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「昔、中国では皇帝(もしくは権力者)が亡くなると、
 その権力者と少しでも血縁のあった者は全て殺害され、
 殺された人々は権力者と血縁があったことすら
 殺害される段になって初めて知ったぐらい薄い血縁者が多く。
 その数は、2~3万人にも及んだ            」

と、いう話を子供の頃に社会の先生から聞いた気がするのですが
本当にあった話なのでしょうか?
「ありそうな話」とは思うのですが、
いつの時代の話なのか、一度限りか慣習なのか調べても分かりませんでした。
子供の頃の記憶なので、
・反乱の芽を摘むために次代の権力者が前権力者の関係者を殺害したのか、
・前権力者の墓に一緒に埋める[ささげもの]として殺害されたのか
どっちだったかも忘れました。。

A 回答 (5件)

先の王朝の場合には、次の王朝の寛大さを示すために逆に保護する場合もあります。



大臣クラスの権力者の場合にはまた異なります。例えば、秦の始皇帝に仕えていた李斯の場合には、次の皇帝に代替わりしたときに一族すべてが殺されていますが、これは次に権力を握った超高が李斯を追い払うのに「皇帝に対して罪を行った」という形を取ったからです(もちろん無罪なのに罪を「でっち上げ」ているわけですが)。

大臣クラスの権力者の場合には、このように「皇帝に対する反逆者」と言う形で権力の剥奪が行われるため、反逆罪ということで「三族(一族及び妻の家族、母親の家族)」が殺されることが多いです。お母さんのいとこなんて知らないでしょう・・・。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

>お母さんのいとこ
恩恵をうけていないのに殺されたりしたら悲惨ですよね。。

お礼日時:2006/10/29 11:53

いずれの国でも権力者が代わる時に権力争いはおこりました。



秦の始皇帝が死んだ時遺言では皇太子に後を譲るとあったのを、宦官が図って次男を擁立し皇太子には自殺するように偽りの勅命を送り自殺させています。

中国では王朝が変わった時、先王朝の一族を根絶やしした事が誇大に記述されているとおもいます。 「白髪三千丈」の国ですから。
殉死の習慣はありましたが権力者の周辺から殉死する事はなかったでしょう。 殉死の対象者は妃や家臣から選ばれた筈です。

兄弟皆殺しはオスマントルコでは習慣的におこなわれました。
国王に相当するカリフの代替わりには新しくカリフに就任した人の兄弟は後継争いを防ぐ為、その血脈に繋がる者は皆殺しか終身幽閉されました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

お礼日時:2006/10/29 11:52

全ての王朝の全ての皇帝がというわけではありませんね


だいいち「血縁を全て絶やす」というのはまずないでしょう。血縁者を全て絶やすとなったら一族による支配体系が崩れるし。血筋の危機さえないとは言えない。
とはいえ、皇帝の代替わりや王朝の代替わりに大きな虐殺・粛清はいくつかあります。
権力争いの一環として有名なのは前漢の呂后や、明の建文帝などは有名です。
 明では初代の洪武帝が皇太子の勢力基盤を守ろうとするあまり、やたらと粛清をしまくり、功臣の将軍や大臣まで粛清しています(胡惟庸の獄。トータルで3万人近くの被害者が出ています)。
 皇太子の早逝によりあとを継いだのは皇太子の息子(建文帝)ですが、粛清の空気を引き継いで身内までやたら殺そうとしてしまったために叔父の燕王朱棣(後の永楽帝)に逆にやられてしまっています。
何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」で……
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この回答へのお礼

回答いただき誠にありがとうございます。

たくさん教えていただいたので、まずは胡惟庸の獄あたりを
ネットで見て回ってきました。
「ありそうな話」と思いつつ空想歴史の可能性も考えていたので
史実に存在することを知り、おどろきです。

「一人を殺せば殺人で、百万人を殺せば英雄だ」
なぜだかチャップリンのこのセリフが浮かんできました(__;)

お礼日時:2006/10/25 23:41

オスマントルコやムガール帝国で兄弟同士の殺戮が多発しました。



その先生もかなりいいかげんなのか、記憶が不確かなのか…
関係者殺害に関しては、嫡統が替わってしまったとき、宋、元、明などで行われています。清では、現皇帝が実権を握る段階で、前皇帝の側近を排除するという過程で行われているようです。
ささげもの説に関しては、秦以前の古代になるので、ちょっと不案内です。

この回答への補足

回答ありがとうございます!

>宋、元、明、清、秦以前の古代
それら全てで何万人規模の殺戮がおこなわれていたと言うことでしょうか?
子供心に2~3万人という数字に驚いた記憶があるので
そこが特に知りたいです。

補足日時:2006/10/25 19:01
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それは「オスマン=トルコ帝国」の話です。


中国ではありませんよ。

この回答への補足

Wikipediaで該当項目を読んでみたのですが
質問のような記述は見つかりませんでした。
できれば詳しくお願いします。

補足日時:2006/10/25 14:36
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