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よく「大学には行った方が良い。」と言うのは何故でしょうか?

すみません。そんなもの常識だろ!と言わずに

一般論をお聞かせください。

A 回答 (15件中1~10件)

一流大学は頭のいい奴が多いです。


志も高いし、本当に話していて、自分の世界も広がります。
就職できるかどうか以上の世界について話題になるのは、東大と京大だけだと思います。

三流大学の生徒はしゃべってることがショボイです。スケールが小さいですね。とにかく文句が多いです。「どうでもよくねえ」「まっいっか」が口ぐせです。

それ以下は、日々生きていくことが課題になります。働くことが全てというのは大変ですよ。

質問とはズレますが、大学受験の意義について一言。

親が金持ちだから東大行けるんだとか、よく耳にしますが、とんでもありません。赤本で東大の問題を見てください。親の力でないことが分かります。東大に行くような人間は、小学校1年生の時から問題を解くスピードが周りの3倍から5倍です。東大生を金持ちの子供だからとか言うのは、チャンチャラおかしいですね。世間が、こんな優秀で素晴らしい人間を評価しないわけがないでしょ。これが学歴社会なんです。だから大学受験によるランク付けというのは、正当性があるんですよ。
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・就職機会、生涯収入が増える


・様々な専門知識、資格(につながる資格)が得られる
・人脈が得られる
この辺が通常考えつく大学卒のメリットでしょうか。

ただ、日本は学歴社会といいながら、諸外国よりも学歴の実益が間違いなく少ないです。例えば日本では、研究者の待遇がえらく悪いです。。。
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数年前まで企業で採用を担当していました…。


学歴の話が出ているのでそこだけちょっと。
就職活動が始まると、中堅規模の企業でもそれこそ数千人の学生さんが企業の採用窓口にエントリーされます。いくら能力重視と言っても、その方達全員を面接するわけにはいかないです…。

学歴、と一口にいいますが、学歴を重視する理由がありました。それは、その学歴を得るためにも能力が必要だからです。学歴が高いほど、真剣に頑張って勉強した経験がある、もしくは地あたまがよい、集中力がある、という「傾向」があります。厳しいようですが、学歴と仕事をする上での基礎的な能力はそれほど乖離していないように感じていました。学歴社会を正当化するような発言で心苦しいのですが、ある段階までは、この「傾向」が判断材料となっていることが多いでしょう。(ただ、今は大学名での振り落としはシステム上できないと思います。大卒か高卒か短大卒か、です)
採用側が一人一人の能力を精査できるのは、面接以降です。これは経験として、とにかく面接まではたどりつける学歴がないと、新卒での就職は辛いと……。

ただ、上記は、まだ将来やりたいことが具体的に決まっていないなら、です。理想を言えば、将来やりたいことが既にあって、それを現実のものにするためにどうするか、という考え方が一番マトモですけどね…。
それに、今は2~3年で辞めていく人が多いですし。そんなことを思ったら、新卒で就職することに意味はないかもしれませんし、学歴にも意味はないかもしれません。就職活動の短い期間に一生の仕事を決めろ、なんて方が、考えてみたらナンセンスですわね(笑)

でも水は低きに向かって流れますから…流れに逆らうにしても、最初に立つ位置は自分なりに高くしておいた方がよろしいかと思います…。
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今の世の中、石を投げれば大卒に当たる!


と言われるぐらいにピンからキリまでの大卒者だらけの時代です。
人脈作りとか収入うんぬんで大学へ行こうとするならば、まさに動機不純です。
真に学問を追及して、尚且つそれを将来活かせる道に進むならば大いに進学するべきだと思います。
中卒でも、高卒でも自分に信念があれば独学も出来ますし、学問とは別の才能も発見・開花する事も可能です。
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最近は能力重視の職場が増えてきていますが、それでもまだ学歴重視の職場が多いからだと思います。


いくら能力があっても、大卒であるか否かで初任給から違ってきますし、大卒でなければ出世も難しかったりします。
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私は1960年、大学に入りました。

 大学の寮に入りました。 その時の友達は40数年経った今でも良い友達です。 大学は大人になる前の幼稚園だと思います。 でもこの四年間の無駄が実に貴重なんです。 

人生を山登りにたとえると、見晴らしの良い中腹辺りで、水筒を取り出して一休み。 これまで上ってきた過程を振り返り、これから登っていく頂上を仰いで気持ちを入れ直す。 ロシア語に『グラスノスチ』という言葉があります。 階段の踊り場のことです。 階段をずっと登って来て、くたびれて一休み。 これが『グラスノスチ』の意味です。 

誰にも長い人生の中で『グラスノスチ』は必要です。 一見、無駄に見えて、実は大変有意義なものなのです。 大学もそんなものですよ。 
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自分で知識を収集し答えを出す能力と、だれにでも声をかけられる能力があれば必要ないかと思います。


家でお金に余裕があれば出てもいいかもしれませんが、自分で知識を収集し答えをだすことができるのであれば、必要な時に知識を収集すればよいので、必要ないと思います。
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(1)人脈が増える


クラスメート・先輩後輩だけでなく、教授やサークルの友人・ゼミの同僚などたくさんの友人・知人を作れます。またそれらの人々と触れあう段階でお酒やマージャン・ビリヤード・パチンコなど、いろいろな遊びも習得できます。
社会人になってもOB/OGなどの人脈が作れ、時には「同窓生」というだけで商談がスムーズにいくこともあります。
(2)知識の増加
私は大学に入って、初めてまともな学問が出来たと思ってます。
小~高校の受験の為の学習と違い、真に人間の血肉となる学習ができます。もっとも真面目に授業に出ればの話で、遊び呆けていてはその機会も無駄になります。また、自分が何に興味を持っているのかを確認することもできます。例えば国語の好きだった人ならば「言語学」として好きなのか、「中世文学」が好きなのか、「近代文学」が好きなのか、細分化して専門的に好きな学問に集中できます。これも真面目に研究すればの話ですが(笑)
(3)時間が自由
これも大変有りがたい話です。
大学は高校と違って自分で履修を決められます。ですからバイトの時間を確保することも可能です。(2)のような興味のある授業を多く取ることもできます。授業を一切サボって遊び回ることもできます(笑)
一年くらい休学してアメリカ大陸をさまようなんて事もできます。
(4)進路が豊富
例えば高校卒業の人が大学院に行くことは大変困難です。
一般企業でも高校卒の採用枠は大学卒に比べて少ない所がほとんどです。また給料にも差が出ますので、残念ながら生涯の収入にも影響があります。
(5)私の意見
かといって、大学は必ず行かなくてはいけない所とは思いません。大学生で遊び呆けている連中よりも、実社会でしっかり頑張っている高卒の方が私は尊敬しますし、同じ年齢でも4年分先輩だと思います。勉強よりも興味が持てる物があるのでしたら、そっちの道を進んだ方がいいと思いますよ。ただし、将来になって大卒をねたまないように。自分の進路は自己責任です。自分の心の中で後悔する可能性が1%でもあるなら、受験した方がいいですよ。
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他の方がおっしゃっていること以外に,私自身は,ものごとを相対化してみることができるようになるために,ということも重要と思っています.



つまり,例えば,世の中にはいろいろな人間がいるということや,自分が常識と思っていたことやものの見方がそうではなく,他にも多様な見方があることなどを知る上では,大学にいった方がよいと思います.
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未だに企業や世の中が「学歴重視」だから。


様々な意味で日本は相手に「高学歴」を求める。企業だけじゃなく。。。ね。
例え一般では「学歴で人を評価すべきではない」と謳われていようとも学歴で評価しがちな風潮は消えない。新卒にしろ中途にせよ社会は高学歴にも「偏見」を持っているのが現実。

だから「大学には行った方が良い。」とされる。

漫然と過ごしていて特徴も無くともひとまず学歴があるとそれだけでも評価されてしまうという意味にもなる。
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