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※子供以外の大人の精神について

よく(?)大人が大人に向って、または大人を指して「あの人は大人だ」とか「もっと大人になりなさい」とか「大人のふるまいだ」などという言葉がありますが、大人とはどういう状態を言うのでしょうか。誰が大人かどうか決めるのでしょうか。
今の私は、18歳の時よりは知識は増えましたが、感動する事は減ったと思います。精神的に高校生の時のまま止まっている様な気がします。
体は見れば大人だとわかります。だんだん老化もしていきます。

では、精神は?精神が大人になるとはどんなふうなのでしょうか?老化していくのでしょうか?それとも子供のままの人もいるのでしょうか?精神的に大人な人はどんな感じなのでしょうか?

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A 回答 (6件)

こんにちは。


心の中を覗いてみることはできません。ですから、精神的に大人であるかどうかは、そのひとの行動や言動といった、身体の外に表れ出たものを評価することになります。
我々動物の行動や反応は、脳内の中枢神経系が自分に与えられた状況に対して「利益・不利益の価値判断」を行うことにより、その全てが選択されます。ですから、行動や言動、あるいは反応といった身体の外に表れ出るものは、そのひとの心の動きを映しているということになります。そして、それが大人であるかどうかは、多くの場合、その社会の道徳観や価値観などに従い、必然的に評価基準が設けられることになります。

我々の脳内には、行動選択のための価値判断を行う中枢が以下のように三種類があり、それぞれによって選択される行動の様式が異なります。

「本能行動:脳幹以下脊髄まで」(本能行動)
「情動行動:大脳辺縁系」(学習行動)
「計画行動(意識行動):大脳皮質」(学習行動)

本能行動の様式といいますのは全人類に共通であり、これは生涯に渡って変更されることはないのですが、大脳辺縁系の「情動行動」と大脳皮質の「計画行動(意識行動)」は学習行動でありますから、成長・体験に応じて次第に複雑になってゆきます。そして、我々の社会で「理性行動」と呼ばれているものは、学習行動の内、大脳皮質の「計画行動(意識行動)」に含まれます。従いまして、まず知性的であるということは本能行動に対する「学習行動の比率」が高いということです。そして、知的行動として選択される学習行動の内、更に情動行動に対する「計画行動(意識行動)の比率」が高ければ、それはより理性的であり、より大人ということになります。

我々が産まれたとき、大脳皮質は白紙状態であり、更に人間の場合、その正常な発達には15~20歳までの期間を要します。これに対しまして、情動反応を司る大脳辺縁系といいますのは、出生時でほぼ正常に機能できる状態にあります。
このため、子供というのは大人に比べ、学習行動における「情動行動の比率」がたいへん高くなります。「泣く」「甘える」「欲しがる」、小さな子供でしたら当たり前のことです。やがて大脳皮質の発達と生後学習の積み重ねによって「情動行動と計画行動のバランス」が執れ、知的作業や理性的な判断が行えるようになります。そして社会的な評価というのは、どちらかと言いますならば知的作業よりも「理性的な判断」の方に下されます。
従いまして、大人として評価されるためには、脳の発達が成人に達しているだけではなく、その社会における道徳観や価値観をきちんと学習獲得し、それに基づいた行動の選択ができなければなりません。
精神的に大人になるというのはこのようなことであります。

では、我々の社会で「理性行動」と呼ばれるものは、どうして大脳皮質の「計画行動(意識行動)」に分類されるのでしょうか。それは、大脳皮質には「善悪」の判断が付けられるからだと思われるかも知れませんが、実はそうではありません。
「情動行動」といいますのは、「大脳辺縁系」に発生する「情動反応」に従って選択される行動です。学習行動ではありますが、それは大脳辺縁系の価値判断によって行われるものであるため、大脳皮質に知覚されるまでは行動や反応の発生を自覚することさえできませんので、自分の意思でコントロールするというのはたいへん困難です。
これに対しまして、「計画行動(意識行動)」は「過去の学習記憶を基に未来の結果を予測する」という、極めて複雑な「大脳皮質」の情報処理によって実現するたいへん高度な学習行動であり、本能行動や情動行動では対処できない様々な問題を解決することができます。

「理性」とは「感情に影響をされない判断能力」と定義されます。
「バカ野郎!」と言われたら「何を、この野郎!」というのが情動行動です。ですが、それがたまたま目上の上司でありますならば、「自分の会社での善悪(利益・不利益)」の判断を誤ったということになります。
これに対しまして、「バカ野郎!」と言われたら、ここは取り敢えず謝っておいた方が得だな、というのが「計画行動」です。このようなことは「未来の結果」を予測することのできる大脳皮質でなければ不可能です。このため、「理性行動」という複雑な行動選択は、全てが大脳皮質によって行われます。
上司と自分はどちらが正しいか、我々が理性的な行動を選択するために、善悪の判断は全く関係ありません。強いては、理性的であると評価されたいのでありますならば、心にもないウソを吐けば良いわけです。ともすれば、これができて初めて「大人」ということになるのかも知れません。

「感動」といいますのは、大脳辺縁系の「情動反応」によるものです。
「大脳辺縁系」は、身体内外の環境から入力される知覚刺激に対し、生後体験に基づく「利益・不利益の価値判断」を下し、「快情動」と「不快情動」のどちらかを発生させます。「快情動」と判定され「報酬行動(接近行動)」を選択せしめる知覚入力を「報酬刺激」、これに対しまして、「不快情動」に伴う「回避行動」の因子を「嫌悪刺激」といいます。そして、「好奇心」の源であります「新奇刺激」は、快情動をもたらす「報酬刺激」に分類されます。
ですから、我々にとりまして「感動」という情動反応の要因となりますのは、
「刺激の強さ」
「刺激の新奇性」
「報酬体験としての学習」
主にこのようなことになります。
ですが、まず一度体験してしまいますならば「新奇性」が損なわれます。また、強い刺激も繰り返されるならば反応が弱くなりますし、如何に過去に強い感動を学習したとしましても、飽きてしまえばそれまでですよね。
まして、知識が深まるならば「未来の結果を予測する」という能力が高まるわけですから、「そんなの当たり前だ」「見る必要はない」、これでは、新たな感動に巡り会う機会は端から損なわれてしまいます。更に、知識や経験によってある程度の判断が容易に下せてしまいますと、それが今度は、「頭が固い」といった現象として表れることになります。
我々はこのようにして、しだいに若かりし頃の豊かな感受性を失ってゆきます。

かつてフロイトが「性的道徳観」と指摘したものは、現在では、生後体験によって大脳辺縁系内の「扁桃体」に獲得される「情動記憶」であると考えられています。我々は生まれ育った社会からSEXに関する道徳観を学習し、それを判断の基準として情動反応を発生させているわけです。
ですが、大脳辺縁系内に学習獲得される判断規準といいますのは、決して善悪や道徳観ばかりではありません。個人体験や社会慣習に従い、道徳的価値観や宗教的価値観から、食べ物の好き嫌い、異性のタイプまで、ありとあらゆる価値観が獲得され、我々はそれに基づいて行動の選択を行っています。これが「情動行動」であり、そして我々の日常生活は、決して大脳皮質の計画行動ではなく、ほとんどがこの情動行動によって賄われています。
大人であるということは理性行動を選択できることであり、理性とは感情に影響を受けない行動の選択です。このためには、様々な学習情報を駆使して未来の結果を予測するというたいへん高度な思考を行わなければなりません。
ですが、先に述べました通り「感動」とは大脳辺縁系の情動反応であります。そしてそれは、決して自分の意思ではコントロールすることはできませんが、我々の行動を「目的」というものに対して突き動かすという原動力であります。更にそこには、生後我々が長い年月を掛けて獲得した道徳観や個人の個性といった判断規準が無数に獲得されているだけではなく、何よりも、大脳辺縁系の情動反応が大脳皮質の計画行動とはっきり異なる点は、ここではウソを吐けないということです。ですから、作り笑いをすることは誰でもできますが、ウソで感動できるひとはいないわけですね。

我々が大人になるためには、大脳皮質にたいへん多くの知識を詰め込まなければなりません。ですが、それと同時に、ひとが悲しむならば自分も悲しみ、幸福であるならば心から喜ぶと、そんな豊かな人間であり、豊かな大人であるためには知識だけではなく、より多くの体験に触れ、大脳辺縁系に様々な反応規準をしっかりと獲得する必要があります。
感受性は確かに年齢と共に低下してゆきます。ですが、知識が高まれば好奇心を増やすこともできるわけですし、何よりも経験・体験というのは年月が物を言います。お年寄りの心が豊かなのはこのためですね。脳の成長は止まっても、人間としての成長は生涯続きます。

この回答への補足

どうもありがとうございます。
以前「バカの壁」という本を、自分の事だと思って買って読んだ事があります。「こういう人はバカです」という内容ではなくて、「脳について(脳だけじゃないが)」の真面目な話だったのですが、意外にとっつきやすい内容で、それ以来、脳の話はわりと好きです。。
読んだのは3年前なので内容は忘れましたけど、脳の話だった事は確かです。1回読んだ本はあまり読まないのですが、また読みたくなりました。
計画行動と言うのは、外部からの刺激が脳の回路を瞬時に通って反応として出る。大脳皮質がしているのがこの仕事ですね。字を覚えたり、マナーを覚えたり、するのがこれですね。
繰り返し学習して早くても15歳、遅くても20歳までには出来上がるのですね。
情動行動と言うのは「喜怒哀楽」の感情がそうですか?これは生まれた時には、ほぼ正常にそなわっているのですよね。
本能と言うのは「睡眠欲」や「食欲」「息を吸う」とか「性欲」とかですね。ただし、性欲はフロイトによると後から獲得するものなのですね。

>更に情動行動に対する「計画行動(意識行動)の比率」が高ければ、それはより理性的であり、より大人ということになります。

比率が高いという事は、それだけ脳が刺激・反応を繰り返して学習したという事になりますよね。その学習する原動力はどこにあるのでしょうか。?
後に述べる「感動」という「情動行動」の強さということでしょうか?

>「情動行動」といいますのは、・・(略)・・自分の意思でコントロールするというのはたいへん困難です。
>これに対しまして、「計画行動(意識行動)」は・・(略)・・本能行動や情動行動では対処できない様々な問題を解決することができます。

例えば、お葬式の時におかしな出来事があって思わず笑いたくなっても、計画行動が瞬時に場に相応しくないと判断して笑いをこらえる事が出来るのがそうですね。
泣く・笑う・怒る・などという感情は、発生する前から頭で考えて変更できない、でも、大脳皮質の仕事によって時と場所を判断して表面上はコントロールできるのですね。

>上司と自分はどちらが正しいか、我々が理性的な行動を選択するために、善悪の判断は全く関係ありません。

そうですね。自分の未来と照らし合わせて不利かどうか、で対応しますね。

>「理性」とはに「感情」に影響をされない「判断能力」と定義されます。
そのような判断能力を養うには何が必要なのでしょうね。
>生後体験に基づく「利益・不利益の価値判断」を下し、「快情動」と「不快情動」のどちらかを発生させます。
>「報酬行動(接近行動)」を選択せしめる知覚入力を「報酬刺激」、
>「不快情動」に伴う「回避行動」の因子を「嫌悪刺激」

人間が、好んで受け入れるのが「快情動」、避けるのが「不快情動」に分類されるのですね。

>何よりも、大脳辺縁系の情動反応が大脳皮質の計画行動とはっきり異なる点は、ここではウソを吐けないということです。ですから、作り笑いをすることは誰でもできますが、ウソで感動できるひとはいないわけですね。

なるほどーーー!!

Hakobuluさんのお礼の欄で表面上はクリアできるが、シンからもそうなりたいと述べましたが、絶対に出来ないのですね。表面上クリアできてればそれで良いのですね。ということは、表面上大人的振る舞いが出来る人の方が「大多数」ですね。
私は大人的振る舞いをする人は、しんからも大人な人だと思っていましたが違うのですね。

>ひとが悲しむならば自分も悲しみ、幸福であるならば心から喜ぶと、そんな豊かな人間であり、豊かな大人であるためには知識だけではなく、より多くの体験に触れ、大脳辺縁系に様々な反応規準をしっかりと獲得する必要があります。

そうですね.
そういう人の方がずっと魅力的ですね。ということは、なんだか苦労は買ってでもしたくなってきました(おおげさな表現ですみません)

脳という角度から、とても詳しく説明してくださって、とても勉強になりました。ありがとうございます。

補足日時:2006/10/30 09:43
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この回答へのお礼

この度はこの質問にお付き合い頂き大変ありがとうございました。
脳の話は好きです。と、書きましたが「脳科学」の「の」の字も知らないですし、心理学の「し」の字も知らない輩です。そのような私の質問に答えて下さり大変恐縮です。
このような問いを立てたのも、実は私が人から「もっと大人になれ」と言われたからです。
なんとなくイメージは分かりますが、具体的にはどのようなものだろう?他の人はどう捉えているのだろう?と疑問に思ったからです。こんな事聞いたらバカだと思われるかなあと躊躇もしましたが思い切って聞いてみて良かったです。
私は現在、子育て中でもあるので大変参考になりました。こうしてる間にも子供の脳はどんどん発達中なわけですね。上手に育ててあげなくてはと思いました。
このQ&Aが、多くの人に見ていただければ幸いです。

お礼日時:2006/10/31 01:47

こんにちは。


ANo5です。回答をお読み頂き、ありがとうございます。
あの長い回答を隅までお読み頂き、ここまでご理解を示して頂きましたことに感激しております。そして、せっかくですから、私の説明が至らなかった部分に就いて、もう少しだけ説明を付け加えさせて下さい。

>計画行動と言うのは、外部からの刺激が脳の回路を瞬時に通って反応として出る。大脳皮質がしているのがこの仕事ですね。字を覚えたり、マナーを覚えたり、するのがこれですね。

はい、その通りです。

>繰り返し学習して早くても15歳、遅くても20歳までには出来上がるのですね。

はい、厳密には「神経細胞の分裂」と「神経結合の強化」が概ね20歳までで完了するということです。それまで子供の大脳皮質は未発達ではありますが、もの心が付けば様々な知能行動を急速に学習してゆくというのは、お子様をお持ちの質問者さんでありますならば良くご存知だと思います。逆に二十歳までの成長期を過ぎますと、我々の脳細胞の数は減少の一途を辿ることになります(念のため、これは老化ではありません)。
「神経結合の強化」といいますのは、細胞が結合の数をどんどん増やすと共に他の信号と混ざり合わないように神経線維の周りに絶縁が施されるといったようなものであります。この細胞結合の形成が最も活発に行われますのが生後3歳頃まででありまして、この時期は「人格形成期」と言われ、子供の脳の発達にはたいへん大切な時期と考えられています。
また、「三つ子の魂百までも」のことわざ通り、「食べ物の好き嫌い」や「好みの異性のタイプ」など、大脳辺縁系の方にも様々な価値判断が獲得され、その多くは一生ものになります。生涯に渡る両親への愛情は、私はこのようにして獲得されるのではないかと考えています。

>情動行動と言うのは「喜怒哀楽」の感情がそうですか?これは生まれた時には、ほぼ正常にそなわっているのですよね。

はい、大脳皮質とは違い大脳辺縁系では、出生時の段階で「情動の発生機能」と、そのための「学習機能」がほぼ正常に備わっています。ですから、産まれたばかりの赤ちゃんでも「報酬刺激」に対しては喜び、「嫌悪刺激」に対して泣く、このようなことがすぐにできるようになります。
ですが、本能行動の基準として生まれながらに持っている反応以外は、自分に与えられた環境の中で、いったい何が「報酬刺激」であるのか、あるいは何が危険で何が「嫌悪刺激」であるかは、取り敢えず一度は体験をしてみないことには決められません。つまり、大脳辺縁系はすぐに使える状態にあるわけなのですが、何に対して「喜怒哀楽」を発生させるかという反応の規準は生後学習によって獲得されるものです。そして、そこにはそれぞれの個人体験に従って「個性」というものが反映します。
我々の大脳辺縁系には、このようにして「食べ物の好み」や「異性のタイプ」といった様々な「個性」や「性格」が作られるわけですが、例えば「ご飯をこぼしてはいけない」とか「裸で外を歩くものではない」といったような、その社会における共通の概念も順を追って獲得されてゆきますので、これに反するような事態に遭遇しますならば「叱られる」「恥ずかしい」といった道徳的な反応もちゃんと発生するようになります。

>本能と言うのは「睡眠欲」や「食欲」「息を吸う」とか「性欲」とかですね。ただし、性欲はフロイトによると後から獲得するものなのですね。

はいそうです。
ですから、「性的欲求」といいますのは我々人間が動物として持つ生得的な反応ではありますが、それに対する価値判断といいますのは生まれ育った社会環境から学習獲得されるものです。SEXに対する嫌悪感や羞恥心を道徳観と呼ぶならば、性欲に基づいて発生する情動的な報酬反応を情愛、あるいは恋愛感情と考えて良いのではないでしょうか。そして、このようなものは大脳辺縁系の中に、大脳皮質の論理的な概念よりも先に学習獲得されてしまう可能性が十分にあります。大人たちが夜の生活を隠そうとすれば、子供たちはそれを「悪いこと」と学習してしまうかも知れませんね。

>>更に情動行動に対する「計画行動(意識行動)の比率」が高ければ、それはより理性的であり、より大人ということになります。
>比率が高いという事は、それだけ脳が刺激・反応を繰り返して学習したという事になりますよね。

はい、その通りです。

>その学習する原動力はどこにあるのでしょうか。?

そうですねえ、色々考えてみたのですが、どうやら学習というのは我々の意思に従って行われるものではないように思います。ですから、その原動力とは意思とは切り離されたものであり、我々は学習をしているというよりは、学習させられていると考えた方が近いのではないかと思います。

>後に述べる「感動」という「情動行動」の強さということでしょうか?

そうですね、まず「学習効果」といいますのは刺激の強さに比例し、反復学習によっても強化されます。それと同時に、このような刺激情報を円滑にやり取りし、記憶として効率良く獲得するためには、やはり脳内の覚醒状態もそれなりの高いレベルになっていなければなりません。
通常、我々の脳内は「5-TH(セロトニン)」という伝達物質の恒常的な分泌によって「安静覚醒状態」にあります。そして、ここに何らかの刺激が発生しますと「NA(ノルアドレナリン)」の「脳内広域投射」が行われ、中枢系全体の覚醒状態が一気に亢進されます。これにより、脳内の情報伝達が活発になると同時に、様々なことが記憶に留めやすくなります。
このような状態を「注意状態」、あるいは「ストレス反応」といい、NA(ノルアドレナリン)といいますのは、いざここぞというときに分泌されるものです。ですから、「刺激の強さ」「刺激の反復」とういったものが学習の「外的要因」でありますならば、このような脳の受け入れ状態は学習の「内的要因」であり、「学習の原動力」といいますならば、こちらの「NAの広域投射」という内的要因がそれに当たるのではないかと思います。
ところが、これは環境からの刺激に基づく脳の生理反応でありますから、当然のことながら自分の意思でコントロールすることはできません。では、脳内にNAをたくさん分泌させ、より効率の良い学習を行おうとしますならば、
「集中して注意力を持続させる」
「興味を持つ」
「危機感を煽る(受験生が良くやりますよね)」
といった手段が考えられます。このような条件が不足しますと、5-HT(セロトニン)の分泌によって、我々の脳はなるべく早く元の楽な状態に戻ろうとします。

このNA(ノルアドレナリン)の脳内広域投射といいますのは、環境からの直接刺激だけではなく、大脳辺縁系の情動反応によっても行われます。例えば、旦那さんが何を言っても別に気に留めることはないのですが、お子さんが何かをすれば、質問者さんの注意力は一気に高まり、脳内にNAが分泌されて覚醒状態が亢進されます(失礼な例えで申し訳ありません)。
只今申し上げましたように、学習というのは自分の意思で行っているのではなく、どちらかと言いますならば必要に応じて学習させられているといったようなものです。ですが、情動反応といいますのは、このような無意識の選択を、自分にとって必要なもの、自分にとってより大切なものに向かって必然的に突き動かすという働きを担っています。ですから、最愛の我が子に対してはより多くの行動が選択され、最愛の我が子に対しては無条件で学習能力が高まります。このような反応が親の愛情であり、我々の学習や行動の原動力とは、正にこれではないでしょうか。

二十歳を過ぎて何年も経ち、それなりに学習・経験は積んだといいましても、60代、70代のひとから見れば、我々はまだケツの青い若造です。「もっと大人になれ」なんてのは、幾つになっても言われ続けるのではないでしょうか。質問者さんだけじゃありませんよ。私の知っている会社の会長さん(70代現役)なんて、課長さんクラスを捕まえてまるでガキ扱いです。
「もっと大人でありたい」
「高校時分の意識が残っている」
「体力の衰えを感じる」
もしかしたら、このようなことは質問者さんが子育てを体験することによって現れた意識の変化ではないでしょうか。だとすれば、それは成長ではないですか?
甘えは許されないのだから、若かりし頃のバイタリティを取り戻してでもがんばらなければならない。だけど、そうそう体力が言うことを聞かない。
理性的な行動というのは感情に影響を受けないということです。ですが、子供に対する愛情とは情動反応以外の何物でもありません。ならば、子供の将来を考えるならば自分はもっと冷静でありたい。これは、子育てを体験する質問者さんの意識の中に産まれた「自覚」ではないでしょうか。
お子さんを、ほんとうに大事に思っておられるのですね。たいへんでしょうが、子育て、がんばって下さい。

この回答への補足

・・・お礼の続きです。

> どうやら学習というのは我々の意思に従って行われるものではないように思います。ですから、その原動力とは意思とは切り離されたものであり、我々は学習をしているというよりは、学習させられていると考えた方が近いのではないかと思います。

なるほど、そうですね。私は生後学習の原動力は「感動」とか「好奇心」が学習する意欲を掻き立てているのかな?と思ったのですが、早とちりな質問でした。
大脳辺縁系と言うのはそういうものではないのに、前回は理解力の無さからこのような質問をしてしまいました、すみません。
大脳辺縁系というのは個人差が無い物なんですよね。感情が大幅に欠落している人なんていないですものね。
(感動や好奇心は「快」に分類される情動反応ですよね、たしか)むしろ感動や好奇心にかき立てられて学習するのは大脳皮質のほうですね。
でもそれは外的要因があったとしても内的要因が無ければ効果が無いのですねー、なるほどです(わかりやすい例をあげていただいたので、わかりやすかったです。)

まとめますと、精神的に大人というのは、時と場所と立場を考えて振る舞える人(大脳皮質が活躍している人)大半の人が出来ていますね。
感情剥き出しでダダッコになっている人はあまりいないですからね。

私は「精神的大人な人」について、もう一つ考えている事は「自立」している事と自分の言動に責任が取れる人だと思っているのですが、これに関しては私もそうですが出来ていない人がけっこういると感じています。
自立していないがために「自分は自分、他人は他人」と考える事が出来ずに(大脳皮質を活躍させているにもかかわらず)周囲を不快にさせたり翻弄させている人がいると思います。
「依存」という言葉が頭をかすめるのですが、私は「依存」を読みかじった本によると、愛されるべき時期に足りなかった愛を大人になってから“他人”で清算しようとしようとする事と解釈しています。(簡単に言うと、心のおっぱいから卒業できない人。)
そのような事を清算されようとしている“他人さん”にとってはたまったものではありません。
大人になっても自立できない人は何か大脳辺縁系の生後学習の辺りで言葉では言い表せないような「不快感」を刻んでしまったのだろうか・・・と、思いました。※「依存」については、この「精神的に大人とはQ&A」と関係がありそうで無さそうですが、これはこれで独立した問いだと思うので、いつか機会があったら出してみたいと思います。

「精神的大人」について自分の思っていたイメージと皆様の回答を掛け合わせて大分はっきりとしたイメージが出来上がりました。普段は意識していない脳についての知識も深まり大変参考になりました。ありがとうございました!

私の薄っぺらい大脳皮質でなんとか理解しましたが、「いやいや そうではなくって!」と思う所がありましたら、どうぞご指摘ください。

補足日時:2006/11/05 05:06
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この回答へのお礼

大変遅くなり申し訳ありません。再び早速のご返答ありがとうございました。
回答歴を拝見した所、興味のあるQ&Aが結構ありまして読んでいたら止まらなくなってしまいました。
その中で、『「愛」って何ですか。』『「心」って何ですか。』(余談ですが、このQ&Aとても面白いです)の回答が関連がありそうだったので読ませていただきました。
脳のどの部分がどのような役割をしているのかが、こちらのQ&Aで更に理解を深めることが出来ました。
フロイトを掛け合わせると、(脳幹以下脊髄まで・大脳辺縁系)がエス。(大脳皮質)が自我と超自我ではないかと解釈いたしました。
大脳辺縁系は生後直後にほぼ出来上がっているというのは、快・不快を感じ取り喜怒哀楽として発生させる機能が生得的にあるという事ですね。
ただ「何が」快・不快かは体験してみないとわからない、それが生後学習ですね。
それが3歳ぐらいまでに脳の中で「神経結合の強化」がなされていくという事ですが、なるほど納得です。(うちに4歳児がいるので)
そういわれてみれば人間は3歳くらいまでに食事、歩行、排泄、睡眠のリズム等、生きていく基本中の基本が出来る様になりますね。
時間も季節も男女も意味も理屈も何も理解していない時期に学習していった価値判断基準は何か特別な感じがしますね。
その3歳辺りまでに獲得していった「3歳までの価値」を軸にして今度は「3歳以降の価値判断」が作られていくのですね。
(余談ですが、何故小学校は7歳からか。という育児コラムで、読み書き算数に適す脳が7歳なのだそうで、それまでは五感を十分感じさせてやりなさい。という記事があったので7歳も発達の節目っぽいかなと思います。)
そして大脳皮質では「快・不快をもたらす物」は何であるかというのが大脳皮質で獲得していくのですね。(色、形、名前、損・得かなど)

>「性的欲求」といいますのは我々人間が動物として持つ生得的な反応ではありますが、それに対する価値判断といいますのは生まれ育った社会環境から学習獲得されるものです。
 わかりました。そうですね、「性的欲求」に関しては相手があってこそ欲求するものだからですね。ただ相手がいなくても価値判断は学習されるという事ですね。

続く・・・

(とりとめもなく長く、大変読みづらくなり申し訳ありません(汗)1000文字越えたので補足に書かせて頂きます。)

お礼日時:2006/11/05 04:52

ikkannです。


わたしは、現実の、状況はこうなってるのではないかなというところで書いてみました。あなたぐらいの若いときには、30すぎの人間は信用するなというフンイキがありました。
世界中の若者が旧体制に反旗を翻したころです。

「大人」というのは旧体制のことだったのですね。
年をとり、世間になじむうちに、若いころの熱い血が忘れられていきます。本当の生き方は自分で探すものだと思います。
自分が、自分のためだけでなく、もっとも有効に生かされるならきっといい人生になるのではと思います。失敗は成功のもとというのは本当のことです。
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この回答へのお礼

ikkannsann様、再度の投稿ありがとうございます。
>現実の、状況はこうなってるのではないかなというところで・・・<
はい、大丈夫です^^。10人いれば10通りの回答があると思っています。環境や時代や年代で捉え方も人それぞれだと思います。誰かに「こうだ」と言われたから「そうする」のではなくて、最終的には答えは自分で決めなくちゃいけないのですよね。自分の考えも合わせて皆様の意見を参考にしたいと思います。
>自分が、自分のためだけでなく、もっとも有効に生かされるならきっといい人生になるのではと思います。失敗は成功のもとというのは本当のことです。<
そうなりたいですし、そうありたいです。

お礼日時:2006/10/27 10:06

世間一般で言われるところの大人と、本当の意味での大人、2つの場合を考える必要があると思います。


人間の精神性は本能(エス)・自我・超自我の3層からなるという解釈が可能だと思われますが、
本能は快・不快、
自我は損・得、
超自我は善・悪、
の判断に関与していると考えて良いでしょう。

世間一般で言われるところの大人は自我の強い人、ということが言えると思います。
超自我の割合はピンキリですが、これが全く発揮されないと犯罪者になりますし、過剰(自らを顧みないという点で)に多すぎるのが聖職者(真の意味での)などの精神性に近いということになりそうです。
エスを持たない人はいませんが、これを超自我でセーブする状態を理性、と考えることができると思われます。
大人は損得で本能をセーブできるが、善悪でセーブするとは限らない(人による)ということになるでしょう。
いずれにしても自我の確立さえ難しいものですが、これがあまりに未発達の場合は子供と同じでエスの制御ができなくなります。
わざわざ自分が損するとわかっているようなことに夢中になったりするのがこれですが、何が損かという問題もあり、この点に関してはまとめて後で述べます。

なにかエスは悪者のように思えてきますが、これはまた生命の源泉でもあります。
生きるという欲望の純粋形と考えることができますから、これが弱すぎる人は生命力の弱い人だと言うことも可能です。
ただ、エスは必要だがいつもいつも言うとおりにしていると集団生活は不可能になる、ということです。
(他者のエスと真っ向から対立するだけなので)
ところで、超自我と自我の対立も当然ながらあります。
超自我といっても特別偉いわけでもなく、何でも制御すれば良いとおもっている堅苦しい人のような印象もありますが、不要なものまで制御してしまう場合もあります。
感情は時に素直に発揮されたほうが健全な場合もありますから。(無論、抑えることが必要な場合もあります)

こうして見てくるとお気づきかと思いますが、これら3者のバランスがほど良く取れている人が健全な真の大人、ということになるのではないかと思います。
『自分の感性は大事にするが、自分の日常的生活を壊してまでそれにのめりこんだりせず、
自分の主張はきちんとし、なるべく自分にとって得になるような解決を目指し、同時に
他者に明らかな迷惑がかかったり、他者の生命や精神を侵害するようなことがないように十分配慮できる。』
というのが真の大人と言って良いのではないでしょうか。
(そのバランス加減が難しいので大変なのですが、自身の基準について常に変革の余地を持ち続けることが大事だろうと考えます。)

自分や家族を利することが最優先になるのは止むを得ませんが、
『(同じ人間としての)他者の心をどの程度想像し得るか』
というあたりが、自我の肥大した大人から超自我とのバランスのとれた大人になる分岐点なのかという気もします。
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この回答へのお礼

Hakobuluさんご回答ありがとうございました。
フロイトの精神分析(?)ですね。“エス”“自我”でインターネット検索したら出てきました。(フロイトの原文(翻訳されていたが)は難しくて解読困難でした。)なのに、とても分かりやすく説明して頂きありがとうございました。
>『自分の感性は大事にするが、
↑hakobuluさんの言う真の大人は、自己評価的には表面上クリアできていると思います。ただ、内面的には相手によってストレスになりますね。これが、しんから内面も自然にこんな大人になれたらよいなと思います。
>『(同じ人間としての)他者の心をどの程度想像し得るか』<
このスキルを獲得するには、やはり人間関係のコミケーションの場数を踏む事でしょうか。頑張ります。大変参考になりました。ありがとうございました。
Hakobulu(←前回はスペル間違って失礼致しました)さんは博識があるお方で、でも、ご本人は控えめだから「ぶる」をつけたのだと・・・だからハクブルさんなのだと思っていたけれど、よくよく見たらハコブルさんでしたね(汗)すみません。

お礼日時:2006/10/26 21:50

 俺の場合は、「危なっかしい行動をする質問者」にそのような言葉を使うことが多いです。



 高校生は年齢的に大人に見られがちですが、急に道に飛び出したり、または人間関係の問題を不用意に扱ったりと、ずいぶんと「危なっかしい」行動をとることが多いのです。
 もちろん平均論ですし、えなりかずき みたいな子もいっぱいいますけど。

 んで、そのような行動をとる人に、「もうちょっと現実を見て慎重になりなさい」という意味で、大人になれという言葉を使うことがあるのです。
 俺が言う場合に限っては、感動とかは関係ないです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
「大人になれ」というのは「頭が良い」という頭の良さを測れないのと同じくらい曖昧で、実は「大人」の意味もその人によって微妙に違うんですね。
deagleさんの「大人になれ」というのは、道を誤りそうになった人に対してそれを気付かせてあげるような意味合いで使われるのですね。後から来る者達に対する愛情というか、そんな感じがします。

>「もうちょっと現実を見て慎重になりなさい」<
なるほど・・・です。
1番様も書いてましたが“現実”を良くみる事が大人の共通点という気がしてきました。参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2006/10/26 09:51

59歳男性。


大人になれというときは、いつまでも子供じみているというのを別の言い方にしたものでしょう。大人と子供の違いは、社会生活にどれだけ関わってるかがありますね。
社会生活は世間のことです。
世間というのは、お互いに助け合うべきもの、というよりも、監視しあうものという気がしないでもない。

そのような世間で生きていくためには、自分をあるていど殺しながら、気配りを怠らないことがひつようです。
ときには、正論から外れても、生きていくためにあえて多数にあわせる生き方ができる人を大人といいます。
現実が重要なので、ものごとに感動することもなくなります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
私の親世代でもあるikkannsann様からのご意見はとても説得力があると思いました。
近年はとても便利になって、お互い助け合わなくても、ほぼ一人でなんでもできるようになったと思います。だから、お互い助け合うべきと言われても「何を?」「どうやって?」と思いますね。「お蔭様です」と言わなくなりました。監視しあってるというのも一理あるかもしれないですね。

>そのような世間で生きていくためには、<
後半三行については、半生を生きてきた方の知恵なのだなあと思い、とても重みを感じました。勉強になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2006/10/26 09:28

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Q大人とはなんでしょうか。

大人とはなんでしょうか。
少し前、成人年齢の引き下げが話題になったことがありましたが、果たしてそんな数字に意味などあるのでしょうか。そもそも大人とは何か、そういうことを考える機会なりました。
そこで、皆さんから大人とはなにか、主に子供との違いを論じる形で様々な意見をお聞きしたいです。答えがない問にこのような質問を投げかけるのは無意味かもしれませんが、宜しくお願いします。

自分は20手前の未成年ですが、そんな子どもが思う一意見としては、
『個々が個々の責任において自律的に考え、自ら行動する』事だと思います。
実はこれは受け売りなのですが、まさに、自分で考えて行動し、その行動の責任を自分に求め、他人に依存しないことが大人への一歩だと個人的にも思います。
(言うのは簡単で知った口を叩くのは容易だと思いますが、難しいとは思います・・)

Aベストアンサー

仕事をもっている既婚女性です。
素敵な質問ですね!
私も学生時代に 考えたのを思い出しました。
そのときの自分で出した答えは「社会的自立」と「経済的自立」そして「精神的自立(自律)」
でした。 

今 自分が考えると 当時と比べ少し変わった点があるので 書いて見ます。
参考になるといいですが。

(1)問題が起きたときの 「解決方法」を考えることができること。
…大人でも、一人では解決できないこと、責任を取りきれないことが たくさんありますよね。
そんなとき、仲間や上司を信頼して 
きちんと相談できることが 大切です。
つまり、一人で何でも解決しようと 頑張ることが 大人ではないのです。
人に相談することも含め、「どうすることが一番いい解決方法か」を考えることこそ
「大人の判断力」だと思います。

(2)自分と違う考えを 受け入れる「心の広さ」があること。

(3)欠点も含めた 自分自身をちゃんと受け入れ 「自分を大切にする」こと。

(4)「家族や恋人を守る」ために 自分にできること〈仕事や家事など)を頑張れること。

(5)世の中のためや、人のために、自分が少しでも「役立ちたい」と思えること。

(1)~(5)を満たしている人は、多分社会人としてちゃんとやれる人だと思います。(社会的自立)
当然、自分に必要なお金を 自分で得ることもできる人でしょう。(経済的自立)
また、自分が「人としてどう生きるべきか」も、理解している人だと言えます。(精神的自立)

ただ、大人だからと言って、全部がうまくできるわけではありません。
できないことは できないなりに、どうすればいいかを考えたり
必要なときに 誰かに ちゃんと相談したり、
そういう「柔軟な行動」がとれることこそ、「大人」なのかなあ…と、思います。

そう考えると、年齢的に 「大人」といわれる人間でも
できていないことが多いかもしれません。
自分自身 大人なのに ダメだなあ…と思うことが たくさんあります。
逆に 若い人でも 人間ができているなあ~と 思える人は たくさんいます。
少なくともbigben4649 さんのように
いろんなことを ちゃんと考えながら生きている人って
人として 素晴らしいなあと思います。

仕事をもっている既婚女性です。
素敵な質問ですね!
私も学生時代に 考えたのを思い出しました。
そのときの自分で出した答えは「社会的自立」と「経済的自立」そして「精神的自立(自律)」
でした。 

今 自分が考えると 当時と比べ少し変わった点があるので 書いて見ます。
参考になるといいですが。

(1)問題が起きたときの 「解決方法」を考えることができること。
…大人でも、一人では解決できないこと、責任を取りきれないことが たくさんありますよね。
そんなとき、仲間や上司を信頼して 
きち...続きを読む

Q精神的に大人になる方法

大人なのに子供っぽい人ってたまにいますよね。
そういった年齢はいい大人なのに精神的には子供なところを直すには、どうしたらいいと思いますか?私もそうなので、とても気にしていて、どうにかしたいので教えてください。

Aベストアンサー

個性だからムリに直さなくても…


と思ったのですが社会で働くとしたらそんなことも通用しませんよね^^;
子供っぽいという基準がわからないのですがわがままとか落ち着きがないってことでしょうか?
私も多少子供っぽいところがあるので自分に言い聞かせているのですが
やっぱり他人の前ではしゃぎそうorわめきそうになる場面があったとき、
心の中でその気持ちをぐっと抑えてクールに対応してみたりしてはいかがでしょうか?
すぐに気持ちを行動に直結しないでその間にスペースを置いて行動するといいかもしれません。

ただ友人とオフでワイワイするときぐらいは子供っぽさを出しても上でいったとおり個性なのでいいかと思います。


見当違いな回答をしていたら申し訳ございません。

Q好きなタイプは「精神的に大人な女性」

よく、コンパなどで「好きなタイプは??」って会話ありますよね。
私の好きな人のタイプが「精神的に大人な女性」でした。
●「精神的に大人な女性」って具体的にどういう女性なのでしょうか?
●「精神的に大人な女性」がタイプな彼はどういう人なのでしょうか?
ちなみにその彼とは二人で会う関係になりました。
でも彼が忙しくてなかなか会えません。
100%彼好みになりたいとかは思ってないのですが、彼がどんな考えなのかを知りたいと思っています。
「精神的に大人な女性」ってなんとなくわかるのですが、他の人の意見も聞きたいです。
お願いします。

Aベストアンサー

精神的な大人の女性。。。
かなり抽象的な表現ですので 一概には言えないと思います。
人により感じ方と言うのは 違うので確固たる定義のようなものはないと思います。

私が思うという立場で申し上げますと。。
*その場の空気が読め、また 気配りができる人。
 (やはり 周りとのバランスというのは大切でさりげなく 気配りが出来る方。。話をする時も自分の話ばかりでなく きちんと相手の話を聞いてあげることができる~聞き上手 )
*女性としてというより 人間として 精神的に自立していて、自分の中心となるようなものをきちんと持ってる、または 持とうと努力してる人。(何か打ち込むものを持ってる人はステキですよね?
* 自分で物事の判断ができて その責任も自分で取ろうとする人
*距離感がわかってる人
*精神的な繋がりを持つことができ、たまには 彼の安らぎになってあげれる人


なかなか難しいですね。
理想論かもしれません。
人間はそんなに強くないですし、完璧でもないです。
でも こんな人にになりたいな。。という目標だけでももって 過ごすだけでもステキなことだと思います。

彼は 大人の女性ってどんなイメージなんでしょうか?
一度きいてみたら如何ですか?

多分 二人で会う関係になってるのでしょうから 今のままでも充分 貴方はステキなじょうせいなんでしょう。
彼がえらんだ方なんですから。。

がんばってくださいね。

精神的な大人の女性。。。
かなり抽象的な表現ですので 一概には言えないと思います。
人により感じ方と言うのは 違うので確固たる定義のようなものはないと思います。

私が思うという立場で申し上げますと。。
*その場の空気が読め、また 気配りができる人。
 (やはり 周りとのバランスというのは大切でさりげなく 気配りが出来る方。。話をする時も自分の話ばかりでなく きちんと相手の話を聞いてあげることができる~聞き上手 )
*女性としてというより 人間として 精神的に自立していて...続きを読む

Q「諦め」というのは心理学的にはどんな感情なのでしょうか?

「諦め」というのは、心理学的にはどんな感情なのでしょうか。どんなメカニズムで「諦め」が発生するのか知りたいです。また、全てのことを諦めないというのは無理だと思いますが、「すぐには諦めない自分」「諦めにくくなる自分」になる方法がありましたら、教えてください。

Aベストアンサー

「諦め」そのものは決して悪いこととは言い切れないと思います。
取捨選択能力の高い人が、自分の行動や目的、存在意義に価値を見いだせるのだと思いますし、自分の進む道を良い方向に導いて行けるのだと思います。
目標に定めたものが自分の能力を超えるものであったり、手に入らないものだと見極めること自体は無価値だとは思いません。
唯まっしぐらに進むだけではなく、時折立ち止まって自分が歩いている道はこのままで良いのか軌道を修正したり、本来の目的と大きく外れていないか確認することも必要だと思います。

問題は、目標それ自体が本当に自分に必要なものなのか?手に入れる事が可能なのか?自分は今それを手に入れるだけの能力を獲得できる可能性があるのか検討することだと思います。
検討した結果、自分にとって利益(幸福感、充足感)をもたらすことだと認識できたら、今の自分には何が不足しているのか、どう対策を練ればいいのか計画や実行に移すことが重要だと思います。



また「諦め」に至る心理状態はこのようなパターンがあるのではないかと思います。

1.喪失感に囚われている場合
手に入れたい目標や結果を得ようと必死に努力を続けたが、空回りして無惨な結果に終わった場合。

2.無気力な状態にある場合
嫌なことやショックなことが続くなどしてネガティブな状態にあるときに、気力が出ないないので何事にも消極的になっている場合。
トラウマ体験のように根本的に自分を否定する要素に囚われていて、抜けきれず何事にも回避的な状態にあるとき。

3.現時点では不可能と判断している場合
今の自分に備わっている能力や周囲の状況から判断して、直ぐ手に入れる必要がない、もしくは時期尚早と判断した場合。
準備期間であると判断していたり、待機するときと判断した場合。保留状態。

4.執着する価値が見い出せない場合
自分の能力だけではどうしようもなく、囚われていてもこの先何も良い結果をもたらさないと判断した場合。


2の場合だと心の持ち様や立て直しに時間を費やすことは想像に難くないですし、病的な場合は専門家や家族の力を借りる必要があると思います。
しかしどの場合も諦めない心を育てるには、自分自身を客観視できる能力、現状を把握する能力が必要だと思います。

正直なところたまたま同じカテの別質問で初めて知った言葉なのですが、「メタ認知能力」という言葉があります。(^_^;)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BF%E8%AA%8D%E7%9F%A5

現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力を言う。 自分の認知行動を正しく知る上で必要な心理的能力。

――と説明があります。


またコラムを読んだだけですが、和田秀樹さんの著作『図解 勉強できる子のママがしていること―12才までの家庭教育マニュアル』を読んでみてはいかがでしょうか。
次の文章はこの本 からの引用になりますが、
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4569648312

人間の思考や推論は、自分の立場や感情に驚くほど左右されてしまいます。たとえば、気分が沈んでうつ的になると、悲観的な推論しかできなくなってしまうのです。あるいは、自分に都合良く物事を考えてしまうことは良くあります。
 
こうした弊害をなくすために、自分を客観的に見つめ、推論を寄り正しい問題解決に近づける能力が必要になります。これを「メタ認知能力」といいます。 

このメタ認知能力を高め、知識が豊富で、推論ができ、その推論が自分の立場や感情に左右されていないかどうかまで客観的にチェックできる人が、正しい問題解決法を見つけられる「頭のよい人」といえます。

ただし、「頭のよい人」の条件として、もう一つ重要なポイントがあります。それは、「わからないことは、自分よりよく知っている人に聞いてしまえる」ということです。
全てを自分一人で考える必要はないのです。


――ここでいう「頭のよい人」とは〈 問題解決能力のある人 〉のことを指しているのですが、ご質問にある「すぐには諦めない自分」「諦めにくくなる自分」になる方法とは、〈 問題解決能力のある人=メタ認知能力の高い人 〉になることに他ならないのだと思います。    

問題解決の方向性が誤っていれば、いくらチャレンジしても結果は付いてきません。
人は努力が実にならなければ、誰でも諦めの方向に進むものでしょう。
でも、能力不足なだけではなくて、方法が間違っている場合もあります。
能力が不足しているのか、情報が不足しているのか、計画に無理はなかったのか、独り相撲だったのか、そのような観点から総合的に物事を処理できる能力が高まれば、おのずと失敗は減り、成功体験が増えるのではないかと思います。
問題解決が出来たということが即ち成功体験です。

唯の偶然ではなく、自分の問題解決能力で成功体験の喜びをつかみ取ることが出来れば、諦めない心の強さを得ることが出来るのだと思います。

「諦め」そのものは決して悪いこととは言い切れないと思います。
取捨選択能力の高い人が、自分の行動や目的、存在意義に価値を見いだせるのだと思いますし、自分の進む道を良い方向に導いて行けるのだと思います。
目標に定めたものが自分の能力を超えるものであったり、手に入らないものだと見極めること自体は無価値だとは思いません。
唯まっしぐらに進むだけではなく、時折立ち止まって自分が歩いている道はこのままで良いのか軌道を修正したり、本来の目的と大きく外れていないか確認することも必要だと...続きを読む

Qいじめられた経験は人格形成にどのような影響を及ぼすか

いじめられた経験のある子どもは、一体どのような影響を受けて育っていくのかについて、非常に気になっています。
書店に行けば、いじめに関する本はたくさんあるですが、いじめられた経験のある子どもがどのような人格として育っていくかについて、スポットを当てた本というのはなかなか見つかりませんでして・・・
野島伸司の『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』では、いじめられっ子だった側が、いじめっ子に豹変するシーンがありました。
同列に論じるのは不適切かもしれませんが、ボクシングの辰吉丈一郎選手や内藤大助選手も、いじめられっ子だったそうです。

ですので、私の主観的な意見なのですが、いじめられた経験は、「攻撃的な人格を形成するように作用する」ような気がします。

もちろん、これは私の単なる主観的な考えですので、専門的な意見に触れたいと思っています。
いじめられた経験は、子どもの人格形成にどういう影響を与えるのか、もし詳しく論じられている著作等をみなさんご存知でしたら、教えていただきたい次第です。
よろしくお願いしますm(__)m

Aベストアンサー

影響は人それぞれで一概に言えません 人は虐めに限らず色々な体験しつつ成長していくのですから
特に子供の場合は体験無くして成長はありません 良くも悪くもなりますが皆同じ影響を持つ事は無いでしょう
大人になれば既に体験がありますから思考する事で本人に成長意識が無くとも成長出来るでしょう
更に体験等を重ねる事でより成長出来るでしょう
体験無くして 体のみ発育し 社会に出たら 人によっては適応出来ず 引き篭りになったりするのでしょう
昔から 社会の荒波 と言いました 荒波に耐えられないのが引き篭りになるのでしょう
何年か前のニュースで少女を9年間も閉じ込めた男がおりましたが ニュースで知る限りこのタイプのようです

本人の成長意識があるかないかで違いが起こると思いますので親の躾や教育が重大に思います

でも現在の親は全てとは言いませんが既に高度経済成長期に甘やかされて育った方が多い様に思います 
実際当時の新聞記事を今でも覚えておりますが 親が言うには 躾は学校でやって欲しいと言うのだそうです
つまり当時の親は既に自分の子供すら躾られない精神状態になっていたと考えられるのです
その方々の子供はどんなか想像出来るでしょう
例えばここの質問でも回答が沢山あっても返事一つ書かず締め切る&ほったらかし が最近目立ちます
最低必要な礼儀すら弁えていない方が多いのです

回答がずれているかも知れませんが ご参考に。

影響は人それぞれで一概に言えません 人は虐めに限らず色々な体験しつつ成長していくのですから
特に子供の場合は体験無くして成長はありません 良くも悪くもなりますが皆同じ影響を持つ事は無いでしょう
大人になれば既に体験がありますから思考する事で本人に成長意識が無くとも成長出来るでしょう
更に体験等を重ねる事でより成長出来るでしょう
体験無くして 体のみ発育し 社会に出たら 人によっては適応出来ず 引き篭りになったりするのでしょう
昔から 社会の荒波 と言いました 荒波に耐えら...続きを読む

Q愛情不足な環境で育った人間はどう成長するか。

こんにちは。
初めて質問させて頂きます。
唐突なのですが、愛情不足な環境で育った子供は大人になるとどんな傾向があるのでしょうか?

私は母子家庭で育ちました。
親には苦労こそかけましたが、特に愛情不足を感じたこともなく、
今も平和に平凡に暮らしています。

しかし以前、同じように母子家庭で育った友人(こちらの方がもっと複雑な家庭環境だと思われます)から、
「やっぱり、片親で育った人は変わってる。あなたも変わってるもん」と言われたことがあります。
あまり深く突っ込まなかったので真意はわかりませんが、
自分と同じものを感じる、という意味の発言だったようです。

私は貞操観念や倫理観があまりない所があり、
彼女がいる男性のことを好きになることが多いのです。

先日ネットサーフィンをしていて、
『恋人がいる人を好きになり、相手が振り向くと途端に好きじゃなくなってしまうような人間は、
子供の頃十分な愛情を貰って育っていない可哀想な人間』
という記述を目にしました。
相手が振り向くと好きではなくなる、ということはあまりないのですが、
彼女がいる人を好きになる、そういう傾向があるのは確かです。
また、自分に恋人がいても他に好きな人を作ってしまったり、二股していたこともあります。

以前また違う友人(同じく母子家庭)には、
「心理学を勉強している人に言われたんだけど、
母子家庭みたいに男性がいない家庭で育つと、男性との距離感がつかみにくくなるらしい。
父なのか兄弟なのか友人なのか、区別がつかないから、すぐ好きになってしまうんだって」と言われました。
私もその友人も、すぐ人を好きになりやすいので、この話には非常に納得しました。


私は自分の貞操観念や倫理観があまりないこと、また恋愛に一途になれないことが
自分のウィークポイントだと思っています。
どうにか改善していきたいのですが、この今の状況が家庭環境に関係しているのかどうか判断して頂きたいのです。(難しいとは思いますが・・)

ちなみに22歳女です。
よろしくお願いいたします。

こんにちは。
初めて質問させて頂きます。
唐突なのですが、愛情不足な環境で育った子供は大人になるとどんな傾向があるのでしょうか?

私は母子家庭で育ちました。
親には苦労こそかけましたが、特に愛情不足を感じたこともなく、
今も平和に平凡に暮らしています。

しかし以前、同じように母子家庭で育った友人(こちらの方がもっと複雑な家庭環境だと思われます)から、
「やっぱり、片親で育った人は変わってる。あなたも変わってるもん」と言われたことがあります。
あまり深く突っ込まなかった...続きを読む

Aベストアンサー

相変わらず長文です。覚悟して読んで下さい(笑)

> もしかしたら外的要因(この場合家庭環境)もあるのではないか?

なるほど、判りました。

(理想的な両親や母子家庭の場合で)両親がそろっている場合と、
片親だけの場合どのような、違いがあるのか?
考えてますと、以下のような違いがあると思います。

1)親が子どもを叱る(叱られる)場合や親と対立した場合の逃げ道

  ・両親がいれば、片親が怒っても、もう片親が慰めてくれるとかの
   怒りを緩衝してくれる働きや、子どもの避難場所に成ったりもします。
  ・一方、片親だけの場合、緩衝的な役割がなく、直接怒りを受けます、
   子どもにとっては、逃げ道がなく、対立したときには、
   完全に対立したままか、不本意でも親の意見を受け入れざるを得なくなり
   折衷案的な解決方法を経験しないままに大人になると思われます。
   もしかすると、一か八か的な性格が形成されるのかも知れません。

2)もらえる愛情のバリエーションの多さ(二人分)

  ・余り説明の必要はないと思いますが、二人分のタイプの違う愛情をもらい
   愛された経験ができます。
  ・片親だけの場合は、主にひとりの親だけの愛情・・・愛し方を受け入れること
   になります、その分、愛情の濃密度は濃いかも知れませんが、片親では
   経験できない愛情表現があるかも知れません、そしてそれが特に母子家庭の
   場合には、ふた親のそろった家庭との男性からの愛情経験の差・・・が
   男性との関係(距離の取り方)に影響(※)を与えている可能性があります。
   (※惚れっぽいとか、騙されやすいとか、質問にeco39さんが書いてあることです。)

まだまだあるかと思います。この辺が大きな差かなと思います。

3)そして、『倫理観』については、上の両親が居た場合と違って、
 母親の性格的な部分に左右されてしまうことが大きいのです。
 交流分析の理論では、倫理観は主に、父性的な性質をもち、両親が健在の場合
 子どもは、どちらかというと父親側から倫理観を受け取ることになりますが、
 母子家庭で、なおがつ母親がそういった父性的な厳しい部分が少ない場合、
 子どもの倫理観は育たないまま大人になって行くことになります。
 (このことを心配して厳しく躾けた場合や、母親が倫理観に厳しい場合また別ですが…)

兄弟関係だと、兄弟同士の相性問題や親の愛情の取り合いなども有り、
理想的な兄弟関係は、ちょっと考えられないです。
これは↑我が家の愛憎ごちゃ混ぜの兄弟関係が邪魔して考えつかないのかも(笑)スイマセン!

> これは具体的にどのようにすればいいと思われますか?
> 好きという感情をコントロールする術を身につける、

このような、1)2)3)性質が自分の中にあるのを感じたら、
そういう性質が悪い方向に向かわないように、
初期段階で少しづつコントロールすれば良いと思います。

その為に、先ず自分を正確に知ることかも知れません。
カウンセリング受けることや臨床的な心理学を学ぶ事も役立ちますし、
交流分析(※)などは、論理的で解りやすいのでお薦めですし、
意識して、友人や他人との比較することや世間を知ることが、
自分を知ることにつながると思います。自分はいつも他人や世間との
“あいだ”に立現れて来るものです、自分の好み・好きなものを
追求し探してみて下さい。案外好みと思っていたものが、幼い頃の
男性像の残骸なのかも知れません(笑)

 余談ながら、世間で言われる『自分探し』がもっとも自分を解らなくし
 混乱を招く一番下手(上手?)な方法だと私は思います。

最初の一歩はそれ自分の性格を自覚することから始まります、
人は、無意識・無自覚の好みや嗜好に引きずられて、
異性を求めていたりします。無意識に理想の父親像を男性にみていないか?
子どもの頃どんな父親が欲しかったのか?ちょっと思い出して書出してみてください。
その理想の男性(父親)のイメージを、異性に投影していないか?
経験したことのない異性の行動を愛情と勘違いしていないか?
いままでに、好きになった、つきあった男性達を通して共通項を探すのも方法です。
その人達は、無意識に引きずられて好きになったものではないのか?
検証してみる必要があるだろうと思います。

勿論、無意識が幸せに向かっているなら、問題ないでしょうが、しかし、
多くの場合、幼い無意識に支配された嗜好は、不幸な結果を招く事になります、
なんであのような酷い男性を好きになったのかと後悔する場合がとても多いのです。
その為、燃え上がった恋心が長続きしないのです。

 私にも遠い昔(オイオイ!)に経験がありますが、本格的に好きになる前の段階なら
 理性的に、感情を抑え変えることも可能です。最初の段階で徹底的に調べて
 行くか止めるか決めると良いですよ。大火事に成る前に消し止めるのが、
 感情のコントロールの方法です。感情は思考の結果生まれるものです。
 考え方・受け取り方を変えれば、感じ方が変わります。

例えば、倫理観の薄い性格の場合、相手側にも倫理観の薄い人を選ぶ傾向があります、
その結果、不倫や犯罪の被害者や加害者になることさえあります。
「君子危うきに近寄らず」「無事これ名馬」世間で言い継がれて来た言葉は、
やはり、真実を含んでいると思います。

まして、貴方は女性です。倫理観の薄い男は、薄い倫理観を正当化する為に、
自分勝手な倫理観や屁理屈を持っていることが多ようです。
そういった男達とつきあうのは、危険なことでもあります。

そして、科学的な実証はされていませんが、経験上、
江原氏や三輪氏の言う正負の法則は、やはり在るものと思います。
不倫とかの世間に顔向けの出来ない方法で結ばれても、大病したり
別れたり、殺し合ったりと、そういった心理傾向をもつ人達のグループでは
不幸な結果になるプログラムに支配され従って、無意識に動いて居るのですから…

> 男性と接する機会を減らす、等でしょうか。

これは、むしろ逆だと思います、と言っても特定の男性ではなく男性の友人を
沢山作ってみてグループや大人数で沢山の男性と楽しく付き合ってみて下さい。
男性の友人を沢山作ると男性的な思考ややり方、行動、見方を学べますし
相談も出来ます、ひとりの男性に夢中になり他人が見えなくなるのが
最悪のパターンだと思います。まだお若いのですから、誠実で人間として
良い男をとは?どんな行動をするのか?考えて観察して、
ひとりでは心許ないなら色んな友人の意見を取り入れて、
男性を選ぶ眼を養ってみたら如何でしょう。

故事曰く「己を知り、敵を知れば、百戦危うからず」と言うことです。

お節介ながら、お礼の疑問にお答えしますと、

> これは、幼少期のときにということでしょうか?
そうだと思います。

> 父の愛、兄弟の愛が足りなかったから、母との信頼関係が崩れたということですか?
そういうことはありません、元々に父や兄弟は存在しないのですから、
父・兄弟の愛に関わらず、母との関係は親子の二人の間の関係です。
そこに元からなかった愛の不在を感じることは、普通にはあり得ません。

(子どもに限らず)人間は愛が欲しい生き物です、
特に親の愛情は子どもの「心の栄養」と言われています、
欲しいときに親からの心の栄養が十分でないなら、幼い子どもは
「親が悪い(他罰的傾向)」や「自分が悪い=愛される資格がない(自罰的傾向)」の
傾向がつよくなります、心の栄養失調が余りに過ぎると、成長してから
「他人を信じられない」とか「自分を信じられない」とかの要素が強くなり、
 (中には、両方の要素を強く持つ人も多くいます。)
ここに倫理観の希薄さや誤った価値観が重なると、
前者では、最悪の場合「殺人者」後者では「自殺」という結果を引き起こします。
「他人を責めるまたは、自分を責める」このことが人間不信の正体と思います。
このふたつの考え方では、問題は解決しません、子どもの頃なら考えも幼いので
この考えに逃げ込むしか生きる方法が無かったのですが、問題なのは、
大人になってもこの幼い解決方法を自動的に使い続けた結果、
孤独に成って行く可哀相な人達がいるということです。
これは、eco39さんの事ではありませんのでどうぞ心配なさらずに(笑)

> 裏切られない何か、を人間に対して求めることは可能なんでしょうか?

No.1 の回答者さまの論は、何を意図してなのかは、私には判断できませんが、
「裏切り」と感じる為には、そこに何らかの約束や期待があっただろうと思います。
その「約束」は確約なのでしょうか?伝えてあるのでしょうか?
双方の了解事項なのでしょうか?
「人は皆、自分が基準です」しかし。いつも「他人には他人の基準」があることを
無視したり忘れてしまっています。「裏切り」と解釈する一歩前にもどって
どのような「約束」を取り交わしたか、考えて見ては如何でしょうか?
そして、信じる強さは、『相手に期待しない・依存しないで信じること』です。
これは、親の愛、母の愛によく似ていると思います。


※交流分析にエゴグラムという心理テストがあります、
 これがすべてではありませんが、自分を知る為の一助となると思います。
 検索しても色々なエゴグラムテストが出てきますが、参考URLを貼っておきます。

参考URL:http://www.sinritest.com/ego-test.html

相変わらず長文です。覚悟して読んで下さい(笑)

> もしかしたら外的要因(この場合家庭環境)もあるのではないか?

なるほど、判りました。

(理想的な両親や母子家庭の場合で)両親がそろっている場合と、
片親だけの場合どのような、違いがあるのか?
考えてますと、以下のような違いがあると思います。

1)親が子どもを叱る(叱られる)場合や親と対立した場合の逃げ道

  ・両親がいれば、片親が怒っても、もう片親が慰めてくれるとかの
   怒りを緩衝してくれる働きや、子どもの避難場所...続きを読む

Qスピリチュアルな観点で・・・全ての縁が切れる時期

52歳女性です。
あまりにも普通じゃないほど、人、お金、仕事、趣味・・・全ての縁がここ3~4ヶ月でばたばたと切れています。

こんな感じです。聞いてください。
付き合い始めた彼とはたった2ヶ月でいきなり振られました。
長年の友人とは耐え難い事があり、事実上絶交状態に。(それに伴い、その周りの人たちとも疎遠に)
一人でネット販売の仕事をしていますが、売り上げが急降下し、どうしようもなくなりました。
頼りにしてた常連さんたちも注文してくれなくなりました。
元々、十分な収入では無かったのですが、ついに貯金も底をつき、来月の支払いのめどが立ちません。どうやって食べていけば良いのか途方に暮れています。
生活苦のため夜のバイト(水商売)をしていますが、やはり頼りにしてたお客さんが不思議なほど一気に切れて行ってしまいました。
唯一の楽しみでバンドをやっていましたが、他のメンバーが忙しすぎて突然活動休止と言う事に。
短い期間で、こんな風に全ての縁がどんどん切れて、何もかもダメになってしまいました。
絶望的です。

ただ、入れ替わるように新しい縁もあるにはあります。
ちょっと気になる男性に出会ったり、2人ほどデートに誘ってくれたり(水商売のお客さんは抜きで)
だからと言って、それがどう・・・って事も無いんですが。何か意味はあるのかしら。

ネット販売の仕事はもうあてにできないので副業にするとして、就職活動を始めました。
とは言え、この年齢では難しいでしょう。

偶然と言うにはあまりにも一気に、お金も仕事も人の縁も切れてしまうのは、何かスピリチュアル的な事なんじゃないかと思ったもので・・・詳しい方にお聞きしたいと思います。

これから、何を気をつけてどのように生きていくべきなんでしょうか・・・。
アドバイスください!お願いします。

52歳女性です。
あまりにも普通じゃないほど、人、お金、仕事、趣味・・・全ての縁がここ3~4ヶ月でばたばたと切れています。

こんな感じです。聞いてください。
付き合い始めた彼とはたった2ヶ月でいきなり振られました。
長年の友人とは耐え難い事があり、事実上絶交状態に。(それに伴い、その周りの人たちとも疎遠に)
一人でネット販売の仕事をしていますが、売り上げが急降下し、どうしようもなくなりました。
頼りにしてた常連さんたちも注文してくれなくなりました。
元々、十分な収入では無かったのです...続きを読む

Aベストアンサー

スピリチュアル的には、人として成長したので、今の自分とはあわないものや人と縁が切れた。
と言われますね。
私もちょうどその時期だったので、調べたところそういう感じでした。

今になって思うと、確かにその通りなんですよ。
縁が切れた人とは話が合わなくなっていました。

例えば私は昔よりずっとポジティブになりました。
縁が切れた人は、昔から変わらず、いやそれ以上にネガティブになっていました。それにともなって、冷静な判断が下せなくなっていて
焦りからあれこれ自分の都合にあいそうなものに手をだしていまして
スピリチュアル的に言わなくても、異常にしか思えませんでした。

しかしその人にとってはそれが一番正しい行動なんですね。
目的のものを手に入れるために一番確実な方法だと思っているんです。

私だったら、今を楽しんでいる方が幸せだしよい出会いもあるだろうと思うのですが(過去の偉人たちの名言にもそう言うものが多いですしね)
そうした方がいいんじゃないかと、ちょっと落ち着いて心を整理した方がいいんじゃないかと、
思って言ったら喧嘩するようになりました。

その人はその人なりにがんばっているんです
それがどんなに理にかなっていなくても愚かに見えても
その人はそれが正しいと信じている。
けれど私はそれを正しいとは思わない。昔なら判断つかなかったけれど今は何が原因でそうなってどうなるのか分かるから止めたい、けどそれを相手は望んでいない。

それが、合わなくなった、縁が切れた時なのだと思います。

あなたは縁が切れるものが多い今、どういう経験が多いでしょうか。
意見の相違という経験なら、それは生きる世界が変わっていく狭間なのだと思います。

質問を読むに、仕事に関する変化が如実なように思います。

となると、私が自分の経験から思うのは
本当はやりたい夢があるんじゃないか
本当はこう生きたい、という思いがあるんじゃないかということです。

私は仕事をやめたい、この会社のやり方にはついていけない。と思っていたとき
自分からやめる前に、首をきられました。

それからしばらくショックで食事もままならず
無職にならざるをえませんでしたが、その苦しい時間が
人として成長する大きな気付きの多い日々となりました。

仕事をしていなくても生きていられる幸せ
支えてくれる人への心からの感謝
生きているということは奇跡のように誰かのお陰なのだという感覚
無理をしなくても生きていけるのだという、この世への信頼
健康のありがたみ
理解者のありがたみ
理解されない悲しさと、それでも頑張れない壊れた心身
本当にやりたいことをやろう、という覚悟
自分を大事にできるようになろうという決意

あなたに今それがあるでしょうか
ないとすれば、あなたは今、この世の奇跡のような素晴らしさを感じる、その機会にあるのかもしれません。

経験者として私に言えるのは
プライドを捨てなさい。ということです。

スピリチュアルの質問をしていらっしゃるからには
その手の知識もあるのではないでしょうか。だとすれば

おそらくですが、今まであなたが身に付けたいなと思ってきたスピリチュアルな愛とか感謝の気持ち
知識としては分かるけれど、感覚では分からない
そういう感覚に目覚めるときがきて
その感覚を持たないモノとの縁は邪魔にしかならないので、バッサリ切れていっているんじゃないかと思います。

あなたが今まで素敵だなと思ってきたものを手にいれるための別れなのでしょう。

自分を信じて
世界の優しさを信じてください。

今失っていくものは、本当に欲しいですか?
必要ではなく、欲しいと思いますか?

本当の気持ち、本当に望むもの、こうありたいと思う自分
それを圧し殺す時期は終わりを告げました。

心の底にあるかぎりない平和の感覚を
感じられるようになるといいですね。

そういえばその時期、私はエンジェルナンバーという本当にとても助けられました。
二冊ありますが両方買っちゃった。最初は白っぽい表紙の方を。
お持ちでないなら購入をおすすめします。安いですし。すごくすごく天使たちの優しさを感じられると思います。
ドリーン・バーチュー博士の本です。

スピリチュアル的には、人として成長したので、今の自分とはあわないものや人と縁が切れた。
と言われますね。
私もちょうどその時期だったので、調べたところそういう感じでした。

今になって思うと、確かにその通りなんですよ。
縁が切れた人とは話が合わなくなっていました。

例えば私は昔よりずっとポジティブになりました。
縁が切れた人は、昔から変わらず、いやそれ以上にネガティブになっていました。それにともなって、冷静な判断が下せなくなっていて
焦りからあれこれ自分の都合にあいそうなものに手...続きを読む

Q女性本能 「この人の子供が欲しい」

好きな男性が居れば
自然と「この人の子供が欲しい」と思うのが女性本能ですか?
そう思わないのは女性本能がないってことになりますか?

生活とかは置いといて、素直に思えるか思えないかです。

Aベストアンサー

どうなんでしょう。

本能と言うよりエゴだと感じますが。

この人の子供が欲しいというより、
愛しているこの人が欲しがっている子供を産んであげたいな、とは思います。
相手が幸せになるのなら出産のリスクを冒しても子供を産む。

相手の幸せを考えずに子供を欲しがるのは、
女性の本能でしょうか。
宿した子供を守ろうと思うのは女性の本能だとは思います。

与えるより求めてしまうのは、
満たされていないからでは?

何となくそう思いました。

Q若いのに落ち着いてる、とはどんな人?

20代前半の女です。
最近結婚が決まり、ブライダルフェアに参加しております。
そこで複数のプランナーさんに「お若いのに落ち着いてらっしゃいますね」と言われ複雑な気分になっています。
大学生の頃は年より若く見られることが多かったのですが、社会人になってから急速に老け込んでしまったのかと不安です。

婚約者には「もしかしてノリが悪いって遠回しに言われてる?」と言われ、2人でプランナーさんに悪いことしたかなとも不安になりました。
文面通り捉えるなら「落ち着いてる」というのは悪いことではないと思うのですが、繰り返し言われる内になんだかネガティブに考えるようになってしまいました。

皆さんが思う「若いのに落ち着いてる人」とはどんな方でしょうか?
どんなイメージをお持ちの方が多いのか知りたいので教えて下さい。

Aベストアンサー

私が思う、若いのに落ち着いてるなあという人は、
考えがしっかりしていたり、芯の通っている人、また(いい意味で)感情的にならない人、気配りのできる人です。
私はネガティブなニュアンスで使ったことはないです。あくまで私の考えですが…。


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