や、帝国書院の『地図で訪ねる歴史の舞台~日本~』なども多少は参考にはなるかと思いますが、戦国時代は何しろ「土地の取り合い」が各地で起こっていた訳ですから戦が起きる度に領地は変化している訳ですし、また今日のように明確な境界線などもありませんでした。

>ちょうど大河ドラマやってる上杉謙信の時代には
越後とか信濃とか、江戸とか美濃、近江とか
いろいろありますが「州」や「藩」ではないんですよね?
江戸は都市名でそのほかは国名ですからこれは明確に異なります。
「国」は律令体制が整えられた時代に日本全土を分けた行政単位で、それぞれ「国司」という長官が派遣されて治める制度でした。
「国」は多少変遷があるものの、明治に至るまで「境界」として機能し、きちんと境も決められていましたが、戦国時代にはもう行政単位としては久しく機能しておらず、国司なども名目上はおりましたが(越後守、信濃守などというあれです)実効支配を行っているのは戦国大名ですから、「国」の境界などはあって無いようなものでした。
因みに日本に「州」というものがあったことはありません。
「信州」とか「甲州」などというのは「信濃」「甲斐」の別称であって中国などのやり方に倣って時として用いられただけで、正式には「国」というのがあるだけです。
「藩」というのはこれが中々難しいのですが、実際には戦国時代もほぼ同様の支配体制であったとしても、学問上「藩」と呼び習わされているのは早くても家康の江戸入部以降のものになります。

>戦国時代でも正確な境界線はあったのでしょうか?
それともだいたいのお城の場所で三河とか
丹波とか呼んでいたのでしょうか??
先程も述べましたが戦国時代はそういった世の中でしたので明確な境界線は引きようもありませんし、現代のようにどの土地でもはっきりと所有者が決まっているというようなこともありませんでしたから、領地と領地の間には「誰のものでもない土地」もありましたし、「今日からここいら一帯は○○家が支配する」と軍隊を送って占領してしまえば、力でまたそれが奪われない限り「領地」ということが出来た訳です。
確かに「越後の長尾家」とか「甲斐の武田家」などと呼ばれることがありますが、それは「主に支配している領地を国名を使って呼び習わしているだけ」ということであって、実際にはそう呼ばれる場合でも越後全土を領地としている訳ではない場合もありますし、複数の国にまたがっていることもいくらでもあった訳です。
ですから戦国時代辺りで用いられる越後・信濃・甲斐・三河・丹波などの国名には今でいう「○○地方」くらいの大まかな場所をあらわす意味しかありません。
それでも「国」や「郡」などはきちんと特定の範囲を示すものではありましたから、例え行政単位として機能していなくても使われていたという訳です。

こんにちは。
本でも良ければ学研の歴史群像シリーズ『図説・戦国地図帳』や、帝国書院の『地図で訪ねる歴史の舞台~日本~』なども多少は参考にはなるかと思いますが、戦国時代は何しろ「土地の取り合い」が各地で起こっていた訳ですから戦が起きる度に領地は変化している訳ですし、また今日のように明確な境界線などもありませんでした。

>ちょうど大河ドラマやってる上杉謙信の時代には
越後とか信濃とか、江戸とか美濃、近江とか
いろいろありますが「州」や「藩」ではないんですよね?
江戸は都市名で...続きを読む

Q日清戦争と日露戦争

日清戦争と日露戦争には相互に関連はあるのでしょうか?

関連があるのでしたらどの様なことですか?

Aベストアンサー

ロシアの南下政策を阻止したい日本が緩衝地帯として、朝鮮半島を自陣に引き込もうとしたのを清が気に入らなくて起きたのが日清戦争。
朝鮮半島を緩衝地帯にし損なった日本が南下するロシアと直接ぶつかったのが日露戦争。

つまり、「南下するロシア」がキーワード。

Q戦国時代の甲斐国守護大名で有名な武田信玄の父、武田信虎の婦女子について

戦国時代の甲斐国守護大名で有名な武田信玄の父、武田信虎の婦女子について調べておりますが、
武田勝虎という人物は存在するのでしょうか?
教えていただきたくお願い致します。

Aベストアンサー

存在します。
病弱が理由で廃嫡されているので
殆ど記録が無いのだと思います。

Q日清戦争、日露戦争について

日清戦争、日露戦争について詳しく書いてあり、分かりやすく解説されたホームページを教えてください。
また、分かりやすく解説してくださる方、ご回答お願いします!

Aベストアンサー

日清・日露の遼戦争を歴史の流れから理解し、戦争の推移、展開を概観することは必須ですが、私はこれに加えてこの両戦争を個々の日本国民がどう戦ったか、を是非勉強してほしいと思います。
 ひとつの方向として、戦争中の指揮官や一兵卒が残した戦争の一局面やここの兵士の意識などです。これらの一局面から戦争全体を眺め「帰納法的」なアプローチが、次の意味からも面白いと思います。

 日清戦争の「勇敢なる水兵(黄海開戦)」や日本軍が北京を目指して進軍した際の「雪の進軍」、日露戦争では「橘中佐」「広瀬中佐」「水師営の会見(乃木大将)」など、物語風に作られた素晴らしい「文部省唱歌」があり、感動させられます。これらの唱歌からは兵士たちのいじらしいほどの国を思う気持や意識が伺えます。「年表」だけの戦争では、なんともつまらないと思います。
 今に起こる愛国心の議論なども、我々の先人が日清・日露の戦争をどんな思いで戦ったのか、しかっり見据えた上でやってほしいものです。

Q戦国時代の教会地図

はじめまして。
日本の戦国時代にザビエルがキリスト教を伝えました。その後、スペインとの貿易を狙い、教会が日本各地にたてられました。たぶん、戦国大名により。
その教会の分布地図はないでしょうか?
武田信玄の甲府等にも教会があったようですし、信長の軍師の1名は宣教師イグナチオロヨラですし。非常に分布図に興味があります。
もし、知っていれば、なにとぞ、分布図の載っているURL等をお教えください。
お願い申し上げます。

Aベストアンサー

<参考>
 高校生の時使っていた「吉川弘文館」の日本史地図(かなり、良くつかわれていた歴史地図。現在も販売されているのでは?)の、29に戦国時代の文化を示す地図の一つとして、『キリスト教の伝来』について、宣教師の居住地・教会の所在地・宣教師が主体となって作った学校や病院の所在地が記載されています。

 尚、この地図によると、甲府は宣教師居住地になっていますね。

 残念ながら、ネット上に記載されたものがあるかどうかについては知りません。悪しからず。

Q(日清)日露戦争について

以前日露戦争について議論したことがあるのですが
私は角田順氏の本や黒羽茂氏の本などを読んでいたので、私は
「日露戦争は本土防衛のための戦争であり、日本は安全保障上の理由から開戦にふみきった」と主張しました。
すると相手の方に「それは右翼的で歴史修正主義に通じるものだ」と言われました。
そこで大江志乃夫氏や稲葉千晴氏などの著作を薦められ、大体は読みつくしました。
確かにこの学者様の論調は冷静で「なるほど。確かにそうだ」と納得のできるものでした。
しかしながら自分の有する考えを否定することもできず、前者の立場を肯定するような本も読んでいます。

色々読んでいるのですが読めば読むほど分けが分からなくなってしまうのです。最近では両派の主張は全くベクトルの違うことを論じあっているのではないか?とも思うようになりました。
いったいどちらが正しいのでしょうか?
(私個人には帝政ロシアは信用できない等の先入観はあると思います)

もうひとつお聞きしたいのですが、自国の立場から歴史を考えるというのは間違っているのでしょうか?
やはり歴史は多様性を持たせるべきなのでしょうか?
そして前者が自由主義史観(自慰史観)につながり、後者が進歩史観(自虐史観)に通ずるのでしょうか?

日清日露戦争はセットで考えるべきだと思います(両方とも朝鮮半島問題が起因している)ので()付けにしました。

分かりにくい文章ですみません・・・
ご回答いただけたらと思います。

以前日露戦争について議論したことがあるのですが
私は角田順氏の本や黒羽茂氏の本などを読んでいたので、私は
「日露戦争は本土防衛のための戦争であり、日本は安全保障上の理由から開戦にふみきった」と主張しました。
すると相手の方に「それは右翼的で歴史修正主義に通じるものだ」と言われました。
そこで大江志乃夫氏や稲葉千晴氏などの著作を薦められ、大体は読みつくしました。
確かにこの学者様の論調は冷静で「なるほど。確かにそうだ」と納得のできるものでした。
しかしながら自分の有する考え...続きを読む

Aベストアンサー

 質問者さんは歴史に対する知識も認識も、すばらしいものを持っていると思います。だから私の意見はアドバイスとしてちょっと耳を傾けてくれるだけで結構です。

 歴史というのも立派な科学だと思います(歴史学)。そして科学の目的は何かと言えば、究極的には「人の役に立つ」ことだと思います。だからこそ国がお金を払ってそれを発展・維持させているわけです。その目的に合致しないものは「非科学的」と認識されて、学問にはなり得ないですよね。哲学が軽視される傾向にあるのも、そういう意識があるためなんだと思います(即効性がないだけで、思想的に大いに役立っているが)。ですから、

>自国の立場から歴史を考えるというのは間違っているのでしょうか?

 この質問は、自国の利益を追求する人にとっては「OK」だと思います。それは政治家や公務員などですね。また一般国民だって、自国の利益を追求する状況や、意識をもっていれば、当然「OK」なんだと思います。
 しかしこの場合、科学(歴史)の目的を、国のためという狭い範囲に限定しているために、その汎用性が少ない、つまり他国では通用しないわけです。
 より客観的な歴史認識(例えば利害関係のまったくない第3国が認めるような)を求めるためには、国益という限定を外して、「日露両国が2度と戦争を起こさない」という目的に広げなければならないと思います。たとえば、

>地政学的に考えて朝鮮半島は日本にとって地政学上非常に重要な土地であるので明治日本にとっては朝鮮半島の安定確保(敵対する可能性のある第三国の勢力の進入を許さない)が必要であったのではないでしょうか?

 その通りだと思います。日本は朝鮮半島南部が不安定、もしくは第三国の勢力の手に落ちると、国防意識が一気に高まり、西日本を要塞化してきた歴史があります(白村江の戦い後、元寇)。清国に甲申事変でやられて軍備を増強したり、朝鮮戦争で警察予備隊(自衛隊)が発足したり。だからこういう事は、日本の国益上は当然の措置なわけですよね。しかし相手国の国益にとっては当然ではない。だから「2度と戦争を起こさない」という目的に歴史学を用いることはすごく難しいんだと思います。両方が妥協しなければいけないのですから。

 私は、質問者さんの言う、「自由主義史観(自慰史観)」が相手国の妥協を重視する立場、「進歩史観(自虐史観」)が自国の妥協を重視する立場、という風に認識しています。どちらも歴史から学んでいる点では共通していると思います。どちらが正しいのかは未来を見なければわかりません。ちなみに南京虐殺で30万人殺されたとか、従軍慰安婦問題での「奴隷狩りのような強制連行」などは、歴史学の厳正な手続きを通過できていなため却下せざるを得ないでしょう。これは歴史を学ぶことの大前提にあることだと思います。

>しかしながら自分の有する考えを否定することもできず

 この意見には激しく共感しますね。これは日本人である以上、自然な感情なんだと思いますよ。

 質問者さんは歴史に対する知識も認識も、すばらしいものを持っていると思います。だから私の意見はアドバイスとしてちょっと耳を傾けてくれるだけで結構です。

 歴史というのも立派な科学だと思います(歴史学)。そして科学の目的は何かと言えば、究極的には「人の役に立つ」ことだと思います。だからこそ国がお金を払ってそれを発展・維持させているわけです。その目的に合致しないものは「非科学的」と認識されて、学問にはなり得ないですよね。哲学が軽視される傾向にあるのも、そういう意識があるため...続きを読む

Q昔(戦国時代)の地図が欲しいです

私の質問を読んで下さってありがとうございます。

歴史小説(特に戦国時代。織田信長誕生から、関ヶ原の戦い、くらいまで)が好きで良く読んでいます。そこで、昔の呼び名で地名が出てくるのですが、そこが現在のどこら辺に位置するか分かるのに苦労しています。

一応、文章には書いてあるのですが、どのくらい離れているのかとか、地形的にどうなっているのかとかまで知りたいのです。途中には大きな川が流れているとか、連峰がこう連なっているから、この谷を抜ける以外に行く術がない等

なるべく臨場感たっぷりに読みたいので、現在で言うとどこら辺に位置するのか分かる資料などありますでしょうか?

googleや、goo、yahoo等で検索したのですが、良い資料が見当たりませんでした。

関東圏限定とか、中国地方限定などでも良いですので、お願いします。

Aベストアンサー

これでどうですか。
http://www.sengokujidai.net/sengokumap.html

Q日清・日露戦争が庶民に与えた影響を教えてください。

日清戦争・日露戦争は日本の勝利となっていて、戦場にいた人々の活躍はよくききます。
しかし、庶民への戦争の影響はあまりきいたことがありません。
いったい庶民にはどのような影響を及ぼしたのでしょうか。

質問の仕方が下手で申し訳ないですが、回答お願いします。

Aベストアンサー

日清・日露戦争の勝利により日本は「欧米列強と対等の国」と認められる事になり、明治維新以来の懸案であった不平等条約改正が行われるなど、日本の国際的地位向上に大きく役立ちました。
また安全保障面でも清とロシアという両大国を退け、朝鮮半島を支配した事で日本本土への直接脅威が取り除かれました。
更に日露戦争でもロシアから遼東半島の租借権を獲得し、満州鉄道を得るなどその後の日本の行方を左右する大きな成果が挙っています。
莫大な戦費や犠牲を考えればバラ色とまではいかなくとも、日清日露の両戦争は明治日本の発展に大きく貢献したのは確かです。
しかしながらこの両戦争がもたらした成果は昭和期に入ると逆に日本を追い込む事になります。
まず日露戦争で獲得した満州の利権は「多大な犠牲を払って獲得した特殊権益であり絶対に手放してはならない」という思考を国民や政治家に与え、それにより日本外交を硬直させる大きな原因となりました。
これは戦後の日本で「太平洋戦争の犠牲によって得られた憲法9条は絶対に守らねばならない」という主張が大きく幅をきかせていたのと相通じるものがあります。
更に戦争により国際的地位を向上させ、利権を獲得していった経緯はその後の満州事変などでも繰り返され、軍部は政府のみならず国民一般にも「戦争への期待」を広める事になってしまいます。
これが後々、日中戦争で泥沼に足を踏み入れ、太平洋戦争に繋がる大きな要因となってしまいました。
戦後の日本でもいわゆる「土地本位制」や「銀行の護送船団方式」などが戦後日本の高度成長に大きく貢献しつつ、それが最終的にバブルを生み、日本経済に大きな悪影響を残してしまったように時代に合わなくなった過去の「成功体験」が後々の破局を招いた一つの例と言えます。

日清・日露戦争の勝利により日本は「欧米列強と対等の国」と認められる事になり、明治維新以来の懸案であった不平等条約改正が行われるなど、日本の国際的地位向上に大きく役立ちました。
また安全保障面でも清とロシアという両大国を退け、朝鮮半島を支配した事で日本本土への直接脅威が取り除かれました。
更に日露戦争でもロシアから遼東半島の租借権を獲得し、満州鉄道を得るなどその後の日本の行方を左右する大きな成果が挙っています。
莫大な戦費や犠牲を考えればバラ色とまではいかなくとも、日清日露の両...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報