大学時代、哲学の講義の紹介文で、こういうものがありました。

「あなたも含め、10人の人間がいずれ死んでしまう病気にかかっています。
特効薬もなかったのですが、ある日、あなたは1人分の薬を手に入れました。
必ず治るのですが、1人分しかありません。
さて、あなたならどうしますか」

この紹介文に興味を持ち、ぜひ哲学を受講してみたかったんですが、
残念なことに同じ時間にどうしても取らないといけない必修科目が入っていて、
教務課の方に相談しましたが無理でした。

今でもたまにこの紹介文を思い出し、考えることがあります。

みなさんなら、どう考えますか。

ちなみに私なら、もしその薬を自分が飲んでしまえば、性格上、最後に残ってしまったときに後ろめたくて一生気にして生きていかないといけなさそうなんで、捨てるかも・・・。

A 回答 (7件)

 


  >「あなたも含め、10人の人間がいずれ死んでしまう病気にかかっています。
  >特効薬もなかったのですが、ある日、あなたは1人分の薬を手に入れました。
  >必ず治るのですが、1人分しかありません。
  >さて、あなたならどうしますか」
  
 これは、「貴方ならどうしますか」と尋ねているのではなく(見かけは質問ですが)、哲学における大きな課題である「倫理・社会倫理・個人倫理」などの問題の存在を導入するため、また、この問題の難しさから「倫理の問題」がいかに重要で難しいかを学生に introduce するための問題で、これに対し「わたしはこうする」というのは、どうも本来の問題の目的とはずれていると言わねばなりません。
 
  色々な人の考えがある訳で、そういうことは古代から分かっているので、だから、哲学のなかの「倫理問題」として古代から論じられているのです。
 
  これについては、個人個人の倫理意識や、共同体の共通規範倫理などの問題が関係して来ます。日本人は、西洋哲学的な「倫理意識」とは少し違う文化規範があるので、この問題はうまく当てはまらないことがあります。好き勝手な考えができるのは、そういうことも一因です。
 
  考え方は色々なアプローチがある訳で、「人命は貴重である」という規範を前提にすると、一人しか助からない以上、誰かが助かるようにするのが最善であるとなります。その場合、「誰が生き残るが最善か」という問題になります。個人のエゴイズムというか、自己生存欲の高さは自明ですから、個人個人の欲望と、それに拮抗できるだけの共同体や集団の倫理規範があるかという問題になります。
 
  生き残ることで、もっとも社会や共同体に寄与できる者が生き残るのが最善であるという基準もあり得ます。その場合、非常に優れた人物であるが老人で、余命数年という人と、標準より優れているが、賢者の老人にはとても適わない若い人では、どちらが生き延びればよいか、というような比較判断も問題になります。「人の価値は比較できない」のですが、否が応でも比較判断せねばならないという状況を設定している訳です。これは、「人命は貴重であり、救うことができるのに、これを死なせるのは倫理ではない」という考えからすると、こういう問題が出てきます。
 
  他方、人はいずれ死ぬのであり、「いかによりよく生きて死ぬかが」重要であるという考えもあります。これも倫理規範です。この場合、他の9人を押しのけて、一人が生き残るのは、「よき生き方、死に方ではない」という考え方もできるのです。一人だけ生き残ると罪悪感に陥ると言うのは、共同体の倫理で、「ともに生き、ともに協力し、ともに死のう」という形の倫理があるからです。「ともに死のう」というのは、人命軽視ではなく、人は「その死のありようで価値が決まる」という考えがあり、誰か少なくとも一人が生き延びて使命を果たさねばならないという場合は、誰がその使命に適任かという判断問題になり、先に述べたような判断問題になるのですが、特に、生き延びて使命を果たさねばならないというものはないという場合、「共に生きて死のう。それが共同体の秩序の原理だ」という考えからは、一人が生き延びられても、それでは共同体は成立しなくなるので、全員が死のうというのが最善であるとなります。これは、共同体が、十人が死んでも残っている場合です。いわば、共同体に、共通の紐帯や連帯の重要性を教え実践するために、十人は死んで行くとも云えます。
 
  また、こういう限界条件になると、人間のエゴイズムが露呈されるもので、人間は、どこまで冷静に倫理的に問題に対処できるのか、人間の本性や、その倫理による陶冶の問題を考察する契機にもなります。共に死のうとか、崇高な倫理を解いて他の人を説得した人物が、巧みに薬を自分だけ手に入れて、生き延びるということもあるのです。狡猾なエゴイズムの戦略とも云えます。また、そういう特効薬があると十人に知れた時点で、集団としての強調は消え、エゴとエゴが衝突して、薬を手に入れるため、殺し合いが始まり、他方、倫理的な人は、そういう争いに加わらないが、猜疑心のある人から殺されるとか、色々な事態の進行が考えられるのです。
 
  つまり、人間のエゴイズムとは、どういうものか、限界状況で、人間はどういう行動を取るか、倫理などは、どのように意味を持ち、判断に関係するか、哲学の倫理的問題や、人間の本性についての考察が、このような状況設定で、考える必要が出てきて、ここで、倫理学しいては、哲学の存在意味、人間の存在の問題へと、導入するための状況設定として、この問題はあるのです。
 
  だから、「わたしはこう考える」と言っても、実際にそういう事態になると、どう考えるか分からない訳で、人の日常的思いは、状況が変われば、いかに変わり得るかという反省の課題も含んでいるのです。もっと深く思索してみるとどうなるのか、……答えが、分からなくなって来るのですが、哲学の問題とは、このようなものなのです。とりわけ、「よりよい生き方とは何か」という問題で、普段偉そうなことを言っている独断・独善主義者などは、こういう問題に直面すると、その考えがいかに皮相か・幼稚かというようなことも露呈されて来るのです。
 
  「汝自身を知れ(Gnoti se auton)」というのが、哲学の重要な格率であり、自己を知らない浅薄な人ほど、偉そうなことを断言的に言うとも云えるのです。本当に自己を知れば、いかに自分が不安定で、頼りなく、未熟なものかということが痛感されて来るのです。ここから、哲学や倫理は出発するのです(痛感しない人は、哲学には無縁な独善者で、そういう人は、哲学では、どうでもよいということになります)。
  
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

「哲学」という学問、そして私がここで書いた質問は、決して答えが出るものではない、と私も思います。
みなさんに回答していただきましたが、ほんとに十人十色でしたよね。
私は哲学について、勉強したことはありません。
ですが、いろんな意見を聞くことは好きです。
実際にその状況に陥ったときに、自分がとる行動もわからない、というのも納得できます。
ただ、その状況になったときにどうするのか・・・考えてみることによって、自分についていろいろと気づくこともあって、なかなか楽しいことです。
人間には必ず矛盾もあると思います。
今、こう言ってても、実際になればどういった行動を取るのか・・・・違ってても別に不思議はないし、むしろ、当然なのかもしれません。

なんか、何を言っているのか分からなくなってきましたが、貴重なご意見、ありがとうございました。

お礼日時:2002/04/14 00:01

私が飲みます。

私が飲んで、祈ります。
私が最後まで生き、説き続ける事で、他の九人を救いましょう。
それが道理です。しんがりですから(笑。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

#2、#5と同じ方ですよね?
お礼をまとめてさせていただきます。

_hiroya_さんはいろんな回答を出してくださいましたね。
どの回答もこの状況下では起こりうることだと思います。
私も、今は「一人生き残った時に後ろめたさを感じる」と思いましたが、実際この状況になったとき、自分がどうするかは全く予想もつきません。
_hiroya_さんはきっと、自分がこの状況になったときにどうするか、いろんなパターンを考えてくれたんですね。

興味深かったです。
ありがとうございました。

お礼日時:2002/04/13 23:52

僕はどうしましょう。

10人で分けますね。
1/10づつみんなにのませます。一人分という真相は、闇に葬ります(笑。
闇も役に立ちますね。こういう時は。
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●自分だけたすかった時の 虚無感を知ってますので


 他の九人に薬を 託します。
 九人も わたしと同じ考えで くじ引きになってしまって
 もし わたしが飲むことになったのなら
 ありがたくいただきます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私も、chihokoさんと同じように多分その薬を自分だけ飲んで助かった時、虚無を感じずにはいられないと思いました。
でも、9人に薬を渡して、そこで人間のエゴとエゴがぶつかり合うのも見たくないですよね・・・。
みんな、同じことを考えるとは限りませんから。

多分、私なら特効薬を手に入れたことを後悔するでしょうね。

ありがとうございました。

お礼日時:2002/04/13 23:46

薬を手に入れたことを明かし、使用法ついて哲学的論議で決定する


ただし薬の在り処は伏せておいて、次の答え以上の解があればそれに従う

贋物を9つ用意し10のうち1の可能性があるということで、皆でそれぞれが薬を飲む
もちろんこの際自分が飲むのは最後の物
  
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

mcqgogoさんの回答を読んで、なるほど!そういう手があるのか・・・と思いました。
確かに、mcqgogoさんの考え方でしたら、平等ていうか、誰がその薬を飲んだとしても、納得がいきますよね。
おもしろい提案だと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2002/04/13 23:42

いずれ死んでしまうのは病気じゃなくてもそうだろ?


と言う事は、それは不死の薬じゃねぇか。そんなのいらねぇ。
>さて、あなたならどうしますか?
気にしないな。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

特効薬=不死の薬、と考えましたか。
私は、ここで出て来た薬は今の病気を治すだけで、不死の薬かどうかは分からないと思いました。

でも、そうですね。
人間はいつかは死ぬものです。
私は、自分がいずれ死ぬために今、一生懸命生きてるんだと考えます。
この薬を飲んだところで、いずれはまた「死」へ向けて生きるだけ・・・・考えてみれば同じことなのかもしれません。
ただ、寿命が延びるかどうか・・・ってだけですよね。

ありがとうございました。

お礼日時:2002/04/13 23:39

 他の人は、特効薬という事も知らないんでしょ。


 自分が飲むしかないでしょう。
 他の人は、疑うだけではないですか?
 それでは、何にもならず、手に入れた人しか分からない事なのです。
 如何でしょうか?
 特効薬に、巡り会える人は、それだけの徳というものもあるのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

おぉ・・・私とは反対の回答ですね!
もちろん、十人十色、いろんな回答を期待してましたから、ありがたいです。
「徳」ですか。
今までの自分の諸行がよかったと言うことですよね?

いやぁ、いろんな意見が聞けて楽しいです。
ありがとうございました!

お礼日時:2002/04/13 23:33

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