「恐怖の原体験」「原体験的恐怖」とは、どういうことを指すのか知りたいです。

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A 回答 (2件)

人間の死体、特にバラバラにされた死体とかを見て感じる恐怖のことです。


人間じゃなくても人形や人の形をしたものが首だけが落ちていたら気持ち悪いですよね。そういう死を連想させる恐怖のこと原体験的恐怖といいます。
ちなみに人間だけじゃなく猿にも恐怖の原体験はあるようで、同族の切り離された身体を見たりすると脅えるそうですよ。
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  どういう意味と文脈で使っておられるのかによって違う意味になると思います。「原体験」を深層心理的な「トラウマ」のような意味に捉えれば、成長の過程で出会った、色々な体験のなかで、何かの理由で衝撃的で、無意識における「恐怖体験」として定着し、以降、何かのできごとにおいて、この無意識の「恐怖」が再現される、あるいはその感情価が再現されて、意識ではコントロールできない「恐怖の感情」に心が呑み込まれるような場合があります。このような出来事で、恐怖の元になった無意識にまで影響を及ぼした体験が、「恐怖の原体験」だという解釈があるでしょう。
 
  しかし、何故、或る体験が無意識に衝撃を与え、トラウマとなって、後の人生の経験の際に参照され、恐怖が再現されて来るのか、この理由を考えていると、人間の「自我の成立」における、意識の普遍的な事態あるいは構造としての「恐怖」があり、子どもの頃の原体験とは、この無意識の心に普遍な構造の恐怖に触れた結果、できたトラウマで、起源は、無意識にある構造と、「自我」とは何かという話になるでしょう。
 
  フロイトは、ユングと違い「集合的無意識」とか「原始類型=原型 Archetype」などを主張しませんでしたが、彼は「禁忌(タブー)」というものを提唱しました。タブーは、人類学で存在することが確認されていた現象で、フロイトはその社会個人心理現象を、彼の無意識心理学理論(精神分析理論)で説明し、基礎付けたとも云えます。
 
  フロイトの場合、「自我」の成立は、欲望の塊である「エス(イド)」と、社会的ルールの内面化である「超自我」のあいだの葛藤で、超自我に従いつつ、エスの欲望を実現するインターフェイスとして「自我」が構成されたのだとします。「禁忌」とは、超自我に刻まれている社会的規範のなかで、もっとも強く、もっとも原初的で、エスの欲動と矛盾するような何かでしょう。例えば、「殺人の禁忌」とか「近親相姦の禁忌」などは、後者は、合理的理由がないようにも考えられます。血族結婚を繰り返すと、遺伝的に問題が起こるということが理由かも知れませんが、本当の理由は、レヴィ=ストロースなどが主張したように別の所にあるようです。
 
  フロイトの理論だと、エスの無限欲望に従って、自我が、超自我の規範に反することを行おうとした時、つまり、禁忌を侵犯しようとした時、超自我が、自我に与える罰が「恐怖」だということになります。「禁止」を破ろうとすることに対し、無意識的に加えられる否定感情であるので、これが「恐怖の原体験」なのだとも云えます。しかし、フロイトの理論では、何故、人は「死に恐怖するのか」の理由が根拠付けられません。生物は生きる本能があり、エスも無限の快楽の生存を望んでいるが、超自我が、無限の生存を否定するので、それがトラウマとなって、「死への恐怖」が生まれ、この恐怖が解発される契機となった経験が、「死の恐怖の原体験」なのかも知れません。
 
  他方、参考URLでは、「同類への殺戮を禁じるタブー」が、集合的無意識の原型のように、人間の無意識に刻印されており、「同類への殺戮」を暗示するシーンである、人間の身体のバラバラな状態が「恐怖」を呼び出すとあります。この場合、「恐怖の原体験」とは、人類の祖先が経験した同類殺戮の恐怖を、「遺伝的記憶」で保持しているということになり、これはユングが初期の頃に唱えていた、種族的・民族的遺伝記憶としての「原始類型」だということになり、「恐怖の原体験」は「集合的無意識」に記録された、祖先の原恐怖の記憶だとなります。
 
  しかし、本当にそうかと言う疑問が起こります。大脳生理学的には、確か、神経伝達物質と、脳の特定部位の関係で、脳の特定部位が、神経伝達物質により或る刺激を受けると「恐怖の感情」が発生するとされます。脳には、「恐怖の感情の中枢」があるということになります。何故そのような中枢があるかというと、恐らく、生存に不利な行動は抑制するよう、「抑制感情」の中枢ができ、これが「否定的抑制感情」の源で、否定的抑制感情が、つまり人間の感情経験では「恐怖」に該当するのでしょう。
 
  何故、「恐怖」の感情中枢があるのかは、多分、人間や高等霊長類の知能の発達と関係あるのでしょう。哺乳動物一般でも、「行動抑制判断の感情」というのはあるようです。強い敵に出会うと、相手を判断して、身を隠すとか、逃げ出すとかは、「行動抑制感情」によって、そういう判断がなされているのでしょう。事態が非常に危険であると「パニック行動」になり、このパニック状態の感情が、人間の「恐怖」に相応するものなのでしょう。
 
  知能が発達したが故に、恐怖の感情中枢を持ったということは、人間の「恐怖」の対象は、基本的に「未知な状況」であり、知能で見通しの付かない状況が、恐怖の感情を引き起こすのだとも云えます。「死の恐怖」は、人間は知能によって、自己の死の状況をシミュレートできるので、シミュレートのなかで、「パニック反応」が解発される直前のレベルまで行くことがあるのであり、「死」が端的な未知であることと、生物が生命の危険に襲われると解発されるパニック反応の感情が混ぜられて、生理的レベルでの「恐怖感情」が起こるのだと云えます。
 
  ユングの心理学では、自我は、「意識」であり、何より、意識できるものには「恐怖」はないが、意識できない状況や対象、つまり、自我にとって了解できない、解釈できない状況や事態、対象は、「恐怖」を引き起こすものとなります。集合的無意識自体が、自我にとっては恐怖の源泉であり、外界にある恐怖の対象物や状況は、集合的無意識が持つ原型的状況の投影であるということになります。夜の森とか、未知の人や未知のものは、集合的無意識を象徴する何かで、それ自体が「意識を越えたもの」なので、恐怖であるとなります。
 
  未知のものは、何かが分からないので、行動抑制的感情が起こるのが妥当です。好奇心も起こりますが、知能のある生物としての人間は、好奇心によって、未知のものに触れて、致命的な結果を招く可能性があるとも云えます。それを防止するため、或る体験において、恐怖の中枢やパニックの中枢が励起されるような無意識の反応が起こり、この体験が、「恐怖起動」の「原体験」として、無意識と意識に記録されるのでしょう。それは多分、発達心理学において、発達の途上避けられない、「自我の孤独=自我の死」の体験でしょう。母親、あるいは、自我が無意識的にも、そのものと「一体」であると感じ、安らいでいた状況が、断絶され、自我が孤独で、周りのすべてが未知なものと感じられるような体験が、不安や恐怖の「原体験」ということになるでしょう。
 
  大体の人は、蛇や、人間の死体を怖がります。人間の死体の場合、それが何か認識できなくて怖くない場合があるのですが、何故か蛇は、怖いようです。これは、集合的無意識の記憶で、恐怖を解発するシンボルであるからでしょう。「恐怖の原体験」というのは、「恐怖の中枢」が励起されたような体験で、それは、自我にとっての「根元的未知」に対するもので、発達心理学的には、幼児の母親などとの「分離の孤独体験」がそうであり、「分離の孤独体験」が何故恐怖かと言えば、「未知」のなかで、自我が孤立している状況がまさに最大の危機であり、最大の危険状況で、それに対し、パニック反応や、恐怖の中枢の励起があるためでしょう。
 
  幼児は、経験がなくとも、ある種のことは知っており、どうして知っているかと言えば、集合的無意識の記憶として知っていることになり、「恐怖の対象・状況」も知っており、これも集合的無意識の記憶であるとすれば、「恐怖の原体験」は、ユング的には、集合的無意識の「原型」としてあり、これが具体的な発達途上の具体的経験で呼び出された時、その経験が、「個人の経験としての」「恐怖の原体験」となるということでしょう。
 
  具体例で言えば、幼児とか子どもの時、一人で、未知の森に迷うとか、知らない場所で迷子になるとか、安心感の源泉であった母親が急にいなくなり、生活状況が見知らぬものに変化するなどの体験が、原体験でしょう。「原体験的恐怖」というのは、パニック触発も加え、無意識のなかにあるものですが、それが具体的経験で、連絡されて、以降参照されるようになるということです。
 
  「死の恐怖」は、「生存欲動」があり、「死」が否定的感情をもたらすのと、それが意識自我にとって「完全な未知」だからでしょう。子どもの頃から「死後の世界の神話」に親しんでいると、「死の向こう」がまったき未知ではなく、「既知の世界」であるとなり、昔の人は、パニック的状況は別に、相応の年齢になれば、「あの世に行く」というのは、或る程度自然だと納得できたのでしょう。現代人は、そういう神話が希薄であるので、「死の向こう」は「完全な未知」つまり「無」だということになるので、これが恐怖だというのは、普通のことなのでしょう。
  
  >2つめの謎解き
  >http://www.psy.educa.nagoya-u.ac.jp/intropsych/p …
   

参考URL:http://www.psy.educa.nagoya-u.ac.jp/intropsych/p …
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Q高校生の性体験について~。

31歳男性です
勤めている会社では、今、夏休みの男子高校生アルバイトを雇っています。
それで休み時間などに、ちょっとした話の展開で、性体験の話が出ました。

二人の男子と話したんですが、一人は、回数はともかく、3人の女子と性経験済み
との事。 もう一人は、2人と経験済みだそうです。

この二人、今は、付き合っている子は、いないそうで、ほんのちょっとした、お付き合い、
フィーリングでセックスしていた感じがします。
・・・二人によると、今の高校生、性経験している人、そこそこいるとの事です。
高校生の体験率は、情報的には、ある程度のイメージがあったんですが、やはり現実なんだと
、実感しました。

そこで、質問をしたいと思います。

男性の本能的なセックスをしたい気持ちは、今も昔も変わらないと思うのですが、
今の、女子高生って、あるいは、一般女性も含めても良いのですが、セックスや、体を許す事に
軽くなった感じは、あるのでしょうか?
・・二人の、高校男子の話を聞いていると、長い間の恋愛の末、体を許した、と言う風には、
感じられないのですが・・・。

断片情報ですが、今は、性体験人数が、複数の女性が、多いみたいですね。

なにぶん、私なんかは、童貞、処女同士の結婚で、性関連の現状に疎い者ですから、
参考までに、ご意見下さい。

31歳男性です
勤めている会社では、今、夏休みの男子高校生アルバイトを雇っています。
それで休み時間などに、ちょっとした話の展開で、性体験の話が出ました。

二人の男子と話したんですが、一人は、回数はともかく、3人の女子と性経験済み
との事。 もう一人は、2人と経験済みだそうです。

この二人、今は、付き合っている子は、いないそうで、ほんのちょっとした、お付き合い、
フィーリングでセックスしていた感じがします。
・・・二人によると、今の高校生、性経験している人、そこそこいるとの事です...続きを読む

Aベストアンサー

 わたしは今40代、処女でなくてはお嫁に行けない…といった風習が一気に瓦解したのが、わたしがちょうど中学3年から女子高に入ったころからだったと思います。

 クラスメートの中にも、経験したという者が現われはじめ、まだ経験のない者たちは経験者を取り囲んで、どうだった…とか、どんな気持ち…だとか、興味津々、根掘り葉掘り熱心に聞いたものでした。

 一方、わたしは婦人科医をしている叔母から、もっとずっと前に、徹底的な性教育を受けていました。雄しべと雌しべなどといったまどろっこしいのではなくて、男と女は性行為をする、それはどのようなもので、どのように行為をするのか、そして、その結果はどうなるのか…といったとても具体的なものでした。

 そうした知識から、クラスの中の経験者たちがさも自慢げに話す体験談、でも、わたしは気がついていました。彼女たちの話は、全部とは言わないまでも眉唾もの、本当は彼女たちもまだ未経験なのだと…。

 しかし、それからは、まるで焚火の残り火が林に燃え移るみたいに、経験者が増えはじめました。好きな男の子が居ると言うわけでもないのです、適当な男の子を見つくろって、ただ経験のための経験、それだけのために身体を与えていたようでした。

 でも、落ち着いてよく観察していると、経験者は増えているように見えるものの、どうやら本当に経験しているものは案外少なく、あとは、本当は未だ経験のない者のホラ話、結局は、真面目に未経験でいる子のほうが圧倒的に多いようでした。

 男の子も、オレ〇人と…など粋がるものですが、女の子も同じこと、本当に男性と愛を誓って本気で抱かれた…という子だったら、むしろ、馬鹿な体験談なんかベラベラしゃべらないと思います。また、まったく経験のない子も、当然のことながら粋がったりはしないでしょう。

 あとは…、ただ、オッチョコチョイで間抜けな女の子だけが、わざわざ、後れを取っては恥と考えるのかどうか、経験があろうが無かろうが、見事なまでに経験者面をして、経験がどうの、回数がどうのと突っ張っているだけ、これが実体。男の子のカモになるのも、婦人科に駆け込むのも、こうした一部の彼女たちだけ。

 だから、オジサンたちも、本気で納得して彼女たちの話を鵜呑みにしたのでは馬鹿を見ます。もちろん女子中高生の経験はますます増えていることでしょう。それでもなお、彼女らの体験談は50%オフぐらいで聞いていてちょうどいいぐらいだと思います。男に抱かれる女の子はきまっていて、この子たちが男の欲情を一手に引き受けていて、残りは意外なほど以前として当たり前なものなんです。

 

 わたしは今40代、処女でなくてはお嫁に行けない…といった風習が一気に瓦解したのが、わたしがちょうど中学3年から女子高に入ったころからだったと思います。

 クラスメートの中にも、経験したという者が現われはじめ、まだ経験のない者たちは経験者を取り囲んで、どうだった…とか、どんな気持ち…だとか、興味津々、根掘り葉掘り熱心に聞いたものでした。

 一方、わたしは婦人科医をしている叔母から、もっとずっと前に、徹底的な性教育を受けていました。雄しべと雌しべなどといったまどろっこしいのでは...続きを読む

Q「測定の知」と「関係の知」

今、大学で心理学について学んでいるのですが、壁にあたって悩んでいます。
心理学において「測定の知」と「関係の知」という2つの認識スタイルについて
考えています。具体的な例も考えなければならないのに全く思いつきません。
「測定の知」については性格検査などがあげられると思うのですが、
「関係の知」についてはさっぱりです。どなたかアドバイスがいただければ非常
にうれしいです。よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

 測定の知は、客観性を目指します。誰がいつどこで測定してもほぼ同じような結果(データ)が出ることを「良し」とします。例えば「身長」を例にあげてみます。50歳の男性の身長を測ってみましょう。朝と夜では1cm程度の差は出てくるにせよ、春に測っても夏に測っても、健三くんが測っても、麗子さんが測っても、那覇で測っても、稚内で測っても、そうたいして誤差はありません。このような形での再現可能性を目指すのが「測定の知」です。。
 これを踏まえて「関係の知」について考えてみます。「私の彼(彼女)は世界一」のようなコーナーがあったとします。ある男性が自分の彼女を「上戸彩そっくり」と紹介しました。実際にどういう女性が出てくるのかは簡単に予測がつきます。この男性は嘘つきなのでしょうか?それとも恋愛感情が彼の合理的な判断能力を失わせているのでしょうか?
 「測定の知」に基づいて、彼女が上戸彩に似ていることをデータ化するのはかなり難しいです。ところが「関係の知」に基づいて考えれば、この現象はスムーズに解釈できます。この女性が「上戸彩に似ている」のは、あくまでの彼との関係において成立している話であって、この女性自身が「測定の知」的に上戸彩に似ている必要は全くないのです。この二人の関係が解消されれば、彼女は彼にとっても上戸彩ではなくなります。
 こういう風に、人格といった個人(社会・集団)の属性を個人(社会・集団)の内部に閉ざされたものとして考えずに、他者との関係において成立していると考える考え方を「関係の知」と呼びます。
 他の例としては、同性の前と異性の前では全くキャラが変る人、授業中とバイト中では全然違う人、職場と家庭でごろっと変る人とかを考えてもらえれば良いのではないでしょうか。
 測定の知と関係の知、どっちが正しいというようなものではなく、対象(自己)理解においては、相補的な関係にあるものではないかと考えます。ただ、心理学において「関係の知」という用語が学術用語として定着しているかというと、かなりあいまいなのではないかと思います。
 以上長くなりました。

 測定の知は、客観性を目指します。誰がいつどこで測定してもほぼ同じような結果(データ)が出ることを「良し」とします。例えば「身長」を例にあげてみます。50歳の男性の身長を測ってみましょう。朝と夜では1cm程度の差は出てくるにせよ、春に測っても夏に測っても、健三くんが測っても、麗子さんが測っても、那覇で測っても、稚内で測っても、そうたいして誤差はありません。このような形での再現可能性を目指すのが「測定の知」です。。
 これを踏まえて「関係の知」について考えてみます。「私の彼(彼...続きを読む

Q未経験者で不登校、通信、定時制高校生のバイト体験

社会経験を兼ねてアルバイトをしたいと思っているのですが、現在は高校(全日制)に在籍してはいるものの、不登校と言われる状態で、夕方など知り合いや高校生に会うような時間は嫌なので、夕方以外の時間(できれば昼間)にバイトしようと考えております。
もし同じような方がいらっしゃいましたら、体験談を教えていただきたいです

カテゴリー違いでしたらすみません。

Aベストアンサー

>夕方以外の時間(できれば昼間)にバイトしようと考えております。

仕事をしてお金を貰うことが第一でなければ、
地域の社会活動やボランティア団体などでのお手伝いから始めてみてはどうでしょう?
どこでも支援してくれる若い人はありがたいものです。
人との関わりをそれぞれのペースで探っている人も参加していますし、
一般の職場よりは周りの方々の理解も深いように感じます。

公共施設や下のような施設に配布物を置いている団体も多いです。
自治体の福祉や生涯学習担当課の窓口で訊ねてみてください。
社会福祉協議会やNPOボランティアセンターでも情報を得られると思います。

ちょっとだけでも考えてみてもらえるとうれしいです。

Q「発達課題」と「心理的社会的危機」の違い

皆様にお尋ねしたいことがあります。
私は現在、社会福祉について勉強しているのですが、
エリクソンの発達課題(ライフサイクル論)について、よくわからないことがあります。

「発達課題」と「心理的社会的危機」についてです。
いろいろなサイトを見ていても、それぞれの言葉の指す意味の違いがよくわかりません。

詳しい方が居られましたら、
ご回答よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

エリク・ホーンブルガー・エリクソンですね。
人生を、以下の8段階に分け、それぞれに「発達課題」を設けています。
要は、「各段階に応じて達成すべきプラスの要素」ないしは「成功体験」だととらえると良いと思います。

1 乳児期
   基本的信頼感の獲得
   (口唇や肌などの接触を通じた、無条件な基本的信頼感)
2 幼児前期(児童前期)
   自立性の獲得
   (歩行・排泄の確立を通じた、自己の行動範囲の拡大と自己主張⇒成功体験)
3 幼児後期(遊戯期)
   積極性の獲得
   (周囲の世界に対する働きかけ・攻撃性、適切な罰)
4 児童期(学齢期)
   勤勉性の獲得
   (集団の中での学びを通じた、勤勉性や自尊心・承認欲求)
5 青年期
   自己同一性の獲得(アイデンティティー)
   (生理学的変化と社会的な葛藤とによる混乱の時期‥‥自分は何者なのか?)
   (価値観・人生観・職業の獲得)
6 初期成年期(前成人期)
   親密性の獲得   
   (他者・他集団との親密な関係・社会的関係、社会性、性的関係)
7 成年期(成人期)
   生産性(生殖性)の獲得
   (労働、芸術活動等、社会的業績、次世代を育てる、生殖)
8 成熟期(老年期)
   統合性の獲得・確立
   (自らの人生の総合的肯定・統合による、心理的・社会的な安定)

これらの発達課題が各段階において達成されなかったときに生じるさまざまな問題が「心理的社会的危機」で、それぞれ次のとおりです。
こちらは、「各段階に応じた発達課題が達成されなかったときに生じるマイナスの要素」だととらえることができるでしょう。

1 乳児期
   不信感
   (見捨てられている・愛されていないという不信感)
2 幼児前期(児童前期)
   恥の感覚、疑惑感
   (成功体験を経験できない、成功を賞賛されない)
3 幼児後期(遊戯期)
   罪悪感
   (過度な罰を受けることによる、自己否定)
4 児童期(学齢期)
   劣等感
   (集団・社会の中で認められない、自尊心の傷つき)
5 青年期
   同一性の拡散(モラトリアム)
   (自分自身に対する自信を持てない、居場所が見つからない)
6 初期成年期(前成人期)
   孤立、孤独
   (他者・他集団との親密な関係を築けない、社会性の欠落)
7 成年期(成人期)
   自己没頭、自閉性
   (周囲の世界に関心を持てず、自らの殻に閉じこもってしまう)
8 成熟期(老年期)
   絶望
   (自分や周囲に対する、後悔・挫折感・絶望)

エリク・ホーンブルガー・エリクソンですね。
人生を、以下の8段階に分け、それぞれに「発達課題」を設けています。
要は、「各段階に応じて達成すべきプラスの要素」ないしは「成功体験」だととらえると良いと思います。

1 乳児期
   基本的信頼感の獲得
   (口唇や肌などの接触を通じた、無条件な基本的信頼感)
2 幼児前期(児童前期)
   自立性の獲得
   (歩行・排泄の確立を通じた、自己の行動範囲の拡大と自己主張⇒成功体験)
3 幼児後期(遊戯期)
   積極性の獲得
...続きを読む

Q高校生の参加できる体験・見学

夏休みに高校生の参加できる体験学習や職場体験、交流会、工場見学などで、1日で終わって、なおかつ費用が余りかからない物を探しています。1~3人程度で参加したいと思っています。自分では、裁判の傍聴、弁護士連盟主催の見学会に行く計画を立てていますが、それについても何か情報があったら教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

裁判の傍聴は、刑事事件がおもしろいですよ。ただ、手錠かけられた被疑者が目の前に来るので、インパクトがありすぎ、生徒によってはショックが大きいかもしれません。民事裁判は、あまりおもしろくないみたいです。

原発関係の見学も、無料で(もしかしたら、送迎も無料で)参加できますよ。

ごみ処理場の見学も、悪くないかも。介護関係で体験学習の企画なんてないでしょうかね。

外国人(留学生など)の団体といっしょに、スポーツや料理など、一緒に何かアクティビティをする。

市役所(の然るべき部署)に問い合わせると、関連情報を教えてもらえると思います。

Q「知っている」「わかる」「できる」の違い

子供の学校や塾の資料で、「わかる」だけではダメで、「できる」ようにならないといけない…といったような内容を目にすることがあります。
今まで「わかる」ということの方が深くて重要だと思っていたので、違和感を感じます。「知っている」「わかる」「できる」の間にはどのような心理状態の違いがあるのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。
これは思考過程の問題でありますから、内的な心理状態としての違いは特にないです。我々人間の知的行動は以下のように分類されます。
「学習行動:学習結果を基に、既知の結果を再現する」
「知能行動:学習結果を基に、未知の結果を発見する」
我々は考えたり、何かに対処するとき、この何れかのプロセスを用いています。従いまして、「分る」と「できる」は、心理学的にはそれぞれこれに対応することになると思います。
学習行動といいますのはAという情報からBという結果を学習したことにより、「A∴B」という答えを知っているということです。これに対しまして、そこに「A∴B´」といった未知の答えを見付け出すのが知能行動なのですが、このためには「A∴B」という体験を応用すると共に「B=B´」という新たな可能性を導き出さなければなりません。
このようなことはコンピューターにはできません。では、何故人間の脳にはそれができるのかというのはまだ解明されていませんので、ここでは「できる」と「分かる」に就いてその思考過程の違いを説明することはちょっとできないです。

次に、教育現場で用いられている「分る」と「できる」の違いはこちらに書いてあります。ざっと目を通してから続きをお読頂ければありがたいです。

http://www.genki-gakuen.gr.jp/science/4.html

では、果たして実際の教育現場には、できる子供にするためにはどのような指導をすれば良いのかというのをちゃんと知っている先生がどれだけいるでしょうか。
ここでは「分数の割り算」が例に挙げられています。分母と分子をひっくり返して掛け合わせれば答えは出せます。ですが、今は分かりませんが、私は学校のとき何故そうするのかは教えてもらっていません。では、中学へ進んで因数分解を習いますが、このとき教わるのは「タスキ掛け」です。これでは分母と分子をひっくり返すテクニックと全く同じです。因みにこれは良く耳にする話ですが、果たして先生に言われた通りに憶えてしまえばそれで済んだものを、何故ひっくり返すのか? どうしてタスキ掛けなのか? などと逆に考え込む生徒がそこで躓いてしまうのです。
原理が分れば更に高度な計算の習得が容易になるかも知れません。ですが、実際の教育現場ではそこまでやっていませんでした。では何故、分母と分子をひっくり返すのか、その理由をちゃんと説明したとしましても、それではまだ「分った」でしかない、つまり、それが応用できなければ次のステップに役立てることはできないわけです。そして、果たして現実にはその「応用とはどういうことか」、これを教えてくれる先生がいません。

これはたいへん難しいことだと思います。
新しい問題の解き方を習いますと、次はやや複雑な「応用問題」を解かせます。これは子供たちに応用力を身に付けさせるための指導要項です。もちろん先生方はそれを承知しているはずなのですが、これでは生徒はただより難しい問題の解き方を教えてもらったとしか思いません。
近年、入学試験でも応用力を試す問題が増えています。恐らく、一連の教育現場の動向もこの傾向に目を向けたものではないかと思います。ですが、仮にそれに対処するにしましても、応用の仕方を教えるだけでは応用力を養うことはできません。そのためには果たして「基礎と応用」、必ずやこの基本に立ち帰り、先生方が常にこれを意識し、生徒が自覚しながら積み重ねてゆかなければどうにもならないわけです。ところが、残念ながら現在の教育現場にそんな余裕は全くないです。

応用力の要求される課題を多く与えるという手段はあります。ですが、知能行動といいますのは学習行動を前提とするものですから、基礎が分らずに応用を試みても正しい結果は得られません。ならば、そこでわざわざ「分る」と「できる」のどちらが重要であるのかなど論ずる必要は全然ないと思います。
先生方が考える「できる」と「分かる」の違いはURLに書いてある通りです。ですが、果たしてそれが分ったところで何の役にも立ちません。まして、生徒や父兄にさえもきちんと説明をせずにそんな抽象的な浪花節を乱用してもらっては困ります。元より適切な指導指針も定まらないまま単にこれを「できる」「分かる」などと言葉のすり替えで済ましているようでは、これまでこのような問題を蔑ろにしてきたことに慌てふためいた、私には教育現場の理想論にしか聞こえないです。

こんにちは。
これは思考過程の問題でありますから、内的な心理状態としての違いは特にないです。我々人間の知的行動は以下のように分類されます。
「学習行動:学習結果を基に、既知の結果を再現する」
「知能行動:学習結果を基に、未知の結果を発見する」
我々は考えたり、何かに対処するとき、この何れかのプロセスを用いています。従いまして、「分る」と「できる」は、心理学的にはそれぞれこれに対応することになると思います。
学習行動といいますのはAという情報からBという結果を学習したことにより、...続きを読む

Q高校生2年生の女子です。九州の県立高校です。高校2年生の春休みに初体験を部活繋がりの他校の人としま

高校生2年生の女子です。
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性行為をする上で生理の管理は大切なのこともコンドームをつけなければいけないこと、そもそもパートナーがいるのにほかの人とヤること自体頭おかしいですね。
私は母子家庭です。両親は小さい頃に離婚しました。父がいなくて寂しい思いをするのは自分か一番よくわかっています。でもどうしても子供は産みたいです。中絶することは1ミリも考えていません。(今はまだできたかわかりません)
まだ今は検査しても時間がたってないので市販の検査はできません。
高校卒業後の進路は就職です。そして一人暮らしをするつもりです。その費用や将来のお金として120万円今はありますが全然足りないし高校やめなくてはいけないのは世間的にも産まれてくる子がかわいそうだしそのせいでいじめられたり変な目で見られると思います。
親は知りませんが友達はすべて知っています。彼氏にも絶対言えません。もし出来たらすぐ別れます。前から避妊は絶対すると言っていたのにしてしまいほんとに自分勝手だと思います。
これからどうしたらいいかわかりません。
近所の産婦人科を調べて行こうと思いましたが何の理由で行けばいいかも何を調べたらいいのかもわかりません。
とりあえず生理が来ることを祈って3週間くらい来なかったら市販ので検査します。
もし妊娠したらまず何をしてどうしたらいいか教えてください。本気ですお願いします。

高校生2年生の女子です。
九州の県立高校です。高校2年生の春休みに初体験を部活繋がりの他校の人としました。その後出合い系のサイトに興味本位で登録して何人かとしました。
サイトに登録した後に後輩の高1に一目惚れをして告白して付き合いました。付き合っても彼氏とはそういうことをする感じでもなくなかなか会う機会もなくサイトを続けて何回かしてしまいました。
最近19歳で彼女がいる人と中出ししてしまいました。
中出しは今絶対してはいけないことは分かっているつもりですがしてしまいました。生...続きを読む

Aベストアンサー

とりあえず、お母さんに、相談しましょう。そして産みたいなら、
早めに、産婦人科に行きましょう。孫が出来たらお母さんは、嬉しいと思います。

Q「本音」「本心」「本気」「本性」の違いを教えてください。

「本音」「本心」「本気」「本性」の違いを教えてください。

この4つの言葉ですが、違いがあるとしたら何ですか?
それぞれの違いを分かりやすく教えてください。

Aベストアンサー

自分の本当の気持ちが「本心」で本心で言いたい事が「本音」
マジで取り組むのが「本気」
自分を一切飾らずむき出しにするのが「本性」

あなたの質問に対して
“こんなこともわかんないの”が本音。“分かる範囲で答えられるから答えてみよう”が本心。
書き方は理解できるように本気で考えよう。
本当はめんどっち。本性(Butこれは違う)
本性は出す必要ないだろう。これが本心。

Q高校生の性体験率

以前PTAが高校3年の男女に性体験の有無を問うアンケート調査をした所、女子で有と答えた人が39%男子で有と答えた人が35%だったという記事が静岡の新聞にでていました。私は、それまで漠然と10%くらいかなと思っていたので、奇異に感じました。何かの手違いで間違った数字が出てしまったのか、あるいは性体験という語が軽いものまで含めているのかな、とも思いました。それに、男子より女子のほうが数字が高いというのも不思議です。男子は年齢を偽って風俗に行くということも考えられるからです。質問は、皆さんの感覚または資料などから見て
この数字が妥当な範囲か、あるいはミスがあるのではという範囲かということです。アンケートは何学期に
行われたかはわかりません。回答いただける場合はできれば、性別、年齢もお教えいただけるとうれしいです。私は45歳の男です。

Aベストアンサー

はじめまして。24歳女です。
現実としては男女ともに50%以上超えているんじゃないですかね?今は高校生のカップルで「付き合う=セックス」は当たり前で、逆に長く付き合っているのにHしないカップルは天然記念物のような感じじゃないですかね?(自分も今の彼氏とは1年以上しなかったので、天然記念物扱いされたことがあります。20代だと天然記念物扱いされるものですかね?)

私は小・中学生のの家庭教師をしていたことがあるので、自然とそういう話は耳に入っていました。今は小学生でも興味本位でHするらしいです!生徒の友達(女の子)は小学5年生でいとこのお兄さんとしたらしいですし。

また、田舎で家庭教師をしていたときに中学3年生の女の子から聞いた話ですが、クラスの4割の女の子は体験済らしいです。田舎で遊ぶところがないから、携帯の出会い系サイトなどで知り合った大学生にドライブに連れていってもらってHしたり、また、援交でHして、ブランド物を買ってもらったりするそうです。ですから、女子のほうが体験率が高いのは当たり前だと思います。

同じクラスの中に性的関係を持ったことのある相手が複数いる子もいるそうです。お付き合いは1ヶ月しか続かない・付き合うことになったらすぐにHするのでそういうことが起こりえるのです。でも、彼らはあっけらかんと「○○くんはすごかった、△△くんのは小さかった…」と女子トイレで会話をしているそうなんですよ!

その生徒の指導しているときに、生徒の友達が妊娠し、中絶したことがあります。お腹の赤ちゃんの父親は同級生の男の子でしたが、その男の子はその女の子のことをセフレ(セックスフレンド:H友達)だと思っていて、彼女は別にいました。中学3年で二股・セフレ…っていう感覚はすごいですよね!?その女の子は遊ばれていたのです。でも、本人は「Hする=愛されている」とずっと思っていたそうです。

私も生徒たちと接していて、驚きでした。今彼(21歳)に話したら、高校生でHするのは普通(今彼の初体験は高1らしいです)だと思っていたけど、中学生でしかも複数の人と関係を持つのにはやはりビックリだと言っていました。最近の現実はこういうものみたいです。

はじめまして。24歳女です。
現実としては男女ともに50%以上超えているんじゃないですかね?今は高校生のカップルで「付き合う=セックス」は当たり前で、逆に長く付き合っているのにHしないカップルは天然記念物のような感じじゃないですかね?(自分も今の彼氏とは1年以上しなかったので、天然記念物扱いされたことがあります。20代だと天然記念物扱いされるものですかね?)

私は小・中学生のの家庭教師をしていたことがあるので、自然とそういう話は耳に入っていました。今は小学生でも興味本位でHす...続きを読む

Q「許す」と「諦める」の心理の違いは?

自分自身に対して、他人に対しても、許す行為(心理)と諦める行為(心理)はイコールになりますか?

ポジティブ(許す)かネガティブ(諦める)の違いでしょうか?

「許す」も「諦める」も、「認める」ということに違いはないと思われますが…

何かアドバイスを頂けますか?

Aベストアンサー

こんにちは

心理的にということでは、「許す」と「諦める」は違う心理作用があります。

「許す」という行為は、前提に相手に対しての被害感情(恨み・辛みなど)が在り、
その自分の中にある被害感情を手放すことです、
心理的には、「許せない」とい相手に囚われている被害感情を手放すことで、
自分の自由を獲得すること、その行為を「許す」と言います。

これに対して、「諦める」行為は、相手に対しての行動や考えなどの
何らかの働きかけを止めることであり、その働きかけの原因は、
「許す」行為のように、被害感情とは限らずに、愛情などの様々な動機に基づくものです。

そして、「諦める」場合、「後悔」などが残る場合があります、これは、「諦める」という行為が、
その根本にある心理的要因を完全に解消しないで、理性(合理的思考)だけで決断する為に、
心(感情に)しこりが残るモノと思われます。

従って、
・「諦める」のは、「許す」よりも前提にある感情の範囲が広い
・「許す」のは、心理的には、自分が縛られている感情を開放することである、
 「諦める」のは、同じように「手放す」ことではあるが、感情は開放しない。

その為
・「諦める」とき、囚われていた感情の開放(=許す)をしないと、「悔い」などが残る。
・「諦める」→「許す」または「忘れる」という過程が、自分自身を縛る感情や考えからの開放になる。

まとめると、
「許す」は被害感情を前提にして使われる、「許す」ことで、心の自由を得られる
「諦める」は「許す」よりも前提としている感情の種類が大きく、「許す」ことを一部に含む概念である。
「諦める」だけでは、感情は開放されない為、諦めた後で何らかの心理的開放が必要だと考えられます。

こんにちは

心理的にということでは、「許す」と「諦める」は違う心理作用があります。

「許す」という行為は、前提に相手に対しての被害感情(恨み・辛みなど)が在り、
その自分の中にある被害感情を手放すことです、
心理的には、「許せない」とい相手に囚われている被害感情を手放すことで、
自分の自由を獲得すること、その行為を「許す」と言います。

これに対して、「諦める」行為は、相手に対しての行動や考えなどの
何らかの働きかけを止めることであり、その働きかけの原因は、
「許す」行...続きを読む


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