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殺人は悪だと思いますか?

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A 回答 (43件中31~40件)

 理由はわかりませんが、少なくとも、私と、#1から#12間での回答者さんと、質問者さんにとっては、悪のようです。



 ただし、絶対的な悪ではないようです。「家族を守るための殺人」「愛しい人への復讐のための殺人」「鬼畜米英を倒すための殺人」「殺人犯に対する刑罰としての殺人」・・・などなど、何らかの優越的利益があれば肯定されるようです。
 つまり、その行為に、殺人のマイナスを上回るプラスがあれば肯定されうる行為なのです(とはいえ、そのプラスとマイナスの比較の基準は不明です)。

 しかし、逆にいえば、そのような「正当化」を行わない限り「善だ」と相手を説得できないという意味で、「悪」なのです。

 なお、質問者さんは#5の補足で「殺人は自然な行為ではないか」とおっしゃっていますが、「人が人を殺してきたこと(事実)」と「人を殺してはいけないということ(規範)」は、とりあえず別の問題といえるでしょう。
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悪ではないと思います。


かといって、善いことではないでしょうね。

確かに殺人は、そのひとの命を奪う、生きていく権利を奪うことです。
生きていたいと望む人間を殺せば、確かにそれは罪でしょう。善くはないでしょう。

悪か否か。
殺す対象が人間で、殺したのも人間だから、社会的に悪、ということになるんです。同種殺しですからね。──動物は、普通共食いとかしませんし。
自分が生きていたい、死にたくない、殺されたくない。そう考える人間が多いから、人殺しは善くないんです。
悪だ、と教えられて育つから、考えないままに悪だと思う人だっているかも知れないって事です。
関係ないことですけど、善悪まで教育してはいけませんよね(苦笑)

殺人で捕まるのは、法で決まっているからです。
法律で決まっているから殺人は悪で、罪なのです。法で定められていなければ、悪でも罪でもありません。
道徳的に善くないとされるだけです──多分。

経験者といっても、人を殺したことはないです。
ただ、延々と殺人は罪悪かと考えていただけです。つい先日。

この回答への補足

法律には矛盾が含まれているに正しいと言えるのでしょうか?

補足日時:2002/04/13 14:09
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#4 delmondo です。



 > 今ある法律的、道徳的、宗教的規範は
 > 本当に正しいのでしょうか?

  規範は正しいと思います。

  問題はそれを行う各人の「倫理観」に
  あるのではないでしょうか。
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なんの関係無い人を通り魔的に殺す。


恨みを持っている人を殺す。
殺すつもりはなかったのに、死んでしまった。
戦争で敵兵を殺す。
死刑を執行する。
安楽死させる。
エトセトラ。。。

場面、場面によって判断基準が変わるのではないでしょうか。
なので、ひとえに悪とは言いきれないと思います。
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悪だと感じます。


体と心が拒絶反応を送ってきます。
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 わかりません。



 「殺人」という行為は理論上考えられる限りの最高刑罰をもってまず法律できびしく禁止されています。社会通念上許される行為でないことは改めて問う必要の全くない常識であることを考えれば、ここに印象深い短い文章で質問としてあげられたことに、何らかの意図を感じます。その意図を勝手に想像して答えると、この最初の答になってしまいます。

 例えば今パレスチナとイスラエルの間で起こっていることを考えると、私たちと同じ現代市民社会を生きているであろう彼らが倫理的に「殺人」を否定できないでいる場面を、報道を通じてつぶさに観察すれば、将来我々自身にもおなじ事が起こる可能性を感じて心底恐怖します。

 そもそも殺人が悪だとするルールは、人間が生まれながらに持つ自然な感情ではありません。神話や聖書ですら無機的・無批判に殺人が列記され、歴史上の英雄とされる人物はほとんどが殺人者です。広島や長崎でかつて当時の新兵器によって20万人の同胞が殺害された行為が罰せられた話は残念ながら聞いたことがありません。かつて千円札の肖像にもなった伊藤博文を殺害した安重根は朝鮮半島では英雄ですし、そのような例を挙げれば枚挙に暇がありません。

 我々の常識とはうらはらに人間は生まれながらに殺人者ではないかと考えられるほど歴史は殺人で満ちていて、このことを考える限り、殺人が倫理的に絶対悪であるとする根拠はどこにも見あたりません。

 私の想像ですが、殺人が悪とされるようになったのは、共同社会意識の発生と期を同じくしているのではないでしょうか。社会の成員が他の成員の生存を意図的に否定する行為は、その社会の存在を根底から脅かすからです。殺人に対する倫理的判断はそのあとに人工的に作り上げられた、言い換えれば我々の絶対的倫理観や道徳観とはかくも弱いものである、と私は思うのです。

 さらにテレビで流されるドラマやアニメですら、毎週人が殺され、視聴者はそれを楽しんでいるかのように感じることがありますが、そういう番組を見るにつけそういう「絶対的倫理観」の存在すらあやぶまれるという印象を持ってしまいます。また、死刑や戦争ではときに「殺人」が奨励され、数多くそれを達成した者は英雄として扱われる事態は、決して過去の歴史上のことだけではないはずです。

 またもう一つの論点ですが、「善」と「悪」とがいかにあやふやな基準で隔てられているかということもあげられるかと思います。個人が社会の中でどうのように行動していくか、その規範となるべき道徳観や倫理観は突き詰めれば、非常に曖昧で個人差の大きい基準によって構成されています。日常生活の中で人を「殺していいか」などという判断を迫られる局面はまずないとは思いますが、報道を通じてさまざまな殺人者の心理を追跡するかぎり、彼らの道徳観はおそらく我々のそれと地続きであろうと考えると、不意に高所から下をのぞき込んだような、いい知れない恐怖を感じるのです。「罪と罰」の中でラスコーリニフが思わず手に取った斧は、そこら中に置いてあるのかもしれません。

 ともあれ、ある場合は奨励され、そして別のある場合では最高刑をもって厳しく禁止される、そのような行為=殺人に絶対的倫理観によって否定され、それをもって禁止されると断言する自信は私にはありません。よって冒頭の結論になるわけです。(いくらか逆説的表現もふくんでいますが。)
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人のもつ常識的な権利を奪うことは「悪」です。


「生きたい」と思う人の基本的な権利を奪うことはどう考えても悪です。
ただし、「死刑」に関しては犯罪を犯した人が既にその権利の枠を自分から破っているので「悪」ではないと考えます。
そしてブラックジャックに出てくる「Drキリコ」と言う安楽死を望む人に苦痛のない死を与える医師が出てきますがそれもその人の権利を侵害しているわけではないので「悪」ではないと思います。

緊急避難措置、例えば1人しか乗れないボートに2人いてこのままでは沈んでしまう場合、もう一人を突き落とすことは「緊急避難措置」といって犯罪になりません。
これは法律的には悪ではありませんが利己の命のために人の権利を侵害する行為なので悪とも善とも言い切れません。

戦争で「殺さなければ自分が上官に叱責される」から人を殺す。これは単純に考えれば「悪」なのですが戦争の目的によって違います。
侵略戦争で敵国を侵略するために敵国の人間を殺すことは悪ですが敵国の侵略を防ぐため、敵兵を殺すのは当然の権利なので「善」だと考えます。

この回答への補足

常識的、という基準はどこにあるのでしょうか?常識と思っているのはもしかして自分だけかもしれません。それと侵略する側は悪だとありますが侵略する側の兵に養っている家族がいますし命令に逆らえば殺されてしまうので家族に貧しい思いをさせないために戦争に携わるしかない、と言う場合は悪とはいえないのでは?
    

補足日時:2002/04/13 10:12
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>殺人は悪か


この質問を見て、質問者さんは、殺人を悪か善かに分類したいのかと思ってしまいました。
殺人は悪に分類しなくてはならないですが、私個人は、殺人にもいろいろあると思います。相手に「殺してほしい」と頼まれて殺したのなら、それは悪とか善よりも、愛情だと思うからです。
以下は、「殺人は悪いことだからやっていけない」、そう言われても殺人をしたい人に言います。
●世の中には、殺人が悪いという理由は分からないけれど、「絶対に殺人はしたくない」という人がいます。私も、人を殺したくはありません。事実、第2次戦争体験者がもっとも辛かったこととして語るのは、飢えのつらさと同時に、妊婦や子供などを、上司の命令で殺さなくてはいけなかった、という体験です。命令にさかえらば、自分が殺されるので、しかたなく子供を殺し、妊婦の腹を裂いたということです。殺人が楽しいと思える人は別として、そうではなく殺人が辛いという人に殺人をさせるのは、生涯忘れられない罪悪感となって、その人を苦しめます。そういう側面から見ると、決して殺人はよいことではないと思います。
●別の面から見てみます。たとえば、人を殺しても苦しくも辛くもない人にとって、殺人は悪なのか?
動物には、もともと暴力的・攻撃的な衝動があります。だから、人が人を殺すこと、それを悪とすることは、少し短絡的かもしれません。
しかし人間には、発達した脳があり、家族がいます。
家族もいない人が、人知れず殺されたなら別ですが、家族などがいる人が殺された場合、それは社会的に相当大きな影響を及ぼします。
アメリカで、自分の娘が強姦の上殺された父親が、連行される犯人をライフルで殺された事件があります。しかし、殺されぬその犯人に、同じように家族がいたら、殺し、殺し合う連鎖は、つきることがありません。そのようなことは、当人達は気付かないでしょうが、まわりはとても迷惑です。
●こう考えていくと、「殺しは悪ではない」という通念を認めてしまうと、単に生きているだけでも、自分もいつ殺されるかわからないという状況になるわけです。誰かに恨まれたり、怒られたり、不愉快に思われたりすることはよくあることですから、「殺してもいい」、社会がそう認めたら、世の中は、殺しあいが絶えなくなるでしょう。ちょっと散歩に出かけると、老人が「近ごろの若いもんは、けしからん」とか言って、高校生をつえで殴り殺したりしちゃうかもしれません。電車が遅れたら、社会人が駅に詰め掛けて、集団で駅長を殴り殺したりするかもしれません。
●そんな社会は、かなり辛いです。だから、殺人は悪です。
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「悪」という基準は人によって違うと思いますが、


"社会"(あえてダブルコーテーションで括ってみた)で生きる人間の基本的規範として「自分が被って嫌なことは他人にもしない」ってことだと思うのです、私は。
そういう意味では私にとってはトップレベルの「悪」かな。

ちなみに、私は死刑も殺人の一つだと思うので「悪」だと考えています。
ただ、身内が殺されながらも加害者が死刑にならなかったら、私自身が「悪」を犯すかもしれません。

何故、midgardさんがこの質問をしたのか、
知りたいです。
仮に、全体的意見が「善」になっても殺人はしない方が吉。

この回答への補足

何故この質問をしたか?殺人を犯すどうして逮捕されるのか?と、考えていたからです。人間の歴史は戦争の歴史と言っても過言でないで思います。つまり常に人は人をまた人だけでなく様々な生き物を殺しています。それに資本主義を他者から奪うと考えれば「富」の差が出来て、貧しい国が生まれ餓死者が出ます。それは私たち先進国の者が餓死者を生んでいる、つまり、人を殺していると考えられるのではないでしょうか?以上の様な事を考えれば殺人は自然な行為なのでは?と考えたからです。

補足日時:2002/04/13 09:56
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こんにちは



 「悪」は・・・悪い事。否定すべき物事。道徳・法律などに背く行動や考え。
 「罪」は・・・法律的・道徳的・宗教的な規範に反する行為。

 ですから殺人は悪い事以前に規範に反する行為
 ではないでしょうか。よって、

 「殺人は『悪』」というより、
 「殺人は『罪』」

 と考えます。

この回答への補足

今ある法律的、道徳的、宗教的規範は本当に正しいのでしょうか?

補足日時:2002/04/13 10:23
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