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他人を見下すという事について質問です。電車の中で、茶髪で髪はぼさぼさ、だらしのない服装で、だらしのない振る舞いをしていてかなりチャラチャラした印象の他人に出会うとします。車内でその人と一緒の座席で数十分間過ごす中で、俺はその人をきっと見下した態度で見つめると思います。
そこで見下す俺は、性格の悪い人間という事になるのでしょうか?
人格者ならば、そう簡単に他人を見下したりしないのでしょうか?
おかしな質問ですが、回答よろしくお願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

その人を見下しているのはあなたであって、その人があなたに見下されることを「して」いるのではありません。


そして、あなたも見下すことを意志をもってしているのではなくて、その人に反応しているだけでしょう。

あなたの外界はあなたを映し出す鏡です。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2007/01/01 21:43

>電車の中で、茶髪で髪はぼさぼさ、だらしのない服装で、だらしのない振る舞いをしていてかなりチャラチャラした印象の他人


よりも
電車の中で化粧したり、大声でしゃべったり、若いくせに席を譲らない
人の方が私は見下すというか軽蔑(大げさかな)します。
ファッションやスタイルはその人の自由だし主張だから私がどうこう言うことは出来ないけど
電車に乗る上でのマナーを守らない方がよっぽど悪いと思います。
質問者さんが見下すならそういう人見下した方がいいですよ。
そしてそういう見下すような人にならないようにすればいいのではないでしょうか。
たった数十分過ごすだけでは他人の事なんて何も分かりません。
性格悪いとかそういうことではなくもっと広い視野を持つべきです。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2007/01/01 21:43

人を軽蔑する、迷惑に思う、と言う事ではなく、あくまで「人を見下す」という観点でお答えします。



>そこで見下す俺は、性格の悪い人間という事になるのでしょうか?
・いいえ、それぞれの価値観の問題です。
人には「茶髪で髪はぼさぼさ、だらしのない服装で、だらしのない振る舞いをしていてかなりチャラチャラする事」に価値を見出してる人もいます。身なりがきちんとした、とある大学教授などは、痴漢の常習犯の疑いだったりもします。
質問者様と価値観が合わなかっただけの事で、要は次の質問ですね。

>人格者ならば、そう簡単に他人を見下したりしないのでしょうか?
・人格者がどのような人のことを指すのか分りませんが、悲しい事に誰にでも人を見下す事はあると思います。
意識的ではないにしても、それはあると思います。動物の世界では顕著です。
人種によるもの、男性が女性を、身分によるもの、おぞましい事ですが人間はつい最近までは社会として公然とそれを行ってきてます。
唯一、これに体を張って反対した活動家の方たちを「人格者」とでもいうのかもしれません。

以上、私的見解です。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2007/01/01 21:44

群れで行動する動物は上下関係を見極める必要があります。

自分より上か下かを考えるというのは、多分本能的なものではないでしょうか。もともと人間も群れで暮らすさるなわけで、誰にでもある心理だと思います。
ただ、人間は宗教だとか倫理観だとか哲学だとか普通の動物にない思考回路をするので、平等ということを大切にしていて、そういう感情を打ち消そうとします。
人格者じゃないのでわからないのですが、人格者とはそういう風に人を判断しないように努力する人、もしくは人間にはいいところも悪いところもあるということを知っている人なのではないでしょうか。

見下したから即、性格が悪いということではなく、外観だけで判断して、行動しないように努力すればいいのだと思います。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2007/01/01 21:44

いわゆる「光背効果」とか「後光効果」だと思います。

人間の一般的な心理です。スーツ等、服装がしっかりした人は人間的にも尊敬できそうである、と思ってしまうものです。ですから見下してしまうのも仕方ないと思いますし性格が悪いなんて事はありません。人格者が見下さないかどうかは不明ですが、見下していないように振舞うような気がします。
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お礼日時:2007/01/01 21:44

>そこで見下す俺は、性格の悪い人間という事になるのでしょうか?


:そういう疑問を持った時点で、少なくとも「性格が悪い」ということにはなりません。
ただ、なぜ「>キッと見下した態度で見つめる」のか、ということを考えてみるのも面白いと思います。
自分の感覚とはあまりに異なるだらしない服装の上にだらしない振る舞いをしているから、ということになるでしょうか。
そうすると、intellectさんが見下すのは「相手がだらしないから」ということになりそうです。(違っていたら指摘してください)

まず、茶髪はともかく、髪はボサボサということでだらしなさを感じるのは自然な心理でしょうから止むを得ないでしょう。
しかし、それが侮蔑につながるとすれば短絡的と言わざるを得ません。
なぜかと言うと、そういっただらしなさを露呈させている本人の心理に想いが至っていないからです
だらしなくするにはそれなりの理由があるはずだという当然の事実に気付く必要があります。
理由はわかりませんが、ともかく自分の中で処理しきれないほどの何らかの重圧を抱えていて身だしなみを整える余裕も無いほど、それに押しつぶされているということでしょう。
たしかに誰しも重荷を抱えて生きてるわけですから、その人だけがそれに対する余裕が持てないというのは「甘え」と捉えることも可能でしょう。
しかし、それを指摘した(キッと見ることによって)として何の効果があるでしょうか。
結局相手の反発を招くだけで、お互い何も利することはないでしょう。
本人と、本人との間に深い信頼関係のある人間の関わりによって乗り越えられるべき事柄です。
侮蔑によって何の利することも無いどころか逆効果しか招かないことが明白なわけですから、他者はあえて何もせず、あくまで対等の人間として振舞うしかありません。
そして何らかの前向きの影響を及ぼすことが可能だとすれば、そういった態度、姿勢によってでしょう。
対等という認識を持ってくれる人に対しては、自分も対等でありたいと人は願うものだからです。

ただ、「だらしない振る舞い」というのは程度の問題ですが、明らかに他人に迷惑がかかるような場合は別で、毅然とした態度もまた必要でしょう。
しかし、これもどこまでが迷惑なのかという問題があり、なかなか難しいと思われます。
基本的には「だらしのなさ」は否定されるべきですが、好きでだらしなくなる人はいないわけで、そうならざるを得ない人の心理を想像することによって何か新しい視点が見つかることもあるでしょう。
人間は一蓮托生ですから、そういった視点がintellectさんのものの見方全般の幅を大きく広げるきっかけになることは間違いないと私は思います。
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この回答へのお礼

参考になりました。回答ありがとうございました(^^)

お礼日時:2007/01/01 21:44

見下しといて良いのではないでしょうか?


見下すという表現が適切化どうかはわかりませんが、その人の外見から
その人の性格、人格や人間関係、生活様式を想像したり、
判断してしまう事はいくら意識的に排除しようとしても、脳が勝手にだしてしまう事でしょう。


ただそれと、その他人が本当はどのような人であるかどうかは別の問題です。


第一印象で人を判断するのは人間の防衛本能でもあるだろうし、
脳が情報処理の効率化をしているのかも知れませんね。
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この回答へのお礼

参考になりました。回答ありがとうございました(^^)

お礼日時:2007/01/01 21:45

ANo.1の


「外界は貴方を映す鏡」
という御意見にドキッとしました。
多分そうなのでしょうね。
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お礼日時:2007/01/01 21:45

鏡に映った自分ということでいえば、映った自分のその在りようを、これでいいのかい、と問いただしていて、しかし、その問いの、「人格者」しか答えを出せないのがなんともはや。


人格者というものが、世間で、哲学者なり、文学者なりのこととされているのなら、問いは、かれらに向ければいいのだし、また、かれらしか答えは出せない。
人格者を上等の人間のつもりで使っているなら、こんどはまた「上等」についての議論を始めなければならないし。
そもそも人格者の判別を、チャラチャラしたカッコにかかわる程度のことでなそうとすることが、土台ムチャだと思う。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2007/01/01 21:45

嫌な気持ちがするのは、心に何らかの抑圧がありそれを連想させるからであると言われていますので、本当の人格者は不快な感情自体を抱かないようです。

人が不快に感じることでも同情や慈悲の感情、又は凡人が気付かぬ良い所を感じたり発見したりするようです。でも、見下す=悪い人ということではなくて、むしろ多くの無意識の習慣のせいだと思います。ほとんどの人がそうでしょうから。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2007/01/01 21:46

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