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  この前、友達の結婚式があり、子供と教会に行きました。すると、子供が「どうしてイエスキリストは十字架にされて、ころされたの?」と聞いてきました。6歳になるこどもにどのように話すべきかわかりません。教えてください。

A 回答 (9件)

6歳の子供さんへ話すのでしたら、自己犠牲の愛を説明してあげたらいいですね。

イエスは自分の命を捨ててまで他人を救ったということです。

当時イエス以外の、三人が十字架刑にかかる予定でした。その三人の中にバラバという強盗がいました。そのバラバを釈放し身代わりとしてイエスが十字架刑を受けたのです。

人間はみな本来欲望がありバラバのように罪人ですから、全人類の身代わりとして十字架刑をイエスが受けたということです。

その罪人の為に命を捨てるのはレスキュー隊などに象徴される行為だと思います。人の命を救うために自分の命を捨てる行為は、救世主と同等に近いと言ってもいいのではないでしょうか。
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 おそらくイエスの行ったこと、そしてイエス本人の自覚は、キリスト教という新たな宗教の創始ではなく、ユダヤ教の宗教改革であろうと思います。



 具体的には、ユダヤ人にしか信仰されずユダヤ人だけを救う神を、あらゆる民族に開放しようとし、それゆえにユダヤ人によって死に追いやられたのだと理解しています。

 私が小さなこどもに説明するとすれば、「キリストの教えは当時の周りのひとたちと考えが違いすぎたのでひどく嫌われた。でも彼が話したことには多くの人にとっての救いとなったので、こんなに長く大切にされているのだ」と言います。

 ああ、しかし、もっと難しい追加質問が返ってきそうですねー。
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#6で言っている当時の教会は、地動説ではなく天動説です。


ユダヤ教は戒律が厳しいのでストレスが溜まるのでしょう。そのユダヤ教の民衆のストレス発散として、イエス・キリストは十字架にされて殺されたのです。
「ストレスが地球をダメにする♪」
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また別の質問もでてくるでしょう。

例えば、
1.なぜ愛を示すために十字架にかかったの?
2.なぜ正しいことを言ったガリレオが死刑になったの?

1.ではユダヤ教がイエス・キリストを殺したのです。ユダヤ教は戒律を守ることが重んじられています。イエスは戒律を守らず、自分を神として、ユダヤ教の神を冒涜したのです。だが、イエスはそのような戒律よりも愛を重んじていたのです。ユダヤ教の安息日は、仕事をしてはいけない日です。その日にでも病で苦しんでいる人に、イエスは癒しを与えまた治療もしていました。そのことでイエス・キリストはユダヤ教徒からは、安息日を守らない罪人とされました。安息日にイエスがしたことは、ユダヤ教では戒律違反になるのです。ですがイエスがしたことはどんなときも、苦しんでいる人を優先して助けるという愛の方だったのです。ユダヤ教はそれを理解せずに、イエスを十字架にかけてしまったのです。そしてユダヤ教からはイエスを助ける人は一人もいなかったのです。ある意味、戒律とは残酷なものです。

2.も1.と同じことが言えます。イエスの愛を伝えなくてはいけない教会が、当時の教会のきまりは地動説であったため、このきまりを守るためにガリレオを殺したといえます。

たしかにきまりごとは大事ですが、もっと大事なのは愛なのだとイエスは言っておられたのです。イエスの十字架は、きまりごとと人間の愚かさの象徴とも言えるのではないでしょうか。それですから、きまりごとは愛からのものでなくてはいけませんね。
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多くの人は、自身や組織かわいさのあまり「正しき者」をも裁きにかける過ちを犯す者であるということですね。

十字架はその教訓でしょう。
そういう過ちを犯さない方法が「敵とみえし者こそ愛しなさい」というイエスさまの教えであり、実践だったのでしょう。
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私はキリスト者ではありません。


キリスト教が、いかに独善的で欺瞞的であったかも承知しています。
、、、、と、私の立場を断った上で以下に質問の答えを。

問い:イエスは何故十字架上で死ななければならなかったか?

答え:『愛』を示すためです。

解説:
イエスが十字架に架けられた際、隣で罪人も一緒に十字架に架けられていました。そして、その罪人はこういいました。

「あんたが救世主なら、自分とオレを救ってくれ」

しかし、イエスは奇跡を起こさず、また「神」もただ「沈黙」していました。
聖書によれば、以前あれほどの「奇跡」を起こしたイエスが、ただ無力にも十字架に架けられていました。
そして、次の一句を口にしました。

「神よ、彼らをお許し下さい。彼らは自分のしていることが分からないのです。」

この一句は、イエスの民衆への皮肉ではありません。言い換えれば、イエスはこういっているのです。

「神よ、彼らは『愛』を知らないのではなく、『愛』の出し方を知らないのです」

そうして、その後には神を賛美する「詩編」を唱えながら命を引き取りました。
それを聞いた弟子達は、大変な衝撃を受けました。
なぜなら、彼らはイエスを裏切ったにもかかわらず、その裏切った者達のためにイエスは許しを乞うたのですから。
イエスは、死の間際までも弟子達や民衆への愛を捨てなかったのです。
こんな人は、弟子達は今まで見たことも聞いたこともありませんでした。
死に臨んで、最後まで他者への「愛」を捨てなかった人、イエス。
ここにいたって、弟子達の中で彼は「キリスト(救世主)」になったのです。


以上は、もちろん私の独創ではありません。
遠藤周作という作家の「イエスの生涯」と「キリストの誕生」という二つの小説を読んで、私が理解した「遠藤周作的キリスト教観」です。
この書を読んだとき、なぜあれほど独善的で欺瞞的なキリスト教が「愛の宗教」と呼ばれるかを理解しました。
間違って解釈してる部分もあるかもしれませんので、興味があれば原典に当たってみてください。
新潮社文庫ですので、手軽に読めますよ。
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ps


そうそう!書き忘れました
キリストがこの世に現れた目的って何でしたっけ?

この世の乱れを正す為?
それは具体的に言えば何の乱れですか?
きっと信仰でしょう

そう考えても
それまでの贖罪の方法を否定し、
「その贖罪方をやるなら本来はこうだ・でもこれする?」
と真意を問うた
のではないでしょうか?

まあ神自身「自殺などするな」と言ってそうですから
問うた上で「生贄」そのものをも否定している
と解釈すべきなのでしょうかね?
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私はキリスト教否定派なのですが


かといってキリスト教信者方の方々の大多数が
他の方より勝るとも
その素晴らしさが及ばないことなどない
良い方々だと知っています

つまりキリスト教のみを否定しているわけですが

kigurumiさんの発言通りに質問者さんがお子さんに回答するかと思うと
この人類という存在は破壊すべきか?と思いました(神なら審判を目前に際しこう言うでしょう)

考えてください
生贄とは何でしょう?

私は
自らの幸せや栄達のために他の命を犠牲にして示す行為
ひては、
自らの営利の為のみに他者の命を奪う行為
以外の何者でもないと思うのです
結局「惨殺者」ですよね?

あなたの信じる神は
あなたがこれをして喜ぶとでも思いますか?
あなたの神はそんな悪魔的なものなのですか?
もしだったらすぐさまその神を否定してください
現在のキリスト教になぞらえていうならそれは悪魔です
黙示録に際し人類全般に危機を招きかねません

大体がキリスト教の神は偶像崇拝と聖典の発行を禁止しているはずです
神が禁止した書物や像がある可能性とは何でしょうか?
悪魔が神に見せかけ発行したと仮定せざるを得ないのではないでしょうか?
その書物に
何故、神の真意を読み解くヒントが記されているといえるでしょうか?

ありえませんね

なので私はこんにち、実しやかに言われている
「これがキリストの言ったことだ」
的な教えは否定しています

もっと理性的に良識的に「崇高な存在とはどうあるはずか」を考えてください

視点が変わりますが
善を行うものの資質として
「相手の立場になってその心情を汲み取る」
というのは必須条件の基本中の1つだと思うのですが
これを用い
神の立場になってその真情を論理的に考察してみてください

「自分の使途が私自身のご機嫌をとりたいがゆえに他者を殺しまくっている」
あなたならこの立場に立ったときどう感じますか?

私なら「嘆かわしい」とか「これは私の責任なのか、この身を呈してでも止めなくては」
と思うでしょうね

そしてこの世界に姿を現し人々に考えるということの芽を植え付け
「命で贖罪するならこうしろ」と手本を示した

そう推察するのが理性的だと私は思うのですが如何でしょう?

でないと
最近の惨殺事件は「自らの贖罪のため」と犯人が称したら
無罪になってしまいそうです
特にペット虐待は奨励されそうです

ありえませんよね?
お子さんにはそういう方だけにはなってほしくないとお思いですよね?

重ねてお願いします
もっと論理的・理性的に考えて良識に適っているか頭を使ってください
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「みんなのみがわりとして」



これがもっとも一般的な理由のようです。

教えでは、「アダムとイブが最初の人類で、2人は神のいいつけを守らなかった(神様を敬わなかった)。
神様はすごく怒って、それまでは永遠の命を持っていた2人から、永遠の命を奪い、限りある命にしました。
そして、2人を楽園から追い払い、罰として苦しむよう願ったので、そのとおりになりました。」
だったと思います。

その後 神様は情けもありましたので、よい人間はほめてプレゼントをあげたりしました。(祝福のことで子孫繁栄のこと)

でも人間は幸福になるとまた神様を敬うことを忘れてしまいました。

そのたびに偉い人が、人間の身代わりとして動物をささげ、神様におわびをしましたが、やはりそれでも懲りずに悪いことを繰り返しました。

神様は気付きました。
彼らはあのアダムとイヴの子孫だ。
彼らがどんなに努力しても所詮あの罪深き人間の子孫。
動物を生け贄に捧げわびてきたところで、彼らはケロっとしてまた神を敬まおうとしなくなる。
人間がどんなに努力しても罪深さを消すことは不可能だ。


そこで、神様は人間になり、自らを自らに生け贄にささげ、みんなの罪を消すことにしました。
神様が生け贄となりみんなの身代わりになったことで、みんなの中にあった罪は消えました。
殺されたのではなく、人間を愛するあまりに、自ら望んだ償いのための儀式でした。


これがイエスの死の意義だったと思います。

ただ、6歳の子に贖罪とか原罪とか生け贄って言っても理解できないので、例え話にして、わかりやすく話してみてはどうでしょうか。

それと、イエスを神ではなく預言者としているところもあるし、人間だったが神と同質になったとしているところもあるし、他にも別の捉え方を真理といて教えているところもあるので、「聞いた話の一つとして」と話した方が、後々子どもに「別なこと聞いたけど」と不信を買わなくてすむような気がします。
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