太平洋戦争の開戦時において、政府・陸海軍の間で、アメリカへの宣戦布告の通達を真珠湾攻撃の前にするか後にするか一騒動がありました。その結果宣戦布告は攻撃開始30分前にすると決まったにもかかわらず、実際には外務省の不手際で攻撃開始後になってしまったのはよく知られています。
 疑問なのはここからです。真珠湾攻撃開始に先駆けること約2時間前にはすでにマレー攻略作戦が始まっていましたが、当時のマレー半島はイギリス領でした。ということは、アメリカへの開戦前宣戦布告を決めた日本政府は当然イギリスへの開戦前宣戦布告をも考えていたはずだと考えられます。しかし、リメンバー・パールハーバーの陰に隠れてか、そのことについての話は聞いたことがありません。もしかして日本政府は、イギリスに宣戦布告しなくてもアメリカにだけ宣戦布告すればそれで十分だし、奇襲の効果が少しは増すと考えて、アメリカへのみの宣戦布告で米英蘭との戦いを始めようとしたのでしょうか。
 ということで、質問は以下の通りです。
Q1、日本政府はイギリスなどアメリカ以外の相手国に、攻撃開始前の宣戦布告をする予定だったのか?
Q2、もしそうする予定だったならば、実際には宣戦布告を攻撃開始前にしたのか、それとも何かの事情があって攻撃開始後にしたのか?
難しい質問だと思います。できれば回答する際その回答の根拠となる文献や情報源も添えて下されば幸いです。

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A 回答 (6件)

>Q1、日本政府はイギリスなどアメリカ以外の相手国に、攻撃開始前の宣戦布告をする予定だったのか?



>Q2、もしそうする予定だったならば、実際には宣戦布告を攻撃開始前にしたのか、それとも何かの事情があって攻撃開始後にしたのか?

 太平洋戦争開戦に当たり、日本の当面の交戦国である「アメリカ」「イギリス」「オランダ」に関して簡単に説明します。

 まず、41年当時の国際情勢を概観するに、日本はドイツと軍事同盟を結び、ドイツはすでにオランダを占領し、イギリスと戦争中でした。従って、日本とイギリスとは臨戦状態であったということです。事実、マレー半島上陸戦では夜間にも拘らず日本軍が舟艇から上陸すると同時にイギリス軍は一斉射撃で迎えています。
 
 したがって日本はイギリスに対し、事前の宣戦布告を通達していません。

 つぎにオランダは前述のように本国がドイツによって占領されていたので、布告の必要はありませんでした。また実質には6月17日の「日・蘭印会談」決裂によって日本とは敵対関係となっていました。

 アメリカは、表向きは中立の立場でしたが、これも同年の3月に「武器貸与法」の成立によって欧州の戦いに参加していたとみるべきですし、「ABCD包囲陣」ですでに対日臨戦状態にはいった、といえるでしょう。それでも日本は戦争するに際し、アメリカに対して事前通告をすることと決めていたのでした。(宣戦布告は事前通告の義務はない)

 
 
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国際法上ですが、宣戦布告は戦闘の前でも後でも構いません。

宣戦布告の後に戦争を起こした事例の方が珍しいです。

この回答への補足

 すいません、元の質問内容とはズレます。回答中に『国際法上ですが、宣戦布告は戦闘の前でも後でも構いません。』とありますが、国際法に違反するかどうかということについてのみに絞ってみれば、宣戦布告に関する取り決めをしている「開戦に関する条約(ハーグ陸戦法規)」の第一条「締約国は理由を附したる開戦の宣言の形式又は条件附き開戦宣言を含む最後通牒の形式を有する明瞭かつ事前の通告無くしてその相互間に戦争を開始すべからざることを承認す。」に従うと、戦闘開始後の宣戦布告はこの条約に違反すると思います。まあ、戦闘開始後に宣戦布告したからといっても、批判されるだけでそれによる物理的損害を被ることはないし、戦争そのものは無効になるはずもありません。しかも第二次世界大戦の欧州戦線においてもドイツ(対ポ、対ソ)やソ連(対フィン)は事前の宣戦布告なしに戦争を始めていました。さらに太平洋戦争開始以前の日本自体も、対米貿易存続のために中国での争いは「戦争」ではなく「事変」で通し、アメリカと開戦するまで重慶政府に宣戦布告しませんでした。だから、だまし討ちを防ぐという宣戦布告の本来の意義が無視され続けている以上、戦争を始めるにあたって宣戦布告を戦闘開始前にするか後にするかとかいう話は実際のところナンセンスだと思います。それでも当時の日本政府がアメリカに対し戦闘前の宣戦布告をするか否かにあんなにこだわっていたので、じゃあイギリスに対してはどうするつもりだったのだろうと思い、質問をしてみたわけです。
 

補足日時:2006/11/01 21:35
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『文芸春秋』7月号に、「外務官僚たちの真珠湾攻撃」という記事があります。


副題は「通告なき開戦は彼らの計画どおりに実行された」です。
外務省の外交資料館に収められている資料を筆者が丹念に精査されたものです。
外務省が開戦の手続きについてどのように検討していたか、ハーグ国際条約をどう認識していたかなど、詳細に分析されています。

ご質問に関する部分だけをピックアップします。
外務省南洋局は11月中旬ごろに、「対米武力発動ニ至ル各種経路(就中開戦宣言ヲスベキヤ否ヤノ問題)という文書を起案しています。
宣戦布告のいろんな方法とその長短が検討されていますが、その中に、宣戦布告なき戦争開始も含まれており、「実際に陸軍が英領マレーで採った戦争開始の方法は、無通告開戦だったのである」とあります。

Q1については、「予定」はあったが「予定は予定にすぎない」です。
Q2については、攻撃開始後に宣戦布告しましたが、その事情は端的に回答できるような単純なものではないことが上記記事で理解できます。
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この回答へのお礼

 明確で詳しい回答ありがとうございました。
 私も何とか『文藝春秋』7月号を手に入れて読んでみようと思います。

お礼日時:2006/11/01 20:48

先日読んだ吉村昭さんの本「大本営が震えた日」にこの辺り(マレー半島攻略作戦、香港侵攻、と真珠湾電撃攻撃作戦)の微妙な時間差を描いた場面が有ったような気がしてます、再度調べてからお返事するということでいいですか?



真珠湾攻撃の方はギリギリだが隠し通す見通しが付いた、しかしマレー半島攻略の方はベトナムとマレー半島の間で大艦隊が半日前に英国哨戒機に実は見つかっていた、その哨戒機を護衛機が撃墜したが、これが「事実上の開戦」となるのかどうか、果たして、その撃墜を英国は単なる墜落として無視したのか云々。。。開戦時の一刻一秒が描かれていました。

吉村先生のご冥福を祈ります。

この回答への補足

 私も吉村昭さんの著作は大好きで、回答中にある「大本営が震えた日」も実は読んだことがあります。確かその中にはイギリスへの宣戦布告に関する内容はなかったように思うのですが、なにせその本を読んだのは5年ほど前ですし、今手元に本がないので記憶はあいまいです。

補足日時:2006/11/01 20:39
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 アメリカについては、アメリカ本人が中立でることを国際的に公にしていましたので、敢えて日本からの宣戦が必要と考えられたものと存じます。

(結果的に「不意打ち」に近い形なってしまいましたが、それを以て戦争状態が無効であるとは言えません。)
 これに対して、イギリス等については、1940年に日独伊三国軍事同盟が締結されていますので、ドイツが対イギリス戦等を始めた時点で、日本は自動的にイギリス等の公式な敵国になります。

 問題は、そのような場合にもあらためて「宣戦布告」が必要であるかどうかですが、国際法上は、必ずしも必要とはされていないと解するべきでしょう(事実上の戦争が始まってしまったら、布告もへったくれもありませんし、「宣戦布告がなされてから24時間の間をおいて正々堂々の戦争が始まった」という例の方が遙かに少ないのが歴史の事実です。)。
 あくまで個人的には、既に公敵となっている相手へ、わざわざ宣戦する必要性を感じたとは思えません。

 ただ、これは一般論でして、「実際にそのときは宣戦するつもりだったのかどうか?」は知りません。すいません。

この回答への補足

 確かに太平洋戦争開戦当時アメリカは中立国であったのに対し、イギリスは日本と同盟国であるドイツとの戦いの真っ最中でしたから、アメリカとイギリスの立場は全然違います。だから日本のおのおのに対する対応も異なるのは当然といえば当然です。
 回答中にある『イギリス等については、1940年に日独伊三国軍事同盟が締結されていますので、ドイツが対イギリス戦等を始めた時点で、日本は自動的にイギリス等の公式な敵国になります。』という内容についてですが、日独伊三国軍事同盟が締結されたのはご指摘の通り1940年なのに対し、欧州戦線が始まったのはその前年の1939年です。そして日独伊三国軍事同盟には「三締結国中何れか一国が、現に欧州戦争または日支紛争に参入しおらざる一国によって攻撃せられたる時は、三国はあらゆる政治的・経済的及び軍事的方法により相互に援助すべきことを約する」とありますので、日独伊三国軍事同盟締結時点から太平洋戦争開戦時点までの間においては日本は『イギリス等の公式な敵国』にまだなってはいないと思います。

補足日時:2006/11/01 20:33
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昭和16年(1941)12月8日午前11時45分に情報局が発表した「宣戦の大詔」には、「…朕茲ニ米國及英國ニ對シテ戦ヲ宣ス」とありますが。

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この回答へのお礼

これはこれは… 不覚にも見逃していました。確かに戦争開始後にイギリスにも宣戦布告したと明記していますね。これでQ2は解けました。
ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/01 20:12

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太平洋戦争のことを家族で映像で学びたいと考えています。そこで次のDVDのどちらかを購入しようとしています。「NHKスペシャル 太平洋戦争 BOXセット」、「秘蔵・太平洋戦争全史 前編、後編」。はなはだ稚拙な質問ですがどちらがおすすめでしょうか?

Aベストアンサー

私は両方持っています。他に「太平洋戦争史(上)、(下)」や「ドキュメント第二次世界大戦の記録(全巻)」も買いましたが、「NHKスペシャル太平洋戦争」が映像の質の良さ、量の多さ、解説の分かりやすさ等で圧倒的に良いと思いました。特に日米双方からの映像が取り入れられ、画像も補正されているようで画質も良いです。

「太平洋史」「ドキュメント・・・」は米国防総省の撮影フイルムを監修しただけの映像が多く、事態を短く淡々と述べるだけのものでした。画質も相当悪いです。でもNHK(日本)では放送しないような戦場の悲惨な状況の映像が入っていたりします。

どれが良いかは個人の見方、受け止め方によると思いますが、家族で学ばれるのでしたら先ずは「NHK・・」をお勧めします。更に個人的に勉強されるのでしたら、他のものも有用と思います。

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Aベストアンサー

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これは、まさに「だまし討ち」といえるでしょう。

ご存知だとは思いますが、おさらいのため当時の流れを記しておきますと、
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先の戦争の呼称についてはそれぞれの歴史観、イデオロギーと結びついている面があるので一概には言えないのですが、一般的に最も普及しているのは「太平洋戦争」だと思います。戦後、GHQの指示によってこの呼称を使うようになったためだと思うのですが、戦時中に日本は太平洋だけでなく、中国などとも戦っていた事実から保守派は戦時中に日本政府が使っていた「大東亜戦争」という呼称を用いる傾向があります。

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Aベストアンサー

#8です。
開戦時のタイムテーブル

〔日本時間〕 〔おもな軍事行動と外交手続き〕
12月 7日10時15(25)分…日本軍、武力行使(陸軍機、イギリス飛行艇を撃墜)
12月 8日 0時前後………シンガポール空襲部隊、仏印の基地を発進
1時30分………ハワイ北方250カイリ、第1次攻撃隊、機動部隊空母を発進
1時35分………英領マレー半島コタバル沖の上陸部隊、陸地にむけて発進
2時15分………日本陸軍佗美支隊5500名、コタバルに上陸(うち700人死傷)★
真珠湾外でアメリカ駆逐艦、日本軍特殊潜航艇を攻撃
3時00分……………対米覚書手交予定時刻(電報解読の遅れ等で間に合わず)
3時23分………ハワイ空襲部隊指揮官、「トラトラトラ」発信
3時25分………日本軍、ハワイで空襲開始(~4時ごろ)★
3時30分………南方軍総司令官、タイ進攻作戦の開始を命令
4時以降………近衛師団・第5師団、タイの各地に続々と進攻・上陸
~10時 陸軍機、タイ空軍機を撃墜、タイ領マレー半島では地上戦闘
4時20分……………ワシントンで対米覚書(交渉打切通告文)を手交★
4時32分………第2次攻撃隊、ハワイ空襲開始(~5時15分 3784名死傷)
7時46分………海軍機、フィリピン・ミンダナオ島ダバオを空襲
7時50分………海軍陸戦隊、ルソン海峡バタン島に上陸
8時00分………陸軍、香港攻撃を開始、陸軍機、フィリピン・ルソン島を空襲
8時30分………海軍機、グアム島を空襲
9時22分………機動部隊、全攻撃隊の収容を終わる
10時10分………海軍機、ウエーク島を空襲
11時45分……………宣戦布告書を在日米・英・加・豪各大使に手交 → 宣戦布告★
12時30分……………日本軍のタイ国内通過承認協定成立、調印(バンコク)
13時32分………台湾を発進した海軍機約200機、ルソン島を空襲
出典:佐々木隆爾・木畑洋一・高嶋伸欣・深澤安博・山崎元・山田朗編『ドキュメント・真珠湾 の日』(大月書店、1991年12月刊)より作成。

詳細は以上の通りです。★印注意
宣戦布告の解釈、戦闘開始の時刻等に誤解ある回答が多いようですので以上をご参考にして下さい。

#8です。
開戦時のタイムテーブル

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12月 8日 0時前後………シンガポール空襲部隊、仏印の基地を発進
1時30分………ハワイ北方250カイリ、第1次攻撃隊、機動部隊空母を発進
1時35分………英領マレー半島コタバル沖の上陸部隊、陸地にむけて発進
2時15分………日本陸軍佗美支隊5500名、コタバルに上陸(うち700人死傷)★
真珠湾外でアメリカ駆逐艦、日本軍特殊潜航艇を攻撃
3時00分……………対米覚書手交予定...続きを読む

Q太平洋戦争

今日のニュースでフィリピンに日本兵の方がおられると言っていましたが太平洋戦争はアメリカに負けたと聞かされていましたがいろんな所でいろんな国と戦争していたのでしょうか?また太平洋戦争は第二次世界大戦の中の一つなのですか?その辺のことをおしえて下さい。

Aベストアンサー

> いろんな所でいろんな国と戦争していたのでしょうか?

日本が直接戦闘を交えた国は、アメリカ以外にも中国、イギリス、フランス、オーストラリア、ソ連などがあります。また、国際法上戦争状態にあった国ということだとさらに多岐に渡ります。

> また太平洋戦争は第二次世界大戦の中の一つなのですか?

その通りです。第二次世界大戦とは、1939年9月のドイツ、ソ連によるポーランド侵攻から始まる一連の戦争を指し、その中には

・ドイツ、ソ連によるポーランド侵攻
・イギリス、フランスによる対ドイツ宣戦布告(ヨーロッパ西部戦線、バトル・オブ・ブリテンなど)
・ドイツによる対ソ連宣戦布告(ヨーロッパ東部戦線、独ソ戦)
・ソ連による対フィンランド宣戦布告(冬戦争)
・日本によるアメリカ、イギリスへの宣戦布告(太平洋戦争)
・ソ連による対日参戦(日ソ中立条約の一方的破棄)

など、多数の国家が戦争を繰り広げました。太平洋戦争とは、そのうち日本が参加したアジア・南太平洋諸島などを戦場にした戦争のことです。

Q太平洋戦争開戦時のイギリスへの宣戦布告について

太平洋戦争開戦時、在米日本大使館が、暗号の翻訳とタイプに手間取り、
日米の外交を断絶する文書をハル国務長官に渡すのが、
予定の時刻より1時間遅れてしまった事は有名ですが、
イギリスに対してはどうだったのでしょうか。

同じ方法、つまり在英日本大使館から文書を手交したのでしょうか。
(あるいはラジオでの宣戦布告や在日イギリス大使への通知?)

また、マレー侵攻は真珠湾攻撃より早かったのですから、
宣戦布告はその時刻に間に合ったのでしょうか。

ご存知の方がおりましたら、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 ハル国務長官に手交された「対米覚書」が「開戦に関する条約」第1条に定められた宣戦布告及び最後通牒のいずれの要件も満たしていないことは、すでに書かれているとおりです。ただ、「日本の同盟国であるドイツが英国と開戦した時点で、日英間も事実上交戦状態に入っていました」という意見は噴飯もので、悪い冗談というより他はありません。

 さて、「対米覚書」が宣戦布告としての効果を持たず、しかも開戦前に手交しようとして結局失敗したとは言え、一応日本はアメリカに対してはこのような形での事前通告を試みてはいました。
 しかし、イギリスに対してはなんの通告も行われないまま戦闘行動に突入しています。(日本軍がマレー半島に上陸してイギリス軍と交戦状態に入ったのは真珠湾攻撃の1時間半前でした。)
 これについては以下のような解釈が試みられています。
 すなわち、太平洋戦争の開戦判断自体に「イギリスはまもなくドイツによって打倒される」という観測があり、対英戦については完勝が見込まれていた。(参謀本部が1941.9.6に作成した「帝国国策遂行要領ニ関スル御前会議ニ於ケル質疑応答資料」による)一方、アメリカに対しては誰も米本土を占領して戦争を終えられるとは思っておらず、「開戦初期に大打撃を与えて継戦意欲を喪失させ、和平」というシナリオを描いていたので、米国世論を刺激しないために完全無警告攻撃でなく、対米覚書によって事前通告のようなことをして配慮しようとした…というものです。
 アメリカとの間には長々と日米交渉が繰り広げられる一方で、イギリスとの間には特に何も無かったのは、イギリスはまもなく舞台から消えるという判断があったわけですが、ドイツはすでに対ソ戦に全力を注ぎ込んでおり、この誤判断が日本を危険な対米英戦に踏み切らせることになったわけです。

 太平洋戦争開戦経緯については、
・日本外交史<23>日米交渉(鹿島研究所出版会)
・真珠湾奇襲論争(講談社)
などを読まれるといいと思います。

 ハル国務長官に手交された「対米覚書」が「開戦に関する条約」第1条に定められた宣戦布告及び最後通牒のいずれの要件も満たしていないことは、すでに書かれているとおりです。ただ、「日本の同盟国であるドイツが英国と開戦した時点で、日英間も事実上交戦状態に入っていました」という意見は噴飯もので、悪い冗談というより他はありません。

 さて、「対米覚書」が宣戦布告としての効果を持たず、しかも開戦前に手交しようとして結局失敗したとは言え、一応日本はアメリカに対してはこのような形での事前通...続きを読む

Q太平洋戦争なんて所詮、第二次大戦全体で見れば 東部戦線>西部戦線>>北アフリカ戦線>バルカン戦線>太

太平洋戦争なんて所詮、第二次大戦全体で見れば 東部戦線>西部戦線>>北アフリカ戦線>バルカン戦線>太平洋戦争>日中戦争
こんな感じの立ち位置に過ぎない、ちょっとした小争いですよね?
教科書に載せる内容は精々、原爆投下程度だと思うのですが...。

どう思います?

Aベストアンサー

>>こんな感じの立ち位置に過ぎない、ちょっとした小争いですよね?

日本の左翼、沖縄で基地反対を言っている方、原発反対を主張している方といった現実が見ていない人、もしくは、「死んでしまえば、無だよ。結局、人間の人生なんて意味ないじゃん!」と考えている方からの立ち位置であれば、そんな意見もあるかもしれませんね。

日本が戦った「大東亜戦争」(日本を占領支配したGHQは、「大東亜戦争」という言い方を禁止し、「太平洋戦争」とすることを命令しました)は、自国領土を拡張するためとか、資源が欲しいっていう理由だけではなく、「帝国主義反対、人種差別反対」を戦いの目的にしていました。

このような高尚な「大義」を掲げた大東亜戦争に並ぶものとしては「奴隷制度廃止」をかけて戦った米国の南北戦争を思い出すくらいです。
(私は歴史に詳しくないため、同様な「大義」をかけた戦争が他にもあるかもしれませんが・・)

もし日本が大東亜戦争を戦ってなければ、現在でもアジア・アフリカ・南米などと同様に、日本も欧米の植民地として支配され、白人優位主義の人種差別政策が行われ、私たち黄色人種である日本人は、劣等人種として、卑屈な思いをしながら生活していたことでしょう。

日本の未来が良くなるように、と太平洋上の島で玉砕した日本兵たち、特攻機で爆弾かかえて突っ込んでいった若い人たちのことを知れば、「ちょっとした小争い」なんて、私は言えません。

>>こんな感じの立ち位置に過ぎない、ちょっとした小争いですよね?

日本の左翼、沖縄で基地反対を言っている方、原発反対を主張している方といった現実が見ていない人、もしくは、「死んでしまえば、無だよ。結局、人間の人生なんて意味ないじゃん!」と考えている方からの立ち位置であれば、そんな意見もあるかもしれませんね。

日本が戦った「大東亜戦争」(日本を占領支配したGHQは、「大東亜戦争」という言い方を禁止し、「太平洋戦争」とすることを命令しました)は、自国領土を拡張するためとか、資源...続きを読む

Q日米開戦(真珠湾攻撃)の真の意図を教えて下さい

素人の質問で恐縮なんですけど、日米開戦、即ち真珠湾攻撃によって当時の軍部首脳は一体何を狙っていたのですか?

奇襲攻撃など成功したところで、日米の膨大な戦力差が埋まるわけではないので負けは目に見えていたとしか思えないのですが。

当時の軍部首脳の真の意図を教えて下さい。

Aベストアンサー

まあ、シンプルに。

日本の戦争目的は、南方地帯の資源確保です。
陸軍を南方にコンヴォイで送り込み、その補給をコンヴォイで維持し、陸軍が米英オランダオーストラリア軍を撃滅することで、この目的は達せられます。

そのコンヴォイの護衛と安全の確保は海軍の仕事です。日本の南方作戦を頓挫させることができるのは、


シンガポールを基地にした英国の海軍

ハワイを基地とし、フィリピンに展開するであろうアメリカの海軍

でした。1と2の脅威を、少なくとも陸軍が南方を確保する半年は無力化しなくてはなりません。

陸軍を維持するコンヴォイの護衛と、策動する敵海軍戦艦の撃滅を同時に行うのは、戦艦には戦艦でしか対抗できない(コンヴォイを巡洋艦が護衛していても、戦艦が来たらオシマイです)。かといって、戦艦の護衛をつけていたら敵艦隊は戦艦のいないところで自分の戦艦に好き勝手な作戦をさせることができるので、これまた勝利は非常に困難です。

しかし、半年のあいだ邪魔されなければ、陸軍が所定任務を完遂し、資源(=燃料)の確保、そして占領地帯に航空機、艦艇を展開して基地にできるので、長期不敗態勢を整えることができます。

戦艦が足りないけれど、敵の戦艦を無力化するにはどうすればいいか?

そこで、飛行機で攻撃し無力化よう、という考えが日本海軍におこり、まず陸上を基地にした双発機で、これができるかどうかを、自軍の戦艦を的にして研究し始めます。
結果は、できる、でした。

一方、真珠湾の約1年前の1940年11月に、英国が地中海のイタリア海軍基地のタラントを、一隻の航空母艦の艦載機で攻撃し、港にいる戦艦3隻に魚雷を命中させ、2隻が約半年、1隻は修理失敗、という戦果をあげました。アフリカ戦線の戦いははじまったばかりでしたが、戦艦3隻を行動不能にしたことによりシーレーンを確立した英国は、初期の反撃作戦、コンパス作戦でイタリア軍に大損害をあたえることに成功しました(その結果、ロンメルが来てしまうのですが)。

1隻の空母でこれだけの戦果をあげたのなら、日本の正規空母6隻の航空機を真珠湾に停泊しているアメリカの戦艦攻撃に使ったらどうなるか。

--------

陸上機は、シンガポールを基地にしていた英国戦艦2隻を撃沈しました。

空母艦載機は、真珠湾のアメリカ戦艦群を、南方作戦完了まで行動不能にすることができました。

結果として敵戦艦の妨害をうけることがなくなり、日本は陸軍で、南方資源の確保、地域制圧、そして兵力展開の戦略目標を達成することができました。

つまり、初期戦略目標遂行の時間を確保するため、真珠湾攻撃は行われたのです。

まあ、シンプルに。

日本の戦争目的は、南方地帯の資源確保です。
陸軍を南方にコンヴォイで送り込み、その補給をコンヴォイで維持し、陸軍が米英オランダオーストラリア軍を撃滅することで、この目的は達せられます。

そのコンヴォイの護衛と安全の確保は海軍の仕事です。日本の南方作戦を頓挫させることができるのは、


シンガポールを基地にした英国の海軍

ハワイを基地とし、フィリピンに展開するであろうアメリカの海軍

でした。1と2の脅威を、少なくとも陸軍が南方を確保する半年は無力化しなく...続きを読む

Q太平洋戦争と大東亜戦争

こんにちは。
23歳の男です。太平洋戦争についてお教え下さい。

私は小中高の歴史授業において、
真珠湾攻撃に事を発する日米の戦争を「太平洋戦争」と習いました。

一方で、少しずつ社会を学び新しい情報を手にしてゆく中で、
学校では教えない歴史の事実があることを知りました。
太平洋戦争のもう一つの側面や、現在も摩擦のある日中間の諸問題など、
どれも今までの自分の常識を覆すモノばかりです。

そしてそれは、決して過去のモノと安易に目を瞑れる内容ではありません。
歴史認識とは、現代の社会を判断する上においても
非常に重要である事を学びました。

そこで質問です。
a)敗戦後、何故「大東亜戦争」から
「太平洋戦争」へと名称を変えるに至ったのか。

b)また、単なる(と言っては語弊があるかもしれませんが)
名称に過ぎないはずの戦争名を、
「大東亜戦争」と言うと右翼、あるいは軍国主義者などと呼ばれるのか。

何故このような質問をさせて頂くかと申しますと、
私自身の考えですが、
「太平洋戦争」でも「大東亜戦争」でもその戦争自体を指すのであって、
軍国主義を望むがゆえに後者を用いる訳ではないと思うからです。
それとも、それぞれの名称に隠された意味でもあるのでしょうか。

お時間の空いている時で構いません。
もし、お分かりの方がいらっしゃいましたら、是非ともお教え下さい。
よろしくお願いします。

こんにちは。
23歳の男です。太平洋戦争についてお教え下さい。

私は小中高の歴史授業において、
真珠湾攻撃に事を発する日米の戦争を「太平洋戦争」と習いました。

一方で、少しずつ社会を学び新しい情報を手にしてゆく中で、
学校では教えない歴史の事実があることを知りました。
太平洋戦争のもう一つの側面や、現在も摩擦のある日中間の諸問題など、
どれも今までの自分の常識を覆すモノばかりです。

そしてそれは、決して過去のモノと安易に目を瞑れる内容ではありません。
歴史認識とは、...続きを読む

Aベストアンサー

 『大東亜戦争』という名称を『太平洋戦争』に変えたアメリカの意図は、日本人から『戦争の大義』を徹底的に奪うという『精神的武装解除』の一環だったのです。

 GHQは、戦争直後から『物的武装解除』を第一段階、『精神的武装解除』を第二段階と位置付け二段構えの戦略で日本を占領しました。
 『精神的武装解除』は、(1)占領軍の行った「焚書」、(2)占領軍のおこなった「検閲」、(3)ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの3段階によりなり、質問の戦争の名称の変更は(2)「検閲」によっておこなわれたものです。「焚書」によって書物は焼却できても、日本人の頭の中身までは焼却できないので「戦争の大義」がマス・メディアの表面上に浮上することを事前に防止したのです。
 そして、その最も典型的な例の一つが『大東亜戦争』や『八紘一宇』という用語を一切禁止したことなのです。

 公文書だけでなく一切の雑誌記事から『大東亜戦争』が抹殺され、占領軍の手により悉(ことごと)く『太平洋戦争』に直されました。
 マスコミや教科書が『大東亜戦争』や『八紘一宇』を今だにタブーにしているのは、占領軍のこうした徹底的検閲に迎合した出版社や編集者が、占領後も自己規制して現在に至っているからなのです。

 明星大学の勝岡寛次先生が「SAPIO 10月13日号」(¥400)に詳しく書かれてますのでお読み下さい

 『大東亜戦争』という名称を『太平洋戦争』に変えたアメリカの意図は、日本人から『戦争の大義』を徹底的に奪うという『精神的武装解除』の一環だったのです。

 GHQは、戦争直後から『物的武装解除』を第一段階、『精神的武装解除』を第二段階と位置付け二段構えの戦略で日本を占領しました。
 『精神的武装解除』は、(1)占領軍の行った「焚書」、(2)占領軍のおこなった「検閲」、(3)ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの3段階によりなり、質問の戦争の名称の変更は(2)「検閲」によってお...続きを読む

Q日本がイギリスに宣戦布告した日時と手続きについて

1941年(昭和16年)12月8日【日本時間】に、日本はアメリカに宣戦布告しました。宣戦布告は、ワシントンに駐在する野村吉三郎大使と、来栖三郎補助大使が国務省のコーデル・ハル国務長官に日本政府の最後通牒を手渡すという手続きを踏んで実施されました。

それでは、日本がイギリスに宣戦布告したのは何時(いつ)、どのような手続きだったのでしょうか?

Aベストアンサー

>1941年(昭和16年)12月8日【日本時間】に、日本はアメリカに宣戦布告しました。宣戦布告は、ワシントンに駐在する野村吉三郎大使と、来栖三郎補助大使が国務省のコーデル・ハル国務長官に日本政府の最後通牒を手渡すという手続きを踏んで実施されました。

 これは(帝国政府ノ対米通牒覚書)、宣戦布告でなく交渉打ち切り通告です。詳しくは、以前私が書いた別の質問の回答をご覧下さい。(日本は最初から攻撃する前に、武力行使を連合国側に伝える意図は無かった。)
   http://okwave.jp/qa/q5525271.html

 なお、厳密な宣戦布告は、開戦の詔書(米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書)が公式に発表された時点です。
 基本的に宣戦布告は、交戦国に確実に伝わる状況(大使館等が機能していれば)であればプレス発表だけで十分です。
 (まあ、ソ連が終戦直前に日本に攻め込んだ時は、大使館等の電話線等を切断後に発表すると言う、えげつない事をしましたが…。)

 まあ、一応第二次大戦時の日本の対応としては、宣戦を布告後に連合国の外交官を皇居に招集し、彼等の外交官特権を剥奪し、速やかに国外に退去することを通告し、また彼等の身柄の安全等は条約や慣例に基づいて保障する事を伝えています。

 海外では同様に日本大使館などが、現地でプレス発表し、当該連合国は日本に対して同様に宣戦布告を行い、外交官の国外退去を通告してきます。

 根本的に、何日の何時何分に宣戦布告の文章を渡しに行きますから、予定明けておいてください何て言えませんから、基本的に自国発表だけで宣戦布告は効力を発揮します。
 (宣戦布告されたくない側が、何らかの理由を付けて面会を遮断したら何時まで経っても宣戦布告が出来なくなってしまいます…。)

 外交官云々の取り扱いは、まあ事務的儀礼です。

>1941年(昭和16年)12月8日【日本時間】に、日本はアメリカに宣戦布告しました。宣戦布告は、ワシントンに駐在する野村吉三郎大使と、来栖三郎補助大使が国務省のコーデル・ハル国務長官に日本政府の最後通牒を手渡すという手続きを踏んで実施されました。

 これは(帝国政府ノ対米通牒覚書)、宣戦布告でなく交渉打ち切り通告です。詳しくは、以前私が書いた別の質問の回答をご覧下さい。(日本は最初から攻撃する前に、武力行使を連合国側に伝える意図は無かった。)
   http://okwave.jp/qa/q5525271.html
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