
今現在ほとんど毎日ニュースでは「イスラエルで何人死んだ」などと取り上げられていて誰もが「なんであんな事するんだ?」
と思っているはずですよね。
イスラエルのだいたいの原因はこの前テレビで取り上げられていたのでおおまかなところは分かりました。
そこでなんで宗教の教典に「戦争するな」「罪を憎んで人を憎まず」「他人には他人の考え方(信じるもの)がある」というようなことを書き込んでおかなかったのでしょうか。それとも書いてあるのにやっているのでしょうか。もしくは一人一人によって受け取り方が違うせいでしょうか。
こんな事を言うのは当事者でない他人だから軽々しく言えるものなのかもしれませんが上にあげたもののようなことにこそ宗教を信仰する価値(意味)があるのではないでしょうか。(もちろん他にもあるのだろうけれども)
No.11
- 回答日時:
多く人は、自分のために信仰するのであって、神のために、信仰しているのではありません。
だから、戦争がおこるのです。いつでも、人は、教えを守れません。
例え、宗教が一切無くても、人は別の形で戦争を起こすでしょう。
宗教を信じきれる人は少ない。
完全な信仰心を持つものは少ない。
無知なものは考えます。
完全な信仰をもつものは考えません。
信仰は知をもたらすので、完全な信仰心を持つものは、いかな頭の良い無知者でも、遠く及びません。
しかし、そのような心をもったものは、見たことありません。
有名所ではイエスでしょうか。
自分を守らない。
それで戦争は無くなる。
闘いはあります。
いつでも悪は、人の中から来るのであって、宗教や、貧困のせいではありません。
無知者は考える。知者は考えない。
無知者は間違う。
知者は、間違うや間違わないといった事はない。
考えるものは無知です。知らないから考えるのです。考えれば考えるほど、知を得るとは限りません。知は考える事にあるのでは無いからです。
この回答への補足
>いつでも悪は、人の中から来るのであって、宗教や貧困のせいではありません。
その悪を押さえ込む(?)ために宗教があるのではないのですか。
知者という言葉を知らなかったので調べてみたらいろいろ意味があったのですが
ここでは「物事の本質を知っている人」「教義や教典などに通じている人」
のどちらの意味で使われているんですか?
なんかhiroyaさんの文章を読んでいると自分は知者だとおごっている人のことを指している気がします。
>知者は間違うや間違わないといったことはない。
これは間違っても気付かないということですか。それともそういう次元の話自体に関心のないと言うことをいっているのですか?
私の読みとり方が悪いのかもしれませんが私の感じることをかきます。
知者と間違う間違わないのを同列に扱うのはおかしくないですか
だって間違う間違わないの本質は人それぞれによって違って絶対的に存在するものではない気がするからです。つまり本質がないのなら知者だろうが無知者だろうが関係なくないですか?
No.10
- 回答日時:
NO04のものです。
補足させていただきます。なぜ、マスコミが宗教的な争いのような取り上げ方をするのか。
それは、とても簡単です。実際、宗教間で争っているからです。おおもとの原因は、宗教が違うから争うのです。ただここで大事なのは、宗教は他宗教を排除せよ、などと言っていないということ。信仰している人が勝手に、他宗教は敵だ!と考え、争っているのです。個人の勝手な考えが争いを引き起こしているのです。
この回答への補足
意見が堂々巡りしてしまうことになってしまうかもしれませんが,
争うのは仕方がないことなのかもしれません。
これは私見ですがより良い人生を送るために宗教があるんじゃないのですか。
なんか無駄な事してる。というか矛盾している。
No.9
- 回答日時:
宗教を政治的に利用して戦争をすることと
宗教が人殺しを認めているか?は分けて考えた方が
イイと思います。
政治的に利用しているのは宗教の問題として論じても
ここではあまり意味がないのではないかと思うので
宗教が人殺しを認めているか?について
カキコみたいと思います。
まず、宗教というのは、そんなに理路整然としたモノでは
ないと思います。
なかでも仏教は基本的に伝承宗教であり
教典としてどれが正しい/正しくないか、すら
ハッキリしていません。
オウムは殺人を肯定しましたが
むしろ密教の一部の教えに忠実なのだそうです。
キリスト教やイスラム教は古代イスラエル人の宗教
(後のユダヤ教)に端を発しますが
ここで大事なのは神との契約であり
これに背くことで人間は何度も神の怒りを買い
出エジプト記に代表されるように
神によって殺されています。
コーランにも「もしアッラーのお恵みと御慈悲なかりせば
汝等その報いとして亡びの道を辿っていただろうに」と
あります。
宗教とは本来、人を殺しちゃいけません、などといった
子供むけの教訓めいたものではなく
自然の厳しさや残酷さまでを露呈する
矛盾に満ちたもっと難しいモノだと思うんです。
それを安易に解釈してしまうとき
殺人を肯定してしまったりするんだと思います。
この回答への補足
人それぞれにより解釈の仕方が違うのでしょうが
キリスト教みたいに牧師の人(牧師の人が間違った解釈をしているのはおかしい気がするから)が正しい解釈をさせてくれるのではないですか。
イスラム教にはそのような教え導いてくれる人はいないのでしょうか。
No.8
- 回答日時:
悲しい事です。しかし、人類に「愛(エロス)」が存在する限り、争い事が無くなる事は無いでしょう。
人間とは、とても不完全かつ孤独な存在です。だからこそ、群れの中に自分の身を委ねなければ、まともに生きていく事が出来ません。
人が群れると連帯感や隣人に対する愛が生まれます。そしてそこには群れを維持するための規範(モラル)がつくりだされます。
人が一旦集団化されてしまうと、他の集団と交わろうと思っても、主義・主張・思想などの相違のため、簡単には交流できないのが普通です。
そのようにみていくと、宗教に対する信仰心が深ければ深いほど、時として自分の愛する家族・民族を守るための手段として、争いも必要なのかもしれません。
No.7
- 回答日時:
●宗教とはなんだ? そこに着目してください。
いまだ人類の歴史において 真実を明言できた人物は誰ひとりいないのです。
だから人が 救いを求めるところは「信ずる」世界の中にしかないのです。
(将来は現実の世界で真理が開かれる可能性は否定しません。)
●ひとは信ずることで「考える」ことをやめてしまします。
それが諸悪の根源です。「考える」ことなしで 様々な日常の障害を
克服できるわけがありません。
戦争 対立 非合理性 などはそうした「考える」ことをやめた人間に
由来しています。←これは断言できます。
どんな宗教であれ「考える」ことを妨げる状況に身を投じている以上
少なくとも 危険な精神状態であると わたしは認識しています。
この回答への補足
宗教というものは変化していかないのでしょうか。
三大宗教はみな1000年以上の歴史があるんですよね。
それどもだんだんと変わってきてはいないのでしょうか?
No.6
- 回答日時:
社会科の先生が友人にいるので、パレスチナ対イスラエル、イスラム対キリスト、などの歴史を100回くらい講義してもらったにもかかわらず、いまだに理解できません。
日本人には理解できないってことがわかったくらいで・・・。
そこでわたしなりに考えたことは、前回答の意見とはちょっと違って、宗教こそ争いの元であるということです。
動物は、自分自身かあるいは身近な身内に危険が迫ったとき、生命が脅かされる危険を感じたとき、意外は闘争心は起きません。お腹がいっぱいのライオンはシマウマが前を通り過ぎても襲わないのです。
しかし、人間だけは他人の為、主義主張のため、正義の為、に命をかけて戦います。そして宗教がその心棒となって多くの戦いが繰り広げられてきたのです。
自らが信じるものが正義であるという信仰心がゆるぎないものであればあるほど、それ以外のものは悪であるから破壊することが使命であると信じて疑わないのです。
戦後の日本人にとっては、一部の人を除き、宗教が精神に及ぼす影響はほとんどないと言っていいくらいです。
今の日本の状況では必要ないのかもしれません。しかし、何か事が起こったときに心のささえが何もないということは、足元からグラリと崩れてしまうかもしれません。
宗教とは、自らを守ると同時に相手も傷つける両刃の刃だと思います。
No.5
- 回答日時:
古代宗教において「人を殺すな!」は「身内である隣人を殺すな!」です。
狩猟民族にとって神は「部族の守護神」にすぎず、縄張りと獲物を保証し、部族間抗争が発生したときには「自分の部族が優位である」主張するための存在となります。
(日本の古神道も古代宗教ですが、現在の神道は商業主義と融合して違うものになっています)
イスラム教は元々穏健な宗教です。
客人歓待の思想などを見ればわかります。
イスラム原理主義(=大雑把に言うと「コーラン的に正しい生活をしよう運動」)も戦争を肯定しているわけではありません。
しかし、イスラム原理主義過激派は「コーランに違反しているヤツは生きている資格が無い。コーラン的に正しい生活をしている我々に敵対する奴らは駆逐する事が神の意思である」と主張します。
思想・宗教を後ろ盾にして戦争やテロを行う集団は、宗教の教義とは(直接的には)関係ない過激な思想であることが多いようです。
日本史上最悪のテロリスト集団であった赤軍派が信じる“共産主義”には「人を殺してでも共産主義を広めろ」という思想はありませんが、空港でマシンガンを乱射したやつもいればビルを爆破したやつもいます。
(アラブゲリラにテロ指導したのは日本赤軍から派生したアラブ赤軍なので日本人も「全く他人事」と割り切ることは出来ません)
どんな思想集団も集団が大きくなれば過激派が発生します。
過激派は本来の思想を勝手に解釈し、自分勝手な正義論に基づいて過激行動を取ります。
思想集団の“過激でない構成員”は“過激派な構成員”に逆らうことが難しい(主に武力による思想統制と巧みな宣伝活動のためのため)状況になります。
過激と呼ばれる思想であっても思想自体が過激であることは(ほとんど)ありません。
過激な一部の人間が思想集団全体を過激にする(または「過激に見せかける」)のです。
根本の思想とは別のところですので、宗教の教義とリンクして考えることは出来ません。
この回答への補足
私が言いたいのはその過激派の考え方についてです。
ようは教典の中に「他人を他人として認めろ」というのが欠けているのではないのですか?
No.4
- 回答日時:
戦争を肯定する宗教はないと思います(一部の怪しいオ○ム真理教などを除いて)
また、たいがいの宗教の教典には、戦争をするな、他人を愛しなさい、などと言うことが書いてあります。
では、なぜ戦争が起こるのか?それは個人が戦争をしようとしているから。
本当に自分の宗教に誇りを持ち、教えを堅く守るなら戦争が起こるはずありません。ただ、土地が欲しい、金が欲しいなどと私欲が出てきた時に、その教えはもろくも崩れ去ります。結局、最終的には、宗教など忘れ、個人が戦争をしているのですから、宗教が悪いわけではありません。
アメリカが報復しました。私は心から反対です。正義のために、などと言い訳して人を殺しているにすぎません。
キリスト教の国でなぜあんな事が起こったか・・・理由は簡単。アメリカの人々が『とりあえず』キリスト教を信仰しているからです。日本もそう。みんなが仏教だから私も、などと自分から仏教を選んだのではなく、だた周りにながされているだけ。
こんな状態だから、聖書に何が書いてても、普段の生活で他人を愛すことをしない、罪を犯す。都合のいいときだけアーメンと言う。最低です。
それに対し、日本のクリスチャンは違います。周りに流される事無く、自らキリスト教を選んだのですから、本当にキリスト教を信仰しています。そして普段の生活でも聖書を意識します。だから日本のクリスチャンは、ほとんどがアメリカの報復に反対です。
長くなりましたが、つまりは、争いは個人で起こすもの、本当に宗教を信じている人は戦争を期待しない、ということです。
わけわからなくてすみません。
No.3
- 回答日時:
神に服従するといった思想に問題があるのでしょう。
日本でも、神道を中心にして、戦争に駆り立てたんじゃないですか?
そういうことを利用して、煽動する輩がいるということでしょ。
ただ、イスラム教は、有言実行ですね。凄い事です。
No.2
- 回答日時:
暴力を否定する姿勢は宗教として当然かもしれません。
でも考えてみてください。
そういう闘争心のある宗教だからこそ生き残ってるんじゃないですか。
やられてもやられっぱなし、こんな宗教も昔はあったけど、淘汰されて
しまったのではないでしょうか。
宗教は道具に過ぎません。暴力行為は人間の本能で、宗教はその道具
として利用されてしまうんでしょうね。
キリスト教の十字軍遠征しかり、日本だって神道を建前に50年前は
侵略戦争をしているんですから、イスラエル・パレスチナと大差
ありません。
彼らを愚かだなぁ・・・なんて思う資格はないと思います。
この回答への補足
道具としての宗教というのは良く分かります。
おそらく民衆を煽動するためには都合の良い部分を道具として国のえらい人が利用しているのでしょう。建前で宗教の事を持ち出すのが気にくいません。
十字軍や日本の事を書いていらっしゃいますが過去のことを忘れるのはいけませんが同じことを繰り返すのはあほです。
同じことを繰り返さないというのは難しいのも分かります。でも,その努力さえも放棄してしまう事はあほです。
それと私は彼らをおろかとは思いません。無駄なことをしていると思うだけです。
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