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形式陶冶(けいしきとうや)について以下のように認識していますが,間違い偏りなどをご指摘ください。

 知識や技能を学びことを通して、個々の知識の習得だけではなく、
思考力(記憶力・推理力・想像力などの精神的能力)がつくとする教育の立場、あるいはその効果
(学習転移)を形式陶冶という。歴史的な古典文法や数学にを学ぶことは、学習転移が起こるとされ
ていた。 しかし、受動的にそれらを学んでも、学習転移は起こらないことが、エドワード・ソーン
ダイクによって証明された。思考力がつくとしても、学んだことのごく狭い範囲のものであって、
広い意味の思考力はつかないというものである。思考力(記憶力・推理力・想像力などの精神的能
力)をつけるには、そういう意識を持って主体的に学ぶ必要があろう。

日本においても、算数数学の教育の目的は、学んだそのことを覚えることよりも、そのことを通し
て思考力を高めるのが大きな目的であるとされていた。ソーンダイクの否定的な証明により、教育
現場に混乱を招いた。現在、思考力の高まるような学習を模索するようになっている。 与えられた、
あらかじめ答えの決まった問題を解くだけでは思考力はつかない、つくとしても直近の事象に限ら
れる。だから、受動的に学ぶのではなく、思考力を高めるという意識を持って、主体的に取り組む
ことにより、思考力は磨かれるということになるであろう。 対意語は、実質陶冶である。

A 回答 (3件)

基本的にはこれで良いと思います。



ただし、「受動的にそれらを学んでも、学習転移は起こらないことが、エドワード・ソーンダイクによって証明された。」は出典が見当たりませんでした。(実感としては納得できますが)

この回答への補足

ありがとうございます。
山口大学のものしか見当たらないのですが,
これは間違いでしょうか。

http://web.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~ysekigch/lesson …

補足日時:2006/11/01 08:01
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研究者ではないので、精密なお話はできません。



学校現場の実感としては、「思考力をつける学習」はあると思います。
そして、それが「主体的に学ぶ」というキイワードで説明できそうであることも感じています。

本来、学びには、目の前の「困ったこと」「手に入れたいもの」を何とかするための手だてという意味合いがあったのだと思います。

苦労して問題解決のために、工夫したり、調べたりする中で、法則性に気づき、さらに、「法則性の法則性」に気付く、という段階を迎えるのではないでしょうか。
これが応用力の中身だと思うのです。

いわゆる受験勉強は、現実世界と切り離された紙の上だけで展開されるので、自然の法則性に迫る手だてがあまりないように思います。
教科という分類は、学習効率のことを考えればかなり都合が良いのですが、問題解決学習に取り組むゆとりがないために、総合的な応用力が育っていないように感じられてなりません。

根拠となるデータは特にありませんが、その程度で良ければお気軽に御質問下さい。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。
とりとめもない質問にお付き合いいただき深謝いたします。

お礼日時:2006/11/13 22:09

参考の文書4頁のあたりに書かれていることは「受動的」という面での実験結果には言及していません。



学習転移の拡大解釈はいけない、とは当然ですが、「受動的に学ぶのではなく、思考力を高めるという意識を持って、主体的に取り組む
ことにより、思考力は磨かれるということになるであろう」の直接の根拠にはなっていないと思いますが、いかがでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
「思考力をつける学習というものがあるか。
あるとすればどのようなことをすればよいか。」
という観点で,お説をお伺いしたいのですが,
よろしくお願いいたします。

お礼日時:2006/11/03 03:26

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