如己堂は、永井博士のために、浦上の人々や教会の援助により建てられたそうですが、
どうして2畳しかないのでしょうか?
寝たきりの博士が1畳使うと、残りの1畳で子供二人が生活をしなければなりません。
いくらなんでも狭すぎます。
茶室でも3畳はあります。

昭和23年の3月といえば、建築の材料も揃うのではないでしょうか?
博士は大学の教授であり、お金もあったはずです。
如己堂に住む前の家のほうがよかったのではないですか?
人並みに住めて、研究もするには四畳半は必要だったろうとおもいます。
特別な事情でもあったのでしょうか?

「如己堂」
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/na-bomb/na …

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A 回答 (2件)

実物を見たことがありますが、小さく感じました。


ドラマか、何かで、見たのですが、先生は、もう社会に尽くすことのできない身を恥じて、ことさらに小さな部屋を望んだように、記憶しています。
援助する人たちが、「いくらなんでも、こんな小さな家」と、反対するのを押し切ったというイメージが残っています。
そして、あの小さな家は、保存される限り、私たちにメッセージを発信し続けていくと、思います。
戦争の愚かさや、人間の責任などを。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
援助する必要があったのか、疑問です。
永井博士は、1940年助教授、1946年1月教授に就任しています。
如己堂の建築されたとき(1948年3月)も教授でした。
同年桜1000本を寄贈しており、8月に休職してます。
援助ではなく、自分のお金で建てたのではないでしょうか?

お礼日時:2006/11/11 03:35

永井博士が住んでいた如己堂は、浦上のキリスト教信者によって建てられたものです。


記憶が定かではないんですが、永井博士は自分が執筆し得たお金はほとんど原子病に苦しむ人々のために寄付したいたという話を聞いたことがあります。(私長崎在住なので、子供のころ原爆記念日は夏休みだったんですが平和学習で登校するようになっていました。)
そうしたすばらしい聖人であるにもかかわらず、一部には永井博士のことを偽善者扱いした人もあったと聞きます。
彼は自分の余命も少なかったことから、一切の欲を捨てて純粋な気持ちで人々のために尽くそうと考えたんだと思います。
長崎の人間にとって永井博士は聖人です。

参考URL:http://www.edu.nagasaki-u.ac.jp/private/fukuda/n …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
2畳の家を建てるのにどれだけ永井博士の意向があったのか知りたいところです。
家をプレゼントするのに、2畳ってことはないでしょうから。
日本一小さな家ではないでしょうか?

>永井博士のことを偽善者扱いした人もあった

 永井博士は軍人でもあり、満州事変、日中戦争に出兵し、72度の戦闘に参加しています。
 戦争加害者でもあったので、偽善者にみられたのでしょう。
 本人も恥じていたようです。

お礼日時:2006/11/08 19:22

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