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入門書を読んで理解を深めてから質問しようと思っていたのですが、なにぶん多忙かつ
魯鈍であるため、ほとんど理解していない状態での質問をお許しください。
ゲーデルの不完全性定理の入門書を読むと、一般人向けの説明として次のように記述されて
います。
●自然数論を含むような数学的体系の無矛盾性を、その体系内で証明することはできない。
これは、分かりやすいく言うとどういうことなのでしょうか。論理記号式を使用しないと
説明は無理ですか。

不完全性定理は「自己参照」とか「自己言及」を行なった際に生じる、避けられない
困難性や矛盾の存在を言い表しているのだと思いますが、次のような(安直とも言える)
拡大解釈を許すような、普遍性のある定理なのでしょうか。
●認識主体が自分自身を完全に認識することはできない。(認識)
●哲学が哲学を完全に定義することはできない。(定義)
●体制が自己の正当性を自分で証明することはできない。(証明)

A 回答 (3件)

mori0309さんてば、安直しちゃいけません。

(stomachmanも初めて学んだときは高校生だったもんだから、もろに安直してしまいましたけどね。)
無矛盾性と健全性と完全性はよく似ているけど別の概念ですから、慎重に区別しましょう。不完全性定理のストレートな解釈は「自動的に定理を枚挙するようなアルゴリズムはない」という意味です。
系:数学者は失業しない
ここで「定理」とは「公理」+「推論規則」から演繹される「真である命題」のことです。全ての「定理」の集合が「理論」。つまり、形式的体系における「理論」というのは、それ(「公理」+「推論規則」)を言ってしまったら、必然的にこういう話(「定理」)になるじゃないか。という、「公理」+「推論規則」の中に既に暗に含まれていた結論の総体です。もちろん「公理」+「推論規則」を変えれば「理論」も変わりますから、ピタゴラスの定理がどんな「理論」にも含まれている、という訳じゃありません。
> ●認識主体が自分自身を完全に認識することはできない。(認識)
> ●哲学が哲学を完全に定義することはできない。(定義)
少なくとも「公理」+「推論規則」が記述できるなら、「理論」は陰に(陽にではなく)定義されるわけです。そういう意味で完全に定義され、認識されている。ただ具体的にもれなく枚挙するシステムは作れない。(微分方程式は立てたけど、解けない、というのと似てますね。)これを「DNAが分かればヒトが分かるか」のように拡大解釈しちゃいけません。形式的体系の「理論」は、「公理」+「推論規則」以外の影響は全く受けない。一切の夾雑物は許されないのです。しかしヒトはDNAのみで生きるにあらず。死体や鼻くそにだって同じDNAがあります。
系:医者は失業しない。
 一方、「認識主体」や「哲学」が「形式的体系」か、というと全然そうじゃない。理論物理学のいう万物の理論(theory of everything)は、いわば宇宙の「公理」+「推論規則」を見いだそうという研究です。演繹とはまるで逆のことをやっている。「公理」+「推論規則」をいろいろ仮定してみて、そこから演繹される「定理」を現実と比較する、という作業をやっていくしかない。これは帰納法ですね。究極理論!と思っていても、いつか反例が見つからないとも限らない。
系:物理学者は失業しない。
また、数学の正当性を論じる「超数学」自体も、形式的体系ではありません。ましてや「形式的体系」以外の方法を検討しようとする時に、その活動が形式的体系の枠の中にあるのかというと....
つまり、不完全性定理があるかどうかとは無関係に、「哲学を形式的体系として表現できるか」という問題が先に来るんです。
系:哲学者は失業しない。
「認識」に関しては、証明ではなく「ん!そうに違いない!!」という納得が求められている訳で、これは不完全性定理の文脈には乗りそうもありません。
> ●体制が自己の正当性を自分で証明することはできない。(証明)
幾ら何でも、これは「正当性」の意味がずれちゃってませんか?
系:政治家は失業しない。

mori0309さんてば、まあまあ、そう焦らないで。
レイモンド・スマリヤン「決定不能の論理パズル」白揚社
ダグラス・ホフスタッター「ゲーデル・エッシャー・バッハ」白揚社
ナーゲル、ニューマン「数学から超数学へ」白揚社
など、すてきな本がいっぱいありますから、10年掛けてじっくり楽しんで下さいよ。
系:本屋は失業しない。
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前の回答の、前半の超数学の部分に関して、不正確な言い方をしてしまったので、追加しておきますね。


ゲーデル先生の証明は以下のことを含んでいます。
●自然数を含むようなどんな形式的体系においても、それが無矛盾なら、「公理+推論規則」を使って命題Aも¬A (Aの否定)も証明可能でなく、しかも、Aはこの形式的体系において真である。そのような命題Aが存在する。
 「定理」とは「公理+推論規則を使って証明可能な命題」ですから、正確にはAは定理ではないですね。前の回答ではここがいい加減過ぎました。「定理」と「真である命題」は区別しなくちゃいけないんです。
 「真なのに証明できないって、どゆこと???」となって戴ければまさに嵌った!んです。ようこそ、mori0309さん!!
●しかも、Aを証明できるように形式的体系に公理を追加してみても、追加の結果できた新しい形式的体系が無矛盾なら、やっぱり命題Bも¬Bも証明可能でない、そのような命題Bが存在する。
 公理を幾ら拡張しても無駄。という訳です。それに下手な拡張は無矛盾性を損ないます。ひとつでも矛盾を含む体系では何でも定理になります。何でも証明可能。Aも¬Aもです。証明能力が異常に高い体系は、矛盾を含んでいるかも知れないと疑うべきですね。
●さらに、自然数を含むようなどんな形式的体系においても、それが無矛盾なら、C:「この形式的体系は無矛盾である」という命題は、Cも¬Cも証明可能でない。
 だからと言って、自然数を含む形式的体系の無矛盾性が証明できない訳じゃない。実際、自然数の算術体系の無矛盾性について、たとえば超限帰納法による証明があります。ただ、その形式的体系自身の中で証明することは出来ない、というだけの事です。(実際、超限順序数は自然数の範囲を超えてます。)つまり、有限個の「公理+推論規則」だけで数学を完結させることは不可能である。
 
もちろん、自然数論を含まない体系(つまり「無限」を含んでいない体系)では、それ自体の完全性が示せる可能性があります。つまりもし、自分自身の完全性、あるいは無矛盾性を証明できたら、その形式的体系は矛盾しているか、あるいは数もまともにかぞえられないおバカな体系なんですよ!!
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この回答へのお礼

さすが!!! 敬服! 脱帽!
なんという明快かつ機智に富んだ回答なのでしょう。すっかりstomachmanさんのファンに
なってしまいました。1000ポイントくらい差し上げたい気持ちです、、、、、、
が、しかし、明快なのに理解できないのが素人の悲しさです。
●> 「無矛盾な形式的体系Aにおいては、真ではあるが証明も反証もできない命題aが存在する」
今のところ鵜呑みにするしかありません。(当たり前ですね)
証明も反証もできないのに、なぜ真であると断定できるのですか?
(これを初回の質問で出せばよかったのですね)
●> 「自動的に定理を枚挙するようなアルゴリズムはない」
ということは自分でものを考えて法則を発見してくれるコンピュータは作れないという
ことなのですね。(アルゴリズムによらないコンピュータができれば話は違ってくる
でしょうけど)
●> 自然数を含むようなどんな形式的体系においても、それが無矛盾なら、C:「この形式的
 > 体系は無矛盾である」という命題は、Cも¬Cも証明可能でない。
???「無矛盾なら無矛盾かどうか証明できない」ということですか? 変な日本語。
「自分で無矛盾と言い張っているけど、他人から見て無矛盾かどうかは肯定も否定もできない」
ということなのでしょうか?
●> 有限個の「公理+推論規則」だけで数学を完結させることは不可能である。
●> 「認識主体」や「哲学」は「形式的体系」ではない。
なぜか分かりませんけど、この言葉を聞くと、ホッとします。また、例によって墓穴を掘る発言
をしますけど、この言葉を聞いて感じることは、次のようなことです。
★そぉか~。宇宙の未来は不確定なんだ。人間も宇宙自身も、因果律の奴隷じゃないんだ。
我々はみんな自由なんだ。生きているということは、そういうことなんだ。我々自身の自由に
よって価値を創造していくことができるんだ。その価値がすなわち真理なんだ。
(すこしだけならツッこんでもいいですよ。でも、ただの独り言ですので)

お礼日時:2001/01/07 17:05

補足がひとりごと、なのは重々承知しておりますが、もう、ほんの先っちょだけ、突っ込ませてくださいね。


> 証明も反証もできないのに、なぜ真であると断定できるのですか?
その形式的体系Aの中では証明できない、ってだけであり、別の体系Bから見れば、Aにおいてaが成り立つのは自明かも知れない訳です。(ここで言う体系Bが、Aに対する「超数学」です。)

> 自分でものを考えて法則を発見してくれるコンピュータは作れない
そうじゃないです。法則は帰納法で見つける物。実際、人工知能では学習の一種、あるいはデータから法則を見つけだす方法(データマイニング)として盛んに研究されてます。ここで言っているのは機械的演繹によって「真の命題を全部枚挙することが出来ない」という事で、別の話です。

>「自分で無矛盾と言い張っているけど、他人から見て無矛盾かどうかは肯定も否定もできない」
まさしくその逆です。自分では無矛盾と証明できないけど、他の体系から見れば無矛盾性が証明できることがある。あるいは、自分の無矛盾性が証明できちゃうやつは、他の体系から見れば、だからこそ矛盾していることが分かる。
ちなみに「キャッチ22」という小説(傑作です)をご存じでしょうか?その中に出てくる軍規:
(1) 発狂した爆撃手以外は任務から外されることはない。
(2) 発狂した場合には、本人が申告しなくてはならない。
(3) 自分で発狂したと申告した者は、正気だとみなす。
「わたしゃー、酔っ。ぱらっちゃ、あ、いませんよ~っと」

> ★....
焦んないでってばぁ。この話で言う「真」は「宇宙の真理」のことじゃないですよぉ。
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