プロが教えるわが家の防犯対策術!

第二次世界大戦において、
最終的に旧日本軍が「赤紙」と呼ばれる召集令状を送り、
徴兵を行ったことは一般的な知識として知っていますが、
その後、徴兵された兵隊はどのような基準で部隊に配属
されたのでしょうか?

私の聞いた話では、出身県や地域別に配属になった、と言う
話も聞いたので、例えば召集がかかり、故郷から戦地に行き、
そのまま同郷の(気心の知れた)仲間たちとともに戦うことが
出来たのでしょうか?

もしわかる方がいらっしゃれば教えてくださればうれしいです。

A 回答 (7件)

No.1です。

蛇足の蛇足。
 旧陸軍の各兵科では歩兵の数が圧倒的に多く、陸軍の基幹であり、「兵隊さん」といえば歩兵を想像するのが普通です。
 ちなみに今の自衛隊の「普通科」とは、旧軍の歩兵に相当します。「兵」という字が入ると、憲法9条の関係でマスコミに騒がれるといやだから逃げたんでしょうね。
    • good
    • 1

全般的には既にご回答のあったとうりです。


ただ特殊技能の必要な場合、例えば鉄道連隊、工兵連隊、輜重連隊等はそれに必要な技術、経験、資格を有する人を集めるので出身地に拘らなかったとききます。

自動車運転免許はまだ当時の日本では少なかったので、各市町村の兵役係で別枠で取り扱ったと聞きます。

基本的に歩兵連隊は郷土単位で編成されましたから各地方の特色を帯びたのは必然でした。  
確かに寒冷地や山岳の多い地方の兵士は忍耐力に優れ、気象に対する抵抗力がありましたが、一方都会の兵士は体力的にはおとりますが、精神的に強く、一般に高学歴で種々の技能に対応出来それなりに有能な兵士が多かったといいます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

それぞれの地方の特色が歩兵連隊にはあったのですね。
参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/09 09:57

NO1です。

蛇足です。
 徴兵検査(兵役検査)は本籍地の指定された場所(大抵は学校などの場所を借りて)で行われます。したがって連隊区の兵役原簿も本籍地ベースとなり、歩兵連隊=郷土部隊となります。
    • good
    • 1

日本人の男子は満20歳になると兵役検査を受けます。

そこで甲種合格して更に抽選で選ばれた人が「現役兵」として入営しますが、残りの人はいざという時の予備兵力として「兵役原簿」に名前が記載されます。現役兵が兵役を終えた後も同じ扱いになります。
いざ戦争が始まり大量の兵が必要となると「現役兵」だけでは不足するので、兵役原簿から抽選で選ばれた人に「赤紙」が送られて「応召兵」として入営します。ちなみに徴兵検査で即入営の現役兵が呼ばれるのを「徴集」、赤紙で入営する応召兵が呼ばれるのを「招集」と区別します。

兵役原簿は兵役検査を受けた連隊区に保管されているので、そこにその人の「兵籍」(本籍でもなく現住所でもない)というものが存在する事になります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

「兵籍」と言うものがあることと、「徴集」と「召集」の違いが判りました。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/09 09:54

> 徴兵された兵隊はどのような基準で部隊に配属


されたのでしょうか?

 陸軍と海軍に分けて簡単にお答えします。

 陸軍の場合、基本として各地域ごとに「常備団隊」を設け、「師団単位」で駐屯し、徴兵・召集兵は「連隊単位」で受け入れました。

 「第二次世界大戦」において、という設定ですから一番近い1940年度の常備団隊配置表の一部をしめすと

 第2師団  = 歩兵第4連隊(仙台) 歩兵第16連隊(新発田) 歩兵第29連隊(若松) 野砲兵第2連隊(仙台) 輜重兵第2連隊(仙台)

 というように各郷土ごとに分かれており、いわゆる郷土部隊の性格を持っていました。

 しかし、師団以外の部隊、例えば「航空」「船舶」「鉄道」「戦車」などの部隊は地域関係なく徴集しました。例えば当時の国鉄に勤務する機関士や民間航空会社のパイロットなどは優先して鉄道部隊や航空部隊に召集する必要があったからそうなったわけです。

 さらに師団でも満洲・朝鮮・台湾で編成された師団の場合もいわゆる全国区からの徴集でした。

 海軍の場合は、基本として各鎮守府(佐世保・呉・舞鶴・横須賀)ごとにその周辺地域から徴集しました。たとえば岡山の人は呉鎮守府から徴集され、呉海兵団に入団し訓練を受けたわけです。


 補足ですが、回答No.2の方の

>ビルマでは「8連隊」こと「安(やす)兵団」とも一緒に行動したようです。東北や九州出身者の「菊兵団」「狼兵団」などは強かったそうです。

 についていうと、「8連隊」は「安(やす)」ではなく「淀(よど)」が正しい。また8連隊(第4師団に所属)は大阪の連隊で、「安」(第53師団)は京都の部隊。「菊兵団」は久留米などの北部九州出身者からなる師団。「狼兵団」は朝鮮の京城(龍山)に司令部があった師団で、やはり北部九州出身者が多数を占めていました。したがって東北とは関係がありません。


 
 
    • good
    • 1
この回答へのお礼

細かな説明、ありがとうございます。非常に参考になりました。
「郷土部隊」と言う言葉があったのですか。団結力がより強くなりそうだと感じました。

お礼日時:2006/11/09 09:51

歩兵に関しては出身地の連隊ですが砲兵・工兵・鉄道連隊などは各地の寄せ集めです。


出身県もばらばらです。
私の父は津田沼の鉄道連隊でした。ちなみに栃木県出身です。
泰緬鉄道に従軍しました。

ビルマでは「8連隊」こと「安(やす)兵団」とも一緒に行動したようです。東北や九州出身者の「菊兵団」「狼兵団」などは強かったそうです。 
    • good
    • 1
この回答へのお礼

一般の歩兵と、技術を持った連隊では、配属が異なっていたと言うことですね。
そんな知識もなかったので、ためになりました。ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/09 09:46

 回答者さんのご理解でOKです。

国内を各連隊区に区分し、その連隊区にある本籍地の役場から召集令状が来ます。
 「またも負けたか8連隊」で有名?な第8連隊は大阪でした。番号が一桁でもわかるように歴史ある連隊ですが、弱いというヘンな評判がありました。
 先の戦争で、8連隊の兵隊として戦い、無事生還した人(私の会社の先輩)に「やっぱり弱かったんですか?」と失礼なことを聞きましたところ、ニヤリと笑って「大阪の人間ばかり集めたんでは強いわけがない。」との答えが返ってきました。
 8連隊が弱いという評判が立ったのは、もっと前の日清・日露の頃だと思いますが、柔弱な人間が少ないと思われる九州や東北の部隊が強かったという話を聞いています。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます。
実際に体験した方のお話も聞けて、なるほどと思いました。
何回も補足ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/09 09:44

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!