1918年から24年にかけての日本軍のシベリア出兵についての質問です。
日本はシベリアという広大な大地に7年もの間(第二次大戦より長いです)大軍を送り込み、東シベリアの広大な地域を占領していますが、なぜ
1 その戦いを記した資料が少ないのでしょうか。あったとしても世間に知られていないのでしょうか。
2 意味のない出兵だったとされているとはいえ、大規模かつ長期に渡るものだったと思います。それなのになぜ世界史における扱いが極端に小さいのでしょうか。
3 日露戦争や第二次世界大戦の戦史マニアは多いですが、戦史マニアにとってシベリア出兵は魅力がないのでしょうか。
4 日本軍は占領に際し、どういう兵器を使用したのでしょうか。また占領政策はどのようなものだったのでしょうか。
5 ロシアとの戦争において気をつけるべきことは冬対策だと思いますが、ナポレオンやヒトラーと違って日本軍は冬将軍にどう耐えていたのでしょうか。
わかるところだけで結構です。個人的には第二次日露戦争、もしくは第一次日ソ戦に位置付けられるべき大事件だと思うのですが。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (4件)

1 その戦いを記した資料が少ないのでしょうか。

あったとしても世間に知られていないのでしょうか。

シベリア干渉戦争に関しては確かに世界的な戦争は紛争から比べれば少ないといえますが、けっして資料がないというわけではありません。例えば「歴史学研究」(1951年)5,9月号に掲載された井上清の「日本のソヴエート革命干渉戦争」や細谷千博による「シベリア出兵の史的研究」(1955年)、同「ロシア革命と日本」(1972年)、和田春樹「シベリア戦争史的研究の諸問題」(1973年)、同「シベリア出兵をシベリア戦争と呼ぶことについて」(1975年)、原睴之「日本の極東ロシア軍事干渉の諸問題」(歴史学研究1980年3月号)などなど、かなりの研究書や論文が発表されています。

2 意味のない出兵だったとされているとはいえ、大規模かつ長期に渡るものだったと思います。それなのになぜ世界史における扱いが極端に小さいのでしょうか。

簡単に言えば日本での資料が少ないのは、あなたが仰るように日本国内の国民や政治家、それに現地の兵士にとってもあまりに不人気な戦争だったからですし、国際的に見てもこの戦争が世界に与えたインパクトという観点から見ればそれほど大きな意味を持っていなかったからといえます。
このまま世界が平和な時期を過ごしていればそうでもなかっただろうし、多くの学者や研究家がこの戦争をテーマにたくさんの書物を残していただろうと思いますが、その後の日中戦争や第二次世界大戦が立て続けに起こったことを考えれば、現在のような扱いは仕方のないところだと思います。

3 日露戦争や第二次世界大戦の戦史マニアは多いですが、戦史マニアにとってシベリア出兵は魅力がないのでしょうか。

日本陸軍が始めて味わった大規模なパルチザン戦、つまり対ゲリラ戦という意味からは興味は惹かれますが、戦闘に関してはひたすらゲリラに振り回されただけの戦争という見方が大勢を占めています。正直個人的にもこの戦争に関してはあまり興味は涌きません。多くの学者や研究家にしてみても大同小異ではないかと思いますね。

4 日本軍は占領に際し、どういう兵器を使用したのでしょうか。また占領政策はどのようなものだったのでしょうか。

当時使用した武器で目新しいものといえば、航空機や列車砲が挙げられますが、そのほかはどの師団も標準的な武器を使用していました。つまり重砲のような大型武器はゲリラ戦には不向きな事もあって、比較的軽量の山砲や機関銃、小銃などの小火器が戦闘の中心であったということです。
また占領政策ということですが、日本の眼目は傀儡政権の樹立であったことは間違いなかったのですが、結局民衆はパルチザンを支持したことによって、日本はその焦りと兵士たちの厭戦気分からくる士気の低下から、民衆の虐殺、掠奪、暴行、徴発を繰り返し、ますます民衆は反日に傾いたため、結局シベリアの占領政策は破綻しています。

5 ロシアとの戦争において気をつけるべきことは冬対策だと思いますが、ナポレオンやヒトラーと違って日本軍は冬将軍にどう耐えていたのでしょうか。

日本軍もシベリアの寒さを事前に研究しており、それなりに防寒対策はしていたことは事実です。兵舎には大型のストーブを設置し、工兵隊は耐寒用家屋の試作などを精力的に行いました。とはいえ兵士たちに与えられた防寒具は厚手の生地にフードをつけた外套、手袋、ブーツ程度のもので、あくまでも付け焼刃的なものでけっして十分なものではなかったことは、兵士たちが故郷に送った手紙の中で特に寒さに対する不平不満が多かったことが物語っていると思います。また寒さや衛生不良で倒れた将兵は全体の2割以上にも上っています。

以上かなり大雑把な説明ですが、ご参考になれば幸いです。
    • good
    • 0

シベリア出兵そのものに関しては No1さんのとおり、WIKIPEDIAで見てください。



2,3に関して
両者とも、その後影響が大きかったか小さかったかで扱いが変わります。
たとえばインカ帝国の南アメリカ統一戦争などは、(たぶん)大規模で長期のものでしたでしょうが、インカ帝国の存在がその後の世界史における位置づけとして意味がないので、誰も注目しません。
3に関して詳細を書けば
日露戦争は、西欧諸国に対するアジア国家の勝利として、他の西欧諸国から圧力を受けていた諸国のいろいろな運動の契機となった。トルコとかインドですね。
日露戦争は、それまでの運動戦・遭遇戦から塹壕戦になった初めてのもので、後から考えると、欧米の観戦武官がもっとこの戦争における戦闘のあり方を検討しておけば、第一次世界大戦は違ったものになったろうと言われています。その意味で、日露戦争は戦史マニアにとって魅力があります。
    • good
    • 0

>気をつけるべきことは冬対策



日本陸軍の冬季訓練中の悲劇「八甲田雪中行軍遭難事件」は有名ですね。
http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%C8%AC%B9% …
    • good
    • 0

ウィキペディアに詳しく書いてありますね。


これは戦争と言うより政治の争いが強い感じがするから、マニア受けしないのかな?w

参考URL:http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%A5%B7%A5% …
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q原敬の内閣が日本初の本格的な政党内閣と言われるのはなぜ?

米騒動を経て内閣を組閣した原敬ですが、その内閣は本格的な政党内閣と言われています。これはなぜですか?原敬は党首から首相に選ばれたわけですが、この内閣以前はどうやって首相を選んでいたのでしょうか?天皇が勝手に首相を選んで良かったのでしょうか?大日本帝国憲法下における組閣の仕組みが良くわかりません。選挙によって選ばれた与党の党首が首相になるということはなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

ごきげんよう。



【回 答】
大日本帝国憲法(明治憲法)下では、現在の日本国憲法で定められているように内閣総理大臣が選ばれていたわけではありません。明治憲法が出来た最初の頃は、明治政府を作った「元勲」と呼ばれる人々が交代で内閣総理大臣に就任していました。その後「元勲」のうちの何名かが「元老」として、「次の内閣総理大臣はこの人に」と天皇に推薦し、天皇が任命するのが慣例でした。別に、議会で与党の党首が選ばれていたわけではありません。

さて、そうやって選ばれる内閣総理大臣ですが、予算案や法律案を通して政治を円滑に進めるため、衆議院の多数を占める政党と仲良くする人が出てきます。そういう意味で「政党内閣」の原形は原敬以前に成立していました。

原敬内閣が『初の本格的政党内閣』と呼ばれるのは、原敬が「爵位をもたない」「選挙によって選ばれる衆議院に議席をもつ」「政党『政友会』の党首」であり、原内閣が「陸軍大臣・海軍大臣・外務大臣以外の閣僚はすべて政友会員が就任した」内閣であったことが、「選挙によって選ばれた多数党の党首が内閣総理大臣に選ばれ、閣僚の多数が政党の党員(政党所属の議員)である」という『政党内閣』の定義にほぼ近かったことによるものです。

(上記の「政党内閣」の定義は完全に正確ではない可能性がありますが、だいたいこのような内容だったかと思います)


以下、詳細な説明です。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

■ 大日本帝国憲法(明治憲法)下での首相の選定方法

大日本帝国憲法(明治憲法)には、内閣総理大臣の決定方法は記載されていません。

大日本帝国憲法第10条に、「(統治権を有する)天皇が行政を行なう官僚を任免する」ということが書かれています。かといって、天皇が内閣総理大臣を勝手に選んでいたわけでもありません。「宮中・府中の別」という慣例がありまして、天皇は政治の世界には関与せず、行政機関である内閣の決めた方針にもとづいて「YES」と言うだけでした。内閣総理大臣を決める時にも、天皇は、誰かが選んだ内閣総理大臣をそのまま任命するのです。

大日本帝国憲法(明治憲法)
http://www.edogawa-u.ac.jp/~kiuchih/home/statutes/teikokukenpou.html


では、内閣総理大臣の決定方法ですが、

歴代内閣総理大臣一覧
http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/ichiran.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%96%A3%E7%B7%8F%E7%90%86%E5%A4%A7%E8%87%A3%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
http://www.promised-factory.com/100years_after/pm/pm-list.html


上の一覧をご覧になればわかりますように、最初は明治維新の功労者であった人々が協議の上、内閣総理大臣や各国務大臣を務めていました。「明治政府を作ったのは俺たちなんだ!」ということでもあり、内閣総理大臣や各国務大臣として明治初期~中期の政治を引っ張っていけるのは、この人々しかいなかったのだと推測されます。

明治維新の功労者達は、明治初期から後期にいたるまで第一線で政治を動かし続け、その後も「元老」という立場で、天皇の諮問に答える形で、国家の政策決定に関与しました。
伊藤博文、黒田清隆、山縣有朋、松方正義、井上馨、西郷従道、大山巌、桂太郎、西園寺公望の九人です。

その主な仕事のひとつが、内閣総理大臣が辞めた場合、次の内閣総理大臣を選ぶことです(ちなみに、法的な根拠はまったくありません)。彼らが選んだ内閣総理大臣を、天皇が任命していました。

元老 - wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E8%80%81

ちなみに、昭和に入って、最後の元老の西園寺公望が死んでからは、天皇の側近で天皇の仕事を助ける役職であった「内大臣」が中心となって「重臣会議」を開いて、内閣総理大臣を選んでいました。

内大臣 - wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E5%A4%A7%E8%87%A3


■ 内角総理大臣と、議会や政党との関係

内閣総理大臣は、別に議会での選挙で選ばれているわけではないので、議会を無視して勝手に政策を決めて政治を行なっていくことができる、・・・というわけではありませんでした。

選挙で選ばれた政党系議員が多数を占める衆議院は、予算案を貴族院より先に審議するので、内閣が政党と対立してしまうと、予算案が議会を通らず、政治が一気に止まってしまうのです(政党を無視して独自に政治を行なおうとす『超然主義』の方針をとる内閣と、衆議院で多数を占める政党が対立して混乱したのが、1890年代の『初期議会』と呼ばれる時期です)。

そういうシステムの中で、内閣総理大臣のなかには、政党に理解を示して協力してもらい政治を行なおうとする人が出てきました。代表的なのは、伊藤博文、西園寺公望、大隈重信などの人物達です。彼らは政党の党首も兼ねていたので、一応、「政党内閣」と言えなくもありません。


では、原敬とその内閣の場合は、彼らと何が違うのでしょうか?

「原敬」個人に対する注目点は3つ
  ○爵位をもたない
  ○選挙によって選ばれる衆議院に議席をもつ
  ○政党「政友会」の党首

「原内閣」のポイント
 ○陸軍大臣・海軍大臣・外務大臣以外の閣僚はすべて政友会員が就任

つまり、「選挙によって選ばれた多数党の党首(衆議院議員)が内閣総理大臣に選ばれ、内閣閣僚の多数が政党の党員(政党所属の議員)である」というところが、『本格的な政党内閣』と呼ばれる意味です。


ですが上で述べた通り、原敬は議会で選ばれたわけではなく、やはり「元老」による推挙によって天皇から任命されています。

原敬が内閣総理大臣に選ばれた理由としては、その前の寺内正毅内閣が米騒動の対応に失敗して総辞職して、政府に対する国民の不満が高まっており、「元老」としても国民の意見を反映した内閣を作らないといけなかったこと、原敬がもともと官僚出身で、内務大臣も務めたこともあって、内閣総理大臣に任命しても行政を行なうのに問題がないこと、そして、原敬は元老や貴族院の勢力とも対立しないで上手くやれる政治家であったこと、などがあげられます。

原敬 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E6%95%AC

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E6%95%AC

ごきげんよう。



【回 答】
大日本帝国憲法(明治憲法)下では、現在の日本国憲法で定められているように内閣総理大臣が選ばれていたわけではありません。明治憲法が出来た最初の頃は、明治政府を作った「元勲」と呼ばれる人々が交代で内閣総理大臣に就任していました。その後「元勲」のうちの何名かが「元老」として、「次の内閣総理大臣はこの人に」と天皇に推薦し、天皇が任命するのが慣例でした。別に、議会で与党の党首が選ばれていたわけではありません。

さて、そうやって選ばれる内閣総理大臣...続きを読む

Q●第一次大戦中の日本『大戦景気』になった理由について(中学レベルです)

僕は中学2年生の男子なんですが、今期末テストの勉強に追われています。
塾などには行っていないし、親も勉強はあまり詳しくないので、ここでちょっと質問させてください。

第一次世界大戦中の日本は、日本の商品が欧米諸国の品物にかわり、アジア、アフリカ地域に進出した。
ということですが、なぜ輸出が増えたのか?と聞かれたら何と答えればいいのでしょうか?

授業中に先生が言っていたのですが、メモを取っていなくて忘れてしまいました・・・。
その先生は「1度言ったことはもう言わない!」みたいなことをいつも言ってるんで、怖くて聞けません。

何となくは分かるのですが、テストの解答欄に書く用の文章にはできません。なので、詳しい方はぜひお願いします。

Aベストアンサー

No,1の方の回答でもう事足りていると思いますが、気が向いたら読んで下さい。

大戦景気とは三国協商vs三国同盟という形で起こった第一次世界大戦の折、戦争をしているヨーロッパ勢がアジアに目を向ける暇が無いのをいいことに日本がアジア・中国市場の独占を図ったこと、そして戦争による需要の増加という2つのことから生じたものです。

「なぜ輸出が増えたか?」と聞かれたら、「戦争している国は輸出用の商品を作っている暇は無く、むしろ戦争に必要な物資をひたすら輸入する側に回ることになるので供給は減り需要は増えることになる。そうして生まれた超需要に目を付けた日本が率先して輸出をしたので結果として輸出量が大幅に増加した。」みたいに答えればいいかなと思います。

なにやら怖い先生みたいですが勉強する意思のある生徒の質問に答えないというのは職務怠慢な感じがするので、友達と一緒に教頭や校長に報告し注意してもらうのもいいかもしれませんね。

Q夏休みの宿題 税についての作文

夏休みの社会の宿題で、
「税についての作文」というものがでました。
一応、書いてみたので時間がある方は読んでいただけないでしょうか?
枚数は3枚以内ということで、これだと2枚とちょっとくらいです。
題名がまだ決まっていないので、もし何かあればお願いします!


 私は、正直に言うと、今まで「税」というものについてよく知りませんでした。
自分が払っている税金と言うと、消費税くらいしかないし、
その消費税は、何かを買うと付いてくるし、
「税金なんかなくて良いのに。なんで払うんだろう。」と思ったこともありました。
 そこで、税金の使われ方について調べてみました。
すると、税金は、私たちが毎日学校で勉強するために使われていたり、
私たちの生活や安全を守るために使われていることが分かりました。
また、税金によって、医療費が安くなっていたり、ゴミ処理がされているということも分かりました。
 もし、誰も税金を払わなくなったら、どうなるだろうか。
と考えてみると、
私たちが今まで当たり前のように通っていた学校には通えなくなってしまうし、
私たちはこれから安心して暮らしていけません。
税金がなくなっても、毎日学校で勉強をしようとすると、
私たち中学生は、月々約7万9千円、つまり年間94万3千円を払わなければなりません。
他にも、税金がなくなれば、警察・消防費として、国民一人当たり約4万5百円、
ゴミ処理費用として、国民一人当たり約1万7千9百円を払い、
医療費は今よりも高くなります。
これらは、税金を払っている今は、税金によってまかなわれているのです。
そう考えると、税金は私たちにとって、とても必要なものだと思います。
 今まで、「税について知りたい!」とか「税金は必要だ。」と思ったことは
一度もありませんでしたが、今回調べて、税についてよく分かったし、
税金は必要だと思いました。
私たちは、いつも「勉強したくないなあ。」と思いながら学校に通っていますが、
こうして、当たり前のように毎日学校で勉強ができるのも、
税金があるからできるのだと分かりました。
 私たちはまだ、税金を払う立場ではなく、税金を使う立場の方です。
税金によって、私たちは色々な面で支えられています。
日本全国の人々が、税金を払い、
その税金によって、私たちは支えられています。
だから私も、将来、もっと税金を払うようになったら、
他の人たちを支えたいと思います。

夏休みの社会の宿題で、
「税についての作文」というものがでました。
一応、書いてみたので時間がある方は読んでいただけないでしょうか?
枚数は3枚以内ということで、これだと2枚とちょっとくらいです。
題名がまだ決まっていないので、もし何かあればお願いします!


 私は、正直に言うと、今まで「税」というものについてよく知りませんでした。
自分が払っている税金と言うと、消費税くらいしかないし、
その消費税は、何かを買うと付いてくるし、
「税金なんかなくて良いのに。なんで払うんだろ...続きを読む

Aベストアンサー

>消費税くらいしかないし、
>よく分かったし、

この「~し、」というのを書き直しましょう。
作文ではあまり使いたくない言葉使いです。

税金というと、一番身近なのは消費税でしょうか。
良くわかりました。

>だから私も、将来、もっと税金を払うようになったら、
>他の人たちを支えたいと思います。

この部分が???となる文章でした。
税金を払うことに支えるとありますが、何を支えるのかを書く。
または最後の〆の言葉自体を変更してもいいかもしれません。


これくらいでいいと思います。
中学生なので十分ではないでしょか。

Q満州国建国の目的を教えて下さい。

なぜ日本は満州国という独立国を建国したのですか?当時の国際事情や国内事情などを踏まえながら、建国の目的を教えて下さい。

Aベストアンサー

当時、日本を含めた列強諸国は中国に数多くの利権を有していました。
これはアヘン戦争以来、一世紀近くに渡って列強諸国が鎬を削って中国での利権獲得競争を行った結果でした。
そして植民地獲得競争において出遅れた日本において、満州周辺で獲得した利権はほぼ唯一に近い「海外利権」でした。
このため当時の日本では「満蒙の特殊権益」は「明治以来、先人が苦労と犠牲と投資を重ねて獲得した利権」であり、また「国家の生存に必要不可欠」と認識されていました。
しかも当時は世界恐慌の結果、引き起こされたブロック経済化により日本製品は欧米やその植民地の市場では高額の関税を課せられる事となったために、その重要性がかなり誇大に意識されるようになっていたのです。
誤解を恐れず敢えて言えば「戦後の日本における一時期の憲法9条」のように、その是非を議論すら許されないという風潮があったのでした。
しかしながら第一次大戦以降の世界的なナショナリズムの高まりにより、中国においても列強に奪われた利権を奪い返す国民運動である「「国権回復運動」が起こりました。
ただしこのようなナショナリズムに根ざす運動は、現在でもそうですがしばしば過激化し、外国勢力への排撃運動に近いものになる事もよくありました。
その結果、日本人の多くは中国で獲得した利権が危機にさらされており、それが日本という国家の生存すら危うくしかねないという(現在の視点からすれば)かなり大げさな意識がもたれていました。
これは戦後の日本でも「日米安保は戦争の道」「PKO活動で日本は軍国主義化する」とか後から見ると馬鹿馬鹿しい話が大きな政治問題になったことを考えれば、理解しやすいのではないかと思います。

ただし満州事変当時の日本政府はまだ国際協調路線を取って、交渉で穏便な事態解決を望んでいました。
ところがその前にロンドン軍縮条約で引き起こされた「統帥権干犯問題」のため、政府は軍の統制を取ることが出来ず、満州事変により日本軍は政府の不拡大方針を無視して満州の殆どを制圧し、一気に「特殊権益問題」の解決を図ったのでした。
この行為は現在では「軍の暴走」とされますが、当時の日本ではマスコミは拍手喝采して支持し、事態の不拡大を計った「政府の弱腰外交」を非難しています。
そしてこの国民世論の後押しを受けて建国された満州国について、欧米との対決を望まなかった当時の犬養毅首相は承認を渋りますが、五・一五事件で暗殺され(犬養は統帥権干犯問題を引き起こしてこの事態を招いた張本人のひとりであるので、自業自得の一面もあります)、日本政府は軍の暴走と国民世論に引きずられる形で満州国を承認、欧米との全面対決、そして国際連盟脱退へと向かってしまいます。

このように満州国の建国は決して日本が国家意思として行ったものではなく、当時の日本人の「満蒙の特殊権益」に対する過剰な意識と中国側の反発、そして軍の統制問題などが絡み合ったために、一部の暴走を国家が追認するという非常に危ういものでした。
しかしそれが当時は「大成功」を収め、国民からも高く評価されてしまった事で、その成功体験が後の日中戦争、そして太平洋戦争の遠因となり、大日本帝国を滅ぼしてしまうのです。

なお満州事変当時の日本国民の意識について論じた本で、簡単な書籍としては「日米もし戦わば―戦前戦中の「戦争論」を読む(光人社)」などがあります。

当時、日本を含めた列強諸国は中国に数多くの利権を有していました。
これはアヘン戦争以来、一世紀近くに渡って列強諸国が鎬を削って中国での利権獲得競争を行った結果でした。
そして植民地獲得競争において出遅れた日本において、満州周辺で獲得した利権はほぼ唯一に近い「海外利権」でした。
このため当時の日本では「満蒙の特殊権益」は「明治以来、先人が苦労と犠牲と投資を重ねて獲得した利権」であり、また「国家の生存に必要不可欠」と認識されていました。
しかも当時は世界恐慌の結果、引き起こされた...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報