プロが教えるわが家の防犯対策術!

9回の裏に王選手と勝負したのでしょうか?
山田投手もシーズン20勝以上していたとは言え、相手はすでに10年連続ホームラン王の王選手というこれ以上ない危険なバッター、しかもたった1発で逆転負け決定と言うやばすぎる場面で。
一つ申し上げておきますが、もちろんこれは山田投手が勝負したからこその名場面と思いますし、私はそんな山田投手のような選手の方がむしろ好きです。ただ、いわゆるセオリーでいくと王選手に対しては敬遠と思うのですが・・・・

A 回答 (5件)

当時のパリーグは今とは比べ物にならないほど、注目が集まりませんでした。

唯一といっていい晴れ舞台で、巨人を倒し存在をアピールしたいという気持ちは非常に強かったんだと思います。

その意味で、ただ勝つのではなく、王を打ち取って勝つことに大きな意味があったのではないでしょうか?
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結果的にシリーズの雌雄を決する一球になったんですから、文字通り痛恨の一球。

山田にしたら、名勝負と讃えられるより、勝ちたかったというのが本音でしょう。
あれは確かにバクチでした。本塁打が出る確率のいちばん高い王に「勝負!」と出たんですから。では勝負を避けての敬遠策は、バクチではなかったんでしょうか。満塁で、打席に末次。地味ながら勝負強さでクリーンアップの一角をまかされていた選手です。
ここで、あの回の、王と末次の安打の価値を較べてみましょう。
あの場面での王の安打は、同点止まりですが、末次の安打は逆転の一打になります。
王のホームランもたしかに怖いが、ヒット一本で逆転になるのは、それに劣らず怖い。
要するに、どちらの策をとっても、バクチだったんです。
山田が王とのバクチを選んだのは、満塁策で塁上が埋まったプレッシャーにチームは浮き足だち、守りにミスが出る可能性だってあると怖れた山田、阪急ベンチが、よりバクチ度の低い王との勝負を選んだのだと思います。
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日本シリーズ10番勝負と言えば、1971年(昭和46年)の第3戦は必ずと言っていいほど上げられます。

もちろん、その年の王はシーズンも不調だったし、第2戦に山田から本塁打を打ったとはいえ、第3戦の8回裏までその1本のヒットしかなかったことからも不調は続いていたと言えると思う。山田は第2戦で本塁打を打たれ、より一層王を押さえたいという気持ちもあっただろうし、ここまでの戦跡などさまざまな思いが交錯した上で、山田は勝負を決断したのだと思う。もちろん、自信や意地、投手としての若さも出たのかもしれないが、結果として歴史に残る名勝負として記憶に残ったのだから、私はこの山田の選択はよかったのではないかと思います。敬遠していたら、記憶に残らない試合になっていただろうし、この試合が後の大投手「山田」の成長の礎になっている部分はあると思います。私は、当時は野球など興味のない幼稚園児でしたが、でも日本シリーズといってパッと思い浮かぶ印象度の強い試合です。それくらい何度も後世に伝えられてきた試合だと思います。
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阪急ファンです。



>しかもたった1発で逆転負け決定と言うやばすぎる場面で。

これに加えて、山田投手は第2戦でも先発していて、
しかもこのとき既に王選手にホームランを打たれています。

それでもなお勝負するというのは、
山田投手と西本監督の気質としか言いようがないですねぇ…

まぁこの試合では王さんのことを完璧に抑えていましたし、
この年の王さんはシーズン終盤からスランプに陥り、
シリーズもここまで1安打の不振ということで、自信もあったんでしょうね。
(その1安打が上記第2戦のホームランですが)

ただ、山田投手はこの場面、王さんとの対決のほかに
・柴田に出した四球
・長嶋に打たれた(打ち取ったはずの)ヒット
も忘れられないそうです。王さんに回す前に終わらせるはずだった、と。

ちなみに日本シリーズでの王-山田の対戦成績は
25打数8安打 打率.320 4本塁打 3三振 6四球
のようです。
(僕が自分で集計したので間違っていたらご容赦)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。いろいろな伏線があったのですね。生まれる前のことなので初めて知りました。それにしても第2戦で先発して、続けて第3戦先発完投など、今では考えられませんね。

お礼日時:2006/10/24 23:15

8回までに末次の3塁打、上田の内野安打の2本に押さえ、ほぼ完ぺきと言えるピッチング。

9回も2死から長嶋にセンター前ヒットを打たれ、ランナー1,2塁。ここで、西本監督もマウンドに上がり、山田の意思を確認したのでしょうが、この日王を2三振、凡打と完ぺきに抑えていたので、本人も勝負して勝つ自信もあったから勝負することを選んだということではないでしょうか。次の末次には3塁打を打たれているので、嫌な思いがあったのかもしれません。20勝投手、相手が10年連続本塁打王であること、それは、お互いエースと主軸の対決ですが、ここは過去の勲章は関係なく、勝負を選んだということではないでしょうか。この勝負は間違いなく日本プロ野球の名勝負史の10本、いや5本の指に入ると思うし、テレビや野球雑誌などでもよく取り上げられます。もちろん、王を敬遠していれば、末次の結果に関わらず、名勝負にはならなかったと私は思います。

まあ、個人的に感じることは、現代の方がどのチームもチームプレーに徹する傾向が強いので、現代野球で、この場面であれば、王と末次を比較すると、この日ノーヒットとは言え、やはり王の方が断然怖いわけで、この日1安打の末次と勝負することを選ぶ球団の方が多いと思います。後1アウト取れば勝つわけですから、チームが勝つことを優先したと思います。山田もまだ3年目くらいだったと思うし、エースの意地を貫いた部分はあったと思うし、特にパ・リーグを中心に侍の多い時代ですから、そういう選択をしたのだと思います。まあ、山田も若かったということもあるし、このことは山田のその後の選手としてのあり方に大いに影響を与えた場面だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。山田投手、一見物静かなに見えますがモノスゴイ自負心の塊みたいな人なんですよね・・・。やはり、セオリーより意地のようなものが原因でしょうか。とは言え、こういう選手がいるからこそ野球は面白くなるのでしょうね。

お礼日時:2006/10/24 23:11

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